MODE FOR JOE (BLUE NOTE)

JOE HENDERSON (1966/1/27)

MODE FOR JOE


【パーソネル】

LEE MORGAN (tp) CURTIS FULLER (tb) JOE HENDERSON (ts)
BOBBY HUTCHERSON (vib) CEDAR WALTON (p) RON CARTER (b)
JOE CHAMBERS (ds)

【収録曲】

A SHADE OF JADE / MODE FOR JOE / BLACK
CARIBBEAN FIRE DANCE / GRANTED / FREE WHEELIN'

【解説】

 やあ、みんな、ウインタースポーツを楽しんでいるかな? 冬と言えば、ウインター、ウインターと言えばウインタースポーツの季節であるわけですが、ウインタースポーツと言うと、スキー、スノーボード、スケート、あとはえーと…、そり遊びでありますか。 剃毛プレイというのは1年中、いつでも出来るんじゃないか?…って、いや、 “そり遊び” というのは剃って楽しむ遊びのことではなくて、橇 (そり) に乗って遊ぶという、そっちのほうであるわけなんですけど。 それはそうと、 “橇” という漢字はアレですな。 ブラウザのフォントサイズを最大にしないと分かりにくいと思うんですが、 “木偏に毛が3つ” と書いて、 “橇” なんですなー。 フォントサイズが小さいと “モが3つ” にしか見えなかったりするんですが、どうしてこんな漢字になっちゃったんですかね? 昔のそりは木で出来ていたに違いないので、木偏であるのはもっともだと思うんですが、そこにこれほどたくさん毛を生やしてしまっては、摩擦が増えて滑りが悪くなっちゃうんじゃないか?…と思わずにはいられません。 本題のジャズの話に入る前に、この問題だけは解決しておかなければなりませんが、ということで今日はウインタースポーツの歴史とか、成り立ちとか、生い立ちとか、そういった話をしてみようかと思います。 もし、それだけで前半が賄えなかった場合には、 「どうして剃るとコーフンするのか?」 という問題についても言及しようと思うんですが、ま、なるべくそうならないように頑張りたいところではあるんですけど。

 スキー、スノーボード、スケート、そり遊び。 数ある…というほどには種類が多くないウインタースポーツの中で、いちばん歴史が古いのは、恐らく “そり遊び” ではないかと思われます。 サンタクロースだってトナカイの牽くソリに乗ってやって来るわけだから、少なくともサンタクロースが生きていた頃にはすでにソリも実用化されていたということになりますよね。 4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教、聖ニコラウスがサンタクロースの起源なのではないかと言われているわけですが、セント・ニコラウス、セント・ニコロース、セントニコロース、サンタクロース。 ま、多少の無理はあるんですが、まったく無い話とは言い切れませんよね。 ただ、サンタクロースが聖ニコラウスだとすると、サンタクロースのことをサンタさん、もしくはサンタと呼んだりするのは、聖さん、もしくは聖っ!…と、呼び捨てにしているようなものでありまして、偉大なるサンタクロースのことを、そんな生八ツ橋みたいな名前で呼んだりしてもいいんですかね? いや、生八ツ橋の中でも “聖(ひじり)” というのは “おたべ” や “夕子” と比べて、今ひとつマイナーな存在だったりするんですけど。 とまあそんなことはどうでもよくて、ソリ。 ソリというのは一体いつ頃からあるものなのか? ソリとソリコミとでは、どっちのほうがカッコイイのか? 解決しなければならない問題は数多くあるんですが、そもそもソリはどうしてソリという名前になったのかと言うと、先端が反り繰り返っているから “ソリ” なんだそうでありまして、成るほど。 確かにソリの先端が反り繰り返っていないと、雪とか氷に引っかかって前に進めなくなっちゃいますもんね。 で、そのソリがどうして “橇” という字になったのかと言うと、これがまた調べてみてもこれといった情報が得られなくて、ま、分からなければ分からないで、そんなことは別にどうでもいいやぁ。…という気分になって来たんですが、ま、恐らく木で作ったソリが考案される以前、人類は毛糸のパンツで直に雪の上や氷の上を滑っていたのではなかろうかと。 ただ、パンツ1枚ではお尻が冷たいし、べたべたになるし、擦れて痔になりそうで困るので、パンツを3枚重ねて穿いていたのではなかろうかと。 やがて木製のソリが発明されるにあたって、毛糸のパンツ3枚時代ののなごりで “橇” という漢字が使われるようになったのではないかと推測されるわけですが、そんなことでまあ、これでソリ問題はすべて解決しました。

 先端が反り繰り返った板の上に箱を乗せて、そこに座席をくっつけたものがソリなんですが、それならいっそのこと、先端が反り繰り返った板を直接自分の足にくくりつけてみたらどうか?…というので考え出されたのが “スキー” ですよね。 この画期的なアイデアを思いついたのはロシア人青年実業家のユキミッチ・スベリンコスキー君(58歳)であると言われておりますが、いや、58歳にもなって、どこが青年や?…という気がしないでもないんですけど。 で、彼はこの新しい雪上滑走器具に自分の名前の一部を取って “スキー” という名前を付けたわけですが、もしスキーの発明者がロシア人のスベリンコスキー君ではなく、タジキスタン人のユキヤノフ・スベリシシド君だったりして、新しい雪上滑走器具に自分の名前の一部を取って “シシド” という名前を付けていたとするなら、僕は今頃、ウインタースポーツと言うと、シシド、スノーボード、スケート…といった原稿を書くことになっていたに違いありません。 スキー板はシシド板、スキーヤーはシシドヤー、そしてスキー場は、シシド・ジョウ。 いや、そんなエラが張ったオッサンみたいな名前にならなくて、本当によかったですなぁ。 …という話は今ひとつ信憑性が無い、というか、まったく信憑性が無くて、スキー発祥の地はロシアではなくて北欧のほうではないかと思うんですが、ノルディックスキーという言葉があるくらいだから、ノルウェーなんすかね? スキーと鯨のノルウェー風。 僕が好きなものを2つも考え出したとは、ノルウェー人もなかなかやってくれますなぁ。 ちなみに、最近にわかに愛好者が増加しつつあるテレマークスキーの “テレマーク” というのも、ノルウェーの地方名に由来するものなんだそうですね。 いや、僕はてっきりベルマークの親戚みたいなものだとばかり思っておりました (//∇//) テレテレ。 (←) こんなマークだったりするんやろな、テレマーク。…とか思っていたんですよね。 テレマークスキーというのは “照れマーク” の付いたスキーのことではなく、踵が離れるタイプのスキーのことらしいいんですが、踵が離れたら板が下に落ちちゃうんじゃないのか?…と思ったら、つま先の部分は固定されているから大丈夫みたいなんですけど。

 踵が離れて何が嬉しいのかと思ったら、踵が離れると歩くのが楽になるんだそうで、成るほど、確かにアルペンの板で雪の上を歩くというのは、けっこう難儀だったりしますからなー。 で、一方、最近はショートスキーというか、ファンスキーというか、スキーボードの類をたしなむ人も増えてきて、かく言う僕も数年前に短い板に天津した甘栗…って、ああん、誤変換。 かく言う僕も数年前に短い板に転身したりしたんですが、これは一見、板が短くてお手軽…というか、お足軽そうに見えるんですが、雪の上を歩いたりするのはけっこう大変だったりするんですよね。 さてここに、1人のギャルがいると仮定します。 このギャルがですね、ふとしたきっかけで、スキーを始めてみようカナ?…と思い始めていると仮定します。 ついでにカテーテル・プレイもやってみようかな?…とか、そういうところまで仮定しなくてもいいんですが、この冬、スキーを始めてみたいんだけど、長い板と短い板とでは、どっちのほうがいいカナ?…と、相談されたと仮定します。 いや、これはなかなか難しい問題でありますな。 長い板と短い板とでは、どっちのほうが長いカナ?…という相談であれば、長い板のほうが長いに決まっとるがな!…という一言で解決してしまうんですが、いいとか悪いというのは状況によるし、人によっても違うだろうし、長い板と短い板、それぞれに一長一短があるとしかいいようがありません。 長い板は長いし、短い板は短いしー。 まず、持ち運びという点では、これは断然、短い板のほうに分があります。 短いから車のトランクにだって積めちゃうし、後部座席の足元とかにも転がせておけます。 その点、長い板というヤツは長いですからね。 スキーが必要ない人にとっては無用の長物としか思えないほど邪魔臭くて、車に積む場合はキャリーが無いとかなり厳しいことになってしまいます。 車から降りてゲレンデまで歩いていく場合も、短い板なら片手で持てるからほんの片手間なんですが、長い板だと両手間になっちゃいます。おまけにストックだって2本持たなければなりません。千手観音なら両手で板を持って2本の手でストックを1本ずつもってもまだ996本ほど余るからいいようなものの、普通の人にはちょっとツライ状況でありますな、こりゃ。

 じゃ、短い板のほうがいいのかと言うと、こちらのほうは短いところが短所だったりして、例えば平坦な道を歩いたりする場合は長い板よりも疲れるような気がします。 どちらかというとスケートに近い脚の筋肉の使い方をするので、あまり頑張りすぎると太股が太くなっちゃう恐れがあります。可愛いギャルであれば、顔と太股とのギャップがたまらんっ♪…ということになるんですが、最悪の場合、橋本聖子になる恐れがあります。 で、ゲレンデに出た場合、圧雪したところなら問題はないんですが、フカフカの新雪だったりすると板が短いので雪に埋まって、身動きが取れなくなったりします。親切な人が通りかかれば助けて貰えるからいいんですが、誰も通りかからなかったり、もし通りかかってもそれが不親切な人だったりすると、新雪に埋もれたまま凍死することにもなりかねません。 また、地面が傾いているところでリフト待ちをする場合、ストックが無いので踏ん張りが利かず、ズルズルと前進したり後退したりズルっとコケたりして、大恥をかいたりします。 でもまあ、可愛いギャルが 「きゃ〜♪」 とか言ってコケている姿というのは大いにソソられるものがあるので、それはそれで長所であるような気もするんですけどね。 その可愛いギャルがズブの素人だったりすると、リフト待ちの間だけでなく、リフト乗車時にコケて、きゃ〜♪ 降りる時にもコケて、きゃ〜♪ 滑っている時もただひたすらコケまくって、きゃ〜♪きゃ〜♪きゃ〜♪ いや、何かめっちゃ楽しそうやんっ! 僕は今すぐにでも素人ギャルと一緒に滑りに行きたくなってしまいましたが、ま、リフト乗り場以外でコケるのは長い板でも短い板でも同じで、同じような痛手をこうむることになるんですけどね。 でもまあ、リフトの乗り降りは短い板のほうが両手を自由に使える分だけ楽であるかも知れず、コケそうになったら、きゃ〜♪…といって、隣のサバ君にしがみついたり、抱きついたりすればいいワケだしー。 長い板を履いたギャルにこれをやられると、ストックでバシッ!…とシバかれることになりかねませんからね。

 とまあ、長い板と短い板、それぞれの長所と短所を比較検討してみた結果、やはり初心者ギャルは短いほうがいいかな?…という気がするんですが、いや、しがみつかれたいとか、抱きつかれたいとか、スカートは短いほうがパンツが見えそうで嬉しいとか、そういうことではなくて、やはり短いほうがお手軽だと思うんですよね。箸より重いものを持ったことがないギャルに長い板を持たせるというのは、橋幸夫しか歌ったことがないギャルにフランク永井を歌わせるのと同じくらい酷な話でありまして、ちなみに塩サバ物産(仮名)岐阜営業所の忘年会は先日、岐阜グランドホテルというところで行なわれたんですけどね。どういうわけだが11月1日付で本社に転勤になった元所長代理の長縄クンまで来ておりまして、仕方がないのでナガナワ君の送別会も兼ねるということになってしまったんですけど。 いや、仕方なく…とか、なってしまった…とか、そういう言い方は失礼ですよね。 というか、目上の人をクン付けで呼ぶこと自体に問題があるような気もするんですが、それはともかく、ホテル内の “バー柳ヶ瀬” というところで行なわれた二次会はカラオケということになったんですけどね。 ナガ○ワ所長代理は部下からの人望も篤く、カラオケとなると真っ先に 「ナ○ナワさん、歌や〜。赤とんぼの唄?それとも金魚にする?」 と声が掛けられ、本人もすぐにその気になるので、近い将来 “金魚地獄” を味わうことになるのは避けられないものと思われます。…などと、以前、僕は書いたことがあるような気がするんですが、ま、それも今回が最後ですからね。 送別会で 「酒場の金魚」 を歌えなかったのが心残りで、また岐阜の事務所に戻って来られたりしても困るので、ここはひとつ、本人の気がすむまで歌って貰おうではありませんか。 というか、今回ばかりは周囲の熱望の声がいつになく高く、ナガナワ君ならきっと部下の期待に応えてくれるはず♪…だと、僕たちは信じて疑わなかったんですが、何を血迷ったのか吉幾三の 「酒よ」 なんかを歌ったりして、いや、もしかしたら違う歌だったかも知れませんが、 「赤とんぼ」と 「金魚」 と以外だったらもう、何を歌っても駄目です。最後まで使えないヤツやな!…と思わずにはいられませんでしたが、橋幸夫しか歌ったことがないギャルにフランク永井を歌わせるというのは、ナガナワ君に吉幾三を歌わせるのと同レベルの愚行でありまして、それだけは避けなければなりません。

 とまあそんなことで、やはり初心者ギャルは短いほうがいいかな?…という気がするんですが、ま、ショートスキーはバランスが取りにくいとか、コケた時に板が靴から外れないから大ケガをするという話もあったりして、長いスキーと短いスキー、どちらを選ぶかは好き好きではないかと思うんですけど。 幸い、長い板でも短い板でも使うブーツは共通なので、両方借りて滑りやすいほうを試してみるという手もありますよね。 あるいはショートスキーだけど最初のうちはストックを使ってみるとか、もしくは右足に長いのを履いて、左のほうは短いのにしてみるとか。 ちなみに初級者ギャルをコーチする立場の人間のほうは、短い板にしておいたほうがいいという話はよく聞きますよね。 小回りが利くし、両手が自由だし、板が邪魔にならないからギャルに自由におさわりとかも出来そうだしー。 ただ、相手ギャルの両手がフリーになっていると、「やめてくださいっ!」 と撥ね付けられる恐れがあるので、長いロープで手首を縛っておいて、縄の端を持ってひっぱり回したりして遊ぶのがいいかも知れません。 さ、この冬は長縄クンと一緒に “長縄プレイ” だねっ♪…ということで、スキーのお話はおしまい。

 ということで、今日はジョー・ヘンダーソンなんですが、今日の僕はあまりヤル気がありません。 もう、ナガナワ所長代理の下で働くことが出来ないのかと思うと、気分もウキウキ…いや、気分も落ち込んで、すっかりブルーになってしまいます。一日も早い岐阜営業所への復帰を切望しておりますが、ま、一日で戻るのが無理だというのなら、一年とか、十年とか、三十年とか、五十年とか、それくらいの長いスパンで戻って来るのであれば、僕としてはぜんぜん大丈夫ですんでー。 とまあそれはそうと、今日は 『モード・フォー・ジョー』 というアルバムを紹介したいと思うんですが、これはアレですよね。ジャケ絵を書くのが面倒臭いです。カバーフォト担当のフランシス・ウルフ君はクリスマス・プレゼントに連写の出来るカメラを買って貰ったのがよほど嬉しかったのか、煙草を吸ってるジョー・ヘンの横顔3連写になっているんですよね。 ま、その気持ちは分からんでもないんですけど。 僕の冬のボーナスでニコンの新しいレンズ “Nikon AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G (IF)” というのを買ったんですが、これは “D50”で使うと 35mm判換算で焦点距離 450mmまでの望遠撮影が可能なんですよね。しかも、僕の手持ちのレンズでは始めての手ぶれ補正付きというのもあって、早く何かを撮りたくてウズウズしております。ウズウズするあまり、うずの塩焼きの写真でも撮ったろかい?…と思ったりもしたんですが、そんなものアップで撮ったところで面白くも何ともないに違いないので、すんでのところで思いとどまりましたけどね。とりあえずスキー場に持っていってみようと思うんですが、山とか、樹氷とか、カモシカとか、オコジョとか、ちびっこゲレンデで子供を遊ばせている若妻だとか、アップで撮って楽しそうな被写体がたくさんありますからね。 で、このアルバム、ジャケ絵を書くのは面倒なんですが、その短所を補って余りあるほどサイドマンにソソられるものがありまして、リー・モーガンカーティス・フラーを従えた3管編成+ボビー・ハッチャーソンシダー・ウォルトンのトリオですからね。 ベースがロン・カーターというところが、なりゆきわかこ先生いわく、ちょっと大味かな?…という気がしないでもないんですが、あ、ジャズ猫まんが、来週こそ何とかしますんで。 とりあえずこのコーナーはお休みして、その労力をそっちに回そうと思っているんですが、そんなことで、では1曲目から聴いてみることにしましょうかー。

 まず最初は 「ア・シェイド・オブ・ジェイド」 でありますかー。 “シェイド” と “ジェイド” で韻を踏んでいるところが、いいな♪…という気がするこの曲はジョー・ヘンのオリジナルでありまして、タイトルの意味を調べてみたら “翻訳これ一本” では 「ごくわずかな硬玉」 と出ました。硬いタマというのはどんなタマなのかと思ったら、どうやら翡翠のことらしいんですが、 “JADE” には 「いかがわしい女」 という意味もあるみたいなんですけどね。先日、うちのおかんがアピタで買ってきた焼きイカは何だかとってもいかがわしいイカで、どうも今ひとつだったんですが、この 「ごくわずかないかがわしい女」 というのはなかなかイカした曲だと思います。 3管+バイブという編成をうまく活かしたテーマ部のアレンジが秀逸で、いかにも新主流派やな。…といったサウンドに仕上がっていると思います。 で、ソロ先発はヘンダーソンなんですが、 「うねうねした。」 と形容される彼の持ち味が遺憾なく発揮されていて、実にいい出来だと思います。3管編成なのに、これだけソロ・スペースを与えちゃってもいいのか?…と心配になるくらい充実したアドリブが繰り広げられておりますが、それもようやく終焉を迎えて、続いてはモーガンのソロでありますか。ジョー・ヘンがホリゾンタルな典型的モード・アプローチで吹いていたのに対し、モーガンは跳びはねるようなフレージングで元気に駆け回っておりまして、そのコントラストが実に対比的であるな。…という気がします。 で、ソロ3番手のシダー・ウォルトンで再びモーダル・モードに戻って、テーマに戻って、おしまい。 非常に出来のいい曲で、演奏も素晴らしかったんですが、書くことはあまりありませんでしたな。 ま、世の中、たまにはそういうこともあります。

 2曲目はアルバム・タイトル曲の 「モード・フォー・ジョー」 でありますか。 “モード” と “フォー” と “ジョー” で、すべて長音で統一しているところがいいな♪…という気がするこの曲はジョー・ヘンのオリジナルでありまして、タイトルの意味は調べてみるまでもなく、 「ジョーのためのモードだじょー。」 と言ったところでありましょう。アルバムの表題にするには今ひとつ華がない感じの作品なんですが、その分地味で、ま、いかにもシダーらしい知性を感じ取ることは出来るんですけどね。テンポはミディアム・スローで、トランペットとトロンボーンとヴァイブが奏でる知性的なハーモニーの呼びかけに対して、ヘンダーソンがちょっぴり官能的に応答するという形式でテーマが演奏されていて、ひきつけを起こしそうなテナーのフレーズが何とも言えずに印象的です。 ソロ先発はジョー・ヘンで、アドリブ・パートに入るとテンポもちょっぴり速くなって、次第に気分が盛り上がってくることになるんですが、渦を巻きながら次第に上昇しているような序盤の展開には、思わず体が疼いてしまいます。ウズウズして、うずらの卵が食べたくなってしまいます。串に刺してフライにすると美味しいですからね、うずらの卵。 “カレーハウス CoCo壱番屋” でも、うずらのトッピングは人気メニューのひとつなんですが、うずらの卵を揚げたものが5個乗っていた。しかし、うずらの卵を調理する際に使用する竹串が混入する事故があり、現在は販売を停止している。…とのことでありました。そういえば1年3ヶ月ほど前、会社の近くのココイチで “フライドチキンカレーの400” を食べていたら、後からやって来たニーチャンがうずらを頼んで、「もう、やってないんですよぉー。」 と言われておりましたが、そういう事情があったわけなんですね。 で、テナーに続いてボビ・ハチ君がクールなバイブ・ソロを披露して、でもって3番手はカーティス・フラーでありますか。 1曲目のアドリブ・パートでは出番がなかった2人がここでしっかりフィーチャーされていて、その代わりに今度はリー・モーガンのソロがお休みになっていたりして、ジョー君はああ見えて、なかなかサイドマンに気配りを欠かさないキャラであるようです。僕が子供の頃に大いに流行りましたからね、鈴木健二の 『気配りのすすめ』 。 気配りというのは例えば、お年寄りでも食べやすいようにイカの干したヤツを柔らかくするとか、そういったことなんであるわけですが、それは “気配りのスルメ” やがな!…みたいなギャグも当時としては定番でしたよね。 で、大味なロン・カーターにも気を配ってソロ・スペースを与えたりして、知的で地味なテーマに戻って、おしまい。

 で、3曲目は 「ブラック」 でありますか。 ブラックといえばブラックタイガー。 全身が真っ黒なトラなのか?…と思って楽しみにしていたら、ただの海老やんっ!…というので、ずいぶんとガッカリした人も多いと思いますが、ちなみにブラックタイガーの日本名は “ウシエビ” というらしいんですけどね。 牛みたいな味がする海老なのか?…と思って食べてみたら、海老みたいな味しかしない海老やんっ!…というので、ずいぶんとガッカリする人も多いのではないかと思うんですが、ま、最初から海老みたいな味だと思って食べれば、それなりに美味しい海老ではあるんですけどね。 で、ブラックと言えば、ナスジェットブラック。 茄子の黒焼き入り歯磨きのおかげで、僕の歯痛はもうすっかり完治してしまったんですが、シダー・ウォルトンのペンによるこの 「ブラック」 というのはですね、とっても黒いです。イントロの部分が何だかとっても怪しくて、シダーらしからぬ変な曲やな。…という気がしたんですが、テーマ部に入るともう大丈夫でした。3管+バイブによる分厚いハーモニーと、その間をつなぐ、ちゃららら♪…と下降したり、ちゃららら♪…と上昇したりする部分 (←テナーもしくはヴァイブが担当) がとっても印象的で、AABA形式の “Bの部” をテナー1本に絞ったアレンジも、なかなか的を得ていると思います。 で、ソロ先発のジョー君は、微妙に 「朝日のように爽やかに」 みたいなメロディでアドリブを開始したりしておりますが、その後は自由奔放に野原を駆けずり回っておりまして、で、ソロ2番手は同じく “駆けずり回り派” のモーガンでありますな。 で、その後をシダー君が渋く締めてくれることになるんですが、この人はシダ植物のようないぶし銀の魅力と、仕出し弁当に入っている海老フライのような分かりやすい味とを兼ね備えていて、僕は好きですね。仕出し弁当と言えば、海老フライとブリの照り焼きやろ?…と思わずにはいられなくて、これがもしサバのフライとサワラの塩焼きだったりすれば、僕はもう2度と法事の席には出ないことになると思います。 とまあそんなことで、ピアノ・ソロの後、再びジョー君が出てきて大暴れして、テーマに戻って、おしまい。 ちなみに僕の持っている輸入版CDには、続けて別テイクが入っていたりするんですが、AABA形式の “Bの部” が本テイクとは微妙に変わっていたりするので、聴き比べてみるのも一興かも知れませんね。 ま、個人的には同じ曲を続けて聴かされるのは迷惑以外の何物でもなかったりするんですけど。

 別テイクを無視すれば4曲目のいうことになる 「カリビアン・ファイアー・ダンス」 はヘンダーソンのオリジナルなんですが、これはアレです。とっても 「カリブの火踊り」 です。個人的には “火踊り” よりも “ひよどり超え” のほうがいいかな?…という気がしないでもないんですが、それにこの曲はカリブというより、どちらかと言うとアフリカンな原初の舞踏を彷彿させるものがあったりするんですが、いずれにせよとってもファイアーであることだけは間違いなく、ただ、ファイアー・ダンスというのはあまり家の中ではやらないほうがいいとは思うんですけどね。さば君ち、再燃っ!…ということに成りかねないわけでありますが、テーマに続いてテナー、トランペット、トロンボーン、ヴァイブの順で熱くてホットでファイアーなソロが繰り広げられていて、秀逸です。 その後、ホーン・アンサンブルとドラムスとの掛け合いのようなパートがあったりして、まるで雷鳴のようなジョー・チェンバースのタイコが原始時代の地球の轟きを彷彿させて、とっても轟二郎です。 とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 続く5曲目もジョー・ヘンのオリジナルで、 「グランテッド」 というタイトルが付けられております。 流れるような曲調の秀逸な作品でありまして、こういう “勢いだけ” みたいな曲、僕はけっこう好きだったりするんですよね。ソロ先発に勢いだけの兄ちゃん、リー・モーガンを持って来たのも適切な人選でありまして、ただ、そのソロのスペースが極めて短いところがちょっぴり残念ではあるんですが、続くカーティス・フラーのソロは急速調を物ともせず、なかなか健闘していると思いますね。もう、遣唐使に匹敵するような健闘ぶりでありまして、遣隋使には負けへんで!…みたいいな。あとはえーと…、 “けんとうネタ” で思いつくのはそれくらいなんですが、あ、拳闘の世界では亀田クンとランダエタとの再戦がもうすぐですよね。僕はもちろんランちゃんのほうを応援しているんですが、でもまた亀チャンが勝っちゃうかも知れませんね。勝ったら勝ったで薬物オレンジ疑惑とか言われるに違いなくて、亀チャンもなかなか大変なんですが、僕は亀田クンのKO勝ちに、亀田のハッピーターン3袋…ということで。 で、ソロ3番手はヘンダーソンなんですが、出だしの部分、いつものようにウネウネしてなくてちょぴり新鮮だったりするんですが、ま、途中からはいつものようにウネウネしている日本人女性 “恩恵(うね)” みたいになって来るんですけどね。いや、恩恵 (うね) というのは大韓航空機爆破事件の犯人、金賢姫の教育係だよね?…という事を知っているのは、それなりのお年頃の人に限定されるとは思うんですけど。個人的にはウネもウニも、それほど好きではないしー。 で、その後、ボビ・ハチのソロになって、続いてセカンド・テーマみたいな短いアンサンブル・パートがあって、シダーのソロへと流れていくあたりは実によく練られていると思うんですが、最後にロン・カーターのソロがあって、また目新しい曲調のアンサンブルがあったりして、テーマに戻って、おしまい。いや、実によくデケた1曲でありますな、こりゃ。

 で、アルバムの最後を飾るのはリー・モーガンのオリジナルの 「フリー・ウィーリン」 という曲です。 過去の5曲と比べると、ちょっぴり場違いな感じがしないでもない能天気な仕上がりとなっておりまして、でもまあ、ソロ先発のヘンダーソンはいつもの調子なので、これはこれで、ま、悪くはないと思うんですけどね。 続くモーガンのソロも、やんちゃな感じがよく出ている点茶。…といった感じで、それなりに風流であるとは思うんですが、ソロ3番手はカーティス・フラーでありますな。 で、ソロ4番手はボビー・ハッチャーソンでありますな。 で、ソロ5番手はシダー・ウォルトンでありますな。…と思ったら、そのままテーマに戻って終わってしまいましたが、そんなことでまあ、今日のところは以上です。

【総合評価】

 強力にして無比な、強力ムヒな1枚でありますな、こりゃ。 豪華なメンバーにして、豪快な綿棒。…といった感じで、直径4cm、長さ27cmといったところでありましょうか? そんな綿棒、耳クソをほじくれへんやん!…という気がしないでもないんですけど。


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