A FEW MILES FROM MEMPHIS (PRESTIGE)

HAROLD MABERN (1968/03/11)

A FEW MILES FROM MEMPHIS


【パーソネル】

GEORGE COLEMAN (ts) BUDDY TERRY (ts) HAROLD MABERN (p)
BILL LEE (b) WALTER PERKINS (ds)

【収録曲】

A FEW MILES FROM MEMPHIS / WALKIN' BACK / A TREAT FOR BEA / SYDEN BLUE
THERE'S A KIND OF HUSH / B&B / TO WANE

【解説】 (2007年02月13日更新)

 退院しました。 いつ退院したのかと言うと、2月3日の節分なんですが、別に節分に退院したからと言って、さほど嬉しくもないですよね。 これがもし、節分に接吻ということであれば心がときめくだろうし、節分に切腹ということになれば、さぞや無念だろうという気がするわけなんですが、節分に退院。実にまあ、何でもありません。韻を踏んでもいなければ、語呂がいいわけでもないし、ちょっと退院する日を間違えたかな?…と思ったりもするんですが、ではいったい、退院というのはどういう日を選んでするのがいいんでしょうね? 年寄りなんかはわりと “六曜” を気にする人が多いようですが、あ、六曜というのはアレです。大安とか仏滅とか、あとはえーと…、何がありましたっけ? とにかくまあ、日によって縁起がよかったり悪かったりする、そういう取り決めというか法則というか、とにかくまあ、そういったアレですよね。調べてみたところ、先ほどの2つ以外に先勝、友引、先負、赤口というのがあって、これで計6種類ということになるんですが、カレンダーを見ると概ね、先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口という順番になっているようなんですね。ただ、1ヶ月に1度ほどの割合でイレギュラーになる箇所があったりして、規則性が今ひとつよく分からなかったりするんですが、これはどうやら、旧暦の1月1日と7月1日は先勝、2月1日と8月1日は友引…というふうに、毎月1日の六曜が決められているところに起因するようです。つまり旧暦の場合、月日が決まれば自動的に六曜も決まるわけでありますな。仏滅の日に生まれた人は、毎年の誕生日が必ず仏滅になってしまうわけです。

 で、六曜と縁起の関係でありますが、大安が吉日で、仏滅が縁起の悪い日であるということくらいはほとんどの人が知っていると思います。どうしてなのかというと、そういう物だからなんですが、あとはまあ、友引の日に葬式をすると、友達まで引っ張ってあの世に連れて行ってしまうので、よくない。…という話もよく聞きます。友引の日は仏事を控え、おとなしくスーパーで万引きなどして過ごすのがよろしいのではなかろうかと。 あと、先勝や先負というのも字面的に分かりやすくて、先勝の日は先にやったもの勝ち、先負の日は先にやったもの負け、先勝でも先負でも、真ん中にやったものはどっちにしろ引き分け。 で、一番よくわからないのが “赤口” というヤツで、この日はどういうわけだか午の刻(午前11時ごろから午後1時ごろまで) だけが吉で、それ以外は凶なんだそうありまして。 これがもし、ウシの刻だけ吉というのであれば、 “ウシの刻参り” をするには最適のお日柄ということになるんですが、よく見たらこれ、 “牛(うし)” と違って “午(うま)” やんっ! 上の横棒のところ、縦の棒が上に突き出てへんやんっ! …ということで、この日に “丑の刻参り” をやっても、きっと凶と出てしまうでしょうな。 で、退院するにはどういうお日柄を選べばいいのかというと、やはり何をやっても万事が吉となる大安がいちばん無難ではないかと思うんですが、友達を引っ張って一緒に退院させるという意味では友引だって悪くないし、先勝なら午前中、先負なら午後から、赤口だったら午前11時から午後1時の間に退院すればいいわけなので、要するに仏滅でさえなければどれを選んでも、さほど大きな凶事を招くことはないのではなかろうかと。 ちなみに僕は退院するにあたって、そんなことはまったく気にもしていなかったんですが、試しに今年の新暦2月3日の六曜を調べてみたところ、えーと “先負” でありますかー。 午前中は凶、午後からは吉という、そういうお日柄であったわけですが、退院したのは午後の1時頃でありましたので、結果的に “幸せの条件” は何とかクリアーしていたと言ってもいいのではなかろうかと。

 そもそも僕が13時という退院時間を選んだのは、とある深慮遠謀によるものだったんですが、出来ることなら痛くて辛くて、ただの拷問としか思えないようなリハビリをサボって、朝の早い時間に退院したかったんですけどね。 手術から1週間もすると朝晩2回の点滴注射も無くなって、ようやく入院生活にも平和が訪れたな。…と思ってすっかり安心していたら、ある日突然、何の前触れも無しに始まってしまったんですよね、嫌がらせとしか思えないようなリハビリが。 最初のうちは足首に重りを巻いて病室のベッドで脚の上げ下げする運動をさせられるだけだったので、さほど苦痛でもなかったんですが、やがてリハビリ室に連れていかれるようになると、理学療法士のセンセーは次第にサドの本性を現すようになってきました。 僕の担当の先生は、一応はギャルと呼んでもさほど問題はなさそうなお年頃と思われる眼鏡をかけた女の先生だったんですが、けっこう情け容赦ないんですよね。 彼女からまず最初に課された嫌がらせは “ビー玉拾い” だったんですが、これは一体どういうものなのかというと、折れてないほうの右足で立った状態で、折れたほうの左足の指を使ってビー玉をつかんで空き缶の中に投入するという、そういう作業だったりするんですけど。そんなん、骨の折れてない普通の人だって、めっちゃ難しいやんっ!…と思わずにはいられませんが、ましてや僕の左足は指先だけは辛うじて露出しているものの、爪先付近から膝の上までギプスでガチガチに固定されているわけですからね。立っているほうの右脚はめっちゃ疲れるし、伸ばしっぱなしの左脚はつりそうになるし、ビー玉が全然つかめなくて、イーっ!…となるし、そんなことをしてみたところで、いい事などひとつもないような気がするんですけどねー。 ま、先生が言うには足の指先を動かすことによって血液の流れがよくなって、甲の部分の腫れが引くとのことなんですが、それよりもむしろ精神衛生上のダメージのほうがはるかに大きいと思わずにはいられません。イライラして、めっちゃ血圧が上がりそうだしー。

 が、人間というのはなかなかよく出来たもので、絶対に無理だと思うようなことでも実際にやってみると意外と何とかなったりするものなんですなー。 ビー玉拾いも何度かやっているうちに、わりと器用に足の指でホイホイと空き缶に移動出来るようになったんですが、と思っていたら、今度はビー玉の変わりにパチンコ玉を足の指でつかんで空き缶に移動させる作業をやらされることになって、いや、サド系の先生というのは実に次から次へと、新しい嫌がらせのタネを考え出すものでありますなぁ。。。 が、今から思えばこれらの作業はクソ面倒ではあるものの、さほど痛みを伴うようなものではなかったわけで、真の苦痛はこの先に待ち構えていたのでありました。 手術から3週間ほどが経過して、僕の左脚のギプスはシャーレという状態になったんですが、これはどういうものかというと、輪になっているギプスを上下に2分割して下の部分だけにして、それを包帯で脚にぐるぐると巻き付けるというものなんですけどね。リハビリの時はシャーレを外してナマ脚にしても大丈夫♪…ということになって、いやあ、ギプスを外すというのは解放感抜群で、実にすがすがしいものでありますなぁ。 ただ、手術で切った自分の脚を見るというのはちょっと怖いものがあったんですが、血まるけになってたり、膿でぐちゅぐちゅになってたりということもなく、ただ魚の骨のような形の傷痕があるだけで、わりと綺麗な感じでありました。 ただ、これで僕も “臑に傷を持つ身” になってしまったか。…と思うと、今までずっと真面目に生きてきただけに、ちょっぴり寂しいような気がしたんですけど。 とまあそれはともかくとして、ギプスを外すことによってリハビリでも新メニューが課されることになったんですが、まず最初は下肢浴。 これはブクブクと泡の出る小さなバスタブに10分間ほど脚を浸けていればいいだけなので実に気軽で楽しいものなんですが、その後に地獄が待ち受けておりました。 まずは、 “ふくらはぎ” のマッサージ。 カワハギの干物というのはちょっぴり硬かったりするものですが、ギプスで3週間固定されていた “ふくらはぎ” というのも同様でありまして、ちっともふっくらしてなくて、筋肉がカチカチに固まってしまうものなんですよね。 それをサド系の先生にマッサージされるのは、脂汗がジトーと滲んでくるような苦痛を伴うものでありまして、僕、歩けるようになれなくてもいいから、もうリハビリなんかやめるっ! リハビリパンツだって、もう穿かないっ! いや、おむつを卒業した爺ちゃんや婆ちゃんがよく愛用してたりするんですけどね、リハビリパンツ。

 が、いくら僕が心の中でリハパンはもう穿かないっ!…と宣言しても先生は許してくれなくて、続いては “膝と足首の無理やり曲げ” という拷問が待ち受けておりました。僕の怪我は臑の骨が折れただけなので膝も足首もまったく問題ないはずなんですが、ずっとギプスで固定していたものだから固まって動かなくなってしまっているんですよね。  それをサド系の先生に無理やり動かされるのは、脂汗がジトーと滲んでくるような苦痛を伴うどころの話ではないっ!…といった感じでありまして、特に膝のほうはギプスを外した直後は、ま、何とかそこそこ曲がっていたんですが、土曜日に担当のリハビリの先生が休んで自主トレだけになってしまって、日曜日は最初から休みで、結果的に2日間マッサージをサボったら膝の関節が外れそうな違和感を覚えて、90度以上は曲げられないようになってしまいました。 月曜日になってその窮状をリハビリの先生に訴えたところ、 「ふーん。」 と軽くあしらわれただけで終わってしまい、で、火曜日に再び膝が痛くて曲げられない旨を申し上げたところ、 「最初はもうちょっと曲がったのにね。」 と言いつつ、無理やりに思いっきり膝を曲げられて、 「あたたたたたっ!もうアカンっ!マジでアカンっ!」 という僕の半泣き状態のギブアップにもまったく耳を貸さず、彼女は尚も執拗に僕の膝を攻め続けるのでありました。 あんた、どうしても我慢出来ないくらい痛かったら言えって言うたやんっ!  けど、言ってもまったく意味ないやんっ! ちなみにこのリハビリの先生には、膝を曲げると痛いという旨を回診の時に整形の先生に申し出るように言われていたんですが、面倒なので無視していたんですよね。言うことを聞かなかった罰が、リハビリという形を借りた合法的な拷問で返ってくるとは思いもよりませんでしたが、それに懲りて翌日の回診の時に正直に申告したんですけどね。 すると整形の先生から 「膝はまだ90度までしか曲げたらあかんで。」 と言われて、おーい! 昨日、めっちゃ90度以上まで無理やり曲げられてるやんっ! いやあ、リハビリというのは時として症状が悪化する恐れを秘めているものだったんですなぁ。。。

 とまあ、そんな苦痛以外の何物でもないリハビリをしてまで、どうして僕が午後からの退院にこだわったのかというと、別にその日が “先負” だったからではなくて、せっかくだからお昼ご飯を食べてからにしようかな?…と思ったからなんですけどね。 幸い、僕の場合は脚の骨折による入院ということで食事制限はなく、わりと普通の食普通食を食べることが出来たんですが、いや、尿酸値が高くていつ痛風になっても不思議ではないし、コレステロールのほうもやばくて、食事療法が必用といつも人間ドックで言われてはいるんですが、余計なことを言って病院で肉が食べられなくなっても困るので、そのあたりの事情は病院側には黙っていたんですよね。 その結果、入院初日のお昼にはクリスマスということもあってか、 「かしわの焼いたの」 という僕の好きなメニューだったんですが、ちなみにうちのほうでは鶏肉のことを “かしわ” と言ったりするんですけどね。 僕は当初、病院食にはさほど多くのものを期待していなかったんですが、これなら十分、お食事を楽しむことが出来るやん♪…と思って喜んでいたら、夜はイワシのつみれみたいなのが入ったシケた汁物だったので、ちょっとがっかりしちゃったんですけど。 晩ご飯を食べた後、病院では寝るくらいしかやる事がないので、余分なカロリーを摂取しないように夜よりも昼のゴハンのほうに力点がおかれているのかも知れませんな。 とまあそんなことで、入院生活最後の思い出として、おいしい肉料理を期待していた僕でありましたが、生憎と退院日は節分でありました。 その日のお昼は、えーっ? のり巻きと、魚を焼いたのと、カボチャを煮たのと、貝の入ったすまし汁やんかぁ。。。 オバチャンとかにはウケがよさそうなんですが、血気盛んな血糖値の高い中年のおっさんにはあまりにも物足りないメニューで、しかも、寒天とかゼリーとか僕の好きなものが出ることの多いデザートもこの日に限って節分の豆でしたからね。いや、こんなことなら朝飯だけ食って、さっさと退院しちゃえばよかったですなぁ。。。 しかも、こんなヘルシーなお昼ご飯だったにもかかわらず、退院して家に帰った僕は極度の食欲不振と激しい下痢に襲われてしまって、 “先負” の日に午後から退院してみたところで、いい事などひとつもなかったのでありました。 というか節分の日に退院というのが敗因でしかたねー?

 ということで、2月ということであれば、たとえ六曜が何であろうと、僕は2月14日の退院というのが一番いいんぢゃないか?…という気がしております。その日ならきっとお昼のデザートも節分の豆ではなくてチョコレートであるに違いないし、それに何より、バレンタインに退院で、 “バレン退院デー” だねっ♪…という、とっておきのギャグだって披露することが出来るしー。 ちなみに胃の検査でバリウムを飲んだりするのは、やっぱり3月14日のホワイトデーがいいのではないか?…と、僕は思います。 とまあそんなことで、今日のところはおしまい。

 ということで、今日はハロルド・メイバーンです。 前回から通常のテナー編に戻ったんじゃないか?…と思った人がいるかも知れませんが、細かいことを気にしてはいけません。 実は前回このアルバムを取り上げる予定で病室でジャケ絵を書いて、原稿も途中まで書きつつあったんですが、塩サバ2号が病院に持ってきたCDはケースだけで肝腎の中身が入っていなかったんですよね。そういえば入院前に中身のディスクだけ別のケースに入れて会社の車で聴いていたような記憶があるんですが、退院して家中を探してみてもどうしても見つかりませんで。 仕方がないので前回はウエイン・ショーターのあまり気乗りのしないアルバムを取り上げることになったんですが、そのジャケ絵を書き上げて、ふと会社に持っていくカバンの中を見たら、そこに入っていたんですよね、ハロルド・メイバーンのCD。 探すのをやめた時、見つかることはよくある話で♪…という井上陽水の “夢の中での法則” は、いつの時代にも真実であるわけですなぁ。 と、僕はこの手の経験をする度にいつも同じことを書いているような気がするんですが、このハロルド・メイバーンというのアレだよね。ハンク・モブレイの 「リカード・ボサノバ」 でピアノを弾いてた人だよね。…というので、もっぱら日本では知られておりますな。 あとはえーと、ブルーノートの4000番台でたまにサイドマンとして名前を見かけたりする程度なんですが、この 『ア・フュー・マイルス・フロム・メンフィス』 というアルバムは、彼にとっての初リーダー作ということになるようです。…と判断しても、あながち間違いではなさそうな事が原文ライナーに書かれておりましたが、で、この作品の特徴としては2テナーのクインテット編成であるという点が挙げられるのではなかろうかと。ちょっと変則的ですからね。で、その2テナーの内訳がジョージ・コールマンバディ・テリーということになっているんですが、ジョージ君はともかくとして、バディ・テリーというのはいったい誰なんすかね? これがもし、ブリ・テリーという名前であれば、恐らくブリの照り焼きが好きな人なんだろうな。…と、ある程度の想像がつくんですが、バディ・テリーですからね。 いったい何の照り焼きが好きなんでしょうか? そもそも、よく考えたら名前がテリーだからといって必ずしも照り焼きが好きとも限らないわけで、もしかしたらテリーヌとかが好きな人だったりするのかも知れませんが、でもって、僕の持っている輸入盤CDはこのアルバムともう1枚、 『レイキン・アンド・スクレイピン』 というのがカップリングされて、“2 in 1” になってたりします。 ジャケットのデザインも微妙に変えてあったりするんですが、全部で12曲も解説を書くのは面倒なので、ジャケットを含めてオリジナルの仕様で書くことにして、そんなことでまあ、1曲目から聴いてみることにしましょうかぁ。

 まず最初はアルバムタイトル曲の 「ア・フュー・マイルズ・フロム・メンフィス」 でありますか。 「メンフィスから数マイル」 。 メンフィスと言えばエルビス・プレスリーが生まれたところだったか、子供の頃に引っ越したところだったか、メントスを万引きしたところだったか詳しいことは忘れましたが、何らかの関係があった場所ではなかったかという気がするんですが、ハロルド・メイバーンはテネシー州メンフィスの出身なんですな。…と判断しても、あながち間違いではなさそうな事が原文ライナーに書かれておりましたが、この曲はアレです。ジャズ・ロックっぽいタッチの、実に調子のよい仕上がりとなっております。2本のテナーによるハモり具合がソウルな味わいを醸し出しておりますが、テーマに続いて登場するソロは、えーと、テナーサックスでありますな。ジョージ君か、照り焼き君か、どっちなんだ?…と聴かれるとちょっと困るんですが、抑揚のない、のんべんだらりとしたテナーを吹く人という印象の強いジョージ・コールマンの演奏であるようには聞こえないので、消去法でいくと恐らくバディ・テリーのほうではなかろうかと。 ちょっぴりテキサス・テナー入ってるソウル系の吹きっぷりでありまして、あまりお上品ではないところが下品好きの人には好かれるかも知れません。 で、続いて登場するテナー・ソロはオーソドックスなハード・バップ調で、こちらもあまりジョージ君らしくはなかったりするんですが、それに続くピアノ・ソロはハロルド・メイバーンによるものであると判断として、 ほぼ間違いはないでしょう。 手だしからブロック・コード全開だねっ♪…というのがこの人の特徴であると言っていいと思うんですが、適度に泥臭くて、微妙にファンキーで、ところどころヤンキー。 ま、ハロルド・メイバーンもアメリカ人だから別にヤンキーでも不思議ではないんですが、とか言ってるうちにテーマに戻って、おしまい。 ま、シンプルで分かりやすくて、アルバムの冒頭に持ってくるにはまずまず適当なナンバーではなかったかと思われます。

 2曲目。 「ウォーキン・バック」 。 タイトルは 「帰ってきた魚金(うおきん)」 といった意味なんでしょうか? 魚金さんとこの御主人、しばらく見なかったんだけど、さっき行ったら店にいたでぇ。…みたいな。帰ってきて何よりだと思いますが、ま、僕はサカナがそれほど好きではないので、別にどうでもいいんですけどね。 サカナがそれほど好きではないので、退院する日の昼食ぐらいは、豪華な肉料理にしろって!…と思わずにはいられませんでしたが、いや、ナース・ステーションの前のところに1週間分の献立が掲示されていたので、それをチェックしてから退院日を決めるべきでしたなぁ。あらかじめメニューが分かっちゃうと、楽しみが薄れちゃうよね。…と思って、敢えて見ないようにしてたのが敗因でありました。 とまあそれはそうと、演奏のほうはどうなっているのかというと、これはアレです。コテコテのスロー・ブルースでありますな。 ピアノ・トリオによるブルージーな演奏がしばらく続いた後、満を持してアーシーなテナーが登場して、泥臭いソロを取る。…という、実によくあるパターンだったりするんですが、最初に出てくるテナーはジョージ君でしょうか、それともバディ・テリーなんでしょうか? 同じ楽器奏者が2人いるセッションの場合、ぼーっと聞き流していると、途中で人が替わっているのに気付かないまま最後までいってしまうことがよくあるんですが、特に原稿を書きながら聴くというのはよくありませんよね。どこでボケを入れようかと、そのことばかりに気を取られて、ちっとも演奏が耳に入ってきません。 幸いにもこの曲の場合、特にボケを入れる局面がなかったので途中で演奏者が変わったことに気が付いたんですが、後から出てきた人のほうがいくぶん泥臭いような気がするので、僕の勘ではジョージ・コールマン → バディ・テリーの順番なのではなかろうかと。 こういう場合に頼りになるのは原文ライナーなんですが、頑張って英語で書かれた文章を解読した結果、この演奏におけるソロ先発は僕の思ったとおりジョージ君のほうであるようです。…と判断してもあながち間違いでないのかどうか、結局のところよく分からなかったんですが、とまあそんなことで、テナーに続いてピアノのソロがあって、テーマに戻って、フェードアウトして、おしまい。

 続いては 「ア・トリート・フォー・ベア」 という曲なんですが、いや、これはいいですな。 僕は2曲目のような息苦しいスロー・ブルースがあまり好きではなくて、ではどんなタイプが好きなのかというと、やっぱり可愛くて、優しくて、愛嬌があって、ゼリーとか寒天は嫌いなんだけど、ウニとかイカの塩辛は大好きっ♪…といった、そんなギャルですかね? いや、好きな女の子のタイプではなく、ジャズのスタイルで言うと、哀愁のあるファンキー系とか、ボサノヴァっぽい感じの演奏なんかがけっこう好きだったりします。 で、この 「ベアのための楽しみ」 という曲は、めっちゃボサノヴァっぽいやん♪…といったところが僕の趣向と大いに合致しておりまして、いや、これはいいですな。 原文ライナーによると、これはメイバーンがラブリー・ワイフの“Beatrice”のために書いた曲なんだそうですが、めっちゃボサノヴァなテーマ部は2本のテナーのハモり具合がこの上なく巧みにして絶妙でありまして、でもって、ソロ先発は2人いるテナー奏者のうちのどちらかでありますな。 またしても判断に悩むところでありますが、またしても股下の短い松下クンを待たした…って、ここで無理にボケを入れようとして思いきり意味不明になりましたが、えーと、幾分モーダルん感じのする最初のソロがジョージ・コールマンで、幾分トーンの濁った後発のテナーがバディ・テリーなんすかね? が、バディ・テリーかな?…と思ったほうの人の吹きっぷりもけっこうモードしてたりして、何とも判断が難しかったりするんですが、転がるようなタッチのメイバーンのラブリーなソロも素晴らしい出来でありまして、ということで、テーマに戻って、おしまい。いや、いいですなぁ、これは。 で、続いては 「シデン・ブルー」 という曲なんですが、これはアレです。ブルースです。 “SYDEN BLUE” というタイトルはいったい何のことだかよく分からんのですが、何でも “Sydenham Hospital” に2、3週間入院した後に起こったものなんだそうでありまして、退院したら下痢がひどくてブルーになってしまったとか、そういうことなのかも知れませんね。下痢をするとどうしてもブルーになっちゃいますからね。うちの家の便所には 「ブルーレット置くだけ」 が置いてあるので、流すたびに水がブルーになってしまいます。 で、曲のほうはというと、こちらはさほどブルーではなく、意外と御陽気な感じだったりするんですが、それでいてどことなく哀感もあったりして、思わず伊予柑が食べたくなってしまいます。 入院していると柑橘系が欲しくなったりするんですよね。デザートにメロンゼリーとかはよく出るんだけど、伊予柑とか、はっさくは、あまり出なかったりするもんで。 で、テーマに続いて出てくるちょっぴり怪しい感じのソロは恐らくバディ・テリーであるものと思われ、続くメイバーンのピアノ・ソロはジャズ・ロックっぽいノリが軽妙にして洒脱でありまして、いかにもこの人らしいスタイルであると言えるのではなかろうかと。 ということで、テーマに戻って、おしまい。…ということになるんですが、テナーのソロは1人分しか出てきませんでしたかね? 疑問に思って改めて最初から聞き直してみたところ、途中で人が入れ替わっているような形跡が窺われたりしたんですが、改めて原文ライナーを読み直してみたところ、最後のほうにソロの順番について書かれた部分が、ちゃんとあるやんっ!…ということに気が付きました。それによるとジョージ・コールマンがソロ先発となっているのが 「ア・トリート・フォー・ベア」 「トゥ・ウェイン」 「ウォーキン・バック」 で、 「ア・フュー・マイルス・フロム・メンフィス」 と 「シデン・ブルース」 の2曲ではバディ・テリーが先にソロを取るという、そういう順番になっている模様です。改めて僕の記述を読み返してみると、まだ登場していない1曲を除けば、すべて大正解っ♪…という結果になっておりまして、我ながら自分の耳のあまりの優秀さに惚れ惚れしているところでありますが、すっかり気をよくしたところで、次の曲にいっちゃおうかなーっ。

 5曲目、 「ジーズ・ア・カインド・オブ・ハッシュ」 。 これは本アルバムで唯一、メイバーンのオリジナルではない曲でありまして、ということはすなわちスタンダードということになるのではないかと思いますが、なるほど、いかにも歌物っぽいナンバーでありますなぁ。僕は 「笑点」 のメンバーでは歌丸がいちばん好きなんですが、歌物というのも嫌いではなくて、少なくとも鋳物よりはいいものだと思っております。何となく地味ですからね、鋳物。 桑名の名産品だから大いに宣伝したいところではあるんですが、もしハローキティの桑名限定バージョンが出たとしても “鋳物キティ” ではあまりにもギャルにアピールするものがありません。やはり “はまぐりキティ” ということになっちゃうんでしょうな。 で、演奏のほうはというと、テーマの主旋律をピアノが弾いて、そこに2本のテナーが絡むという、今までとはちょっと違ったパターンのアレンジが施されておりまして、それが実にいい感じだったりするんですよね、これがまた。 テーマに続くアドリブ・パートもメイバーンのソロを最初に持ってきたりして、アルバム全体からすると、ちょうどいいチェンジ・オブ・ペースになっているんですが、その後で登場するテナーのソロはジョージ・コールマンでありますな。 さっき、ソロ・オーダーに関する種明かしの部分を見てしまったので面白みがなくなってしまいましたが、病院の食事のメニューでもなんでも、最初に中身がバレてしまうと楽しみがなくなってしまうんですよね。 ま、見なければ見ないで最後の食事が海苔巻きになってしまって、ちょっと不満だったりするんですが、この曲ではコールマンがオンリー・テナー・ソロイストとなっておりまして、その後にとっても地味なビル・リーのベース・ソロもあったりして、でもってテーマに戻って、おしまい。 いやあ、実にとっても歌物でありました。 ということで、6曲目は 「B&B」 でありますか。 漫才の世界でB&Bと言えば “もみじ饅頭” 、宿泊業界でB&Bと言えば、ベッドとブレイクファーストだけを提供する形式の宿、あとはえーと…、特に思いつかなかったので今ひとつ盛り上がらないネタになってしまいましたが、この曲で言うところのB&Bとは、クリフォード・ブラウンとブッカー・リトルのことでありまして、夭逝しちゃった2人のトランペッターに捧げられた曲というわけでありますな。 いかにも “捧げもの” らしい哀愁に満ちたバラードとなっておりまして、胡麻和えにして食べるとけっこう美味しかったりするんですよね、ささげ。 普通に醤油味で煮てもあまり美味しくなかったりするんですけど。 この事から僕たちは、ゴマは偉大である。…ということを知るわけなんですが、あたり前田のセサミハイチなんかも、ゴマあってこそのセサミハイチですからね。 もしセサミハイチにゴマが入っていなかったら、ただのハイチになってしまうんですが、僕は子供の頃、セサミとサラミの区別がつかなくて、ちっともサラミの味がしなくて、ゴマの味がするやん、あたり前田のセサミハイチ!…というのが、ちょっぴり不満だったんですけどね。 で、演奏のほうはというと、2本のテナーのハモり具合が絶妙なテーマ部に続いてメイバーンのピアノがかなり大々的にフィーチャーされていて、このままトリオで後テーマまでいっちゃうのかな?…と思っているとテナーのソロも出てきたりするんですが、これは恐らくジョージ・コールマンのほうでありましょう。 この曲だけどういうわけだか、原文ライナーにもテナー・ソロイストに関する記載がなかったりするんですが、あまり味醂とか使ってなさそうな感じなので、おそらく照り焼きクンではなくて、ジョージくんのほうではなかろうかと。 その後、とっても地味なベースのソロがあったりして、気分がすっかり滅入ってきたところで、テーマに戻って、おしまい。 今ひとつ盛り上がらない感が無きにしもあらずなんですが、ま、バラードだからこんなもんでしょう。しみじみとして、悪くない出来だと思います。

 ということで、ラストです。 「トゥ・ウェイン」 。 タイトルの意味するところは何かと思ったら、どうやらウェイン・ショーターのプレイを聴いている時に、何やらビビっと来たということらしいんですが、ちなみに僕は電気工事をしていて感電した時にビビっと来たという経験があったりします。AC100Vならビビっとくる程度であまり大したことはないんですが、これが200Vとなると、ガツン!…と殴られたようなショックがあって、ちょっぴり痛いです。ま、この業界には “42Vは死にボルト” という標語もあるくらいだから決して100Vでも油断はならないんですが、この曲は何と言うか、実にカッコいいですな。 調子がよくて、モーダル。…という、相反する要素を兼ね備えたナンバーだったりするんですが、2本のテナーとピアノとの3P的な絡みが何とも言えずにいい感じです。 ソロ先発はメイバーンなんですが、ここでの彼はちょっぴりハービー・ハンコックやシダー・ウォルトンを思わせる純正新主流派ライクなプレイを展開しておりまして、で、続くテナーのソロはまず最初がジョージ・コールマンのほうですかい? で、テナーの2番手はバディ・テリーのほうですかい? コールマンのほうが純粋にモーダルで、バディ・テリーは泥臭い中にもコルトレーン的なスピリチュアルが微妙に感じられたりして、一種独特のムードを醸し出しておりますな。B級テナーとして大いに活躍出来るだけの素晴らしい素質を持った人だと思うんですが、彼のプレイを聴けただけでもこのアルバムを購入した意味はあったのではなかろうかと。いや、素晴らしい演奏だと思います。 その後、ピアノとドラムスの8バースで地味にクールに盛り上がって、魅惑的なテーマに戻って、おしまい。いや、実に素晴らしい演奏だったと思います。 とまあそんなことで、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 メイバーンの隠れた名盤でありますな、こりゃ。 メンバーが地味なので、ちょっとどうか?…という点が懸念されたんですが、バディ・テリーの期待以上の頑張りによって、ばりばりに楽しめる作品に仕上がっております。 2曲目のスロー・ブルースがやや重苦しいんですが、そこをクリアしてしまえばメイバーンのオリジナルの出来もよくて、前回紹介したショーターの大作なんかよりも、ずっとかお薦め♪…の1枚でありますな、こりゃ。


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