マンガ時評vol.40 98/6/28号

『蒼天航路』は、原作者とマンガ家の幸せな結婚だ。

 このマンガ時評でも過去に2回ほど原作付きマンガについて触れたことがあります。vol.7では原作を消化しきれない力量不足のマンガ家について、またvol.14では、梶原一騎と坂田信弘の比較をしました。原作付きのマンガというのは、現代マンガ界において好むと好まざるとに関わらず増えていくことでしょう。ひとつにはマンガの需要が高まるとともに、マンガ家不足・企画不足に陥り、原作付きでなければ描かせられないようなマンガ家まで動員しているというネガティブな理由があります。もうひとつは、マンガが表現する世界が以前よりはるかに深度を増してきたために、かつてのようにマンガ家1人の取材力・構成力だけでは専門的で高度な世界を描き切れなくなってきた、ということがあります。もはやマンガ家が企画も脚本も演出も1人でこなすにはマンガ自体が深くなり過ぎたのです。マンガの高度化とともに分業化が進んでいくのは至極当然の成り行きでしょう。

 過去のマンガ原作者と言うと、誰もが認める大物が2人います。1人は梶原一騎。『巨人の星』『あしたのジョー』をはじめとする彼の作品の魅力は、個性的なキャラクター達と多彩なエピソード。全体のストーリーは行き当たりばったりという感がありますが、名場面・名台詞には事欠きません。常に熱く戦い続けるヒーローが梶原マンガの特徴です。対してもう1人の大物小池一夫は、クールで計算されたストーリーが魅力です。『子連れ狼』『クライイング・フリーマン』など、常に孤独で謎めいた主人公が登場。サスペンス風味で味付けされた作品は、キャラクターよりも物語の展開で読者を惹きつけていきます。そして、梶原・小池いずれも多くの作品を多くのマンガ家と組んで残してきましたが、常に彼らはマンガ家の上に君臨し、作品を支配してきたという印象です(唯一『あしたのジョー』を除く)。彼らが紡ぎ出す原作は最近の原作付きマンガのように、専門的で高度な知識が必要であったわけではないのですが、彼らでなくては作り上げられないような個性をきらめかせていました。大物原作者たる所以です。

 そんな中、先ほど唯一例外として除いたのが『あしたのジョー』です。この作品だけは梶原一騎の作品ではなく、梶原とちばてつやが生み出した共同作品、いや厳密に言えば、梶原一騎の原作にインスパイアされて、ちばてつやが生み出した作品とすら言えるほど、ちば色が濃く映し出されています。力石徹は梶原の意図に反して、ちばてつやが勝手にジョーよりも大男に描いてしまったために、後のあの減量による悲劇が生み出された、とか、有名なラストシーンもちばてつやのイメージでああいう風に描いたらしい、とか。こうしたエピソードが語り伝えられるほどに、この作品における梶原とちばのがっぷり四つの戦いは凄まじかったのでしょう。そしてそれゆえに『あしたのジョー』は日本のマンガ史上に残る傑作となったのです。1+1が3にも4にもなる、それが共同でクリエーティブな仕事をする時の醍醐味です。

 今回講談社漫画賞を受賞した『蒼天航路』も、そんな1+1が大きく膨らんだ作品です。過去に三国志をテーマにしたマンガはいくつもあったと思いますが、ここまで大胆な三国志の解釈をした作品を僕は知りません。特に素晴らしいのはキャラクターの設定。曹操を爽快な悪漢として、劉備を役立たずの大器として捉えて、縦横無尽に広大な中国の大地を走り回らせる。もちろん他の登場人物達も、また幾多の有名なエピソードも新たな命を吹き込まれたかのように新鮮です。そして、この斬新な李學仁の原作に大きなパワーを与えているのが、王欣太の雄大で溌剌とした絵です。デビルマンのような曹操も衝撃的でしたし、董卓の迫力ある悪逆ぶりも、呂布の頭脳と肉体のアンバランスさも見事に描ききっていました。この先、まだ登場していない孔明を始め、小説やゲームで良く知っている多くのキャラクターたちをどのような姿で描いてくれるのか、今から胸が躍る思いです。この王欣太の作画なくしては、とても李の原作も生かし切れなかったことでしょう。

 『あしたのジョー』における梶原とちばは2人が作品上で「対決」していた印象ですが、この『蒼天航路』では原作者とマンガ家が「結婚」していると思います。2人の間にできた子どものような幸せな共同作品が『蒼天航路』です。願わくばせめて曹操が死ぬまではこの連載を続けて欲しいと思いますが、今のペースでは先はまだまだ果てしなく長いです。果たして無事に成人させることができるかどうか、こちらも気長に待ちたいと思います。