みんな、入院生活をエンジョイしているかな? 入院生活をエンジョイするには、やっぱり女医さんと仲良くするのが一番だと思うんですが、無論、仲良くする相手が看護婦さんだったとしてもまったく問題はなかったりするんですけど。 ちなみに僕は子供の頃、とっても病弱な喘息持ちの少年だったんですが、ずーっと自宅療養だったので、今まで入院生活を体験したことがありませんでした。もし入院の初体験をすることになるとしたら、恐らく痛風の発作に耐え切れなくなった時やろな。…とか思っていたんですが、スキーをしていてコケて左足の骨を折って、思わぬ形で新生活が始まることになりました。 願わくは足の怪我が軽い捻挫で、1週間の自宅療養が必要。…といった程度の軽傷で済んでくれればよかったんですが、家にいても一人では便所にもいけないような状態だったので、いさぎよく入院ということになって、よかったような気もするんですけど。 ただ、病院にいても “便所問題” はちょっぴり深刻でありまして、車椅子に乗って便所まで移動して用を足すというのは想像以上の苦行だったりするんですよね。足の骨が折れているだけに、便所に行くのはまさしく骨の折れる作業だったりするわけです。 「もし一人でおトイレに行くのが辛かったら、これを使ってくださいねー♪」 と、看護婦さんが優しく尿瓶を用意してくれたりしたんですが、僕は人一倍プライドの高いオトコであります。 男の沽券を守るためであれば、たとえ股間を尿で濡らすことがあろうとも、出来るかぎり自分の力で便所に行こうと頑張っているところでありまして、いや最初、病院で貸して貰った浴衣風ガウンの取り扱いに不慣れであったため、股間の部分は大丈夫だったんですが、裾の部分がオシッコでベタベタになってしまいまして。 これならまだ、おとなしく尿瓶のお世話になったほうがよかったかも知れませんなぁ。。。
そして僕はまた、思わぬ “生みの苦しみ” を味わうことになってしまったんですが、病院に来て突然、便秘になってしまったんですよねー。 つい先日の “ラ・フォーレ志賀” では満腹ポンポコリンプラン (←前号参照。) のお陰で、1泊2日の期間中に4回も個室に籠もる事態になったというのに、足の骨を折って以来、それがまったく出なくなってしまいました。 志賀で出し尽くしたというのも一因であるかも知れませんが、左足に力を入れることが出来なくて、全然きばれへんやんっ!…というのが大きな問題であるような気がします。いや、踏ん張りが効かないというのは、なんとも心もとないものでありますなぁ。。。 そして僕はまた、浴衣風ガウンを着用しての洋式便器の取り扱いにも不慣れであったため、裾の部分を便器内の水でまたしても濡らしてしまったりして、ベッドに戻って一人、我が身のあまりの不甲斐なさに枕を涙で濡らすことになるのでありました。 いやあ、ガウンの裾が黄色く染まるたびに、僕の心はブルーになっちゃうんですよねぇ。。。
看護婦さんから 「お通じは出ましたかぁ?」 と聞かれる度に、僕はうなだれて 「まだですぅ。」 と答えなければならなくて、いや、これはなるべく早いうちに何とかしなければなりません。 「そんなに出ないんなら、浣腸しましょうかー?」 と看護婦さんに言われるのが、僕にとってはいちばん辛いことなんですよねー。 何とかそのような事態だけは避けなければなりません。 この病院の看護婦さんは若くて可愛い人ばかりだったりするしぃ。。。 入院2日目の早朝、僕は看護婦さんの活動がいちばん鈍そうな時間帯を見計らって、決死の思いで個室に籠もりました。 大腸も張り裂けよと言わんばかりの勢いで下腹部に力を込めて、 「断腸の思い」 というのはおそらくこういう状態のことを言うのでありましょう。 が、それでもやっぱり駄目だったので、僕は思い切って左の足にも力を入れて踏ん張ってみることにしました。折れている足の骨にはかなり負担が掛かったに違いありませんが、浣腸を避けるためにはそんなこと言ってる場合ではないっ!…と、僕はそこまで思い詰めておりました。 そして、世の中には間違いなく神サマがいるものなんですなぁ。 そしてその神サマは努力している人間のことを決して見捨てるようなことはありません。 僕の必死さに心を打たれた “排便の神サマ” の力添えによって、僕はようやく2切れ半ほどのブツを捻り出すことに成功したわけですが、ま、量がほんの些少であれ、これで堂々と看護婦さんに 「お通じ1回あり♪」 のご報告を出来るというものであります。いやあ、心の底から安堵しましたが、ホッとしたら肛門括約筋のほうも緩んでしまったのか、朝食後に再び適量の排泄が見られたりしたんですけどね。
が、僕のこの悲壮なまでの努力はまったく無意味でありました。 いよいよ明日は手術♪…ということになって、前日と当日のスケジュールが発表になったんですが、その中で恐るべき事実が判明しました。 僕のお世話をしてくれる看護婦さんは日や時間によってまちまちなんですが、手術の前日に僕の部屋にやって来た美形のナースは僕の目をしっかり見つめて、はっきりとした口調で 「今晩、9時に浣腸しますっ!」 と告げたのでありました。 「こ、こ、今晩9時に、か、か、浣腸するのーっ!きゃっ、言っちゃった♪」 みたいに恥ずかしそうに告げるのではなく、こうも事務的に言われると、こちらとしても覚悟が決まりますよね。いや、さすがはプロでありますなぁ。。。 ちなみにこの看護婦さんは僕との剃毛プレイにも付き合ってくれたりしたんですが、ま、脚の手術なので剃ってもらったのはスネ毛だけなんですけど。 「何か変な感じやねー。」 と、ちょっぴり恥じらいながら丁寧なお仕事をしていただきまして、いやあ、入院生活というのもなかなあ悪くないものでありますなぁ。 などと、しみじみ感慨に耽っているうちに、いよいよ運命の夜9時がやって参りました。 昼間の看護婦さんは帰ってしまったようで、今度は愛嬌のあるおねえさん系ナースが 「お待たせしましたー。浣腸の時間でーす♪」 と、僕の部屋までやって来ました。 僕は病院における浣腸というのがどのように行われるのかまったく検討がつかなくて、も、も、もしかして部屋のベッドの上で浣腸して、その場に垂れ流しぃ?…みたいな、かなりマニアックなシチュエーションが一瞬脳裏をよぎったんですが、まさかそこまでハードなプレイは要求されないでしょう。ベッドの上で浣腸された後、便所に駆け込んだりするんでしょうか? 普段の僕であればそれなりに素早い身のこなしにも自信があるんですが、何せ今は自分一人では歩くことすら出来なくて、車椅子のお世話になっている身ですからね。焦って車椅子を動かしている途中で壁に骨折した脚をぶつけて、そのあまりの激痛に思わず漏らしちゃうということも考えられます。 焦らず慌てず慎重に、それでいてスピーディーに。 まるで冬季オリンピックのバイアスロンのように、相反する資質を高度に要求される競技であったわけですな、浣腸。…というのが僕の考えていた第2のパターンだったんですが、結果的にはこれもハズレていて、便所の中で浣腸して、便器の中に排出する。そのような、極めてオーソドックスな方法が取られるようです。 「初めてですかぁ?」 という看護婦さんの質問に明るく 「はいっ!」 と答えたところ、まず最初に 「正しい浣腸のやり方」 のレクチャーが行なわれたんですが、 「液を入れてすぐに出しちゃうんじゃなくて、10分、15分と我慢して、それから出してください。」 というのが浣腸の極意であるようです。 すぐに出しちゃうと液だけが出て来て、肝心のブツが出ないんだそうでありまして。 「ちなみに私は、我慢出来ませんでしたっ。はいっ!」 という看護婦さんの言葉がどんなに僕を勇気づけてくれたことでありましょう。 プロにしてそういうことがあるんだから、もし僕が失敗したとしても、彼女ならきっと笑って許してくれるでありましょう。おかげで僕はすっかり気が楽になりました。自らの恥ずかしい失敗談を告白することによって、患者をリラックスさせる。いや、さすがはプロでありますなぁ。。。
「何か変な感じやねー。」 看護婦さんは剃毛ナースとまったく同じことを言って僕に薬液を注入すると、静かに個室の外へと去っていったんですが、後で、どんな便だったか? 出しておなかがすっきりしたか?…の2点を報告しろとのことでありました。 ちなみに僕は下剤に関しては2度ほど服用経験があるんですが、あまり大した奴じゃねーな。 というのが率直な感想でありました。おなかが緩くなるという点では、キシリトールの大量摂取のほうが効果的ではないか?…と思うくらいでありまして、それに比べて、やっぱりすげぇ!…というのが僕の “直腸の浣腸” に対する率直な感想であります。こりゃ、プロの看護婦さんが粗相しちゃうのもやむを得ないほどの即効性でありまして、こ、こ、この状態で10分間も我慢しろってか!? いや、僕は耐えましたけどね。 15分は絶対に無理だとしても、最低レベルの10分間は何とか耐え抜いて、看護婦さんから 「まあ!よく頑張ったネ♪」 と褒めて貰わなければなりません。 いや、今までの人生の中で10分間がこれほど長く感じられたのは初めてでありましたな。熱さに極めて弱い僕はサウナ風呂で5分間耐えるのがかなり辛かったりするんですが、浣腸後の10分間というのはその2倍の比ではありません。当社比 5.2倍強と言ったところでしょうか。残り5分を切った時点から額に脂汗が浮かびはじめ、残り60秒の時点から歓喜の瞬間を待ち望むカウントダウンが始まり、いや、誰も見ているわけではないから20秒くらいズルしたって誰も文句は言わないと思うんですが、そこが律義なA型性格であるわけでしてー。 で、ついにその瞬間を迎えた時の悦びは、放置プレイもかくありきか?…と思ってしまうほどでありまして、いや、第一便が漏れ出てしまった後は微妙な便後残予感があったりして、看護婦さんから 「出せる限り、すべて出してくださいねー!」 という状態まで持っていくには、それなりの努力と踏ん張りが必要だったりしたんですけど。
で、10分間耐え忍んだ喜びの報告を看護婦さんに告げるため、いそいそとナースコールを押したところ、便所にやって来たのは看護士の兄ちゃんでありまして、すっかり不愉快になってしまった僕は、どんな便だったか? 出しておなかがすっきりしたか?…という2点の報告もそこそこに、黙々と病院の廊下で車椅子を走らせて、自分の部屋へと戻ったのでありました。 おしまい。
ということで、今日はアル・グレイです。トロンボーンです。テナー編はもう終わりなんかい?…と思われた読者もいるかも知れませんが、もう終わりました。 いや、サバ兄に病院までCDを持って来て貰う際、テナーのアルバムが収納されている場所を説明するのが面倒だったので、机の上に放置されているのを適当に持って来て貰ったんですよね。 それらは一体どういうCDなのかと言うと、最近になって買ったヤツで、まだCDラックへの分別収納が行なわれていないもの。…といった位置付けにあるもので、間違ってダブり買いとかトリプル買いをしていない限りは “jazz giant” で取り上げられた実績もないものと思われます。 そんなことでまあ、入院中はリーダーの担当楽器に関係なく、ランダムな形でアルバムを紹介していこうと思うんですが、ま、ちょうど年のほうも2007年になったわけだし、脚の骨を折って読者からの同情票も得られやすい状況でありますので、多少のワガママは大目に見よろな、そこのお前らっ! …というようなデカイ態度は世間の顰蹙を買うだけなので、もっと謙虚にお願いしなければなりませんね。 かと言って、「ああん、多少のワガママは大目に見てほしいのぉ。。。」 と言ってみたところで、気持ち悪いだけでやっぱり顰蹙を買うだけのような気もするが、ワガママついでに、もうひとつ、お・願・い♪…があるんですけどね。 それは何かと言うと、ジャケ絵のクオリティに関する問題なんですが、当初、僕は、退院まで絵は無しと言うことにしておこうと思っておりました。 が、ギャルに優しく、自分に厳しい僕は、脚の骨を折ったくらいで、自分を甘やかせてはいけないっ!…と思い直して、決死の覚悟で1枚のイラストを書き上げた次第でありますが、ま、その結果は自分でも笑けるくらいに不出来なものになってしまったんですけどね。 椅子に座れないのでベッドの上で上半身を起こし、学研の 『ムー』 (1月号) を机替わりにして書いたんですが、街頭アンケートで配られるようなプラスチックの棒の先に鉛筆の芯を付けたタイプの筆記具しかありませんでしたしね。 とりあえず、シャーペンと消しゴムと定規を持って来て貰うように頼んではおいたんですが、それだけで元のレベルの絵が書けるようになるとはとても思えないし、どうか掲示板に 「サバは入院して、堕落した。」 などといった厳しい書き込みをしないようにお願いしたいと思います。(編集部注:現在、ハイクオリティ版のジャケ絵に差替済。) ちなみに病室内でもこっそりPHSカードを使えばザウルスでネットが出来るものとは思いますが、敢えて掲示板のほうはみないようにしているんですよね。 退院してからのお楽しみ♪…にしようと思っているんですが、1カ月後に覗いて、1件の書き込みも無かったりしたら、今度こそマジでHP打ち切りということになるのではなかろうかと。。。
と、前置きでかなり行数を稼いだので、ジャズの話は軽く流しておこうと思うんですが、えーと、 『ナイト・ソング』 でありますな。 これはアレです。 『夜の歌』 というタイトルの通り、夜にちなんだ曲ばかりを集めた一種の企画物なんですが、いや、アルバム名を 『夜のお菓子』 にしなくて本当によかったですね。もしそうなっていたら1曲目に 「うなぎパイ」 が来て、その後がまったく続かなくなってしまって、しかたなく 「赤蝮ゼリー」 とか 「イモリの黒焼き寒天」 みたいな適当な名前のオリジナル曲を作らされたりして、アル・グレイとしてもいい迷惑だったと思うんですよね。 それが 『夜の歌』 になったおかげで有名スタンダードとちょっとマイナーな歌物だけで7曲も集めることが出来て、オリジナルはひとつも作らずに済んだわけですからね。ジャケットのセンスもアーゴ盤にしては上出来だと思います。 ま、病院のベッドの枕元に置いておくと、夜中にちょっとうなされそうな気はするんですが、そんなことよりも僕は、このアルバムのサイドマンに凄くソソられるものを感じてしまいました。 テナーがビリー・ミッチェルで、トランペットがデイブ・バーンズ、しかもボビー・ハッチャーソンのヴァイブまで入っていたりして、もしかしてこれはショーター入りジャズ・メッセンジャーズみたいな、とっても新主流派な3管サウンドが堪能出来るのではないでしょうか??? …という僕の期待はですね、1曲目の 「ブルース・イン・ザ・ナイト」 が始まった段階で、完膚なまでに瓦解してしまいました。 何やこれー? リーダーのキャラがそのまんま出てしもとるやんっ! そもそもアル・グレイという人は僕の貧しいジャズ知識の中で、 “便所ミュートを多様する、ちょっと古臭い感じの演奏をするオッチャン” といった位置付けにあったんですが、それがニュータイプでヤングな若手サイドマンと共演することによって、すっかりナウなオッチャンへと華麗な転身を遂げた。…みたいなストーリーを頭に描いていたんですが、アル君のあまりにも強烈なリーダーシップによって、ヤングな若手のほうがすっかりオッサン化しちゃってるんですよね。恐るべき、アル・グレイっ!
その事実が判明した時点でさぁ、僕のこのアルバムに対するレビュー意欲も急速に薄れちゃってさぁ、言葉付きだってちょっと荒れちゃってるんだけどさぁ、 「ブルース・イン・ザ・ナイト」 というのはアレですよね。 「夜のブルース」 。 ま、そういった感じの曲です。ハロルド・アーレンにしては割と単調な曲調だったりするんですが、短いベースのイントロに続いて登場するテーマ部は、ほのぼのムード満点でありますな。たくさん楽器が入っておりますが、アル・グレイが主旋律を吹いて、その他大勢は盛り上げ係にまわるという構図になっております。ただ、アレンジはなかなか凝っておりまして、トロンボーンとその他楽器のコール&レスポンスみたいだったり、その順番を入れ替えてみたり、で、アドリブ・パートに入ってからのバックの伴奏もなかなか凝っていて、ピアノとバイブとドラムスの “ちゃん、ちゃん、ちゃん♪” みたいだったり、賑やかなアンサンブルが入ってみたり。 グレイの吹きっぷりもソロの後半に入ると、大いなる大井川。…みたいな盛り上がりを見せておりまして、もう、川止め寸前やん!…といった状況になったりしております。いや、よくわかりませんけど。 ただ古臭いだけのオッサンかと思ったら、意外とワイルドな一面もあったりして、で、グレイに続いてはビリー・ミッチェルの地味なソロもフィーチャーされていたりして、最後にまた賑やかなテーマに戻って、おしまい。 いや、当初の新主流派予想が大ハズレで、なんともレトロで垢抜けないコテコテの中間派路線やな。…とか思ってしまったんですが、こうしてちょっと冷静になって聴いてみると、これはこれで悪くない作風でありますな。だって、お正月なんだもん。年の始めくらいは威勢よく、元気に、パーッと明るく、能天気に迎えた芋のですよね。 いや、迎えたい物ですよね。…って、ザウルスの漢字変換機能は今ひとつアホっぽかったりするんですけど。
で、2曲目。 「ステラ・バイ・スターライト」 。 直接 “ナイト” という単語は登場しておりませんが、 『星影のステラ』 という日本名は十分に “夜系” であると判断しても大丈夫なのではなかろうかと。 ただ僕はこの邦題を目にするとどうしても 「星影のどてら」 とか、「星影のお寺」 とか、 「星影のテラテラ」 といったバリエーションが浮かんできて、ちっともロマンチックな気分には浸れなかったりするんですが、夜のお寺をテラテラ顔のおっさんがドテラを着て散歩しているような絵がチラチラしたりするんですよね。 で、アル・グレイの吹く “星テラ” も、おそらくオシャレな出来にはなっていないと思うんですが、聴いてみたら案の定、とっても脂ぎって、テラテラしておりました。 というか、この曲をラテンのリズムでやるというのはちょっと虚をつかれた感じがしましたが、テンポはミディアムで、テーマ部はほぼトロンボーンのワン・ホーンであると言ってもいいでしょう。 イントロ部分で賑やかだったラテンの乗りも、主旋律が出てくるとコンガが目立つ程度でわりと落ち着いた感じになってきて、おなじみのメロディをアル・グレイが軽妙洒脱に歌い上げると、最後のキメの数小節だけアンサンブルのおまけが付いたりして、1曲目同様、ここでのアレンジもなかなか凝ったものとなっておます。誰が編曲を担当したのかよくわかりませんが、変な曲に編曲しないだけでも大したものですよね。 で、ソロ先発はアル・グレイなんですが、テーマ・メロディを徐々に発展させていくような感じで、バックにはアンサンブルが瀟洒に絡んだりして、めくるめくスカートめくりのような世界が繰り広げられることになります。 楽しいですからね、スカートめくり。 女子が 「キャ〜っ!」 とか言って騒ぐのが楽しい。 なんてことを言うヤツがいたりするんですが、僕に言わせればそんなのはスカートめくりの邪道でありまして、ただ純粋にパンツが見たいからめくる。そういうピュアな心が大切であると思います。 とか言ってるうちにボビー・ハッチャーソンのヴァイブ・ソロが始まりましたが、リズム・セクションだけをバックに展開されるクールなアドリブは、スカートめくりで浮ついた教室のムードをぴりっと引き締めるような効果があります。 以下、デイブ・バーンズのトランペット、アール・ワシントンのピアノと、ファンキー系ハード・バップ的な好ソロが繰り広げられて、その後でグレイ親分が登場すると教室の空気は途端に下劣なムードに逆戻りしたりするんですが、そんなことでまあ、賑やかなテーマ部の演奏に戻って、最後はフェードアウトしながら、おしまい。 2曲目からこんなに頑張っちゃってもいいのか?…と、ちょっと心配になってしまうほど、なかなか充実した演奏でありましたな。
…と、思いもよらずここまでけっこう真面目にレビューしてしまったので、そろそろ論じるに足りないようなつまらない演奏が出てきてほしいところなんですが、3曲目は 「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」 でありますか。 “夜の定番” と言ってもいいスタンダードでありますが、 「今宵の君は」 という邦題で知られるジェローム・カーンの曲ですよね。 この日本語名はかなりの意訳であると思われるので試しに翻訳ソフトで直訳してみたところ、 「今夜あなたが見る方法」 というのが出ましたが、大して面白くもなかったので、そのまま先に進みましょう。 演奏はアレです。やっぱりラテンのリズムです。 クールなバイブと、ゆるいトロンボーンのコントラストが面白いイントロに続いて登場するテーマ部の演奏は、世の中を嘗めとんのかっ!…と言いたくなるほど、遊び心に満ち溢れております。 もう、シリアスさのかけらも感じられないほ不真面目で、お祭りムードのままグレイのソロへと流れていって、あっちのほうでもまだ何やらドンちゃんやっておりますが、さすがにこの時点でリズム・セクション以外はバテちゃったみたいですけどね。…と思っていたら途中から息を吹き返して、時折りチャチャを入れたりもするんですが、ここでのアル・グレイのソロ、適当に軽く流しているだけのようにも思えるんですが、じっくり聴くとかなり高度なテクニックを駆使しているようにも思われ、トロンボーンでこれだけ細かいフレージングを吹けるということは、もしかしたらけっこう凄いオッチャンだったりするのかも知れません。日本語ライナーで寺島のヤックンがベタ褒めしているくらいですからね。…とか言ってるうちに演奏のほうはテーマに戻って、そのうちに終わってしまいましたが、ジャケットにでかでかと “with 書き” されているわりには、ほとんどビリー・ミッチェルは出番が無かったりするんですなぁ。 ということで4曲目です。 「スルー・フォー・ザ・ナイト」 。 “夜系” としてはちょっぴりマイナーな作品ですが、作曲したのは、えーと、トラミー・ヤングですか? ヤックンの日本語ライナーではこの曲と最後の 「ラフィング・トゥナイト」 とが、ごっちゃになっているような気がするんですが、揚げ足を取るのは居酒屋でイカゲソの唐揚げを食べる時だけにしておいて、で、トラミー・ヤングというのは寺島クンによればルイ・アームストロングの相棒のトロンボーン奏者なんだそうで。 イントロ無しでいきなり始まるテーマはミディアム・テンポの “ほのぼの系” となっておりまして、3管のユニゾンとヴァイブとの絡みが何とも耳に心地よいですな。 ソロ先発はアル・グレイなんですが、前半はピアノ・トリオとコンゴをバックにシンプルに、後半に入るとそこにアンサンブルが絡んできてゴージャスに。…という、このアルバムのいつものお決まり定番パターンとなっておりまして、ただその後、アンサンブルとピアノの絡みが出て来たりするのがちょっと斬新でありますが、ちょっとしたオーケストラ並の迫力でありますな、こりゃ。 ということで、テーマに戻って、おしまい。
続いてはおなじみ、 「スターダスト」 なんですが、ここに来て初めて、夜らしいしっとりとしたムードの演奏が聴かれるようになりました。 イントロ無しで始まる主旋律をビリー・ビッチェルがテナーで情感豊かに歌い上げて、後半をアル・グレイが引き継ぐ段階になってドラムスが入ってイン・テンポになるわけですが、バックで聴かれるピアノとヴァイブの音色が夜空に輝く星のきらめきを感じさせ、えーと、いつになく詩的なことを書いたところでその先が行き詰まりましたが、とりあえず入院生活における僕の糞詰まり状態は1日で解消したので、とってもよかったと思います。 でもって、ソロ先発はデイブ・バーンズなんですが、ミュートの音色は嫁と姑の対立をも解消してしまう優しさに満ち溢れておりまして、姑が庭でコケて骨を折って入院したのを幸いに、点滴液にミツカン酢でも混入したろかい?…などと企んでいた嫁の陰謀は、とりあえず未遂のまま終わることになります。 どうしてここに嫁と姑が出てきたのかと言うと、ミュートと姑で韻を踏んでいて、いいかな?…と思ったからなんですが、そうこうしているうちにトロンボーン主導のテーマに戻って、おしまい。 もったいぶったエンディングの処理もばっちり決まっていて、星屑にきらめく君の瞳に乾杯♪
6曲目、 「ナイト・アンド・デイ」 。 タイトルに “ナイト” という言葉がそのまま入っていることから、この曲を “ナイト・ソング” の代表に推挙したくなる人もいるかも知れませんが、僕はその意見には反対です。 夜だけやなくて、半分は昼やん。血を吸う環形動物はヒルやん。日本ハムの監督はヒルマンやん。…というのがその理由なんですが、同様に僕はユーミンの 「スキー天国、サーフ天国」 を “スキーの歌” の代表曲とする意見にも反対です。半分サーフィンの歌ですもんね、ありゃ。 スキーの歌と言えばアレやろ? 「一休さん」 やろ?…と思うわけでありますが、それはともかくとして 「夜も昼も」 。 これはアレです。ラテン系にぎやかな、いつものパターンに逆戻りしておりますな。 テーマ部はトロンボーンのワン・ホーン、バックではイントロ部からずっとヴァイブが単一フレーズを反復したりしておりますが、ソロ先発はボビー・ハッチャーソンでありますか。バックでは洗濯板状のものをこするパーカッションの音も聴かれたりして、その微妙なラテン加減がなかなかいい感じです。 リズムがオーソドックスな4ビートに戻ったところでデイブ・バーンズのミュート・ソロに転じて、また洗濯板が出て来てアル・グレイのソロになって、これがまたノリノリではなくて意外と控えめだったりするところに禅味があったりして、締めはアール・ワシントンのピアノでありますか。明確にテーマに戻ることなくフェードアウトしてしまって、ちょっぴり尻つぼみな感が無きにしもアラジン。 「完全無欠のロックンローラー」 、流行りましたよね。ま、典型的な一発屋でありましたけど。 ということで、ラストです。 「ラフィング・トゥナイト」 。 “夜シリーズ” もここに来て限界に達したのか、かなりマイナーどころを持って来た感じがありますが、CDの日本語ライナーを書いている寺島靖国クンは、LP時代にライナーを書いた岩浪洋三クンの日本語訳 「楽しき今宵」 というのを絶賛しておりますが、妙訳でうなるほどのものですかね? 僕は普通に 「笑ける今夜」 でいいような気がするんですが、確かに笑けるような楽しい仕上がりの曲でありますな。トロンボーンとホーン、ヴァイブの絡み具合は相変わらずでありまして、クドくならないギリギリの一線といったところでしょうか? で、ここに来てようやくビリー・ミッチェルのテナーがフィーチャーされることになるんですが、適度な黒さと適度な艶は、通夜の席にはちょっぴり不似合いではあるものの、初夜の席にはいいかも?…という気がするし、とか言ってるうちにアンサンブルが出て来てテーマに戻って、あっさりと終わってしまいましたが、 アルバムの最後をこんなさりげない小品で締めるというのも、なかなか粋な演出であると言えるかも知れませんな。 とまあそんなことで、今日のところはおしまい。
【総合評価】
「スターダスト」 以外、ちっとも夜っぽく無いじゃないかっ!…と言いたくなるような “夜の歌” セレクションでありましたが、リーダーの個性があまりにも強烈である場合、サイドマン買いをするとハズすこともあるという事実を僕に知らしめてくれた1枚でもあります。 ビリー・ミッチェルやボビ・ハチに期待せず、純粋にアル・グレイのアルバムだと割り切ってしまえばそれなりに楽しめる1枚でありまして、たまにはこういうお気楽なのもいいかも知れませんね。お正月だしー。