幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 6月14日 ● 最近の「体育会系」。

 NHK教育テレビでスポーツライターの玉木正之が「日本人とスポーツ」について語っていました。彼の本は昔から好きで良く読んでいるので、今回特に新鮮な内容があったというわけではないのですが、改めて彼の主張を聞き、その説得力の高さには感心しました。

 昨晩の話は、日本ではどうして「スポーツ」が「体育」にすり替わってしまったのか、ということを歴史を繙きながら振り返っていたのですが、最後の方で「体育会系」についても少し触れていました。

 玉木の説明によると、元々スポーツというのは実力主義で年齢の上下など関係ない、いわば反社会的なものである、だからこそ「体育会」ではより厳しく長幼の序を重んじ、先輩後輩のタテ関係をはっきりと徹底させようとするんだ、ということでした。

 かつて就職の時に「体育会系」が有利だと言われたのも、この上下関係に厳しく、上の言うことには絶対服従という性癖が習慣づけられているからだったわけですが、近年では、それだけでは組織のダイナミズムが失われると評価は落ちる一方です。どこで聞いても昔ほど「体育会系」がもてはやされることはなくなり、代わりに「融通がきかない」「柔軟さがない」などと言われる始末です。

 ただ最近は「体育会系」も随分と雰囲気が変わってきたように思います。うちの会社にも、またテニスサークルにも体育会出身のメンバーが何人かいますが、じゃあ例えばサークルのトップである僕の言うことに彼らは絶対服従かと言うと、全然そんなことはありません。どちらかと言うと「我が道を行く」タイプが多く、そういう意味では良くも悪くも時代に合わせて変わってきているな、という気がします。

 それよりも僕が思う「体育会系」の目立つ特徴は、身内と他人をはっきり区別するところです。自分の気の許した仲間だと思うと、かなり親密なウェットな付き合い方をし、逆に他人だと思うとクールな対応しかしません。中間というものがない感じです。

 これは「体育会系」の学生が、大学時代を「体育会」という特殊でごく狭い人間関係の中だけで過ごしてきて、「体育会」の仲間と、それ以外の人たち、という尺度しか持てなかったからかも知れません。もしかしたら昔からの「体育会系」の人々の特徴なのかも知れませんが、最近ではそういう付き合い方は目立ちます。その延長線上で社会人生活を営もうとすると、かなり人間関係で軋轢を生むこともあるでしょう。今は一定の距離より中に踏み込まないようにしながら、ほどほどの付き合いをしていく時代です。クールな付き合いはまだしも、ウェットな付き合いはともすると嫌われることでしょう。

 本物の「体育会系」(それっぽいだけの「偽体育会系」もいるので区別しないと)は、みんな素直で良い子が多く僕は嫌いではありません。ただその素直さが、今の社会では裏目に出ていることもあるような気がします。玉木が言うようにもはや「スポーツ」と「体育」はきちんと分けて考える時代が来ています。「体育会」も自民党政治と同様に大変革が必要な時なのかも知れません。  

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