幹事クリタのコーカイ日誌2000

 
 1月6日 ● アポロ100号はどこまで行くのか。

 ポルノグラフティという妙な名前のバンドのヒット曲『アポロ』の歌詞に「アポロ100号はどこまで行くんだろう」というフレーズがあります。「僕らが生まれてくるずっとずっと前にはもうアポロ11号は月に行ったって言うのに」という印象的なサビが繰り返されるこの歌の中で、科学技術がそのままのスピードで進んだら、アポロ100号の頃にはどこまでも行けるはずなのに、実際にはどうだ?という疑問が提示されているわけです。

 僕がアポロ11号の月面着陸の瞬間をテレビで見ていたのは小学校3年生の夏でした。ポルノグラフティの連中と違って、僕の場合はアポロが月に行くずっとずっと前にはもう生まれていたわけですが、小学生の僕でもやはり「この調子で行けば21世紀にはみんな月世界旅行くらいできるんだろうな」と想像していました。もちろんアポロ100号なんて太陽系を飛び出しているに違いないと。それくらい当時の科学技術の進歩は素人目にも目まぐるしかったのです。

 あれから30年の歳月が過ぎましたが、宇宙開発の歩みは当時思っていたよりもはるかに遅々としたものです。毛利衛さんや向井千秋さんが宇宙に行ったというところで、所詮地球のすぐ側をクルクルっと回ってきた程度で、イスカンダルまではとてもたどり着けません。30年かかっても、アポロ11号と五十歩百歩の場所にしか行けていないのです。

 30年前のアポロ11号からさらに30年前というと1939年。ヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっています。1900年代は戦争の世紀だったと言われていますが、まさにその最盛期がこの頃。当時の日本の一般家庭にはテレビもなければ電気冷蔵庫も洗濯機もクーラーもありません。クルマも電話も一般には全然普及していない時代です。ところがこれらは30年後の1969年には全て家庭に普及していました。僕たちが子どもの頃にクルマや電話はどんどん各家庭に入り込みはじめ、テレビは白黒からカラーに、洗濯機は全自動化し、クーラーはエアコンへとシフトしつつありました。

 そしてそれから30年後。当時はバラ色の未来図が描かれていた、その未来に立つ僕たちの周りは、驚くほど30年前と変わっていません。当時と違うのは大気や川が汚れたことくらい。コンピュータは確かにこの30年で画期的に発展しましたが、これとてまだパソコンを一般家電並みとは言えません。電話は携帯になりましたが基本的な使い方に大差はないし、クルマは全自動運転されているわけでも空を飛ぶわけでもなく4つのタイヤで排ガスを吐きながら道路を走っています。高層ビルと言っても所詮は数十階建てで、雲の上まで伸びているわけでもありません。相変わらずみんな満員電車に揺られて会社や学校に通い、主婦は少しは楽になったとは言え家事を毎日こなさなければなりません。2000年の正月、本当にこれが未来なのかと僕は愕然としました。アポロ100号はどこまでも行けると思っていたのに。

 もっとも変わらなかったことが格別イヤなわけでもないんですけどね。と言うのも、科学技術が進歩する陰には、必ず戦争があり軍事技術の開発と応用の成果があるからです。1939年から1969年の進歩はまさに戦争のもたらしたものでした。1969年から1999年までがあまり進歩しなかったとしたら、それは人類が前よりは戦争をしなかったせいだからです。戦争がなければ軍事技術開発に金もかけませんからね。戦争と引き替えに進歩するくらいなら、のんびりと道端の花を眺めながら歩く方がずっとマシです。だから2000年代がもっと進歩がゆっくりになったとしても、のんびり好きな僕は満足です。
 
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