幹事クリタのコーカイ日誌2003

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7月4日 ● 子育てはナニより楽しい。

 最近すっかり陰を潜めているMっちゃん。元気がないというか、女性を口説くエネルギーが枯れてきてしまっったようで、我々としても何とか面白いネタになるようなことはないかと尋ねてみるのですが、あまり楽しい話は聞けません。「もうMっちゃんも終わってしまったのか」と皆で嘆くばかりです。

 ところで会社の後輩M崎くんに、先日二人目の子どもが生まれました。M崎くんは、Mっちゃんが「彼は僕と同じ惑星の住人だ」と認めているほどMっちゃん的なことも好きなのですが、実はそれだけではなく、かなり家庭的でもあるというキャラクターで、そこがMっちゃんとの大きな違いです。MっちゃんがM崎くんに「子ども生まれたんだって?」と聞いたところ、M崎くんは「子育ては楽しいですよ。女の人とやりまくるよりも良いかもしれません」とMっちゃんに子どもが生まれた喜びを表現したそうです。

 それを聞いたMっちゃんは、びっくりして僕のところにやってきました。「M崎くんが女とやるより子育ての方が楽しいって言ってるんだけどホント?」。会社で突然そんなことを聞かれても困ります。最近すっかり枯れてきてしまった自分自身に少々焦りを隠せないMっちゃんとしては、「女とやりまくるより楽しい」ことが世の中にあるなんて、それは聞き捨てて置けない、という意気込みのようです。

 しかし子育ての喜びとセックスする喜びは次元の違う話です。子どもを持っている人なら理解できるでしょうし、持っていなくても人を愛することを知っている人なら多分想像できると思うのですが、子どもを持ち育てることから得られる喜びというのは極めて精神的なものです。一切の打算がない無償の愛の交換というのは、親子間ならではのことであり、だからこそ「子どもは3才までに一生分の親孝行をする」と言われるわけです。

 その代わり、子育てをすることで犠牲にするものの大きさも相当なものになります。子どもを持つ人生と持たない人生は、結婚する人生としない人生よりも大きな差が生まれることでしょう。少子化の最たる要因は、若い世代が子ども嫌いになった訳では決してなく、犠牲にするものの大きさに躊躇しているからだと思います。

 セックスの喜びだって、本当にお互いに愛情が存在して、その愛情の発露としての行為だったらそれは精神的な喜びになり得ますが、未だかつて「恋愛をしたことがない」Mっちゃんにとって、セックスは完全に本能による欲求を満たしているだけです。そんな人に多大な犠牲を払ってまでの「子育ての喜び」を理解させるのはどだい無理なことであり、M崎くんは恐らくMっちゃんがわからないだろうということを知りながら、敢えてMっちゃんの心に強く響く表現をしたのだと思います。

 M崎くんの計算通り(?)Mっちゃんはすっかり「女とやりまくるより楽しい」ことに興味を示してしまったので、僕は「試しに作ってみたら」とお勧めしておきました。もちろん試しに作るとは思っていませんが(そもそもどこの女性に作るかわからないし)、子どもを持つことでMっちゃんがもしかして新しい人生の喜びに目覚めたら、それはそれでなかなか良いことではないかと思っています。ただし奥さんや生まれてくる子どもにとっては、Mっちゃんが父親であるというのは少々リスキーだとは思いますけどね。

 

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