THINKING OF HOME (BLUE NOTE)

HANK MOBLEY (1970/7/31)

THINKING OF HOME


【パーソネル】

WOODY SHAW (tp) HANK MOBLEY (ts) EDDIE DIEHL (g)
CEDAR WALTON (p) MICKEY BASS (b) LEROY WILLIAMS (ds)

【収録曲】

SUITE ( Thinking Of Home〜The Flight〜Home At Last )
JUSTINE / YOU GOTTA HIT IT / GAYLE'S GROOVE / TALK ABOUT GITTIN' IT

【解説】

 今日はハンク・モブレイの 『THINKING OF HOME』 というアルバムを紹介したいと思うんですが、君はホームについて真剣にシンキングした事があるかな? 僕はありません。 ホモについてなら考えてみたことはあるんですけどね。 どうして森永乳業は自分のところの牛乳に “ホモ牛乳” などという名前を付けたのか?…とか。 気になってちょっと調べてみたところ、森永のプリンなんかに付いている太陽みたいな顔のキャラは “ホモちゃん” という名前なんだそうで、牛乳が分離しないように乳脂肪分を均質化する “ホモジナイズ” という製造工程に由来しているんだそうですね。 ホモなのに、痔、無いっす。…というのは、やや無理のある設定のような気がするんですが、でもまあ、タチ専門なら別に痔が無くても不思議ではありませんか。 そもそも森永乳業がどうして牛乳をホモジナイズしようと思い立ったのかというと、そうすることによって吸収性がよくなって下痢の心配がちょっとだけ軽減されて、また、ちょっとだけ日持ちもするようになって、腐った牛乳を飲んで下痢になるというリスクも多少は回避できるという。 つまり、下痢か、ホモか?…という二者選択の中で、ホモの道を選んだと言うことになるわけですが、ただ、味の点ではホモ化することにより、ちょっぴり不味くなっちゃうみたいなんですけど。

 牧場で飲む絞りたての牛乳と市販の牛乳との味の違いは、どうやら高温殺菌とこのホモジナイズにあるようなんですが、最近ではホモナイズしないで低温殺菌処理を施した “ノンホモ牛乳” というのも出回っているようですね。 ノンホモは、ホンモノの味だねっ♪…というので、愛好者も次第に増えているようですが、とまあそんなことで、ホモに関してはこれで充分なシンキングがなされました。続いては “ホーム” について真剣に考えてみなければなりません。 マイホーム、プラットホーム、ホームセキュリティ、ホームヘルパー、ホームセンター、老人ホーム、女子高生ひなののほ→むぺ→じ…など、ホームの付く言葉というのはたくさんありますが、今日は “故郷ホームタウン” に焦点を絞ってみたいと思います。 果たして僕はどんな町で育って、どんな家に住んで、どんな学校に通って、どんな歩道橋を渡って、どんな寺で日蓮像を拝んで、どんな歯医者の前で婆さんがクルマに撥ねられたのか?…という問題について考えてみたいと思うんですが、いや、アイスまんじゅう好きの某・同級生ギャルから 「桑名の写真を撮って見せて♪」 と頼まれて、盆休みにちょっと近所を散策してみたんですけどね。 恐らく、某・アイスまんじゅう好きのギャル以外にはまったく何の興味もないネタになるものと思われますが、何せ、小学生の時に “のぞき” をして泣かせてしまったという負い目がありますからね。 そのせめてもの贖罪になればと思って、超ローカルシリーズを今日から3回シリーズ (←しつこい?) でお届けしたいと思います。


<日進小学校> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 日進小学校に通っていた僕は、日清焼きそばが好きでした。日露戦争よりも日清戦争のほうがいいよな?…とも思っていました。 好きな四文字熟語は 「日進月歩」 で、好きな蕎麦屋のメニューは、にしん蕎麦。 …というくらい、僕は “にっしん” に拘りを持っているんですが、ところでこの “にっしん” という言葉を声に出してカセットテープに録音して、それを逆回転で再生すると、やはり “にっしん” と聞こえるということを知っていましたか? 僕は知りませんでした。 “にっしん” を逆から読んだら “んしっに” になるんとちゃうか?…と、当時、まだ子供だった僕は思っていたんですが、塩サバ2号に言わせると、何でもカセットテープと言うのは平仮名ではなくて、ローマ字で録音されるものなんだそうですね。 だから “nissin” は逆回転しても “nissin” になるんや!…と、何だか自信満々に言い切っておりましたが、果たしてその真偽の程はサダカではありません。 当時のうちには逆回転で再生出来るような高性能なカセットデッキはありませんでしたからね。 もしそれが本当だとすれば、僕の名前の“inaba yuji” を逆回転させれば “ijuyabani (イジュヤバニ?)” ということになって、何だかとってもアラビア人やん!…といった感じがしますよね。 もし僕が大人になったらお金を貯めて、逆回転で再生が可能なカセットデッキを買って、とってもアラビア人な自分を確認するんや。…と思っていたんですが、いざ大人になったらそんなことはどうでもよくなって、今の今までその野望のことをすっかり忘れておりました。 いや、子供の頃に通っていた小学校に久しぶりに行ってみると、色々なことが蘇ってくるものでありますなぁ。

 で、写真のほうでありますが、一番上はですね、作品名 「ただ校舎を写しただけ。」 という、ただ校舎を写しただけの写真であります。 建物自体は僕が通っていた頃と同じだと思われますが、塗り替えられて色が変わってしまったのと、当時はなかったような気がする廊下部分の窓ガラスのおかげで、懐かし度数は、ま、20点くらいといったところですかね? 1階の廊下のガラスのないところなんかは、昔のままやなー♪ …といった感じなんですけどね。 で、手前のガーデニング部分…というか、雑草繁茂地帯の右のほうに見えている竹垣のようなものは噴水池の囲いであります。 確か、僕らが5年生か6年生くらいの時に新設されたものだったと思うんですが、レンガ作りのちょっぴりオシャレな感じの丸い池だったんですよね。それなりに金魚なども飼育されて、それなり水草なども浮いていたような覚えがあるんですが、あるいは幼児が池に転落して水を飲んで、ホテイアオイ臭い汚い水を気管に吸い込んで、噎せた。…といった事件でも発生したのでありましょうか? 今では安全の為なのか、すっかり全体が囲われてしまっていて、当時の面影があまり感じられないのが残念なところであります。

 2番目の作品は 「読書に勤しむ二宮金次郎」 。  通称 “ニノキン” で知られる金次郎クンは未だ健在でありました。 うちの学校にあったのは銅像ではなくて、石造りなんですかね? ま、いずれにせよ二宮金次郎って、子供の頃の話ばかりが有名で、大人になってどうなったんか、全然わからんやん? 二宮金次郎は大人になったら、大した事なかった。つまりアレは、子供の頃にいくら頑張って勉強しても無駄やという教訓なんやな。…と、僕の高校時代の尚文クンがよく言っていたのを、ふと思い出しましたが、無論、彼の見解は間違っております。 あのなあ、尚りん、二宮金次郎は大人になったら二宮尊徳になったんやでぇ。損得勘定抜きに働いた、立派な農業指導者なんやでぇ。…と、無学な友に僕は懇切丁寧に教えてあげたんですが、無駄でした。 やっぱり何か今ひとつパッとせんな。やはり子供の頃にいくら頑張って勉強しても無駄なんやな。…と言い張って、自分の考えを曲げようとしません。強情なやっちゃなー。。。 以来、彼はすっかり、頑張りもしなければ勉強もしないという高校生へと成り下がった次第でありますが、その報いできっと今頃は、貧乏でパッとしない暮らしをしているに違いありません。 でなければ、小学校の道徳の時間に習った金次郎クンの教えを忠実に守り、今までコツコツと真面目に生きてきて、結果、今ひとつパッとしない暮らしをしている僕の立場というものがありません。 金次郎の嘘つき〜! 僕は久しぶりに見たニノキンの像に、石をぶつけてやりたい気持ちでいっぱいでありました。

 写真その3 「卒業記念」 。 これもやはり噴水池と同じく僕らが5年生か6年生くらいの時でありましたか、校庭の隅っこのほうに立派な国旗掲揚台が新設されることになったんですよね。 今から思えば、予算が余っとったんか?…としか思えないような無駄な公共事業であったわけですが、日の丸と校旗の他に、いったい何を掲揚するねん?…というのが今ひとつよくわからない、ポール3本式の、無駄に立派な施設でありました。ちなみに僕は当時、 「日の丸」 の掲揚や 「君が代」 の斉唱、ならびに総理大臣の靖国神社参拝に異を唱える…といった立場の子供ではありませんでしたので、加藤紘一元自民党幹事長の事例とは違い、実家が火災で全焼しちゃったのは右翼の放火によるものではないと思うんですが、その国旗掲揚台の土台の部分にですね、昭和54年度卒業生一同は、卒業記念として石を彫って作った自分の顔を埋め込むということになりました。 石といっても割と簡単に加工できるような柔らかいものだったんですが、こうして約26年が経過した今でも、ほとんど当時のまま原型を留めているものなんですなー。 卒業記念としてはなかなかよい企画であったと言えるかも知れません。 もはや自分で作った作品がどれなのか判別出来なくなっていたりするんですが、この可愛いのは○○子ちゃん? こっちのブサイクなのは○○美ちゃんかなー? で、この粗暴でアホみたいな顔は、双子やった○○○○兄弟?…などと、当時に思いを馳せながら眺めてみると、なかなか味わい深いものがあります。

 で、最後の作品は 「ゴミの分別」 でありますか。 昔はどこの学校にも必ず焼却炉というのがあって、学校内で出たゴミはすべて掃除の時間に自分達で燃やしておりました。 “もやし” というあだ名のツヨシ君だって、ちゃんとゴミを燃やしておりました。 僕達のクラスの担任だったナカヒロ先生は、 「 “もやし” というあだ名はヒョロヒョロと痩せた子供に付けるものであって、ガッチリとした体格のツヨシ君を “もやし” と呼ぶのはおかしい。」…とか何とか文句を言っておりましたが、痩せてようが、ガッチリしてようが、名前が “ツヨシ” だから “もやし” 。 韻を踏んでるから別にエエやん!…と言うので、誰ひとりとして先生の忠告を受け入れるものはおりませんでした。 自分の意見を曲げない強い意志を持った子供達ばかりだったんですなー、僕達って。 で、そんなモヤシ君が燃やしたゴミは、やがて燃え尽きて灰になるわけですが、その灰を鉄製の棒のようなもので掻き出して、写真のいちばん右にある “はい 灰” と書かれたスペースに捨てる。…というのが、ゴミ焼き当番に与えられた仕事なのでありました。 何かのはずみで誰かを殺してしまったりしたら、とりあえずその死体はこの焼却炉で焼いて、灰のところに捨てて、証拠隠滅を図ろう。…というのは、小学生なら誰もが一度は考えることでありますが、都合のいいことに、うちの学校の場合は焼却炉の後ろがお寺になっていて墓場なども完備されておりますので、供養という点でも抜かりはないですしね。

 で、やがて焼却炉は学校現場から姿を消すことになってしまうんですが、いや、死体を焼く児童が後を断たないとか、燃え盛っている最中に灰を掻き出すための鉄の棒を焼却炉の中に突っ込んで、それで根性焼きとかをする生徒がいて、危険。…とかそういうことではなく、ダイオキシンの問題だと思うんですけど。 各家庭にもたいてい小さな焼却炉があって、処分に困ったエロ本を親の留守中に焼却処分するには実に好都合だったんですが、いや、なかなか綺麗に灰にはなってくれなかったんですけどね。焼け残った部分が風に舞って隣のおうちの庭まで飛んでいったりして、大いに焦ることになったりもしたんですが、最近は自宅でゴミを燃やす光景もすっかり見かけなくなりました。 そして日進小学校でも、灰やガラス・びん・かなもの・木・ビニール・プラスチックを分別して収集するブロック積みのスペースは、昔のまんまやん♪…といった感じで残されていたんですが、近くに焼却炉の姿はなく、そして “灰” のスペースにはすっかり草が生い茂っているのでありました。 昔、僕が給食の食べ残しのパンをこっそりと焼いたその灰がこの雑草達の肥やしになっているのかと思うと、感慨もひとしおです。


<新屋敷陸橋> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 続いては “陸橋編” です。 僕の家は日進小学校とは道路を挟んだ対面にあって、登校に要する時間は約5分という、たいへんに恵まれた環境にありました。 が、僕はそれでも不満でした。 というのもですね、うちの学校は毎朝、地区団別に集団登校するというシステムになっていたんですが、新屋敷西に住んでいる児童の集合場所は、僕の家から学校に行くのとは反対の方向にあったんですよね。 場所で言うと、いよさん (←駄菓子屋) のちょっと西のところの十字路でありますか。 僕の家からだと北東の方向に50mくらい歩かなければならなくて、そこから学校までは南東の方向ということになるので、一度北に歩いて、そこから折り返して南に向かうというのが何とも面倒でアホらしかったんですよね。距離にして40mくらい、無駄やん! もし僕がとっても権力のある生徒であったなら、あるいは、権力は無くても同じ学年の生徒が僕ひとりだったりしたら、少なくとも6年生になった時点では年功序列でそれなりの権力を得ることが出来て、集合場所は、うちの家の前っ!…といった独断専行も可能だったと思うんですよね。  が、悪いことに同じ町内には同じ学年の児童が、僕を含めて5人もおりました。 中で、クリーニング屋の息子は性質がジェントルで特に問題が無かったんですが、残りの3人から僕はいつも苛められておりまして、僕が集合場所に来たら、何だか餅臭かった。…というので、「お前、朝、餅食ったやろ?」…というインネンを付けられて、しばらく “餅” というあだ名を付けられるという屈辱を味わったりもしました。 僕はその日、餅なんか食べていなくて、たまたま集合場所の近くの民家で餅を焼いていたという、ただそれだけの話なんですが、よしんば、もし僕が本当に餅を食べていたとしても、それのどこが悪い?…と思わずにはいられません。 この場を借りて、西田と加藤と前田のアホ!…と、実名報道で恨みを晴らしておきたいと思いますが、そんなことで僕は毎日、40mもの無駄な通学路を歩くことを余儀無くされていたのでありました。

 北に行って、南に戻る部分だけでなく、その後で東に向かって歩くというのも僕は不満でした。 どうして東に向かって歩くのかと言うと、その方向には歩道橋があって、道路を横断する為にそれを渡ることが義務付けられていたんですよね。 そんな無駄なことをしなくても、僕の家から真っすぐ南に向かって道路を横断してやれば最短距離で学校に行くことが出来るんですが、何が哀しくて階段を上って、それと同じ段数分だけ、階段を降りなあかん? 僕の通学は北に歩いて南に戻るという動きに加えて、階段を上って階段を降りるという、2つの無駄な動きを強要されていたことになります。 これほどまで酷い仕打ちをうけて、おまけに “餅” というあだ名まで付けられたりしながら、グレもせずに真っ当な児童生徒として無事に小学校を卒業することが出来たのは、ひとえに僕の人格が優れていたからに違いありません。 これはきっと、神様が僕に与えてくれた試練なんだ。…と考えるほど、僕は高潔な小学生でしたからね。 ま、極度の高潔さが祟って、時には高血圧になったり、半ケツ状態になったりもしたんですが、そんな少年時代の恨みに満ち溢れた 「日進歩道橋」 も、久しぶりに歩いてみると、なかなか感慨深いものがありました。 僕の家のあるあたりは海抜0m地帯なんですが、歩道橋に上ることによって、ちょっぴり見通しもよくなりますしね。

 で、写真のほうはと言うと、まず一番上が問題の歩道橋を地上部分から見上げたものであります。撮影の方向としては、日進小学校側からサバ家に向かう、いわば “下校バージョン” であるわけですが、ま、別に何がどうということもない、ごく普通の階段でありますな。 向こうに見えている中村内科はアレです。僕が5年ほど前、原因不明の高熱 (←おそらく新型肺炎SARS) に苦しめられた時、大変お世話になった内科医です。40度くらいの高熱が出て、幻覚のようなものが見えて、更には呼吸困難に陥ったりもしましたが、ここで貰った座薬のお陰で、なんとか一命を取り留めることが出来まひら。 いや、その時の副作用で、いまだにちょっぴりラリってはいるんれすへろ。 で、子供向けに作られていて段と段との間隔が狭いから、とっても歩きにくいよな。…ということに大人になって初めて気が付いた階段を上って学校の方向を振り返ってみるとですね、写真2枚目のような光景が広がっているのでありました。 別に何ということもない普通の校庭でありますな。 僕達が通っていた頃は貝殻がたくさん落ちていて、学校の校庭というのは普通、こういうもんやよな。…と、さして気にもしていなかったんですが、今から思えばどうやら昔、近くの時雨ハマグリ屋が貝殻を捨てていたのが要員のようでありまして、桑名ならではの特殊事情だったのかも知れません。

 で、歩道橋の上から西の方向を眺めてみたのが3枚目の写真であります。天気さえよければ道路の向こうに鈴鹿山脈がわりと綺麗に見えたような気もするんですが、天気が悪いと何も見えなくて、今ひとつですなー。 唯一、桑名らしさを感じさせるものがあるとすれば、安永餅の看板くらいでしょうか。 左手が小学校側、右手がサバ家側になるんですが、サバ家は道路に “40” と書いてある地点の後ろを走っている車の真横あたりに位置することになります。 で、一番下の写真は反対の東の方向を眺めたものでありますな。 夏休み期間中の土日の夜8時から9時の間であれば、長島温泉の花火の断片くらいが見えたような気がするんですが、それ以外の時間帯は特に見るべきものもなくて、今ひとつですなー。 真ん中やや左寄りに見えている塔のようなものは桑名の消防本部なんですが、もし家が燃えちゃっても、すぐに消防車が駆けつけてくれるという便利な位置関係ではあります。 ただ、僕が小学生だった頃はまだ消防本部が市民会館の横のところにあったので、消防車がすぐには駆けつけてくれず、結果、サバ家は全焼する羽目になってしまったんですけど。 ちなみにこの新しい消防本部ではつい最近、共済組合給付金65万円を横領した職員が逮捕されておりますし、少し前には女子トイレにペン型の小型カメラが仕掛けられているのが見つかったりもしております。 “のぞき” の前科からして僕にも疑いが掛けられる恐れがありますが、断じて僕の仕業ではありません。 どうせやるんなら日進小学校の女子トイレに仕掛けますってー。


<さば家・顕本寺・栗山歯科> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 ということで、いよいよ本邦初公開! 遂にサバ家の全貌が明らかにされる時がやってまいりましたが、今日はここまで前半ネタがかなり押しております。 とりあえずこの場は写真ページのリンクを貼るだけに止めておいて、詳しい解説は後半部分で随時紹介していきたいと思います。 ではここで一息、 “@マーク” をどうぞ。

 ということで今日はハンク・モブレイです。 『シンキング・オブ・ホーム』 というアルバムを紹介したいと思うんですが、これはアレですよね。恐らく録音当時は発売されず、しばらくオクラ入りになっていた1枚だと思うんですが、君はオクラとオカラ、どっちが好きかな? 僕はですね、どちらもあまり好きではありません。オクラはネバネバしているところがどうも今ひとつだし、オカラはパサパサしているところがよくないしー。 この2つを混ぜ合わせてやれば、あるいは中和してちょうどよいネバパサ具合になるかも知れませんが、互いの悪いところが補強されて、取り返しのつかない事態に陥る可能性がまったく無いとも言い切れません。 ここはひとつ、大人しく別々に食べたほうが無難なような気もするんですが、それはそうとこのアルバム、オクラ入りのままにしておくのはちょっと勿体ないような面子が顔を揃えておりますな。 ウディ・ショウは前回ここで紹介したデクスター・ゴードンのライブ盤に続いて、2回連続の登場ということになりますが、70年代というジャズ不毛の時期において最も輝いていたトランペッターである!!…と、きっぱり言い切っても大丈夫なのではなかろうかと。 ピアノのシダー・ウォルトンも地味ながら新主流派サウンドには欠かせない存在だし、でもって、ベーシストはミッキー・ベースでありますか。何だかこの、ベース弾きになるかミッキーマウスになるかしか、職業選択の余地が無いな。…といった感じの名前でありますが、でもってドラムスがリロイ・ウイリアムスで、更にはエディ・ディエル(?)なる名前のギタリストも参加しております。 個人的にはジャズ・ギターというと、グラント・グリーンか、ウエス・モンゴメリーか、ケニー・バレルか、パット・マルティーノか、キダ・タローくらいしか積極的に聴いてみようという気にはならないんですが、果たしてこの無名(?)のギタリストの参加が吉と出るか、凶とでるか、とりあえず1曲から聴いてみることに致しましょう。

 このアルバムはまず、全3曲からなる組曲で幕を開けることになります。その3曲の組曲のうちの1曲目がアルバム・タイトル曲の 「シンキング・オブ・ホーム」 ということになるんですが、演奏が始まった瞬間、僕はあまりの荘厳さとスピリチュアル指数の高さに、思わず自分の耳を疑ってしまいました。 これってコルトレーンちゃうの?…と思ってしまうほど、モブレイらしからぬ厳粛なムードに満ち溢れているんですが、ついに彼も 「至上の愛」 の世界に目覚めてしまいましたかね? で、そこにウディ・ショウが加わって2管のユニゾンによってモーダルなテーマらしきものが演奏され、これはいよいよ、本気 (マジ) でモブレイの新主流派宣言か?…とか思っていると、ここで演奏は俄に御陽気路線に転じて、いつものモブレイらしいポピュラリティに富んだテーマが演奏されるという算段になっております。いや、なかなか凝った作りでありますな。 “パンナコッタとチチコッタのゴッタ煮” くらい凝った作品だと思います。ちなみにチチコッタというのは 「探偵!ナイトスクープ」 で林シェフが母乳から作ったお菓子の名前なんですが、でもってソロ先発はウディ・ショウでありますか。 僕はこの人の才気煥発にして、好きなお魚はカンパチ。…といった演奏が大好きなんですが、ここでの彼の閃きに富んだプレイは傾聴に値すると思います。お魚の世界でこれほどまで閃いているのは、ヒラメくらいではないかという気がするほどなんですが、でもってソロ2番手はモブレイでありますか。この人は元来、モード奏法があまり得意ではなくて、モードはどーもなぁ。…といったイメージが付き纏っていたんですが、マイルスの 『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』 のセッションではコルトレーンと比べられて、大恥をかくという屈辱を味わったりしてますからね。以来、彼はすっかりコルトレーン・コンプレックスに陥ってしまうんですが、その過去の辛い思い出を踏み台にして、何とかここまで吹けるようになったのかぁ。…と、しばし感慨に耽ることが出来る程度にはモード奏法も板について、スケソウダラなんかも擂り身にされて、蒸されて、板について、はじめて一人前のカマボコと呼べるわけですからね。何はともあれ、めでたいことだと思います。

 で、そうこうしているうちにクール・ファンキーなシダーのソロがあって、テーマに戻って、組曲のうちの1曲目が終わって、続いて2曲目の 「ザ・フライト」 ということになるんですが、故郷について真剣にシンキングしているうちに思いが募って、ついに飛行機に乗って飛び立ったのでありましょう。 で、曲のほうはと言うと、何ともリラックスしたボサノヴァ・タッチの仕上がりになっておりまして、何だかこう、いかにもボサーっとしながら飛行機に乗っているんだな。…といった情景が目に浮かんでくるようで、秀逸です。 で、この曲では名前があまり知られていない故に、その実力の程が懸念されていたギターのエディ・ディエル(?)君がフィーチャーされているんですが、いや、何も心配することはありませんでした。 想像を遥かに上回る出色の出来…というわけではないんですが、想定していた最悪の事態よりはかなりマシと言ってもいいレベルには達しておりまして、ちょっぴりグラント・グリーンを思わせるところまったくないでもないプレイはそれなりに味がないでもありません。伊藤鉱泉の “みかん水” と同じくらいの味はあります。ま、ボサノバ系のサウンドだけに、それなりにギターの音色も雰囲気マッチしておりまして、で、そうこうしているうちにテーマに戻って、この曲はおしまい。 モブレイはテーマのところしか出番が無いんですが、やはりこの人の場合、変にコルトレーンっぽかったりするより、肩の凝らない、凝るとれーるサウンドのほうが安心して楽しむことが出来るよね。…ということを示す好例だと思います。 でもって、3曲目で彼はついに故郷に到着して、 「ホーム・アット・ラスト」 …という段取りになるものだとばかり思っていたら、組曲はここで終わってしまいました。 全部で2曲しかなかったような気がするんですが、あるいは冒頭のスピリチュアル・コルトレーンな部分だけが1曲目で、急に御陽気になるところが2曲目の 「ザ・飛行」 、で、最後のリラックスしている部分が 「ついに故郷」 という割り振りだったのかも知れませんね。 ま、そのほうが曲名と曲のイメージがよくマッチするような気がしないでもないので、この問題に関してはそういうことにしておいて、おしまい。

 ということで、続いては 「ジャズティン」 という曲なんですが、何となくウェイン・ショーターあたりが書きそうな曲調でありますな。どのへんがショーター的なのかと聞かれると、ま、そのへんかな?…としか答えられないくらい、あくまでも何となくなんですが、ソロ先発のモブレイの吹きっぷりからも、何となくショーターっぽさを感じ取ることが出来るような気がしないでもありません。コルトレーン・コンプレックスだった彼が、ショーター・コンプレックス、すなわちショタコンでもあったかどうかはサダカではありませんが、ショーターっぽく吹けるということは、彼も相当にモードの腕を上げたと言えるかも知れません。少なくともお手上げ状態からは完全に脱却していると言ってもいいと思います。 で、続いてウディ・ショウが、モードの腕、いいっしょ?…とでも言いたげな余裕のある演奏を聞かせて、でもって、続いてシダーのソロがあって、テーマに戻って、おしまい。 で、いよいよ演奏に関しては書きたいことが無くなってきたので、ここでそろそろ保留になっていた自宅周辺写真の解説を片付けておこうと思うんですが、いちいちページの上のほうまで戻って貰うのも面倒な話なので、ここで改めて写真ページのリンクを貼っておくことにします。

<さば家・顕本寺・栗山歯科> (←クリックすると写真ページに飛びます。)

 このいちばん上の写真がですね、 「サバ家」 なんですけどね。 まず最初に2階のベランダに干してある洗濯物なんですが、特に興味をソソられるものはありません。よほどのマニアが近所に棲息していない限り、盗まれる心配は極めて低いと言えるでしょう。 続いて目に付くのが物置なんですが、サバ家 (仮名) =イナバ家 (本名) の物置はですね、イナバ物置ではありません。ヨド物置です。どうしてイナバ家なのにイナバ物置を買わないのだ?…と文句を言われるかもしれませんが、僕が物置を選んで買ったわけではないので、その経緯はよく分かりません。イナバ家なのに敢えてヨド物置を買う。…というところに、アナーキズム的な美学を感じていたのかも知れませんね、うちの親は。いや、よく分かりませんけど。 で、この写真の最大のポイントは “しょうきさま” なんですが、あまりにも地味すぎて見落とされる恐れが多分にあるので青色の矢印を付けておいた、屋根の上に乗っかっているブツでありますな。 サバ家が道路を挟んで日進小学校と向かい合っているという話は前にも書きましたが、その小学校の敷地に食い込むような形でお寺が建っていたりします。しかも2軒。 そういえばゴミ分別コーナーの向こうに墓が見えていたよな。…ということを記憶している読者がいるかも知れませんが、あれがですね、その2軒のうちの1軒で、 “真如寺” という名前が付いている曹洞宗のお寺であります。 サバ家のお墓もここにあるので、自宅に居ながらにして南に向かってお参りすれば先祖供養が出来るという便利さなんですが、問題はこの寺の屋根の鬼瓦にありました。 何でもこの鬼瓦がサバ家の真正面に位置していたため、その邪気にやられて僕の家が火事で燃えちゃったという話なんですよね。ちゃんとお布施を払っているというのに、何という近所迷惑な!! そんなことでまあ、燃えちゃった家を建て直す際に、お寺の鬼瓦の邪気に対抗するために、屋根の上に “しょうきさま” を乗っけてみることにしたんですが、漢字で書くと “鍾馗様” 。 どうやら受験の神様とか疫病除けの神様として祀られているようでありますな。 あまり火事とは関係ないやん!…という気がしないでもないんですが、その後、再びサバ家が火事に見舞われないところをみると、それなりに効果があるのかも知れません。 もっとも受験のほうはと言うと、鍾馗様を祀ってからというもの、まさに連戦連敗の様相でありまして、こちらのほうはまったくご利益が無いっ!…と言い切ってしまっても大丈夫だと思います。

 ということで3曲目です。 「ユー・ゴッタ・ヒット・イット」 。何だかとってもソウルっぽいタイトルでありますが、その実、なんだかとってもソウルっぽいサウンドに仕上がっております。…といった感じはそれほどなくて、どちらかと言えば明るい系のハード・バップといったところでしょうか? 幾分、ジャズ・ロックっぽいムードがあったりするような気もするんですが、ソロ先発のモブレイは中途半端に新主流派だったりもしております。 で、続いてウディ・ショウとシダー・ウォルトンのソロがあって、 ts→ds→tp→ds の4バースがあって、おおいに盛り上がって、テーマに戻って、おしまい。 ということで、写真の2枚目と3枚目なんですが、これはですね、日進小学校の敷地に食い込むような形で建っている2軒のお寺のうちのもう1軒で、 “顕本寺” という名前の日蓮宗のお寺です。 ここの息子は健太郎という名前で僕たちの同級生だったわけですが、 “けんぽんじ” と “けんたろう” で、韻を踏んでいるところがとってもいいと思います。 で、僕は知らなかったんですが、アイスまんじゅう好きギャルのお爺さんのお墓がここにあるんだそうで、今頃、けんたろう君がお経をあげているであろう事実に対して、かなり不安に思っているようでしたが、でも大丈夫。 何せ、名前がケンタロウであります。例えお経が駄目だったとしても、きっとカラオケで 「失恋レストラン」 を上手に歌ってくれることでありましょう。 ねえマスター、ねえマスター、ねえマスター、早くぅ♪…とか言いながら、お布施を要求しているに違いありません。 ところでこの顕本寺、よく見ると屋根の上にシャチホコのようなものが飾ってありませんか? 僕の家からはちょっと位置がずれているからいいようなものの、もしシャチホコの邪気で桑名寿司の並寿司に入ってるエビが、いつの間にかシャコに変わったりしたら、どう責任を取ってくれるのでしょうか? 念の為、鍾馗様をもう一匹増やしておいたほうがいいですかね?…といった心配はまったく無用だと思われます。 というのも、このお寺にはシャチホコなんかよりも遥かに目立つ、かなり立派な日蓮像が立っているからなんですが、シャチホコの邪気など日蓮パワーでこっぱ微塵でありましょう。頼もしい限りです。 もっとも今のところ、この日蓮のお陰で何かご利益があったという実例があるわけではないんですが、少なくとも僕の家までの道案内をする際に、 「日蓮の信号を曲がって…」 という目印の役には立っているような気がします。

ということで4曲目です。 「ゲイルズ・グルーブ」 という曲です。ミッキーマウス好きのベース弾き、ミッキー・ベース君のオリジナルなんですが、ソウルで、アーシーで、ミッキーで、ベースな感じの作品でありまして、テナーとトランペットのユニゾンでテーマが演奏された後、作曲者がまず最初にソロを取る。…というジャズ界の暗黙の了解を無視して、ここでも先発はモブレイ君でありますか。この冷たい仕打ちが元でベース君がグレて、ホームベース作り職人とかに転職していないことを祈るしかありませんが、以下、ウディ・ショウの短めのソロを挟んで、ギター、ピアノとアドリブ・パートが続いて、ファンキーなアンサンブル・パートとドラムスの掛け合いのパートがあって、テーマに戻って、おしまい。ベース君、最後まで目だった出番はありませんでしたなぁ。。。 で、アルバムの最後を飾るのは 「トーク・アバウト・ジッティン・イット」 という曲です。 ここに来てようやくベース君にも出番が訪れて、演奏はベース君の短いピチカートで幕を開け、でもって、テーマ自体はベタ極まりないゴスペル・ソングでありますな、こりゃ。 ソウルっぽい曲調だけにギターの活躍ぶりが目立つんですが、リロイ・ウイリアムスの世の中をちょっと嘗めてかかっているようなジャズ・ロック調ドラムも、下品で下世話で品のない雰囲気を醸し出していて、いいと思います。

 で、最後の写真の 「栗山歯科」 なんですが、日蓮が立っているのと同じ交差点の北西側の角にあります。 アイスまんじゅう好きギャルからのリクエストに、栗山歯科の写真が見たいのぉ♪…とありましたので、そういえば同級生に栗山という苗字のギャル、通称 “クリコ” という名前のコがいたよな?…ということを思い出したんですが、クリコちゃんは別にこの歯科医の娘というわけではなかったみたいですけどね。 にもかかわらず、アイスまんじゅう好きのギャルがここの写真を見たがったということは、あるいはここで歯の治療を受けたことがあるということなのかも知れませんが、いや、近所では、あそこはヤブやよなぁ。…と、評判だったような気がしないでもないんですけどね。 それが証拠に、かなり前に店をたたんでしまって、今ではすっかり “市会議員(?)の看板・くくりつけ場所” と化しているわけですが、果たしてこんなどうでもいい写真を見て、何か得られるものがあるのでしょうか??? ちなみに僕はこの写真を見て、5年ほど前、この元・栗山歯科の前の交差点を横断していて、三重交通の市内A循環に轢かれて次の日に死んでしまった、どこかの家の婆さんのことを思い出してしまいました。何を隠そう、そのバスにはサバ一家が乗っていたんですよね。5月の連休に電車で東山動物園に行った帰りだったと思うんですが、桑名駅からバスでサバ家に帰るには、市内A循環に乗って伝馬橋で降りるか、その次の萱町のバス停で降りるか、ちょっぴり微妙だったりします。 で、その日は何となく萱町まで行くことにしたんですが、その萱町のバス停のすぐ手前にあるこの交差点を左折したところで、婆さんを撥ねてしまったんですよね。 、サバ家の人々が伝馬橋で降りていたら、きっとあの婆さんもここで撥ねられて死ぬことは無かったものと思われます。いやあ、人の運命なんてどこで何が災いするのか、分かったものではありませんなぁ。。。 そういえば、この電柱のところにしばらくお花が供えられていたんだよね。…という事をふと思い出した次第でありますが、それはそうと今回掲載したこの写真、“倉本たかひろ” の左斜め上のところにですね、何やら白っぽい影のようなものが写っていたんですよね。そのままでは使えないので真ん中の部分だけをトリミングして掲載することにしたんですが、もしかしたらアレは、この場所で非業の死を遂げて、未だに成仏出来ずにいる婆さんの自縛霊!?

 …というわけではなく、ただ単に僕の指が写りこんでしまっただけなんですが、そんなことでまあ、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 アルバム冒頭のコルトレーン気分もつかの間、すぐにいつものモブレイに戻って、特に後半の3曲はかなりベタな曲調の作品揃いでありましたが、ウディ・ショウとシダー・ウォルトンの頑張りもあって、全体的にはまずまず新主流派ライクな佳作に仕上がったものと思われます。 いずれにせよ、鍾馗様が受験にはあまりご利益がないのと同様、顕本寺の日蓮が交通事故防止にまったく何の役にも立たないことだけは確かでありましょう。



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