『SONNY ROLLINS』

(1929.9.7−)
rollins

 本日は「深川征夫(仮名)を激しく糾弾する」というテーマでお届けしたいと思います。以前、「宮嶋と(仮名)を激しく糾弾する」というテーマで原稿を書いたことがあるんですが、いや、書いた当時はムカついていたもんだから、実名を思いっきり出していたんですけどね。今になって冷静になってみると、何かの拍子で本人の目に触れると、ちょっとヤバいかな?という気もするので、今回は(仮名)にしておきましたが、本名は将棋の駒の「と」をひっくり返してみてくださいね。ま、わざわざそんなことしなくても、『“jazz giant”自選コラムINDEX』(←苦労したわりには何の反響もなし。。。)のほうには本名がそのまま載っておりますので、そちらのほうを見てもらってもかまいません。ま、わざわざそちらのほうを見てもらわなくても、すぐに「歩クン」だとわかりますけどね。

 一方、深川征夫クン(仮名)のほうなんですが、これは2番目の漢字を山川豊的に変換していただければOKです。で、歩クンのほうはどういうネタだったかというと、長野県は白馬の道を走っていたら、歩クンにスピード違反で捕まって、ええい、うっとうしい!という話でありました。で、今回も似たようなもんです。では順を追ってお話しましょう。えーと、今日はシゴトで岐阜県は垂井町というところに行っておりました。たるい町。やんぐ風に言うと「たりぃ」ですな。んなもん、たりぃでかんわー。などと、日常会話でもよく使われます。場所的に言うと大垣市と関ヶ原の間、養老町の北のあたりにありまして、周辺の市町村に比べると、今ひとつこれといった特徴のないところですね。養老には「養老の滝」、関ヶ原には古戦場跡と鍾乳洞とメナードランドとウォーランド、大垣には「味噌煎餅」があるんですが、垂井には何もありません。ま、強いて言えば「南宮大社」という大きな神社があるんですが、「味噌煎餅」に比べると、その「ソソられ具合」はかなり低レベルであると言わざるを得ません。

 ま、そんなところだから何の期待も抱かず、「たりぃなぁ。。。」とか思いながらクルマを走らせていたんですが、本日は大きな発見、というか収穫がございました。何かというと“けった通学の女子高生”が多いんですよねぇ。しかも、かなりの高レベルでありまして。国道21号線を関ヶ原方面に向けて走っていたんですが、垂井にかかったあたりから、ちょっぴり渋滞しておりまして。で、うっとぉしいなぁ。。。と思っていたら後ろの方から走って来たんですよねぇ、女子高生。しばらくすると今度は前のほうからも走って来ました。で、前から走ってくるほうは一過性でどうにもならんのですが、後ろから走って来るのはイイですなぁ。何がイイかと言うと、クルマが渋滞しているもんだから、ちょうど「抜きつ、抜かれつ」といった感じになりまして、おおっ♪と思うような女子高生のフトモモの辺りを3、4回はじっくりと鑑賞することが出来るわけなんですね。ま、中には「1回でじゅうぶん。。。」というようなのも混入してはおりましたが。

 しかし何ですな。女子高生というのは存在自体が「犯罪」でありますな。僕はどちらかというと、女子高生なんぞには何の興味もないほうなんですが、それでも“けった”で走っている姿を見ると、何だかときめいちゃいますもんね。ドキドキもしちゃうし、ワクワクもしちゃいます。場合によってはムラムラだってしちゃいます。クルマをコンとぶつけてコケさせて、病院に連れていくふりをして、草陰にこっそり…などと思っちゃうこともあります。理性も知性も常識も社会性も道徳心も人徳も二宮尊徳も兼ね備えた僕にしてこのありさまですので、ちょっぴりアタマの弱いお兄さんが女子高生の姿にムラムラして犯罪行為に走っちゃったとしても、それはある程度はやむを得ないというか、病気の一種のようなものなので情状酌量の余地があるというか、でもそんな勝手な理屈が許されるハズもないのでとりあえず役場へと向かったのでありますが、すると制服を着た事務員さんが何人か歩いておりまして、これはこれで悪くはないなぁ。。。と思った次第でありますが、そうこうしているうちに待ち合わせの時間を10分ほど過ぎてしまい、あわてて担当の課へと駆け込んだわけですが、担当者はもう現場のほうへ行っちゃったということでありました。もしかして、怒ってるぅ?

 で、あわてて現場へと向かったわけですが、「役場の人に案内して貰えばいいやぁ。。。」とか思っていたので、現場の場所を正確には把握してなかったんですよね。いや、初めての現場だったんですけどね。何事も「はぢめて」というのは要領が分からずに失敗しちゃうものなんですが、道に迷って「ああん、そこぢゃないのぉ。。。」とか言ってるうちに、当初の予定から45分ほど遅れてしましまして。もしかして、怒ってるぅ?と思ったら、やっぱり怒っておりました。いや、あからさまに叱られたわけではないんですが、あきらかにムッとしておりました。で、これは何とかシゴトのほうをテキパキこなし、名誉を挽回せねばなるまい。。。と思ったんですが、事前の打ち合わせの不備で交換部品のいくつかが用意されてないことが判明し、また怒ってるぅ?とか思ったら、やっぱり怒っておりました。いや、あからさまに嫌味を言われたりしたわけではありませんが、あきらかに不機嫌の度合いが増大しておりました。で、炎天下でシゴトをしていたら、あまりの暑さに熱中症になりかかりまして、いや目の前が暗くなって、マジでやばいかな?と思ったんですが、ここで倒れるわけにはまいりません。待ち合わせの時間に遅れるわ、道には迷うわ、部品は足らんわ、熱中症で倒れるわ、女子高生は襲うわでは、僕の立場がありませんもんね。で、ペンキを塗るためのシンナーがあったので、その匂いを気付け薬変わりにして何とかシゴトを終え、やれやれ。。。と思って会社に帰ろうとした時、ヤツは現れたのです。

 えー、現場からの帰り道、細い道から立派な道に入るところに信号交差点があったんですよね。で、信号は赤だったので、僕がずっと止まってたんですけどね。が、いつまでたっても信号が変わらず、もしかしてセンサー式なのか?とも思ったんですが、そんな様子でもなく、で、10秒ほど考えた結果、幸い、前からも後ろからも右からも左からもまったくクルマが来る気配がなかったので、えーい、行ったれー!とクルマを発進させて信号を左折して立派な道を走っていたわけですが、で、次の信号が赤だったのでクルマを止めて、やれやれ。。。と思っていると、僕の右隣にすーっと白黒模様のクルマが止まったんですよね。一瞬「やべ!」と思ったんですが、でも、これはきっと、たまたま僕の隣に止まりたかっただけのことだよね?ぜんぜん心配することなんかないよね?と、自分に言い聞かせようとした瞬間、マイクで呼びかけられておりました。「はーい、そこを左に曲がって、止まりなさーい。」

 浅山征夫(仮名)。…と、交通反則告知書には記入されておりましたが、ありゃ絶対「おとり捜査」やろ、まさお?と思わずにはいられません。なんせ信号無視をするんだから、いつも以上に慎重に左右の安全確認をしましたもんね。その結果、前後左右にはまったくクルマの姿が見えなかったので「行ったれー!」と自分で自分にゴーサインを出したのでありまして、にも関わらず、次の信号で絶妙のタイミングでパトカーに横付けされちゃいましたもんね。まさおは恐らく、物陰にパトを止めて待機していたのでありましょう。で、カモが来るのをじっと待ち伏せして、で、折しもボーッとしたマンポン技師風のオトコ(推定年齢33歳)が通りかかり、ぜんぜん変わらない信号にイライラして、思わず「いったれー!」と発進したのを見て、「よっしゃー!」と心の中でガッツポーズをして追いかけて来たのでありましょう。もしかしたら検挙の成績を上げるため、信号が青に変わらないように細工を施してあったのかも知れません。そこまでやりかねないオトコなんだってば、征夫は!なんだか夜中に暗い裏道の「痴漢が出ます」と書いてあるところを歩いていたら女子高生が一人で立っていて、で、ぱんつをチラチラ見せたりして誘惑するもんだから、思わずムラムラしてガバッと襲いかかろうとしたら、電柱の影からぬーっと浅山征夫(仮名)が出てきた。。。といった感じでありまして、一日、炎天下で熱中症の危機と闘いながら労働に励んだ結果が、罰金9000円。こんなことならシゴトをサボって、一日中路上で“けった女子高生”を見ていたほうがマシでしたなぁ。。。


 ということでロリンズです。連載2回目にして、早くも打ち切り確実の新コーナーでありますが、いや個人的には書くのがラクだから別にいいんですけどね。ま、全然似てないとは言え、イラストを描いた努力だけでも認めて貰うとして、ま、こうでもしないとせっかく買ったスキャナの使い道がありませんしね。パンツのスキャンはもう飽きましたし。。。で、連日の「パンツねた」が顰蹙を買ったのか、このところ掲示板のカキコがまったくありませんし、ぎゃる系読者は消えちゃいましたし、先日、何かの間違いで16歳の女子高生からメールが来ていたので、嬉しくなって返事を書いたんたんですが、それ以来まったく音沙汰がありませんし、オフ会の話もいっこうに盛り上がりませんし、そんなこんなでまったくやる気の出ない今日この頃でございますので、時間もないのでテキトーに原稿を片づけちゃいましょうね。あ、そういえば今日ですね、うちの事務所に「トミー服部」とかいう人が来ました。産廃関係の業者の人らしいんですが、名刺を見たら「トミー服部」と書いてありました。いや、ベタな日本人のオッサンで、カッコして本名も小さな字で書いてあったんですが、最近はやってるんですかね、トミー?ということで、まずはロリンズのプロフィールをチェックしてみましょう。

 1929年9月7日、ニューヨークの生まれ。ということは、1968年生まれの僕が昭和43年の生まれなので、元号に直すと昭和4年生まれということになりますかね?計算、合ってますか?昭和ヒト桁生まれと言えば、もういつボケても不思議ではない高齢者でありまして、この年代でまだ生きているジャズマンというのは、めっきりと少なくなりましたなぁ。。。先週でしたか、新聞にジョー・ヘンダーソンの訃報が載っていて、思わず「ふほぉ〜。」と驚いてしまいましたが、ちなみにジョー・ヘンは1937年の生まれですもんね。それに比べてロリちゃんのほうは「老いてますますお盛ん」といった感じでありますが、「そろそろヤバいかも?」という噂もチラホラと耳に入ってきますし、今年の夏ぐらい、そうですなぁ…、僕の予想だと8月の19日くらいにぽっくりと逝っちゃうかも知れませんね。いや、まったく根拠はありませんけどね。で、ロリンズと言えばわりと多くのエピソードが残されておりましが、中でもよく知られているのが「雲隠れ好きのキャラである」という点でありましょう。有名なのだけでも2回「雲隠れ」してますもんね。

 えーと、まず最初は50年代の半ばですか。ある日突然、ロリンズはヤル気をなくしちゃうのでありますが、その理由というのはよくわかりません。ま、どうせ「女子高生にメールを出したのに、返事が返ってこなかった。。。」とか、そういうどうでもいいことだったんでしょう。サウンドから受ける「豪放磊落」といったイメージとは裏腹に、根はナイーブでイジケやすいキャラだそうですからねぇ、ロリぴょん。で、この当時で知られているエピソードと言えば、マイルス・デイビスが新しいクインテットを結成するにあたり、テナーにはロリンズを起用することを希望しておったのでありますが、やる気のないロリンズはその話をお断りしたと。「しょうがねぇなぁ。。。」というので代役として白羽の矢を立てられたのが、当時はまだまったくの無名だった若かりし頃の“やんぐ・コルトレーン”であったと。ちなみにトレーンは26年生まれなので年齢的にはロリンズより3つほど上になるんですが、オクテっと言うんでございましょうか、ま、逆にロリンズのほうが早熟だったんでしょうが、世に認められたのはロリンズのほうがずっと先でありまして。が、イジケて雲隠れをしたり、雪隠(せっちん)でウンコなどをしている間にトレーンのほうは急成長を遂げることになり、先発隊のロリンズとしても、ウカウカしてはいられません。で、1956年頃になってジャズ・シーンに復活を遂げるわけでありますが、そのきっかけになったのはクリフォード・ブラウンとの共演であったと言われております。

 えー、当時のブラウニーといえば、ブラウン=ローチ・クインテットでバリバリ活躍中でありましたが、ある日のツアーでテナーのハロルド・ランドの都合が悪くなっちゃったんだそうでありまして。で、急遽、引退同然であったロリンズが引っぱり出されるハメになるんですが、最初のうちは「えーっ。。。」とか言ってあまり乗り気ではなかったのに、無理矢理でもヤラれているうちに、「でも、これって、ちょっとイイかも?」という気分になってくるというのは、よくある話でございます。結局、ブラウニーの卓越したテクニシャンぶりにメロメロになっちゃったロリンズはジャズ界への復活を誓ったわけでありますが、ブラウニーが人間的にもヒジョーによくデケた男だったというのもポイントが高かったみたいですけどね。で、ロリンズはブラウン=ローチ・クインテットの正式メンバーになるわけでありますが、「今度からテナーにロリちゃんを使おうと思うんだ。」というローチの非情とも言える申し出に、「それはイイ考えだねっ。」と答えたというハロルド・ランドも、なかなかにデケた男でありますなぁ。。。で、ロリンズとブラウニーと言えばもうひとつ有名なエピソードがありまして、それはかの名盤『サキソフォン・殺す刺す』にまつわるお話なんですけどね。

 えー、ブラウン=ローチ・クインテットの面々は一仕事を終えて、次のシカゴでの仕事までの数日間は別行動を取ることになったそうです。で、ローチはロリンズのリーダー作『サキソフォン・コロッサス』に参加するためにニューヨークに行き、一方のブラウニーはフィラデルフィアの地元民とジャム・セッションに講じていたわけでありますが、そのセッションが終わってローチと合流すべくシカゴへと向かう途中、ブラウニーを乗せたクルマは猛スピードで土手に激突し、ブラウニーとリッチー・パウエル、及びリッチーの妻パウ子ちゃんの3人が即死しちゃうんですよねぇ。。。運転していたのはパウ子ちゃんだったそうですが、事故の原因は恐らくスピードの出し過ぎではなかったかと。あるいは信号無視なんかもしちゃったのかも知れませんね。とんでもないことです。いかなる状況でも信号というのは厳守しなければならないものでありまして、もしそれを無視したとなればパウ子ちゃんの非は明らかで、これはもう、9000円くらいの罰金を取られても仕方のないことでありまして、アメリカの交差点に征夫クンがいなかったことが残念でなりませんが、えーと…、第1回目の雲隠れのお話はだいたいこんなところです。

 で、第2回目は59年の秋ですね。こっちのほうの話は『エピソードでつづる伝説のジャズ・ジャイアンツ』(共同通信社刊)という本で佐藤秀樹クンも書いておりまして、シカゴのプレイボーイ・ジャズ・フェスティバルに出演したあと、姿を消したと。「銀行員になったらしい」とか、「死んだらしい」とか、「まだ生きてるけど、そろそろヤバいかも?」とか、「今年の冬ぐらい、そうですなぁ…、僕の予想だと12月の19日くらいにぽっくりと逝っちゃうかも?」とか、色々な憶測が飛び交ったようでありますが、「バラ十字会に入ったらしい」というのと、「ウイリアムズバーグ橋の上でサックスの練習をしているらしい」という噂は本当だったようで、それが証拠に『橋』というアルバムを作って復活してますしね。あとは、えーと…、ある日突然、アタマを「モヒカン」にしたりと、僕が知ってるロリンズのエピソードはこれくらいです。僕が知ってるくらいだから、誰でも知ってます。ということで、今日はおしまい。


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