幹事クリタのコーカイ日誌2003

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2月7日 ● 刺激と適応。

 人間の体というのは、刺激を与えればそれに適応するために発達するというのが基本のようです。つまり、重いモノを持ち上げていれば腕力がつく、ということ。筋肉をビルドアップするには計算しながら適度に負荷をかけていくわけですが、筋肉に限らず他の機能も使えば発達するし、使わないと衰えていきます。

 頭だって体の一部ですから、やはり使っている部分は衰えないけど、使っていないとどんどんダメになります。僕の場合、文章の読み書きはずっとやっているし、社会や経済や歴史については、年を取ってからの方がますます興味を持っていますから、大学入試問題にチャレンジしても、国語や社会はかなり大丈夫です。同様に英語も細かい文法はすっかり忘れているけど、単に読解ならそれほど衰えてはいません。

 ところが数学や理科になると、これはもうからきしダメです。受験時代の記憶が断片として残っているだけなので、大学入試どころか高校入試レベルでもかなり怪しくなっています。私大文系ならちょっと勉強すれば何とかなりそうですが、センター試験を受けて国立大に入ろうと思うと、相当頑張らないと自信はありません。

 体、頭はそういう意味で、刺激と適応という関連がわかりやすいのですが、では心はどうなんでしょう?若い頃は誰でも刺激に対して非常にビビッドです。嬉しいことも悲しいことも、怒りも苦しみも感動も、全て強い刺激となって感じていました。

 しかし年齢を重ねるとともに、ちょっとやそっとでは心が動かなくなってきます。若い頃に初めて出た結婚式はみんな感動しますが、30才を超えて10数回目の結婚式となると、白けた目で突っ込みをいれながら出席しています。

 映画や文学、音楽などで「大感動!」できるのは10代の特権のような気がします。40代になると、どんな感動の名画を見ても、10代の頃に受けた感銘を超えることはまずありません。勢い「生涯最高の一本」を選ぶと、誰でも青春時代に体験した作品を挙げることになります。

 こうなるのは刺激を受けて適応した結果、少々のことでは動じないタフな精神を身に付けたのでしょうか?それとも年を重ねて心のセンサーの反応が鈍くなったから、物事に感動しなくなったのでしょうか?多分どっちも、というのが正解なのでしょうね。「少年の心」を持った中年が女性に受けるのもわかる気がします。


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