MINGUS MOVES (ATLANTIC)

CHARLES MINGUS (1973/10/29-31)

MINGUS MOVES


【パーソネル】

RONALD HAMPTON (tp,tb) GEORGE ADAMS (ts,fl) DON PULLEN (p)
CHARLES MINGUS (b) DANNIE RICHMOND (ds)
HONEY GORDON (vo) <#3> DOUG HAMMOND (vo) <#3>

【収録曲】

CANON / OPUS 4 / MOVES / WEE
FLOWERS FOR A LADY / NEWCOMER / OPUS 3
BIG ALICE / THE CALL
【解説】 (2007年07月29日更新)

 今日は “デジタル一眼レフで愛のメッセージを書こう♪” というテーマでお届けしようと思うんですが、いやあ、夏ですなぁ。 で、夏と言えば “花火” ですよね。 夏といえばスイカとか、カキ氷とか、盆踊りとか、夏みかんとか、夏目雅子とか、夏野菜カレーとか、常夏みかんとかやろ?…といった意見もあろうかとは思いますが、そういうのは一切無視して、花火です。ちなみに “常夏みかん” というのはAV女優の名前なんですが、 「常夏みかんの表に出せないビデオ」 とかに出演してますよね。 とまあそんなことはどうでもよくて、夏と言えば花火なんですが、この週末 (7月28日) には 桑名水郷花火大会 が行なわれる予定になっております。この原稿が更新される頃はすでに終わっているものと思われますが、浴衣ぎゃると一緒に花火を見に行くという僕の長年の夢は、どうやら今年も叶えられそうにありません。 にも関わらず、僕の気持ちはウキウキと浮き足立ったりしてするわけなんですが、と言うのも、今年は花火の写真にチャレンジしてみようかな♪…と思っていたりするからなんですけど。 いいですよねぇ、花火の写真。すくなくとも、鼻毛の写真よりはいいよな?…という気がします。鼻毛の写真というのはあまり綺麗でなかったりするんですが、花火の写真というのは綺麗ですからね。 鼻血の写真というのは鮮血がけっこう鮮やかだったりするんですが、ただ被写体が薄汚いオッサンだったりすると、せっかくの鼻血も台無しになっちゃうおそれがあります。 その点、花火のほうはどんな種類でも綺麗だから安心出来るわけなんですが、ただ、綺麗な花火の写真を撮るにはそれなりの準備とテクニックが必要になるような気もします。僕は今まで一度も花火撮影をしたことがないので、ここはひとつ、事前に下調べをしておいたほうがいいかも知れませんね。

 で、いろいろと調べてみた結果、どうやら三脚は必需品らしいということが判明しました。 僕の家にもホームセンターで買った安い三脚があるんですが、この三脚は安かっただけに、いかいにも作りが貧弱でありまして、特に伸ばしたいちばん先の脚の部分なんかはめっちゃ細くて、すぐにコケたり、折れちゃったりしそうなんですよね。 ま、脚の骨が折れるのは自業自得だから仕方がないとして、そのあおりでセットしてあったカメラやレンズが壊れでもしたら大変ですよね。ここはひとつ、ちゃんとした立派な高い三脚を買ったほうがいいと思うんですが、調べてみると一口に三脚と言っても実に色々な種類があるもので、素人の僕には一体どれを選べばいいのか、皆目検討が付きません。とりあえず、お花やパンチラの撮影に威力を発揮すると言われているローアングルが可能なものを選ぶとして、あとはえーと、水準器というのもあったほうがいいですかね? 僕は血液型がA型で根が几帳面なので、撮った写真の構図がちょっとでも傾いていたりすると、非常に不愉快だったりするんですよね。ま、デジカメの場合、後で傾き補正をすることが出来るから、そこまで神経質になることもないんですが、あと、ニコンの “D50” に 17〜70mmのレンズを装着した場合、その重量に耐えられるだけの剛性を備えてなければならないし、あ、この “クイックシュー” というのは何なんですかね? 今ひとつよく分からんのですが、シュークリームがけっこう好きな僕にとって、あっても困らない機能であるような気もするんですが、以上の点を踏まえて僕が選んだのが この三脚 だったりするんですけど。“ベルボン” というメーカーのやつです。 まん丸顔の女の子は いい妻になれるって、私ってなれそう?ねえ、ベルボン♪…って、三脚のメーカーにそんなこと聞いてどうする?…という気がしないでもないんですが、僕は松本ちえこの 「バスボンのうた」 とか、バカボンとか、ビニ本とか、裏本とかがけっこう好きだったりするので、名前でこのメーカーの製品を選びました。結果、なかなか使い勝手がよさそうで、いい買い物をしたと思っています。 あとはシャッターを押した時の手ブレを防ぐ為に、ケーブルレリーズやリモコンが必要ということなんですが、僕は既にリモコンは持っているので問題はないとして。 で、花火撮影の場合、長時間露光をすると花火が白トビする恐れがあるので、そういう場合はNDフィルターを使用するといい。…という情報もありました。 特に僕が持っている “D50” の場合、最低感度が “ISO200” だったりするので、そう言えばウチの会社で 取得した “ISO9001” は、書類を作るのがめんどい!…という社員からの熱い要望によって、この夏、自主的に返納することになったんですが、とりあえずシャッタースピードを2段分落とす効果があるらしい “ND4” というフィルターを手に入れました。 これで資材としては完璧でありまして、あとはそれに腕のほうが伴うかどうかが少し心配だったりはするんですけど。

 ということで、続いては撮影テクニックなんですが、シャッターは “バルブ” を使う というのが基本のようですね。バルブというのはアレです。シャッターを押している間はずっと露光して、指を離すとシャッターが閉まる。そういう機能のことです。 よく “バブル” と間違えて、それは泡やがな!…とツッコミを入れられることになるんですが、バルブ(弁)の操作によってシャッターを開け閉めするイメージを持って頂けるといいのではなかろうかと。 “D50” の場合、リモコンでバルブ操作をしようとすると、シャッターを押して “開” 、もう一度押すと “閉” という動作になるみたいですが、で、手動でどれくらい露光すればいいのかというと、単発の花火で4〜5秒、明るいスターマインの場合は2〜3秒程度というのが目安になるそうです。バルブ操作は出来ないけど、シャッタースピードをマニュアルで設定出来るコンデジの場合は、3〜5秒程度に設定しておくといいでしょう。それも出来ないコンデジの場合、シーンモードに “花火” というのがあれば、だいたい2〜3秒程度のシャッタースピードに設定されるみたいです。 で、その時の絞りはF9かF11に設定する というのが定番のようなんですが、最低感度でシャッタースピードが3〜5秒くらいだと、それくらいが適正露出ということになるんですかね? 生憎、僕は今まで露出狂というのを体験したことがないので、適正な露出というのがどういう具合なのか、あまりピンとこなかったりするんですが、ガバっと大きく露出するよりも、見えるか見えないかくらいにしておいたほうが、 「きゃ〜っ!」 と言われる可能性が高いよね。…といった経験則から導かれた数字なんすかね? デジカメの場合はとりあえずF11あたりで撮影してみて、状況に応じて適宜絞りを変えてやればいいわけですが、あまり絞り過ぎると回折現象によって画質が低下すると開設にはありましたので、露出オーバーで白トビする場合にはNDフィルターを使うということになるんでしょう。 “ISO100” の設定が出来るなら、まずは大丈夫だと思うんですけどね。

 で、続いてはピント調整でありますが、空に向かってオートフォーカスを働かせようとしても恐らくは無駄なので、ここはマニュアル・フォーカスを使用することになります。 マニュアルと言ってもさほど難しい話ではなく、無限遠にセット してやれば大丈夫なんですけど。 マニュアル・フォーカス機能の無いコンデジの場合、シーンモードに “花火” というのがあれば自動で無限遠にセットされると思います。ない場合は “風景モード” とかでも代用出来るのではなかろうかと。 一眼レフの場合はマニュアルで無限遠にセットしてやればいいんですが、ズームレンズの場合、 “∞マーク” のどん詰まりまで回すと無限遠の向こうにピントがいってしまうので、どん詰まりの位置から気持ち戻すのがコツなんだそうですけど。 “無限遠の向こう” って、もしかしてそれは “宇宙の果て” という事ではないのか?…という気がしないでもないんですが、ズームレンズというのはああ見えて、意外と哲学的なヤツだったんですなー。 で、そもそもレンズ交換式の一眼レフカメラの場合、どれくらいの焦点距離のレンズを使えばいいのかという問題もあるわけですが、花火というのは高いところまで上がるのでかなりの望遠が必要なような気もするし、広い範囲を写すには広角レンズのほうが適切なような気もするしぃ。 …という基本的な疑問を解決してくれる、とっても便利で素晴らしいソフトがありました。 これ です。 打ち上げ場所までの距離が定かではない場合、花火が光ってから音がするまでの時間差からも計算出来るという、なかなかのスグレ物でありますが、ま、何発もまとめて上がる花火の光と音の時間差を測定するというのは、かなり至難の業であるような気もするんですけど。 幸い、桑名の花火大会の場合は打ち上げ場所までの距離がだいたい分かっているんですが、揖斐・長良川の川幅がおおよそ1000mほどあって、その真ん中の中州のところから打ち上げられるので、堤防から見る場合はその距離が500mということになります。となると、こういう計算結果 (↓) になるわけですな。

花火を上手に撮影しよう♪

 3号などというシケた花火は無視するとして、4号の花火を撮影するには 35mm換算で 96mmの望遠レンズが必要ということになります。 ニコンの “D50” は焦点距離が 1.5倍になるから 64mmあればいいという計算ですな。 桑名の花火大会では一応、2尺玉 (20号) まで上がることになっているんですが、これをカメラに収めるためには 35mmのレンズが必要ということになります。ニコンのAPS−Cサイズのデジカメのなら 23.3mmということなので、手持ちのレンズでいくと、シグマの “17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO” というズームレンズで充分に対応出来るということになります。 これでもう、基本的な花火撮影は完璧だねっ♪…と言えそうなんですが、もう少し高度な写真を撮ろうと思うのなら、 “多重露光” というテクニックもマスターしておきたいところでありますな。花火がごくたまに単発でしか上がらないローカルでめっちゃショぼい大会の場合、花火が1つだけでは写真的に寂しいものがあるので、多重露光でいくつか花火を写してやれば、それなりに派手な作品が出来るというワケであります。ま、いくらショぼい大会でも1分くらいバルブでシャッターを開けっ放しにしておけば3発くらいは写ってくれそうな気もするんですが、例えば桑名の大会であれば “水中スターマイン” の撮影とかには効果がありそうですよね。 水中スターマインというのは川の水面のところで花火を爆発させようという企画であるわけなんですが、船で引っ張られて打ち上げ場所が移動する仕掛けになっていて、最初の1発目から最後の10発目くらいが打ち上がるまで、約1分間は要することになります。その間にも上空にはかなりの花火が打ち上げられるので、シャッターを1分間も開けっぱなしにしておくと、間違いなく上半分は白トビしちゃうに違いありません。 水中スターマインが開く時だけシャッターを開ける多重露光が有効ではないかと思われるわけですが、上のほうで紹介している観光協会のサイトの写真も、恐らくそのようにして撮ったのではないかと思われるんですけど。

 フイルム式カメラの場合、フイルムを巻かずに、同じコマで2度、3度とシャッターを切ってやれば簡単に多重露光が可能なんですが、デジタル一眼レフの場合、機種によってはこの機能が使えません。僕の持っている “D50” も駄目なんですが、デジカメの場合、パソコンのソフトで簡単に合成出来るから、特に必要がないという考え方みたいなんですけど。 そんなこと言われても、画像の合成の仕方がわからんっ!…という人も多いのではないかと思うんですが、でも大丈夫。デジタル一眼レフで簡単に多重露出が出来る、とっておきのテクニックがあるんだそうで、それは一体どういうふうにすればいいのかというと、黒い紙でレンズの前を覆ってやればいいらしいんですけど。 黒く塗ったうちわ、もしくは黒い紙を貼った段ボールなどを用意して、それでレンズの前を覆ったままシャッターを開いて、花火の上がるタイミングで黒い紙をどけて露光して、3〜5秒ほどたったらレンズを隠して、それを何度か繰り返してからシャッターを閉じてやれば、見事に多重露出は成功っ♪ いや、初めてこのテクニックのことを知った時、なんちゅう原始的な方法や!…と呆れてしまったんですけど。 ちょっと工夫をすれば、もっとスマートなやり方があるようにも思えるんですが、ここはひとつ “多重露出装置” を自作してみましょうかね? 小学生時代から図画はともかくとして、工作だけは得意だった僕の手にかかれば、そんなことはワケがないと言う気がするんですが、とまあそんなことで、この前の日曜日、僕の頭の中には、でっきるかな、でっきるかな、はてはて、ふふ〜ん♪…というメロディが流れることになったワケなんですが、ついでに、はて、ふふ〜ん♪…というバック・コーラスのほうも流れたりしたんですけど。 そして僕の頭の中には、はっきりと “完成予想図” も見えておりました。 筒状になっててレンズにすっぽり被せる形で、で、その先には蝶番によって開閉する仕組みの黒い板が取り付けられているわけです。バネかゴムの力によって素早く閉まるようにしてやれば、あるいは2000分の1秒といったスピードでシャッターを閉じることも出来るかも知れません。 すっかりイメージが出来上がったところで、製作に必要と思われる部材を購入するため、近くのミスタートンカチまで買い出しに行ったわけなんですが、そのようにして、遂に究極の装置を開発することに成功しました。

タジュロー1号♪

 さば式完全オリジナル多重露出装置、名付けて “タジュロー1号” ! いや、レンズに取り付けるところがどうやってもうまくいかなくて、結果的に、CDの薄型ケースに黒いゴム板を貼り付けただけやんっ!…といった製品になってしまいましたが、いや、レンズフードを活用してやれば蝶番による開閉も出来そうだったんですけどね。ただシグマの “17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO” に付属しているのは花形フードだったので、隙間から光が漏れそうで駄目でした。 もういいっ!これで十分に多重露出くらい出来るっ!…と、僕はすっかり捨て鉢な気分になってしまったんですが、恐らく2号機の開発に着手することは、この先も無いものと思われます。 とりあえず、本番の前に自分の家で多重露出の練習をしてみることにしたんですが、買ったばかりのベルボンの三脚にカメラをセットして、被写体はえーと、テーブルの上のキティ缶と平積みされた本にしてみますかね? カメラのシャッタースピードを “バルブ” に設定して、レンズの前をタジュロー1号のゴム部分で隠して、リモコンでシャッターを開けて、タジュロー1号の開閉を2度、3度と繰り返して、もう一度リモコンのシャッターを押して、無事、撮影は完了。 出来上がった写真をチェックしてみると、これは、おおっ! 動かない被写体を多重露出で撮影してみたところで、まったく何の意味もないやん!…という結果に終わってしまったんですが、仕方がないので今度はカメラのほうを動かして、“キティ缶&平積み本” と “黒い電気スタンド” という2つの構図を多重露出してみることにしました。

多重露出撮影例(その1)♪

 おおっ、わりとソレっぽい仕上がりでありますな。タジュロー1号、もしかして、結構イケるかも? すっかり気をよくした僕は、続いて夜間の花火撮影の練習用に、真っ暗な部屋の中で、電球をひとつだけ点けて撮影してみることにしたんですが、カメラを横に振りながら3回ほど露出すると、電球が3個点いているような感じになって、実にいい感じです。益々いいぞぉ、タジュロー1号っ♪ ところでこれ、三脚に固定しないで手持ちでやってみたら、どんな感じになるんですかね?…と、ふと思いついて試してきたんですが、手持ちだと当然カメラが動くことになるので、電球の光が軌跡を描く感じになって、ちょっと不思議な写真が撮れたりするんですよね。 これ、うまくやれば字や絵が書けるかも?…という気がしたので、ちょっとチャレンジしてみることにしました。 右手でカメラを動かしつつ、左手でタジュロー1号の開閉操作をしなければならないので、かなり大変だったんですが、おまけにシャッターが開いている間はファインダーを見ても真っ暗なので、まったくの手探りでカメラを動かさなければなりませんしね。 が、僕は試行錯誤の末、遂にカメラで字を書くことに成功したんですが、ちなみに光のほうを動かすのではなく、カメラのほうが動くわけなので、書かれた字は反対になっちゃうんですけど。 鏡に写したみたいに左右が反転するのかと思ったら、上下がさかさまになりました。考えてみれば当然のような気もするし、今ひとつ納得いかないような気もするわけなんですが、ではここで、かなりマニアックな内容であまり面白くなかったにも関わらず、我慢してここまで読んでくれたギャル系読者の皆さまに、僕から “愛のメッセージ♪” を贈らせて頂きます。 ここ です。 僕の愛、しっかり受け止めて貰えたかなー? あ、ギャル系ではないオッサン読者とかは、別に受け止めてくれなくても結構なんですが、 “LOV” までは一筆ずつで書けるのでわりと楽だったんですが、最後の“” は真ん中の横棒を入れるところがちょっと難しかったです。 続いて、お絵かきにチャレンジしてみた作品が これ なんですが、とりあえず “花光” の写真は何とか撮れるようになったので、この分なら “花火” のほうも大丈夫ですかね? 次回のこのコーナーではきっと、皆さまに素晴らしい花火写真をお見せ出来るものと確信しておりますが、もし何らかの事情で “鼻毛ネタ” だったりした場合は、今回の話は無かったものと思って諦めて下さいね。 とまあそんなことで、今日のところは以上です。

 とまあそんなことで、今日からベーシスト編になるわけですが、まず手始めはチャールス・ミンガスでありますか。いいですよね、ミンガス。少なくともチンカスよりはいいよな?…という気がするわけなんですが、どちらかというと裏方に徹する地味なタイプが多いベーシスト業界において、例外的にめっちゃ前に出たがりのキャラとして知られていますよね。単なるベース弾きというより、コンポーザー兼アレンジャー兼バンドリーダー兼ファイティング原田としての性格が強いわけなんですが、あ、違いました。原田ではなくてファイティングニグロですよね。ただ、ニグロというのが差別的な表現だからなのか、“ファイティングニグロ” で検索しても塩通レベルのお寒いブログが1件ほどしかヒットしませんでしたが、“ファイティングマグロ” というのも似たようなものでありますな。“マイッチングマチコ” は結構ヒットしましたけど。 いずれにせよ、政治に走った音楽家というのはマックス・ローチなどと同様、激しい毀誉褒貶の嵐に巻き込まれることになるわけですが、ま、ミンガスの場合、怒らせると壊そうだし、殴られると痛そうなので、面と向かって貶すような勇気のある人はさほど多くはなかったみたいですけど。 で、極度の目立ちたがりであるが故に、ベーシストとしては異常にリーダー作が多かったりするんですが、ジャズという音楽が難解化、もしくは軟弱化の両極に振れてしまった1970年代にあっても、やや難解程度の良質な硬派ジャズを作り続けた姿勢は評価していいと思います。 ということで、今日は70年代物である 『ミンガス・ムーブズ』 というアルバムを紹介しようと思うんですが、このアルバムにはですね、ジョージ・アダムスドン・プーレンが入っております。この2人は僕がジャズを聴き始めた1980年代の後半、某・スイ○グジャーナル誌でしきりに持て囃されていたので、ドラえもんの “スナオン” を飲んだのび太と同じくらい性格が素直な僕は、すんごく素晴らしくって人気もあるミュージシャンなんや♪…と信じて疑うという事を知りませんでした。ちなみに “スナオン” という薬物は、水田わさび版アニメでは “なんでも信じるコ・缶入り” という汁粉飲料に変更されたそうですが、僕は素直に “スナオン” のほうがよかったと思うんですけどね。 ま、それはともかく、雑誌に書いてあることをそのまま素直に受け入れる性格の僕は、もう少しで 『ナイチンゲール』 とかを買ってしまうところでした。危ないところでした。すんでのところで思い止まることが出来たのは、僕がアダムスよりもプーレンのほうが好きだったからなんですが、手の甲でピアノの鍵盤をグリグリしたりして、血まるけになりながら演奏しているらしいという話を聞いて、いいぢゃん♪…とか思ってしまったんですよね。白目をむいてテナーを吹いているらしいアダムスよりもインパクトが強かったわけなんですが、ミンガスの70年代の諸作ではそんな彼らの若かりし頃の演奏を聴けるというので、ちょっぴり興味を覚えた次第でありまして、とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることにしましょうか。

 まずはミンガスのオリジナルで 「キャノン」 という曲です。カメラとかを作っているキャノンという会社の社名の由来が “観音” から来ているというのは有名な話ですが、正しくは “キャノン” でなく “キヤノン” と表記するというのも一般常識として押さえておきたいところですよね。 ま、押さえておいたところで何がどうなるわけでもないんですが、カカクコムの掲示板とかに、うっかり “キャノン” などと書こうものなら、たちまち素人扱いされることになるので、覚えておいて損はないですよね。 ただ、粋がって “キヤノン” という書き方をするのも何となく嫌味なので、“知っているのにわざと間違える65点の人が好き好き好き♪…の法則” を適用して “キャノン” と書いておいたほうが無難なような気もするんですけど。 で、演奏のほうに話を戻しますが、アダムス&プーレンという過激なヤング2人組の参加を得て、ミンガスのファイティング・スピリッツが大爆発!…みたいな展開を期待したところ、これがまた何とも静かな作品だったので、ちょっと拍子抜けしてしまいました。 膝カックンをくらったような感じなんですが、いや、これはちょっと裏をかかれましたなぁ。 ま、そういうものだと分かってしまえば、これはこれでなかなか優れた作品ではないかと思うんですが、アダムスのテナーとロナルド・ハンプトンのトランペットがゆっくりとしたテンポで交互にメロディを吹くテーマ部は、なかなかにスピリチュアルだと思います。そもそも 「canon」 を “キャノン” と読んでしまったところに間違いがあるようなんですが、これは恐らく “カノン” と発音するのが正解なんでしょう。キリスト教の戒律とか、規範、基準といった意味があるんだそうで、言われてみれば確かにそんな感じの演奏に仕上がっております。 テーマ部が終わるとミンガスが強烈なビートを刻み始め、それに伴い演奏は次第に熱を帯びていくことになるんですが、ハンプトンが主旋律を反復する中、呪術的なプーレンのピアノをバックに絞り出すようなブロウを聞かせるアダムスが壮絶でありますな。いや、いよいよ “らしく” なってきましたなぁ。…と思っていたら、すぐにテーマに戻ってしまって、全体的にはややあっさりと仕上がりだったような気がするんですが、ま、オードブルとしてはこれくらいが適切なのかも知れませんね。 いきなり 「牛脂と豚ラードのバター炒め」 とかを出されたら、デザートにたどり着く前に下痢で便所に駆け込むことになりかねませんからね。ミンガス、こう見えてなかなか気遣いの出来るオッサンなのかも知れません。

 続いては同じく、ミンガスのオリジナルで、 「オパス4」 という曲でおます。 “おぱす” というのは “作品” という意味なので、 “作品4” といった意味ではないかと思うんですが、どうしていきなり2曲目に “作品4” なんすかね? ミンガスは見た目のとおり、あまり何も考えてないキャラなのではないか?…という疑惑が浮上してくるわけなんですが、賑やかというか、落ち着きがないというか、でも餅つき機はあるというか、僕が子供の頃、家にあったんですよね、電動餅つき機。確かに餅をつくには便利なんだけど、餅をつく以外には何の役にも立たないよね。…ということが判明して、ほとんど活用されることのないまま壊れてしまったような気がするんですが、ABA形式のテーマのうち、 “Bの部” はわりとメロディアスな感じで悪くないと思うんですけど。いや、ABA形式などと単純なアルファベットの組み合わせでは捉えきれないような複雑怪奇な構成になっているような気もするんですが、テーマに続いてはドン・プーレンのピアノ・ソロでありますか。 基本的にはシングルトーンなんですが、弾いている当人のコーフンが高まってくるにつれて、次第にフレーズがさっぱワヤになってくるところがこの人の持ち味ですよね。終盤、お得意の “手の甲ピュンピュン奏法” も聴かれたりして、僕としてはもう十分に満足です。 もう十分満足なんですが、続いてジョージ・アダムスのソロも出てくるので、ついでにちょっと聴いてみましょうかね? この人のスタイルはアバンギャルドな前衛さと、R&Bな泥臭さとが絶妙にブレンドされているところに特長があるんですが、ここでの彼は時折リズム・パターンが変化する中、斬新なフレーズでただひたすら喚き散らす海鮮ちらし寿司。…といったプレイを展開しておりまして、そういえば最近、ちらし寿司といえば “すし太郎” ばかりで、本格的な海鮮系のちらしを食べていないような気がするわけなんですが、ちなみに僕はちらし寿司の具の中では “穴子のタレとでんぷが付着したタコ” というのがけっこう好きだったりします。“でんぷ” というのは単品ではさほど美味しいものでもないんですが、穴子のタレと絡むと意外といい働きをする食材だったりして、ジャズというのも同じですよね。アダムスのただクドいだけのソロも、油っぽいプーレンのピアノが絡むことにより、より一層、胸焼けをもたらす食材へとパワーアップすることが出来るわけでなんですが、とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。

 3曲目はアルバム・タイトルの1部にもなっている 「ムーヴズ」 でありますか。作曲者としてダグ・ハモンドという名前がクレジットされておりますが、このハモンドという人はハモとウドが好きらしいということ以外、あまり詳しい素性は分かっておりません。 ハモは梅肉和え、ウドは酢味噌和えにすると美味しいんですが、素性の分からないサカナも酢醤油で和えたりするとけっこう美味しかったりしますよね。 で、この 「ムーブズ」 というのも酢の物系のさっぱりした仕上がりの作品でありまして、アダムスの吹くフルートがなかなかいい味を出しておりますな。 で、この曲では、お姉さんとオジサンが絶妙のボーカルを披露してくれることになるんですが、こういうネオ歌謡曲風の作品というのはミンガスがわりと得意としているところであります。 『プリバード』 というアルバムに収録されていた 「エクリプス」 を彷彿させるサウンドであると言っていいでしょうか。はっきりソレと言えるソロ・パートがあるわけではないんですが、前衛風を封印してリリカルな弾きっぷりに徹したドン・プーレンのピアノと、アダムスの吹くフルートの絡みが哀愁を感じさせて、とってもトゥナイトです。その昔、桑名正博が歌ってましたよね、 「哀愁トゥナイト」 。 で、続いては 「ウィー」 という曲でありますか。作曲者としてサイ・ジョンソンという名前がクレジットされておりますが、このサイという人は哺乳類の動物の中ではサイがいちばん好きらしいということ以外、あまり詳しい素性は分かっておりません。ゾウとかカバが好きという人はさほど珍しくないんですが、サイが好きとはマニアでありますな。サイと斉藤クンなら、ま、サイかな。…という気がするんですが、サイとサイババだったら惨敗は必至と言わざるを得ないほど、さほどソソられるものがありませんもんね、サイ。 とまあ、そんなサイが好きなサイ・ジョンソンが作った 「ウィー」 という曲なんですが、これがまた実になんとも、しみじみとした感じのバラードに仕上がっていて、秀逸ですよね。参加メンバーから受ける印象とは裏腹に、落ち着いた演奏が多かったりするんですが、…とか言ってるうちにテンポが速くなって、ワヤになっちゃうことが懸念されたんですが、でも大丈夫。 ミディアムに転じてからもしっかりとメロディはキープされていて、いわばテーマ部が2部構成になっているという感じっすかね? トランペットが入っていることもあって、後年のアダムス&プーレンの双頭コンボに比べるとオーソドックスな仕上がりと言えるかも知れません。 ま、ソロ先発のアダムス君もブロウはそれなりに阿鼻叫喚だし、そういえばドラえもんの秘密道具に “ギシンアンキ” というのがあるくらいだから、その姉妹品で “アビキョーカン” という薬物があってもよさそうなものなんですが、ないんですかね? アビキョーカン!これを飲むと誰もが苦しみのあまり、泣き叫ぶんだぁ。…みたいな。それってただの毒薬なんちゃうの?…という気がしないでもないんですが、そういえば 「ザザンボ」 で有名な渡辺文樹監督の続編で 「バリゾーゴン」 というのはありましたけど。

 …と、余計なことを書き過ぎて段落が長くなってしまったので、とりあえず改行を入れておきましたが、続いてはプーレンのソロでありますな。アダムスの派手なブロウに触発されたのか、出だしからかなりのコーフン状態にあって、早くもピャンピャン・フレーズを炸裂させそうになっておりますが、すんでのところで思い止まって、が、そのうち我慢出来なくなって、ちょっぴり漏らしちゃったりもして、ひとくされ暴れまくっておりますな。 そしてふと我に返って、ちょっぴり、はしたなかったカナ?…と反省したりもして、落ち着いた感じのテーマ部へと戻るわけですが、豪にして優!静にして動! という伊集院健のキャッチフレーズを彷彿させるような、そんな作品に仕上がっているのでありました。 次、 「フラワーズ・フォー・ア・レディ」 。 70年代ミンガスを代表する曲であると言っていいのではないかと思いますが、 「女性のための花」 でありますか。 Excite翻訳 の訳語はあまりにも直球過ぎてさほどエキサイティングではないんですが、 “女性のための花” を “為了女性的花” と中国語に訳せたりするところは、なかなか便利なんですけど。 そういえば昔、 こんな デタラメな中国語で文章を書いたりしたことがあるんですが、「わたし、中国のギャル“港楊子(コウ・ヤンスー)”アル。大学院に通っている26歳アルね。私の専攻はレーザー脱毛アル。ちょっぴり刺激的アルが、その効果は半永久的アル。」…と訳されるべき冒頭の部分を簡体字バージョンで翻訳してみたところ、 「私も中国のお母さんの“港〓子”、大学院は学の26〓を通します。私の〓が“〓席”を研究するのは毛が抜けます、少しの々のエキサイティングな〓その〓果実の半分永久でした。」 という結果が出ました。ところどころ伏字みたいになっているのが難点なんですが、まあまあいい線いってるんじゃないですかね? で、話を 「フラワーズ・フォー・ア・レディ」 に戻しますが、この曲のライブ・バージョンが ここ にあったりします。 著作権の絡みで近いうちに抹消される恐れが強いんですが、ロナルド・ハンプトンがめっちゃ高い音を出すバリサク奏者に替わっているだけで主要なメンバーは同じなので、何かと参考になるのではなかろうかと。ジョージ・アダムスの白目のむき具合はちょっと分かりにくいんですが、のけ反り具合はよく確認出来るし、でもってプーレンの超絶的なピアノ・ソロの部分など、まさしく 「百聞は一見にしかず」 といった感じでありますな。そのうち手首の骨を折るで、あんた!

 …と、この壮絶なライブを見た後では、スタジオ・セッションのほうが物足りなく思えてしまうんですが、落ち着いて演奏に耳を傾ける分には、余計な映像が無いほうが好都合だったりするんですけどね。 で、スタジオ編のほうではテーマに続いてロナルド・ハンプトンのトランペット・ソロになるんですが、この人、テーマの部分のハモり要員として招聘されているだけで、ソロ・スペースを与えられる程の実力には達していないんだね。…などと、僕は勝手な判断を下していたりしたんですが、なかなかどうして。ちゃんと立派にアドリブも出来る人だったようで、クリフォード・ブラウン直系と言ってよさそうなオーソドックスな吹きっぷりには共感が持てますな。ライブでは華がなくて駄目かも知れませんが、人前に出しさえしなければ、十分にやっていけると思います。 で、続いてはドン・プーレンのソロなんですが、人前に出ているわけではないので、ギミックな手の甲奏法もかなり控えめでありますな。誰も見ていないのに意味もなく張り切って、手首の骨を折ったりしてもつまらないですしね。 続くアダムスも地に足がついた吹きっぷりで悪くないと思うし、とまあそんなことで、リリカルな雰囲気もあるテーマに戻って、おしまい。 そういえばミンガスって、めっちゃ目に出たがりのキャラのわりには、あまりベースのソロとかやらないんだね。…という事に気が付いたりもしたんですが、続く6曲目の 「ニュー・カマー」 はプーレンのオリジナルでありますな。 オカマのことを最近はちょっと洒落て “ニューハーフ” と言ったりしますが、“ニューカマー” というのはいったい、どんなオカマなんすかね?釜飯が大好きなオカマ?…って、そんなん昔からいるめっちゃ古典的なオカマやん!…という気もするんですが、ちなみに “NEW COMER” というのは “新規参入者” といった意味なんですな。 で、曲のほうはと言うと、これはアレです。 いかにも、新規に参入したモノやな。…といった雰囲気の感じられる、ゆったりとしたモーダルな仕上がりとなっておりまして、イントロ部ではジョージ・アダムスの吹くフルートが爽やかな風を運んでくれますな。 で、テーマに入るとテナーとトランペットが絶妙なハモりを聴かせてくれることになるんですが、なんとなくハービー・ハンコックの 「ドルフィン・ダンス」 を彷彿させるような気がしないでもありません。あくまでも何となくなので、どの辺がどれくらい似ているのか?…と聞かれたりしても困るんですが、で、ソロ先発はプーレンでありますな。新規参入者らしく、あまり出過ぎた真似は控えようという方針なのか、得意のピュンピュン奏法を封印して叙情的な表現に徹しているあたり、なかなか好感の持てる好青年といった感じですね。 で、続くアダムスはアドリブ・パートに入って再びフルートに持ち替えているんですが、時おり濁ったトーンを交えたりするあたり、ちょっぴりローランド・カークのフルート・ソロを彷彿させるものがあります。 で、その後、珍しくミンガスのベース・ソロが聴かれたりするんですが、わりと地味なプレイに終始しておりまして、でもって、テーマに戻って、おしまい。

 で、オリジナルのLPではこれが最後の曲ということになるんですが、続いてはミンガスのオリジナルで 「オパス3」 という曲です。どうして7曲目に 「作品3」 を持ってくるのか、ミンガス君の意図が今ひとつ読み取れなかったりするんですが、ま、作品の出来自体は素晴らしいので、細かい話は別にいいんですけどね。 曲そのものはわりとオーソドックスなハード・バップ風のものだったりするんですが、AABA形式の “Bの部” を集団即興演奏的なコレクティブ・インプロヴィゼーションにするなど、いかにもミンガスらしい仕掛けがそこかしこに見られたりします。そこのところがちょっと賢いな。…という気がするんですが、ま、ちょっとくらい賢くないと作編曲家というのは勤まらない商売だったりしますからね。 時おりテンポを急変させるところなど、実にミンガスらしかったりするわけなんですが、個別のソロとしては、まず最初にドン・プーレンのピアノがフィーチャーされておりますな。出だしの部分では2管のユニゾンが短いフレーズで茶々を入れる形になっていて、で、終盤は参加者全員が入り乱れる乱交パーティー的なコレクティブ・インプロヴィゼーションで大いに盛り上がって、続いてアダムスのテナー・ソロになって、ハイ・テンションながらもやや落ち着きを取り戻したかな?…と思ったら、最後はやっぱり乱交になってしまって、テーマに戻って、おしまい。…と思ったら、なかなか終わらず、かなりしつこく暴れまわっておりましたが、いや、なかなかに熱くて素晴らしい演奏でありました。アダムス&プーレンのコンビは、やっぱりこうでないといけません。 で、CDにはこの後、オマケ曲が2つほど入っていたりするんですが、そのうちのひとつ、 「ビッグ・アリス」 はプーレンのオリジナルです。ちょっぴり 「フリーダム・ジャズ・ダンス」 を彷彿させる、やや意味不明な曲調だったりするんですが、ま、それなりに楽しい演奏に仕上がっていると言っていいのではなかろうかと。ロナルド・ハンプトンのややR&Bなノリのソロも楽しいです。プーレンとアダムスのソロも軽い感じで悪くないと思います。ということで、テーマに戻って、おしまい。 オマケ曲だとどうしても解説に愛が感じられない結果になってしまうんですが、9曲目は 「ザ・コール」 という曲です。コンポーザーがアンノウンな作品のようですが、フルートとミュート・トランペットで奏でられるイントロ部はなかなか荘厳な雰囲気でありますな。テーマが始まると一転してドライビングな感じになったりするんですが、作曲者が不詳なのが不思議なくらい、ちゃんとした歌モノっぽい作りになっております。 で、アダムスのテナー、プーレンのピアノ、ハンプトンのトランペットと良好なソロが繰り広げられておりまして、でもって、テーマに戻って、おしまい。 ということで、今日のところは以上です。

【総合評価】

 出だしがちょっと静かだったので、ん?…と思ってしまったんですが、最終的は、ま、期待していた通りの出来だったのではなかろうかと。 が、決して勢いだけのイケイケどんどんで終わっているわけではなく、特に中盤あたり、ちょっぴり頭がよさそうなサウンドも散見することが出来ました。全体的になかなかいいバランスではないかと思います。取り上げられている楽曲も概ね良好で、ま、いいんじゃないっすか?


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