TOKYO:1976 (XANADU)

BARRY HARRIS (1976/4/1,12,14)

TOKYO:1976


【パーソネル】

BARRY HARRIS (p) SAM JONES (b) LEROY WILLIAMS (ds)
CHARLES McPHERSON (as) <#3,6> JIMMY RANEY (g) <#3,6>
【収録曲】

(01-03) LIKE SOMEONE IN LOVE / ORNITHOLOGY / GROOVIN' HIGH
(04-06) NIGHT IN TUNISIA / ORNITHOLOGY / BLUE'N BOOGIE
【解説】 ( 2012年11月11日更新 / 連載 1,053回 )

 暴言で読む日本史 。  そんな本を見付けたので、とりあえず買ってみました。わりと好きだったりするんですよね、清水義範。 書評のコーナーで取り上げた事もありましたっけ? えーと、 これ っすか。 そういえば、こんなコーナーもありましたなぁ。 …と、しみじみ感慨に耽ってしまうほど完全放置状態だったりするんですが、特に初期のものは今となっては黒歴史としか思えない “ひなのネタ” だったりするので、僕の中では 「無かったもの」 として封印されていたりします。 幸い、書いている本人もアホらしくなったのか、途中から素に戻っているので、まだ何とかなっているんですが、で、前回の理科モノに続いて、今度は歴史モノということになります。 『暴言で読む日本史』 。 なかなか面白い切り口ですよね。 『ボーゲンから始めるスキー』 とか、『バーゲンで買う安物』 とか、『バーゴンと闘うワニ』 とか、そういうのはありがちなんですが、あ、最後のがよく分からなかった人は、 ここ を参照して貰うとして。 そういえばこんなコーナーもありましたなぁ。無駄に裾野を広げ過ぎて、すぐ面倒見切れなくなって、そのまま放置。 個人のほ→むぺ→じには極めてありがちな展開なんですが、で、本の中身のほうはと言うとアレでした。 誰でも知ってるような有名な暴言だけでなく、聞いたこともないような地味な暴言とか、暴れっぷりが今ひとつな大人しい暴言とかも混ざっていたりして、正直、ちょっぴり企画倒れのような気も。 果たしてこれで1回分の原稿を賄うことが出来るのか、ちょっぴり不安だったりするんですが、ま、いざとなったら自分で暴言を吐けばいいだけの話だし、とりあえず頑張りましょう。

 『 日出処の天子、書を日没処の天子へいたす。つつがなきや、云々。 』

 これは有名ですよね。日本史に今ひとつ疎い僕でもよく知ってます。 子供の頃、聖徳太子が主人公の学研の漫画か何かで読んだような覚えがあります。 最後に 「つつがなきや、云々。」 が付いてるバージョンは初めて見たんですが、云々の部分には何か書いてあったんでしょうな? ちょっと気になるんですが、後世まで伝わっていなところを見ると、あまり大したことは書かれていなかったのかも知れません。 「つつがなきや、ともがき〜♪」 って、文部省唱歌の 『故郷』 に出てくるけど、 “ともがき” って何や? “蕎麦がき” の親戚か?(笑) みたいな。 もう、太子クンったら言ってること、つまらなさ過ぎぃ。 …で、この部分だけ 「云々」 で言葉を濁したくなる気持ちもよく分かるんですが、ちなみにこれは暴言というか、手紙の文面だったりしますよね。 暴言というと、つい本音がぽろっと出ちゃった。テヘッ♪ そういうパターンが多かったりするんですが、手紙となると話が違います。 それも年賀状や暑中見舞いといった基本的にどうでもいい手紙ではなくて、隋の煬帝に宛てた国書ですからね。 暑中見舞いなら 「酷暑っすなぁ。」とか、そんな軽いノリでいいんですが、国書となるとそうもいきません。 国書と言えば 「バレンタイン・キッス」 っすよね? …って、そりゃ、国生さゆりやがな! それくらい機転の利いた事を書かなければいけません。 これでもし隋の煬帝がおニャン子クラブのファンだったりしたら、そこから話が盛り上がって、外交もうまくいくに違いないんですが、どうして太子クンは 「もうすぐ没落する国の偉い人(笑)に手紙を出すよ。お元気かなー?」 とか、わざと相手を怒らせるようなことを書いたんですかね? 暴言というか、挑発的過ぎて、あまりにも不遜極まりないんですが、与謝野蕪村でもここまで不遜ではないですよね。 こんなもん渡したら、隋の煬帝は怒り狂ってイカリングフライをぶつけてくるに違いなく、遣隋使として派遣された小野妹子タン、顔面火傷のピンチ!

 そもそも太子クンは本当にこんな無礼な手紙を隋の煬帝に送ったりしたんですかね? 何でもいいけど煬帝って、 「ようてい」 じゃなくて 「ようだい」 と読むのが正解なんすか? 今まで生きてきて、初めて知った衝撃の新事実というか、そういえば昔、そうやって習ったような記憶が蘇ったり蘇らなかったりするんですが、いずれにしろこの手紙の話は、太子クンの知力と胆力を誇示する為に後世の日本人の誰かが考え出したフィクションなんじゃないか? そんなふうに思ったりもしていたんですが、このエピソードは中国の歴史書に書かれていたものなんですな。 『隋書』 という書物の随所に 「倭国」 に関する記述があるようなんですが、その中に 「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」 という一文が。 で、それを見た煬帝クンは案の定、怒り狂ったようなんですが、その時の様子がこう記されております。 「国書拝見的煬帝、超憤慨、怒心頭、烏賊輪状揚物投付、妹子顔面直撃、激烈高温火傷、嗚呼!」 ちなみに煬帝が怒ったのは 「日沒處云云」 の記述にカチンと来たからではなく、倭人ごときが 「天子」 を名乗ったのが気にくわなかった模様なんですが、天子 = 中国において天帝の息子として、天帝に代わって全世界を統治する者をいう。 なるほど。中国の天帝の息子にあらずんば、天子にあらず。 そういうことなんでしょうな。 分を弁えて、おとなしく 「日出處玉子」 とか名乗っておけば、ピーナッツ入り玉子煎餅くらいは恵んでやったのにぃ!

 で、結局、妹子タンは餞別の煎餅も貰えず、煬帝の怒りに満ちた返書だけを持たされて日本に帰ることになるんですが、で、その返書の中身はどういうものだったのかというと、記録には残されておりません。 何故かというと妹子タンが朝鮮半島経由で帰ってくる途中、百済で引ったくりに取られて紛失しちゃったというんだから、くだらないというか、情けないというか。 しっかりしろ、妹子っ! 大失態もいいところで、叱咤されまくったに違いありませんが、で、これで妹子は干されて、干し芋子になっちゃったのかというと、さにあらず。 特にこれといったお咎めもなく、それどころかその後、出世までしちゃっているというんだから、ワケがわかりません。 ま、今の世の中でも鳩山クンが民主党の最高顧問になってたりするので、厳しい意見はむしろ叱咤激励だと思って、感謝をして今まで以上に仕事を精一杯やりたい。そういう事なのかも知れませんな。 ただ、この返書紛失→出世という妹子ストーリーはあまりにも不自然だったりするので、百済で盗まれたというのは嘘なんじゃないか? そんな説もあるみたいですな。 煬帝からの手紙をこっそり盗み読みしたら、あまりにも酷い内容だったので、唖然、呆然、心不全。 こりゃ、とても太子には見せられないやぁ。。。 そのように判断して、ここはひとつ盗まれちゃったことにして、こっそりゴミ箱に捨てちゃおう…と。 無礼な手紙は寄越されるわ、返事は捨てられるわで、煬帝にしてみれば散々なんですが、一方の太子クンはというと、返事も玉子煎餅も持って帰って来られなかった事情を、薄々と察したんでしょうな。 妹子の顔にはイカリング火傷の跡があったりするしー。 で、この事件を契機に、その後の日中関係がどのように進展したのか、あるいは進展しなかったのかは、あまりよく分からなかったりするんですが、そんなことでとりあえず、次。

 『 平家にあらずんば人にあらず。 』

 これは酷いっすなー。増長しきってます。ここまで増長しきっているのは 「増長天」 以外に見たことがないんですが、持国天、広目天、多聞天と並ぶ四天王のひとつだったりしますよね、増長天。 何となく聞き上手なキャラという感じがする 「多聞天」 、何となく目と目の距離が離れた逆前田敦子なヒラメちゃん顔を髣髴させる 「広目天」 、特に何も思い浮かばない 「持国天」 と、四天王の他の3天に関しては悪い印象がなかったり、特に印象がなかったりするんですが、 「増長天」 だけはいけません。 傲慢、不遜で、思い上がること甚だしい。 そんな、めっちゃ嫌なヤツだとしか思えなくて、あまりお友達にはなりたくなりません。 奴は四天王の中でも性格最悪であるに違いないんですが、こんな奴はさっさとクビにして、新しい仲間を招聘したほうがいいんじゃないっすかね? 笑福亭笑瓶とか。 あ、 「招聘」 という言葉に触発されて、ぜんぜん関係のない笑瓶を招聘しちゃいましたが、ちなみに僕の考える最強の四天王は、海老天、イカ天、イモ天、ちくわ天。 特にイモ天は残りものを次の日に甘辛く煮たのが最高だったりするんですが、で、この増長発言をしたのは誰なのかと言うと、NHK大河ドラマでも大好評の平清盛クン。 …と思われがちなんですが、実はそうではなくて、平ナントカ盛とかいった類いの雑魚キャラ。 調べてみたら、んーと、平時忠っすか。 「ナントカ盛」 ですらないとなると、清盛との血のつながりも薄そうな感じなんですが、清盛の継室である平時子の同母弟。 おお、ほぼ他人っすな。 そういう輩がこの暴言を吐いたのだとすれば、思い上がりもいいところなんですが、言ってること、無茶苦茶っすよね。 平家蟹とか、れっきとした立派な平家の一員なのに、人ではなくてカニだったりするので、生物学的に見てもコイツの言ってることは間違ってます。 ただこれ、どう考えたって創作っぽいですよね。 出典はどうやら 「平家物語」 らしいんですが、あの作者が訴えたいのはただひとつ。奢る平家は久しからず。 あるいは、諸行無常。 もしくは、盛者必衰の理をあらわす。 カウントすると3つくらいあるんですが、ま、言わんとすることはどれも同じっすよね。 で、この 「言いたいこと」 をドラマチックに演出するには、いかに平家が奢っていたか。 そして、いかにあっけなく滅びてしまったか。 その2点を強調する必要があるわけですが、その 「奢っていた部」 を象徴する台詞がこの暴言というワケです。 で、そいつを平時忠ごときに言わせるところが憎いっすよね。 これがもし清盛の台詞であるなら、実際に権力を欲しいままにしたんだから、悔しいけど認めないワケにはいかない。そんな諦めの境地に達するんですが、よりによって継室の同母弟。 そんなヤツが威張っているとなると、虎の威を借る狐というか、ジャイアンの威を借るスネ夫というか、思い上がってんじゃねーよ、ケッ! そんな嫌悪感しか感情として沸き上がってこなかったりしますよね。 滅びて当然! そんな空気が世間を支配します。

 ちなみにこの発言には元ネタがあるようで、中国の超有名な 「史記」 。 前漢王朝の初代皇帝である高祖・劉邦が天下統一の功臣の多くを粛清して、その封土に劉氏一族を送り込みました。結果、劉氏しか王になれなかったため、 「劉氏にあらずんば人にあらず」 と、その劉氏の誰かが放言したそうです。どっかのサイトから無断で勝手に引用すると、そういうことになるようですが、それを無断で勝手にパクっちゃったんでしょうな、 「平家物語」 の作者。 どうせバレないと高を括っていたんでしょうが、最低の行為っすなぁ。著作に関わる身として、あるまじき行為だよね。 …と、アルマジロも憤慨しておりましたが、哺乳綱異節上目被甲目の動物にそんなことを言われるようでは、人間として終わったも同然。 ま、 「史記」 のこの台詞は超有名で日本人なら誰でも知っているという前提で、敢えて同じ暴言を吐かせてみた。 そう、好意的に考えることも出来るんですけどね。 何というか、今で言う “滅亡フラグ” というか。 ああ、言っちまったぁ。。。 そういう思いを抱かせることが出来たとするなら、まさに作者の思う壺っす。 で、この時忠クン、驕り高ぶっちゃったのが災いして、あっけない最期を遂げることになるんでしょうな、この話の流れからすると。 哀れ時忠、壇ノ浦で海の藻屑と消え、来世は 「もずく」 に生まれ変わって酢の物にされて食われる運命なり。 そんな展開が期待されるんですが、調べてみたら壇ノ浦では捕虜になっただけで、藻屑にはならずに生き延びた模様でありまして、その後も別段虐められたりもせず、わりと普通に余生を過ごしていた模様です。 別にちょっとくらい調子に乗って増長してみたところで、さほど問題はない。 そんな教訓しか得られなくて、今ひとつ腑に落ちないところはあるんですが、とりあえずまあ、次。

 あとはえーと、 『 敵は本能寺にあり。 』 とか、これは暴言か? …と言いたくなるものから、 『 貧乏人は麦を食え。 』 って、これは確かに誰がどう考えても暴言だと納得のいくものまで、いくつかの発言が取り上げられているんですが、ま、麦チョコ好きの僕からすると、麦を食えと言われるのはちょっぴり嬉しかったりもするんですけど。 ちなみにこの池田勇人クンの発言は国会答弁で 「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります。」 そのように発言したのがマスコミによって煽動的に取り上げられたというのが真実みたいなんですが、今も昔も相変わらずなんっすなぁ。  マリー・アントワネットの 『 パンがなければお菓子を食べればいいじゃない? 』 という発言も似たようなものだったりするんですかね? で、調べてみたらやはり元ネタがあったようで、こちらも時忠クン発言と同じく、元祖はチャイナ。 晋第二代皇帝の恵帝が大飢饉に際して、「穀物がないならなぜ肉粥を食べないのか?」 そのように発言したと伝えられております。 何と言うか色んな意味で中国人、凄ぇ!! この分だと物事の起源はすべて中国に落ち着きそうな状況なんですが、とまあそんなことで、最後に僕もアントワネットに倣ってひとつ暴言を吐いて、それで本日の締めにしたいと思います。  『 パンツがなければ たかし を履けばいいじゃない? 』  参考画像は こちら 。 履かねーよ!!

 とまあそんなことで、今日はバリー・ハリスっす。 いいっすよね、ハリス。 ウイントン・ケリーやソニー・クラーク、レッド・ガーランドなんかと比べて、 「バリー・ハリスとか、けっこう好きだったりするんだけど。」  そうボソっと呟くと、何となく通っぽい雰囲気を醸し出すことが出来ます。 ついでに 「俺、尿酸値とか、けっこう高かったりするんだけど。」 そうボソっと呟くと、ついでに痛風ぶることだって可能。 どんとこい、プリン体っ! で、今回、レビュー対象の候補になったバリ・ハリのアルバムは2枚。 この 『トーキョー:1976』 というのと、リバーサイド盤の 『リッスン・トゥ・バリー・ハリス』 。 正統性という点で言えば断然、1960年に録音された後者なんでしょうが、ソロ物なんっすよね、これ。 前回 のデュオ物でも相当苦労したのに、いわんや無伴奏ソロをや。 いわんや、いや〜ん、馬鹿〜ん、弁韓、辰韓〜。 ということで、やめて、こっちのほうにしました。 ぶっちゃけ、こっちのほうもまったくソソられるものは無かったんですが、1976年なんてジャズの世界では暗黒以外の何物でもないし、東京なんて地名もこの世界では単なる 「どさ回り」 に過ぎなかったりするしー。 1976年の東京なんて、 こんなん でっせ。 日本中が 「アリ VS 猪木」 の世紀の決戦で盛り上がっていて、その2ヶ月ほど前にこっそり来日した地味なジャズ・ピアニストの事など、誰も気には留めていなかったに違いなく、で、実際のところ、原田充くんが書いた日本語ライナーによると、2週間に渡って行われたこのライブ・ツアーは客の入りも今ひとつで、評判のほうもあまり芳しくはなかった模様です。 そんなもん3,200円もとって売るな! そう思わずにはいられませんが、ちなみにこの時は “ザナドゥ・オールスターズ” という名目でギターのジミー・レイニーや、アルトのチャールス・マクファーソンなんかも来日した模様です。 で、本作にもゲストとしてこの2人が2曲ほど参加しているんですが、レイニーはともかく、バリ・ハリとチャー・マックの師弟コンビが聞けるというのは何気に楽しみ。 評判は今ひとつだったらしいので、あまり多くは期待が持てそうにもないんですが、とりあえずまあ、聞いてみましょうかぁ。

 1曲目、 「ライク・サムワン・イン・ラブ」 。 これはアレですか? 鮭の卵の南太平洋の島国の自殺しちゃった元ヤンキースの日本人投手? …って、それは 「イクラ・サモア・伊良部」 。 イクラと言えば 「タイコの達人のAAできた」 というのがありましたな。 こんなの 。 イクラちゃんのママが “たえこさん” だと勘違いしている人もいるようですが、あくまでも “たいこ” 。 水産系だから “鯛子” というわけではなく、 『火焔太鼓』 という落語に出てくる 「道具屋、この太鼓はいくらだ?」 という台詞から付けられた名前だというのは有名な話ですよね。 無論、嘘ですけど。 「イクラ たえこ たいこ」 でググったら火焔太鼓の他に こんなの も出てきたんですが、さすがにこれは釣りっすよね? 解答がどれもこれも同じ過ぎて、ちょっとはボケろよ! …と言いたくなっちゃいますが、で、それはそうと演奏のほうはアレです。 極めて正統的でオーソドックスで真っ当な白山市。 そういった感じです。金沢の下あたりにありますよね、白山市。 昔は松任市という名前で、いかにも真っ当な市やな。 そんな、いい印象があったんですが、合併して駄目になっちゃいました。 白山市って何だか、はっ、はっ、ハクサーン大魔王みたいで、ちょっとアレっすよね。 で、演奏のほうはアレです。 特にMCとかもなく、淡々と幕を開けるんですが、無伴奏ソロによるテーマ部はいかにもパウエル派らしい香気が感じられて、後期高齢者にも概ね好評。 血気盛んなヤングな若者にはちょっと物足りなく思われるかも知れませんが、これがハリスの持ち味ですからね。 チロルのきなこ餅味が好きな僕には普通に楽しめます。 途中からリズムが入って、いい感じにスインギーになって、会場からは疎らながらも拍手が起こったりしております。 そのまま寛いだ雰囲気のソロへと突入するんですが、派手さはないものの、しみじみと地味で、悪くはないっすなー。 で、終盤、サム・ジョーンズのベース・ソロもフィーチャーされたりしてそれなりに盛り上がって、とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 10分を超える、トリオにしてはちょっぴり長めの演奏でありましたが、飽きずに最後まで楽しむことが出来て、まずはなにより。

 で、続いては、お馴染みのバップ・ナンバー、 「オーニソロジー」 。 往々に、早漏爺は、早いのね。 そんな俳句が脳裏に浮かんだりもするんですが、ハリスくんは冒頭から思わず声を出しちゃっていたりして、結構ノリノリ。 1929年生まれらしいので、当時46歳くらいっすか。 冬至にカボチャを食べなくてもまだ中風は大丈夫そうなんですが、ちょっぴり痛風が気になるお年頃。 そういったところでしょうか。 というか、今の僕とそう大差はなかったりするんですが、まだまだ元気でなにより。 というかこれ、 「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」 じゃね? …と思わせておいて、その後すぐ本物の 「オーニソロジー」 が出てくるあたり、演出的にもなかなか洒落ていると思うんですが、もともとコード進行が同じなのでまったく違和感はありませんな。 エノキダケに松茸が混ざっていても、まったく気が付かなくて、待ったけぇ? そんな感じでしょうか? いや、さすがにそれは気がつくような気がするし、言ってることがよく分からないし、とか言ってるうちに短いベースのソロとか、リロイ・ウイリアムスのタイコとか、対抗馬さんとかも適度にフィーチャーされて、でもって、テーマに戻って、おしまい。 若い頃の演奏と比べてもまったく遜色はなくて、ま、若い頃からちょっぴり若年寄みたいなところがあった人なので、年を食ってもあまり劣化しないんでしょうが、いずれにしろ、何より。

 ということで、3曲目。 ディジー・ガレスピーが書いたクリスピーなバップ・ナンバー、 「グルーヴィン・ハイ」 。 ドン、ドン、ドドドン、グルーヴィン・ハァイ、イクラ! で、演奏のほうはアレです。 チャールス・マクファーソンとジミー・レイニーがゲスト参加していて、アルト、ギター、ピアノの絡みでテーマを合奏。 そういうアレだったりするんですが、で、ソロ先発はレイニーっすか。 個人的にジャズ・ギターはあまり好きではなかったりするので、さほど嬉しくもないんですが、別段それほど耳障りというワケでもないので、ま、許容範囲かと。 で、続いてはマクファーソンのアルトが登場します。 70年代に入って髪型がちょっぴり立花隆と化しておりますが、溢れるバップ・スピリッツはまだまだ健在。 建材屋としても食っていけそうで何よりなんですが、で、続くハリスのピアノ・ソロもいい感じに良好でありますな。 で、その後、ベースのソロがしばし披露されて、続いてギターとアルトの掛け合いで大いに盛り上がって、でもって、テーマに戻って、おしまい。 ま、よかったんじゃないか。そんな気がします。 で、続いては同じくディジー・ガレスピーの書いた異国情緒に溢れたエキゾチック・ナンバー、 「ナイト・イン・チュニジア」 。 並び建つ、内藤医院、忠実屋。 関サバ師匠作のそんな1句が頭に浮かびます。 で、演奏のほうは純粋トリオ物で、ハリスの小粋なピアノを存分に堪能出来る。 そういうアレだったりするんですが、ここではバップ特有の早弾きを避けて、むしろバラッド風なバップ演奏が魅力的である。 そう、原田クンが日本語ライナーに書いているんですが、いくらなんでもバラッドはないやろ?バブー! …と、イクラちゃんもちょっぴりご立腹のご様子。 超アップ・テンポではないんですが、ミディアム・ファストくらいの速度は出てますよね、これ。 むしろ、藁やイグサなどの草で編んだ簡素な敷物は筵 (むしろ) である。 それならまだ納得は行くんですが、バップのスピード感よりむしろ、ハード・バップの持つブルージーなブルンジが、中部アフリカの内陸に位置する共和国。 そういう評価でいいのではないかと思うんですが、終盤、サム・ジョーンズのベースをフィーチャーしたりしながら、10分弱、最後まで飽きさせることなく持ちこたえていて、うーん、まずまず。

 ということで、次。  「オーニソロジー」 。 またかいっ! どうやらこれ、2つのバージョンを収録してあるのは、パーカーが演奏の度にアドリブを変えたという故事にならってハリスのアドリブの変化を聴き比べるため。 そういう意図を持っての狼藉らしいんですが、ありがた迷惑というか、ありがたくもなくて純粋に迷惑というか。 ま、2曲続けて出さなかっただけ、まだ良心的だと褒めていいかも知れませんが、ちなみに2曲目が4月1日で、こっちは4月12日の演奏の模様。 それだけ間隔が空いてると、けっこう違ってくるかも知れませんな。 特にライブだと客の入りだとか客層だとかで、かなり気分が変わってくるだろうしー。 前のほうの席に女子高生とか、女子中学生とか、小学生の女子児童とか、幼女とかがいたら、俄然ヤル気になるでしょうが、前のほうの席にナンシー関しかいなかったら、ヤル気も無んしー。 で、結果のほうはどうかというと、12日バージョンのほうは出だしがかなりスローだったりしておりますな。 途中からそれなりに頑張ってはいるようですが、やや覇気に欠ける嫌いが無きにしもアラジンの完全無欠のロックンローラー。 今日の僕は今の時点でヤル気がアラジンだったりするんですが、ということで、ラスト。 本アルバム3発目のガレスピーもの、 「ブルーン・ブギ」 。 アルトとギター入りのクインテットなんですが、テーマを吹くマクファーソンがあまりにも上ずり過ぎぃ。 短いテーマの後、そのままアルト・ソロへと突入していくんですが、ずーっと押さえが効かずに、最後まで上ずったままでありますな。 ニワトリにも砂ずりがあるんだから、人間だってたまには上ずりがあるよね? そう思って諦めるしかないんですが、で、以下、ギターとピアノとドラムスのソロがフィーチャーされて、けっこう盛り上がったところで上ずったテーマに戻って、とまあそんなことで、今日のところは以上です。

【総合評価】

 ぶっちゃけ、あまり多くは期待してなかったんですが、意外とよかったっす。 いつの時代のどんな場所でも、バリーは普通にハリスであった。 そんな事実が判明しただけでも1976年の東京はアリ・猪木であったなぁ。 そんな感慨に耽ることが出来る1枚なのでありました。


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