THE ALL SEEING EYE (BLUE NOTE)

WAYNE SHORTER (1965/10/15)

THE ALL SEEING EYE


【パーソネル】

FREDDIE HUBBARD (tp,flh) GRACHAN MONCUR V (tb) JAMES SPAULDING (as) WAYNE SHORTER (ts)
HERBIE HANCOCK (p) RON CARTER (b) JOE CHAMBERS (ds)
ALAN SHORTER (flh) <#5 only>

【収録曲】

THE ALL SEEING EYE / GENESIS / CHAOS
FACE OF THE DEEP / MEPHISTOPHELES

【解説】 (2007年02月05日更新)

 (前回までのあらすじ) 局部麻酔だから意識ははっきりしているという話は聞いていたんやけど、ほ・ほら、僕、自分の左脚を触られたり消毒されたりしているのが、まだはっきりと分かるしぃ…? さ、果たして、この状態で手術される羽目になってしまったサバ君の運命や如何に? …というところまで話は進んでいたんですが、いや、わざわざ2回シリーズにするほどのことでも無かったんですけどね。手術ネタはおそらく始まったと思ったらすぐに終わってしまって、あとはジョー君とか、寅年の爺ちゃんとかに助けて貰うことになると思うんですが、いやあ、西洋医学の麻酔技術というのは実に何とも大したものでありますなぁ。腰椎麻酔が終わったと思ったらすぐに手術が始まって、自分の脚をサワられているのが分かる状態だったにもかかわらず、メスを入れられてもまったく痛みは感じないんですよね。そのうち、サワられている感覚も次第に薄れてくるんですが、手の指なんかは自由に動かせるし、意識もはっきりしていて、先生が助手に指示を与えている声なんかも耳に入ってきます。ただ腰から下の部分だけが自分の体ではなくなってしまったようで、よく 「下半身は別人格」 てなことを申しますが、まさしくそれが実感出来るとでも言いましょうか。 それにしても何ですな。手術というのはもっとこう、厳正なムードの中で粛々と行なわれるものだとばかり思っていたんですが、意外とこう、軽いノリだったりするんですな。僕の手術は執刀医の他に若い兄ちゃんが2人、メガネの姉ちゃん (←たぶん若い。) が1人というスタッフで執り行なわれたんですが、時おり笑い声なんかも聞こえてきたりして、お前ら、人の脚やと思って、ちょっと手術を嘗めとんのとちゃうか?…と文句のひとつも言いたくなってしまいます。若いヤングな3人組など、ほとんど学園祭でやる演劇の小道具でも作っているようなノリでしたからね。おそらく僕の脚はメスで切られて血まるけになっていて、おまけに白い骨なんかも見えているに違いないんですが、そういう状況なんやから、みんな貧血起こしてブッ倒れんかいっ!…と思わずにはいられません。 ま、主治医のセンセーにまで倒れられるとその先の展開がちょっと心配なんですが、少なくとも若いネーチャンなんかはブッ倒れてしかるべきだと思います。中国 (だったっけ?) の葬式では、場を盛り上げるためにサクラの “泣き女” を用意するという話を聞いたことがありますが、手術の場にも “貧血女” というのがいたほうがいいと思うんですよね。もしかしたらそういうオプションは保険が効かないのかも知れませんが、次の手術の際にそういう役目をボランティアで引き受けてもいいというギャルがおられましたら、遠慮なく申し出てください。 仕事の中身はとっても簡単。手術室まで一緒に着いてきてもらって、腰椎麻酔の際には 「ああん、痛そう。さばさん、辛いと思うけど頑張ってねっ!」 と励ましてもらって、脚にメスが入る瞬間に 「ああんっ!」 と叫んで貧血起こして倒れてもらえれば、それでOK。 ボランティアだからお礼のお金は出せませんが、感謝のシルシに病院の食事についてくるデザートの寒天くらいは食べてもらってもいいので、よろしくねっ♪

 それはそうと、下腿骨骨折に伴う接合手術というのはほとんど、折れちゃったパイプ椅子の脚の修理のようなものだと思っておけば間違いないみたいですね。ミスタートンカチで15センチくらいの長さの穴空きステンレス板とボルトを買ってきて、電動ドリルでパイプに穴を開けて、タップを立てて、ステンレス板をボルトで止めて固定する。…みたいな。 ま、所詮は素人のやることなので、おそらく腰掛けた瞬間に板が外れて椅子もろとも転倒して、左脚の脛の骨でも折ることになろうかと思うんですが、そのようにして折れた骨の接合手術というのは、後からレントゲン写真で見せて貰った限りではボルトではなく、木ネジ…というか、骨ネジのようなものを骨に直接ねじ込んでプレートを固定する方法が取られているみたいです。そういえば手術中、何やらキュイーンという掃除機を作動させるような音が聞こえていたんですよね。もしかしたらあまりにも出血がひどくて、脚の中に溜まった血をチューブで吸い出しているのではないか?…と思って、血を見るのが死ぬほど嫌いな僕は考えただけでも思わず貧血を起こしそうになってしまったんですが、今から思えばアレは僕の脚の骨に電気ドリルで穿孔している音だったんですな。いやあ、心配して損しました。…って、自分の骨にドリルで穴を開けられるというのも十分に嫌やんっ! ま、別に痛くも何とも無かったから別にいいんですが、もしその場面を自分の目で見たりしたら、きっと貧血を起こしていたでしょうなぁ。。。ちなみに手術中は腰のところに衝立のようなものが立てられているので、自分で手術の様子を確認することは出来ないんですが、ま、見たいとも思わないから別にいいんですけど。

 とまあそんなことで、手術はおしまい。 いや、前段階の腰椎麻酔がちょっと嫌だったくらいで、手術そのものは意外と大したことありませんでしたなー。 途中で若い兄ちゃんに 「何か工事をしてるみたいでしょー?」 と聞かれて、 「何か仕事を思い出すなぁ。」 と答えるくらいの余裕があったりしましたからね。 「どんな仕事をしてるんですかぁ?」 と尋ねられて、 「ポンプを据え付けたり、配管したり…の現場監督っ。」 と言ったらすっかり納得して貰えましたが、確かに主治医が助手に 「20ミリ。」 とか 「今度は25ミリ。」 とか 「最初に使ったの、何ミリやった?」 とか、使用する骨ネジのサイズを指示したり、聞いたりしている姿は、仕事場でポンプの据付作業をやっている気分を存分に味わうことが出来るものでありましたなー。 とまあそんなことで、手術そのものは思っていたよりも割と楽だったんですが、終わった後がちょっと嫌でした。麻酔のおかげで下半身が完全に別人格になっちゃってるのが何とも妙な感覚で、こんなことならまだ、痛いほうが人間らしくってよかったよな。…と思わずにはいられなくて、でまた、麻酔を早く体内から排出しなければならない関係からなのか、 「とにかく早くオシッコを出しちゃってくださいっ!」 と看護婦から強要されるのもちょっと辛いものがありました。 いくら落ちぶれたとしても、尿器のお世話になるのだけは避けよう。…と、男の沽券にかけて頑張って自力で便所に行って、その結果、股間を尿で濡らしたりした僕でありますが、さすがに手術直後で下半身に力が入らず、腕に点滴を刺された状態ではそうも言っておられず、泣く泣く尿器のお世話になる羽目になったんですが、絶対に尿器のお世話にはならんっ!…と、ずっと思い続けていた強い意志があだになって、方向転換しようとしても、なかなか体が言うことを聞いてくれなんですよね。 「尿器を使っても大丈夫なんだ。それはちっとも恥ずかしいことではないんだ。むしろ看護婦さんもそれを望んでいるんだ。」 と自分に言い聞かせても駄目。 というか、下半身にまったく感覚がないので、尿意というのをまるで感じないんですよねー。 何でも、6時間くらいたってもオシッコが出ない場合は尿道に管を入れて強制排出しなければならないそうなんですが、そういう事態だけは何としても避けたいところです。看護婦としてもどうしてもカテーテル・プレイはやりたくないみたいで、 「とにかく、お茶をいっぱい飲んで、頑張って出しましょうっ!」 と励ましてくれたんですが、いくらお茶を飲んでみても、頑張ってみても、駄目なものは駄目。 というか、尿の排泄器官に手を持っていってみても、そこにモノが有るのか無いのか分からないような心もとなさでありまして、これでは頑張ろうにも頑張りようが無いわけでありまして。 いや、下半身の部分麻酔というのは、何とも男の沽券を危うくするものであったんですなぁ。。。

 結局、タイムリミットの6時間を過ぎてもまったく駄目で、いよいよカテーテル・プレイか?…と覚悟を決めた次第でありますが、看護婦は何としてもそれだけは避けたいようで1時間、2時間と事態を先延ばしにして、そしてとうとう窓の外がすっかり暗くなった頃になって、僕はようやく尿を排出することに成功したのでありました。いやあ、よかったです。でもって、一度一線を越えてしまえば、尿器に尿を出すというのは何とも快感を伴うプレイであることが判明して、何せベッドの中に寝たままで用を足せるわけですからね。世の中にこんな便利な便器があったのか!…と、目の前が明るくなる思いでありましたが、いやあ、こんなことならもっと早くから使っておくべきでありましたなぁ。 とまあそんなことで、手術後の第一関門はこれで無事に突破したわけでありますが、麻酔が切れてからの痛みというのもなかなか嫌なものですよね。脚の骨が折れていた頃は、膝を曲げるようにしてやれば幾分は痛みも緩和されたんですが、手術後は太もも近くまでギプスで完全に固定されてしまったので、膝を曲げて痛みを軽減することすらままなりません。特に太もものところのギプスは、血が止まるんちゃうか?…と思ってしまうほど、きつくて、痛くて、辛くて、その日はとうとう朝まで眠ることが出来ませんでした。何度もナースコールで看護婦を呼んで窮状を訴えたんですが、 「先生に聞かないと何とも。。。」 というばかりで何の対処もしてくれず、これほど痛いなら、多少人間らしさが損なわれるとはいえ、まだ麻酔が効いていて感覚が無かったほうがよっぽどマシやんっ! しかし、これだけ痛いということは、もしかして手術に失敗したんとちゃうか? 青木記○病院、とんだヤブなんちゃうか?…と、疑心暗鬼は深まるばかりなんですが、ま、翌日の昼頃になると次第に痛みも薄れてきて、その後の経過も順調なので、手術のほうは大丈夫だったみたいなんですけどね。いやあ、疑ったりして、ゴメンなっ!

 とまあそんなことで、続いては “隣人問題” について考えてみたいと思うんですが、君は隣人と良好な関係を築けているかな? 隣人が善人だったりすればまったく問題は無いんですが、隣人が変人だったり人参だったりすると、いろいろと苦労が絶えないですよね。 隣人が愛人というのは、ちょっといいかな?…という気もするんですが、隣人が鱗人だったりするのはちょっと嫌かも知れません。ただの隣人だと思ってすっかり油断していたら、実は全身が鱗 (うろこ) で覆われた鱗人やったんかいっ!…みたいな。 で、話を病院に戻すと、さば君が入院している青木記○病院の301号室は3人部屋となっておりまして、隣のベッドに寝ている患者がすなわち、僕の隣人ということになります。3つのベッドはそれぞれカーテンで区切られていて、一応のプライバシーは確保されているんですが、話を分かりやすくするために、ここでは仮に窓際から順番に “サフランの間” “ソフランの間” “フリチンの間” と名前を付けておきましょう。 いや、サフラン、ソフランと来て最後がフリチンでは、韻を踏むという点でちょっと問題がありますかね? かと言って “シフランの間” では何だか死んで腐乱しているみたいで病室の名前としては今ひとつ縁起がよろしくないような気もするし、ここはひとつ、無難なところで “ラフランスの間” ということにしておきましょうか。 アヤメ科の多年草、衣服の柔軟剤と来て、最後が洋梨。 洋梨だけに、世間ではすっかり用無しになってしまった爺ちゃんが入る…などと失礼なことを言ってはいけません。爺ちゃんというのは今でこそ年寄りになってしまいましたが、若いころはバリバリのヤングで、お国や会社のために一生懸命に働いてくれたわけですからね。後はゆっくりとおだやかに余生を過ごして欲しいと思わずにはいられませんが、この “ラフランスの間” にはその名前に相応しく、80歳の爺ちゃんが入院しておりました。 この爺ちゃんは前にも少し書いたことがあるんですが、看護婦の干支に並々ならぬ関心を抱いているようで、看護婦が来る度に 「あんた、干支は何や?」 と聞いておりました。 本人は寅年であるようなので、ここでは仮に “寅爺ちゃん” と名付けておきますが、ちょっぴりオチャメで、めちゃくちゃエロい。そういうキャラであると思っていただければいいのではなかろうかと。

 で、真ん中の “ソフランの間” が僕の住まいということになったんですが、人当たりがソフトで考え方も柔軟な僕にはぴったりのお部屋であると言えましょう。 で、いちばん窓際の “サフランの間” には僕が入院した当時、サッカーで怪我をしたらしい現役の高校3年生♪…が入所していたんですが、残念ながら男の高校3年生であったので、わざわざ “♪マーク” を付けるほど喜ばしい事態というわけでも無かったんですけど。 彼の名前にはジョー君。 おおっ!めっちゃカッコええやんっ! 高校3年生でサッカー選手。しかも名前がジョー君となれば、これはもう看護婦にモテモテやんっ!…ということになっても不思議ではないんですが、カッコいいのは名前だけで、このジョー君は身長こそかなり高かったものの、素朴で地味で、ちょっぴりムサいルックスの持ち主でありました。サッカーのほうも別に選手だったわけではなく、ボールが当たって大腿骨を骨折したらしいんですが、も・もしかして、めっちゃ骨が弱いとか? 性格的にもシャイで無口で、いつも部屋に引きこもってジグソーパズルをやっているので、あまり外でその姿を見かけることもなかったんですが、うるさくなければウザくもないので、ま、隣人としては人畜無害でまったく問題のないタイプであると言えましょう。 そんなジョー君のもとに、ある日、ひとりの冴えない風体のオッサンがお見舞いにやって来ました。最初は親戚筋の人間か何かだと思っていたんですが、話の内容からするとどうやら学校の教師のようでありまして、ジョー君の進路問題について熱心に話し合っておりました。

 「ジョーも今回のことで1年間、就職活動を棒にふったんやけどなー。」

 ちらっと聞いた話ではこのジョー君、1年ほど前にサッカーボールが当たって大腿骨を骨折して入院して、今回は埋め込んだプレートを撤去するための再入院ということだったんですが、その間に彼はいったい何をしてたんでしょうな? ま、ジョー君はジョー君なりに何かと忙しかったんだとは思うんですが、とにかく彼は進学ではなくて就職を希望しているようで、これからが勝負ということになる模様なんですよね。

 「将来の希望とか、何かそういうのはあるんかぁ?」
 「別にこれと言ってないんやけど。。。」

 2人の話題はそれで途切れてしまって、いや、無口な少年と冴えない教師との会話というのは何とも盛り上がらないものでありますなぁ。。。 果たしてこの先、どのような展開になるのだろうか?…と、僕は固唾を飲んで隣のベッドの様子を窺っていたんですが、しばしの沈黙のあと、教師の口から一人の生徒の将来を左右することに成りかねない重大なる提案が出されたのでありました。

 「例えば、お笑いとか。」

 なんでやねんっ!…と思いましたね。そんなん、ジョー君にいちばん向いてへん職業やんっ! さすがにこのあまりにも唐突な提案には、ジョー君も 「それはちょっと。。。」 と苦笑しておりましたが、いや、この教師、ぱっと見た瞬間に何だか冴えないオッサンだとは思ったんですが、ここまで進路指導のセンスが皆無だとは。。。 ただこのジョー君、病院では地味キャラで通しているものの、ひとたび教室に入ればオモロイ話を連発するクラスの人気者であるという可能性もまったく皆無であるとは言い切れず、そこを見越しての教師の発言だったのかも知れませんが、お笑い芸人ジョー君はその才能の片鱗すら僕たちに見せることなく退院してしまって、次に “サフランの間” に入ってきたのが65歳くらいのオッチャンでありました。 このオッチャンは以前にもこの病院に入院していたことがあるらしく、既に看護婦とは顔見知りの間柄にあるようなんですが、 “ラフランスの間” の寅爺が看護助手の乳にサワるという狼藉を働いた際、 「フクダさんにおっぱいサワられたーっ!」 という声を聞いて、 「わしもサワりたいっ!」 と大きな声を張り上げたりして、青木記念病院の301号室はセクハラ病棟かーっ、このクメカワっ!…と、怒りのあまり両隣の住民と病院の名前を思わず実名で報道してしまいましたが、このクメカワのおっちゃんは若い頃に自衛隊にいてマラソンが早かったというのがめっちゃ自慢であるらしく、看護婦相手にその話ばかりをしてるんですよねー。 看護婦のほうは日変わりだからまだいいようなものの、いつも隣で同じ話ばかり聞かされるこっちの身にもなれっちゅうの、このクメカワーっ!

 ま、さば君は人当たりもソフトだし、あまり隣人といざこざを起こすというのも得策ではないな。…という判断が出来るくらいの常識は持ち合わせているので、おっちゃんに話しかけられたらそれなりに適当な返事を返すようにはしているんですが、ある日、彼は 「日本人とドイツ人の愛国心の違いについて。」 というテーマで熱弁を奮っておりました。 これがもし、 「血便について。」 の熱弁であれば僕もそれなりに興味があるんですが、クメカワ君に 「日本人とドイツ人とでは、愛国心に対する考え方がまったく違うんだよ。」 と言われたところで、僕としては 「はあ、そんなんですかぁ。」 としか答えようがないんですよね。 が、なまじっか返事をしたばかりに彼はますます調子に乗ってしまって、そのうち、どうしても聞き逃すことが出来ないことを言い始めたんですよね。 「そうなんだよ。もう、ぜんぜん違うんだよー。考え方が360度違うんだよー。」 それを聞いて僕は思わず、「360度やったら一緒やん!それを言うなら180度やんっ!」…とツッコミを入れてしまったんですが、 「そうそう。360度違うんだよー。」 と、まったく人の言うことに耳を傾けようとしません。 「そやからぁ、180度なら正反対なんやけど、360度なら元に戻って…」 「そうそう。日本人とドイツ人ではまったく考え方が違ってさぁ。」

 ええから、人の話を聞けって!!!

 ( 結論 ) ジョー君もクメカワ君も、お笑い芸人には向かない。 ということで、今日のお話はおしまい。

 ということで今日はウエイン・ショーターなんですが、いや、ジョー君はともかくとして、クメカワ君のほうは究極のボケ役として使えるんじゃないか?…と思う人もいるかも知れませんが、あそこまで人の話を聞かないのはかなり問題だと思います。 とにかくウザくて近所迷惑なキャラだったんですが、前立腺ガンであることが判明して、名古屋の大きな病院に転院することが決まったのはちょっと気の毒だったんですけど。 気の毒ではありましたが、病室が静かになって何よりなんですけどね。 ただ、隣が空き家になっていたのはほんの2日間くらいで、サフランの間には新たに “コエさん” という変な名前の高齢者が入居して来ました。看護婦が来ると 「げへへへぇ♪」 と、エロい笑い声を出すのがちょっと耳障りなんですが、もっかのところ寝たきりで、ほとんど顔すら見たことがないという状況なので、迷惑のレベルはわりと低いと言ってもいいでしょう。 とか言ってるうちに、僕は無事に退院出来ることになったわけなんですが、といっても怪我が完治したというわけではなくて、左脚に特製の “装具” というのを装着した状態で、松葉杖を使って何とか歩けるという状態なんですけどね。 “装具” というのは言葉では説明しにくいので写真で見て貰うことにすると、えーと、こんな感じ なんですけど。 ちゃんと脚の型を取って作ってもらったからジャストフィットしているし、膝の部分も曲がるようになっているし、風呂に入る時や寝るときには自分で自由に外せるので、ギプスに比べると遥かに楽なんですが、マジックテープ式のベルトが6本も付いているので着脱作業はちょっぴり面倒だったりします。 で、退院出来たのはよかったんですが、家に戻ってきた瞬間、激しい下痢に襲われる羽目になってしまいました。 今まで病院という暖かくてクリーンな環境で過ごして来たのが、いきなり寒風吹きすさぶ下界に放り出されて雑菌に感染しちゃったのか、それとも、もしかして、ノ・ノロウイルスにやられちゃったとか? そういえば寅爺ちゃんの家族がノロにやられて寝込んだと言ってたのでその可能性は大いに考えられるんですが、症状としては激しい下痢のほか、食欲不振と、微熱による悪寒といったところでしょうか。幸い、吐き気はないのでノロくんではなくて、何か別種の胃腸風邪の類なのかも知れませんが、この下痢というのがなかなか辛かったりするんですよね。 装具を外して寝ている時に猛烈なる便意に襲われて、こ、これは一刻も早く便所に駆け込まなければっ!…という状況であるにも係わらず、いちいち装具を装着しなければならないのが何とも言えずに辛いです。 こ、こんなもの付けている場合ではないっ!…というのは重々承知しているんですが、装具無しで無理に歩いたりすれば脚の怪我に悪影響が出るのは必至なので、装着しないわけにもいかず、こういう時は寝床の傍にポータブル便器があったりすれば助かるんですけどねぇ。。。仕方なく装具を付けたまま寝ることにしたわけなんですが、うちの便所というのは微妙な段差があったりして松葉杖ではなかなかうまく歩けなかったりして、が、ここでもしコケるようなことがあれば脚の怪我に悪影響が出るだけでなく、衝撃で便のほうも漏らしちゃうに違いなくて、細心の注意を払いながら、尚且つ、出来るだけスピーディに移動しなければならなくて、とても暢気にジャズのCDレビューなんか書いている場合ではないっ!!

 ということで、今日はウエイン・ショーターの 『ジ・オール・シーイング・アイ』 というアルバムを取り上げてみたいと思います。 ジャケ絵を書くのが割と簡単そうな上に、この作品はショーターの数あるリーダー作の中でも、極め付けに面白くなかったような気がするんですが、面白くなければそれほど気合を入れて解説を書く必要も、その義理もなかったりするわけですからね。 あ、無事に退院することが出来たので、今回から通常のテナー編に戻ることになったわけなんですが、テナーマンもだいたい出尽くした感があるので、あと数回でネタが尽きるとは思うんですけど。 で、このアルバム、参加メンバーはなかなかに豪華だったりします。ショーター以下、フレディ・ハバードグラチャン・モンカー3世ジェームス・スポールディングという豪華な4管フロントを擁して、でもってリズム・セクションはハービー・ハンコックロン・カータージョー・チェンバースのトリオですからね。 何だかブルーノートにおける新主流派の各楽器の代表選手が一同に会した感がありますが、おまけにウエインの実兄であるアラン・ショーターが1曲にゲスト参加するというオマケまで付いていたりします。 ま、アラン・ショーターが入っていたところで、あらん、そっかぁ。…と思うくらいで、さほどアピール度は高くなかったりするんですが、とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることにしましょうか。 まずはえーと、アルバム・タイトルにもなっている 「ジ・オール・シーイング・アイ」 でありますか。 「すべてを見ている目」 。 確かに世の中で、そのような存在を感じることはよくありますよね。 誰も見ていないと思って信号無視をしたら、ちゃんとお巡りさんが見ていて、捕まったやんかっ!…とか。 誰も見ていないと思って万引きをしたら、ちゃんとガードマンが見ていて補導されたりとか、誰も見ていないと思って局部を露出したら、ちゃんと女子高生が見ていて 「きゃ〜っ!」 と悲鳴を上げられたりとか。 いや、最後の例はちゃんと見られているのを確認してから露出したのではないかという気がしないでもないんですが、人智を超えた崇高なる存在。そのようなものをテーマにした作品なのではないかと思われます。 実際、演奏のほうもゆったりとしたテンポになっておりまして、4管の分厚いハーモニーはあくまでも荘厳にして威厳のある、サヤインゲン。…といった感じで、いや、胡麻和えにすると美味しいんですよね、サヤインゲン。 普通に出汁で煮ても、あまり美味しくはないんですけど。 何だかこう、スピリチュアルな精神性を強く感じさせるものがありますなぁ。…と思っていると、ドコドンドンドン♪…と、激しいタイコのリズムが入って来て、ムードは一転、賑やかな魂の叫びみたいになって来て、でもって、ソロ先発はフレディ・ハバードでありますかぁ。 決してフリーというわけではないんですが、モードの世界としては極限までアウトな雰囲気が漂っていて、聴いているほうとしてはかなり辛いものがあったりします。辛さのレベルと医療行為に例えると、ま、筋肉注射と言ったところでしょうか? 筋肉注射だけはされないような立派な中年になろう!…と心の中で誓ったギャルには、とても楽しめない世界ではないかと思われますが、続くショーターのソロもですね、かなりイタいですな、こりゃ。 短い細切れのフレージングで激しい感情の起伏を感じさせる部分があるかと思えば、垂れ流し的に腹具合の悪さを予感させるパートもあったりして、総体的に見ると、痛くて辛い出来となっております。 この2人に比べると、続くハービーのピアノ・ソロはまだマシであるような気がするんですが、何ともミステリアスで、シリアスで、シリウスシンボリであるには違いありません。昔、そういう名前のウマがいましたよね、シリウスシンボリ。 ちなみに今年(平成19年)、競馬界で最も注目を集めているウマといえば、やっぱり モチ なんですが、子供の頃、いわれもなく “モチ” というあだ名を付けられて虐められた経歴のある僕としては、何としてもこのウマには頑張って欲しいと思っております。 とまあそんなことで、演奏のほうはテーマに戻って、おしまい。 いや、下痢腹にはあまりにもハードな1曲でありましたな。ああん、何だか病状が悪化しそう。。。

 ということで2曲目です。  「ジェネシス」 。 これはえーと、 「創世記」 という意味ですか。僕は高校生の頃、きりしたん系の学校に通っていたんですが、キリスト教という宗教にはまったく感化されることがなく、どちらかと言うと 「創世記」 よりもソーセージのほうが好きな大人に成長したんですが、美味しいですからね、ソーセージ。 もっとも、下痢腹で食欲不振に陥っている今現在、ソーセージなどまったく食べたくなかったりするんですが、僕は子供の頃から腸が弱くて、整腸剤が手放せない子供だったりしたんですよね。大人に成長してからも、やっぱり整腸剤が手放せなかったりするんですが、そんな腸の弱い僕も腸詰めは大好きでありまして、とりあえず下痢が治ったら、思いっきりソーセージを食ってやろうと心に決めているところであります。 で、一方、ショーターの 「創世記」 はというと、これはまた陰気な作品でありますな。 出だしのピアノ・ソロの部分などあまりにも音が小さくて、あれ、CDプレイヤー、止まった?…と思ってしまったんですが、次第に音が大きくなってくることで天地創造を表現したという、恐らくそういうことなんでしょうな。 そのうちに管楽器の人たちも登場して、それなりに賑々しく演奏を開始したりするんですが、ゆったりとしたテンポで、何とも荘厳なムードが漂ったりしております。…と思っていると、いきなりテンポが速くなって、賑やかな魂の叫びみたいになって来て、でもって、ソロ先発はロン・カーターでありますかぁ。ここまでの流れは1曲目と非常によく似てたんですが、ここでベースのソロになって気分が極限まで落ち込んでしまうところが、前曲とはまったく違うところでありますな。 せっかく神サマによって様々な種類の生物が造られて、世の中が賑やかになったなぁ。…と思っていたら、その直後に集団食中毒で下痢になって、ほとんど死に絶えちゃったようなものでありまして、生き残ったものといえば、コケとかシダとかゾウリムシとか、そういう地味なものばかりになってしまいましたなぁ。。。 ま、そのうちにゾウリムシが分裂を始めて、世の中は次第に賑わいを取り戻すことになるわけなんですが、とりあえずショーターが復活して、極めて地味なテナー・ソロを繰り広げたりしておりますな。出だしこそ極めてインパクトの低い吹きっぷりでありますが、そのうちに元気を取り戻してきて、まずまず聴けるようにはなったかな?…と思っていると、ここでまたテンションがぐっと下がって、今度はフレディ・ハバードのソロでありますか。 ま、それほど鑑賞に値しないほど不出来というわけでもないな。…という気がしないでもないんですが、間違っても面白いとは言えない出来栄えでありまして、続くグレシャン・モンカー3世のソロも、以下同文。 いや、こちらのほうは、それほど鑑賞に値しないほど不出来というわけでもないな。…と言ってしまうのもやや気がひけるほどでありまして、僕は今、CDプレイヤーの1曲飛ばしボタンを押したい気分で一杯なんですが、幸いにもグレシャン君のプレイはソロと呼べるほどの長さもなくて、そうこうしているうちに、ごく短いテーマの再現部に戻って、おしまい。以上、11分44秒、苦痛以外の何物でもありませんでした。。。

 これに比べると3曲目の 「カオス」 はまだマシでありまして、タイトル通り、何とも混沌とした世界ではあるんですが、テーマ部はちゃんとメロディみたいになっているし、4管のアンサンブルもそれなりにしっかりしているし、テンポが馬鹿っ速いから退屈ではないし、ソロ先発のショーターも快活で、充分、傾聴に値する出来であると評価してもよろしいのではなかろうかと。 続くフレディ・ハバードだって頑張っているし、人間、一度底辺を経験してしまうと、どんな些細な事でもバラ色に見えたりするものなんですなぁ。 そもそも 「カオス」 という タイトルからして、なかなか悪くないと思うんですよね。少なくともカスみたいな男、略して「カス男 (かすお) 」 とかよりもいいに違いなくて、焼き魚との相性も悪くはなさそうです。…って、それは “カオス” やなくて、 “カボス” やがな!…と、ボケを決められるところもいいと思います。 ま、それが面白いかどうかはまた別の問題なんですが、続いてのソロはグラチャン君でもスポールディング君でもなくて、再びショーター君に戻るんですな。 どうやらグラ君とスポ君の2人はアンサンブル要員という低い位置付けにあるようなんですが…、と言いつつ、改めてこの曲を最初から聴き直してみたところ、あっ、違っておりました。テーマに続いて最初に出てくるのがスポールディングのアルト・ソロなんやんっ! そんなことに気付かないようでは、僕の下痢も相当に重篤であると言わねばなりませんが、1ヶ月以上に及ぶ入院生活によって僕の “ジャズぢから” も相当に弱くなってしまったんですかねぇ。。。 いずれにせよ、アルト、トランペットと来て、3番目がショーターのソロであることが判明しましたが、ま、ここでのソロは悪くない出来だと思います。充分にカオスしていると思います。特に中盤以降の盛り上がりはちょっぴり噛み係…って、ああん、そんな食べ物を噛み噛みして離乳食を作るママみたいな係ではなくて、ちょっぴり神懸りを感じさせたりもするんですが、そんなことでまあ、続いてハービーのソロがあって、混沌としたテーマに戻って、おしまい。 はい、次です。  「フェイス・オブ・ザ・ディープ」  タイトルは 「深みの表面」 といった意味でしょうか? 底は深いんだけど、表面だけを見ると浅かったりして、なかなか深い意味を秘めているわけでありますが、浅く見えても意外と深かったりしますからね、ため池とか。 昔、長島スパーランドにあった水深2mの飛び込みプールというのは、水深4mの飛び込みプールに比べるとまだ浅く見えるからなのか、よくガキが飛び込んで、足が付かなくてパニックになって溺れたりしておりましたが、2mを舐めるなよ!…と思わずにはいられませんでしたな。2mでも4mでも、足が付かないことでは同じですからね。 1日に必ず2〜3人は溺れる危険エリアとしてバイト生の間では嫌がられておりましたが、さすがに安全性が問題になったのか、数年前に撤去されてシャワーコーナーになりましたけどね。シャワーならそうそう溺れる心配もないので監視員としては安心でありましょう。 で、演奏のほうはと言うと、これはもうディープです。 4管の重厚なハモりによる、スピリチュアルなバラード風のナンバーというと聞こえはいいんですが、その実、とっても退屈な作品に仕上がっております。 ぼく個人としてはミステリアスなショーターのバラードが大好きなので、期待の度合いもかなり大きかったんですが、えーと、まず最初はハービーのソロでありますか。 ま、悪くは無いよな。…という気がしないでもないんですが、やっぱりちょっと暇です。 続くショーターのソロは妖しげな感じがとってもいいぢゃん♪…という気がしたんですが、それもあまり長続きはせずに、すぐに退屈なアンサンブル・パートなってしまって、あ、これで終わりですかい。 ま、5分28秒と、さほど長い演奏にはなっていないので、我慢できないことも無いというのが不幸中の幸いでありました。 さ、解説を書いてる僕も次第にテンションが下がってきましたが、残すところあと1曲です。なんとかこの苦境を乗り越えて、来週にすべての望みを託そうかな♪…っと。

 で、アルバムの末尾を飾るには 「メフィストフェレス」 という曲でありますな。前述の通り、アラン・ショーターがゲスト参加しているナンバーでありまして、作曲したのもそのアラン君なんですが、このアラン君は弟のウエイン君と違って日本での知名度は皆無と言ってもよく、どうやら本職はトランペッターのようなんですが、ここでは渋くフリューゲルホーンなんぞを吹いているんですな。 楽器にあまり詳しくない人のために説明しておくと、自分で説明するのは面倒なので、とりあえず ここ を見て貰うとして、ま、要するにそういう楽器だったりするんですけどね。 あ、あっちの世界ではフリューゲルホルンと呼ぶのが正式なんすかね? そういえば破廉恥な人の間で人気の高いフレンチホルンのことをフレンチホーンとは言いませんもんね。 でもまあ、ジャズの世界ではフリューゲルのことをホーンと呼ぶことが多いので、楽器にあまり詳しくない人は、 「ほーん。」 と軽く読み流して貰えればそれでいいんですが、この何だかややこしいタイトルの曲、曲名のややこしさそのままに、なかなか小難しい仕上がりとなっておりますな。 ちなみに、メフィストフェレスというのがゲーテの 『ファウスト』 に登場する悪魔の名前であるというのは、日本の知識人であれば誰もが知っているわけですが、いや、僕は知りませんでしたけどね。ゲーテと言えば、 「ギョエテとは、俺のことかと、ゲーテ言い。」 という有名な川柳があることくらいしか知りませんからね、僕の場合。 で、悪魔の名前が曲名に付いているくらいだから、きっと悪魔的な曲なんだろうな。…ということくらいは僕にも何となく想像が付くんですが、言われてみれば確かに何となく悪魔ちっくな曲想でありますなぁ。 少なくともマグマ大使的でないことだけは僕にもよく分かります。 アースが生んだ正義のマグマ〜♪ …という歌詞にはちっとも合いませんからね。 その悪魔的なテーマに続いてショーターの小難しいソロが登場して、で、その次に出て来るフリューゲルのソロがアラン君なんでしょうか? どうやらこの人、フリー畑で活躍したらしく、いや、活躍したかどうかはサダカではないんですが、とりあえずフリー畑で活動していたらしく、その経歴が災いしたのか、ここでの吹きっぷりも非常に面白みのないものになってしまっておりますすな。 ジャズの世界で自由気ままにやらせるとロクなことがない。…というのがよく分かるわけですが、ただクレジットを見るとフレディ・ハバードもフリューゲルを吹いているという記述があったりするので、もしかしたらこれはフレディのソロだったりするのかも知れませんが、それはともかく、続いてはグラシャン・モンカー3世でありますか。 この人もフリーっぽいのをやらせればまったく面白くないことで世間では有名でありまして、この曲における各自のアドリブの中では最後のジョー・チェンバースのドラム・ソロがいちばんマシだったりするんですが、そんなことでまあ、テーマに戻って、おしまい。 で、今日のところは以上です。

【総合評価】

 やはり、マトモに論評する気にはなれない1枚でありました。これならまだ干瓢の論評でもしてたほうがマシですかね? 干瓢の主要な生産地は栃木県の南部でありますなぁ。…とか何とか。 かなりのショーター好きの僕でありますが、コイツだけはパスっ!!


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