BOSS OF THE SOUL−STREAM TROMBONE (WARWICK)

CURTIS FULLER (1960)

BOSS OF THE SOUL-STREAM TROMBONE


【パーソネル】

FREDDIE HUBBARD (tp) CURTIS FULLER (tb) YUSEF LATEEF (ts,fl)
WALTER BISHOP (p) BUDDY CATLETT (b) STU MARTIN (ds)

【収録曲】

CHANTIZED / FLUTIE / IF I WERE A BELL / BUT BEAUTIFUL
DO I LOVE YOU / THE COURT / MR.L

【解説】 (2007年04月15日更新)

 君は “くだもの” と “けだもの” では、どちらのほうが好きかな? 僕はですね、断然 “くだもの” のほうが好きです。 見た目にも可愛いですからね、“くだもの”。 それに対して “けだもの” のほうは、見た目にも汚らわしくて穢れているような気がするんですが、 “けだもの” には毛が生えているところがよく無いですよね。 “毛” というのは存在自体が穢れていて、それを毛嫌いする人も多いわけなんなんですが、もし “けだもの” に毛が生えてなくて、ただの “だもの” だったりしたら、それなりに付き合ってみるにヤブサカでないかな?…という気がしないでもないんですけど。 ただ、 “けだもの” という言葉は “毛の物” から来ているそうなので、毛の生えてないパイパンの “けだもの” というのはあまり考えられないんですが、では一方 “くだもの” には毛が生えていないのかというと、一概にそうとも言い切れず、例えばキウイなんかには毛が生えてたりしますよね。 桃にもちょっぴり生えております。 キウイがかなりの剛毛であるのに大して、桃ちゃんのほうは柔らかな “うぶ毛” といった感じで、そこがまた何とも可愛いっ♪…と思うわけなんですが、僕は “くだもの” の中では桃がいちばん好きなんですよねー。 ちなみに “けだもの” の中ではモモンガというのが結構好きだったりするんですが、日本髪の結い方では “桃割” というのにかなりソソられるものがあったりします。いいですよね、桃割。 桃割と股割と桃尻。 僕はこの3つの中では、んーと、桃尻がいいカナ♪…と思うわけなんですが、桃割というのも、少なくとも股割よりはいいなと思っております。 そんな桃好きの僕でありますので、ゴレンジャーの中では断然 “ももレンジャー” が好きだったんですが、ももレンジャーの太ももとか、もう、たまらんっ♪…ですよねー。

 とまあそんなことで、ふと思い立って太ももをお触り♪…するのは、ま、後からにして、とりあえず桃のお花を見に行くことにしたんですが、そのネタだけでとても1回分の原稿を賄えるとは思えないので、とりあえず “スモモもモモもモモのうち?” といったところから話を進めてみたいと思います。 桑名の新光堂本店の少し南側に “おすも” という名前の店があって、僕は子供の頃からずっとその店のことが気になっておりました。 そのうち、同じクラスのめっちゃ可愛い○○子ちゃんの事のほうがもっと気になるようになって、 “おすも” のことなど、どうでもよくなってしまったまま現在に至っているわけですが、大人になった今でも相変わらず “おすも” は存在しているんですよね。この店の前が僕の朝の通勤ルートになっているので、嫌でもその看板が目に入ってくるんですが、いや、そんなに嫌ならその店の前を通過する時だけ目をつぶるという手もあるんですが、そんなことをしてクルマを電柱にぶつけて、また脚の骨を折ったりしても嫌なので、嫌々ながら “おすも” の存在を視線の先に感じつつ、その先の信号を左折するという毎日を送っております。 今日は土曜日で会社に行かなくてもいいから、 “おすも” の事を気にしなくていいんだよね。…と思ってすっかり安心していたところ、 “スモモ” と書いた途端にまた思い出して、そもそもあの店はいったい何を売ろうとしているんですかね? “おすも” だから、相撲グッズか?…という気がしないでもないんですが、そんなものだけで僕が子供の頃から今まで30年間も食べていけるとはとても思えなくて、ちらっと見た限りではどうやら履物関係を商っているみたいなんですけどね。 もしかして公式サイトがあるかも?…と思ってしらべてみたところ、 『おすも通信』 というキーワードでは全然関係なさそうなサイトばかりが約538,000件ほどヒットしたんですが、 『SCFC かるがも通信』 って、関係ないやんっ! どうやら若いギャルのポートレート写真の “おすましちゃん(^-^)” というコメントに “おす” の部分が過剰反応しちゃったようですが、ちなみに 8月28日の献立は、ご飯、いわしの蒲焼、ひじきの炒り煮、味噌汁、ヤクルトでありますかぁ。 このメニューにヤクルトは合わんやろ?…という気がしないでもないんですが、 (認証保育園「昭和ナースリー」::今日のこんだて) ということなので、ま、ヤクルトもやむを得ないのではなかろうかと。 いや、保育園児が食べるにしては、ちょっと献立が渋すぎやしないか?…という問題は依然として残るんですけど。

 いずれにせよ、 “おすも” のオフィシャルサイトの名称が 『おすも通信』 であると決め付けてしまったところに敗因があったと思われるので、今度は “桑名 おすも” という無難なキーワードで検索してみたんですが、その結果、驚くべき事実が判明しました。 どうやらこの店、 “おすもゴム” というのが正式な名称らしいんですよねー。 驚くべき…という前フリのわりには、ぜんぜん大したことのない事実が判明しただけでありましたが、残念ながらオフィシャルサイトも開設されてないようなので、この話は無かったことにして、話を “スモモとモモ” に転じましょう。果たして本当にスモモもモモもモモのうちなんでしょうか?…という問題を植物分類学的に検証してみると、モモはバラ科・サクラ属の落葉小高木、スモモのほうはバラ科サクラ属の落葉小高木となっていて、おおっ、一緒やんっ! やっぱり本当にスモモもモモもモモのうちだったんですなぁ。…ということで、この問題はコンプリートに解決しました。 ちなみにスモモというのは普通のモモよりも酸っぱいからスモモ。…なんだそうで、普通のモモが英語ではピーチであるのに対して、スモモのほうはプルーン、もしくはプラムと呼ばれます。 ミキプルーンでお馴染みのプルーンって、要はスモモだったんですなー。 プルーンってもっとプルプルしているのかと思ったら、めっちゃカピカピしていて、こんなん、プルーンやなくて、カピーンやんっ!…などと、ワケの分からんことを言い出すオッサンもいたりするんですが、プルプルしている生のプルーンを乾燥させるとカピカピの干しプルーンになるわけで、決してカピーンになるわけではありません。 それが証拠に “カピーン” でサイト検索しても “日のあたる場所 「感情。」 - (゜ロ゜)・・・カピーン固凍” といった、干しプルーンとは何の関係も無さそうなサイトしかヒットしないんですが、それにしてもスモモの事を英語でプラムとも呼ぶというのはちょっと納得が行きませんな。 プラムと言えば普通は梅の実のことですもんね。 アメリカ人やイギリス人はもしかして、梅もモモのうちだと思っているのでしょうか?

 “ウメ” : バラ科サクラ属の落葉高木…って、いや、これはちょっと微妙ですな。バラ科サクラ属というところまでは同じなんですが、モモやスモモが落葉小高木であるのに対し、ウメのほうは落葉高木。ちょっと高い木なのか、普通に高い木なのか、この違いは小さいようでもあり、大きいようでもあり。 ちなみに植物分類学的に見ると、 “サクラ” というのはバラ科サクラ属の植物のうち、ウメ、モモ、アンズなどを除いた総称のことなんだそうでありまして、そうそう、サクラちゃんの仲間には “あんず” というのもあるんですよね。僕は、あんずちゃんというのも大好きでありまして、ま、果物としてはジャムやシロップ漬けに加工するのが主で、あまり生で食べるのに適さないところがネックではあるんですけど。 そういう性質は梅の実に似ていると言えるかもしれませんが、事実、梅とあんずというのは近縁種で、簡単に交雑しちゃうんだそうです。 「ああん、あんずちゃ〜ん♪」 「ああん、梅さ〜ん♪」 とか言って、愛を確かめ合っているのでありましょう。 寿司屋の梅さんってば、ヨシコ先生一筋♪…みたいなことを言って、実は影でこっそりあんずちゃんにも手を出していたりして、なかなか隅に置けませんなぁ。 とまあ、そんなあんずちゃんのお花を僕は3年ほど前に一度見に行ったことがあるんですが、その話は ここ を見て貰うとして、その時の経験が結構かなり感動的だったので、今年もまた見に行くことにして、でもって、ついでに桃たんと桜ちゃんのお花も見ちゃおうカナ♪…というのが今年の僕の春休み企画、 “甲州信州・お花三昧♪” であるわけなんですけどね。

 “三昧” 。 いい言葉ですよね。 “中華三昧” というインスタントラーメンが発売されたのは1981年なんですが、さば君、当時13歳。 味噌味、塩味、醤油味の3つの味が楽しめるから “中華三味(ちゅうか・さんあじ)” なんやなっ!…と、心の底から納得していたのに、よく見たら “味” という漢字の “口” の部分に、もう1本横線があるやんっ!…ということに気付いて、かなり衝撃を受けたものであります。 当時の中学生にとって “” というのはまったく見慣れない漢字だったので、今ひとつ意味もよく分からなかったんですが、 “三昧” というのは サンスクリット語の “サマーディ” を音訳したものだったんですな。サマーディ、サマーディ、サマーディ、サマーディ、サマーディ、三昧っ!バンザーイ \(^O^)/…という大喜利的な展開によって生まれたものと思われますが、瞑想によって精神集中が深まりきった状態のことを言うんだそうで、ラーメン食べてる場合とちゃうやんっ!…という気がしないでもありません。 中華三昧はやっぱり広東風拉麺やよなっ!…とか言ってるようでは、精神集中どころか雑念の固まりですもんね。 で、三昧がサマーディの音訳である以上、 “三” という数字自体には特に深い意味はないということになりますが、楽しいことが3つ揃っていて、めっちゃ極楽やんっ♪…という状況を示す時に “三昧” という言葉を使うと、何となくしっくり来ますよね。 3つ揃っているというと、例えば “エロ”と “ゲロ” と “グロ” とか、いや、そんなんちっとも極楽ちゃうやん!…と言わざるを得ませんが、ギャルを酔わせてエロいことをしようと思っていたのに、えらくお酒に強いコで、こっちが先に潰れてゲロまみれのグロい状況になってしまうというのはよくありますからね。やっぱり女の子は梅酒をちょっと飲んだだけで酔っ払うくらいのほうが、可愛いっ♪…と言えるかも知れませんなぁ。 で、気を取り直して、もう少し綺麗な “3つ揃い” は無いのかというと、例えば今回の“もも” “あんず” “さくら” の組み合わせと言うのは、まさしく “お花見三昧♪” と呼ぶに相応しいわけでありまして、ということで、では手始めの “ももちゃん” 、行ってみましょうかぁ。

 今回、僕は桃のお花を見に行ったのは山梨県の笛吹市というところなんですが、2004年10月12日に東八代郡の石和町、御坂町、一宮町、八代町、境川村と東山梨郡春日居町が合併して、新しい市が誕生したわけなんですな。更には 2006年8月1日に東八代郡芦川村を編入して勢力を拡大した模様ですが、笛吹(ふえふき)市というのはちょっと変わった名前ですよね。 市域に笛吹川というのが流れていることから、どうせなら “潮吹市” にしたらどうかね?…というエロいオッサンの意見は無視して、ま、無難な名称に落ち着いたというところでありましょう。 で、この町は “桃・ぶどう日本一の郷” を宣言しているように、くだものの栽培が非常にお盛んなところでありまして、 “潮吹き” などというケダモノじみた発想が入り込む余地はみじんもないわけですが、4月になるとあちらこちらの桃畑で一斉にお花が咲き乱れて、まさにこの世の “桃源郷” といった状況になるんだそうで。 桃源郷となるとこれはもう、子供の頃に月の家円鏡が好きだった僕としても、黙っているわけにはいきません。 桃源郷と円鏡では、最後の “きょう” しか合ってへんやんっ!…という気がしないでもないんですが、そういう細かい問題が些細な事に思えてしまうほど、桃源郷には大いにソソられるものを感じてしまいます。 桃の花というのは濃いピンク色をしていて、それに見慣れた山梨の人は、桜の花では何だか物足りなく思えてしまうそうなんですが、そんなことでまあ、行ってきました、山梨県。今年は暖冬の影響で桃の開花も例年より1週間ほど早く、4月7日で旧御坂町のあたりはちょうど見頃だったんですが、とりあえず “花鳥の里スポーツ広場” というところにクルマを止めて、周囲を散策することにしましょうかぁ。土曜日だし、ちょうどお花も満開なので、この “花鳥の里” には栗林観鳥センセイのファンなんかも押し寄せて、周囲の道路は大渋滞で、駐車場もあっという間に満車になっちゃうんぢゃないか?…と懸念していたんですが、いや、ぜんぜん大丈夫でしたな。 笛吹市の 桃の花まつり というのはいくつかの会場に分かれてイベントが開催されるようなんですが、 “みさか会場” の場合はイベントが4月14〜15日に設定されていたので、この日は別の会場のほうに人出が流れたのかも知れません。 麦茶の無料サービスとか特産品の販売及び特産品抽選会というのはやっていませんでしたが、その分、のんびりと桃畑を散策することが出来てラッキーだったと思います。 ハローキティ・イチゴむぎっ子チョコ なら並んででも確保したいところなんですが、麦茶にはさほどソソられるものもないしー。 そういえばこの日はイチゴ味の麦チョコの他に、せっかく笛吹市に行くんだしぃ。…というので “ふえラムネ” というのを買っておやつに持っていったんですが、結局のところ、麦チョコを食べるのも、ふえラムネをピーピーと吹くのも忘れて、ただひたすら綺麗なピンク色のももちゃんに心を奪われていたのでありました。 今度は是非、美味しい果実がたわわに実る頃に訪れて、可愛い桃たんの実を太ももに挟んで、うぶ毛のチクチク感を満喫したいな♪…と思わずにはいられませんが、とまあそんなことで、 “みさか桃源郷” の写真は、

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 とまあそんなことで、今週からは その他の楽器編 です。トロンボーンです。可愛い桃の花にはブロッサム・ディアリーのロリ声がよく似合うような気がするんですが、似合うとか似合わないとか、そのような意向は一切無視することにして、むさ苦しいカーティス・フラーです。いや、僕自身としてはフラーって、けっこう好きなんですけどね。フラーという人は、フラダンスを躍らせたら世界で58763番目、フラメンコを歌わせても世界で86972番目くらいの実力ではないかと思うんですが、ジャズの世界でトロンボーンを吹かせれば10本の指に入る名手であると言われております。もしかしたら6本の指でも大丈夫かも知れず、となると2回粗相をして両手の小指を詰めることになってもまだ余裕があるんですが、今日はそんな彼の 『ボス・オブ・ザ・ソウル・ストリーム・トロンボーン』 というアルバムを取り上げて見たいと思います。 「精神流れのトロンボーンのボス」 。 精神流れ…というのが何だか今ひとつよく分からんのですが、無理に日本語に訳そうとせず、 「ソウルフルなメインストリーム系トロンボーンの親玉」 くらいにしておくと、彼の本質が見えてくるかも知れません。 確かにソウルでストリームなトロンボーンを吹きますからね、この親玉は。 で、僕はその親玉の演奏を、飴玉を食べながら聴こうとしているところなんですが、どんな飴玉を食べようとしているのかというと、ロッテの “小春” なんですけど。 “小梅” という梅味の飴玉がありますが、あれの姉妹品として期間限定で発売されているのが小春ちゃん。 去年の小春ちゃんは白桃フレーバーだったんですが、それが今年は “あんず味” になりました。主なターゲットとして、女子高校生から主婦を想定しているそうなんですが、まったくターゲットとされていない中年男子も、ああん、あんずちゃん、甘酸っぱくって、おいちい♪…などと言いながら、舐め舐めして楽しんでおります。 センター部の杏仁風味ペーストがぐちゃっと潰れる食感と、小袋に書かれた “恋の川柳・優秀作品” が何とも甘酸っぱくってオジサンのセンチメンタリズムを激しく揺さぶるんですが、そんなことで、では、とっておきの大玉を口の中に頬張りつつ1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 まず最初はカーティス・フラーのオリジナルで、 「チャンタイズド」 という曲でありますな。 何でもいいけど小春ちゃんの大玉はかなりの大きさがあって、ああん、大きすぎてお口の中に入らないのぉ。…と言いたくなってしまいますが、ちなみに恋の川柳のほうはというと、 「ふり返る 見るといつかの 恋がある」 という作品でありました。 “いつかの恋”というと、4月5日の恋とかなんですかね? だとすれば、ほんの10日ほど前の恋ということになりますが、これがもし3月5日の恋ということなら、1ヶ月と10日ほど前ということになるんですけどね。 2月5日なら2ヶ月と10日前だし、1月5日なら3ヶ月と10日…って、きりがないのでこの辺でヤメにしておきますが、ここで言う “いつか” というのは4日の次の5日ではなくて、遠い昔のある日のことを指しているのかも知れません。というか、そうに決まってるやんっ!…と思わずにはいられませんが、分かっていても、とりあえずボケるというのが関西人の基本ですからね。 …と、ここまで書いたところで1階に降りて、お昼のぜんざいを温めていたら、下のほうからドーンと突き上げるような衝撃が。おおっ、またしても地震やんっ! 能登半島地震の時と比べると、いかにも直下型っぽい揺れ方だったんですが、震源地は三重県の中部でありますかぁ。亀山で震度5強、桑名で震度4とのことですが、気を取り直して、えーと 「チャンタイズド」 。タイトルの意味は不明なんですが、チャンタというのは麻雀の役のひとつですよね。それでえーと…、僕はまったく麻雀には詳しくないので、何の展開も無いまま先に進むことにしますが、ドンドコドンドン♪…という、いくぶん原始的なリズムに乗って登場するテーマは、ちょっぴりモーダルで、いくぶん新主流派的なテイストが漂っておりますな。 カーティス・フラーという人はメインストリーム系でも、ニュー・メインストリーム系でも、どちらでもいけるタイプの人なんですが、このアルバムにはフレディ・ハバードが参加していることもあって、ニューのほうにやや指針が触れた格好でありましょうか。 僕の場合、ソーメンと “にゅうめん” があったら、絶対に “にゅう” のほうには気持ちが傾かないタイプなんですが、乳輪ならともかく、“にゅうめん” にはさほどソソられるものがありませんからね。

 とまあそんなことはどうでもよくて、ちょっぴりモーダルで、いくぶん新主流派的なテーマに続いてはフラーのボントロ・ソロでありますか。 決して華やかさはないものの、その替わりに地味。…といった彼の持ち味がよく発揮されておりまして、とか言ってるうちにフレディ・ハバードのソロになってしまいましたが、このアルバムを吹き込んだ当時、彼はまだ期待の新人といった立場にあったわけで、ま、その期待にそれなりに応えた出来栄えと言っていいのではなかろうかと。 曲調そのものが今ひとつ地味なので、ソロの部分もさほど盛り上がらなかったりするんですが、ごく短いウォルター・ビショップのピアノ・ソロがあって、マイナー・モーダルなテーマに戻って、フェードアウトしながら何となく消えていって、おしまい。 ということで、次です。 「フルーティー」 はこのアルバムにテナー奏者、もしくはフルート奏者として参加しているユセフ・ラティーフのオリジナルでありまして、いや、これはあまり期待出来そうもありませんな。 ラティーフの書く曲は今ひとつ面白くないというので定評がありますからね。 日本語ライナーの中で高田明夫という人からも、その風貌もあってか我が国では気のどくなぐらい人気がないが…などと書かれておりますが、ま、確かにあまりギャル受けのするルックスではありませんからね。 で、ここではそんなラティーフ君がフルートを吹いて自らの復権を図ろうとしているわけなんですが、なるほど、復権を図るには福建省でウーロン茶屋さんを開くか、ギャル受けのする楽器を選ぶか、2つに1つしか方策がないですからね。 そして彼はギャル受けのするフルートという楽器に活路を見出そうとしたわけなんですが、となると曲のタイトルの 「フルーティー」 というのは “果物っぽい” という意味ではなく、 “フルートっぽい” ということになりましょうか。 で、彼のこの作戦は見事に成功して、期待度がゼロだったにも関わらず、なかなかキュートでファンキーなマイナー調の作品に仕上がっておりますな。 ラティーフの吹くフルートに、途中からフレディ・ハバードのミュート・トランペットが絡むというテーマ部のアレンジも秀逸で、そのままアドリブ・パートへと突入するラティーフの吹きっぷりも、サイドマンだから顔が直接前に出てこないことも幸いして、もしかしたら、素敵っ♪…と誤解しちゃうギャルが出てくるやも知れません。 でもって、続くハバードのミュート・ソロや、カーティス・フラーの渋いトロンボーンも節度を踏まえた渋い出来となっておりまして、ステュ・マーティンのベース・ソロまでフィーチャーされていたりして、でもって、ソロの最後を飾るのはウォルター・ビショップでありますかぁ。7分10秒という、ちょっぴり長めの演奏なんですが、なかなか充実していたな。…と、かように思う次第であります。

 で、3曲目はマイルスの演奏でお馴染みの 「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」 。 アメリカ人の発想というのは時として、日本人には理解し難いものがあったりするんですが、この曲などその最たるものですよね。 「もし私が鐘ならば」 。 鐘なんかになってみたところで、何がどうなるちゅうねん?…と、日本人の僕としては思ってしまうんですが、 「もし私がカメならば」 なら、まだ分からんでもないんですけど。 もし僕が亀だったら、あんなことやら、こんなこと。ああん、そんなことまでぇ♪…と、いろいろ楽しめそうで、いいのではないかと思うんですが、で、演奏のほうはと言うと、この曲をやる時の定番、キンコン、カンコ〜ン♪…という “学校のチャイム” で幕を開けるんですが、あのメロディを作曲したのがルイ・ヴィエルヌという人だというのを君は知っていたかな?僕は知りませんでした。そんなこと知らなくても、生きていく上では何の問題もねーや。…と思って、今まで39年間の人生を送って来たんですが、今日、僕はそれを知ってしまいました。ま、それを知ってしまったところで何がどうなるわけでもないし、ルイ・ヴィエルヌなんて名前は、一度聞いたくらいではすぐに覚えられないような気もするんですが、とにかくアレは 「幻想的小品ウエストミンスターの鐘」 という作品の一部なんだそうです。ウエストミンスターというのは何となく聞いたことがありますな。あ、ウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)に付属する時計塔 (ビッグ・ベン) が奏でるメロディなんですな。偉大なベン、略して “大ベン” の鐘の音というのは日本でも有名でありまして、で、ルイ・ヴィエルヌという人はそれをモチーフに 「ウエストミンスターの鐘」 という作品を作ったんだそうで、となると、僕が最初に見つけた このサイト の情報は、やや本末転倒のような気もするんですが、では一体 “大ベンの鐘” のメロディは誰が作曲したのかというと、バロック音楽の巨匠ヘンデルが作曲した 「メサイア」 が元になっているんだとか。 いや、どうでもいい鐘の話で思わぬ行数を費やしてしまったので、曲解説のほうは適当に済ませておきますが、ミディアム・テンポの何ともスインギーな出来となっておりますな。フラーの歌心、ここに極まり。…と、きわ剃り好きのマリちゃんも言っておりましたが、9分12秒という長きに渡ってトロンボーンのワン・ホーンという地味な編成で押し通したというのは一種のチャレンジといってもよくて、いや、なかなかのチャレンジャーですな、カーティス・フラーも。 ちなみに僕はチャレンジャーよりも “ももレンジャー” のほうが好きなんですが、トロンボーン・ソロの途中で何だかクリスマスっぽいメロディが登場したりして、なかなかに楽しめる1曲なのでありました。 スインギーなウォルター・ビショップのピアノ・ソロも大いに楽しめるし、ただその後のクソ長いベースのピチカート・ソロまで楽しめるかどうかは人それぞれだと思うんですけど。

 ということで4曲目です。これまたお馴染みのスタンダード・ナンバーで、 「バット・ビューティフル」 でありますか。 僕はこの歌がさほど好きではなくて、 “僕の心のバット・ランキング” では、「バット・ビューティフル」バットマン怪傑ズバット…という順番になっているんですが、どんな難問でもズバっと解決してくれて、何とも爽快ですからね、怪傑ズバット。 それに比べてこの 「バット・ビューティフル」 というのは、何となくメロディの展開に盛り上がりに欠けるものが感じられたりするんですが、その盛り上がらなさ具合がトロンボーンという地味な楽器にはむしろ好都合で、なんともしみじみとした名バラードに仕上がっております。 イントロ部分と最後のところで3管がハモっている以外、基本的にワンホーンで演奏されているんですが、聴いている途中で思わず爆睡してしまう若山牧水。…といった感じの仕上がりであります。あとはえーと…、特に書きたいことは無いので、次。 5曲目の 「ドゥ・アイ・ラブ・ユー」 はコール・ポーターの作品でありますな。ポーターの曲というのはジャズの世界では一般的に急速調で演奏されがちな傾向にあるんですが、ここでのフラーも例外ではなくて、息を吐き過ぎてフラフラになりそうな勢いでフラーは吹いておりますな。 聴いてるほうとしても何だかハラハラしちゃうんですが、心配はご無用、セメダインはゴム用。 いや、セメダインにも色々な種類があるので、ちゃんとゴム用を使わないとゴムの接着は困難なんですが、ところで君は “セメダイン” という社名の由来を知っているかな?僕は知りませんでした。そんなこと知らなくても、生きていく上では何の問題もねーや。…と思って、今まで39年間の人生を送って来たんですが、ちょっと気になったので調べてみました。 接合材であるセメント(CEMENT)と力の単位を表すダイン(DYNE)との造成語だったんですな。…と、ここまではさほど面白い話でもないんですが、実は裏の意味も隠されているんだそうです。 それは、時をさかのぼること約80年。時代は大正時代。当時、市場で隆盛をきわめていたのはイギリス製の「メンダイン」と呼ばれる接着剤でした。セメダインの創業者である今村善次郎は、「メンダイン」を市場から「攻め(セメ)」出すという意味で、「攻め(セメ)出せ、メンダイン」と、外国製品駆逐の闘志を込めて、開発した製品に「セメダイン」という名前をつけました。

 …と、セメダインのオフィシャルサイトに書いてありましたが、そんなことはどうでもいいので、話を曲解説に戻しましょう。ここでのフラーは急速調をモノともせず、確かなテクニックと豊かな歌心で見事にアドリブ・ソロを吹き切っておりまして、彼がJ.J.ジョンソンに負けず劣らずのテクニシャンであることが判明したと言ってもあながち間違いではないのではなかろうかと。 で、続いてはユセフ・ラティーフのソロなんですが、そういえばこの人、いたんだっけ?…という事をすっかり忘れてしまうほど、2曲目以外はほとんど存在感が無かったんですよね。 久しぶりに与えられたチャンスを最大限に活かすべく、えげつないまでの個性を発揮するのかと思ったら、そうでもなく、意外と淡白であっさりとしておりますな。 くどいキャラはギャルに受けないというのを学習したんでしょうか? その分、個性が希薄で今ひとつ面白みが無いんですが、続くフレディ・ハバードは新しい時代を予感させるフレッシュなハニーフラッシュ。…といったプレイを展開しておりまして、いや、僕はけっこう好きなんですよね、 「キューティーハニーの歌」 。 「韓国版キューティーハニー」 は、 “イヤよ、イヤよ、イヤよ、見つめちゃイヤぁ〜ん♪”の部分が “田代、田代、田代、ちゃんと亡命しろ〜♪” に聞こえるというのでちょっと有名になりましたが、それはともかくとして、僕は 「日本語版キューティハニー」 をロリ声で歌うギャルというのが、かなり好きっ♪…だったりします。 とまあそれもともかくとして、トランペットのソロに続いてはピアノ・ソロでありますか。このアルバムではウォルター・ビショップの正統的なプレイが演奏全体を引き締める “トレーニングボトム” のような役割を果たしていると思うんですが、いいですよねぇ、トレーニングボトム。矯正用下着にしては、なかなか色っぽいのではないかと思います。 ぼっとん便所に続いて、これからはトレーニングボトムの時代やっ!…と僕は睨んでいるんですが、とか言ってるうちに演奏のほうは tb→ds→ts→ds→tp→ds の4バースに入りましたな。いかにもハード・バピッシュな展開で大いに盛り上がったところでテーマに戻って、最後はフェードアウトして、何となく音が消えていったところで、この曲はおしまい。 いや、なかなか出来のいい演奏だったので、最後はもうちょっとビシっと決めて欲しかったような気もするんですが、ということで、残るところあと2曲となりましたな。

 フラーのオリジナルで幕を開けたこのアルバムは、最後の2曲に再びオリジナルを持って来て幕を下ろすことになるんですが、6曲目は 「ザ・コート」 という曲です。 えーと、コート、コート…。特に何も思いつかないので先に進みたいと思いますが、あ、その前に簡単に曲の解説だけ書いておきますかね? この曲はアレです。ミディアム・ファストのスインギーなナンバーです。いかにもフラーらしいマイナーなムードが横溢していて、なかなか秀逸ではあるんですが、アルバムの最後を飾るにはちょっと曲調が陰気ですかね? 局長が陰気だと、局員としてもどうしても気分が盛り上がらなかったりするんですが、ま、局長が直腸フェチだったりするよりは局員としても働きやすいとは思うんですけど。 で、演奏のほうはと言うと、テーマ部はピアノ・トリオをバックにしたトロンボーンのワン・ホーンで、そのままアドリブ・パートへと入っていくわけですが、フラーのソロは富良野の空のような爽やかさがあって、悪くないですね。いや、綺麗ではありますが、あまり面白くない例えになっちゃいましたが、以下、フレディ・ハバード、ウォルター・ビショップ、ユセフ・ラティーフの順で各自のソロが繰り広げられます。 中ではラティーフのプレイがカフェラテ豆腐のプルーン煮込みのような感じで、悪くないと思います。いや、綺麗でも面白くもなければ、意味さえよく分からん例えになっちゃいましたが、そんなことでまあ、テーマに戻って、おしまい。 で、アルバムの最後を飾るのは 「ミスターL」 という曲です。 「ミスター・エロ」 ではありません。世の中には確かに “ミスター・エロ” と言いたくなるようなエロいおっさんがいたりするものですが、その点、僕なんかはさほどエロくも無ければ、それほど偉くもない。そんな、ちょうど適切なスタンスに位置していますよね。課長代理って、何とも実に微妙な偉さ加減の役職なんですが、で、曲のほうはというと、ミディアム・テンポの何ともソフトな仕上がりとなっておりまして、フラーの人柄が蕎麦殻よりもマイルドであることを如実に示していると思います。けっこうガラガラしてますからね、蕎麦殻。 パンツの模様にするにしても、蕎麦柄というのはちょっと問題かな?…という気がするんですが、やっぱりお洒落なのは貝柄のパンツですよね。ハマグリ柄とか、ちょっといいかも?…といった問題はさておいて、演奏のほうはどうなっているのかと言うと、テーマに続いてトランペットのソロが出てくるところは今までには無かったパターンで、よいのではないかと思います。ここでのハバードはさほど先鋭的ではなく、どちらかと言うと遠泳的だったりするんですが、それに続くユセフ・ラティーフのテナーはヨゼフ・カラサンス的でありますな。 いや、高校生の頃、下級生がよく歌っていたんですよね、 「ヨゼフ・カラサンスの歌」 。どういうわけだか僕たちの学年ではその歌を教えて貰えなかったんですが、ま、 「きよしこの夜」 のスペイン語版を教えて貰ったから、いっかぁ。…という気はするんですけど。 ヨゼフ・カラサンスなどという、ちょっぴり枯山水の庭が好きそうな人のことなど、海星高校の卒業生以外は誰も知りませんしね。 ということで、最後にフラーのソロがあって演奏がそこそこ盛り上がったところで、テーマに戻って、おしまい。 ということで、今日のところは以上です。

【総合評価】

 全体的にコンパクトにまとまったイルズン神父のような作品であるな。…というのが僕の率直な感想であります。…って、またしても海星高校の卒業生でなければ知らないような名前が登場しましたが、エウヘニオ・モンレアル、ヘスス・ラカラ、ホセ・ルイス・イルズン、ザビエル・イラオラというのが僕の在学当時のスペイン人四天王だったんですよね。中ではザビエル君が名前のキュートさと人柄のよさで生徒からの信望が厚かったんですが、ヘスス・ラカラくんは蕎麦殻のような性格で、付き合っていくのにちょっと辛抱が必要なキャラでありました。 で、イルズン神父はというと、顔がコンパクトであるという、ただその1点だけで勝負をしていたんですが、参加メンバーのオリジナルとスタンダード曲とのバランスもよく、全体的に破綻の無い演奏が展開されていて、でも何だかちょっぴりインパクトが希薄。…というところが、なんとも実にイルズン的であると思うのでありました。


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