DESAFINADO (IMPULSE)

COLEMAN HAWKINS (1962/09/12,17)

DESAFINADO


【パーソネル】

COLEMAN HAWKINS (ts) BARRY GALBRAITH (g) HOWARD COLLINS (g)
MAJOR HOLLEY (b) EDDIE LOCKE (ds) WILLIE RODRIGUEZ (prc)
TOMMY FLANAGAN (claves)

【収録曲】

DESAFINADO / I'M LOOKING OVER A FOUR LEAF CLOVER / SAMBA PARA BEAN
I REMEMBER YOU / ONE NOTE SAMBA / O PATO
UN ABRACO NO BONFA / STUMPY BOSSA NOVA

【解説】

 試験に出ろシリーズ で猛勉強したのが功を奏して、1級電気工事施工管理技士1級管工事施工管理技士の試験に合格した僕でありますが、それはもう、猛勉強しましたからね。猛勉強の結果、 「宗兄弟の弟のほうの名前は“猛”だよね?」 という難しい質問をされても、即座に 「そうだ。」 と答えられるだけの知識を身につけることが出来ました。  「マラソンで有名な兄弟の苗字は“宗”だよね?」 という問いかけにも 「そうだ。」 と答えることが出来るし、「カツオの中には “ソーダ鰹” という種類もあるんだよね?」 と聞かれたって、ぜんぜん平気です。 聞かれもしないのに、ソーダ村の村長の話だとか、その昔、 総田村 (そうだむら) という名前の村があったそうだ。…といった知識をひけらかすことだって出来るし、スポーツ界から海産物、はたまた日本の地名に至るまで、ありとあらゆるジャンルに精通しているんですよね、僕って。 ちなみに僕が始めて精通を経験したのは、確か中学1年生の夏…って、すぐに話題がそっちのほうにそれてしまうのが難点なんですが、しかも電気工事とか管工事にはまったく何の関係もない話だしー。

 とまあそんなことで、今年は “電験三種” にチャレンジしてみようと思っているんですが、というのも去年の夏、僕はある一人のギャルと約束を交わしたんですよね。 そのギャルは “試験に出ろシリーズ” を読んでメールをくれたんですが、何でも、電気関係の仕事をしているんだけど、あのコーナーが電気の基礎のお勉強にとっても役立っていると。 ギャル系で電気関係の仕事というのはちょっと珍しいな。…と思ったんですが、そのうちに彼女が某専門学校で教えている先生であるということが判明しました。授業でもサバさんの語呂合わせを使わせて貰おうと思いまっす♪ ただ、下ネタが多いのが難点なんですけど…。 などと書かれておりましたが、いや、実に素晴らしい話ではありませんか。 で、彼女はまた、電験三種にチャレンジしまっす。でも今年は既に諦めモードです(笑)。 …とのことでありまして、じゃ、僕が今年、管工事施工管理技士の試験に合格したら、来年は一緒に電験三種のお勉強をしよう!…と、固く誓い合った次第でありますが、で、仲良くなった印に愛知万博で買った帽子をプレゼントしたところ、以来、ぷっつりとメールが来なくなってしまいました。 そういえば、愛知万博で買ったキッコロ帽子をプレゼントした雪好きギャル@まりえこちゃんも連絡が取れなくなったし、古くは、オフ会の時にオーストラリア土産の帽子を進呈した@やまりえさんも、すぐに音信不通になってしまいましたなぁ。。。 どうやら、 「帽子を貰ったギャルはすぐに消える。」 という、よくないジンクスが出来つつあるようですが、僕はそんなことではメゲません。 電験三種に合格して、いつかあのギャル先生を見返してやるぅ!

 という熱い思いで本屋に走って参考書を買ってきて、ぱらぱらと中身を見て、即座に熱が冷めました。そういえば僕、15年ほど前にこの試験を受けて、箸にも棒にも掛からなかったんだっけ?…ということを思い出してしまったんですが、ま、あの時の今とでは状況が違いますからね。電気工事施工管理技士の試験で、ある程度は電気の基礎についても勉強したので、箸にも棒にも掛からなかったとしても、あるいは爪楊枝くらいには引っ掛かるかもしれません。 ちなみにこの試験はかなりの難関だと言われているようですが、すべて4択式の問題なので、漢字にまったく自信がない僕でも、とりあえずマークシートくらいは塗りつぶすことが出来るし、電卓を使うことが出来るので、計算にまったく自信がない僕でも、検算に余計な時間を取られる心配がありません。 でまた、“理論” “電力” “機械” “法規” の4科目を3年間の間に取得すればいいというシステムなので、一度に4つは無理だとしても、とりあえず今年2科目合格しておけば、あとは1年に1科目ずつ取っていけばいいということになります。意外とハードルは低いかも知れませんね。もっとも僕は体育が大の苦手で、いちばん低いハードルでもろくすっぽ跳べなくて蹴倒してばかりしたので、やっぱり駄目かも知れませんけどね。

 とまあそんなことで、8月の試験に向けて、もうあまり時間がないことだし、このコーナーの前半ネタもないことなので、 “試験に出ろ 電験三種” を、この場を借りてお届けしようと思うんですが、とりあえず今年はですね、“理論” と “電力” と “機械” と “法規” は捨てました。 が、全てを捨ててしまうと手元に残るものが何もなくなってしまうので、思い直して “法規” だけ拾いなおすことにしたんですが、一度捨てた “法規” を箒で掃いて、塵取りですくい取ったわけでありますな。 とりあえず法規くらいは丸暗記すれば何とかならないでもないような気がしないでもないので、さ、頑張ってみましょう。

『 電気設備に関する技術基準を定める省令 (用語の定義・本則第1条) 』

電路とは、通常の使用状態で電気が通じているところをいう。
電気機械器具とは、電路を構成する機械器具をいう。

 えー、空白部分をマウスでドラッグすると正解の文字が浮かび上がるというハイテク技術が駆使されているわけですが、ま、 “電路” といったあまりにも基本的な用語は出題されないような気もするんですけどね。 電路は出んろ。 と覚えておくといいと思うんですが、いや、試験に出ないのなら覚えておく必要はないし、電路が出ないということを覚えてみたところで何の役にも立たないし、ということで次に行きましょう。

・ 発電所とは、発電機原動機燃料電池太陽電池その他の機械器具の適用を受ける携帯用発電機及び電気工作物に附属する二次電池を施設して電気を発生させる所をいう。

 えー、とっても分かりにくい文章ですね。とにかくまあ、発情するにはムラムラすればいいんだけど、発電するには発電機原動機が必要であると。原動機というのは、ま、ディーゼルエンジンだとか蒸気タービンなどのほかに、風車だとか水車なんかも含まれるんですが、とにかくまあ原動機で発電機を回してやれば、電気が出来るわけです。 ゲンドー長崎の伝記(電気)。 と覚えておきましょう。どうしてゲンドーが長崎なのかというと、その昔、ケンドー長崎という剣道系のプロレスラーがいたからなんですが、ま、伝記が出るほど大したキャラでもなかったんですけど。 でまた、電気と言うのは別にゲンドー長崎が竹刀を振り回さなくても作り出すことが可能でありまして、その方法と言うのが最近はやりの燃料電池太陽電池であるわけですな。 で、発電所にはこれらの電気を発する装置だけでなく、それを蓄えるための二次電池も含まれることになるんですが、二次電池というのはアレですね。蓄電池ともいい、放電だけでなく、充電を行うことにより元の放電前の状態に出来る化学電池のことである。…というタイプの電池のことですよね。 以上、ここに登場する3つの電池をひっくるめて、団地(電池)妻、二児(二次)の母を抱きたいよう(太陽)、燃えるぜ!…と覚えておくといいんですが、二児の母に限定しているところが何だかとってもマニアですなぁ。

・ 変電所とは、構外から伝送される電気を構内に施設した変圧器回転変流機整流器その他の電気機械器具により変成する所であって、変成した電気をさらに構外に伝送するものをいう。

 発電所から発せられた電気は、今度は変電所で変な電気に変えなければなりません。 とりあえず覚えやすい文章の後半から片付けておきたいと思いますが、変電所の役割は変成伝送であるわけですな。変でん(変電)ねん、変なサイ(変成)でんねん、そうでんねん。 大阪の天王寺動物園のサイの檻の前でよく聞かれる会話でありますな。 そうでんねんなんですが、正解は“送電”ではなくて“伝送”であるところに注意しましょう。 で、ややこしい前半部分の変圧器回転変流機整流器の三部作でありますが、清流(整流)に変な鮎(変圧)、食べたら痒ぃーて、便、流る(回転変流)。 <解説> 清流に変な鮎がいたので食べたところ、蕁麻疹で痒いわ、下痢で便が水のように流れるわで、もうさんざんでした。 <教訓> 変な鮎を食べてはいけません。

・ 開閉所とは、構内に施設した開閉器その他の装置により電路を開閉する所であって、発電所、変電所及び需要場所以外のものをいう。

 発電所から発せられた電気は、途中で開いたり閉じたりしなければならないわけなんですが、閉じたままでは流れていかないし、開きっぱなしでは垂れ流しになっちゃいますからね。 で、その開いたり閉じたりするところが開閉所であるわけですが、開閉所で、開閉しよう、そうしよう。 ま、そういうことです。

・ 電線とは、強電流電気の伝送に使用する電気導体、絶縁物被覆した電気導体又は絶縁物で被覆した上を保護被覆保護した電気導体をいう。

 電線というのは電気が流れる線だよね。…と思っていたら、正式にはこんな定義があったんですな。つまりまあ、電気が流れる線は電線なんだけど、それを絶縁物で被覆したものも電線だし、絶縁物で被覆した上を保護被覆で保護したものも電線であると。絶縁物で保護したり、保護被覆で被覆したりするのは法律上では正しくないわけで、そこのところがこの問題のポイントでありますな。 火吹き(被覆)男、熱演(絶縁)。…と言ったところですが、ホモの火吹き(保護被覆)男、咆哮(保護)。…という見世物もあったりして、ホモの人が火を吹きながら大きな声で叫んだりするわけですな。とっても近所迷惑な話だと思います。

・ 電車線とは、電気機関車及び電車にその動力用の電気を供給するために使用する接触電線及び鋼索鉄道の車両内の信号装置照明装置等に電気を供給するために使用する接触電線をいう。

 電線の次は電車線です。ポイントは電車動力用だけでなく、信号装置照明装置のために用いられる電線も含まれるところだよね。…と僕は踏んでいるんですが、花電車専門(電車線)芸者の努力(動力)で、宴会が賑やかに進行(信号)することを証明(照明)。 やっぱり芸達者な芸者さんがいると、宴が持ち上がるものなんですよねー。

・ 電線路とは、発電所、変電所、開閉所及びこれらに類する場所並びに電気使用場所相互間の電線(電車線を除く。)並びにこれを支持し、又は保蔵する工作物をいう。

 電路、電線、電線路。似たような用語が続いて混乱しちゃいますが、電車線を除く電線と、それを支持して保蔵する工作物電線路というわけですな。 工作物だから夏休みの工作の宿題で、電線とか電柱とか鉄塔なんかを作って提出してもぜんぜん大丈夫なんですが、保蔵というのはアレですよね。電線が傷んだり腐ったりしないように新鮮な状態に保つことですよね、多分。 腐った電線を食べると蕁麻疹が出たり下痢になったりして大変なので、これはとても大切な事だと思うんですが、蕎麦屋のメニューの “天せいろ” というのはとても美味しいものですよね。 天せいろ(電線路)、小僧(保蔵)が四十(支持)になったら、食わしたる。 小僧に食わせるのはちょっと贅沢ですからなぁ。しかし、40歳になるまでお預けとはちょっと厳しいですな。ま、僕の場合、あと2年弱なんですけど。

・ 電車線路とは、電車線及びこれを支持する工作物をいう。

 電線の道が電線路なら、電車線の道は電車線路です。電車の線路ではなくて、あくまでも電車線の路。 ここはまた芸者さんに頑張って貰うことになるんですが、花電車路線(電車線路)、四十(支持)になっても頑張ります。 見ているほうとしては、せめて30代の後半くらいで路線を変更していただきたいところなんですが、現実には40代はおろか、50代、60代になっても頑張っておられる芸者さんもいるようで。

・ 調相設備とは、無効電力を調整する電気機械器具をいう。

 柔道で、そこそこの技が決まると “有効” という事になります。シドニー五輪では篠原クンの内股すかしが無効とされ、逆にドゥイエ君の内股が有効ということになっちゃいましたが、電力の世界でもこういうことはよくあります。有効電力というのはとっても有効な電力なんですが、無効電力というのはとっても無効で役に立たないので、電気機械器具を使って調整しなければなりません。それが調相設備ということになるんですが、調整する設備だから調整設備としておけばよいものを、どういうわけだか調相設備。そうなんですよねー。 超ソーセージ(調相)、向かうところ(無効)、敵なし。 ソーセージを超えた超ソーセージ、もう無敵の強さです。

・ 弱電流電線とは、弱電流電気の伝送に使用する電気導体、絶縁物で被覆した電気導体又は絶縁物で被覆した上を保護被覆で保護した電気導体をいう。
・ 弱電流電線路とは、弱電流電線及びこれを支持し、又は保蔵する工作物(造営物の屋内又は屋側に施設するものを除く。)をいう。

 電線の説明には強電流電気が云々…とあって、じゃ、弱い電流の場合はどうするのかと思ったら、弱い電流の電気の場合は弱電流電線だったんですな。電流が弱いこと以外は普通の電線と同じなんですが、強電流電気の伝送に使用する電気導体は強電流電線ではなくて、ただの電線。ルールが今ひとつよく分かりませんなー、電気設備に関する技術基準を定める省令の考えることは。

・ 光ファイバケーブルとは、光信号の伝送に使用する伝送媒体であって、保護被覆で保護したものをいう。
・ 光ファイバケーブル線路とは、光ファイバケーブル及びこれを支持し、又は保蔵する工作物(造営物の屋内又は屋側に施設するものを除く。)をいう。

 ぼくんちのインターネットはですね、光です。 ぼくんちの卵はですね、ヨード卵・光 …ではなくて、最近は “らんらんらん” という銘柄にしたようですが、卵はらんらんらん、光インターネットで家庭内LAN…というのが最近のトレンドですからね。 とまあそんなことで、僕のうちには光ファイバーケーブルが引き込まれているわけなんですが、ぱっと見たところ、金魚すくいで金魚をすくった時に金魚を入れてくれる “ひも付きビニール袋” の青い紐とそれほど大きな違いはなくて、とても光信号を伝送しているようには思えません。 光ファイバーケーブルというのも、あまり大したヤツではないな。…と思わずにはいられませんが、ま、確かに青い保護被覆で保護はされているんですけどね。 説明文としては電線のところとよく似ているんですが、絶縁物で被覆という部分が省略されております。伝送されるのが電気ではなくて光なので、手で触ってもビリビリと感電する恐れがないので、この措置は不要ということなんでしょう。 しかし、保護被覆で保護の部分はもうちょっとしっかりして貰わないと、そのうちケーブルにけつまづいて線が切れて、すけべ動画ダウンロード不能という事態になりそうで、心配でなりません。 で、線路のほうは電線路でも弱電流電線路でも光ファイバケーブル線路でも何でも同じなんですが、要は支持保蔵でありますな。 いつも “支持=四十” では能がないので、今回は廣貫堂の風邪薬に登場して貰おうと思うんですが、ネオ眞治(支持)、1600円(線路)もして、(ほぞ=保蔵)を噛む。 廣貫堂は薬を使った分だけ料金を徴収するというシステムになっているんですが、あまり調子に乗ってネオ眞治を飲み過ぎたりすると、意外と高くついてしまうものであります。

・ 支持物とは、木柱鉄柱鉄筋コンクリート柱及び鉄塔並びにこれらに類する工作物であって、電線又は弱電流電線若しくは光ファイバケーブルを支持することを主たる目的とするものをいう。

 いままでさんざん支持という言葉を使ってきて、ここに来て初めて支持物の定義が示されることになるんですが、要はまあ、の類であるわけですな。 徹頭(鉄塔)徹尾、黙々(木)とクン(鉄)をコンクリート詰めにするちゅう(柱)プランを支持する者(支持物)がいる。 哲クンというのはうちの会社の社長の名前なんですが、そんなプランを支持する者がいるというのは実に嘆かわしいですね。僕は無論、哲クンをコンクリート詰めにするのは反対でありまして、どちらかと言うと簀巻きにしたほうがいいな。…と思ったりしております。

・ 連接引込線とは、一需要場所の引込線(架空電線路の支持物から他の支持物を経ないで需要場所の取付け点に至る架空電線(架空電線路の電線をいう。以下同じ。)及び需要場所の造営物(土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱又は壁を有する工作物をいう。以下同じ。)の側面等に施設する電線であって、当該需要場所の引込口に至るものをいう。)から分岐して、支持物を経ないで他の需要場所の引込口に至る部分の電線をいう。

 えーい、意味が分からん! もはや、空白部分を作る気にもなれません。

・ 配線とは、電気使用場所において施設する電線(電気機械器具内の電線及び電線路の電線を除く。)をいう。

 最後は割とあっさりした用語の説明でありましたが、配線というのは電気使用場所において施設する電線のことだったんですね。疥癬というのはとっても痒いものなんですけどね。 とまあそんなことで、『試験に出ろ 電験三種』 の第1回は、これにておしまい。

 ということで、今週からテナー奏者編です。まず手始めはコールマン・ホーキンスなんですが、しかし何ですな。この “試験に出ろシリーズ” というのは、いつも何だか尻つぼみになっちゃいますな。 今回のネタも芸者さんが活躍していた頃がピークだったな。…という感じになっちゃいましたが、そんなことでまあ、今日は 『デサフィナード』 というアルバムを紹介したいと思います。 サブ・タイトルに 「コールマン・ホーキンス・プレイズ・ボサノヴァ&ジャズ・サンバ」 とあるように、コールマン・ホーキンスがボサノヴァとジャズ・サンバをプレイするという企画物でありますが、ボサノヴァとサンバと言えばブラジルでありますなぁ。 僕はですね、ブラジルが結構好きです。もう、豚汁 (ぶたじる) の次くらいに好きなんですが、だからW杯サッカー・ドイツ大会の “日本 VS ブラジル” の結果にも、さほど落胆はしておりません。いやあ、凄かったですなぁ、ジュニーニョペルナンブカーノのシュート。何が凄いって、何度聞いてもちっとも覚えられないジュニーニョペルナンブカーノという名前そのものが凄いと思うんですが、こういうものこそ、語呂合わせとか人名俳句を活用するべきなのかも知れませんね。 例えばえーと…、特に思いつかないので、先に進みましょう。

 ということで、1曲目です。アルバム・タイトルにもなっている 「デサフィナード」 は、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲ですね。ジュニーニョペルナンブカーノが駄目だったので、せめてアントニオ・カルロス・ジョビンで1句詠んでみたいと思うんですが、 ほんとによぉ、蹴倒す尿瓶(しびん)、もったいない。 今ひとつですね。 “ントニ” と “ス” と “ビン” しか合ってないぢゃないか。…と思わずにはいられませんが、じょ〜と液体を注ぎ込む尿瓶=ジョビンという発想は悪くないような気もするんですけどね。 で、コールマン・ホーキンスと言えばジャズ・テナーの大御所でありまして、その図太くて豪快なトーンには定評のあるところです。 が、繊細で哀感に溢れたボサノバとの相性はどうか?…というのがちょっぴり不安材料だったんですが、なかなかどうして。 いかにもボサノヴァなラテン・パーカッションとギターのイントロに続いて登場する御大のテナーは、渋い。…の一言でありまして、これだけ奥の深い音を出せるのは、日本では奥野クンと深井さんくらいではないでしょうか。渋いということで言うと、渋井クンの名前を挙げてもいいんですが、とにかくまあ、アメリカと日本をひっくるめて、4本の指には入る逸材であると言えるでしょう。過ちを犯して小指を1本詰めることになっても大丈夫です。 テーマ部としては、この上なくよいムードでありますので、後は豪快なアドリブ・ソロを期待したいところでありますが、まず手初めはギターの軽やかソロでありますか。これはこれでボサノヴァっぽくて悪くはないんですが、続いていよいよホークの登場でありますな。これはえーと、アレですね。原文ライナーの言葉を借りると、英語なので今ひとつよく分からんのですが、とにかくまあ、クワイトでソフトリーであると。ロマンティックなインタープリテーションと言ったことも書かれておりますが、これは “浪漫的な解釈” と解釈すればいいんでしょうか。 とにかくまあ、最後のほうはうやむやなうちにテーマに戻って、フェードアウトして、おしまい。

 で、続いては 「アイム・ルッキング・オーバー・ア・フォー・リーフ・クローバー」 という曲です。 「私は四つ葉のクローバを調べている」 という意味なんですかね? 調べるよりも、探すのほうがピンと来るような気がするんですが、辞書で調べて見ても “look over” にそのような意味はありませんでした。調べるとか、見渡すとか、そういうことのようですが、それはともかく、四つ葉のクローバーというのはロマンチックでいいですよね。僕も子供の頃、四つ葉のクローバーを探しに佐賀市まで行ったりするのは面倒なので、とりあえず三つ葉のすましが食卓に並んだ時に、四つ葉の三つ葉を探してみたりしたんですが、演奏のほうはと言うと、イントロの部分が2曲目にして、早くもマンネリの傾向が窺われて、やや先行きが不安になってしまいます。 そこをメジャー・ホリーの骨太なベースがうまくフォローしているんですが、メジャー・ホリーと同じような演奏を出来るのは、日本では堀井クンくらいのものですからね。アメリカと日本をひっくるめて、2本の指には入るので、あと2回までは過ちを犯しても大丈夫です。小指、薬指、中指の順番に詰めていけば、とりあえず人差し指と親指で塩をつまむくらいのことは出来ますからね。 で、演奏のほうは、ほのぼのとした感じのテーマに続いて、ギターのソロがあって、続いてホーキンスがハート・ウォーミングなソロを聴かせ、でもって、テーマに戻って、おしまい。 2分49秒という短い演奏でありまして、ま、ちょっとしたプチ小品といったところでしょうか。

 3曲目は 「サンバ・パラ・ビーン」 という曲です。コンポーザー兼アレンジャーで、また写真を貼る帳面としても知られるマニー・アルバムという人がホーキンスに捧げた曲であるものと思われ、 “ビーン” というのはアレですよね。ホーキンスの愛称ですよね。何とも美しいメロディを持った作品でありまして、ホーキンスの暖かい吹きっぷりによくマッチしておりますが、ジェントリーでリリカルなムードであると原文ライナーにも書かれております。その後、ギターのソロになるんですが、2人参加しているギタリストのうち、大いに活躍しているのはバリー・ガルブレイスのほうですかね? もう一人のハワード・コリンズという人のことを僕はよく知らないので、おそらくあまり活躍していないと思うんですが、終盤にテナーとギターのソフトな絡みがあったりして、テーマに戻って、おしまい。ま、極上のラテン系ムード・ジャズではあるんだけどね。…といったところでしょうか。 で、続くジョニー・マーサーの 「アイ・リメンバー・ユー」 はブラジル生まれではないものの、よくラテンのリズムで演奏される曲です。で、これまた何とも無難な仕上がりでありまして、この曲をボッサのリズムで演奏のすれば、ボサっとしててもこうなっちゃうよね。…といった感じのオーソドックスな出来となっております。ま、ボサノヴァというのはそういうものなんですけどね。坊さんが急に婆さんになるようなサプライズはあまりなくて、予想された通りの結果に終わる、そういうジャンルの音楽なんだと思います。

 ということで、5曲目です。 「ワン・ノート・サンバ」 はボサノヴァの有名なスタンダードでありますな。ワン・ノート(単音)のサンバというタイトルが付いていることからも分かるように、基本的には1つの音の繰り返しだけで成り立っている希有なナンバーなんですが、これなら僕でも簡単に演奏出来そうな気がしますな。 ただ、サビの部分で劇的にヴァーティカルなフレーズが飛び出してくるところがネックなんですが、ま、この部分はここでのホーキンスと同じようにメロディの演奏をギターに任せてしまえば大丈夫です。ラクで美味しいところだけ自分が取って、残りのややこしい仕事は部下に押し付ける。それが上司として理想的な姿であるわけでして、うちのナ○ナワ所長代理など、それを身をもって体現しているわけなんですが、ネームランドで月間予定表に張り付けるマグネット式の “電子入札” と “開札” のプレートを作るなど、どうでもいいとろこで妙に凝り性だったりしますからね。何でもいいけど、冷房が入っているのに意味も無く窓を開けたりするのはヤメてくださいね。電気代が無駄になるだけでなく、書類が風で飛んだりして、ヒジョーにうっとおしいです。 で、一方、ホーキンス専務の仕事っぷりは重厚にして軽やかでありまして、何だか矛盾した表現ではあるんですが、ま、相変わらず無難な仕上がりといったところでしょうか。 インパルスというレーベルは後期コルトレーンの作品群から前衛的なイメージを持たれがちなんですが、根はメジャー系で、コマーシャルなところがありますからな。 ま、コルトレーンと違って、肩が凝らないところはいいと思うんですけど。 で、テーマの再現部ではちゃんとサビの難しいフレーズもちゃんとホーキンスが吹いていて、そこのところがナガ○ワ君と違って、偉いところなんですけどね。

 で、6曲目は 「オ・パト」 という曲です。クルマを運転していて、信号が黄から赤に変わる信号無視スレスレのタイミングで交差点に突っ込んだ時、その先にパトカーがいたりすると、「おっ、パト!」 と、一瞬ドキっとするんですが、この曲はですね、キャッチーでアミアブルなチューンであると原文ライナーには書かれております。アミアブルというのはアレですかね? イカの網焼きみたいなものですかね?…って、それは “網でイカを炙る” でありまして、 “amiable” というのはアレです。愛想がいいとか、気立てのいいと言った意味のようです。気立てのいいギャルというのはいいですよね。少なくともホタテの好きなギャルよりも惹かれるものを感じてしまうんですが、僕はそれほどホタテが好きではないので、 「ホタテ食べたいのぉ♪」 とか言われると、ちょっと困ってしまうんですよね。 ま、愛の力があればホタテくらいは頑張って食べることが出来ると思うので、ホタテ好きのサバ君ファンのギャルもそれほど落胆しなくても大丈夫なんですが、出来ることならなるべく、ホタテ料理はねだって欲しくないところではあります。 ということで、7曲目…って、もはや曲解説の体を成さないようになって来ましたが、 「アン・アブラッコ・ノー・ボンファ」 はジョアン・ジルベルトがルイス・ボンファに捧げた曲であるようです。 「あ〜ん、脂っこいのは駄目よ、ボンファ。」 と言った意味でしょうか? あまり脂っこい料理が好きではないジルベルトが、 “豚カツとハムカツのラード炒め” みたいな料理はねだって欲しくないと訴えている作品だと思いますが、ジルベルトはですね、アサリ汁弁当みたいな、あっさりした料理が好きみたいですからね。 で、曲のほうはというと、なかなかファニーが作品に仕上がっておりまして、ま、演奏のほうは相変わらず、魅惑のムード・テナーすれすれの出来ではあるんですけどね。

 ということで、ラストです。 「スタンピー・ボサ・ノヴァ」 はマニー・アルバムがホーキンスのオリジナル 「スタンピー」 をボサノヴァ風に作り替えたものであるようです。 “stumpy” というのは “太く短い” とか “ずんぐりした” と言った意味のようですが、ずんぐりした村主章枝とか、結構いいかも知れませんね。荒川静香がプロに転向してしまった今となっては、引田天巧と村主章枝に頑張ってもらうしかありません。 ま、あまりずんぐりした体型になってしまってはジャンプとかイリュージョンは難しいかも知れませんが、個人的にはずんぐり系…というか、ぽっちゃり系は、かなり好きだったりするんですよね。 とまあそんなことで、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 ぽっちゃり系で、ホタテ料理をねだったりしないギャルがいいですなぁ。で、後はですね、帽子を貰っても姿を消さないというのも大切なポイントです。…って、僕の好きなタイプの話はどうでもよくて、キャッチーでキュートでアミアブルな佳曲が揃った、なかなかの好アルバムだと思います。 ホーキンスの演奏もギターのプレイも卒がなくて、これと言った弱点が見当たらないんですが、しかし何ですな。これほどまで似たようなムードの演奏ばかり続くと、飽きますな。ボサノヴァ&ラテン系は1枚のアルバムで、せいぜい3曲まで。…という気がしないでもありません。 ま、全曲ボッサ系と知りつつこのアルバムを買ったわけなので、文句を言えた筋合いではないんですけど。


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