幹事クリタのコーカイ日誌2001

 
 3月20日 ● 年功制でいいじゃん。

 富士通が1993年からいち早く導入した成果主義の賃金・人事制度を見直すことにしたそうです。今やどの企業も「成果主義」を唱えるのが当たり前の風潮の中で、富士通のこの方針転換は大きな影響を与えそうです。

 富士通が成果主義の弊害として挙げているのは<失敗を怖れて長期間にわたる高い目標に挑戦しなくなった><地味な通常業務が疎かになった><問題が起きても他人に押しつけるようになった>などだそうです。さらに都市部や大型プロジェクトに所属している方が有利で、個人の努力や働きぶりは考慮されずに不公平、などという意見も出ているそうです。

 これはもういちいちごもっとも、というしかないですね。誰が考えても成果主義を導入した以上、当然起きそうな問題ばかりです。僕にしてみれば富士通は7年も8年もやっていて、今頃なにを言っているのか、と思ってしまいます。成果主義を取り入れる以上、こんなことは計算の上ではなかったのでしょうか。これらのデメリットを上回るだけのメリットがあると考えたからこそ、年功序列を廃して成果主義を取り入れたのではないんでしょうかね。

 そもそもアメリカ流の人事・賃金システムである成果主義を導入したのは、日本のバブルがはじけ飛んだ後、それまで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だった日本が瞬く間にアメリカの後塵を拝するようになったからです。その要因をきちんと追求せずに、日本の成功モデルであったはずの年功序列を「戦犯」として槍玉に挙げて、とりあえず中高年のリストラ効果があるアメリカ流賃金制度を錦の御旗に仕立て上げたのが、昨今の「成果主義」ばやりの原因でしょう。

 しかし、長年にわたって日本の企業で定着し成功を収めてきた年功序列がそんなに悪者になるのはどう考えたっておかしいと思います。年功序列とは会社と社員の信頼関係の上で成り立っている制度です。「年をとったら優遇してやるから、それまで若いうちは頑張って仕事しろよ」という約束を会社と社員がしているのが年功序列です。目立ちたがったり手柄を取り合ったり足の引っ張り合いしたりするような無駄なエネルギーを費やさなくても、「きっと会社は悪いようにはしないだろう」と信じて黙々と安心して働ける、それが年功序列の美点です。

 もちろん、そこに安住する余り活力を失い「給料泥棒」になる社員もいることでしょう。しかし、勤勉でさぼることが苦手な日本人は「後ろ指差されないように、せめて給料分くらいは働かなくては」というモラルがありました。給料泥棒になる社員の損失分よりも、ほとんどの社員が安心して業務に邁進できることによる利益の方が大きければ、決して年功序列は悪い制度ではないはずです。

 富士通の秋草社長は「年功制に逆戻りすることは絶対ない」と言っていますが、成果主義を手直しするよりも、年功制をベースにして少し競争原理を取り入れる方がずっと日本の現状に合っているんじゃないでしょうか。いや、もちろんどちらがどちらに歩み寄ってもいいんですけどね。ともにメリット・デメリットがあるわけですから。

 ただ、特にこれからは少子化の影響で競争慣れしていないのんびりした若い社員が増えてきます。その時、「会社は信用できない」と思っているのと「うちの会社はちゃんと考えてくれているから」と思っているのとでは、全然士気に差が出ると思います。会社なんて利用するものだよ、という考え方自体は否定しませんが、あまりこれを拡大解釈されて広がるのは、多分会社にとっても社員にとっても不幸なことのような気がします。

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