『MILT JACKSON』

(1923.1.1−1999.10.9)
milt jackson

 今日は冷蔵庫の霜鳥…ぢゃなくて、霜取りについて考えてみたいと思います。僕は世の中で何が苦手と言って、シモの話ほど苦手なものはないんですが、冷蔵庫には“シモ”がつきものでありまして。特に昔の冷蔵庫、それもあまり大きくない、冷凍室と冷蔵室が完全に分離されてないタイプの場合、ヒジョーによく霜がつきましたよね。「冷凍室と冷蔵室が完全に分離されてないタイプ」といっても、最近のヤングにはあまりピンとこないかもしれませんが、昔の小型冷蔵庫にはそういうタイプがよくありました。冷蔵庫というのは箱の上のほうに「冷気の吹出口」というのが備えられておりまして、これは何故かというと「冷たい空気は重いので、下のほうに下りてくる」という物理学的な性質に基づいたものなんですが、この冷気の吹出口の直下付近のスペースがいちばんよく冷えるとういうのは、何となく理解できますよね。そこで、この冷気の吹出口の直下付近を区画して「製氷スペース」というか、「不完全な冷凍室」といった感じの空間が作られたわけでありますが、なんせ「よく冷える」といったところで、「ま、いちばん底のほうよりはマシ?」といった程度に冷えるだけなので、何とか水が凍る氷点下1度くらいにはなるものの、アイスクリームは融けちゃうような中途半端さでありまして。で、その中途半端さが災いして、空気中の水分が融けたり凍ったりしながらツララ状に成長して、もはや霜と呼ぶのも憚られるような氷のカタマリになっちゃうわけですが、こうなってくると邪魔だし、目障りだし、残しておいたところで何のメリットもないし、ということで「霜取り」という作業が必要になってくるわけですが、これが「たかが霜取りやん。」とか思ってナメてかかっていると大変な目にあうほど、なかかなの難事業でありまして。。。

 まず第一に氷のカタマリというのは冷たいです。だから手のひらの熱で融かして霜取りをしようとすると、冷たくて霜焼けになっちゃいます。だいたい、手のひらの熱で融けちゃうほど冷蔵庫の霜というのは甘いものではありませんで、少なくとも熱で融かそうと思ったらドライヤーくらいは持ち出さなければなりません。例えば病原性大腸菌“O−157”だったら、“O−157”という字を反対から読んで、「75度、1分間で、細菌は“0”(ゼロ)」になるそうですが、冷蔵庫の霜は1分程度ではなんともなりません。少なくとも、1ヶ月で蓄積した霜を取るには10分間はかかると言われておりまして、その間、扉が開け放たれた冷蔵庫内の温度はドライヤーの熱も相まってどんどん上昇し、霜取りが終わってヤレヤレとばかり、中にしまってあった生牡蛎でも食べようものなら1週間の下痢は確実でありまして、霜取り業界では「1ヶ月の霜取り、10分間で、下痢1週間」というのが合い言葉になっております。じゃ、どうすればイイのかというと、ま、霜取りの作業にかかる前に冷蔵庫の中の生牡蛎を食べちゃえばイイんですが、ドライヤーの熱で融かしたりせず、アイスピックでカチ割るという方法もありますよね。でもウチの家にアイスピックなんてあらへんでぇ。という大阪地区の住民の場合、大阪の家庭には必ず1本あると言われている「たこ焼きをひっくり返すやつ」で代用することも可能です。ただこの場合、注意しなければならないのは勢いあまって自分の手を突き刺しちゃうことでありまして、特に「今度の一突きで霜の主要な構成要素を排除できるな。」という段階にまでこぎ着けた時点がいちばん危険です。達成直前の心の高ぶりに若干のヤケも加わって、つい勢いあまって自分の手を突いちゃいます。もう、必ずといってもいいほど突きます。霜取り業界では「1ヶ月の霜取り、一突きで、全治1週間」というのが合い言葉になっております。つまり冷蔵庫の霜を取るには1週間程度の傷害疾病を覚悟しなければならないというでありますが、さすがにこれでは冷蔵庫業界としても、「何とかしなければならん。」という責任を感じずにはいられないわけでありまして。

 “PL法”というのがありますよね。これは「製造者責任法」(だっけ?)とも呼ばれ、これは消費者がある製品を使って怪我や病気になった場合、それを製造した業者が責任を取らなければならない。もしくは自分のところの部で暴力事件を起こしちゃった場合、責任を取って甲子園の地区予選出場は辞退しなければならないという法律でありますが、PL法の施行以前にも冷蔵庫業界では「霜取りにおける下痢、もしくは手の突き刺し問題」は、なんとかしなければならん。。。という責任を感じていたようでありますが、ではここで簡単に冷蔵庫の歴史について振り返ってみましょう。現在のような電気式の冷蔵庫が発明される前にも冷蔵庫と呼ばれるものはありまして、それはいわゆる「天然の冷蔵庫」と呼ばれるものであるわけですが、例えば雪の中に腐りやすいものを埋めておけば、なかなか腐らなくって便利だねっ。…というようなことは、おそらく北京原人や三ヶ日人の頃から体験的に会得していたのではないかと思います。例えば、ムカつく酋長を思わず石器で殴り殺してしまい、その死体の処理に困ってとりあえず雪の中に埋めておいたら、なかなか腐らなくって助かったとか。死体というのはたいてい腐って異臭を放つようになって初めて、「くさい。おかしい。」とみんなが騒ぎ出して、掘り起こされて、発見されるというのが常でありまして、海に投げ捨てた死体なんかでも、腐ってガスが発生するようになると海面に浮かんできて、「海面に浮かんでいる。おかしい。」とみんなが騒ぎ出して、網ですくわれて、発見されるわけですからね。「腐らなければ万事OKやん。」というのはエジプトのミイラにも同じことが言えるわけでありますが、とにもかくにも昔は天然の冷蔵庫というのが存在したと。天然パーマとか天然ボケなんてのもあるくらいだから、天然に冷蔵庫があったところで何の不思議もないわけですよね。

 で、もうちょっと賢くなった人類が次に考え出したのが「天然の冷蔵庫を人工的に作り出そう」ということでありまして、これは氷屋さんで大きな氷のカタマリを買ってきて、それを箱の上のほうに置いておいておけば冷気が下に下がってきて、なんとなく冷たくなる。…という昔の冷蔵庫であります。電気がなかったからそのような姑息とも言える手段を使っていたわけでありますが、では氷屋さんは電気もないのにどうやってその大きい氷のカタマリを作っていたのかというと、いや、電気がないといってもぜんぜんないわけではなく、あるところにはあるという、そういう状況だったのではないかと思うんですけどね。あるいは冬のうちにバカでかい全長300メートルくらいの天然の氷を作っておいて、それが夏になっても完全には融けずに30センチくらいのカタマリとして残っているようなシステムになっていたとか。いずれにせよ、氷屋さんの涙ぐましい努力に頼ることなく、自力でモノを冷やすことが出来るようになったのは昭和の時代に入ってからなんだそうでありまして。ちなみに世界で初めて吸収式の冷蔵庫というのを作ったのはスウェーデンなんだそうです。スウェーデン人って、ただスケベなだけかと思っていたら(←人種差別的問題発言)、冷蔵庫だって作っていたんですな。たいしたものです。で、日本にフリーザーをつけた2ドア式の冷蔵庫が登場したのは昭和40年頃になってからの話でありまして、で、そのうちに牡蛎にあたって下痢になったり「たこ焼きをひっくり返すやつ」で手を突いたりする心配のない「自動霜取り装置付き」という冷蔵庫が登場するわけですが、実はこれ、「そろそろ霜がついたカナ?」というタイミングを見計らって冷やすのをやめ、変わりにヒーターで温めて霜を融かしているだけというのが実状のようでありまして、突き刺し問題のほうはともかく、生牡蛎腐敗問題のほうは根本的には何も解決されてないんぢゃないか?という気もするんですが、そこはそれ、さすがに技術的に何らかの方法で解決しているんぢゃないかとは思いますけどね。例えば霜取り中は同時に正露丸的成分を噴霧して、がんばって消毒に励んでいるとか。

 「冷やす」という至上命題を持っておりながら、霜を融かすためには「温める」という行為を余儀なくなれるという自己矛盾。冷蔵庫が宿命的に抱えているこの二律背反性に僕は人生の縮図を見た思いが致します。…と、わけのわからん結論を出しておいて、今日はこれでおしまい。

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 ということで、ミルト・ジャクソンです。『エピソードでつづる伝説のジャズ・ジャイアンツ』という本が発行された頃はまだ生きていたようですが、もう死んじゃいました。あ、そうそう。僕がこのコーナーで予言した「ロリンズ8月19日ぽっくり説」まで、もう残された時間はわずかになってしまいましたが、そのような気配はみじんも感じられませんね。ま、あれだけ大騒ぎした「西暦2000年問題」も、終わって見れば僕がプログラムした3Pシステムの日報が暴走したくらいだったし、いざとなれば「僕が予言したのはあのテナー奏者のロリンズぢゃなく、オクラホマ州出身の元寿司職人ソニー・ロンズさん(97歳)のことだったんだよ。」と強引に言い張ってごまかすという手もありますしね。それはそうと19日と言えば塩通の品川オフ会の日でありますが、参加希望者は極めて僅少でありまして、みんなのヤル気もまったく感じられず、オフ会もこれが最後か?という気がしてまいりましが、それはともかく、ミルト・ジャクソンは1月1日生まれでありましたか。めでたいことですなぁ。で、どこで生まれたのかというと、ミシガン州はデトロイトですかぁ。デトロイトと言えばシカゴやフィラデルフィアと並んでジャズマンをたくさん輩出したことで知られておりますが、自動車産業がたいへんお盛んなことでも知られてますよね。日本でいうと豊田市みたいなもんですかね?ここは昔、「挙母(ころも)町」などという、たいへん天麩羅ライクな地名だったんですが、トヨタ自動車が出来て、町の名前も豊田市に替わっちゃいました。ちなみに豊田には「エーパンクラブ」という名前のパチンコ屋があるんですが、この会社は昔、製パン業をやっていたそうです。で、創業から2年後に「僕のエーパン」を創業して遊技場経営に乗り出したそうですが、いったい何なんでしょうね、「僕のエーパン」って?

 で、ミルト・ジャクソンといえば、言わずと知れたモダン・ヴァイブの第一人者なんですが、ミュージシャンになった当初はピアニストとして活躍していたそうです。ピアノからヴァイブへの転身というのは、製パン業から「僕のエーパン」への転業に比してもそれほど珍しいわけではなく、例えばエディ・コスタやヴィクター・フェルドマンなんかはピアノとヴァイブの兼業ですしね。ま、確かにピアノの鍵盤の並びもヴァイブの鉄板の並びも、似たようなものと言えば言えないこともないので、ピアノが弾ければヴァイブぐらいは叩けるような気がしないでもないですしね。ちなみに僕は小学校時代、鉄琴という楽器にあこがれていながら、才能がなくて音楽会ではもっぱら鈴やカスタネットなどのパーカッションを担当していたクチですが、ではここで「ヴァイブ」という楽器について、簡単におさらいしてみましょう。

 ヴァイブ。正式には「ヴァイフラフォン」と言いますが、「ビブラフォン」と書いてある場合も多いですよね。英語の略称は (vib) となります。で、その名前のとおり、ぶるぶるする楽器でありまして、で、どこがぶるぶるするのかというと、鉄パイプの中の部分なんですけどね。 えーと、昔、小学校の音楽室に鉄琴という楽器が置いてあったと思いますが、先にまるいタマがついた棒(←マレットという。ちなみに剃毛する際に用いるのはジレット。いや別にフェザーでもシックでも貝印でも構いませんが。)で叩く部分は「延べ棒状」になっておりますが、その下に縦方向に鉄パイプみたいなのが伸びてましたよね?で、ヴァイブという楽器はあの鉄パイプの中に電気仕掛けで回転する円盤が入っておりまして、それが回転するおかげで、あの独得の「うぃ〜〜ん♪」というモーター音…ぢゃなくて、「うぉんぉんぉん♪」という余韻のある音色が生まれるわけでありますが…と、僕が思っているヴァイブという楽器のあらましは、だいたいこんなところなんですが、これで合ってますかね?電気仕掛けであるという性格上、電気冷蔵庫よりも古い歴史があるとは思えないわけでありますが、調べてミルト、いや、調べてみると、1930年頃、アメリカで誕生となっております。で、ジャズ界における主なヴァイブ奏者の名前をあげると、まずライオネル・ハンプトンとレッド・ノーヴォがいて、50年代になってミルト・ジャクソンが登場すると。で、その後はゲイリー・バートンが出て…って、僕が参考にしているサイトの情報はあまりにもテキトーすぎますが、他にも次のようなミュージシャンの名前が列記されておりますな。

ロイ・エアーズ、ボビー・ハッチャーソン、カール・ジェイダー、デイブ・パイク
マイク・マイニエリ、デヴィッド・フリードマン、デヴィッド・サミエルズ、レム・ウィンチェスター
ウォルト・ディッカーソン

「あきらジャズまつり」でも大活躍のデイブ・パイクの名前があるのはイイとして、前に僕が名前をあげたエディ・コスタ、ビクター・フェルドマンのほか、テリー・ギブスやジョニー・リトルの名前が抜けているのはいただけませんな。で、“クールで爽やか”という楽器のイメージを反映してか、ギターと並んでわりと白人奏者の活躍の目立つジャンルでありますが、その中で「黒い系ソウル派」の代表となれば、やはりミルト・ジャクソンということになるんでしょうかね?ちなみに『エピソードでつづるジャズ・ジャイアント』(通称『エピジャズ』)の中には、「あるミルト・ジャクソンのセッションが終わったとき、スタッフがこうつぶやいたそうだ。“ああ、スタジオからソウルが消えていく。”」(文責:岡崎正通クン)という、誰でも知っている有名なエピソードが紹介されておりますが、ひとたび M.J.Q. でのプレイとなると、ジョン・ルイスの「よーろぴあん趣味」に迎合したような、悪く言えば覇気のないプレイに終始しているというような話もよく耳にします。「M.J.Q.ではタキシードを着た“よそいき”のプレイ、自分のリーダー作では本性を発揮した“普段着”のプレイ。でも、どっちのプレイもミルト・ジャクソンなんだよね。」ということで、識者の統一見解はまとまっているようでありますが、『エピジャズ』における正通クン、通称マークンの論調も、だいたいそんなところです。あと、僕がミルト・ジャクソンについて知っていることと言えば、えーと、 M.J.Q. というグループはディジー・ガレスピー楽団のリズム・セクションが元になって出来たグループなんだよ。…ということと、ミルトの「バグス」という通称は、目の下のたるみが「た○きん袋」に似ているから、「bags(ふくろ)」という あだ名がついたんだよ。…という2点だけなんですが、では最後に「ミルト・ジャクソンを知る5枚のアルバム」というのを個人的に選んでみようと思います。


『モダン・ジャズ・カルテット&ミルト・ジャクソン・クインテット』(PRESTIGE:1952〜54年)

 ドラマーがケニー・クラークだった頃の初代 M.J.Q. の演奏と、ヘンリー・ブジアとかいう正体不明のトランペッターを加えたミルト・ジャクソン名義のセッションをカップリングした興味深い1枚でありますな。モダン・ジャズ・カルテット&ミルト・ジャクソン・クインテット、どちらも略すと“M.J.Q.”になるのがミソでありまして、モダン・ジャズ・カルテット名義のセッションは、かの名盤『ジャンゴ』の吹き込みと前後しておりまして、アルバムとしては地味な存在ながらも、演奏内容のほうは素晴らしかろうと。「ヴァンドーム」など、もろジョン・ルイスの“よーろぴあん趣味”でありますが、ミルトのヴァイブ自体はブルージー・ムードが横溢して、充分鑑賞に耐えうる出来であります。バッパーの必須科目「オール・ザ・シングス・ユー・アー」も異色作ながら決して磯臭くはなく、生臭くもなく、ウンコ臭くもなくて良好です。いや、個人的にはウンコ臭いのって、けっこう好きなんですけどね。

 一方、ミルト・ジャクソン名義のセッションでは、なんといってもホレス汁婆の「オパス・デ・ファンク」が目を引きますよね。後にサヴォイ盤で再演することになるファンキー・チューンを、ここではトランペット入りで颯爽と演奏しております。…といいたいところですが、ヘンリー・ブジアとかいう得体の知れないトランペッターが吹くテーマ部は今ひとつでありますな。が、ミルトのソロ自体は好調なので、ま、いいでしょう。あ、これ、ピアノを弾いてるのはシルバー自身なんですな。ブジアくん抜きならもうちょっとイイ演奏になったかも知れませんね。で、ミルトという人はしみじみとバラードもうまい人なんですが、バラードが苦手なシルバーが精一杯ブルーなイントロを聴かせている「アイブ・ロスト・ユア・ラブ」がブジアくん抜きということもあって、安心出来る仕上がりとなっております。…と思ったら後テーマになって登場しましたね、ブジアくん。ま、ストレートにテーマ・メロディを吹いているだけなので、ヨシとしておきましょう。が、全体的にはB級ムードが横溢しておりまして、あまりオススメ出来るようなレベルではないかも?という気もしてまいりましたが、ま、いっか。


『フォンテッサ』(ATLANTIC:1956年)

 そういえばこのCD、ずいぶん前に従姉妹のぎゃるに貸し出したきり、手元に戻っておりませんが、 M.J.Q. のアルバムとしては、トータル的に見て実によくまとまった1枚でございます。欧州趣味あり、スタンダードあり、ブルースあり、シロアリ、ハネアリ、下心アリアリで僕がギャル系にジャズのCDを貸す場合、「ま、このあたりが無難かな?」というのでよく使うのがこのアルバム( と、コルトレーンの『バラード』と、エバンスの『わるでび』 )なんですが、ミルト・ジャクソンのブルージーなヴァイブを堪能するなら、ずばり「ブルーソロジー」と題された1曲でありましょう。パーカーの「オーニソロジー」と並ぶ“早漏爺”シリーズの1曲なんですが、やっぱりブルマはえんじ色よりも紺色系だよねっ。…という僕のブルマ学にもぴったりフィットする、ブルージーな名曲・名演だと思います。


『ミルト・ジャクソン』(PRESTIGE:1955年)

 えーと、以上2枚が「M.J.Q.絡みで聴くバグス」でありまして、ここからは彼のリーダー作を3枚ほど。ま、普通に考えれば『オパス・デ・ファンク』か『プレンティ・プレンティ・ソウル』 あたりということになるんでしょうが、そういうのは他のサイトに任せておいてと。とりあえずプレスティッジ初期の『ミルト・ジャクソン』なんてどうですかね?何のひねりもないタイトルが「バイキング桑名」的にきっぱりしていて好感が持てるし、広貫堂(←富山の薬売り)のおじさんは風船をくれるからコドモの頃から好感を持っていたし、夫婦交換というのも「すわっぴんぐマチコ先生」的に好感が持てるわけでありますが、股間というのもイイものでありますなぁ。で、このアルバムはヴァイブ+ピアノ・トリオという“M.J.Q.編成”で、ピアノがルイスからホレス・シルバーに替わって、バグスのプレイがどのように変化するのぉ?というのが興味のポイントであるわけですが、冒頭の「ワンダー・ホワイ」など、さらっとしたM.J.Q.風の仕上がりになっているんですけどね。こういう「おとなしいシルバー」というのも、ある意味で貴重かも知れません。ま、日本人ふぇいばりっと曲のひとつ、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」も入ってるし、まい・ふぇいばりっと曲のひとつ、「哀愁土建屋」だって入っているし、全体的にバラードが多くてダレる感もありますが、気分が落ち込んでいるときにはイイかも知れませんね。


『バグス・オパス』(UNITED ARTISTS:1958年)

 「思い付きだけで選んだ5枚のアルバム」の4枚目は『バグス・オパス』でおます。このアルバムに関しては「jazz giant」のほうで書いておりますので、そっちのほうを参照してくださいね。ここです。ぜんぜんたいしたこと書いてありませんけどね、昔の原稿って。


『バグス・ミーツ・ウエス』(RIVERSIDE:1961年)

 最後はわりとオーソドックスな1枚を持ってきました。ケリー、サム・ジョー、フィリ・ジョーのリバーサイド最強リズム・セクションにバグスにウエスですからね。もう、メンバーを見ただけで、わくわく♪といった感じなんですが、ヴァイブとギターというのは相性がいいですしね。甲斐性がないのはいけませんが、相性がいいのはよくてですね、冒頭「S.K.J.」のグルーヴ・ムードが、もうたまらんっち。ちなみに曲名はミルト婦人のイニシャルらしいんですが、スケベ・キ○タマ・ジャクソンとか言うんですかね?なわけないですね。あるいはスケルトン・キン○マ・ジャクソンかも知れませんが、透けてるからと言ってどうなるものでもないような気もしますけどね。あとは、えーと、ゴルソンの「ステイブルメイツ」に、キザな高橋クンもご推薦の「星へのきざはし」ですか。「ブルー・ロズ」「サム・サック」「ジングルズ」と、ウエス、ミルト、ウエスのオリジナルが続いて、ラストは「あきらジャズまつり」でヒロ近藤だか誰かが演奏していたビクター・ぺやんぐの「デライラ」ですか。特にエキゾチックな「デライラ」には名古屋人である僕の友達も「でら“デライラ”だらぁ。」と感心しておりましたが、僕もめっちゃ“デライラ”ぢゃん。というふうに思います。

 ということで、ミルト・ジャクソン編はおしまい。


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