PEPPER ADAMS QUINTET (MODE)

PEPPER ADAMS (1957/7)

PEPPER ADAMS QUINTET


【パーソネル】

STU WILLIAMSON (tp) PEPPER ADAMS (bs) CARL PERKINS (p)
LEROY VINNEGAR (b) MEL LEWIS (ds)

【収録曲】

UNFORGETTABLE / BAUBLES , BANGLES AND BEADS
FREDDIE FROO / MY ONE AND ONLE LOVE / MUEZZIN'

【解説】 (2007年06月03日更新)

<待宵草> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 待てど くらせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ

 いやあ、いいですよね、竹久夢二。 ギャルの間でも絶大なる支持を得ているわけなんですが、その人気の要因のひとつは “夢二” という名前にあると言っていいかも知れません。 “夢二”。 いかにも何だか夢見る乙女の心をキャッチしそうな名前でありまして、もしこれが “イボ痔” という名前だったりしたら、今日の彼の繁栄は無かったものと思われます。 ま、それならそれで、別の方面から人気が出そうな気もするんですけど。 で、冒頭に紹介したのはそんな夢二の有名な詩の一節なんですが、これを読んで注意力が散漫な人でない限り、ある事実に気が付かれたのではないかと思います。 僕の場合、小学校の通信簿に 「机の中の整理整頓をしましょう。」 と書かれたことはあっても、注意力が散漫と指摘されたことはなく、サンマをもっと食べましょうと注意されたこともなく、あ、そう言えば 「給食をもっと早く食べるようにしましょう。」 と言われたことはあるんですが、とにかくサンマと散漫という点に関しては特に問題のない児童でありましたので、その事実にはすぐ気が付きました。 そうです。 この章のタイトルは “待宵草” となっているにも関わらず、夢二の詩のほうは “宵待草” になっているんですよね。 どちらが正しいのかというと、僕のほうが正解です。夢二クンのほうが間違ってます。 有治クン (←僕の本名)のほうが合ってます。 ま、人間、誰しも間違いを犯すことはあるので、その事で僕は夢二クンの揚げ足を取ったりはしませんが、そもそも僕は “揚げ足” というのはあまり好きではないんですよね。 イカにしたところで、ゲソフライよりもイカリングフライのほうが好きだったりするんですが、“揚げ足” よりも “揚げ胴体の輪切” のほうが柔らかくて美味しいような気がします。 だから “待宵草” のことを “宵待草” だと思い込んでいた夢二クンに対しても、ま、そういう間違いというのはよくあるコトだよね。…と、わりと寛大な態度で接することが出来るわけなんですが、かく言う僕もその手の思い違いをしていた言葉というのがあります。 僕はずっと “付け焼き刃” のことを “付け刃焼き” だと思っていたんですよねー。 そのほうが何だか鉄板焼きとか、ホルモン焼きとか、パンダ焼きとか、根性焼きみたいな感じがして、いいかな?…とか思っていたんですが、 “付け刃焼き” でググってみたらヒット数が思いのほかに少なかったので、そこで自分の間違いに気付いて、思わず赤面してしまいました。 言われてみれば確かに、イカを醤油に漬け込んで焼いたものの事を “イカの漬け焼き” と言ったりするので、 “付け焼き刃” でもまったく問題はなかったわけなんですよねー。

 とまあそれはそうと、僕は今まで “待宵草” というのを一度も見たことがありませんでした。 いや、正確に言うと、一度も見たことがないと思い込んでおりました。 待宵草という名前は知っていても、それが一体どんな花なのかという事に関してはまったくの無知でありましたので、咲いていてもそれがそうだとは気付かなかったんですよね。 もし、その事に一生気付かないまま死んでしまうという可能性もあったのかと思うと、ま、それはそれで僕の人生において、さほど大きな影響はなかったと思うんですが、僕はある日、その事実に気付かされることになってしまいます。 きっかけは、ほんのささいな出来事だったんですが、毎日、通勤でクルマを走らせている長良川の堤防にですね、何やら黄色いお花がたくさん咲いていたんですよねー。 この堤防には春先になると菜の花がたくさん咲いたりするんですが、5月頃になるとそれとはまた違ったタイプの黄色い花が咲き始めます。 そう言えば去年の今頃も同じような黄色い花が咲いていたような気がするし、2年前は、その頃はまだお花に何の興味も持っていなかったので特に気にも留めてなかったんですが、恐らくやはり同じように咲いていたのではないかと思われます。 去年の今頃は既にお花写真に目覚めていたんですが、いつかコイツをカメラに収めてやろうと思いつつ、その野望を果たせないまま、やがてその花を見かけなくなってしまったような気がします。 で、その花が今年もまた、性懲りもなく咲き始めたわけなんですが、今年こそ、その正体を暴き出してやるぅ! 花びらをめくって “おしべ” と “めしべ” を曝け出し、アップで激写してネット上でみんなに見せびらかしてやるぅ!…という暗い意思を持って、僕は揖斐川へと向かったのでありました。 いや、長良川に咲いていた黄色いお花は揖斐川の堤防でもたくさん見ることが出来て、そっちのほうがクルマを止めるスペースがたくさんあったりするので、ぼくはもっぱら揖斐川を野草観察のフィールドにしているんですよね。

 で、現地に赴いたところ、おおっ、咲いてる、咲いてる! 咲いているのを承知の上で行ってるわけなんですが、やはり現実にお花が咲いているのを目の当たりにすると心がウキウキしますよねー。 僕はあまり雨が好きではなくて、雨季に入るとあまり気分がウキウキしなくなったりするんですが、この日は天気のほうもまずまずでありました。 ということで、1年前の5月からずっと気になっていて、6月になったらまったく気にならなくなってしまった謎の植物の正体がよくやく明かされることになったんですが、なるほど、こういうお花だったんですなぁ。 …という、このタイミングで写真のページに飛んでもらえると有難いんですが、みんなきっと最初の段階で既に見ちゃっているでしょうなぁ。 そうです。最初に見ちゃった、あの例の花です。 遠目では、おっ、女子高生か?…と思ったギャルが、近付いてよくよく観察してみたら、オバチャンやんっ!…という結果に終わってしまうことはよくあるんですが、この黄色いお花もまさしくそんな感じでした。 運転中のクルマの窓からチラっと見た限りでは綺麗に咲き誇っているように見えたんですが、近くに寄ってみると、かなりくたびれた感じなんですよねー。 僕がこのお花を見たのはお昼前の時間だったんですが、気温はかなり高くなっておりまして、その暑さにやられてしまったのか、花びらがグッタリとしおれておりました。 今回の写真が今ひとつ不出来なのは僕の腕に問題があるわけでなく、被写体にあまりにも力が無かったからなんですが、この、植物界のMr.オクレみたいな花はなんや?…と思って家に帰ってから調べてみたところ、その正体はすぐに判明しました。 “待宵草” だったんですなー、これ。

 夕方になると花を咲かせ、朝になるとしぼんでしまうことからこの名前が付いたそうですが、なるほど、だから昼間に見た時はすっかりショボくれていたんですな。 朝の通勤時間帯はまだ、かろうじて20代後半くらいのレベルを保っていたものの、11時を過ぎてすっかり○○歳になってしまったというか、いや、同じ年頃のギャルが読んでいたりすると失礼にあたるので、具体的な年齢は明記しませんが、ま、枯れかけなら枯れかけで、それなりの魅力があると僕は思うんですけどー。 更に詳しく調べてみたところ、どうやら待宵草には普通の待宵草の他に大待宵草とか、荒地待宵草なんてのもあったりするみたいなんですが、大待宵草というのは大きいんでしょうな、多分。 で、荒地待宵草というのは荒地に育つんでしょうな、多分。 待宵草などという純和風の名前がついておりますが、実は北アメリカ原産の帰化植物なんだそうで、日本に入ってきたのは明治時代のことなんだそうです。 大待宵草の場合、花の直径は8センチにもなるそうなんですが、僕が見たのはそこまで大きくはなかったような気がするので、大物ではないと判断してもいいのではなかろうかと。 で、僕の見たお花が咲いていたところは十分に荒れておりましたので、荒地系 (通称・あれっち♪) である可能性もあるんですが、あれっちは花びらと花びらの間に隙間があるのが特徴らしいので、どうやら違うのではないかという気がしないでもありません。 というか、花びらが閉じてしまっているので、今ひとつ判別が出来ません。 ま、とりあえず待宵草の仲間であることだけは間違いないみたいやから、それ以上の細かいことは、ま、エエやんっ!…という気もします。 最後に簡単に写真の説明をしておくと、花びらが開いて “おしべ” と “めしべ” がモロ見えになっているものがあったので、とりあえずアップで撮影してみたのぉ♪…というのが下のほうの作品だったりするんですが、先っちょが4つに分かれた独特の形をした “めしべ” が面白いですよねー。 僕はどの花でも断然、 “おしべ” よりも “めしべ” のほうが好きっ♪…だったりするんですが、この花の “めしべ” は黄色いヒトデみたいで、ちょっと気色悪いですよね。

 富士には、月見草がよく似合う。

 と言ったのは太宰治でありますが、いや、いいですよね、太宰。 文学青年の間でも絶大なる支持を得ているわけなんですが、太宰はダサいといった意見は、あまり耳にしませんもんね。 “月見草” というのは本来、夜に白い花を咲かせる植物のことを言うんですが、待宵草のことを月見草と呼んだりすることもあるようです。 で、太宰が富士によく似合う花として頭の中に描いていたのは実は “大待宵草” だったと言われておりますが、なるほど、富士には白い小さな花よりも大輪の “大待宵草” が似合うような気がしますよねー。 待宵草、花言葉は、移り気、温和、協調、ほのかな恋、浴後の美人。 分かるような、分からんような、特に “浴後の美人” なんていうのは、あまり花言葉らしくないような気もするんですが、お風呂上りのちょっと気怠い感じのギャルが浴衣に身を包み、待宵草の花を眺めながらパンピーを飲んでいる姿というのは、ちょっといいかも? この場合、コーヒー牛乳ではいけません。 待宵草にはやはり、黄色いパンピーオレンジがよく似合うよね♪…と、僕は思うのでありました。


<マンテマ・ニワゼキショウ・イヌコモチナデシコ???> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 待宵草で意外と引っ張ることが出来たので、後は適当に雑魚どもを片付けておきましょう。 クルマで横を通過するだけではまったく気付かなかったんですが、よく見ると揖斐川の河川敷には色々な雑草が花を咲かせておりました。 えーと、まずは (写真・いちばん上) 。 なんとなく、ふしだらな感じのする形の花びらが5枚ほどついておりますが、その下の部分には、おおっ、めっちゃ毛が生えてるやんっ! 特にタオルをくるくると巻いたような形状のつぼみの段階では、その毛深さが非常に目ざわりだったりするんですが、思わず、脱毛せえよ!…とツッコミを入れたくなるこの植物はいったい何という名前なのかと思って調べてみたら、とっても “マンテマ” でありました。 変な名前ですなー。 ディジー・ガレスピーの 「マンテカ」 と、堺すすむの 「なんでか?フラメンコ」 がすぐ頭に浮かんでしまうわけなんですが、マンテナという名前と、無駄毛の処理をすないアバウトな性格からすると、南米あたりの出身なんすかね?…と思ったら、意外にも原産はヨーロッパとのことでありました。 江戸時代の終わりか明治の初め頃に観賞用として日本に入ってきたそうですが、ちなみに同じ頃、イチジクという植物が浣腸用として日本に輸入されたんだそうですね。…といった話は一度も聞いたことがありませんな。 日本に入ってきた当時は “マンテマン” という名前だったそうですが、何となくいやらしいという理由で一部が省略されて、今の名前に落ち着いたようでありますな。 で、これ、ナデシコ科の植物なんだそうですね。 ナデシコというと 「大和撫子“春”咲きます 」 という歌が脳裏に浮かんできたりして、とっても謙虚で貞淑なイメージがあったりするわけなんですが、こんな無駄毛ギャルもナデシコの仲間だったんですなぁ。。。 で、マンテマの花は全体的に暗赤色で縁の部分だけ白いというのが普及型のようなんですが、僕の見たのは全体的に真っ白で、何かつまらん。 …ということで、次にまいりましょう。  (写真まん中) はですね、 “ニワゼキショウ” というお花です。いや、多分。 小さい花なので、ぼーっとしていると見逃してしまいそうなんですが、よく見るとけっこういっぱい咲いていたりして、で、更によく見るとけっこうラブリーでキュートだったりします。 真ん中が黄色で、花びらは薄い青系で、その境目に濃い赤紫の干渉地帯があるというカラーリングがお洒落ですよね。 花びらの先っちょの尖がり具合もなかなかいい感じです。 これまた本来、日本では見られなかった外来種なんだそうで、生まれと育ちは北アメリカ。 今ひとつヤンキーっぽくない “ニワゼキショウ” という名前は漢字で書くと “庭石菖” となって、葉っぱが何となく “セキショウ” というサトイモ科の植物に似ていて、よく庭に生えたりするから、ニワゼキショウ。 かなりいい加減なネーミングですな。 こう見えてもアヤメ科の植物なんだそうでして、こんなん、どこがアヤメやねん?…と思わずにはいられませんが、葉っぱを見ると確かにアヤメちゃんやな。…と納得するとのことでありました。 いや、僕はまったく葉っぱには注意を払ってなかったので、未だに納得してなかったりするんですけどー。

 で、続いては (写真・いちばん下) なんですが、コイツがいちばん種類の特定に手間取りました。 僕は野草・雑草関係の本を何冊か持っているんですが、それで調べてみても、どうにもこうにもよく分からんのですよね、これがまた。 そもそもコイツは一体どんなお花なのかと言うと、写真では大きさが分かりにくいと思いますが、花のサイズは5ミリ程度、真っ直ぐな茎が地面から1本、すーっと真上に伸びていて、その先っちょに1個だけ小さな青系のお花がついております。 花の下の部分がちょっぴりタマネギ状に膨らんだりしておりますが、これはいったい何の花やねん?…と、すっかり困ってしまった僕が最後の手段として頼ることにしたのは、某・お花系の掲示板なんですが、画像をアップして 「このお花は何やねん?」 と問い掛けると、詳しい人がそれに答えてくれるという、そういうシステムだったりするんですけど。 こういう掲示板にはたいてい、Webマスターでもないのに何故だかずっと住み着いている常連がいて、勝手に場を仕切っていたりしてウザいので、僕はなるべく近寄りたくないところなんですが、ちなみに僕は一度だけこの掲示板のお世話になったことがあるんですよね。 花びらが4枚、左右非対称についている何とも珍しい黄色いお花を発見して、こ、これはもしかして、今まで誰も見たことのない新種かも!?…と思って、震える心を抑えつつ、その画像を投稿してみたんですが、 「ただの花びらが何枚が落ちたヘビイチゴじゃん。」 と軽くあしらわれて、とんだ恥さらしだったりしたんですけど。 そこで今回は、なるべくへりくだった態度で、おそるおそる画像をUPしたんですが、もしかしてこのまま誰からも相手にされなかったりするかも?…という僕の心配はまったくの杞憂に終わって、すぐにレスが付きました。

 見たことがないのですが(^^;…「イヌコモチナデシコ」or「コモチナデシコ」ということは…ないでしょうか(・・?) 花の下は袋でしょうか(・・?)

 いや、すごく態度が謙虚だし、わざわざ絵文字まで駆使したりして、何とも良好なキャラではありませんかー。 で、早速 “コモチナデシコ” というのを調べてみたところ、なるほど、 こんな感じのお花 なんですな。 お花の形だけからすると、確かにビンゴ!…といった感じなんですが、花の下の袋の部分が僕の見たヤツはもうちょっとスマートな感じなんですよね。 ちょっと違うかな?…という気もするんですが、そのうち、この “コモチナデシコ説” を支持するヤツが出てきました。 いかにも常連っぽい感じのヤツで、そいつの意見を簡単にまとめると、多分、コモチナデシコの仲間だと思うが、花のアップだけではわからん! もっと、全体を写したものは無いのか?…ということなんですけど。 そんなこと言われなくたって、分かってるんだって! 分かってるんだけど、いつもお花のほうに気を取られて、全体像を撮るのを忘れちゃうんだって! 女子高生の写真を撮る時だって意識がパンツ一点に集中して、全身を撮るのを忘れてしまうんだって! だいたいからして、そもそも、お花のアップだけで種類を特定するのがプロというもんやろがっ!? …という心の叫びは決して外に出すことをせずに、オトナの僕はあくまでも下手に出て教えを請う作戦を貫いたんですが、そのうちに親切なその人はわざわざ “コモチナデシコ” の全体像の写真をUPしてくれました。 それを見てますます、ちょっと違うよな?…という気持ちが強くなったので、おそるおそるその旨を伝えてみたんですが、結局は “コモチナデシコ” の仲間であると断定されてしまって、何だかすっかり面倒になってしまったので、もういいっ!この花は間違いなく “コモチナデシコ” っ!!…ということで、もういいです。。。 でも何だか悔しいので、タイトルには3つも “???” を付けておいてやりました。


<コバンソウ> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 “猫に小判” という言葉があります。どんな貴重なものでも、その価値が分からない者に与えては何の役にも立たない。…という意味の諺でありますが、ま、確かにそうでしょうな。 猫というのは魚が大好きだったりするんですが、金目のものにはあまり興味がなさそうですもんね。 では “猫に小判ザメ” というのはどうか?…というと、これもちょと微妙ですな。 煮ても、焼いても、女体盛りにしても、あまり美味しそうではありませんもんね。 いや、何もわざわざコバンザメを女体盛りにまで持っていく必要はなくて、普通に刺身でいいぢゃん。…という気がしないでもないんですが、 「ああん、とってもコバンがお肌に吸い付くのぉ♪」 みたいなことになって、ちょっといいかな?…と思わないでもないんですけど。 が、その技が猫にも有効かと言われると、それは甚だ疑問でありまして、猫の毛まるけの体にコバンザメの吸盤はあまり効き目がないような気がしますよねー。 となると、猫にはどんな小判を与えても、やっぱり駄目なのか?…という結論に落ち着くと思われる人がいるかも知れませんが、決してそんなことはありせん。 ちゃんと、猫が喜ぶ小判だってあります。 ロッテの 「さくさく小判」 なんかはけっこう美味しいので、塩気が好きな猫だったりしたら、もしかしたら食べるかも知れないし、植物の世界で言うと “コバンソウ” なんてのは、けっこう喜ぶ可能性が高いような気がします。 いや、僕は揖斐川で初めてこの写真のような植物を目にした時、なんじゃこりゃ?…と思ってしまいましたけどね。 む、虫かぁ? 何か、見た目がかなり気色悪かったりするんですけどー。 で、おうちに帰って調べてみたところ、どうやらこれが “コバンソウ” という植物であることが判明したんですが、小判に見えるか、これ? 地中海原産なんだそうで、日本には明治時代に観賞用として入ってきたそうなんですが、こんなもん鑑賞するなっ!…と、僕は言いたいです。 こんな変な草よりも、栗林観鳥センセイの作品のほうがよっぽど鑑賞に値すると思うんですが、細い枝先に小さい穂 (?) がブラブラしている様子は、猫たんにとってはかなり魅力的かもー?  “エノコログサ” に続く植物系ねこじゃらしグッズとして、この夏、大ブレイクの予感?

 ちなみにこのコバンソウというのは、ネコジャラシと同じくイネ科の植物のようなんですが、僕は河川敷でお花の撮影に夢中になりつつも、ある体の異変に気付いておりました。 このムズムズ感と、とめど無く流れる鼻水の感触は…、も、もしかして、花粉症? スギ花粉の季節が終わって、すっかり安心して気を緩めていたところ、思わぬところで再発してしまったようなんですが、調べてみたらどうやら、この時期の花粉症はイネ科の植物が原因なんだそうで。 コバンソウ、お前の仕業かい? いや、更に調べてみたところ、とりあえずコバンソウの野郎が原因ということでは無さそうなんですが、5月の河川敷というのはどうやら、ありとあらゆるイネ科の植物が育ちまくっている所だったみたいなんですよねー。花粉症の予防対策として、イネ科の花粉はスギのように遠くまで飛びませんので、開花中の草むらに近寄ったり、中で遊んだりしないことが第一です。…などと書いてあったりしたんですが、そうとも知らず、めっちゃ草むらに近寄って、中で遊んでしもたやんっ! 今までそんな所にはあまり近付かなかったので気付かなかったんですが、僕の花粉症はスギだけではなかったんですなぁ。。。

 稲葉クン (←僕の本名) はイネ科にめっちゃ弱かった。…ということが判明したわけなんですが、イネ科花粉症の気があるギャルは、この時期あまり僕に近付かないほうがいいかも知れませんね。 ま、この時期に限らず、花粉症のギャルも、そうでないギャルも、僕のほうにはぜんぜん近付いてきたりはしないワケなんですけどー。 とまあそんなことで、今回のお花ネタは、おしまい♪

 ということで、今日はペッパー・アダムスっす。えーと、ペッパー・アダムス、ペッパー・アダムス…。ペッパー警部とドクターペッパー以外に特にネタが思い浮かばなかったので先に進みますが、この人はですね、白人のバリトンサックス奏者ですよね。名古屋の “矢場とん” と言えば味噌カツで有名なんですが、白人のバリトンと言えば、やっぱりジェリー・マリガンだよね。…というのが世の中の趨勢だったりするんですが、僕の場合、味噌カツよりもハムカツのほうが好きだったりします。それは僕の反骨精神から来るものなんですが、世の中の趨勢に刃向ったりするにはやはり、ハムカツ買ったりするのがいいと思うんですよね。ハムカツをカジり、ハンカチで汗をぬぐいながら、半ケツ。…というのが反骨を精神を示すのに最も相応しいスタイルであると思うんですが、ま、焼鳥屋で反骨するなら、軟骨という手もあるんですけど。 とまあそんなことで、世間の趨勢に刃向かいたい僕としては、マリガンよりもペッパー・アダムスのほうに肩入れしたいところなんですが、実際問題、いかにも白人らしいソフィスティケイトされたスタイルのマリガンよりも、バリバリとバリトンを吹くペッパー・アダムスのほうが僕は好きだったりします。 バリバリ系、いいっすよねー。 僕は 「バリバリ君」 という漫画が連載されていた頃の聖教新聞がけっこう好きだったんですが、 「あおぞら家族」 に変わってからは、あまり読まなくなってしまいました。…というくらい熱心なバリバリ教徒だったりするんですが、この人、見た目はめっちゃインテリ風の高校の英語の教師っぽかったりするのに、バリトンを吹かせると意外と黒っぽいブロウをカマしてくれたりするんですよねー。 とまあそんなことで、今日は 『ペッパー・アダムス・クインテット』 というアルバムを紹介しようと思うんですが、これはアレです。 あまりにも単純明快なタイトルなのでどういう作品なのかまったくピンと来ないと思いますが、モード・レーベルの1枚でありますな。 カリフォルニア州のハリウッドを拠点とするこのレコード会社はその土地柄から、蕎麦殻とガラガラの製造がさほど盛んではなかったりするんですが、あ、ガラガラというのは赤ちゃんのおもちゃの事なんですが、あんなものは、そのほとんどが中国製だったりするんでしょうな、おそらく。 で、このレコード会社はハリウッドという土地柄から、白人のウエストコーストっぽいジャズを中心に手掛けていたわけなんですが、イラストを使った独特のムードのあるジャケットがマニアの間ではお馴染みだったりしますよね。 元がイラストだけに、ジャケ絵を書く場合にはちょっとだけ気が楽だったりするんですが、リーダーの他にトランペットのスチュ・ウイリアムソンの絵まで書いてしまったのは、どう考えても余計やよな。…と思わずにはいられません。 こんな地味なサイドマンは決して表に出すべきではなくて、ジャケットの裏側に1.5センチ四方くらいの小さな写真でも載せておけばそれで十分だと思うんですが、一方、リズム・セクションに目を転じて見るとピアノがカール・パーキンス、ベースがリロイ・ヴィネガー、ドラムスがメル・ルイスとなっていて、こちらはなかなか興味深い顔ぶれとなっておりますな。とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることにしましょうかー。

 えーと、まず最初はアレです。歌物ナンバーの 「アンフォゲッタブル」 です。これはアレですよね。ナット・キング・コールゆかりのナンバーとして忘れられない1曲だったりするんですが、ちなみに僕はナット・キングがわりと好きだったりします。少なくとも、納豆菌よりはいいよな?…という気がするんですが、納豆臭いですからね、納豆菌って。 いや、菌そのものは別に臭くなくて、腐った豆のほうが臭いだけなのかも知れませんが、そもそもナット・キング・コールをキング・コールと略すことはあっても、あまりナット・キングと 言ったりはしませんしね。 で、ジャズではあまり取り上げられることがないこのポップ・チューンを、ポップな中年のペッパー・アダムスはミディアム・テンポで軽快に料理しているわけなんですが、ちなみにこのアルバムは彼の初リーダー作なんだそうで、ということは録音当時はまだ、けっこうヤングだったのかも知れません。39歳のオッサンに中年呼ばわりされる筋合いはねーや!…と思っているかも知れませんが、カール・パーキンスの軽快にして軽妙なピアノのイントロに続いて、アダムスとスチュ・ウイリアムソンが2管のユニゾンでテーマ・メロディを演奏します。種も仕掛けもない、逃げも隠れもしない、ハゲも抜け毛もない、ごく普通のハード・バップやな。…といった感じで、編曲という点ではマリガンの作風に比べるとやや平凡だったりするんですが、君は 「平凡」 と 「明星」 とでは、どちらが好きだったかな?ちなみに僕は 「平凡パンチ」 が好きでしたね。 パンチだけにちょっぴりパンツ方面に走っていた、微妙なエロさがなかなかよかったんですが、テーマに続くアダムスのソロは中庸なテンポ設定ながらも、なかなか硬派でありますなー。いかにもバリサクらしい、ず太いトーンが何とも言えずに魅力的なんですが、で、続いてはスチュ・ウイリアンソンのトランペット・ソロでありますかー。 この人はアレです。ピアニストのクロード・ウイリアムソンの実弟らしいです。…ということ以外、あまり詳しい経歴とかは不明なんですが、ちょっぴり大人しい感じのプレイをする人ではありますな。うちの人、アッチのほうはタンパクで。…と奥さんに言われがちなタイプでありまして、アッチのほうというのは無論、尿のほうであるわけなんですが、検尿のたびに蛋白で引っかかって、また再検査なのぉ?…みたいな。 で、続いてはカール・パーキンスのソロなんですが、いや、これはいいですよね。ウエストコーストの黒人系ピアニストの中ではハンプトン・ホーズに続く逸材といってもよくて、ブルージーでスインギーなプレイはインキンの痒みを酢で殺菌消毒するかのような味わいがあって、僕は好きです。 とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 何の仕掛けもない “レストランくわな・あずまや” の仕掛け花火のような演奏ではありますが、その普通なところがとってもオーソドックスで、いいですよねー。

 ということで2曲目です。 「バブルズ・バングルズ・アンド・ビーズ」 。 日本ではもっぱら 「ビーズと腕輪」 という邦題で知られておりますが、ま、最後の “beads” はそれでいいとして、 “bauble” は “安ぴか物” で、 “bangle” のほうが “腕輪・足首飾り” ですよね。 となると、正しくは 「安ぴか物、腕輪もしくは足首飾り、そして糸通し穴のついた小さなガラス玉」 と訳すべきだと思うんですが、ずいぶんと意訳しちゃったものですなぁ。 ま、 「ビーズと腕輪」 というお洒落でゴージャスな雰囲気が “安ぴか物” の一言で台無しになっちゃうことを恐れて、この部分は省略しちゃったんだと思うんですが、そういえば先日、喫茶店に入ったら隣のテーブルに祖父母と父親と孫娘という取り合わせの4人組がいたんですけどね。 幼稚園の年長さんくらいの女の子がおもちゃの指輪を並べて、 「これがダイヤ、これがサファイア、これがルビーなのぉ♪」 と楽しそうに遊んでいたんですが、それを見たバアチャンが、 「こんなんルビーちゃうやん。色が変やん。偽物のルビーやな、これは!」 などと、思いきり余計なことを言っておりました。 これでこの孫娘は将来、宝石やブランド物を買いあさる、ちょっと嫌なタイプのギャルになっちゃうに違いありませんが、ちなみに僕は “安ぴか物” がよく似合う、ちょっぴりチープな感じのギャルが好きっ♪ 「お洋服はいつも “ファッションセンターしまむら” で買ってるのぉ♪」 というのが理想だったりするんですが、演奏のほうはアレです。 アップ・テンポでなかなか元気がよかったりしております。 イントロ無しでいきなりテーマから始まって、2管のユニゾンが途中で微妙にハモったりして、でもってソロ先発はアダムスでありますか。 バリバリのハード・バピッシュな吹きっぷりがとってもダルビッシュでありまして、そういえば東北高校時代に一緒に頑張っていたメガネッシュ真壁クンは元気なんすかね? そうですかぁ。元気ですかぁ。…と、勝手に決めつけたところで、続いてはカル・パーくんの出番でありますな。 カール・パーキンスをカル・パーと略すと、軽くてパーなキャラみたいになってしまうんですが、ここでの彼は持ち味のブルージーさを封印して、バリバリのビ・パッパーなプレイに終始しておりまして、ちょっぴりバリバリのバリー・ハリスって感じぃ? で、続くスチュくんも今のところは腎臓の具合もわりといいみたいで、なかなかいい感じのアドリブを披露しているんですが、軽やかな吹きっぷりはちょっぴりクリフォード・ブラウンを彷彿させるものがありますよね。…というのは、ちょっと誉め過ぎですかね? ま、ブラウニーは無理としても、バフンウニくらいの味わいは感じられると言ってもよくて、でもって、最後の締めは ts→ds→tp→ds の8バースでありますかぁ。メル・ルイスのメルルーサ的なドラミングの切れ味も鋭く、あ、メルルーサというのは白身の深海魚なんですが、よくフライになって学校の給食に登場しましたよね。ま、さほど切れ味の鋭い白身魚フライとは思えなかったりもするんですが、それはそうとして、でもって、テーマに戻って、おしまい。いや、なかなかいい演奏だったな。…と、僕は思います。

 続いてはペッパー・アダムスのオリジナルの 「フレディ・フルー」 という曲です。 「フリでいい、風呂」 ではありません。 ま、確かに風呂に入る時はフリチンでもまったく問題はない、というか、フリチンでないとむしろ不都合だったりするんですが、水着着用のバーデゾーンが併設された施設だったりすると、混浴エリアから男女別のエリアに移動した時に、フリでいいよね、風呂?…と、ちょっと心配になったりしますよね。 自分だけパンツを穿いてなかったりしたら、ちょっと嫌だしー。 で、この曲はアレですな。音程の上下変動の激しい、純正ビ・バップといった感じの仕上がりなんですが、ソロ先発はスチュ・ウイリアムソンでありますか。この人、最初はちょっと印象が薄いかな?…という気がしてたんですが、こうして聴いてみると意外と尿も濃さそうだし、ジャケットにわざわざ顔が書かれているのも、ま、やむを得ないかな。…という気が次第に強くなってくる程度には存在感があったりして、ま、悪くはありませんね。で、続いてアダムス、パーキンスの順で良好なアドリブが展開された後、ピアノ・ソロの後半は次第にリロイ・ビネガーのベース・ソロへと移行していって、最後にはメル・ルイスのドラム・ソロまでフィーチャーされていたりします。ま、とりあえず、出せるものは全部出しておこうという考えのようでありますが、ま、確かにあまり出し惜しみしたりすると便秘になっちゃう恐れがありますからなぁ。 ということで、出す物を出してスッキリしたところで、続いてはバラード行ってみましょう。 5曲目、 「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」 。 これはアレですよね。例の鮭ライブでも演奏されていましたよね。例の鮭ライブ…と言われても何のことだか分からない人は、このページのいちばん下の “back” のボタンをクリックして貰えれば、前半の最後のところにちょっとだけ話が出ていると思うんですが、いや、僕はこの曲が好きなんですよねー。 鋤 (すき) なんかよりもずっと好きだと自信を持って言えるんですが、ただのつまらん農機具ですからね、鋤 (すき) なんてのは。 それはそうとこの曲、タイトルを口にする場合、何となく “マイのワン” と “オンリーなラブ” なんだよね。…といった感じで区切ってしまうことが多いんですが、正しくは “私のワン・アンド・オンリーなラブ” であるわけでして、ま、そんな細かいことは別にどうだっていいんですが、カール・パーキンスの弾くピアノのイントロが何とも言えずにいい感じですよね。 で、続いてペッパー・アダムスがワン・ホーンでしみじみとテーマ・メロディを歌い上げるんですが、バリトンの深い音色が心の奥までしみこむ “サクサクしっとりきなこ” といった感じで、秀逸です。以前、きなこ味の “うまい棒” というのがあったら意外と美味しいかも?…という話をどこかのコーナーに書いたら、某ギャル系読者が “きなこ味のうまい棒の輪切り” と言ってもよさそうなこのお菓子のことを教えてくれたんですが、“しみこみきなこ” が絶品っ!…といった感じで、非常に美味でありました。 とか言ってるうちに演奏のほうは終わってしまったんですが、スチュくん抜きのワン・ホーンによる、ちょっとした小品といった位置づけだったんですな、この曲。 アダムスの演奏はやや装飾過多で、肩ロースが食べたくなったりする嫌いがあるんですが、こういうプレイも僕は嫌いではありません。

 ということでラストです。 ペッパー・アダムスのオリジナルで 「ムエジン」 という曲でありますな。  “ムエジン” というのは例えば “牛川人” や “三ヶ日人” なんかと比べて、どうか?…という気がするわけなんですが、そんなものと比較してみたところで何がどうなるわけでもないので、この問題はこれくらいにしておいて、で、演奏のほうはどうなのかというと、ラテンのリズムに乗ったテーマ部がちょっぴり微妙に日本人好みで、悪くないですよね。 アドリブ・パートに入ると普通に4ビートだったりするんですが、ソロはスチュ・ウイリアムソン、アダムス、パーキンスという順番になっておりますな。 それはそうと、僕はこのスチュという名前を見るたびに、ブチュっとチュウをしたくなって仕方なかったりするんですが、ジャケットの顔を見るとスチュくんはあまり僕の好みのタイプではなかったりするので、すんでのところで思いとどまってはいるんですけど。 とまあそんなことで、ピアノ・ソロの後、ホーン・セクションとドラムスとのちょっとした絡みがあったりして、テーマに戻って、おしまい。 ということで、今日のところは以上です。

【総合評価】

 西海岸モノで、白人含有率は60%かな?…といったアルバムの概要や、ちょっと知的な感じのジャケットからイメージされるサウンドとは違って、かない黒っぽい雰囲気を持った正統派のハード・バップでありますな、こりゃ。 さほど長くもない演奏が5曲ということで、ちょっと物足りない感があったりもするんですが、ここに下手にヘンなのを1曲入れちゃうよりは、手堅くまとまっている現状のほうが無難。…といった保守的な態度が感じられて、それはそれで、まあいいか。…という気もします。 バリバリ吹くペッパー・アダムスと、ブルージーなカール・パーキンスは期待通りで、リロイ・ビネガーのウォーキング・ベースをもうちょっと前面に押し出してもよかったかな?…という気はするんですが、スチュ・ウイリアムソンは意外な拾いものだったという、そんな1枚なのでありました。


INDEX
BACK NEXT