TENORMAN (JAZZ WEST)

LAWRENCE MARABLE (1956/8)

TENORMAN


【パーソネル】

JAMES CLAY (ts) SONNY CLARK (p)
JIMMY BOND (b) LAWRENCE MARABLE (ds)

【収録曲】

THE DEVIL AND THE DEEP BLUE SEA / EASY LIVING / MINOR MEETING
AIRTIGHT / WILLOW WEEP FOR ME / THREE FINGERS NORTH
LOVER MAN / MARBLES

【解説】

 病院というところにいると、いつ自分の身に不幸が降りかかってくるか、分かったものではありません。例えば点滴。 僕は今まで点滴のお世話になったことは一度もないんですが、あんな注射器の針みたいなものをずっとカラダに刺されたまま病院の廊下を歩いたりすれば、きっと痛いんやろな。…というのは容易に想像がつきます。大変だろうなという気がします。 でもまあ、所詮は他人事だしー。 僕が入院しているところは3人部屋でありまして、ベッドの横にはカーテンがあるので一応のプライバシーは確保されているんですが、仰向けの状態から見て僕の右側のベッドに寝ているのが80歳のご老人で、左のほうは高校3年生の男子生徒という、かなり両極端な年齢構成となっております。整形外科というところは家で滑った、道で転んだ、廊下でコケた。…といった類いのご老人が全体の95%を占めていて、たまにサッカーをしていて怪我をした高校生とか、スキーでコケて脚の骨を折ったジャズ好きの中年とかが入院してくるというところなんですよねー。 で、左側の高校生のほうは、最初、ひっそりと病院内で孤独死してるんぢゃないか?…と思ってしまったほど物静かなキャラなので特に問題はないんですが、右のほうの爺さんは鬱陶しいくらいによく喋る爺さんで、こちらのほうも実に好対照だったりするんですけどね。間に挟まれたサバ君は38歳だから、どちらかと言うと高校生のほうに近いし、シャイで無口なキャラも爺さんとは互いに相入れないものがあったりするんですが、僕が初めて病室に入ってベッドの上に寝転んだ時、ちょうと爺さんのほうは点滴中でありました。 カーテン越しに看護婦さんと爺さんの声が聞こえてくるわけでありますが、 「点滴は痛いからなぁ〜。」 とか、「痛いっ!痛たたたたっ!」 といった声が聞こえて来て、ええい、早く黙って針を刺されろってば、この老人っ! ま、ご老体に針を刺されたりしてちょっぴり気の毒だとは思うんですが、所詮は他人事だしー。 などと悠長に構えていた僕でありましたが、ふと気が付くと僕のベッドの横にも点滴袋を吊るす金属性のスタンドのようなものが。 嫌な予感に震えていると、案の定、ニコヤカに点滴袋を手に持った看護婦さんが僕の部屋に入ってきたのでありました。 いや、点滴なんてのは栄養不足のご老人に施すものだとばかり思っていたら、血気盛んで血液中には乳酸だってたっぷり詰まっている痛風の中年にだって適応出来るものだったんですなぁ。。。

 が、刺されることが決まってしまった以上、ここはひとつ覚悟を決めて、男らしく黙ってズブっと刺されようではありませんかー。 この期に及んで見苦しく騒ぎ立てるとは、真のサムライとは呼べねえぜ、爺さんよぉ! けど、やっぱり嫌やなぁ。。。 などと思っておりましたが、案ずるよりも生むが易し。 点滴というのは一度ヤラれてしまえば、さほど大したものではありませんでした。 ま、確かに針を刺される瞬間は注射よりもちょっぴり痛かったりしますが、一度刺さってしまえばもう大丈夫。病室内を歩き回ろうが、廊下を走り回ろうが、ぜんぜん痛くなどありません。 点滴もしないで病院を歩いているやつらをみると、 「この軽傷モノめっ!」 と蔑みたくなってくるほどでありまして、いや実を言うと僕はまだ点滴のチューブをぶら下げたまま出歩いたことはないんですけど。 何でも点滴袋を蹴倒したりすると、血液が逆流して辺り一面が血の海と化すんだそうでありまして、血を見るのが何よりも苦手な僕は、自分の体からの大出血に思わず貧血を起こしちゃうに違いありません。点滴中はなるべく手を動かさないように、じっと寝ているのが一番。 といいつつ、最近はちょっぴり慣れてきたので、こうしてベッドの上で点滴を受けながらザウルスで原稿を書いていたりするんですけど。

 ひとつ注意しなければならないのは、世の中には点滴があまり得意でない看護婦というのが少なからずいる。…という純然たる事実でありまして、例えば僕の手術前に点滴をしてくれたナースがそうでした。 手術するのは左脚だから、点滴は右腕に刺すというのがこの業界の常識であるらしく、ま、言われて見れば確かに、左脚の手術をしている近くに点滴袋がぶら下がっていたりしたら、かなり邪魔ですもんね。ドクターも手術に集中するあまり周囲の状況が見えなくなって、 「えーい、邪魔や〜!」 と叫んで点滴スタンドを張り倒すという可能性だってゼロではありません。 そこで、いつもは左に刺している点滴針を今回は右腕に刺すということになったんですが、ま、彼女の名誉のために付け加えておくと、ベッドのすぐ右には僕と老人とを隔てるカーテンがあって、狭くて作業しにくいというのはあったんですけどね。 彼女はまず、僕の血管を見つけるのに四苦八苦しておりまして、 「血管、細いですかぁ?」 と、か細い声で尋ねて来たんですが、いつも左に刺す時にはそんなこと言われたことはなく、いつも簡単にズブっと針が刺さっているんですよね。右と左の腕でさほど血管の太さに差異は無いような気がするんですが、果たしてどうなんすかね??? で、このナースは 「私、ちょっと自信無くなって来たわぁ。」 とか言いながら、僕の腕の付け根をゴムでギュッと縛ったり、一生懸命に指で皮膚をこすったりして、よくやく 「あっ!」 という希望に満ちた声を上げたかと思ったら、次の瞬間には、 「あ、違うわー。」 とか言ったりして、何とも心もとないんですよね。 で、艱難辛苦の末、ようやく貴重な血管を1本発見したらしく、 「今日の針はいつものより太いから、ちょっと痛いですよぉ!」 という発言に続いて、ブスっと腕に針を刺された次第でありますが、おおっ、いつもと違ってホンマに痛いやんっ! …と思ったら、「ああっ!ホントに痛かったねっ!ゴメンねっ!」 という声と共に慌てて針を抜いたりして、おまけに周囲に飛び散ったらしい血を拭いている気配さえ感じられます。 しばらくして、「もう1回行くねーっ。あっ、今度は大丈夫♪」 ということで、ようやく難産の末に点滴注射は無事完了したんですが、後片付けをしながら看護婦さんはぽつりと独り言。 「針、折れたなぁ。。。」

 ま、手術の翌日の午後4時半現在、僕はこうして点滴を打ちながらベッドの上でザウルスを使って原稿を書いているくらいなので、彼女の点滴スキルは間違ってなかったと言えるでしょう。あの時の針がまだ刺されたままの状態で、ずっと僕の体内に薬液が滴下され続けていることになるわけですからね。ただ、看護婦さんがぼそっと、 「抜く時も痛いやろなぁ。。。」 と言ってたのがちょっと気にはなるんですけど。 …とまあ、こんな話を書いてから既に1週間が経過してしまったんですが、あ、手術の話はまた次回にでも書こうと思っているんですが、その後の僕の豊富な点滴体験を総括するとですね、点滴には大きく分けて2つの種類があるみたいなんですよね。すなわち、動き回っても大丈夫な点滴と、じっと安静にしていなければならない点滴。 便宜上、前者を “可動点滴” 、後者を “不動点滴” 、3番目のものを “マングースはコブラの天敵” …と名付けておこうと思うんですが、いや、3番目なんて無かった上に、書いてあることは全然どうでもよかったりするんですが、数時間から丸一日といった長い時間に渡って点滴が必要となる場合、看護婦さんは “可動点滴” のほうを施すみたいです。使う針自体が違うのかどうかはよく分からんのですが、点滴のホースを腕のところでS字型に蛇行させてテープでしっかり固定してやれば、腕を曲げたり延ばしたりしても、本を読んだりザウルスで原稿を書いたりしても、自分で点滴スタンドを引っ張りながら歩いたりしても大丈夫みたいでありまして、現に左隣りのベッドで寝ているジョー君 (←シャイで無口な高校生) は、いつもそんな風にして歩き回っているんですよね。 未だ、車椅子で無ければ移動することが出来ない僕は、いつもその様子をうらやましく眺めておりました。

 一方の僕は手術後、約2日間に渡ってこの “可動点滴” を施されることになったんですが、ずーっと手首にホースをつながれているというのは、なかなか辛いものがありますな。看護婦さんに言えばうまく点滴袋とホースを袖のところから通してくれるので、何とかシャツを着替えたりすることは可能なんですが、問題となるのは便所でありますな。 手術直後はとても自力で車椅子を運転するだけの余力がないので、仕方なく尿瓶を使って小用を足していたんですが、いや、入院当初は、尿瓶のお世話になるところまで身を持ち崩したくないと思って頑張っていたんですけどね。 が、点滴の管をつながれて身動きが取れない以上、体面がどうのこうの言ってる場合ではないっ!…というところまで追い詰められて、ついにベッドの上で粗相することになってしまったんですが、一度、禁を犯して使ってしまえば、世の中にこれほど便利な便器があったのか!?…と、目の前がぱーっと明るく開けたような思いでありました。 いや、こんなことなら最初から使っておけばよかったですなぁ。 ちなみにこの病院では尿瓶 (しびん) ではなく、尿器 (にょうき) という呼び方をしているようですが、尿器は汚いからといって使い捨てにするわけでなく、中身だけを捨てて再利用しているみたいですね。恐らく “尿器リサイクル法” といった法律でそのように定められているんだと思うんですが、尿器の中身を捨てて貰うように看護婦さんにお願いするのが、シャイで無口な性格の僕にはちょっぴり辛かったりするんですけどね。 尿器には 900cc のところまで目盛りが付けられております。実際は目盛りのかなり上のほうまで採取可能なので 1500cc はいける?…といった感じなんですが、それはあくまで尿器を立てた場合でありまして。 寝かせた状態で使う場合は目盛りの最高値である 900cc あたりが限界ではないかと思われます。1回当たり、およそ 200cc が排出されるというのが計量で明らかになったんですが、ということは尿器1個で最低4回は大丈夫!…ということになりますね。 が、気分的なキャパシティは 500cc が限界かなといった感じでありまして、2回分が溜まった状態でいざ3回目ということになると、やってる途中でオーバーフローしちゃうんぢゃないかと何だか気が気でありません。ま、途中で溢れることは無かったとしても、尿器をベッド横の収納ラックに戻す際に操作を誤まって中身をぶちまける恐れもありますしね。 そんなことで僕は 400cc を目処に中身の処分を看護婦さんにお願いしていたんですが、いやあ、そんなことまで面倒をみさせて何とも面目ない話でありますなぁ。。。

 ある日のこと、僕は一念発起しました。いつまでも尿器に頼っていてはいけないっ! 一日も早い社会復帰の為には、やはり便所くらいは自分ひとりで行けるようにならないと駄目ですよね。そしていよいよ、昔から憧れの的であった “点滴をぶらさげたままの廊下移動” にチャレンジする決意を固めた次第でありますが、よくみると点滴スタンドのパイプ部分は上下2本に分割出来るシステムになっております。 一方、車椅子の背もたれ部分には縦方向に伸びた中空パイプが左右に2本 あったりします。点滴スタンドのパイプの上の部分だけ外して、車椅子の背もたれのパイプに差してやれば、ぜんぜんOKぢゃん!…というのが僕が頭の中に描いた “点滴をぶらさげたままの車椅子による廊下移動” の方法論だったんですが、それとなく看護婦さんに聞いてみたところ、ぜんぜん違っていました。点滴スタンドはキャスターが付いた台の部分ごと自分の足の間に挟むような形で手で持って、そのままゴロゴロと押していく。そんだけ。 ただ、僕には手が2本しかないので、点滴スタンドを押したまま車椅子を漕ぐというのは至難の技でありまして、いや “真ん中の足♪” とかそういう下品なことを言ってはいけません。それに僕の真ん中の足は点滴スタンドを押せるほど起用でなければ、力強くもないっ!…というので、結局は看護婦さんに便所まで車椅子を押して貰うことになったんですが、いやあ、何だかすっかり大事 (おおごと) になってしまいましたなぁ。。。 こんなことなら尿器の中身だけ捨てて貰ったほうがよっぽど手間が掛からないに違いなくて、僕はきっぱりと社会生活復帰の野望を捨てて、尿器生活に戻る覚悟を決めたのでありました。

 ま、幸いにも24時間態勢の点滴は数日で終わって、1日2回、30分程度の点滴だけで大丈夫ということになったんですが、そういう短期決戦の場合はですね、 “不動点滴” ということになります。 手術前日、僕に剃毛プレイをしてくれたギャルっぽい感じの看護婦さんが針を刺してくれたんですが、彼女の技量はなかなか確かなようで、1発ですんなりOK。 右隣りのベッドで点滴針を刺されている爺さん (80歳) が相変わらず 「点滴は痛いからなぁ〜。」 とか、「痛いっ!痛たたたたっ!」 などと言って騒いでいるのを、爺さん、まだまだ若いな! …と、余裕の態度で隣から傍受していた次第でありますが、この日の爺さんはちょっぴり気持ちが荒んでいたのか、 「お父さん、絶対に腕を動かさんといてねっ!」 というギャル系ナースの度重なる念押しにちょっぴり切れて、 「しつこいなぁ!」 と反抗的な態度を取って、 「しつこいて言っても、お父さん、いっつも動かすやんっ!」 と、叱られたりしておりました。爺さん、好感度ダウンっ!よしっ! この爺さん、自分の奥さんが見舞いに来るとデカい態度でワガママばかり言ったりするんですが、看護婦さんが来るとキャラが一転、素直で、純真で、ちょっぴりおもろい爺ちゃん。…を演出しようと必死なんですよね。 「あんた、うちは何処や?」 とか、 「年はいくつや?」 とか、 「干支は何や?」 とか、プライベートな問題まで問いただそうとして、特にどういうわけだか看護婦さんの干支には並々ならぬ関心を持っておられるようなんですが、 「お父さんの干支は?」 と聞かれると 「当ててみぃ!」 と答えるというのもお決まりになっております。 分かってるわい!アンタの干支は “寅” やろっ!…と言ってやりたくて、隣で聞いてる僕はイライラしちゃうんですが、今回の反抗的な態度によって少なくともギャルっぽいナースに対する好感度は著しく低下したに違いなく、いや、これでライバルがひとり減ったということになりますなぁ。わはははははは。

 それにしてもその日は点滴の落ちるスピードがあまりにも遅すぎるのがちょっと気になりました。抗生剤 (?) の点滴はいつも30分足らずで終わるんですが、その日はそれだけの時間が経過してもまだ半分以上の液が残っている感じなんですよね。 そうこうするうちに、僕よりも後から点滴を始めたはずの隣の爺さんがナースコールで 「点滴、終わったでぇ!」 と宣言している声が聞こえて来て、ま・ま・まさか爺さんの後塵を拝することになろうとは。。。 僕は悔しくてギャル系のナースに 「点滴が落ちるのが何か遅いような気がすんのやけど。」 と、自らの窮状を訴えてみたんですが、彼女は僕の腕を見て、 「あーっ、漏れてるやーん!」 どうやら点滴の針が外れていたみたいなんですよね。 「動いたのぉ?」 と詰問されて、そ・そ・そういえば点滴が落ちているかどうか気になって、上半身を起こしたことがあったんですが、あ・あ・あれがよくなかったのかも??? いや、 “可動点滴” のつもりで割とお気楽に考えていましたからなぁ。。。 ギャル系ナースからは、爺さん以下やんっ!…とか思われたに違いなくて、あえなくサバ君の好感度もダウン。ああん! 以来、 “不動点滴” の時は不動の決意で、まるで自分が不動明王になったような気分でじっと腕を動かさないように心掛けている次第でありますが、世の中にはなかなか剛の者がいるものでありまして。 ある日、ようやく自力で動けるようになった僕が便所から車椅子で戻って来ると、ある病室の前に古武士のような風貌の爺さんが立っていたんですよね。よく見ると自分の手で点滴の袋とチューブをしっかりと握りしめたりしております。 「これ、どこに刺さっとったんぢゃ〜!」 どうやらボケがちょっと入っているらしいこの爺さん、点滴中であるにもかかわらず自分で勝手に針を外して、廊下をうろうろと徘徊中だった模様なんですが、僕が病室にたどり着いた頃、廊下のほうから看護婦さんの 「もーっ!何しとんのーっ!」 という悲鳴が聞こえて来たのでありました。 古武士爺さん、好感度、極限までダウンっ!よしっ! ちなみに僕は先日、この爺さんから説教されたりしたんですけどね。 廊下の隅っこで雑誌を読んでいたら爺さんが車椅子で僕のほうに近付いて来て、 「お前はなぁ、こんなん (←左脚のギブスを指さして) してるけどなぁ、本当はなあ、こんなん (←右脚を指さして) とかっ、こんなん (←胸の当たりを指さして) とかっ! 」 どうやら、性根が腐ったお前のような若造は左脚だけでなく、右脚とか肋骨とかも骨折して、根本から鍛え直す必要があるんぢゃ!…というのをで僕に忠告したい模様なんですが、ゴ・ゴ・ゴメンな爺ちゃん。。。 お・お・俺、もっとしっかり頑張るからなぁ。…って、何で僕がアンタに謝らなアカンねん!?

 とまあそんなことで、手術から1週間が経過して、晴れて朝夕2回の点滴も不要ということになった次第でありますが、いや、針を刺されなくても済むようになったのは有り難いんですが、看護婦さんとの貴重なコミュニケーションのチャンスが減ってしまって、ちょっぴり寂しかったりするんですけどね。腕に針を刺されていないと何だか物足りないような気もするしぃ。。。 そんな僕はもしかして、点滴中毒ぅ? ??

 ということで今日はローレンス・マラブルです。 前半部に頑張って 17KB も書いちゃったので、あと 5KB も書けば自分に課したノルマ容量はクリアということになりますね。よって、後半部は前置き無しでいきなり本題に入ることにしますが、ローレンス・マラブル。通称、ロレ・マラ…って、マラというのはナニの隠語だったりするので、あまりお上品な呼び方であるとは言えませんが、ナニというのは何のことなのかというと、ほら、真ん中の足というか、何と言うか。 で、このマラ君の職業はドラマーだったりするんですが、今回紹介するアルバムは 『テナーマン』 というタイトルだったりします。 いいですよねぇ、テナーマン。少なくとも女子高生のスカートの中を手鏡を使って覗き見したりするミラーマンよりも上品でいいと思うんですが、手鏡でパンツを見てみたところで、何も楽しくはないですもんね。パンツというのは駅の階段とかで、チラっと見えそうでやっぱり駄目だったりするところに禅味があるわけで、決して手鏡などで小細工を弄してはいかんと思うんですよね。 パンツに対してはあくまでも謙虚な態度で臨まなければならんと思うわけなんですが、今回の主人公であるローレンス・マレブル君はとっても謙虚なキャラであると言えそうですね。 ウエスト・コーストのジャズ・シーンでは屈指の黒人ドラマーであるとされるマレブル君でありますが、常にサイドマンとしてリーダーを陰で支える地味な立場に徹して、自己の名前を関したリーダー作はたったの1枚しか作らなかったみたいですね。 そのチャンスを彼に与えたのが “ジャズ・ウエスト” という、全部で10枚くらいしかLPを作らなかった幻のマイナー・レーベルであるわけですが、せっかくだから 『どマラのドラマー、マラブル参上!!』 みたいな自己主張の強い作品を作っておけばいいものの、出来上がった作品はよりにもよって 『テナーマン』 。 吹き込みが少なくて幻のテナーマンなどと呼ばれているジェームス・クレイを大々的にフィーチャーした作品となっておりまして、ジャケットの写真もジェームス・クレイのバックになって、マラブル君自身はめっちゃボケてるやんっ! せめて F11 くらいまで絞ってやればマラブル君の顔がもうちょっとはっきり見えるようになったんでしょうけどねー。 スタジオが暗くてシャッタースピードを稼げないので、開放絞り付近で撮影されたものと思われますが、シャイな性格であまり前面に出たがらないマラぴょんのキャラをうまく表現していて、なかなか秀逸なジャケットであると思います。

 とまあこのアルバム、 “幻” 好きの日本人のハートをぐっと捉えて離さないものがあるんですが、でまたピアニストがソニー・クラークであるというのもポイントが高いですな。有名スタンダードを中心に、クラークのオリジナルを3曲ほど交ぜてみました。…といった選曲も実に的を得ておりまして、このCDが日本で発売されるや否や、爆発的なセールスを記録するであろうことは、ほぼ間違いありません。さらに業界屈指の影響力を誇ると言われている 『塩通』 で取り上げられたからには、ツングース大爆発…とまではいかないまでも、中山きんに君の “筋肉爆弾” くらいには爆発的に売れるのではなかろうかと。 とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることにしましょうかー。 えーと、まず最初はハロルド・アーレンの 「ザ・デヴィル・アンド・ザ・ディープ・ブルー・シー」 でありますか。 あっちに行けば悪魔、そっちに行けば深くて青い海。進路を断たれて、体も命も極まるほどの、とうていのがれられない困難な場合・立場にあることやんっ!…というので 「絶体絶命」 なる邦題が付いたりしておりますが、それほど深刻な危機ですかね? 深くて青い海というのはアクアラングを付けて潜ればめっちゃ綺麗な気がするし、悪魔なんてのも熊除けの鈴さえあればこっちには近寄ってこないような気がするしー。 その肝心のアクアラングや鈴が無いから困っているのかも知れませんが、それに悪魔と熊というのは、あくまでも別物なので、熊除けの鈴ではあまり効果がないかも知れないしー。 海に落ちて溺れて死ぬというのは苦しそうで嫌なので、ここは大人しく悪魔に魂を売り渡したほうが賢明でありましょう。…という僕の心の葛藤を知ってか知らずか、演奏のほうはあくまでもスインギー。 もう、インキンに酢を垂らしちゃうくらいスインギー。 そんなことしたら、めっちゃしみるやんっ!…という気がするんですが、皮膚病には酸性の刺激が効果的だと思うんですよね。 マラブル君のチーチッキ、チーチッキ♪…な正統派4ビートに乗せて繰り広げられるテーマはミディアム・テンポのワン・ホーン。 ジェームス・クレイは当時、弱冠20歳のヤングな若者なんだそうですが、弱冠ロリンズの影響を感じさせる骨太なテナーを吹いております。これだけ骨太であればちょっとコケたくらいで骨を折ることもないでしょう。世の中、カルシウムですなぁ。 長くて意味深なタイトルのわりに曲自体はシンプルで単純だったりするんですが、AABA形式の “Bの部” で聴かれるピアノのタッチが、いかにもソニー・クラークやんっ!…といった感じで何だか嬉しくなってしまいますな。 でもってソロ先発はクレイなんですが、これはまさしく正統的なロリ系ですよね。ロリンズの影響を色濃く感じさせるものとなっております。ロリ顔で巨乳というのがグラビア・アイドルの基本なら、ロリ音でレス・フレ (←レスター・ヤングのフレーズ) というのがハード・バップの定番でありまして、そんなことで、えーと、続いてはクラークのピアノ・ソロでありますか。ちょっぴり重い感じのシングル・トーンはまさしく彼の真骨頂と言ってよく、ブルーな味わいもよく出されていて、なかなかの出来であると思います。ちょっぴり地味ではあるんですけどね。 とまあそんなことでテーマに戻るわけなんですが、最後、ちょっぴりドラムスが絡んでくるところなどは、一応リーダーにも華を持たせたということなんでしょう。突出したものは感じられないものの、安定感で勝負のハード・バップの小品でありますな、こりゃ。

 2巨乳、いや、2曲目、 「イージー・リビング」 。 ザウルスの漢字辞書は入力サポート機能として “き” とだけ入力して変換すると、最近使った “き” の付く言葉が優先して表示されるシステムになっているんですが、よく使う “曲名” という字が一文字で変換出来て便利だねっ♪…と思っていたんですが、よく注意しないとたまにヘンな変換になっちゃいますな。 で、この 「イージー・リビング」。 時々、 「気ままな暮らし」 などという能天気な邦題が付いていたりしますが、歌詞の内容は結構シリアスなものではなかったかと記憶しております。 どんな歌なのかよくは覚えていなんですが、すくなくともシマリス住設よりはシリアスなのではなかったかと。岐阜の白川町にあるんですけどね、シマリス住設。おそらく住宅設備系の土建屋ではないかと思われるんですが、いかつい顔をしたオッサンが電話とかで、「どうもぉ。シマリスでぇーす♪」 とか言ってるんですかね? ちょっぴり微笑ましい光景です。 で、この 「気ま暮ら」 は原曲通りのバラードで演奏されておりまして、クラークの泣けるイントロに続いて、ジェームス・クレイがしみじみと深い音色でテーマ・メロディを歌い上げておりますな。 若干、節回しに演歌的な “こぶし” が感じられたりして、ちょっぴり古武士の面持ちがあったりするんですが、あ、古武士風の説教爺さんは昨日、退院しちゃいました。これで僕も安心して廊下で雑誌を読めるようになるわけですが、テーマに続いてはソニー・クラークのピアノ・ソロでありますか。主旋律を踏まえて、それを次第に展開させていくような…と書いていたら、隣のベッドの干支好き爺さんが、たたんたん、たたんたん♪…と指でテーブルを叩き始めたので、僕はすっかりペースを乱されてしまいましたが、この爺さんはいつも 「遅いなぁ、もぉ。」 とか 「嫌んなってきたなぁ、もぉ。」 とか一人でぶつぶつとボヤいていたりして、聞いているこっちのほうが嫌になっちゃったりします。ええい、もっと前向きに生きろって、この若造っ! 罵倒してすっきりしたところでテーマに戻って、おしまい。

 3曲目、 「マイナー・ミィーティング」 。これはアレです。知名度の低い集会です。恐らく、新屋敷西の集会場にひっそりと集まって、地味に “ハンカチ落とし” などをして楽しむ集会ではないかと思うんですが、新屋敷西の集会場の裏には “天武天皇お足洗い井戸跡” という素晴らしい史跡もあったりして、マニアにはなかなか楽しいところではあったんですけどね。 僕は子供の頃、この井戸の跡に石を投げ付けたりして遊んでいたわけなんですが、もしかして僕が脚の骨を折ったのは天武天皇の祟りなのかも知れませんね。天武くん、ゴメンよぉ! 僕、井戸の跡に石をぶつけるような不敬な行為からはきっぱりと足を洗うことにするから、許しておくれよぉ! とまあそんなことはどうでもよくて、これはソニー・クラークの、まあそこそこ有名なオリジナルのひとつでありますな。タイム盤トリオの冒頭を飾ったマイナー調のナンバーなんですが、テナーのワン・ホーンだとまた少し印象が違って聞こえたりします。ブルーノートのオクラ入りアルバムで、この曲を2管クインテット (+ギター入り?) でやっていたのがあったような気もするんですが、それともまた違って、このマラブル版はテーマ部にちょっぴりラテンのリズムを使ったりして、どことなくエキゾチックな知名度の低い集会であるな。…といった感じをうまく表現していると思います。新屋敷西の集会場にひっそりと集まって、桑名駅の建て増しについて協議する集会なんすかね?…って、そりゃ、エキゾチックやなくて、 “駅増築” やがなっ! などと、つまらないことを書いているうちにテナー・ソロが始まってしまいましたが、バックのリズムもいつの間にやらオーソドックスな4ビートに転じておりますな。 で、ここでのクレイの吹きっぷりは加齢を感じさせない華麗なフレージングが印象的でありまして、ま、当時はまだハタチだったわけですからね。加齢を感じさせなくて当然かも知れませんが、いかにも怖い物知らずの若者らしい勢いが感じられて、秀逸です。オトコも38歳くらいになると、注射とか、点滴とか、歯医者とか、雷とか、犬とか、暗いところとか、高いところとか、狭いところとか、怖いものがたくさん増えてしまって駄目なんですが、いやあ、若いというのはいいもんですなぁ。 で、続いてはクラークのピアノ・ソロなんですが、1956年の録音ということは、当時、彼もまだまだ若い頃の吹き込みですよね。まだまだ犬が怖くなるようなトシではなくて、でも暗いところが次第に怖くなり始める頃で、暗いところに閉じ込められるとちょっぴり気分が暗くなるクラーク。 ま、そういった年代ではないかと思われるんですが、この人のプレイは齢の割にはけっこう落ち着いていたりしますよね。 自作曲だけに、いつものお得意フレーズも随所に聞かれたりして、…とか言ってるうちに ts→ds→p→ds になってマラブル君も一応はリーダーとしての面目を保って、でもって、テーマに戻って、おしまい。 クラーク好きの人にもきっと満足して頂けるに違いない演奏であったように思われます。

 で、続いては 「エアータイト」 という曲なんですが、作曲者のところには “H.Geller” という名前が書かれておりますな。 確か、ハーブ・ゲラーとかいう名前の人がいたと思うんですが、その人のオリジナルなのか、あるいは “変態・ゲラゲラ男” みたいなのが作ったのか。 ちょっぴり絶叫系の激しい感じの曲なんですが、もし変態が作ったものであるとするなら、そうとう激しい感じの変態なのかも知れません。 “指フェチ” とか、そういう可愛らしい感じの変態とは一線を画すものがあるような気がします。 荒々しい荒瀬の秘湯巡りみたいなテーマに続いて、ジェームス・クレイのかなり気合が乗ったソロがあって、続いてクラークの落ち着いた感じのピアノ・ソロがあって、 ds→ts→ds→p の、これはえーと、16小節交換くらい?…といった感じの長いやりとりがあったりして、あ、改めて聞き直してみたら普通に8小節交換だったりしたんですが、そんなことでまあ、最後にテーマに戻って、おしまい。 いやあ、なんだか演奏全体がノリノリな感じになって来ましたなぁ。それに反比例して、書くことはほとんど無くなって来たんですけど。 で、5曲目はスタンダードの 「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」 でありますか。 僕はこの曲の 「柳よ泣いておくれ」 という日本語訳があまり好きではなく、ここはひとつ、新しい邦題を考えるべく翻訳ソフトにかけてみたいと思うんですが、えーと、 「柳、私のために泣く」 …って、アカンやんっ!そのまんまやんっ! だいたい、柳が泣くという発想自体、日本人には理解し難いものがあるんですが、日本人ならやっぱり、泣かすのは女房とか、女とか、ホトトギスとか、そんなんやろ?…と思うんですよね。 でもまあ、アメリカ人がどうしても柳を泣かせたいというのならそれに従うしかなくて、ほら、 “郷に入れば郷に従え郷ひろみ” という格言もありますしね。 とまあそんなことはどうでもよくて演奏のほうはどうなっているのかというと、パウエルっぽいタッチのクラークのピアノによるイントロに続いて、ジェームス・クレイがミディアム・テンポでテーマを吹いて、そのままテナーのソロになって、えーとこれは、グルーヴィーな感じがなかなかよろしいのではなかろうかと。 で、続くピアノのソロはブルーな感じがなかなかよろしいのではなかろうかと。 その後、再びクレイが登場してテナーを吹いたりして、演奏が次第にちょっぴり下品になったりするんですが、ま、若者というのは誰でも多かれ少なかれ、品格が下位レベルだったりしますからね。僕はさほど若くは無いので、とっても上品だったりするんですけど。 とまあそんなことで、最後にちょっと簡略化されたテーマに戻って、おしまい。

 ということで、6曲目です。 「スリー・フィンガーズ・ノース」 。 ソニー・クラークのオリジナルなんですが、タイトルは 「指3本分、北。」 という意味なんすかね? 今ひとつよく分からんのですが、ま、世の中には “1本でも人参” という言葉があったりしますからね。いや、ぜんぜん関係ないんですけど。 で、クラークのオリジナルと言うと、我々日本人はどうしてもブルーでマイナーでファンキーな曲調を期待してしまうんですが、この曲はあまりそんな感じは無かったりします。 ま、世の中、ブルーでマイナーでブルマーなものだけが体操服というわけではなくて、ジャージだってちゃんとした体操服なわけだから、そういうことがあっても別に不思議ではないんですが、この “指3本” はアップ・テンポのブルースっぽい曲となっておりまして、ま、どちらかと言うとアドリブの素材としての意味合いが強いように思われるんですが、それだけにここで聴かれるジェームス・クレイのソロはドライビングにして、スリリングにして、んが、んぐ。…といった感じでありまして、あ、最後のはエンディングでサザエさんが食べ物を喉に詰まらせたイメージなんですけど。 デクスター・ゴードンがちょっぴりヤル気になってる時のような…とか言ってるうちにピアノのソロに変わってしまいましたが、ここでのクラークはアレですな。タイム盤のトリオを彷彿させる真摯なプレイがとっても紳士的で、もう、原田真二もびっくり!…とか言ってるうちにドラムのソロになって、これがまたけっこう長くて派手だったりして、マラブルくん一世一代の晴れ舞台といった感じでありますな、こりゃ。 ということで、テーマに戻って、おしまい。 7曲目、 「ラバー・マン」 。 これは僕の大好きな曲のうちのひとつだったりするんですが、どれくらい好きなのかと言うと、 「ラバさんの歌」 の次くらいに好きだったりします。 私のラバさん、酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人♪…というあの歌に匹敵するほど 「ラバー・マン」 はいい曲だと思うんですが、私の愛する人が実はゴム男だったという、哀しい恋の結末を歌ったエレジーですよね、いや、多分。 ゴムですからなぁ、ラバーは。 ウマとロバの合いの子はラバだったりするんですけど。 雄ロバと雌馬との間の雑種。繁殖不能。馬より小形で、性質や声はロバに似、強健で耐久力が強く粗食に堪え、労役に使われる。…とのことなんですが、逆バージョン (雌ロバと雄馬との雑種) のほうは “けってい” (←パソコンでは出せないほどの難しい漢字) と呼ぶんだそうで、ラバほど役に立たない。…と、冷たく切り捨てられておりました。雑種の世界もなかなか難しいものなんですなぁ。。。 とまあそんなことはどうでもよくて、演奏のほうはどうなっているのかというと、これはアレですな。バラードでありますな。 主旋律を踏まえたピアノのイントロに続いてジェームス・クレイが切々とテーマ・メロディを歌い上げておりますな。…といった感じのバラードでありますな。ちょっぴり下品なサブトーンが黒っぽいムードを醸し出しておりまして、どこまでがテーマで、どこからがアドリブなのか今ひとつ判然としないうちにピアノ・ソロになったりするんですが、シングル・トーンで一音一音を噛みしめるように弾くクラークが秀逸でありますな。 で、再びテナーが出てきて、どこまでがアドリブで、どこからがテーマなのか今ひとつ判然としないうちにエンディングになったりするんですが、ま、確かにこれは 「ラバー・マン」 であるな。…ということを感じさせる、そういった演奏なのでありました。

 で、アルバムの最後を飾るのは 「マーブルズ」 という曲なんですが、これはアレです。ソニー・クラークのオリジナルです。クラークのオリジナルと言うと、我々日本人はどうしてもブルーでマイナーでファンキーな曲調を期待してしまうんですが、 「マーブルズ」 だけに、まー、ブルーっすよね。…と言ってもいい作品に仕上がっていると言ってもいいのではなかろうかと。 根は単純なリフ・ブルースのようなものなんですが、AABA×2回+αの、最後のおまけの部分がいかにもクラークらしかったりするんですが、というかこれ、どっかで聴いたことがあるような曲ですよね。 で、ジェームス・クレイのソロはテーマ・メロディとはあまり関係なさそうなところで、とりあえずブルースやってるな。…といった感じで、あまりファンキーではなかったりするんですが、そこへいくとクラークは、さすがに自分で作った曲だけになかなかいい感じでやっておりまして、その後、地味にベースのソロまであったりして、とどめは ts→ds→ts→ds の4バースでありますかい。 なんとも基本に忠実なハード・バップやな。…といった感じの仕上がりでありまして、とまあそんなことで、最後はやや省略形のテーマに戻って、今日のところは以上です。

【総合評価】

 テナー・マンが 「ラバー・マン」 とかを吹いたりしている1枚でありますな。…といった作品なんですが、全体的にあまり華は感じられないものの、適度に地味にハード・バップしている そこそこの佳作だと思います。 リーダーであるマラブルくんの決して出しゃばったりしない謙虚な態度は日本人の感情によくマッチしているし、ジェームス・クレイくんの奇を衒わない素直な吹きっぷりも好感が持てるし、ソニー・クラークの出来も期待どおりだし、選曲的にも的確だし、ま、欠点と言えばあまり華がないことくらいなんですが、ま、何も日の当たることだけが人生というわけではないですからね。日陰でもそこそこヒョロヒョロと育つモヤシ。そいつを炒めてウスターソースをかけたような、そんな味わいの1枚なのでありました。


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