幹事クリタのコーカイ日誌2000

 
 2月14日 ● バレンタインデーの思い出。

 1972年、僕は小学校の5年生。日本中が札幌冬季五輪の話題で沸き返っていました。女子が聞き慣れない「バレンタインデー」という単語を連発して騒いでいたので、初めてその妙な慣習の存在を知りました。その時に僕は2個くらいチョコレートを貰ったのを覚えています。以来28年。2月14日に10数個のチョコを貰った年もあれば1個も貰えなかった年もありました。

 子どもの頃は照れながらも甘い物が好きな年頃でしたから、単純にチョコを貰えば喜んで食べてしまいました。それだけ。チョコの種類も限られていたし、まだホワイトデーなんて変な習慣も存在しなかったので、お返しもなし。シンプルなものです。まあ中学生になると義理チョコか本命チョコかの判別には少々頭を悩ませましたが、今の中学生に比べればずっと当時は奥手でしたから大した話にはなりません。

 高校生の頃は意外なことに(?)硬派でしたから、バレンタインデーなんて無縁の学園生活でした。もちろん内心では横目で見ながら羨ましく思っていたのですが、一応「興味ないぜ」みたいな顔をして過ごしていたので、まあこれはこれで姿勢が定まっていてスッキリしたものです。

 大学生になると一転、今度は軟派に転向したので、バレンタインデーは重要なイベントとなりました。しかしなにせまだ経験値が足りない頃、どうもやることなすことちぐはぐで、あまり良い思い出がありません。気合い入れすぎて空振りしたり、逆にチャンスを見逃し三振したりと、今思い出すと「なにやってんだ!」と気合いのひとつも入れたくなるような惨状でした。田中康夫の『なんとなくクリスタル』を読んで別世界の出来事と感じていました。

 どんどんバレンタインデーが派手になってきたのは社会人になってから。1980年代のあの頃は異常だったと思います。チョコは添え物でネクタイや財布がくっついてきました。もっとも僕の場合は誕生日のプレゼントと合わせ技になっている場合が多く、そのために余計に派手になっていたということもありました。

 問題はホワイトデーのお返しです。貰ったネクタイを誕生日のプレゼントと考えるのなら、相手の誕生日にそれ相応のものを贈ればいいのですが、バレンタインデーのものだとすると、1ヶ月後にはみんなに豪華プレゼント進呈となってしまいます。なにせ倍返しとか3倍返しなんてバカな話が流通していたのが1980年代後半の日本です。悩んだ結果、僕はホワイトデーを無視するという大胆不敵な作戦に出ました。これはちょっとビビリながらやったんですけど、意外と誰からも文句を言われずに過ぎてしまったのでラッキーでした。もちろん陰では何を言われていたかわかったもんじゃありませんが。

 そして結婚。ガクンとチョコの数は減りましたが、お陰で心理的負担も随分軽くなりました。その後の10年余りは、余裕ができたせいか、義理には義理を、ということできちんとお返しもしています。チョコを見る目も育ってきたので、どれほど気合いの入ったチョコかも判別できるようになりましたし。娘が生まれてからは、貰ったチョコもかなり彼女が消費してくれるようになったので無駄も少なくなりました。

 最近ではお中元やお歳暮みたいな感じでありがたくいただいています。日頃お世話になっているお礼です、みたいな風にくれる人が多いので、あまり悩むこともありません。もっとも日頃のお世話のお礼に対して、またお返しをするというのもおかしなもんですけどね。思い返してみると、随分僕も枯れてきたものです。チョコは相変わらず好きですが、生チョコとか貰ってもたくさん食べられないしねぇ。
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