幹事クリタのコーカイ日誌2004

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9月15日 ● 宅間守の死刑執行。

 日本の犯罪史上に残るであろう凶悪犯罪、児童8人が犠牲になった大阪教育大付属池田小事件の宅間守死刑囚の刑が執行されました。死刑確定判決からわずか1年足らずでの執行というのは異例の早さだそうです。しかし死刑が確定しているのにいつまでも執行されない死刑囚も多いことの方がおかしいとも思えるわけで、これが本当に「早い」のかどうかは難しい判断だと思います。

 ただ問題が残るとしたら、今回の場合この死刑執行が本当に宅間への罰と遺族の癒しになったかどうかということです。宅間は最後まで反省の態度を示さなかったばかりか、早く死刑にしてくれ、ということまで言っていたそうです。罪を悔いているわけでもなく、ただ死刑を望んでいる宅間の希望通りに死刑を行うことは、果たして罰になり得るのか、そしてそれを知って遺族の気持ちがおさまるのか、僕には違和感が残りました。

 死刑と言うのは要は「仇討ち」を国家が代わって執行しているわけです。殺されて当然というような凶悪な犯罪者はいつの世も確実に存在します。例えば先日起きた豊明市の母子4人殺害放火事件のようなことが起きた場合、残された夫がこの犯人を見つけてぶち殺しても誰も責められないだろうと思います。しかし、それでも法治国家としてはリンチを禁じているわけですから、代わりに死刑を執行してくれなくては遺族はたまりません(もちろん「見せしめ」として社会の治安を維持するという機能もありますが、僕は死刑で犯罪が抑制されているかどうか、少々疑問に思っています)。死刑廃絶を主張するアムネスティの言い分もわかりますが、それでもこうした犯罪者がいる限り、なかなか死刑がなくなる日はこないだろうと思います。

 しかし、宅間の場合は死刑を執行することは宅間への「救い」にはなったかも知れませんが、遺族にとっては複雑な心境だったと思います。早く忘れてしまいたいという人もいることでしょうが、もっときちんと宅間に反省させてから、という人もいたことでしょうし、どうしてこんなことになったのか納得できないままに事件が幕引きされてしまうのを怖れる人もいるでしょう。

 死刑だから死刑、というのはこれほどの凶悪犯罪の場合、安易な「お役所仕事」なのかもと思います。本当の意味での宅間への罰は何が相応しかったのか、もう少し検討してみても良かったのではないでしょうか。

 

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