WHIMS OF CHAMBERS (BLUE NOTE)

PAUL CHAMBERS (1956/9/21)

WHIMS OF CHAMBERS


【パーソネル】

DONALD BYRD (tp) JOHN COLTRANE (ts) KENNY BURRELL (g)
  HORACE SILVER (p) PAUL CHAMBERS (b) PHILLY JOE JONES (ds)

【収録曲】

OMICRON / WHIMS OF CHAMBERS / NITA / WE SIX
DEAR ANN / TALE OF THE FINGERS / JUST FOR THE LOVE

【解説】 (2007年08月03日更新)

 “花見” と “花火” には共通点があります。それは何かと言うと、どちらも場所取りが必要だということなんですが、特に花見の場所取りというのは新入社員に課せられた、社会人になって初めての重大な任務という位置付けが成されていますよね。満開の桜の木の下のスペースを無事に確保することが出来た新入社員は、将来の出世がほぼ約束されたと言ってもよく、反対に、ぜんぜん桜の花、咲いてへんやんっ! おまけに敷地が二等辺三角形で、めっちゃ座りにくいやんっ! しかも便所の隣で臭い上に、みんながゲロを吐きにくるやんっ!…といった劣悪な環境しか確保することが出来なかった新入社員は、将来、オッサンになってもせいぜい課長代理どまりやな。…という評価を下されることになるわけですが、かく言う僕の新入社員時代はどうだったのかと言うと、下請けの鉄工所のオッサンが津の皆楽公園の茶店のようなところを予め押さえておいてくれたので、場所取りの苦役に晒されることなく、ただ皆楽公園で快楽を貪っていればいいだけで、とっても気楽でありました。 あれから17年。僕は一度も場所取りを経験することなく、この年まで無事に過ごすことが出来たわけなんですが、今年ばかりはそうもいかなくなりました。 “桑名水郷花火大会” で綺麗な花火の写真を撮るべく、いい場所を確保する必要に駆られたわけなんですが、今度ばかりは鉄工所のオッサンも何とかしてくれそうには無かったんですよね。 仕方なく自分で場所取りに行くことにしたんですが、当初は3時頃に家を出る予定だったのが、ま、そこまで焦らなくてもいいかな?…という気もしたので、夕方の4時半に出発することにしたんですが、歩いて20分ほどで辿り着ける花火の鑑賞ポイントは、だいたいこの辺り) なんですけどね。

桑名水郷花火大会@会場まっぷ♪

 あ、前回のこのコーナーで、揖斐長良川の川幅が1000mくらいあって、そのちょうど真ん中の中州の部分から打ち上げられるから、花火までの距離は約500m…という試算を行なったんですが、長良川よりも揖斐川のほうが川幅が狭くて、“六華苑” のやや南の地点からだと約380mくらいということになりますかね? ま、今さら正確な距離が分かったところで既に手遅れなんですが、で、午後5時前に鑑賞ポイントに到着した結果、場所取りのほうもやや手遅れ気味であるということが判明しました。現場の状況はだいたい こんな感じ になっているんですが、僕が下見の時点で目星をつけていた堤防の下段のラインは招待席ということで、パイプ椅子がずらっと並べられていて、一般人は近付けないシステムになっておりました。 仕方がないので一段上のところを当たってみたんですが、川に近い前の部分は既に占拠されていて、こちらのほうも駄目です。 この時間、まだ人の数はそれほど多くないんですが、レジャーシートをガムテープで固定するなり、ガムテープそのもので四角く陣地を囲うなりして、既に場所取りが完了しておりまして、確保されたエリアの中には所有者を示す印として、各々の苗字が片仮名でガムテープによって書かれているのでありました。どうやらガムテープは場所取りの必須アイテムらしいということに気が付いたんですが、僕はそこまで頭が回らなかったんですよね。ガムテープって、脛毛を引っ剥がすのに使う道具だよね。…といった認識しかなくて、すっかり用意するのを忘れていて、お陰で場所取りにちょっと苦労してしまいました。 僕はカメラを据える場所を確保すると同時に、さば家6人分の場所取りという任務も与えられていたんですが、最前列がすでに一杯である以上、その後ろのところで我慢しなければなりません。 ま、最前列と言っても目の前に70センチほどの高さの壁があって、地べたに座ってしまうと川はぜんぜん見えなくなってしまうので、後ろのほうの席でもさほど悔しくはないんですけどね。 それにどうせ、花火というのは上のほうに上がるものだしぃ。…と、出遅れた僕はその事実を素直に受け入れ、心から反省するといった卑屈な態度に出るのではなく、確かに一番前の特等席は確保出来なかったけど、それがどうした!?…と開き直る戦術に出ることにしたんですが、ま、ガムテープを忘れて、場所取り用のシートが風で飛ばさせそうになって苦労したという点は、来年に向けての反省材料として、素直に受け入れるにやぶさかではない気もするんですけど。

 さば家の面々がどのような状況で花火を鑑賞することになろうと、僕の知ったことではないんですが、ただ癪なのは “イトー家” と “イチカワ家” の奴らですよね。 僕が確保した席の前のところには既にレジャーシートが広げられていて、そこにはガムテープで “イチカワ” という文字が書かれていたんですよね。その前のところはガムテープで四角く囲われていて、その内部は広げた新聞紙によって3名分の座席が確保されておりました。そして目の前の壁の部分には所有者を示す印として、ガムテープで “イトー” という文字が書かれておりました。この両家の奴らは場所取りが済んでいるのですっかり安心しきっているのか、6時半を過ぎても一向に姿を現さないんですが、この相手の油断につけ込んで、なんとか領土を奪取する方法はないものですかね? 例えば “イトー” と書かれたガムテープの一部を剥がして張り替えて、 “イナー” という字にしちゃうとか?

領土奪取作戦♪

 これ “イトー” とちゃうやん! どう見ても “イナー” やん! …と、本名が “イナバ君” である僕は、ここが “イナー家” の領地であることを強引に主張する戦略に出ようかとも思ったんですが、かなり無理がある上に、あまりにもアホらしいので、ここは大人しく引き下がることにして。 そもそも前にも書いたように、さば家の面々がどのような状況で花火を鑑賞することになろうと、僕の知ったことではないんですが、カメラだけは何とか最前列に設置したいところなんですよね。 というのも、僕の頭の中では “花火の光が川面に反射して、そこに船がシルエットで浮かび上がる” という完成予想図がすっかり出来上がっていたからなんですが、そういう作品をモノにするには、どうしても川が見える地点にカメラを据え付けなければなりません。 が、最前列はまったく三脚を立てる隙もないほど、きっちり場所取りがなされておりまして、こうなったらもう、多少の顰蹙や軋轢は覚悟の上で他人の領地に足を踏み入れるしか手はありませんよね。 幸い、イトー家の人々はまだ姿を見せていないので、つけ入る隙は充分にあると思うんですが、その隣の敷地 (←所有者を示す表示無し) にも、まだ誰も来てないしー。 遅れてくるほうが悪いっ!…ということで、僕は強引にそこに三脚を設置することにしたんですが、そこは “気配りのサバ君” と世間でも評判の僕のことなので、なるべく人様の迷惑にならないよう、謙虚な態度で据え付けるように心掛けはしたんですけど。 僕の他にも総勢10名ほど三脚を構えている人がいたんですが、三脚の三本の脚を目一杯に伸ばして、直立姿勢で写真を撮ろうとしている人が多く、もし2年ほど前の “カメラにまったく興味が無かった頃の僕” がそのような情景を目の当たりにしたら、オッサン、邪魔や!三脚、蹴倒したろかい!?…と思っていたに違いなくて、そういう不穏な輩に三脚を蹴倒されたりしてもつまらないので、ここはなるべく謙虚な態度に徹することにしましょう。 三脚の脚のうちの2本を半分くらいまで伸ばし、残りの1本は短いままにして思いきり開脚させて70センチほどの壁の上に乗せることにして、これなら半立ち姿勢でカメラを覗くことが出来るので、直立のオッサンに比べれば迷惑度は40%オフ程度で済むような気がするんですけど。 その状態でカメラを取り付けてファインダーを覗いてみたところ、こんな感じになっておりました。

桑名水郷花火大会@暗くなる前状況♪

 チョーチンや観客の後頭部を入れるというのも作品によってはアリなんでしょうが、僕の美意識では余計なものはなるべく削除したいので、実際にはもう少し上向きに構える必要がありそうです。 対岸に “なばなの里” というレジャー施設があって、頭に富士山が乗っかった “アイランド富士” などという展望タワーがあったりするんですが、そのUFOのような姿が写りこんでしまうのは、ま、必要悪でありましょうか? 環境保護団体からの評判が非常によろしくない “長良川河口堰” は、写真的にはいいアクセントになるような気もするんですが、そうこうするうちにイトー家の隣の敷地の住民が姿を現しました。日本人の兄ちゃん1人に、イラン系と思しき兄ちゃんが2人という内訳だったんですが (←後に日本人と思しきギャル2名が合流) 、敷地内に勝手に入り込んだ青年カメラマンが邪魔臭い三脚の脚を伸ばしているという事態に特に文句を言うでなく、日本とイランの友好関係に亀裂が入らなくて何よりでありましたが、益生駅前のマンションは天井部分に思いきり亀裂が入ったりしてましたからね。…って、ちょっと古いニュースなんですが、マスオ駅がちょっぴり有名になって、マスオさんもさぞや鼻が高いことでありましょう。 とまあそんなことで、あたりもすっかり暗くなった午後7時30分、いよいよ打ち上げ開始っ! かつては伊勢湾台風の犠牲者の霊を慰めるという趣旨で “灯篭流し” というのが行なわれ、コドモ心には、何て地味な企画なんや!…としか思えなかったんですが、数年前から環境問題に配慮するということで “追悼花火三十発” というのに変わってしまったようです。 花火大会で花火を三十発ほど打ち上げてみたところで、さほど目立つものでもないし、 “灯篭流し” というのもオトナ心で考え直してみると、なかなか風情があってよかったような気もするので、この変更はちょっと残念なところです。 川面を流れる灯篭というのは写真的にもいい感じだったに違いないんですが、でもまあ、無ければ無いで別に問題ないような気もするし、とりあえずここは “初めての花火撮影” に気持ちを集中させることにしましょうかぁ。

<ノーマル系> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 桑名の花火大会は1時間15分で約4000発という開催規模であります。4500秒で4000発。平均すると1秒間に1発弱の花火が打ち上がるという計算になります。 が、後半を盛り上げようとすると、前半のうちはどうしてもかなりの節約を強いられることになるので、最初のうちは10秒間に数発程度のペースということになりますか。 前回のお勉強の結果、花火を撮影する場合、カメラのシャッタースピードは “バルブ” にして、3〜5秒くらい露光させるといいらしいというのが判明しているんですが、これではせいぜい2発くらいの花火が写るだけで、写真的にはかなり寂しいものになってしまいます。 そこで早速、さば式完全オリジナル多重露出装置、名付けて “タジュロー1号” の登場ということになるんですが、何のことだか分からない人は ここ をクリックして、前回のネタを読んでもらうとして。 ちなみにこの多重露出装置は実践配備するに先立って、持ちやすいようにフィンガーストラップを取り付けて “タジュロー1号(改)” へとパワーアップさせておいたんですが、構造が単純なわりに効果のほうはなかなかでありましたな。 (写真上) は3回分ほど多重露出したものだと思うんですが、左のほうの丸いノーマルなタイプの花火はタジュローを開放するタイミングが遅れて単なる残骸みたいになってしまって、どうも今ひとつでありますな。 気持ち早めの操作が必要とされるようなんですが、その隣の椰子っぽいヤツと右側の青い花火は、まずまず綺麗に撮れたと思います。 風のせいで気持ち左から右方向に流れ気味なんですが、ある程度、強い風が吹いているほうが花火の煙が早く消えてくれるので、これはむしろ有り難いと思わなければなりません。 (写真下) のほうは構図が縦位置になっておりますが、左後方のイトー家の人々と右後ろのイラン人御一行に気兼ねして、壁の上のギリギリの高さに三脚をセットしたのが災いして、カメラを縦に構えることが出来ませんでした。 仕方なく、横位置で撮ったものを後で強引にトリミングしたんですが、 来年はイラン人に何と思われようと、もっと三脚の脚を伸ばしてやるぅ!…と、決意を新たにしたのでありました。 


<大モノ系> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 桑名の花火大会の売りのひとつは “東海地区最大級の二尺玉” なんですが、あくまでも東海地区に限定されているし、 “最大級” ではあっても、決して “最大” ではないところがちょっぴりシケていると思います。 ちなみに日本で一番大きな花火が打ち上げられるのは “片貝花火大会” の四尺玉なんですが、ニ尺玉ではそのたった半分のしかないわけですからね。 東海地区に限定してみても “蒲郡まつり納涼花火大会” が正三尺玉×3発、 “熊野大花火大会” が三尺玉海上自爆。 東海地区最大級といっても、最大に比べると66.7%程度の大きさということになっちゃいますよね。 でもまあ玉そのものの大きさは1.5倍でも、実際に空中で爆発した時の大きさは直径にしてニ尺玉が約480m、正三尺玉で約550mということなので、最大値の87.3%は確保することが出来て、ま、“最大級” と言っておいても、さほど問題はないよね♪…と、強引に押し切れないこともないギリギリの線であったりはするんですけど。 で、僕はこのニ尺玉の撮影はすっかり諦めておりました。 三脚の据付ミスが響いてカメラを縦に構えられないばかりか、あまり上のほうにも向けられない状態になってしまったんですよね。返す返すもイラン人とイトー家に余計な気を遣った自分が悔やまれますが、とりあえず (写真上) は大会の中盤辺りに見られた、恐らく尺玉(10号)レベルと思しき花火を捉えたものであります。 僕は子供の頃から赤須賀のハマグリ・シジミ漁師の一家が自前の釣り船を繰り出して、川の上から花火を見ているのが羨ましくて仕方がなかったんですが、どうしてウチの父ちゃんは漁師やなくて郵便局員なんや!…と、恨んだことも数知れず。 親が郵便局員だと年賀状を手に入れるのに苦労をしなくて済むものの、あまりメリットが無かったりするんですよねー。 こうなったら将来、漁師の娘のところに婿入りしてやるぅ!…と思ったりもしたんですが、生憎、僕の好きな女の子は漁師の娘ではなかったので駄目だったんですけどね。 とまあそんなことで、船の上からだと花火がどんなふうに見えるのか今ひとつよく分からなかったりするんですが、大きな花火の場合、火が消えないまま水面まで到達することもあったりして、こういう場合、やはり船の上の奴らは火傷をしたり、髪の毛がチリチリになったりといった被害を蒙るものなんすかね? 自分たちだけいい思いをしようとするから、そういう罰が当たるわけで、すっかりオトナになった僕としては、いい気味や!…と思わずには入られません。

 で、 (写真下) は、こんな位置で紹介しちゃってますが、クライマックスを飾った大花火を捉えたものであります。 桑名の花火は例年その構成にちょっぴり問題があって、大会が終了するちょっと前のタイミングで “柿安” のニ尺玉が打ち上げられちゃうんですよね。 大玉に観客がどよめいて、最後は、これよりもっと大きな花火が上がるのかな?…と思って期待していると、さしたる盛り上がりもないまま “おわり” という文字が出て、膝カックンされたみたいに拍子抜けしてしまいます。 最後にニ尺玉をドカンと上げて、それでヤメたほうがいいのではないか?…と思っている人も少なくないに違いありませんが、あるいはラストは “ナイヤガラ” でしんみりと締めるという方針なのかも知れませんけどね。 が、場所によってはナイアガラがぜんぜん見えなかったりして、盛り上がらないまま唐突に終わってしまったな。…という印象を与えることになってしまうわけなんですが、でも大丈夫。 今年の僕はですね、三脚の高さの設定こそ失敗したものの、川と船の様子がよく見える低空花火鑑賞には絶好の位置をキープしております。 ナイヤガラの光が川面に反射して、そこに船がシルエットで浮かび上がる様子は、さぞや絵になるに違いないと思って、僕は大いに楽しみにしていたんですが、結果、今年の花火大会はナイアガラが無かったような? その代わり “桑名市観光協会” が割と頑張って最後に大きめの花火をドカン!…と上げて、フィニッシュということになったんですが、最後は尺玉レベルと5発ほど横に並べて打ち上げたような感じでありましたか? 終盤に入ると少し風が弱くなって、立ち込める煙のお陰であまり綺麗な写真にはなりませんでしたが、とりあえずは盛り上がる終わり方だったので、悪くはなかったと思います。


<水中スターマイン系> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 続いては “水中スターマイン” なんですが、これは花火を水面で爆発させてやろうという魂胆のものでありますな。 船で引っ張られて打ち上げ位置が移動することになるので、多重露光のテクを駆使するには最適かな?…と、僕は踏んでいたんですよね。 出来れば、空に上がる花火と水上花火とのコラボレーションを捉えたいところだったんですが、水中スターマインの1回目は、ちょっとケチってこれ単独で行なわれる形だったので、出来としては (写真上) のような感じになったんですけど。 堤防のところから見ていてもかなり迫力があるんですが、船の上の人々は恐らく、火の粉をモロに被ることになってしまうのではなかろうかと。 これはもう髪の毛がチリチリになったりする程度では収まらなくて、火の粉はズボンとパンツをも乗り越えて局部を直撃して、下の毛がチリチリになったりするに違いありません。 自分たちだけいい思いをしようとするから罰が当たるわけで、まったくもって、いい気味です。 で、下のほうが待望の “水中スターマインと空中スターマインのコラボ” なんですが、いやあ、素晴らしかったですなぁ、 “NTN仕掛け花火” 。…という話は次のコーナーで取り上げることにして。


<NTN仕掛け花火系> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 桑名の花火大会は地元企業の協賛金によって成り立っているんですが、コドモの頃に見た中で記憶に残っているものと言えば、やはり “お買い物はパルで” でありましょう。 お買い物と言えばやっぱりパルやよな!…と桑名市民の誰もが納得の出来る説得力を持ち合わせていたわけですが、あとは個人的な思い出で言うと “レストランくわな・あずまや” あたりとか。所詮は町の洋食屋だけあって、いかにも金をかけてないな!…と思わずにはいらえない、めっちゃシケた仕掛け花火だったりしたんですが、ワビサビが感じられるという点で、僕はけっこう好きでした。わりと渋い趣味の小学生であったようです。 で、最近では何といっても “柿安” のニ尺玉が見ものだったんですが、肉と惣菜だけでこんなに儲かるのか?…みたいな。 そして2年前には “水谷建設” が肉屋と同じニ尺玉をぶっ放しました。土建屋でこれだけデカい花火を上げられるということは、きっと裏で悪いコトをしてるに違いない。…とか思っていたら、案の定、去年、元社長が逮捕されましたけど。 そして今年の場合、最大の山場は “NTN” でありました。 僕がコドモの頃には “東洋ベアリング” という社名だった軸受屋なんですが、メロディに合わせて噴水みたいに炎が吹き上がる新しいタイプの花火が何とも言えずにファンタスティック♪ 途中、打ち上げ花火で “NTN” という文字を書こうという、挑戦的な試みもあったりしたんですが、これをやりたいがために “東洋ベアリング” から社名を “NTN” に変更したのかも知れませんな。 もっとも最初の “” の字だけは誰の目にもはっきりそう読み取れたものの、残りの2文字はグダグダになって失敗に終わってしまったんですけど。 “”という字を出すのがなかなか難しそうなんですが、来年あたりは “NNN” とか、わりと書くのが簡単そうな “NON” あたりに再び社名を変えてくるかも知れません。 結果的には上のところで紹介している “水中スターマインとの絡み” が今年のクライマックスやったな。…といった感じだったんですが、あまり一度にたくさんの花火を打ち上げるものだから、暴発したのか?…と思ってしまうほど、なにやら物すごい爆音が響いてましたからね。写真で見ても何やらその部分は “謎の発光体” みたいになっちゃってますけど。

 とまあそんなことで、初めての花火撮影にしてはうまく撮れたと思うんですが、最低感度がISO200しかない “D50” の場合、やはり “NDフィルター” というのが有効だったと思います。多重露光でトータル10秒くらいシャッターを開けていて、 白トビしちゃうかな?…と思ったものでも、けっこう大丈夫でしたからね。 あと、前回は紹介しなかった撮影テクとして、ピントは無限遠にしてテープで固定するといいといった記載があったんですが、そこまでする必要はないやろ!…とタカをくくって無視する方針をとったのは、ちょっと失敗でした。構図を変えたりズーミングしたりする度に、わりと簡単に動いてしまうんですよね、ピントリングって。 場所取りを含めて、花火撮影には固定用具が必需品であることが判明した次第でありますが、ガムテープ持参イラン人は無視、出来れば浴衣ギャル同行♪…という方向で、来年も是非、花火撮影にチャレンジしてみたいと思います。 ということで、今日のところはおしまい。

 ということで今日はポール・チェンバースなんですが、いやあ、夏ですなぁ。 夏なのでこの週末は海に行ったり、ウニを食べたりして楽しもうと思っているんですが、いや、僕はウニがあまり好きではないので、もしかしたら食べてもあまり楽しめないかも知れないので、食べないかもしれないんですけど。 とりあえず海のほうだけは押えておきたいところなんですが、ウサギたんの動向がちょっと気になるところですよね。8月3日午前9時現在、山陰沖あたりを北東方向に進んでいる台風5号には “ウサギ” という名前が付けられているんですが、ピョンピョン元気に飛び跳ねていたと思ったら、油断して途中で昼寝でもしているのか、急に動きが遅くなったりして、なかなか日本から離れていってくれないんですよね。お陰で土曜日の天気が何とも微妙だったりするんですが、日曜日の夜は石取り祭に行ってアイス饅頭を食べたりしなければならないし、のんびり音楽を聴きながら原稿を書いている暇がありません。 そこで、今日の後半は簡略化バージョンでお届けしたいと思うんですが、昨日の時点でCDを聞きながら簡単に演奏内容をメモっておいて、ついでにレナード・フェザーの書いた原文ライナーの日本語訳も丸写ししておきましたので、それに基いて話を進めてみたいと思います。 とまあそんなことで、今日は 『ウィムス・オブ・チェンバース』 というアルバムを紹介したいと思うんですが、これは彼にとって、ブルーノートにおける初リーダー作という位置付けになるようです。 個人的には位置付けよりも柴漬けのほうが好きだったりするので、どういう位置付けにあろうとさほど大きな問題ではないんですが、それはそうと、何ともサイドマンが豪華な1枚ではありますよね。 ジョン・コルトレーンを始め、ドナルド・バードケニー・バレルホレス・シルバーフィリー・ジョー・ジョーンズと、参加者全員、立派にリーダーとしてやっていけるだけの人気と実力を持ち合わせている人達ばかりです。 ま、本作が録音された1956年当時、トレーンやバードはまだ、期待の新人といった位置付けにあったわけですが、…などと、ゆっくり解説している暇はないので、では早速、1曲目から聴いてみることにしましょう。

 アルバムの冒頭を飾るのはドナルド・バード作曲の 「オミクロン」 という曲です。 オミクロン。ちょっと変な名前ですよね。ライカのレンズに “ズミクロン” というのがあったりしますが、オミクロン、ズミクロン、有限会社クロン。 「六ツ星きらり 〜ほしふるみやこ〜 」 とか、そういうゲームを作っているメーカーですよね、クロン。 和風天文ステキ部活ドタバタ合宿ハッピー青春ラブラブラブラブラブコメディ!…らしいんですが、そんなことはどうでもよくて、オミクロン。 原文ライナーによると、どうやらギリシャ文字にちなんで付けられた曲名のようなんですが、えーと、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロン、ゼータ、イータ、シータ、イオタ、カッパ、ラムダ、ミュー、ニュー、グザイ、オミクロン…って、あ、ここに登場するわけなんですね。 英語で言う “(オー)” に相当するわけなんですが、言われてみれば確かに、ちょっぴりオーっぽい雰囲気のする曲だったりするんですけど。 テーマ部は大きく2つのパートに分かれておりまして、最初の “Aの部” は50年代前期のジャズ・メッセンジャーズを彷彿させる、ラテン調の仕上がりとなっております。王というよりも、長嶋といった感じでしょうか? 荒削りでアバウトなところが何とも言えずに初期ハード・バップ的だったりするんですが、続いて登場する “Bの部” で幾分、落ち着きを取り戻すことになります。 こちらは王と言うよりも、土井正三といったところですかね? いや、そこまで陰気臭くはないんですが、途中、サビの部分でホーンの音が消えてチェンバースのピチカートがメロディを奏でたりするなど、いかにもベーシストのリーダー作やな。…といった演出が施されていたりもします。 で、ソロ先発はコルトレーンで、そこにバードが続き、ケニー・バレルのギターが出てきたな。…と思っていたら、もう一度バードが戻ってきたりして、以下、チェンバースのピチカート、シルバーのピアノ、フィリーのドラム・ソロと、結局のところ参加者全員のソロがフィーチャーされるジャム・セッション風の演奏だったりするわけなんですが、テーマの再現部では、まず土井正三のほうを先に出しておいて、最後を賑やかに長嶋で締めるといった演出がなされております。結局、最後まで王っぽいところは無かったやん。…という気がしないでもないんですが、エネルギッシュで、ギルガメシュで、ムッシュかまやつで、ま、悪くないんじゃないでしょうか。

 続いてはアルバム・タイトル曲の 「ウィムス・オブ・チェンバース」 なんですが、これはアレですよね。チェンバースのウィムスです。…と言われたところで、 “ウィムス” というのが何なのか、今ひとつ分からなかったりするんですが、これがもし 「天むす・オブ・チェンバース」 ということであれば、“中に海老天が入っているおむすび” なんやな。…という事が明確になんですけどね。 が、これが “ウィムス” となると、中に何が入っているおむすびなのか検討が付かなくて、そもそも、おむすびの一種ではないという可能性もあったりするわけなんですが、仕方がないのでちょっと調べてみたところ、“WHIMS” にはどうやら “気まぐれ” といった意味であるようですね。ちなみに “CHAMBERS” には “判事室” という意味もあるようなので、 「判事室の気まぐれ」 ということになるんですかね? 判事などという職業は気まぐれな人にはやや不向きなような気もするんですが、気まぐれな人は、例えばマグロ漁師とかがよさそうに思われるんですけど。 とまあそんなことはどうでもよくて、この曲はホーン抜きのカルテットで演奏されることになるんですが、ギター+ピアノ・トリオという編成は、名盤 『ベース・オン・トップ』 への布石とも考えられる。…というようなことが日本語ライナーに書かれておりましたな。 で、原文ライナーのほうには、ポールとケニーがオクターヴのユニゾンで演奏する、美しいブルースだ。…などと書かれておりましたが、僕の美的感覚からすると、さほど美しくもない、ごく普通のブルースのように思われたりするんですけど。 どこかで聴いたことのあるメロディのような気もするんですが、パーカーの書いたブルースで、何か似たようなのがありませんでしたっけ? ま、曲の出来そのものはともかくとして、ベースのピチカートとギターのユニゾンというのはなかなか斬新なサウンドでありまして、先進的な試みとして、野球の線審の人には評価されるかも知れません。 ただ球審の人には 「つまらん。」 の一言で片付けられる恐れもあるんですが、ま、こういうのは好き好きですからね。 で、テーマに続いて、かなりクソ長いベース・ソロが出てくるあたり、ベース・フェチでもない限り、ちょっと辛いものがあったりするんですが、続いて登場するシルバーのソロが何とも言えずにブルージーでいい感じなので、ちょっと救われた気分になります。いいですよねぇ、救われた気分。 “金魚すくい” ですくわれた金魚の気分は、あまりよくなかったりするかも知れませんが、ま、すくわれてもペットとして飼われることになるわけなので、 “ドジョウすくい” ですくわれたドジョウの気分ほど絶望的ではないと思うんですけど。 とまあそんなことで、続いてバレルのソロがあって、ピアノとドラムスのごく短い掛け合いとかがあって、テーマに戻って、おしまい。 いや、地味でした。

 続いてはコルトレーンのオリジナルで、 「ニタ」 という曲です。 このタイトルを見るとどうしてもニタリ貝ネタを書きたくなってしまうんですが、ニタリ貝は煮たりして食べると美味しいですよね。…というネタはこのところ何度も使っているので、今日のところは自粛するとして。 で、この曲、レナード・フェザーによれば、おもしろいパターンの曲だ。各コーラスの23小節めから、6小節にわたってリズムが停止し、その後2小節のブレークが入る。…といった作品だったりするようですが、リズムが停止するのと、ブレークが入るのとは、意味が違うんですかね? あるいは、その後2小節のところでいきなり 「日本ブレイク工業」 の社歌が流れたりするのかも知れませんが、全体としては今ひとつギャル受けのよろしくない作風であるように思われます。 昨日の時点で僕が書いたメモによると、どうやら、テナーとトランペットのハモリでテーマが演奏され、最後のところではバード主導になって、そのままソロへと突入。続いてバレルのソロ。こういうジャム・セッション風の演奏にギターって、正直いらなくねぇ?…という気がしないでもないんですが、でもまあ、ここでのバレルはそれなりにノリのいい弾きっぷりを披露しているので、特別に許してやってもいいような気がしないでもありません。 で、続いて、いかにもプレスティッジのコルトレーンらしいテナーのソロがあって、シルバーのソロ、フィリーのソロ。 で、テーマに戻って、おしまい。 以上、メモ書きなのでちゃんとした日本語になっていませんでしたが、で、4曲目はバードのオリジナルの 「ウイ・シックス」 でありますか。 「僕たち、6人」 。 いかにも、このセッションのために慌てて仕立て上げたな。…といった感じのタイトルだったりするんですが、慌てて作ったのが災いしたのか、さほどキャッチーなメロディには仕上がっておりません。 やっつけ仕事というのは大抵そんなもんだったりしますよね。僕のこの今回の原稿も思いきり “やっつけ” なので、とにかく早く終わらせることしか頭になかったりするんですが、コルトレーンとバードがユニゾンでテーマを吹いた後、バード、トレーンの順でソロが取られることになります。でもって、続いてはチェンバースのアルコ・ソロということになるんですが、ついに出たか!…という感じですね。いつかきっと出るに違いないとある程度は覚悟を決めていたんですが、案の定でした。 でもまあ、チェンバースのソロで弓弾きが出ると言うのは、お盆過ぎの海水浴でクラゲが出るのと同じくらい分かりきったことなので、そういうものだと思って諦めるしかないんですが、でもって、続いてはバレルのソロでありますか。 こういうジャム・セッション風の演奏にギターって、正直いらなくねぇ?…という気がしないでもないですが、チェンバースのアルコの後だと、ギターのソロも意外といい感じに聴こえてしまったりして、その意味でここでのバレルはなかなかいいタイミングでの登場となりましたな。 続くシルバーのソロはもっと素敵に聴こえたりして、わりとアクの少ないシンプルな弾きっぷりだったりするんですが、ということで、テーマに戻って、おしまい。

 5曲目は 「ディア・アン」 でありますか。 タイトルのアンというのはチェンバース婦人の名前らしいんですが、いいですよね、アン。 アンパンと乾パンだったら僕は断然アンパンのほうが好きなんですが、あんまんと肉まんだったら、肉まんのほうが美味しいような気がするんですけどね。 で、この曲、美しいコード演奏のギターのイントロのあと、バードが中間テンポのテーマを吹く。さらにチェンバースのピチカートのもっとも巧みで豊かな部分も聴ける。…と、原文ライナーに書いてある通りの演奏だったりするんですが、非常に綺麗なメロディを持ったナンバーでありますな。 これでもしアンちゃんがめっちゃ不細工なキャラだったりしたら、世間は許してくれないような気もするんですが、ドナルド・バードの吹くトランペットが実にいいムードを醸し出しております。この人、アップテンポのナンバーだと、フレージングがやや上ずってしまう傾向にあるんですが、バラードとかミディアム・テンポだと実に味わい深かったりするんですよね。 以下、シルヴァー、バレル、チェンバースのピチカートと、思った通りの順番で思った通りのソロが繰り広げられることになるんですが、ここでのチェンバースはレナード・フェザーも褒めている通り、なかなか秀逸な出来栄えです。弓弾きさえやらなければ、そんなに悪い人ではない事を再認識させられた思いであります。

 とまあそんなことで、続いては6曲目の 「テイル・オブ・ザ・フィンガース」 です。 「ストライク・アップ・ザ・バンド」 のコード進行をもとにし、冒頭は4コーラスにわたる弓弾きベース。…という演奏だったりするんですが、弓弾きさえやらなければそんなに悪い人ではないんだけど、どうしても弓弾きをやっちゃうから、やっぱり悪い人なんだと再認識させられてしまいました。 ホーン抜きのカルテット編成なんですが、それが災いして、めっちゃフィーチャーされているんですよね、チェンバースのベース。 こんな128小節はかつて聴いたことがないとフェザー君は絶賛しておりますが、こんな128小節は出来ることなら聴きたくありませんね。 唯一の救いはフィリー・ジョーのブラッシュ・ワークが実にスインギーで軽妙であることなんですが、真ん中あたりで聴かれるシルバーのソロも悪くない出来だったりしますしね。 その後、フィリー・ジョーが弓弾きベースと何度か4小節交換をしたあと、ポールが最後のソロを取る。…という、まさしくベース地獄のような展開が待ち受けているわけなんですが、しかし何ですな。チェンバースはすごい(ガス)、と言いたいところだが、ガス室を連想してしまうのは心外なので、べつの言い方をしよう。彼の最初のソロを聴いて以来、仲間のミュージシャンたちが言っているように、チェンバースは最高(ビッチ)だ。…というレナード・フェザーの記述は、いったいどうしたものですかね? アメリカ人が原文で読めばそれなりにナイスなアメリカンジョークだったりするのかも知れませんが、日本語に訳されたのを読んでも何が面白いんだか、さっぱり分からんっ!

 ということで、最後の曲です。コルトレーンのオリジナルで、 「ジャスト・フォー・ラヴ」 。 テーマが演奏された後、テナー、ピアノ、ギター、ピチカート・ベース、ドラムの順でソロ廻しが行なわれて、でもって、テーマに戻って、おしまい。 曲そのものが今ひとつ魅力的でないので、解説にもまったくヤル気が発揮されていませんでしたが、とまあそんなことで、今日のところは以上です。

【総合評価】

 ジャム・セッション風のラフなプレイ4曲+ベースの魅力が最大限に引き出されたカルテットもの2曲…といった構成です。 いずれも好き嫌いのはっきり分かれるタイプの演奏でありまして、個人的にはチェンバースのリーダー作って、あまり好きではなかったりするんだけど。…という人には、あまりお薦め出来ない1枚かも知れません。 プレスティッジのコルトレーンが好きな人であれば、ま、“△” ですかね? 6曲中、3曲しか登場しませんからね。 冒頭の 「オミクロン」 と、アンちゃんの曲は悪くなかったりするので、5曲目までできっぱり終わりにしておくというのも、ひとつの手なのではなかろうかと。


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