幹事クリタのコーカイ日誌2002

 
 1月10日 ● 広告は必要悪か?

 昨日の朝日新聞朝刊「天声人語」にラッピング・バスの話が出てきました。ラッピング・バスとは、路線バスの車体を丸ごと広告で「包んで」しまうようにデザインしたもので、最近増えてきている屋外広告手法です。

 「天声人語」では、東京都が導入して以来、一気に全国の自治体にラッピング・バスが採用されるようになった/赤字に苦しむ自治体にとっては貴重な収入源になる/しかし、街の外観を損ねる「騒色」である/バスの判別も難しいので乗客にとっては優しくない/というような論理を展開していました。要は金のためにあんなものを走らせているなんて、本当に日本は民度が低い、苦しい台所事情はわかるが何とかならないのか、というような苦言を呈したというわけです。

 まあ朝日新聞の読者には概ねこの論調は納得されることでしょう。いかにも朝日的な理想主義だからです。そして、多分この「天声人語」を書いた論説委員氏は、記者時代に「広告なんて本当にくだらない、あんなものに頼らなければならないなんて、我が社も情けない」とこぼしながら酒を飲んでいたのでしょう。金さえあれば広告なんていらないのに、ありゃ社会の必要悪だ、くらいの認識です。

 しかし、広告は本当にこの論説委員氏の言うように「金のため」だけにメディアに存在している必要悪なのでしょうか?もちろん、そんなことはありません。広告にはさまざまな経済的・文化的・社会的意義がありますし、またそうでなければ、広告主は出稿するはずもないし、受け手も認めるはずがありません。新聞を購読していても、記事なんて読まないで折り込みチラシばかり熱心に読んでいる主婦や、くだらない番組よりもCMを主にチェックしている若い男性がどれほどいることか。多分この論説委員氏は理解していないことでしょう。

 つまらない記事や愚にもつかないマンネリ番組を商品として売って、それでも彼らに高い給料が支払われているのは、半分以上が広告収入によって成り立っているからです。新聞がラッピング・バスにケチをつけるなど、まさに天に唾する行為なのです。

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