幹事クリタのコーカイ日誌2004

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2月11日 ● 交換日記。

 先日会社近くの喫茶店でテニスサークルの女性とお茶を飲んでいた時のことです。喫茶店のドアを開けて母と娘の親子連れが入ってきました。何気なくそちらに目をやって、思わず僕は目を疑いました。入ってきたのは、なんと僕の中学三年の時の同級生だったのです。顔を合わせるのは10数年ぶり、連れていた娘さんが生まれたばかりの頃だったと思います。

 向こうもすぐに僕に気づき驚いていました。「お久しぶり」と挨拶。彼女は娘さんに「中学の同級生」と説明しています。僕の連れの女性も「同級生なんですかぁ」と納得していました。

 しかし、彼女は単なる同級生というだけでもありません。普通は20年近く会っていない同級生の顔が、入ってくるなりわかったりはしません。もちろん、今でもずっと年賀状のやり取りをしていて、彼女から毎年家族揃っての写真が送られてくるので顔がわかったということもありますが、実は彼女と僕は中学三年生の時に数ヶ月間、交換日記をしていた仲なのです。

 交換日記。今では死語でしょうか。文通と基本的には同じようなものですが、それを一冊のノートを交互に渡して行うコミュニケーション。郵便よりも早く確実に、しかも安価にお互いの文章をやり取りできるという点で、健全な中学生にとってとても素晴らしいシステムでした。

 今なら当然PCもしくは携帯メールというものがありますから、どんなに離れていても瞬時にやり取りが可能です。交換日記は、物質としてのノートをお互いに渡さなければならないという物理的制約がありますが、それゆえに相手の近くに行くという必然性が生まれます。これがまたシステムとしての素晴らしさでした。

 僕たちの場合は同じクラスだったので、二人とも学校に早く来て(彼女は大抵クラスで一番早く来ていましたから、僕さえ頑張れば毎朝二人きりでした)、交換日記を手渡しするか、もしくはこっそり相手の机の中にノートを入れていました。

 当時から僕は文章を書くのが得意だったし好きだったので、毎回3〜4ページくらいにわたってくだらないことを熱く書き綴っていました。彼女も文章を書くのは嫌いではなかったと思いますが、僕ほどのペースでは書けなかったので、僕はいつも彼女の書いてくる日記を「遅いな」「少ないな」「さっぱりしているな」と少し不満に思っていました。

 これは今でもあまり変わりません。メールの交換をしていても、僕はすぐに返事を書いてしまうし、相手に対して興味と好意が深ければ深いほど文章も長くなります。そして、相手の返信が「遅い」「短い」「あっけない」などと不満に思うのです。文章の量が愛情の量とイコールではないことくらい頭では理解しているつもりですが、でも僕は文章に込められた気持ちを信じている節があります。言霊の力を信じているのかも知れません。15才の頃から43才になっても、そのあたりはあまり成長していないのです。

 僕と彼女の交換日記は、受験を間近に控えた2月に唐突に終わりました。彼女の方が恐らく負担になったのでしょう。受験に集中したいからもう交換日記を終わりにしたいと言い出したのです。彼女の最後の日記には当時流行していたイルカの『なごり雪』の歌詞が引用されていました。美しい別れの歌でした。

 そして、それはそのまま二人の交際の終わりでもありました。交換日記だけの男女交際。今どきの15才には考えられないことでしょうね。当時ですら珍しかったと思いますから。喫茶店で少し離れたところに座っている彼女に目をやると、当時の面影が思い出されて、少しせつない気分でした。


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