BOTTOM GROOVE (JAZZLAND)

WILD BILL MOORE (1961/1/25,7/7)

BOTTOM GROOVE


【パーソネル】

WILD BILL MOORE (ts) JOE BENJAMIN (b) BEN RILEY (ds)
RAY BARRETTO (conga) JUNIOR MANCE (p) <#1-7> JOHNNY "HAMMOND" SMITH (org) <#8-13>

【収録曲】

HEAVY SOUL / A GOOD'UN / TEARIN' OUT / WILD BILL'S BEAT
THINGS ARE GETTING BETTER / BUBBLES / JUST YOU , JUST ME
SISTER CAROLINE / BOTTOM GROOVE / MY LITTLE GIRL
DOWN WITH IT / SEA BREEZES / CARAVAN

【解説】 (2007年03月18日更新)

 3月ですなぁ。3月と言えば卒業の季節です。 ということで今日は 「蛍の光」 について考えてみたいと思うんですが、僕が桑名市立日進小学校を卒業する時、みんなでこの歌を歌いましたか? いや、そんなことを聞かれても、僕の同級生でない限り、この質問には答えづらいと思いますが、この歌はもともと、スコットランドの民謡なんだそうですね。 スコットランドと言えば “チェルシー” だよねっ♪ と、僕はずっと思っていたんですが、この歌の故郷でもあったわけです。 ちなみに、“ほ〜ら、チェルシ〜ぃ〜、もひとつ、チェルシ〜♪” という 「チェルシーの歌」 はスコットランド民謡ではなくて、小林亜星の作曲らしいんですが、 「パッとサイデリアの歌」 と並ぶ、亜星クンの最高傑作であると言っていいと思います。 で、チェルシーの最高傑作と言えば何と言ってもヨーグルトスカッチだと思うんですが、バタスカやコヒスカよりも、断然、ヨースカだよねっ!…と、赤須賀出身の漁師の息子も言っておりました。 確かに僕もその通りだと思います。 クドいですからね、バタースカッチ。 苦いですからね、コーヒースカッチ。…という気がするので、分かりやすいヨーグルト味がお子様には一番だったんだと思いますが、そんな僕もオトナになって、バター味やコーヒー味も美味しいと思えるようになっては来たんですけど。 バターの味が分からないようでは、立派なバター犬にはなれませんからね。 とまあそれはそうと 「蛍の光」 なんですが、作曲者不詳なんだけど、とりあえずはスコットランド民謡らしいと言われているあの曲に詩を付けたのは、稲垣千頴という人らしいです。 同じ “稲系” の人間として、本名が稲葉クンである僕はこの稲垣クンにちょっぴり親近感を覚えたりするんですが、ただこの詞は小学生にはちょっと分かりにくいところがありますよね。 蛍の光、窓の雪〜、文読む月日、ふふふ〜んふふ〜ん♪…と、僕の場合はこの時点で歌詞があやふやになってハミングになってしまうんですが、そもそも “蛍の光” とか “窓の雪” というのはいったい何を意味しているのでしょうか?

 …という話は、小学生時代に先生の話をよく聞いていた児童であれば、何となく覚えているのではないでしょうか。 昔は電気が無くて夜になると真っ暗になったんやけど、昔のエラい人は蛍を集めてその光で本を読んだり、冬には雪を窓のところに集めて、その明るさで勉強したりしたんやよ。エラいねっ。…というような話を担任のナカヒロ先生がしてたような記憶があるんですが、それを今でも覚えているということは、当時の僕は先生の話をよく聞いている、とっても感心な児童であったわけですな。 ただ、言ってる内容そのものにはかなり疑問があったりするんですが、この “蛍の光、窓の雪” の出所は、おそらく古代中国の故事成語ではないかと思われます。 “蛍雪の功” なんて言葉もありますしね。 ちょっと調べてみたところ、蛍の人と雪の人はそれぞれ違う別の人だったようで、蛍のほうは東晋の時代の車胤という人なんだそうです。 で、僕が疑問に思っているのは、果たして蛍の光で本が読めるのか?…という、たいへん素朴なものだったりするんですが、蛍の光なんてのは微々たるものですよね。 僕は 「ほたる」 という名前の裏本なら見たことがあるんですが、本物の蛍はまだ一度も見たことがないので、あまり大きな事は言えないんですが、蛍の光で裏本の 「ほたる」 をじっくり鑑賞しようとすれば、かなりの数の蛍が必要なのではないでしょうか? 試しにちょっと計算してみましょうかね?

 蛍1匹が放つ光の量は平家蛍と源氏蛍とでは違いがありますが、僕は “源氏パイ” というお菓子がけっこう好きなので源氏のほうで考えることにすると、1匹あたり平均して 1.58[Hotarun] であると言われております。 で、本を読む時に目が悪くならない最低限の光量がおおよそ 2800[Hotarun] ということなので、割り算してざっと源氏蛍が 1772匹強は必要ということになりますか。 果たしてこの計算が正しいのかどうかと言うと、1.58 とか 2800 といった数字が単なる僕の思い付きである以上、自信を持って、何の根拠も無いっ!…と言い切れるわけなんですが、そもそも [ホタルン] などという単位からしてかなり怪しいですからねー。 もう少しちゃんとした人の計算によると、どうやら蛍1万匹でようやくロウソク1本分の光ということになるそうですが、裏本をじっくり鑑賞するには、ロウソク1本では少し心許ないような気がします。やはり3本は欲しいところなんですが、ちなみに 「ほたる」 というのはノーマルな内容だったんですが、これがもしSM系の作品だったりすると自分でも試してみたくなっちゃうので、さらに2本ほどロウソクが余分に必要になってくるかも知れません。 ま、こればかりは蛍で代用するわけにはいかないので、明かり用に確保する必要があるのは3万匹ということになりますか。いや、1772匹でもかなり大変だと思ったのに、それどころの騒ぎではありません。3万匹もの蛍を捕まえるだけの根性と裏本を見る暇があるのなら、そのエネルギーを勉強に回したほうが賢明なような気もします。もっとも、車胤クンが裏本鑑賞に血道を上げていたという故事はどこにも伝わっていないので、その一時を持って彼を非難するわけにはいかないんですけどね。

 いずれにせよ “蛍雪の功” とか、二宮金次郎とか、学校の先生が道徳の時間に教えてくれる内容というのは、どうも説教臭くてよくありません。 で、一方の稲垣千頴クンはというと、さすがは “稲系” のキャラだけあって、なかなか洒脱なセンスも持ち合わせているようです。 どこの部分を言ってるのかというと、僕がなかなか思い出せない1番の歌詞の後半なんですが、ここにはこんなフレーズが登場しております。

 いつしか年も、すぎの戸を 明けてぞ、今朝は別れゆく〜♪

 これは恐らく年が “過ぎる” という意味と、材木の “杉” とを掛けてあるんだと思いますが、こういう “その手は桑名の焼き蛤” と同レベルの発想というのは、僕はけっこう好きです。ヤルじゃん、稲垣っ! ということで、次です。 「仰げば尊し」。 これまた卒業式の定番ソングなんですが、 「蛍の光」 よりも更に歌詞が意味不明だったりするので、中学生レベルの作品と言えるでしょうか。 僕が桑名市立陽和中学校を卒業する時、みんなでこの歌を歌いましたか?…と、またしても同級生に問いかけなければなりませんが、この歌の冒頭に出てくる 仰げば尊し、わがしの恩♪…の “わがし” って、饅頭とかヨーカンのことでは無かったのか!…という事に気が付いて、目から鱗が落ちる思いをしたという人は少なくないと思います。 かと言って、それほど多くもないとは思いますけどね。 世の中、そんなアホな中学生ばかりでは、日本の将来がちょっぴり心配になってしまいますが、 “和菓子” と “我が師” の区別が付く聡明な生徒でも、なかなか理解しにくいフレーズが登場したりもするんですけどね。 例えば、1番の最後のところに登場する “今こそ分かれめ” という部分。 これはいったい何を意味しているのでありましょうか? これがもし “今こそアタリメ〜♪” であれば、イカを乾したヤツを火であぶってマヨネーズを付けて食べようとしているのだろうな。…と、すぐに分かったりするんですが、相手は “アタリメ” ではなくて、 “分かれめ” ですからね。 こうなってくると国語教師(古文担当)にお出まし頂くしか無いんですが、これはアレです。いわゆる “係り結びの法則” というヤツらしいです。 “今こそ” の “こそ” の部分を、最後の “” で結んで、意味を強調する。 どうやらそういうことらしいんですが、そういう小難しい事を言ってるから、だんだん卒業式では歌われないようになってしまったんでしょうな。 今どき、学校のセンコーを尊ぶような風潮は絶滅の危機に瀕しているという一面もあるでしょうし。 唯一、尊敬出来るとすれば、3年B組の金八先生くらい?

 ということで、僕たちが中学生だった頃には、卒業式に海援隊の 「贈る言葉」 を歌うというのが流行ったりしました。 今でも歌われているんですかね? 少なくとも去年の暮れの会社の忘年会兼ナガナワ所長代理送別会の2次会の席では歌われてましたけどね。 誰が歌ったのかというと、ナガナワ所長代理なんですけど。 「送られる立場の人間が “贈る言葉” を歌ってどうすんのや?」 と、所長からツッコミを入れられておりましたが、お得意の 「あかとんぼの歌」 か、香田晋の 「酒場の金魚」 を歌っておけばそれなりに場も盛り上がったであろうに、最後まで場の空気を読めない所長代理でありましたなぁ。。。 ま、名残惜しい気持ちが一掃されて、何の未練も残さずに去っていってくれた点は高く評価していいと思うんですけど。 で、彼が歌ったことによって穢されたからというワケでもないんですが、僕はこの 「贈る言葉」 というのがさほど好きではなくて、ではいったい卒業式では何を歌ってみたいのかと言うと、これはもう斉藤由貴の 「卒業」 で決まりでしょう。 制服の〜、胸のボタンを♪…という、例の歌ですな。 その後は、ふふふふふふふん、ふふふふんふ〜ん♪…とハミングが続いて、ほんの最初の2小節くらいしか正確な歌詞を知らなかったりするんですが、制服の胸のボタンを下級生たちにねだられ、なんとかかんとか逃げるのね、本当は嬉しいくせにとか、何かそのような内容でしたっけ? で、この “制服のボタン” というモチーフは、今の時期にはぴったりだよね♪…と僕が思っているもう1曲、柏原芳恵の 「春なのに」 にも登場します。 こちらのほうは中島みゆきの作詞作曲だけあって、ちょっぴり切ない歌に仕上がっております。

 記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます〜

 捨てるんなら、貰うなって!…などと、乙女心をまったく理解しない鈍感な発言をしてはいけません。この行為には何と言うか、とても一言では言い表せないような複雑な想いが込められているわけなんですが、ところでこの、卒業式に好きな男の子から制服のボタン貰うというのは、いったい何時頃から始まったものなんでしょうね? 少なくとも僕が学生だった頃には既にそういう風習があったんですが、ちょっと調べてみたところ、どうやらそのルーツは太平洋戦争の頃にあるみたいですな。嘘か本当かは知りませんが、何でも戦地に赴く若者がセンチな気分になって、愛する彼女に形見として軍服の第2ボタンを外して渡したのが始まりなんだとか。 どうして第1ボタンでも、第3ボタンでも、第4ボタンでも、第5ボタンでも、中田カウス・ボタンでもなくて、第2ボタンなのかと言うと、心臓に一番近いところにあるボタンだから。確かそんな理由だったと思います。 ま、確かに第4ボタンとか第5ボタンのあたりだと、斉藤由貴の例の歌も、制服の〜、腹のボタンを♪…ということになってしまって、乙女心を揺さぶるにはどうかと思いますもんね。 で、 “制服の第2ボタン” の同様、僕が激しく心を揺さぶられるものに “白線流し” というのがあるんですが、これは男子生徒の学帽の白線とセーラー服のスカーフを一本に結んで川に流すという、そういった風習であります。岐阜県高山市にある岐阜県立斐太高等学校というところで行われている伝統行事なんですが、何と言っても “白線流し” というネーミングが素晴らしいですよね。 これがもし “白癬タムシ” という名前だったりしたら、めっちゃ股が痒そうやんっ!…という気がするだけで、決して乙女心を揺さぶるような行事にはならなかったものと思われます。

 ところで僕の中学校の卒業式はどうだったのかと言うと、無論、制服の胸のボタンをねだられるというのは大いに想定されるところでありました。 下級生たちにねだられるだけでなく、一緒に卒業する同級生の女の子にも狙われるだろうし、あるいは女教師からも強奪されるような事態になっちゃうかも知れません。 無論、ひとつしかない大切な第2ボタンは、いちばん好きだった○○子ちゃん (誰や?) にあげるとして、補欠で申し訳はないんですが、第1ボタン、及び第3〜第5のボタンなんかも、請われれば惜しげもなく分け与える覚悟は出来ております。もしかしたら全部で5個では足りなくて、ボタンをあげられない女の子が出てくると可哀想やな。…と思って、優しい僕は予備のボタンをひとつ、ポケットの中に忍ばせておいて、これで準備は万端。 どっからでもかかってこーいっ!…と身構えていたんですが、結局、まったく誰からも声を掛けられることもないまま卒業式は滞りなく終わってしまって、うなだれて校庭を後にした僕は3年間通い慣れた通学路の途中で、ポケットの中のボタンをそっと暗いドブに捨てたのでありました。 おしまい。

 ということで今日はワイルド・ビル・ムーアなんですが、誰やそれ?…とか言ったりしません。 僕はこの人のことをよく知っているんですが、というのも、かつてジャズ人名俳句に血道を上げていた頃に題材としてジャズマンの名前をリストアップしたことがあるんですが、その中に彼の名前はちゃんと入っておりました。 誰やそれ?…と思いつつ、その名前を俳句に詠み込んだものでありますが、その時の一句というのが確か、 「田んぼには、わー、いるど蛭、うーわー。」 というものではなかったかと。 小学生の頃、学校の近くの田んぼを借りて米作りを体験した時の情景を詠んでみたんですが、田んぼの中にいたんですよね、蛭が。脚に吸い付かれた時は思わず、「うーわー!」 と声を出してしまいましたが、世の中にこんな嫌なヤツがいてもいいのかと思ってしまうほど、極限まで嫌なヤツだったりしますよね、蛭って。 で、ワイルド・ビル・ムーアに関して僕が知っていることと言えば、世の中にはそういう名前のジャズマンがいるらしい。…という、ただそれだけの知識なんですが、CDショップで彼の名前を見掛けて、蛭の句を思い出して懐かしくなって、思わず買ってしまったのがこの 『ボトム・グルーヴ』 というアルバムなんですが、輸入盤CDにありがちな 2in1 仕様となっているんですよね。 カップリングされているのは 『ワイルド・ビルズ・ビート』 という作品なんですが、CDに使われているジャケットとオリジナル盤との関係がどのようになっているのか、僕にはよく分かりません。 オリジナル至上主義の僕としては何とか正規の形で紹介したかったんですが、調べてもよく分からなかったので、もうどうだっていいです。 とりあえず曲解説のほうは2枚分押さえておこうと思うんですが、この2つの作品はサイドマンの大部分が共通だったりするんですよね。 ベースのジョー・ベンジャミン、ドラムスのベン・リレイという “ベンベン・コンビ” に、コンガのレイ・バレットがおまけ参加するという形なんですが、もうひとりの部分で大きく違ってくることになります。 CDでは前半を占めることになる 『ワイルド・ビルズ・ビート』 ではジュニア・マンスがピアノを弾くことになるんですが、では、そちらのほうの作品から聴いてみることにしますかね?

 ということで、まずは1曲目。  「ヘビー・ソウル」 という曲です。 とってもヘビーなソウルを感じさせる曲でありまして、ワイルド・ビルのテナーはとってもワイルドです。そんだけ。 いや、今日は13曲も紹介しなければならない上に、土曜日は会社で書類作成、日曜日の今日も半日ほど現場作業が入って原稿を書く時間が残り少なくなってしまったので、半分おまけ扱いの 『ワイルド・ビルズ・ビート』 のほうは真面目に解説する気になれないんですが、2曲目は 「ア・グッド・ウン」 という曲でありますな。 タイトルは 「良い運」 といった意味なんでしょうか? 運がいいとか悪いとか、人はときどき口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見てて、そう思う〜♪ と、さだまさしが歌っておりますが、そういうことは確かにあると思います。運が悪くて運河に落ちる人とか、確かにいますもんね。 で、曲のほうはというとヘビーなソウルを感じさせる仕上がりとなっておりまして、ワイルド・ビルの吹くテナーはかなりワイルドです。 この人がとってもワイルドなキャラであるというのはジャケットの写真でその顔を見れば何となく分かるんですが、タイプとしてはテキサステナー系ソウル派と言ってしまっていいんでしょうか? あ、ヤル気が無いあまり、1曲目のところで書くのを忘れておりましたが、この人は時おり、ぶぉぶぉぶぉぶぉ♪…といった下品な感じの低い音を出したかと思ったら、テナーでこんな高い音まで出せるのか?…と思ってしまうようなハイノートをヒットさせたりして、特に 「ヘビー・ソウル」 の最後のところなど、かなりハイになっておりました。 対して2曲目のほうは下品な低い音が目立つ感じでありましたが、ちなみにこれはワイルド・ビルとジュニア・マンスの共作ということで、いかにもマンスらしいゴスペル・ライクな作品に仕上がっているのでありました。 。

 ということで、3曲目です。 「ティアリン・アウト」 。 これはアレです。なかなかノリのいいナンバーです。 で、ヤル気が無いあまり書くのを忘れておりましたが、1曲目からここに至るまで、ワイルド・ビルくんはどうやらストップ・タイムがお好きであるらしく、テナーのバックでリズムが止まるというパターンがよく聴かれるんですが、この3曲目ではそれとは別に、運動会や競馬の場面でよく聴かれるメロディを引用したりして、終始リラックスしたムードのお下劣ジャズ。…といった感じの仕上がりになっております。ハッピーにスイングするマンス君の黒っぽいピアノもよろしいですな。コンガのリズムも邪魔にならない程度に軽快だったりします。 で、4曲目はアルバム・タイトル曲の 「ワイルド・ビルズ・ビート」 でありますか。 とってもワイルドなビートに乗ったビルズやな。…といった感じの曲だとばかり思っていたら、いきなり地味にベースのピチカートで始まったりして、ちょっぴり意外だったりしたんですが、テーマが始まってみれば割と普通にオーソドックスなブルース・ナンバーでありますな。 演奏のほうも割と普通にブルースしていて、ま、それなりにブルースだと思います。 で、続いては 「シングス・アー・ゲッティング・ベター」 という曲なんですが、これはキャノンボール・アダレイのオリジナルでありますな。 そういえばこのアルバムは何となくプレスティッジなイメージがあったんですが、実を言うとジャズランド盤だったりして、言われてみればジュニア・マンスという人選は確かにジャズランド的ですよね。 あるいは若手ジャズマンの育成強化の役割を担っていたキャンボールの推薦でこのアルバムを吹き込むことになったのかも知れませんが、いや、顔を見る限りではとても若手とは思えないんですけどね、ワイルド・ビル・デイビス。 ま、いずれにせよ、 「万事上向きになってきた」 というタイトルの通り、何ともハッピーな雰囲気の漂う曲でありまして、相変わらずテーマ部ではストップ・タイムを使って喜んでおりますが、そういう屈託のないところがワイルドなビル君のいいところなのかも知れません。

 次。 「バブルズ」 。 これまたなかなかハッピーな感じの曲でありまして、テーマの途中に “ぶぉぶぉぶぉぶぉ♪” …という、お得意の下品な低音部をいきなり持ち出してきたりして、でもって7曲目は 「ジャスト・ユー・ジャスト・ミー」 でありますか。このアルバムで唯一の歌物なんですが、コンガのリズムが軽快な、とってもノリのいいナンバーだと思います。 ということで、前半はおしまい。 ここからは気分を変えて、改めて 『ボトムズ・グルーヴ』 というアルバムを1曲目から取り上げていこうと思うんですが、ジュニア・マンスというピアニストがけっこう好きな僕としては、メンバーがオルガンのジョニー・ハモンド・スミスに代わってしまう後半のセッションは今ひとつ期待の度合いが低かったりするんですよね。 コテコテ系のテキサス・テナーにオルガンとコンガ入り。 これでは到底、オシャレなサウンドは期待出来ませんよね。 ホワイトデーのお返しって、キャンディーとかだよね?…というので “ナニワのソフトこんぶ飴” を贈っちゃうようなセンスの演奏であるものと思われ、貰ってもただ迷惑なだけのような気がします。 どうせ昆布を贈るのなら “都こんぶ” やろ?…という気がするわけなんですが、 “都こんぶ” の表面にまぶしてある甘酸っぱい白い粉はこの上なく優れていて、絶品ですからね。微妙に白っぽいからホワイトデーにも十分通用すると思うんですが、あの粉を “ハッピーターン” みたいに煎餅にまぶしてみたら、けっこうイケるかも知れません。 亀田も “ふんわり名人” のパクりみたいな “なごみの実” なんか作ってないで、 “都こんぶターン” の開発に着手するべきだと思います。いや、ネーミングのほうはあまりにも垢抜けないので、もう少し何とかしなければならないと思うんですけど。 とまあ、今ひとつ期待薄だったオルガン入りのほうのセッションなんですが、オリジナルのLP単位で考えると1曲目に当たる 「シスター・キャロライン」 は、実際に聴いてみたら何とも言えずにいい感じなんですよねー。 どこかで聴いたことのあるような、ベタなゴスペル・ナンバーやな。…と思ったら、これはナット・アダレイのオリジナルだったんですが、出だしの部分はコンガとドラムスとテナーだけでシンプルに演奏して、途中からオルガンが出てきて、ムードが俄然としてアーシーになるという演出は、なかなかよく練られていると思います。 もう、お祭りの屋台で売ってる “練り飴” って感じぃ? あれ、見た目にはけっこう美味しそうなのでついつい買ってしまうんですが、食べてみたら水飴の味しかせえへんやんけ!…というので、かなり不満だったりします。 ま、練り練りするのを楽しむのが本筋であって、味のほうは別にどうだっていいのかも知れませんけど。 で、テーマ部に続いてワイルド・ビルのテナー・ソロになるんですが、この人はこの手のミディアム・テンポでいちばん実力を発揮するような気がしますな。 大らかな節回しは大人としての人生の余裕のようなものを感じさせ、セコセコしない姿勢は瀬古利彦にも大いに見習って欲しいところです。解説者になってからの瀬古クンはどうも落ち着きが無さ過ぎて見苦しいですからね。 ということで、続いてジョニー・ハモンド・スミスのソロがあったりするんですが、オルガンというのは僕の場合、誰の演奏でも基本的に同じようにしか聴こえなかったりして、ジョニ・ハモくんの実力のほどはサダカではありません。 で、オルガンに続いてはベースのピチカート・ソロがフィーチャーされるんですが、このジョー・ベンジャミンという人はアレですよね。便所で、じょ〜っと用を足しているような雰囲気が感じられて、なかなかいいですよね。ま、演奏そのものはかなり地味だったりするんですけど。 とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。

 2曲目はアルバム・タイトル曲の 「ボトム・グルーヴ」 でありますな。 グルーヴという言葉はジャズ以外でも使われるようになりましたが、日本語では説明のしようがない、要するにグルーヴィな感じを表現する言葉ですよね。 で、それが 「ボトム・グルーヴ」 となると、恐らく “ぼっとん便所のようなグルーヴ” ということになろうかと思いますが、なるほど、コンガで始まり、オルガンが絡み、そこにテナーが出てきて、こんにちは♪ (← 「どじょっこ、ふなっこ」 の節で。) …といった、何ともグルーヴな仕上がりとなっておりますな。 この手のタイプの曲は好きかと聞かれると、さほどでもなかったりするんですが、ま、ワイルドなビルのムーアだしぃ。…という理由で、何となく許せてしまいそうな気はします。 出だしこそミディアム・スローでもっさりとした感じがあるんですが、ソロに入ると倍テンポっぽくなって、大いに盛り上がってますしね。 で、続いてオルガンのソロがあってそこそこ盛り上がって、更にはベースのソロがあって今ひとつ盛り上がりきれなくて、でもって、テーマに戻って、おしまい。 アルバム・タイトル曲としては、ちょっぴりインパクトが薄いか?…という気がしないでもないんですが、ま、世の中、薄いほうがいいという物もたくさんあったりしますからね。それは何かと言うと、例えばえーと…、亀田の “サラダうす焼” とか。あとはえーと…、特に思い付かないので先に進みます。 3曲目は 「マイ・リトル・ガール」 ですか。歌モノっぽいタイトルなんですが、ワイルドなビル君のオリジナルなようでありまして、彼のロリ好き趣味が遺憾なく発揮された、とってもラブリーでキュートな小品に仕上がっておりますな。 ただ、こんな顔の恐いオッサンが相手では、いくら頭を優しくナデナデされてもリトル・ガールは大泣きしちゃうに違いなくて、ここはやはりウサギたんの被り物でもして近付いたほうが賢明なのではなかろうかと。 で、演奏のほうはと言うと、テーマに続いてテナーのソロがあって、それにオルガンのソロが続いて…と、ここまでは毎度おなじみのパターンなんですが、その後、ベースの単独ソロではなくて、 b→org→b→org の4バースとなっておりますな。 ベンジャミン君ひとりに任せていては、あまり大きな盛り上がりは期待出来ないよな。…ということにリーダーのワイルド・ビル・ムーアもうすうす感付いたようでありまして、ただワイルドなだけでなく、意外と場の空気を読めるキャラでもあるようです。リーダーとしてそれは、とっても大切な資質ですよね。それが出来ないようではとても所長代理の重責は務まりません。

 ということで、次です。  「ダウン・ウィズ・イット」 。 ブルー・ミッチェルのリーダー作にそのような名前のものがありましたが、それとはまったく何の関係も無い、ただのワイルド・ビルのオリジナルでありますな。 ただの…と言いましたが、タダノのクレーンと同じくらい魅力的な作品に仕上がっておりまして、いや、タダノのクレーンと言われても、土木建設業界の人間でない限り、さほど魅力は感じないかも知れませんけどね。 ワルツ・タイムのキャッチーなメロディを持ったなかなかの佳曲でありまして、ワイルド・ビル君は恐い顔のわりには意外と卓越したメロディ・メーカーでもあるようなんですよね。 割とゆったりしたリズムで始まり、アドリブ・パートに入ると幾分テンポが速くなってドライブ感が高まっていく高松塚古墳。…といったところでしょうか? 地元の村民が生姜を貯蔵するために穴を掘ったら見つかったらしいんですけどね、高松塚古墳。 けっきょく生姜は埋める場所が無くなって腐っちゃったものと思われますが、国宝級の発見なんだから、生姜くらいはしょうがないよね。…と、誰しも同じことを思ったことでありましょう。 みんなと同じことを言ってみてもしょうがないので、ここはひとつ、オリジナリティに溢れた発言をしてみたいと思うんですが、生姜だけに、生涯忘れられない貴重な発見となりましたなぁ。…って、無理に人と違うことを言おうとすると、かえってスベってしまうという、典型的な事例になってしまいました。 やはり世の中、 “定番” と呼ばれるものは大切にしなければならないと思います。

 ということで、5曲目です。  「シー・ブリージズ」  爽やかな潮風を思わせるタイトルでありますが、ボサノヴァ調なのかと思ったらそうではなくて、しみじみとしたバラードに仕上がっておりました。 イントロで聴かれるオルガンの音色がなんともノスタルジックでありまして、で、テーマ・メロディを吹くテナーのトーンが何とも言えずに深いです。 ちょっぴりデクスター・ゴードンを彷彿させ、男の優しさみたいなものを感じずにはいられませんが、いつもは下品でどうしようもない男から、こんな風に甘く優しく耳元で愛を囁かれたら、ギャルとしてはコロっと参ってしまうかも知れません。 ま、アドリブが進むにつれてお下劣な本性がちょっぴり透けて来たりもするんですが、ボロが出ないうちにオルガンのソロにスイッチでありますか。 オルガンというのは軽く鍵盤を押さえただけで、ぴゃ〜っ♪…と下品な音が出てしまって、ソフトに愛を囁くにはやや不利なところがあるんですが、ここでのジョニ・ハモはこの楽器をうまく制御しておりまして、傾聴に値する出来であると言えましょう。 途中、ちょっぴりオルガンの音色が変わって聴こえる部分があったりするんですが、ペダルの使い方とかによって、こういう表現も出来るんですかね? いずれにせよ、乙女心にダイレクトに響くバラードだよねっ♪…と思っていると、いきなりベースのアルコ・ソロが出てきて、何もかもが台無しになってしまうんですが、幸い、ベンジャミン君の出番はすぐに終わってしまって、最後にまた甘いムードのテーマに戻って、おしまい。 この曲もまたワイルド・ビル・ムーアのオリジナルであることをすっかり忘れておりましたが、本当にまあ、顔に似合わないラブリーでキュートな曲を作るオッサンでありますなー。

 で、アルバムの最後を飾るのは、ご存知 「キャラバン」 でありますか。 そういえば後半のセッションにもコンガって入ってるんやよな?…という事をすっかり忘れてしまうくらい存在感の薄かったレイ・バレットくんが、ここぞとばかりに叩きまくっておりまして、これはもう、キャラバン史上、最もワイルドな演奏であると言ってしまっていいかも知れません。 ここまで今ひとつ地味な存在だったベン・リレイ君も、ここぞとばかりにブレイキー的なドラミングを披露しておりまして、で、ワイルド・ビルのテナーも、めっちゃ高音やんっ!…といった部分を、久しぶりに堪能することが出来ました。 オルガンのハモンド・スミスも、ハモの酢味噌と同じくらい頑張っているし、で、とどめはコンガとドラムスとの4小節交換でありますかー。 大いに盛り上がっているのはいいとして、ちょっとしつこ過ぎるんぢゃないか?…と思い始めるギリギリのタイミングでテーマに戻って、最後はお得意のストップ・タイムも駆使したりして、で、最後のエンディングもばっちり決まっておりますなー。 動物園で本物の騾馬を見て 「きゃ〜、ラバ、ん〜♪」 と感極まって以来、久しぶりに感銘を受けた 「キャラバン」 であると言えるのではないでしょうか。 とまあそんなことで、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 当初の予想とは違って、オルガン入りの後半のセッションのほうが楽しめました。 いや、ジュニア・マンスのハッピーなピアノが聴ける 『ワイルド・ビルズ・ビート』 も悪くはないんですが、全体を通して聴くと、ちょっと一本調子な嫌いが無きにしもあらず。 そこへいくと 『ボトム・グルーヴ』 のほうは途中で1曲バラードも入って、いろいろな表情の演奏を楽しめるシステムとなっております。 それはそうと、明日、3月19日はサバ君誕生日♪…でありますなー。 サバ君、38(さば)歳として書くレビューはこれが最後となりました。 みんな、39歳になってしまっても、僕のことをよろしくねっ♪


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