君はこの夏、プールには行ったかな? 僕はですね、2回行きました。 2回のうちの1回目は、福井県にある芝政ワールドというところに行ったんですが、所詮は芝政だしぃ。…というので、あまり多くのものは期待していませんでした。 でもまあ、もしかしたら意外と立派だったりするかも知れないし、ここはひとつ、柴犬と柴漬けが好きで、芝政にもしばしば行っている柴田クンに聞いてみようということになったんですが、コイツがなかなか口の固いヤツなんですよね。なかなか本当のことを話してくれなかったんですが、柴田クンをしばきたおして、ようやく芝政のプールの実態を聞き出すことに成功しました。 いや、けっこう凄いみたいです。 何でも “波の出るプール” は日本最大級っ! 浮き輪ウォータースライダーの長さと落差は世界一っ! なんだそうで、僕の芝政に対する期待度は一気に高まることになったんですが、いや、実際に行ってみたら “波の出るプール” の大きさはさほどでもなかったんですけど。 これなら長島スパーランドの “サーフィンプール” のほうがデカくないか?…と思って、僕は疑問の目で改めて宣伝文句を見直してみたんですが、あ、違ってました。日本最大級ではなくて、日本海側最大級なんですな。何だか微妙にセコいエリアでの最大級を誇っているようなんですが、その代わり、日本海側だけに波は荒かったです。 長島スパーランドは伊勢湾に面しているので波のレベルはそれほどではなく、ま、並みのレベルといった感じでありました。 しかも常に波が立っているわけではなく、毎時0分と30分から10分間だけ波が出たりするんですが、芝政は違いました。 プール全体が休憩タイムとなる15分間を除けば、波は常に出っ放しという状態でありまして、そのうちの30分が中波で、15分は大波タイムという波高の変化もあったりして、いや、芝政にしてはなかなかよく頑張っていると思いますね。
僕は学生時代に長島スパーランドのジャンボ海水プールで監視員のアルバイトをしていたんですが、担当部署はファミリープールだったので、サーフィンプールに関してはよく分かりません。 プールの裏側で、一体どんなふうに波を起こしているのか?…という技術的な問題についてもよく知らないんですが、あれはおそらく裏でバイト員が必死こいて板切れを水の中で揺すって、ジャブジャブと波を立てているんじゃないですかね? 草津温泉の湯もみショーを大規模にしたような感じぃ?…というようなシステムでないことだけは確かなんですが、恐らくあれは風の力で波を起こしているわけではなくて、プールの奥で人為的な地殻変動を起こさせているのではないでしょうか。 巨大な板切れのようなものを水の中で上下させて地殻の沈降と隆起を連続的に繰り返す “人工津波発生装置” みたいな感じぃ? そのことを念頭に入れて改めて “波の出るプール” を観察してみると、明らかに波長、周期、波速、波高、振幅の点で普通の海の波とは異なっていることがよく分かるよね。…などと薀蓄を垂れる子供がいたりしたら、子供の癖に生意気だぞぉ!…と、思わずプールの底に沈めたくなってしまいますが、ウンコを垂れる子供というのはまだ可愛げがあるんですが、うんちく垂れの子供というのはウザいですからね。負けず嫌いの僕としては子供に負けるというのは何とも悔しいので、ここはひとつ、今日は “波” について徹底的に勉強してみることにしましょう。題して 「磯野波平でも分かる “波” のお話、ヘイヘイ♪」 さ、頑張っていこうぜー!
“波” には大きく分けて3つの種類があります。大波と中波と小波。 もう少し詳しく分けようとすると、大波と中波の中間くらいの波、中波と小波の中間くらいの波、大波と大波と中波の中間くらいの波の中間くらいの波…などと、いろいろな種類の波が出てきて際限がないので、細かい事はひとまず置いといて、大波と中波と小波。この3つに話を絞りましょう。 大きいのと中くらいのものがある。…という点では、波というのはトロと同じであると言えるわけですが、ただ、大トロと中トロというのはあっても、小トロというのはあまり聞いたことがないので、その点では小波が存在する “波” と “トロ” とでは、違うものであるということも出来ます。桑名寿司で取る並寿司には大トロも中トロも入っていなかったので、トロと並寿司というのもあまり相性がよくないと言えるかも知れません。 という事で、今回はトロ抜きで、話を “波” だけに限定しようと思うんですが、波の強さというのは水の深さとは反比例するものらしいですな。 子供の頃、長島スパーランドのサーフィンプールで遊んでいて、足の付くぎりぎりの深さまで行こうとする僕に対して、塩サバ2号が何やらそのようなことを言っておりました。波は水が浅いところのほうが強いんや。そやから、サーフィンプールは浅いところのほうがおもろいんや。…とか何とか。 で、言われてみれば確かにそんな気もするわけなんですが、いや、お兄さんは賢かったとか、それに比べて弟のほうは愚鈍であるとかそういうことではなくて、年齢差が5つもあれば当然、その程度の知識差というのは生じるわけでありまして。 どうせ、学校の理科の授業でそういう話を聞いて、幼い弟を相手に薀蓄をひけらかして、それで得意になっていたのでありましょう。何とも大人気のない話だと思いますねー。
ま、そうは言っても一応は身内なので、塩サバ2号の名誉のために、一応はその話の裏を取っておこうと思うんですが、えーと、どれどれ。波の高さとスピードは水深によって変化します。海岸に近づくほど、水深は浅くなり、それに伴って、波のスピードが落ちます。すると、後からくる波がどんどん積み重なり、波は高くなっていくのです。(←どっかのサイトから勝手に無断で引用。) おおっ、合ってるやん! ま、塩サバ2号の言うことも満更ウソでは無かったようですが、ところで君は “波” と “うねり” の違いが分かるかな? ナミナミと波立っているのが “波” で、ウネウネとうねっているのが “うねり” だよね。…と、感覚的に説明することは可能なんですが、もっと論理的な説明を求められるとちょっと難しいものがありますよね。どちらかと言うと “波” よりも “うねり” のほうが性格がややひねくれているような感じがあるんですが、えーと、遠く離れた場所の台風や低気圧によって発生している高波が、時間をかけて伝播してくるものを「うねり」といいます。…ですかぁ。 波というのは基本的に、風が強く吹けば吹くほど高くなるものなんですが、 “うねり” というのは風の強さとはあまり関係なく、とにかくうねったりするものなんですね。 で、 “波” と “うねり” を足したものが “波浪(はろう)” なんだそうで、そっかぁ。ハローキティの和風バージョンである “はろうきてぃ” というのは、 “波とうねりきてぃ” という意味だったんですなー。 いや、ちょっと違うような気もするんですけど。
で、水深が浅くなると波が高くなるという “塩サバ2号の法則(仮名)” なんですが、これは “波” よりも “うねり” のほうが、より顕著なんだそうです。 どうしてなのかと言うと、 “波” よりも “うねり” のほうが波長が長いから “浅海効果” が出やすいんだそうですが、何だか次々と新しい言葉が登場しますな。これはえーと…、波が岸に近づき、海底の影響を受けて波高、波速、波長が変化することを浅海効果といいます。水深が波長の1/2より浅いところでこの現象が現れます。浅海効果には、浅水変形、屈折、砕波などがあります。…ということなんですが、波長というのはハ長調とか、八丁味噌とか、そういうものとはあまり関係がない波の長さのことですよね。 “うねり” の波長は短いもので 100m未満、長いもので 200m以上になるということなので、波長の長い “うねり” だと水深 100m以下のところで浅水変形したり、屈折したり、あるいは砕波しちゃったりすることになると。 一方、風が吹いて起こる風波のほうは波長が短いので “浅海効果” が表れにくいと。 ま、塩サバ2号の言ってることも完全に間違いというわけでは無かったんですが、もっと正確には、波浪、なかんずく“うねり”の成分は、水が浅いところのほうが強いんや。…と言うべきでありましたな。 ま、そんなことを言われてみたところで、幼い弟としては、「はぁ?」 としか反応の仕方が無かったものと思われますが、そんなことはどうでもええから、波が顔面を直撃して鼻に水が入って死にかけている幼い弟を、笑って見てないで早く助けてくれって!
で、世の中には“うねり”なんかより、もっと波長の長い波というのが存在します。そうです。 “津波” です。 ピーナッツとか、枝豆とか、ポテチとか、イカくんなんかは “つまみ” として最適なんですが、津波というのは恐ろしいものですよね。海底で大きな地震が発生した場合、のんきにイカくんを齧っている場合ではなくて、さっさと高台に避難するというのが鉄則なんですが、イカくんと命のどちらが大切かと言うと、やはり僕なら命のほうを選びます。イカくんって別にそれほど好きではないので、命に代えてまで固持するつもりはありません。 じゃ、イカくんではなくて、 “くんたま” だったらどうする?…って、そういう心に迷いの生じる質問というのは、やめて欲しいもんでありますが、ま、僕は別に燻製玉子というのもそれほど好きではないので、やっぱり高台に避難すると思いますけどね。 じゃ、 “高台に避難” と “高田みずえにギンナン” だったら、どっちを選ぶ?…って、今度こそ本当に迷ってしまうところですが、ギンナンはともかくとして、高田みずえはけっこう好きでしたからね。戸塚ヨットスクールに子供を入学させた親たちは、いつもカラオケで 「そんなヒロシに騙されて」 を歌っているそうですが、お前が好きだと耳元で言った〜、そんなヒロシにだまされ渚にたたずむ〜 踊りが上手でウブなふりをした〜 そんなヒロシが得意なエイトビートのダンス 泣いたりしたらいけないかもね ディスコティックは夜通し熱い だからひと言ください 恋の行方はメランコリー だからお前は素敵さ 愛が消えてく横須賀に〜♪ って、ワンコーラス歌っているうちに波にさらわれるから、早く高台に避難しなさいってば!
津波のメカニズムというのはですね、わりと簡単です。そりゃ、海の底がいきなり沈降したり、隆起したりすれば、波も起こるわいな。…というのは感覚的にも理解しやすいと思います。で、 “波” と “うねり” と “波浪” のところで勉強した波長でありますが、津波の波長は約10kmにもなるというのだから、100mとか200mなどと暢気なことを言っていた “うねり” とは次元の違う話ですな。波長が 10000mともなると、海の深さ 5000mのところでも “浅海効果” が出るということになって、そんなんちっとも浅海ちゃうやん!足、付かへんやん!…と思わずにはいられませんが、それと同時に波浪が単なる海の表面だけの変化であるのに対して、津波のほうは海の底から真ん中から表面に至るまで、すべての体積の水の固まりが押し寄せてくるわけですからね。 で、津波が押し寄せる速さというのは海の深さに関係することになるんですが、例えば平均水深 4000mの太平洋の場合、津波の進行速度は 720km/hと、実に三岐鉄道・北勢線の16倍ものスピードになります。例えがあまりにもローカル過ぎて分かりにくかったので、もっと一般的な例で言うと、ナマケモノの2500倍でありますかぁ。(←時速 0.288km/hらしい。) そんな、ほとんど移動しない生き物と比べてもその速さがちっとも実感出来ないんですが、ナマケモノもその気になれば、時速 100km/hで走るらしい。…という、根も葉もない通説もあったりしますからね。つまり、津波の速さはヤル気になったナマケモノの 7.2倍ということになるんですが、ただ、海が浅くなるにつれて速度のほうは遅くなるので、まだ救いはあるんですけど。 ただ、遅くなった分、後から後から波が覆いかぶさって来て、波高のほうはぐーんと高くなってしまうのであまり救いはないんですが、速さのほうだけを見ると水深 10mの地点では 36km/hということになるようです。 ヤル気になったナマケモノなら余裕で逃げられる速度ですが、人間というのはいくらヤル気になってもナマケモノほどにも速くは走れない可哀想な生き物でありまして、36km/hというのはだいたい、100m走の日本記録に匹敵するんだそうですね。 こうなってくるともう、大地震で海底が沈降した場合、のんびりと沖縄土産の “ちんすこう” を齧っている場合ではなくて、早く高台に避難しなさいってば!
ちなみに僕が今年プールに2回行ったうちの2回目は、長島スパーランドのジャンボ海水プールだったんですが、ここのプールはですね、浮き輪スライダーの長さこそ芝政ごときに負けてしまいましたが、総面積 70,000uのなかに10のプールと 18種 55本のスライダーが揃う世界最大級の海水プール…なんだそうで。 わざわざ海水を使っているプールなんて世界各地を探してもそう数は多くないに違いないので、世界最大級と言われても日本海側最大級と同じくらい、何だか今ひとついかがわしい気がするんですが、いかがわしいイカの焼きイカとかは売っていないので、その点ではいいと思うんですけどね。イカ臭いですからね、いかがわしいイカは。 が、イカ臭くはなくても、ここのサーフィンプールは大変に塩辛いです。もう、イカを漬け込んだらすぐに塩辛になっちゃうんじゃないか?…という気がするくらい。いくら海をイメージしているとは言え、そこまでする必要はないんじゃないかと思うんですけどね。波が顔面を直撃して鼻に水が入って死にかけた時の鼻水のしょっぱさと言ったらもう、普通のプールの比では無いですからね。 が、一度この感覚に馴れてしまうと、芝政のぜんぜん塩辛くない波の出るプールが、妙に物足りなく思えたりもするんですけど。 いずれにせよ来シーズンは一度、造波プールでじっくり水深と波長と波の高さの関係を観察してみると、いい夏休みの自由研究のテーマになると思います。 ということで、これで波のお話はおしまいです。分かったか磯野波平?ヘイヘイ♪
ということで、今日はクリフォード・ジョーダンです。通称はクリ・ジョーだじょー。 …って、この呼び方をしているのは、あるいは僕だけなのかも知れませんが、日本での人気も何だかちょっと今ひとつですよね。長島スパーランドのジャンボ海水プールのスライダーで言うと、UFOスライダー程度の人気ですかね? 全長 15mのチューブを抜けて、直径 8mのUFOのようなボウルの中に入ってしまうと、そこはアリ地獄。中央の穴にぐいぐい吸い寄せられてプールへ真っ逆さま。次に餌食になるのはだれ?…と、公式サイトで説明されているスライダーなんですが、一人当たりの所要時間が妙に長い上、ただグルグル回って、最後に落ちるだけやん!…という気がして、あまりソソられるものがないんですよねー。 とまあ、そんなクリちゃんの 『ジーズ・アー・マイ・ルーツ』 というアルバムを紹介したいと思うんですが、 『それらは私のルーツです。』 ですかー。 どれらがこの人のルールなのかというと、ジャケットに “PLAYS LEADBELLY” と書いてあって、その下に何だかルーツっぽい顔のオッサンのシルエットが出ていたりするので、おそらくこれらが彼のルーツなんだと思うんですが、レッドベリーとはいったい何者なんでしょうね?ブルーベリーが赤くなったみたいなヤツぅ?
…と思って調べてみたところ、その正体が判明しました。レッドベリー。本名はハディ・ウイリアム・レッドベター。アメリカ音楽の歴史を作り上げた偉大なアーティストのひとりである。ブルース・ミュージシャンと紹介させることが多いが、彼は60年台のプロテスト・フォークの始祖とも呼べる人で、云々…と、どのサイトでも書かれていることはほとんど同じなので、各自が元ネタを勝手に引用したり、盗用したりしているものと思われますが、とにかくまあ、そういう人であるようです。 で、このクリフォード・ジョーダンのアルバムは1曲のオリジナルを除いてすべてレッドベリーの作品で固めたという企画物のようでありまして、そのこと自体、僕個人としてはさほどソソられるものもないんですが、参加メンバーがけっこうよかったりするんですよね。 トランペットのロイ・ブロウズという人の素性に関してはよく分からなくて、チャック・ウェインのバンジョーが入っていたりするところはむしろ邪魔なような気もするんですが、残りのジュリアン・プリースター、シダー・ウォルトン、リチャード・ディヴィス、アルバート・ヒースに関しては本作がとっても新主流派でモーダルなサウンドであることを予見させ、大いに期待が持てるところかと思います。 とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることにしましょう。 まずはえーと、 「ディックス・ホラー」 という曲ですか。タイトルはおそらく 「ほら吹きディック」 の意味だと思うんですが、演奏が始まった瞬間、何じゃこりゃ〜!? と思ってしまいました。 「ディックのホラー」 ではなくて、 「何じゃのこりゃー。」 という曲名にするべきではないかという気がするほどなんですが、いや、何ともレトロなサウンドでありますな。特に新進気鋭のトロンボーン奏者だと思っていたジュリアン・プリースターのアーシーな吹きっぷりが何とも言えない雰囲気を醸し出しておりまして、いや、さすがは戦前のフォーク・ミュージックが素材なだけのことはありますなぁ。。。
この作品の正体が明らかになって、僕の興味は急速に薄れてしまったんですが、何とか気を取り直して演奏に耳を傾けてみると、アドリブ自体はそれほど悪くはありません。特にソロ先発のシダー・ウォルトンは平素のクールなイメージをかなぐり捨てて、何ともソウルフルなスタイルを披露しておりまして、いや、この人もやはり根っこのほうではブルース魂の持ち主だったんですな。続くクリフォード・ジョーダンもコテコテのようでいて、その実、結構モダンな感じのするプレイを展開していて、続いて再びシダーが登場して、そのバックでホーンが絡んでくるというアドリブもなかなか秀逸でありまして、とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。 いや、最初はどうなることかと思いましたが、ちょっぴり曲調がダサいという点にさえ目をつぶれば、かなり下品なソウル・ジャズの範疇には納まる出来だったと思います。 ということで2曲目です。 「シルバー・シティ・バウンド」 。銀色の都市がはずむ…というのは一体どういう状況なのかよくわからんのですが、ちなみに “翻訳これ一本” では 「銀都市限度」 という訳が出ましたけどね。銀都市。何かいいですよね。銀行がいっぱいあって、お金を下ろす場所には困らないかな?…という気がするんですが、ま、下ろすだけの十分な預金があってこその話なんですけどね。 で、曲のほうはというと、何とも安っぽい感じのするアメリカン・フォーク・ソングでありまして、こりゃ、預金残高 2867円くらいやな。…という気がするわけなんですが、タンバリンの軽快なリズムとトロンボーンのワウワウミュート (?) がチープな雰囲気をよりいっそう高めていて、秀逸です。 ここまでくると、これは恐らく確信犯でありましょう。 で、ソロ先発はジョーダンでありまして、大上段に構えないリラックスしたプレイを堪能することが出来ます。大上段というより、どちらかと言うと中下段といったところでしょうか。適度にアーシーで、そこそこワイルド…とか言ってるうちにテーマに戻って終わってしまいましたが、全10曲入りで1曲あたりの演奏時間が短いので、何かと慌ただしいものがありますな。
続く 「テイク・ディス・ハンマー」 も、何ともゆったりしたテンポの泥臭いナンバーでありまして、ジョーダンがテナーで吹くテーマに続いて、サンドラ・ダグラスというギャル、あるいはオバハンのボーカルがフィーチャーされることになります。これはもう、気分は “古きよきアメリカ” でありますなー。 僕はアメリカンドックというのは大好物なんですが、最近のアメリカの一国主義的な傾向には疑問を感じずにはいられず、京都議定書にもちゃんと調印しろって! どうせ日本だって目標を達成出来へんのやから。…という気がするわけなんですが、京都議定書から脱退したような国の住民には、生八つ橋を売ってやらなくてもいいと思いますね。それくらいの経済制裁は受けてしかるべきだと思うんですが、古きよきアメリカの時代はよかったですなぁ。…と、しみじみノスタルジーな感傷に浸れる作品に仕上がっていると思います。 ま、純ジャズとしてはどうか?…という気もするんですが、バックのアレンジはそれなりにいい感じですしね。 ということで、4曲目の 「ブラック・ベティ」 に行きたいと思いますが、あ、書くのを忘れておりましたが、先程の 「テイク・ディス・ハンマー」 というのは、この金づちを持って、○○○○の頭を叩こう!…といった内容の歌だと思います。伏せ字の部分には各自で適当な言葉を入れて貰えればいいんですが、例えば “ナガナワ” だとか。 で、4曲目のの 「黒いベティ」 のほうはタンバリンのリズムも軽快なリズム&ブルース調のナンバーでありまして、そこはかとなく集団即興演奏っぽくなってたりするところが実に何ともレトロ・モダンだったりします。 ソロ先発はトランペットのロイ・ブロウズという人なんですが、バックの伴奏がピアノレスだったりすることもあって、微妙にオーネット・コールマン・カルテットぽいムードがあったりもするんですが、続くジョーダンのソロも何だかアウトですしね。 古臭さとフリーな感覚が同居した、何とも不思議なサウンドに仕上がっていると思います。
続く 「ザ・ハイエスト・マウンテン」 は今までに無かったような新しい感覚の作品で、3管の絡みとハモりの具合が何とも言えずモーダルだったりするんですが、それもそのはず、これはこのアルバムで唯一のクリフォード・ジョーダンのオリジナルなんですね。 ソロ先発のシダーも、続くジョーダンも実に大張り切りでありまして、アルバート・ヒースもここぞとばかりにシャープなドラミングでソロイストをプッシュするプッシュG軟膏。…といった感じの1曲なんですが、いや、どうせなら全曲をこの路線で走って欲しかったところでありますなぁ。…という僕の願望はまったく受け入れられず、6曲目の 「グッドナイト・アイリーン」 では再びアメリカン・フォーク路線に逆戻りしております。 これ、どこかで聴いたことのある曲やな。…と思ったら、多くのミュージシャンによってカバーされているレッドベリーの最有名曲らしいんですが、ま、別にどうってことのない童謡風のナンバーだったりするんですけど。 テーマ部はプリースターのボントロ中心に演奏されていて、アドリブ・パートでもこの人が大いにフィーチャーされることになるんですが、4曲目と同様、ここでもピアノレスのフォーマットが採用されていて、ソロ2番手のジョーダンのパートなど、ちょっぴりアルバート・アイラーを彷彿させたりもするのでありました。そういえばアイラーの代表曲である 「ゴースト」 なんてのは、ほとんどアメリカン・フォークの世界ですからね。 で、続いてリチャード・デイヴィスの変態ピチカート・ソロも若干ながら聴かれたりして、これまた古いんだか新しいんだか、よく分からん1曲なのでありました。
7曲目の 「デ・グレイ・グース」 はレッドベリーにしてはモダンな感じの曲調なんですが、テーマで聴かれるチャック・ウェインのバンジョーが何ともダサい雰囲気を醸し出してしますけどね。そういえば入っていたんですよね、バンジョー。 この楽器は 「トムとジェリー」 中で、ジェリーの叔父 (もしくは伯父?) にあたるペコスおじさんが弾いていたことでよく知られておりますが、 “ひげも使いよう” という話でしたかね? ペコスおじさんは、ケンボー♪ と、なかなか渋い歌声も聴かせてくれましたが、バンジョーというのはモダンジャズで使うべき楽器ではないような気もするんですけどね。 ま、このアルバムでバンジョーが聴かれるのは後にも先にもこの1曲だけなので、余興として許されるレベルだとは思うんですけど。 ま、それを除けばソロ先発のクリフ・ジョーダンも何だか随分とはっちゃけておりますし、ソロとアンサンブルとのバランスもなかなかいいし、出来としては決して悪くないんですけど。ちなみにジョーダンの後、トランペット→トロンボーンの順でソロがあって、テーマに戻って、おしまい。…という構成になっております。 8曲目の 「ブラック・ガール」 は、しみじみとしたバラード調のナンバーで、サンドラ・ダグラスのボーカルがフィーチャーされております。 何とも哀しみを誘う歌声でありまして、あ、もしかしてここではバンジョーがギターの代わりに微妙な隠し味として使われているんですかね? あの、ケンボー♪ の楽器がこんな風に使えるというのは新たな驚きでありましたが、バックのアンサンブルのアレンジも実によく練られていて、なかなか秀逸な作品であると思います。
で、残すところあと2曲でありますか。 9曲目は 「ジョリー・オー・ザ・ランソム」 。 何だかずいぶんとヴァティカルなメロディでありますなぁ。日本のわらべ歌みたいにも聞こえるし、日本のわらび餅のような味もあるし、サビの部分は普通にハード・パップなような気もするし、とりあえずソロ先発はジョーダンで、伸びやかなフレージングはなかなかのものだと思います。 2分20秒と演奏時間が短くて、すぐに終わってしまいますけどね。 で、アルバムの最後を飾るのは 「イエロー・ギャル」 という曲なんですが、いいですなぁ、黄色いギャル。 黄色い声ではしゃいで、パンツがちょっぴり黄ばんでいる。そういうギャルなんでしょうな。僕のタイプです。曲のほうはというと、別に尿漏れを起こしているふうでもなさそうなんですが、明るくて無邪気なような、それでいてオーネット・コールマンあたりが書きそうな前衛風のカラーもあったりして、それはそうとシダー・ウォルトンはどこにいっちゃったんですかね? 後半はずっとピアノレスになっているような気がして、おかげで演奏のほうは何だかフリーなムードが高まっているような気がするんですが、ジョーダン→ブローズと続くアドリブ・ソロも何だかけっこうアバンギャルドで、おばさんのようなギャル、いわゆる“おばんギャル”を彷彿させるものがあります。 僕はけっこう好きなんですよね、おばさんのようなギャル。 無論、ギャルのようなおばさんでも大歓迎なんですが、おっさんのようなおばさん…というのは、ちょっと嫌ですけどね。 とまあそんなことで、今日はおしまい。
【総合評価】
最初、なんちゅう古臭いサウンドや!…と思ってしまいましたが、意外とモダンだったりしました。 古い皮袋に新しい酒を入れると言うか、もしくは、ずるい布袋 (ほてい) にアタシの鮭を取られると言うか。 一緒に弁当を食べていたら、 「これ、貰いっ!」 とか言って、鮭を取られちゃったんですよね。何ちゅうずるい布袋なんや。…みたいな。 いや、僕は鮭がそれほど好きではないので、別にいいですけど。 いずれにせよ、あまりいい感じのしない言葉で譬えとしては不適切だったかも知れませんが、取られた鮭の代わりに布袋からチクワの天麩羅を奪い取って、ラッキー♪ みたいな。 そんな1枚なのでは無いかと思います。