幹事クリタのコーカイ日誌2002

[ 前日翌日最新今月 ]


 
9月3日 ● 田中康夫のゲーム。

 計算通り、という匂いがプンプンします。田中康夫が倍の差をつけて圧勝した長野県知事選。議会と対立して不信任、予定通りに失職して、選挙戦で大差をつけて再選される。これでもう長野県民の信任を取り付けたことは誰にも否定できなくなりました。田中康夫は完全に長野を掌握したのです。

 報じられる選挙戦での田中の戦いぶりも、見事に計算されたものでした。マスコミの使い方の上手さ、節目節目での会見場のセッティングもライトアップされた松本城だったり、諏訪湖畔だったりと「絵になる」場所を選んでいました。

 この選挙は東京も世界も注目している、長野を「夜明け前」に戻してはならない、と田中が叫ぶことで、ますます長野県民は泥臭い県議や市町村長が推す対立候補を選ぶわけにはいかなくなりました。人の心、周りの見る目、全ては計算、「計算ヤッシー」だったのです。

 これは田中康夫批判では決してありません。見事だったということであり、これくらいできなくてどうして県政を大改革できるかと思います。計算ができない政治家は計算のできない経済人の次に失格です。

 そして、計算ヤッシーの次の一手は、間違いなく県議選にあることでしょう。田中を支持する県議を当選させて、少数与党でも良いから支持基盤を作ることができれば、オール野党体制よりは、はるかに楽に議会運営ができるし県政改革を実現しやすくなります。

 また今回の知事選で、田中と対立した県議たちが辞職したり力を失ったりするのも、田中にとっては計算の上でしょう。まさに読み通りに展開した将棋やブリッジのようなもので、さぞかし田中は心の中で「してやったり」とガッツポーズを繰り返しているのではないでしょうか。

 ここから先は完全に僕の憶測ですから間違っているかも知れません。実は僕は田中康夫のこの一連の情熱的な行動を、本当に長野県民のためにやっているのかどうか、結構疑問視しています。どうも田中にとっては知事というロールプレイングゲームを楽しんでいるだけなのではないか、と思えなくもないからです。そうでなければ、あれほど過激なやり方をいちいち選択しなくても良いのではないかと思います。計算があれほどできるのなら、もっと穏便に上手に立ち回ることだって可能なはずです。それを敢えて波風立てながら進めているのは、これがゲームだからではないでしょうか。少なくとも田中の手法がゲーム的であるということは感じられます。

 もちろん、長野県政が改革できて、県の財政も潤い、県民が幸せになるのなら、例え田中のゲームであっても問題はありません。問題があるとすれば、どこかでゲームに対する情熱を失って途中で電源を切ってしまう時がくるかも知れないということです。やっても不思議はない、と僕は見ています。長野県民はどう思っているのかわかりませんが。


とりあえず、読むたびに(1日1回)

を押してください。 日記才人という人気ランキングに投票されます。
初めての方は、初回のみ投票者登録画面に飛びます。
結構更新の励みにしていますので、押していってくださると嬉しいです。


この日記をマイ日記才人に登録する