LANDSLIDE (CONTEMPORARY)

CURTIS COUNCE (1956/10/8,15)

LANDSLIDE


【パーソネル】

JACK SHELDON (tp) HAROLD LAND (ts) CARL PERKINS (p)
  CURTIS COUNCE (b) FRANK BUTLER (ds)

【収録曲】

LANDSLIDE / TIME AFTER TIME / SONAR
MIA / SARAH / A FIFTH FOR FRANK

【解説】 (2007年08月13日更新)

 夏休みですなぁ。夏休みと言えば 夏休みこども科学電話相談 です。今は高校野球の関係でお休みになっているんですが、僕はNHKのラジオ第1放送でやっているこの番組がけっこう好きで、現場へ移動するクルマの中とかでよく聞いております。ニッポン放送でやっている “テレフォン人生相談” が概ねオトナの世界の愛憎劇に終始するのに対し、こちらのほうはいかにも子供らしい純真爛漫さが魅力でありまして、特に小4〜小6くらいの女児の質問が何だか妙に可愛らしくて、いいですなぁ♪…と、一部のロリ好きの間でも密かに愛聴されているようなんですが、いや、僕の場合は純粋に科学的な興味で聴いているわけなんですけど。 ちなみに今年度の前半の放送の中で、いちばん強く僕の印象に残っているのは、 「サバはどうしてサバという名前になったんですかぁ?」 という質問だったりするんですが、いや、それは果たして科学の質問なのか?…というのがちょっと疑問ではあったりするんですけど。 が、もしかしたらサバというネーミングには物凄くサイエンティフィックな由来が隠されていたりするのかも知れず、ちなみに僕の予想としては、サバというのはおそらく “佐波” なんぢゃないか?…という気がするわけなんですけど。サバの背中の独特の模様が何となく波のように見えるから、“佐波”。 恐らくそういう事なのではないかと思うんですよね。何となく波のように見えるというのは分かるとして、じゃ、“” のほうはどこから出て来たのかと言われると、ちょっと困るんですが、その問題に関しては特に詳しく調べる必要はありません。 というのも、サバというのは “波” とはまったく何の関係も無かった事が分かったからなんですが、サバには小さな歯がたくさんあるから“小歯(さば)”。 そういうことなんだそうです。へぇ〜。

  「アサガオはどうして朝に咲くんですかぁ?」 という質問に対する答えにも僕は感心してしましました。 アサガオがもし昼に咲いたら、それはヒルガオになってしまうからだよぉ!…と言った言葉のレトリックに逃げるのではなく、ちゃんと植物の生態に基づいた回答を出してくれたのは、さすが専門家といったところなんですが、ところで君はアサガオというのは、朝、太陽が昇ってくるとその光を感知して咲くものだと思っていませんでしたか?僕はそう思っていました。 が、実は、そぉーでは無いっ! (←天才クイズの博士風に。) アサガオというのは実は前の日の日没を感知して、暗くなってからきっちり10時間後に咲くという性質があるんだそうで、よって、夜の時間が長くなる秋に咲くアサガオの場合、まだ夜が明けないうちから咲くこともあるんだそうで。へぇ〜。アサガオにもちゃんと体内時計というのがあるんですなぁ。いや、勉強になりました。 で、続いては、「チョウチョはどうしてヒラヒラと飛ぶんですかぁ?」 という質問なんですが、言われてみれば確かにチョウチョというのはヒラヒラと飛んでますよね。 ヒラ社員は出世すると係長とか課長とか “チョウ” の付く役職になったりするんですが、チョウチョというのはチョウの付く名前であるにも関わらず、ヒラヒラだったりします。これはどうやら、4枚ある羽根の動かし方によるものなんだそうで、チョウチョの場合、前にある2枚の羽根と後ろにある2枚の羽根を同時に上下させて飛ぶんだそうで。 よって、羽根を上から下に動かす時は揚力が付くからいいんですが、反対に下から上に動かす場合は体を下降させる方向に力が働くから、結果的にヒラヒラという飛び方になってしまうという。ま、確かにそれはその通りだと思うんですけど。

 それが他の昆虫の場合、例えばトンボだとどうなるのかというと、前の羽根と後ろの羽根を交互に上下させて飛んでいるんだそうですね。前の羽根を上から下に動かす時に、後ろの羽根は反対に下から上へ動かして、結果的に平均的な浮力を得て真っ直ぐ前に飛ぶんだそうですが、偉いぞトンボ! ちょっと工夫が足りないぞ、チョウチョ! そんなことは昆虫好きなら誰でも知ってる常識なのかも知れませんが、虫というヤツはどうも今ひとつ虫が好かなくて、今まであまり詳しく観察したことがなかった僕は、その話を聞いて、なるほどぉ!…と、深く感心した次第なんですけどね。 とまあ、そんな虫にとっても無知な僕がもし子供だったとしたら一度聞いてみたい質問があるんですが、それは何かというと、「食虫植物は虫なんか食べて、食中毒にならないんですかぁ?」 という事なんですけど。 普通、モノが腐ると虫が涌いたりして、そんなものを食べたらまず間違いなく下痢になっちゃうと思うんですが、食虫植物は虫なんか食べて腹が痛くなったりしないんですかね? ま、植物はどこが腹なのか今ひとつよく分からないので腹痛に悩まされることは無いのかも知れませんが、いずれにせよカラダにはあまりよくなさそうな気がします。 そんなこと言ったら鳥とかだって、普通に虫を食べてるヤツはいくらでもいるぢゃん。…といったオトナの意見は無視することにして、ここはひとつコドモのような純真な気持ちで、“食虫植物の謎” について研究してみようではありませんかぁ。

 食虫植物はたまにホームセンターとかにも売ってたりしますが、あまりその辺の空き地とかでは見かけたりしませんよね。やはり山野草の中でも、かなりレアな部類なのではないかという気がするんですが、何とか近くで観察出来るような機会は無いものですかね?…と思っていたら、ありました。 これ です。 “ナガバノイシモチソウ” などという食虫植物は初めて聞く名前でありますが、全国的にも珍しい赤花のものが見られるんだそうで。確かに鼻水なんかでも “青っ洟(あおっぱな)” というのはよくあるんですが、 “赤っ洟(あかっぱな)” は珍しいですよね。赤い鼻水って、それってもしかして、ただ鼻血が出てるだけなんじゃ?…という気もするわけなんですが、パンチラを見てコーフンしてしまった赤っ洟のトナカイとか、そういうのはあるかも知れませんけど。 で、このナガバノイシモチソウ、年にたった4日しか公開しないというところにもソソられますよね。奈良の正倉院展でも20日間くらいは一般公開されるというのに、こちらはたったの4日間。しかも午前中しか公開しない、おまけに雨が降ったら中止というのだから、そのハードルは極めて高いと言わざるを得ません。もしかしたら為末大選手でも蹴倒しちゃうかも知れませんが、僕がこのサイトを発見したのは、ちょうど前半の一般公開の数日前のことでありまして、神サマの思し召しとも言えそうなチャンスを見逃すという手はありません。とまあそんなことで、去る8月4日の日曜日、僕は豊明の地を訪れてみることにしました。

 その日は朝から曇り空で、雨天による中止が懸念されたんですが、現場付近を通りかかると案内の幟まで立てられていて、かなりのヤル気が感じられました。 ただ、場所が今ひとつ分かりにくく、目印としては豊明高校を目指すことになるんですが、メインの道路より1本ほど中に入って行かなければならないので、けった通学の女子高生とかに気を取られていると行き過ぎちゃう恐れがあります。幸い、この日は夏休み期間中の土曜日だったので、そのようなものに心を惑わされることはなかったんですが、道幅がちょっと狭いので、対向車が来るとかなり神経をすり減らすことになります。 この辺りかな?…と目を付けた付近は駐車するスペースが見当たらず、とりえあず “勅使池” というところまで行って引き返してようやくその場所を発見することが出来たんですが、クルマは少し離れた “勅使グラウンド” の駐車場に止めて、そこから歩いていくというスタイルが取られている模様です。一般公開の開始される30分ほど前に到着したんですが、車は一台も止まっていなくて、このイベントがかなりレアなものであることが窺われました。 それでも8時50分頃になると車の数も4台ほどに増えて、市の担当者らしきオッチャンが “ナガバノイシモチソウ一般公開駐車場” という看板を設置し始めるなどして、次第に祝賀ムードが高まってきたわけなんですが、いかいにもマニアっぽい感じのオッチャンが一般公開のお知らせと思しき用紙を手に、係員に場所を尋ねて嬉しそうに南に向かって歩き始めたのを気に、僕も会場まで移動してみることにしました。

広大な自生地♪

 会場に近付くにつれ、車の中からではチラっとしか見えなかった自生地の全貌が次第に明らかになって来たんですが、えっ?も、もしかして、たったのこれだけ??? 恐らく、めっちゃショボいんやろな。…と、ある程度は覚悟を決めていたんですが、その想像を遥かに上回る広さというか、想像を遥かに下回る狭さというか、これは恐らく、ものの数分で観察が終了してしまうものと思われます。 年に4日だけって、勿体つけやがって!…と思わずにはいられませんでしたが、人の入り自体は思っていたよりもなかなか盛況だったんですけどね。 その筋の専門家からレクチャーを受けるチャンスもあるということで、先ほどのマニアっぽい感じのオッチャンはさっそく質問を浴びせてはメモを取ってたりして、いや、なかなか勉強熱心な事で、感心です。 もしかしたらこの世界ではけっこう有名な研究者だったりするのか、あるいはただの物好きなオッサンかのどちらかではないかと思うんですが、その他の客層としては、僕と同じく一眼レフカメラをぶら下げている人がそこそこいたりもして、それ以外はこの写真 (↓) のような近所のお子様とその保護者、及び物好きなオバチャンといったところでしょうか?

笑顔溢れる観察会♪

 みんなの表情からこの観察会がいかに楽しく面白く、有意義で役に立つものであったかというのが窺い知れると思いますが、いや何だか、お花を見ているというより、用水路で足を滑らせて溺死してしまった爺ちゃんを偲んで、現場に花を手向けに来た遺族一同みたいに見えなくもないんですけど。 どうしてこういう表情になってしまったのかと言うと、この日が朝からかなりクソ暑かったからなんですが、いちばん奥のお姉さんはハンカチで汗を拭いているのであって、決してイベントがあまりにもショボくて、シケてて、つまらないので、思わず涙が出てしまったということではありません。 ま、確かにイベントとしてはあまりにショボくて、シケてて、つまらなかったのは確かなんですが、何も泣くほどの事では無いような気もするしー。

咲き乱れるサギソウ♪

 この観察会はあくまでもナガバノイシモチソウが主体であるため、それ以外の植物が見られることはあまり期待していなかったんですが、会場に入ってまず最初に目に飛び込んで来たのが、このお花たち (↑) でありました。 ああん “サギソウ” やーん♪ まるで白鷺が飛んでいるかのように見える形からその名前が付けられたこのラン科の植物は、その優雅な姿から乱獲が絶えず、園芸品種として栽培されているものを除けば自生のものは絶滅が危惧されているという、そういうレアなアレだったりするんですよね。 僕は一度、滋賀にある 山室湿原 というところで見たことがあるんですが、もう一度そこに行ってみてもいいかな?…と思ってしまったほど、好きなお花のひとつだったりします。 そんな愛しいサギソウたんと思わぬ再会を果たすことが出来て、豊明、意外とやるぢゃん!…と、僕のこのシケた自生地に対する好感度はグーンと急上昇した次第でありますが、ただここは極めてシケた空き地であるにも関わらず、生意気に木道が設置されたりしているんですよね。その木道のところにしか立ち入れないので、お花までの距離がかなり遠いことが多く、タムロンの90ミリマクロの手持ち撮影では、トリミングして拡大してもこの程度が限界でした。中にはちゃんと三脚まで用意して、キャノンの白レンズを構えている人もいましたので、やはりそこまで気合と予算をつぎ込まないと、なかなかいい写真はモノに出来ないということなんでしょう。

とりあえず咲いていたコケオトギリ♪

 で、続いてのお花は これ (↑) です。 僕の貧しい山野草知識からすると、これはえーと、“ノミノフスマ” ?…とか思いながらシャッターを切っていたんですが、後から調べてみたら全然違ってました。調べてみたらノミノフスマというのは白いお花だったので、端からまったく話にならないような問題外の間違い方だったりしたんですが、となると、これはいったい何というお花なのかと言うと、えーと “コケオトギリ” ですかね? サギソウたんよりも更に小さなお花なので、もはやピントを合わせようとか、そういう無駄な努力は最初から放棄していたんですが、とりあえずこういうお花も咲いていたというご報告でありまして、写真の出来が素晴らしいとか、この植物に関してとっておきのネタがあるとか、そういうことは一切ありません。 ということで、次です。

ナガバノイシモチソウ(その1)♪

 いよいよ真打ち登場。引っ張って引っ張って、ようやく “ナガバノイシモチソウ” が出てきましたが、この自生地にはですね、確かにこのお花が咲いておりました。 かなり小さなお花なので、言われなければ気付かずにそのまま通り過ぎてしまいそうなですが、豊明市が発行したらしいパンフレットを持って来ていた近所の物好きなオバチャン (上から2枚目の写真の手前から2人目を参照) は、「これ (パンフレットの写真) やと大きく見えるけど、えらく小さな花なんやねぇ。」 と、ちょっぴり不満気でありました。所詮はナガバノイシモチソウなんやから、あまり多くのモノを期待したらアカンって、オバチャン! あ、ちなみに (写真・上から2枚目) はサギソウが咲いている辺りを眺めている人々の姿を捉えたものでありまして、ナガバノイシモチソウはこのようなスタンディング姿勢では観察することが出来ません。 木道からかなり近いエリアに咲いてくれている…というか、あるいは花にあわせて木道を設置したということなのかも知れませんが、距離的にはさほど問題がないものの、高さ的にかなり低いところに生えている植物だったりするので、観察するためには木道の上にしゃがみ込む、あるいは、這いつくばるといった姿勢が必要となって来ます。 このサイト の右上の写真あたりが参考になろうかと思いますが、あ、近所の物好きなオバチャンが持っていたのはこのパンフレットなんですかね? これを見てもさほど大きなお花とは思えないので、オバチャン、ちょっと過大な期待を抱き過ぎぃ!…という気がしないでもないんですが、ま、人間というのはどうしても、パンフとかパンツといったものには過大な期待を抱いてしまいがちな生き物だったりしますからね。 いずれにせよ、ナガバノイシモチソウ観察はどうぢてもパンツが丸見えになっちゃう姿勢を強要されることになるので、ギャルの皆さまはスカートではなくてパンツルックのほうが無難であるかも知れません。 余計なことを言うな!…って、キャノンの白レンズを構えたオッチャンに叱られるかもしれませんけど。 花を撮るふりをしながら、大抵ファインダーでギャルとかを覗き見したりしてますからね、僕。

ナガバノイシモチソウ(その2)♪

 こうして写真で見ると、このナガバノイシモチソウの場合、可憐なお花と気色の悪い葉っぱ部分との激しい落差がチャームポイントと言えそうですよね。 これだけ可愛い花を付けるんだったら、何もわざわざ虫なんか捕まえて食べなくっても。…という気もするんですが、花を咲かせるのはあくまでも子孫を残すためなので、自分自身が食っていくというのはまた次元の違った話なのかも知れませんけど。 そもそも食虫植物というのは極めて養分の少ないところに生えていて、根っこから吸い上げるだけではとても食べていけないので、やむなく虫を食べて生きているんだと思うんですが、となると、光合成とかはどうしているんですかね? いくら痩せた土地でも太陽の光さえ当たれば自力でなんとかやっていけそうなものなんですが、事実、食虫植物は光のないところでは生きていけないものの、別に虫を食べなくたって、多少成長が鈍りはするものの、それなりに生きていけるものらしいんですよね。 だのになぜ、葉を食いしばり、虫を食うのか〜、そんなにしてまで〜♪ ( 「若者たち」 の節で。)

ナガバノイシモチソウ(その3)♪

 ナガバノイシモチソウの葉っぱの部分を拡大したのが この写真 (↑) です。 そもそもイシモチソウというのは、石を持ち上げることが出来るほど、葉っぱのネバネバの粘着性が強い(らしい。) …ということからこの名前があるそうなんですが、そのイシモチソウが長葉 (ながば) と化しているナガバノイシモチソウの場合、かなり葉っぱの部分がよく目立つことになります。 こうして写真でみると、わーっ、めっちゃネバネバ出てるやんっ!…というのがよく分かりますよね。 真ん中あたりに見えている黒いモノは捕まえられちゃった虫なんでしょうか? ナガバノイシモチソウは甘い匂いで虫をおびき寄せてネバネバで捕まえると、葉っぱをウニウニと動かして獲物を包み込んで一週間くらいかけて消化液で溶かして、チューチューと養分を吸っちゃうらしいんですが、そういう死に方というのはどう考えても嫌ですよね。 まだ頭のほうからパックリ食べられたほうが諦めも付くし、成仏だって出来るような気がします。 植物の癖にやる事が陰湿過ぎると思うんですが、自生地に立てられていた看板にはネバネバに捕らわれたモンキチョウの写真とかも載っておりました。そんな大きな虫まで溶かして食うんかい!? 説明として 「花の赤色とチョウの黄色とのコントラストが楽しめる。」 みたいなコメントが書かれておりましたが、ちょっと趣味が悪くないか、豊明市!? ま、性格がネチこいことで有名なナガナワ元所長代理あたり、現・本社の副部長で、もうすぐ部長に昇格するとの噂があったりもするんですが、将来は食虫植物に食われるといった、そんな悲惨な最期を遂げることになるかも知れませんけどね。 ナガナワくんナガバノちゃんに食べられるところを、ちょっとだけ見てみたいような気もするんですが、とまあそんなことで、今日のところはおしまい。

 ということで、今日はカーティス・カウンスなんですが、カウンス君は日本ではさほど名前が知れれてませんよね。まだ中田カウスのほうが知名度としては上?…という気もするんですが、西海岸ではリロイ・ヴィネガーとならぶ代表的なベーシストの一人。ヴィネガーとともに、ウエストコーストジャズの屋台骨をズッシリと支えた頼もしい男です。…などと、 ここ のところに書いてありました。そうです。西海岸ではけっこうイケてる部類だったりするんですよね。東海地区最大級の二尺玉とか、日本海側最大の波の出るプールとか、そういう微妙にセコい自慢が僕はけっこう好きだったりするんですが、ブルーノートやプレスティッジ、リバーサイドに吹き込みがない (←多分) ので、日本での知名度は今ひとつなんですが、コンテンポラリーあたりにはけっこうリーダー作を残したりしています。 そんな中から今日は 『ランドスライド』 という1枚を紹介しようと思うんですが、“LANDSLIDE” というのはアレです。 「地滑り」 といった意味ですよね。調べてみたらあまりにもそのまんまだったんですが、ま、確かに地滑りというのはランドがスライドするわけですからね。 で、このアルバムはサイドマンがなかなか魅力的だったりします。トランペットがジャック・シェルドンというのは、うな丼好きの人にも楽しめるような気がするし、いや、ウナギとシェルとはまったく別物なので、もしかしたらあまり楽しめないかも知れませんが、テナーがハロルド・ランドというのは、健康ランド好きの人にはちょっと嬉しいですよね。 ピアノがカール・パンキンスというのも、カールのうす味とかカレー味が好きな僕には期待が持てるところだし、でもって、ドラムスのフランク・バトラーは特に何も思い付かなかったんですが、とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることにしましょうか。

 まず最初はハロルド・ランドのオリジナルで、アルバムのタイトルにもなっている 「ランドスライド」 という曲です。テナーとベースのデュオ(?)で哀調を帯びたイントロの部分が演奏された後、テンポが速くなってテーマ・メロディの合奏ということになるんですが、いかにも地滑りやな。…といった気がする、とってもランドがスライドした感じの旋律が印象的でありまして、サビの部分が微妙にファンキーだったりするところも悪くないですよね。西海岸モノというとアレンジ重視のウエストコーストなサウンドを想像する人が多いかと思いますが、カーティス・カウンスやハロルド・ランドが演ってるヤツなら大丈夫。 アレンジ重視というよりも、オレンジ味のジューCといった感じのサウンドは、カバヤ好きの人にもウナギの蒲焼好きの人にも、きっと楽しんで貰えるのではなかろうかと思われます。 美味しいですからね、カバヤのジューC。 僕も14 (じゅうし) くらいまではよく食べてたんですが、15になってあまり食べなくなっちゃいましたけど。それだけ僕もオトナになったという事なんだと思いますが、テーマ部から、ちょうどいい感じの流れでハロルド・ランドのソロに入っていくところが個人的には好きだったりします。 ハロルド・ランドはブラウン=ローチ・クインテットでの演奏しか聴いたことがないという人もいるかと思いますが、是非ともウエストコーストの白黒混合バンドで活躍している彼にも注目して欲しいと思います。 スピード感とドライブ感とスリムドカンに特徴がある人なんですが、続いてはジャック・シェルドンのトランペット・ソロでありますか。 シェルドン君の演奏というのは今まであまり聴いたことがなかったんですが、うな丼ほどのパワーは感じられないものの、玉子丼を彷彿させる滋味が感じられて、滋味ながらも悪くはありませんな。哀愁味を帯びたトーンがなんとも言えずにいい感じで、白っぽいケニー・ドーハムといったところでしょうか? で、続くカール・パーキンスはジャズ界の野口英世として知られるピアニストなんですが、不自由な左手を克服した独特のスインギーな奏法が、酢とインゲンが好きな僕の心を捉えてやみません。 続いてベースのピチカート・ソロが出てくるあたり、いくらベーシストのリーダー作だからって、どうか?…という気がしないでもないんですが、ま、若さゆえの過ちということで、ここはひとつ大目に見てやってください。若さゆえに若狭湾までワカサギ釣りに行くことを思えばまだマシだと言えるわけで、ワカサギというのは淡水魚なので、若狭湾に行っても連れませんからね。 で、最後にフランク・バトラーのドラム・ソロまであって、参加者全員に平等に発表の機会が与えられることになるんですが、ということで、テーマに戻って、おしまい。 とってもハード・バピッシュな名演であるな。…と評価してもよろしいのではなかろうかと。エンディングもバッチリ決まってますしね。

 で、2曲目はスタンダードの 「タイム・アフター・タイム」 でありますか。ランドの吹く主旋律にシェルドンが絡む形でテーマ部が進んでいくんですが、しみじみとした味わいの名バラードでありますな、こりゃ。 個人的には1曲目がファンキー路線で、2曲目にバラードが来るというアルバム構成がいちばん好きだったりするんですが、今のところ、見事にツボにはまっていますよね。 で、ソロ先発はカール・パーキンスでありますか。 やや装飾過多な嫌いが無いわけでもないんですが、それにつけてもおやつはカール。…という言葉もあることだし、十分に楽しめる出来栄えではないかと思うんですが、続いてはランド君の登場でありますな。 アドリブというより、軽くテーマ・メロディをフェイクするジェイク島袋。…といった感じでありまして、というか、もしかしてこれ、テーマ部に戻っているということなのかも知れませんが、最後に軽くトランペットが絡んで、おしまい。 バラードもあまり長くなり過ぎると、ややダレる嫌いがあったりするんですが、わりと手短にまとめられていて、よかったのではないかと思います。演奏時間を見たら、きっちり6分32秒もあったんですが、続く3曲目は 「ソラー」 でありますか。 タイトルがいったい何を意味するのか、今ひとつよく分からなかったりするんですが、これがもし 「サラー」 とかだったら、恐らく 「皿」 のことなんやろな。…とか、何となく想像がつくんですけど。 「サラー」 が 「皿」 なら、「ソラー」 は 「空」 なんちゃうの?…という気がしないでもないんですが、あるいはちょっとひねって 「曾良」 (←松尾芭蕉の弟子) だったりするとか。ま、どちらも間違いなく間違っているような気がするんですが、調べてみたら案の定、ぜんぜん違ってました。そもそも 「ソラー」 ではなくて、 「ソナー」 やん!…というところから間違っていたので、まったくもって問題外だったんですが、 「ソナー」 だったら何となく意味は分かります。潜水艦に何やらそのようなものが備わっていたような気がするんですが、果たして “SONAR” というのは 「水中音波探知機」 の事でありました。 “sound navigation ranging” を略したものなんですな。 で、この曲はどこかで聴いたことがある、わりと有名なスタンダード、もしくはジャズ・オリジナルなのではないかと思うんですが、作者のところには“Wiggins-Clarke” とクレジットされていて、それが誰のことなのかはよく分からないんですけど。“Clark” ではなく、最後に “e” が付く“Clarke” は、ケニー・クラークなんすかね?…と思って調べてみたら、やはりケニー・クラークとジェラルド・ウィギンズの合作ということで正解らしいです。 どこかで聴いたことがあると思ったら、プレスティッジの 「レイ・ブライアント・トリオ」 に入っているということも判明したんですが、少し段落が長くなり過ぎているので、この辺で一度、改行を入れることにして。

 曲そのものはわりとシンプルで、ミディアム・テンポで演奏されるカーティス・カウンス版はどことなく、ほのぼのとしたムードが漂ったりしております。ドラマーが作品作りに絡んでいるからなのか、テーマ部ではフランク・バトラーがけっこう頑張ってるな。…という気がしたんですが、ソロ先発はハロルド・ランドでありますかぁ。ブラウン=ローチ・クインテットでのプレイを彷彿させる歌心に富んだ出来栄えとなっておりまして、こうなってくるとトランペットのジャック・シェルドンにかなりのプレシャーがかかってくるんですが、ここでは途中にパーキンスのソロを挟んで、うまい具合に重圧を撥ね退けておりますな。で、3番目に登場することになったシャルドンくんはミュートでソロを吹いていて、そう来たかぁ!…といった感じなんですが、時おり微妙なハイノートを織り交ぜるなどして、リラックスした中にも、なかなかのテクニシャンぶりを発揮していて、悪くない出来です。 続いてベースのピチカート・ソロが出てくるあたり、いくらベーシストのリーダー作だからって、どうか?…という気がしないでもないんですが、2回目ともなると、若さゆえの過ちということで、そう簡単には看過出来ませんからね。でもまあ、アルコでやられるよりはマシ?…とでも思って、ここは諦めるしかないワケなんですが、最後にバトラーのドラム・ソロをフィーチャーしたりして、1曲目と同様、参加者全員に活躍の場を与えたところで、テーマに戻って、おしまい。 うん。まあまあだったんじゃないですかね? ということで、レコードだとここからB面ということになろうかと思いますが、その最初の飾るのはカール・パーキンスのオリジナル 「マイア」 でありますか。 これもどこかで聴いたことがあるような曲なんですが、面倒なのでいちいち調べるようなことはしません。 わりと複雑な構成になっているような気がするナンバーなんですが、メロディそのものは非常に親しみやすいもので、テナーとトランペットがいい具合に絡んだ後、ハロルド・ランドのソロということになります。 もう4曲目なんだから、そろそろ最初にテナーが出てくるというパターンは変えて欲しいところなんですが、彼のアドリブそのものは完璧と言っていい出来なので、特に文句はないんですけどね。 続くシェルドンもいい感じにラッパを吹いておりまして、カッパでもなかなかこうは簡単にラッパを吹けないので、大したものだという気がします。 でもって、パーキンスのソロがあって、最後はカーティス・カウンスのウォーキング風ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。 うん。まあまあだったんじゃないですかね?

 5曲目はジャック・シャルドンのオリジナルで 「サラ」 というタイトルの曲です。タイトルは恐らく 「皿」 のことでは無いかと思うんですが、“SARAH” という綴りはサラ・ボーンのソレと同じだったりするんですけど。 となると、ギャルの名前だったりするんですかね? 曲そのものはスローなブルースだったりするので、もしギャルの名前だとすれば、きっとブルーのズロースが似合うタイプではないかと思うんですが、ブルースと言っても単純な12小節のリフ物ではなくて、微妙にひねりが加わったりしているんですけどね。 で、ソロ先発はカール・パーキンスでありますか。もう4曲目なんだから、そろそろ最初にテナーが出てくるというパターンは変えて欲しいところなんですが…という、僕の前曲での指摘が耳に届いたとかも知れませんが、確かにこの雰囲気のブルースだと最初にピアノを持ってきたいところですよね。いや、何となく。 カール君も頑張って青いズロースのムードを作り出してくれてはいるんですが、個人的にはこの手のサウンドはさほど得意なほうではないので、以下、簡単にソロのオーダーを記すだけに留めておくことにしましょう。ランド、シャルドン、カーティス・カウンスと来て、テーマに戻って、おしまい。以上です。 アルバムの最後を飾るのは 「ア・フィフス・フォー・フランク」 という曲でありますか。タイトルからして、「フランク (・バトラー?) に捧げる15小節」 といった感じなんですが、作者のところには3曲目と同様 “Wiggins” という記載が見られるんですけど。 ただし相方は “Clarke” ではなくて “Tjader” となっているんですが、これはカル・ジェイダーのことなんでしょうか? かつで僕はこの人の名前で、

 ・  「おカル、“シェー”だ!」 そそのかす、イササカ
 
という一句を詠んだことがあって、個人的にはなかなかの自信作だったんですが、イササカ先生の奥さんが “おカル” という名前だというのが今ひとつ世間には浸透していないのか、反応のほうは今ひとつでありました。 同様にカール・パーキンスに捧げた

 ・ おカル パツキンす

のほうも不評でした。 おカル、あかんやん!…ということで、演奏のほうに話を戻すと、これはアレですな。フランク (・バトラー?) に捧げられた曲だからなのか、冒頭からバトラー君が大張り切りしてますな。ドラム・ソロのイントロで適度に盛り上がったところで、テナーとトランペットのユニゾンによるテーマが登場するんですが、めっちゃ派手でスインギーで、聴いてるだけで元気になるような感じの曲でありますな。 短いタイコの乱打を挟んで、ソロ先発はハロルド・ランドなんですが、先ほど少しパターンを変えたのが功を奏したのか、今度は新鮮な気持ちで素直に彼のプレイを堪能することが出来ます。全体で7分11秒という演奏時間のわりにはテナーのソロがわりと短めで、すぐにトランペット・ソロにスイッチすることになるんですが、これはおそらく最後のほうで思いきりフランク・バトラーをフィーチャーするための伏線であるものと思われ、場合によっては4バーストか8バースとか、そういうのも考えているのかも知れません。 と思っていたら案の定、シェルドンのソロに続いてタイコの乱打が華々しく披露されるという展開になったわけなんですが、いや、時間がクソ長いわりには、盛り上がりのほうは今ひとつのような気もするんですけど。抑制の効いたドラム・ソロって感じぃ? さすがに終盤はバトラー君もそれなりに頑張っているし、ま、これはこれで、いいかな?…という気がしてきたところで、テーマに戻って、おしまい。 ということで、今日のところは以上です。

【総合評価】

 黒人が絡んだコンテンポラリーには、ハードバップの隠れ名盤と言えるアルバムが少なくないんですが、これもそんな1枚であると言えましょう。 スローなブルースが個人的にはあまり趣味ではないものの、それ以外の5曲はどれもまあまあ。もしくは、それ以上の出来となっております。 特にハロルド・ランドが全体を通して高水準を維持しておりまして、期待度があまり高くなかったジャック・シェルドンも予想以上に頑張っております。あとはえーと…、ま、だいたいそんなところです。


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