DOWN HOME PIANO (PRESTIGE)

MOSE ALLISON (1957/11/8,1958/4/18,8/15,1959/2/13)

DOWN HOME PIANO


【パーソネル】

MOSE ALLISON (p) ADDISON FARMER (b)
RONNIE FREE (ds) <#1,3,4,6-8> NICK STABULAS (ds) <#2,5,9,10>
【収録曲】

(01-03) DINNER ON THE GROUND / CREPUSCULAR AIR / MULE
(04-06) CREEK BANK / TOWN / DEVIL IN THE CANE FIELD
(07-08) THE MINSTRELS / MOON AND CYPRESS
(09-10) CARNIVAL / MOJO WOMAN
【解説】 (2009年03月15日更新)

 世界3大発明と呼ばれるものがあります。火薬羅針盤活版印刷というのがそれなんですが、 “3大” と言うわりには何だかせせこましいものが多いですよね。  “3大” と大きく出たのなら、もっとスケールの大きなものを発明して欲しかったような気もします。スケールの大きなものと言えば、例えば、大仏とか、大学芋とか、大工道具とか、大根おろし器とか。 ざっと思いつくだけで、4つも大きなものが出て来てしまったんですが、4つもあると “3大” にはならないので、どれかひとつを仲間はずれにしなければなりません。どれを落とすかというと、僕だったら大仏に引導を渡すことになろうかと思うんですが、例えば千葉県にある鎌ヶ谷大仏なんてヤツは、高さが1.8m (台座を除く) しかありませんからね。大林素子よりも小さくて、何が大仏や!…思わずにはいられなくて、今回の落選は本人としても納得のいくところでありましょう。 でも、鎌ヶ谷大仏は座った状態でその高さだし、奈良の大仏なら像の高さが約14.7mもあるし、そもそも大学芋とか大工道具なんか、ぜんぜんスケール小さいぢゃん!…という意見もあろうかと思いますが、となると残りは大根おろし器だけということになりますか。 これはスケールが大きいです。生姜をおろすのに使う “おろし金” と比べると、そのダイナミズムは際立っておりまして、これこそ世界3大発明と呼ぶに相応しいと思うんですが、これを仲間に加えてしまうと “3大” と呼べなくなってしまうので、今の3つのうち、どれかひとつを引きずり落としてやらねばなりません。 さ、誰を落としてやりましょうか?

 僕としては、出来れば “火薬” に落ちて欲しいと思っているんですが、僕は子供の頃、火薬のおかげで心に深い傷を負ってしまいましたからね。 “かやくご飯” という食べ物に関して、 「火薬なんか食えるの?」 と発言して、めっちゃ馬鹿にされるという、定番とも言える展開によってプライドを傷付けられたんですが、中国人が火薬なんか発明したから話がややこしくなるんですよね。余計な事をしてくれたと思わずにはいられませんが、 Wikipedia では曖昧さを回避するために爆発物の一種である火薬と、うどんやラーメンなどに入れる具を意味する加薬とを区別して掲載しているようです。それはそれでいいんですが、 “加薬” と漢字で書くと、今度はちょっぴり “加藤” と紛らわしかったりもして、新たな火種になりかねません。それもこれもすべて “かやく” が悪いのであって、今後、うどんやラーメンなどに入れる具のことは “具” と呼ぶようにしたほうがいいと思うんですが、となると “かやくご飯” は “具ご飯” という事になって、語呂が悪い上に “貝ご飯” と間違えやすくなったりして、何だか収拾がつかなくなって来たので、話を先に進めましょう。羅針盤。これは有名です。どういうところで有名なのかというと、日産のラシーンという車の名前の語源になったことで有名です。ラシーンなんて車、知らーん。…という人にとっては、有名でもなんでもない話なのかも知れませんが、カリーナEDの “ED” が “エキサイティング・ドレッシー” の略だというのもあまり知られてないような気がします。普通に考えれば “カリーナ不能” ですもんね。そもそも羅針盤というもの自体が分かっているようで、よく分からなかったりするんですが、航海の時に使うものだというのは確かなんですけどね。方角を測るんですかね? だとすれば、水筒のコップの上にコンパスがついた奴でも十分に代役が果たせるような気がするんですが、小学校の遠足には必須アイテムでしたよね、コンパス付きの水筒。あれがなければ多度山で道に迷って遭難しちゃうところでしたが、羅針盤とコンパスというのは違うものなんですかね?

 調べてみたらどうやら、ほぼ同じであるというのが判明したんですが、コンパスを大仰にしたものが羅針盤だと思っておけばいいんでしょうか? 大仰ではあっても、あまり大した発明であるとも思えなくて、やはり “3大” に数えるのは無理があるような気もするんですが、となると残りは活版印刷ということになりますか。これはいいです。何となく、河童が 「ん〜♪」 と言いながら印刷してそうな “活版” という言葉の響きがいいです。カッパン。平仮名で書くと、何となく “パッカン” みたいで美味しそうだし、あ、パッカンというのは、アレです。いわゆる “ポン菓子” のことです。どうやら “パッカン” という言い方は名古屋近辺でしか使われてないようなんですが、米がはぜる時の爆発音は、ポン♪…などという生易しいものではないので、パッカンで正解だと思います。 で、一方、カッパン印刷のほうはというと、グーテンベルクが発明したんでしたっけ? 何だか、いかにもドイツ人やな!…といった感じの名前なんですが、活版印刷というのは活字を使った印刷技術のことですよね。活字の歴史を調べてみると、グーテンベルクよりもずっと昔から中国人が似たようなことをやってたという記録があるようですが、例えば “活魚。” という文章を印刷する場合、1枚の板に “活魚。” と彫って版を作るのではなく、 “” “” “” と1文字ずつの活字を作って、それを組んで並べると。なるほど、うまく考えましたな。この方式なら例えば、“魚活 (うおかつ)” という魚屋のオッサンに頼まれて、店の名前を印刷することになった場合でも、活字の順番を並び替えて “魚活。” と組んでやれば大丈夫。いちいち最初から版を彫る必用がなくて、とっても合理的です。 その印刷物を見た “魚かつ” のオッサンが羨ましがって、ウチの店の名前もやってくれと言ってきたとしても大丈夫。アンタんとこも “かつ” を漢字にしろって!…と文句を言ってやるか、あるいは、ここはひとつオトナになって、大人しく “” と “” という活字を新たに作るか、どちらか好きな道を選べばいいんですが、後者の場合でも既に手元にある“” と “” という活字は有効的に活用出来ますからね。ここで “” と “” を作っておけば、後々 “かつ時” という名前のトンカツ屋のオッサンがやって来たとしても大丈夫だしー。 ただ、そのトンカツ屋の屋号が “カツ時” だったりしたら、さすがに 「平仮名にしろって!」 と文句を言いたくなるに違いないんですけど。

 とまあ、このように次第に活字の数を増やしていけば、どんな文章だって印刷出来ることになるんですが、ドイツ人やアメリカ人なら話は簡単です。アルファベットと数字、それに簡単な記号など、ま、せいぜい100個も活字を作ってやれば大丈夫なんですが、ひとつの文章には同じアルファベットが何回も出てくることになるので、正確には100種類なんですけどね。“”などという使用頻度の低い奴は1個だけにしておいて、 “” とか “” なんかを多めに作っておけば、ま、何とかなるでしょう。問題なのは中国人や日本人など、漢字を使っている民族なんですが、常用漢字だけでも約2000文字。常用でなくても、非常用に使わなければならない漢字も出てくるに違いないので、用意しなければならない活字の数は膨大なものになってしまいます。でもまあ、昔の中国人だってやっていたんだから、近代の日本人が出来ない筈はないんですけどね。明治以降、日本でも活版印刷が活発に行なわれることになるんですが、ただ一般の企業や学校のレベルでこの設備を導入するのは不可能に近く、テスト用紙や父兄に配布するプリントを印刷するには、一体どうすればいいんですかね?…と頭を悩ませた挙句、ついに新しい技術が発明されることになります。謄写版です。活版印刷の活字は、字になる部分が出っ張っているので凸版印刷と呼ばれるんですが、対する謄写版のほうは凹版印刷…ではなくて、孔版印刷と呼ばれているようです。表面にロウを塗った紙を用意して、それに鉄の筆で字や線や絵を書いてやると、その部分だけ表面のロウが削れて、たくさんの穴があくと。紙の上にその版を乗せて、インクをべったり塗ったローラーを転がしてやれば、穴の部分だけインクが染み出して、下に文字が印刷されると。そういう原理の印刷であるわけですが、鉄筆でガリガリと版を削るので、ガリ版とも呼ばれておりました。発明したのはトーマス・エジソンで、1893年頃にその原型がつくられたそうですが、それを実用化したのは日本の堀井新治郎クンとその息子の新三クン(仮名)でありまして、1894年(明治27年)に謄写版の販売を始めております。息子の名前が仮名なのは、堀井新治郎父子としか書いてなくて、本名がよく分からなかったからなんですが、1970年代には鉄筆でなく、ボールペンで簡単に版が出来ちゃうという、画期的なボールペン原紙というのが発明されております。いやあ、懐かしいですなぁ、ボールペン原紙。小学校で文集を作る時とかによく書かされましたよね。ノートに鉛筆で書くのと違って、間違えたら修正が効かないので、かなり緊張したのを覚えております。 いや一応、修正液と呼ばれる赤チンのような液はあったんですが、開いてしまった孔を塞ごうという努力の跡は感じられるものの、実際には孔がほとんど塞がれることもなく、かえって見苦しくなるというのが常でありました。自分で書いた字がそのまま印刷されることになるので、粗暴なヤナガワ兄弟の書いた作文など、酷いものでありましたなぁ。 ま、僕もあまり人の事を言えた義理では無いんですけど。

 学校でお馴染みのガリ版刷りが、家庭でも楽しめる♪…というので発売されたのが “マイプリンター” という印刷機なんですが、確か堀井ナントカという会社の製品だったと思うので、ホンマ物だったんですな、ありゃ。 家庭用なので葉書くらいのサイズしか駄目だったんですが、黒と赤の2色刷りも出来る、なかなかのスグレ物でありました。 が、このマイプリンターもやがて “プリントゴッコ” の登場によって、一気に陳腐化することになるんですが、プリントゴッコというのも原理は孔版印刷みたいなんですけどね。カーボンを含んだ筆記具、すなわち鉛筆とかシャーペンで原稿を書いて、それを専用のフィルムに密着させて、ピカッとフラッシュを光らせると、カーボンの部分だけ熱で孔が開くと。どうやらそういう仕組みのようなんですが、この製品が画期的だったのは自分で書いた字やイラストだけでなく、カーボンを含んだインクで印刷された素材集を利用出来るところにありました。 “あけましておめでとう” といった文字や、牛のイラストなんかを切って紙に貼り付けてやれば、かなりソレらしい年賀状を作成することが可能でありまして、色も黒と赤の2色などとケチ臭いことは言わず、12色くらいはありましたかね? 金色や銀色などといった派手なヤツまであって、その気になればかなりゴージャスな作品に仕上げることも可能でありました。ローラー式でなく、版の上にインクを乗せて上から押さえるだけで印刷出来るので、仕事も速いしー。 ただ、製版の際に必ず1回は失敗して貴重なランプが無駄になるのと、インクなどの消耗品にかかる費用が馬鹿にならないところがネックだったんですが、その気にさせてくれるなかなか楽しい機械でありました。残念ながらパソコンの普及に押されて、2008年6月末を持って、消耗品を除く販売を終了したようなんですが、子供の頃に夢を見させてくれたマイプリンターとプリントゴッコには、 「ありがとう。」 という言葉を掛けてあげたいです。

 いつの時代にも印刷ごっこというのは子供たちにとって憧れだったようで、ガリ版刷りについて調べていて、 こんな広告 を発見しました。すばらしい(特製)トウシャ版。しかも、ハンニャのめん無料進呈♪ ボールペン原紙ではなく鉄筆を使うところを見ると、恐らく昭和30年代のものではないかと思うんですが、目をギラギラ輝かせて、トウシャ版が届くのを心待ちにしていた “少女” は、今頃どんなオトナになっているんでしょうな? 今でも時おり、まんがや詩を書いたりして穏やかな余生を送っているものと思われますが、母さん、私のあのハンニャのめん、どうしたんでせうね?…みたいな。 忘れかけていたインキの匂いがふと蘇る、そんな気がする春の一日でありますが、ということで、今日のお話はおしまい。

 ということで今日はモーズ・アリソンなんですが、インキの匂いというのは、どうも陰気臭くていけません。僕は専門学校時代、あまりにも成績が優秀だったので、奨学生というのに選ばれてしまったんですが、それは一体どういうものなのかというと、放課後に簡単な学校の仕事を手伝う替わりに、学費が免除されるという。その簡単な仕事というのが印刷の手伝いだったんですが、陰気臭い印刷室でインキの匂いを嗅いでいると、気分まで滅入ったものでありました。こんなことなら学費を払えばよかったと思わずにはいられませんが、学費の免除よりも “ハンニャのめん” のほうが嬉しかったりするしー。 そんな僕も今では、立派な花粉症です。鼻の穴に塗るドイツ製のクリームと、鼻の穴に詰める日本製のノーズマスクを装着し、鼻の周囲に塗るアメリカ製のクリームで武装した上に、普通のマスクを付けて、更にはマスクをパワーアップさせるスプレーまで振り掛けるという五重構造によって何とか花粉の侵入を食い止めております。ドイツと日本とアメリカという組み合わせが悪いほうに作用して、鼻の周囲で第2次世界大戦が始まるのではないか?…と懸念されたんですが、今のところなんとか平穏を保っているようです。ここで北朝鮮が人工衛星を打ち上げたりすると、どうなるか分かったものではありませんが、とりあえずそんなことで、今日はモーズ・アリソンです。一般的な知名度は皆無に等しいんですが、一部の塩通読者の間では非常によく知られておりまして、それは何故かというと、眼前に、陰毛図あり、そんなことぉ!…という、関サバ師匠の有名なジャズ人名俳句があったからなんですけど。おかげで店でモーズ・アリソンの名前を見つけると、つい買ってしまうようになってしまったんですが、ジャズ俳句が持つ功罪のうちの “罪” の部分でありますな、こりゃ。 ということで、今日は 『ダウン・ホーム・ピアノ』 という1枚を紹介したいと思うんですが、1957年から59年にかけて吹き込まれたトリオによるプレスティッジ盤。かなりオーソドックスな出来であるものと推測されるんですが、歌手としても知られているアリソン君なんですが、ここではピアノを弾くことに専念しているようで、とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

  「ディナー・オン・ザ・グラウンド」 。 このアルバムは全曲、アリソンのオリジナルで占められているんですが、いきなり 「土の上で夕食」 と来ましたか。アウトドアでバーベキューなのか、あるいはホームレスなのか、タイトルだけではシチュエーションがよく分からんのですが、何だか妙にご陽気で、能天気な仕上がりなので、恐らく前者なのではなかろうかと。アリソンのピアノ・スタイルは適度にスインギーで、適度にテクニカルで、何だかあまり押しが強くなくて、さらっと流れていくような感じなんですが、レビューを書くのに困るタイプでありますな、こりゃ。 途中、ロニー・フリーという人のタイコと絡む場面もあったりして、大いに盛り上がっているんですが、とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 ということで、2曲目です。 「クレパスキュラー・エアー」 。 「薄暗い空気」 というタイトルが示すように、ちょっぴりマル・ウォルドロンを彷彿させるような薄暗い空間が演出されるんですが、いや、これはいいですな。前曲の印象があまりにも希薄だったので、この先どうなることかと心配だったんですが、これで息を吹き返しました。適度にブルージーで、適度にラブリー&キュートで、いかにも日本人ウケのするタイプの作風でありまして、春先の昼下がりにはぴったりなのではなかろうかと。バラードはいいですな、この人。

 ということで、3曲目、 「ミュール」 。 小粋にスイングするミディアム・テンポのナンバーです。素直なフレージングのピアノ・ソロも爽快でありまして、掃海艇に乗ってクルージングしているような気分を味わうことが出来ます。機雷を綺麗にお掃除してくれたりして、いいですよね、掃海艇。 戦争ともなると、機雷は嫌いだとか、好き嫌いを言ってる場合ではなくて、何かと大変だとは思うんですが、終盤にはアディソン・ファーマーのベース・ソロがフィーチャーされております。この人、アート・ファーマーの双子の兄弟なんですが、双子なのにアディソンとアートって、脈絡のない名前を付けたものでありますな。兄がアートなら弟はアークにするとか、そういう “引越しシリーズ” で統一して欲しかったところなんですが、ここではなかなか達者なピチカート・ソロを聴かせてくれております。 ということで、テーマに戻って、おしまい。 で、4曲目は 「クリーク・バンク」 。 ピアノの無伴奏ソロによるイントロで始まり、テーマに入ると同じようなメロディが今度はトリオで演奏されることになるんですが、バップ・チューンのような、そうでもないような、今ひとつよく分からん曲調でありますな。 アドリブに入ると、概ね、普通だったりするんですが、またしてもアディソン・ファーマーのソロが出てくるというのは、ちょっとどうか?…という気もして、最後にピアノとドラムスとの絡みがあって、でもって、テーマに戻って、おしまい。

 次です。 「タウン」 。 「街」 ですな、こりゃ。小粋タイプの作風でありまして、やはり根はバップであると言えそうなんですが、さほど特筆すべき点のない、さらっとした仕上がりとなっております。アリソンのソロの後、ドラムスとの絡みがあって、でもって、テーマに戻って、おしまい。 どうも今回は近年にない適当なレビューに終始しそうなんですが、ということで6曲目です。 「デビル・イン・ザ・ケイン・フィールド」 。 「サトウキビ畑の悪魔」 ですか。サトウキビ畑というのは、ざわわ、ざわわとザワついていて、確かに悪魔が出て来そうな雰囲気があるんですが、君はデビルとサタンの違いを知ってるかな?僕は知りません。知らないので調べてみたんですが、デビルが神に反逆して人間をそそのかして信仰を妨げる者の総称で、サタンが悪魔の王なんだそうです。なるほど、悪魔の世界の王様がサタンで、そのパシリがデビルという位置付けなんですかね?更にもうひとつ、悪魔の種類にはデーモンというのもあって、これは災害をもたらす暴力的な悪魔の一種なんだそうですが、要するに何が何だかよく分かりません。…ということで、いいのではなかろうかと。 で、このサトウキビ畑の悪魔なんですが、いかにもデビルらしい怪しげな曲調となっておりまして、個性が際立つという点では、それなりに評価されてしかるべきかも知れません。僕はあまり好きではないんですけどね、こんなヘンな曲。 アドリブ・パートのほうは、それなりによくピアノが弾けていて、ま、いいんじゃないでしょうか。 で、最後にピアノとドラムスとの絡みがあって、テーマに戻って、おしまい。

 7曲目、 「ザ・ミンストレルス」 。 どう発音すればいいのかよく分からない “minstrels” というのは、どうやら “吟遊詩人” といった意味のようなんですが、どうせなら 「ザ・ミンスク仮面」 とか、そういう分かりやすい名前にして欲しかったところですよね。 で、曲のほうはというと、あまり印象に残らないバップ風の作りとなっておりまして、でもって、演奏のほうは、ん〜、まあまあ? ということで、8曲目。 「ムーン・アンド・サイプレス」 。 「月と糸杉」 をテーマにした曲のようなんですが、糸杉というのがどういう杉なのか、分からなさ過ぎぃ。…という気がします。 ま、杉の仲間であるには違いないと思うので、花粉症の僕にとって、ロクな奴では無さそうなんですけど。 で、演奏のほうはというと、静かなバラード調だったので、僕でもぜんぜん大丈夫だったんですが、地味にフィーチャーされているアディソンのベースが控えめに効果的だったりしております。アリソンとアディソンのコンビネーション、悪くないですね。 ということで、次。 「カーニバル」 。 タイトルからして、激しいラテンのノリが期待されたんですが、ま、そこそこですかね? ぜんぜんラテンっぽくはないんですが、ノリは悪くないので、ま、よかったのではないかと思います。 ということで、ラストです。 「モジョ・ウーマン」 。 「毛深い女」 ? 違いますね。 「魔力女性」 ですか。ヴードゥーの魔力のことを “mojo” と呼ぶようなんですが、魔力女性というのは、要するに魔女のようなものだと思っておけばいいんでしょうか? 魔女とモジョ、語呂もよく似てるしー。 曲のほうはさほど魔女っ子メグちゃんでは無くて、普通に小粋だったりするんですが、そこはかとなくミステリアスな雰囲気も漂っていたりして、んー、まあまあ? テーマの後、ピアノのソロがあって、ベースのソロがフィーチャーされて、テーマに戻って、おしまい。 ということで、今日のところは以上です。

【総合評価】

 陰毛図的なパワーに期待してたら、さほどでも無かったんですが、全体的に印象が薄い出来というのが正直なところかと。特に中盤、同じようなタイプの曲が多過ぎるような気がします。 が、バラードの出来は悪くないし、最後の2曲はそこそこ盛り上がっていたので、結果として62点で、かろうじて合格。 ま、そういったところではないでしょうか。


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