幹事クリタのコーカイ日誌2002

 
 4月6日 ● 酔っ払いより嘘つきが良い。

 年を取ると、以前にはどうでも良かったことがイヤになったり、逆に昔は気になったことがどうでも良くなってきたりします。頑固になっているのか、いい加減になっているのか、自分でもよくわかりませんが、変わってきていることだけは確かです。

 イヤになってきたことの筆頭は酔っ払いがキライだということです。昔は酒を飲みにいけば自分も酔っ払うし、一緒に飲んでいる仲間も当然酔います。お互いに酔っ払って何だかよくわからないままに連帯感を持つ、というのが好きでした。

 ところが年とともに酒が弱くなってきて、あまり飲まず、当然酔わずにしていたら、どんどん周りの酔っ払いがキライになってきました。感情的で非論理的で強引で乱暴で、いつもなら繊細でよく気がつく良い人が、すっかり粗暴な人に変貌したりするとガックリしてしまいます。

 もちろん、だから良いんじゃないか、という意見も理解はできます。酔うことで普段は見せない素顔を見せてくれる、腹を割って本音を語り合える、と言うのもわからないのではないのです。でもそういう「ノミニュケーション」などと言われるプラス面よりも、酔っ払いのマイナス面の方がはるかに目についてしまうので、僕としてはとても首肯する気にはなれないのです。

 逆に年を取ってくるに従って「嘘をつかれる」ことには、かなり許容範囲が広がりました。若い頃は嘘だとわかった時には即座に「信頼できない」「裏切られた」なんていちいち憤慨したものですが、最近は嘘をつく相手の事情というのを考えて、まあいいか、と思うことも随分と増えました。

 相手に悪意がなければ、嘘をつくのは、なんとか丸く収めようとしているからです。嘘だと思っても、それを信じた振りをすることで、お互いに前へ進めることも多いのです。何でも本当のことを言えば良いというものでもないし、一人の正直者のために事態が紛糾したり、かえって多くの人が傷ついたりすることもあります。「上手に嘘をつく」「嘘を信じた振りをする」という処理方法は、人間関係における高等テクニックですが、身に付けておいた方が良い技術だと最近は思うようになりました。

 酔っ払いがキライになったのと、嘘つきが許せるようになったのは、僕の中では表裏一体です。酔っ払わなくても本音はかなり感じ取れるし、また嘘をつかれても真意を推し量れるようになったからこそ、相手が常に正直である必要がなくなったのです。もっとも世の中には可愛いげのある酔っ払いというのもいますし、逆に本当にひどい嘘つきもたくさんいます。あくまでも程度問題ではありますけどね。

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