CHARLIE MARIANO (BETHLEHEM)

CHARLIE MARIANO (1955/6)

CHARLIE MARIANO


【パーソネル】

CHARLIE MARIANO (p) JOHN WILLIAMS (p)
MAX BENNETT (b) MEL LEWIS (ds)

【収録曲】

JOHNNY ONE NOTE / THE VERY THOUGHT OF YOU / SMOKE GETS IN YOUR EYES
KING FOR A DAY / DARN THAT DREAM / FLOORMAT
BLUES / I HEARD YOU CRIED LAST NIGHT

【解説】

 先日、羽島の “れんげ祭り” というのに行ってきました。れんげ。いいですよね。郷愁を誘われるものがありますが、実をいうと僕には “れんげ” にまつわるちょっぴり哀しい思い出があります。あれは確か高校生の頃ではなかったかと思うんですが、僕は友達とラーメン屋に入ったんですよね。そこで僕はラーメンとチャーハンのセットを注文したんですが、テーブルに届けられたラーメンとチャーハンを目の前にして、僕は途方に暮れてしまいました。どうやって食べたらいいのか、よく分からんのですよね。ラーメンのほうはいいです。麺のほうは割り箸で食べて、スープのほうは “れんげ” を使って飲む。それで大丈夫です。これがもし “寿がきや ” だったら、割り箸とれんげの替わりにフォーク付きスプーンという専用の器具を使うことになるんですが、あれは “ラーメンフォーク” というのが正式名称なんですかね?基本は大きめのスプーンなんだけど、先の一部分がフォークのような櫛歯状になっていて、これ1本でスープも飲めれば、麺だって食べられちゃうという。子供だと思って馬鹿にすんな!…と言いたくなるような代物なんですが、このお店では大人もこれを使って食べるというのが慣わしですからね。この店のラーメンは信じられないくらいの低価格でありますので、それくらいの恥は我慢しなければなりません。

 このラーメンフォークの登場はですね、れんげ業界に少なからぬ衝撃を与えたと言われております。このままでは日本のラーメン屋かられんげが姿を消してしまうのも時間の問題ではないかと思われたんですが、 “寿がきや” の秘密兵器は思ったほど世間には普及しませんでした。ラーメンフォークはスープも飲めれば、麺だって食べられちゃうんだけど、スープは飲みにくいし、麺のほうはもっと食いにくいやんけ!…ということが次第に明らかになって来たんですよね。その結果、寿がきやの客の大半は割り箸で麺を食べて、ラーメンフォークは “使いにくいれんげの代用品” として、もっぱらスープを飲むための道具として使用されることになるんですが、それだったら普通の使いやすいれんげを出してくれたほうが、どんなに有難いことか。。。 かくして日本のラーメン屋かられんげが姿を消すような事態にはならなかったんですが、そのれんげにもひとつだけ欠点がありました。それは何かと言うと、ちょっと油断をすると、すぐにドンブリの底に埋没してしまうということなんですが、ラーメンのスープというのはギトギトと脂ぎっているので、ドンブリの縁とれんげの底との摩擦係数が極端に小さくなっていますからね。ちょっと油断をすると、すぐに斜めに滑って底のほうへと落ちていってしまいます。 底に沈んだれんげを救出するのはスープが熱くて大変だし、指先がヌルヌルして気持ちが悪いし、先ほど、便所に行って面倒で手を洗うのをサボったりした場合など、自業自得とは言え不衛生だったりもしますよね。

 そこで、れんげ業界の人は考えました。俺、今度から便所にいったらちゃんと手を洗うよ!…と、心の中で誓ったりして、いや、それはそれで大きな前進だとは思うんですが、もっと根源的なところで問題を解決して欲しかった気はするんですけどね。…と思ったら、業界の人はその点でもぬかりはありませんでした。ドンブリの底に沈んでいかないように紐を付けて首からぶらさげるとか、ドンブリに入らないくらい大きなれんげを作るとか、数々のつまらない案が出されたようですが、最終的に採用に至ったのは、れんげの柄に段差を付けるというものでありました。柄の部分をクランク状に曲げてドンブリの縁に引っ掛けるようにすれば、もう滑り落ちる心配はないわけで、我ながらナイスなアイデアでありましたな。いや、別に僕が考案したというわけではないんですけど。 …と、ここまで書いて、僕の “れんげ” にまつわるちょっぴり哀しい思い出の話を、すっかり忘れていたという事に気付きました。 が、今となってはもう、どうでもいいような気がして来たので、その問題については後半、書くことがなくなった時点で簡単に触れることにして、話を “れんげ祭り” に戻しましょう。

 羽島の “れんげ祭り” というのは、中華料理のチリレンゲを展示即売するといったつまらないイベントではなく、お花のレンゲに関係するお祭りだったんですが、ラーメンのレンゲも、お花のレンゲも、語源としては同じであります。お花のレンゲは花の形が何となく蓮の華に似ているから “蓮華” 。 中華料理のレンゲは散った蓮の花弁に形が似ているから “散り蓮華” 。 なるほど、ラーメンのスープを飲む以外に、海老のチリソース煮を食べるの時にも使うから “(海老)チリ蓮華” というわけでは無かったんですな。 で、レンゲの花は本当にロータス・ブロッサムに似ているのか?…という問題は、そのうち お花写真紹介ページ で検証するとして、今回はですね、 “蜂蜜” について考えてみたいと思うんですけどね。 というのも、レンゲ畑には蜜蜂がたくさん飛んでおりまして、そういえば昔、レンゲの蜂蜜というのを “大元” だか “小元” だかに買いにいったよな。…という事を、ふと思い出したからなんですけどね。 “大元” だか “小元” だかというのは桑名の西鍋屋町にあったお店の名前でありまして、正確に言うと “小元” というのは存在しなくて “大元” という名前の店が2件あったんですが、同じ名前では何とも紛らわしいので、うちでは勝手に “大元” でないほうの “大元” のことを “小元” と称していたんですよね。片方の “大元” だか “小元” だかでは文房具やらハエ叩き、あるいは “助六” というブランドの便所紙なんかが売られていて、もう1件のほうでは砂糖が商われておりました。砂糖屋と便所紙屋、どっちの “大元” を “小元” と呼んでいたのか記憶にはないんですが、おそらくは便所紙のほうを、大便の時にお世話になるから “大元” …ということにしていたのではなかったかと。

 となると、蜂蜜を買いに行ったのは、砂糖を商っているほうの “小元” ということになると思うんですが、当時は砂糖だけ売って食っていけるような個人商店がまだあったんですよね。僕はこの店に売られていた “大きな鯛の形の砂糖” が欲しくて欲しくてたまらなかったんですが、いつも買いに行かされるのは鯛の砂糖ではなくて、蜂蜜でありました。 “小元” まで行くのはちょっと遠くて面倒なので、「蜂蜜なんか、大森屋 (←編集部注:近所にある輪島似の伯父さんがやっている八百屋) にも売っとるやん!」 と、反抗的な態度を取ったりもしたんですが、「大森屋の蜂蜜は水飴ばっかやで、あかん!」 と、僕の建設的な提案は即座に却下されてしまいました。 何でも、純粋な蜂蜜は冬になると固まるんやけど、大森屋の蜂蜜はちっとも固まらんのだそうでありまして、僕はこうして “正しい蜂蜜の見分け方” の技術を身に付けた次第でありますが、ただ、うちのおかんの言うことは、時々とんでもなく間違っていることがありますからね。そのまま鵜呑みにするのではなく、一度、科学的な検証を加えたほうがいいような気がします。果たして、うちのおかんの言ってることは本当に正しいのでしょうか?

 そもそも蜜蜂がどのようにして蜂蜜を作るのかというとですね、まず最初に原材料となる花の蜜を集めてこなければなりません。花なんてものは僕の目にはどれも同じようにしか見えんのですが、同じ種類の花でも固体によって蜜に含まれる糖分の濃度が大きく違っているんだそうです。少ないもので 5%、多いものでは 60%というのだから、実に 12倍もの開きがあるわけですが、蜜蜂はちゃんと甘いお花を選んでいるようですね。そして1日に 1000個以上の花から蜜を集めるんだそうですが、えーと、1日8時間勤務として、ひとつの花から蜜を集めるのに要する時間は 28秒強といったところでしょうか。 が、実際にれんげ畑で蜜蜂を観察しているとですね、とてもそんな時間を費やしているようには見えません。まさに、花から花へといった感じで忙しく飛び回っておりまして、そのタイムスケジュールはざっと、花の選別に3秒→移動に1秒→蜜吸いに1秒といったところでしょうか。5秒間隔の流れ作業でありまして、この調子なら1日1000個のノルマを1時間半足らずで達成出来てしまいます。もっと働けよ、働き蜂!…と思わずにはいられませんが、ま、現場作業が1時間半で、巣に戻ってからまた働くのかも知れませんけど。

 花の蜜を集めてきてそのまま壷の中に溜め込んでも、蜂蜜にはなりません。そのうちに腐った花の蜜になっちゃうのが関の山なんですが、蜜はやはり蜜蜂の関与がないと蜂蜜にはならんのですよね。蜜蜂が1日に集めてくる蜜の量はティースプーンに1/4杯程度なんだそうですが、その成分のほとんどは蔗糖であります。これを精製して鯛の形の入れ物に詰めてやれば引き出物になるわけですが、蜜蜂はそれとはまた違った方向に持っていこうと考えます。とりあえず体内の消化酵素を使って果糖やブドウ糖に分解してから吐き出して、それを巣の中に貯蔵するわけでありますが、ここから働き蜂はまた一働きしなければなりません。巣の温度を 35℃前後に保つために羽で風を送り続けなければならないんですが、そうすることによって果糖とブドウ糖の溶液から次第に水分が蒸発して、やがて煮詰まってドロドロの蜂蜜になるんだそうです。なるほど、けっこう手間を掛けているんですな。 で、問題の “蜂蜜が固まる、固まらん問題” でありますが、結晶化するのはブドウ糖の部分なんだそうで、温度が低くなっても果糖は結晶にはならないそうです。また、花粉などの不純物が多いと結晶になりやすいそうで、純粋な蜂蜜でも濾過しているものだと冬になっても固まらない可能性があるんだそうで。 駄目ぢゃん! “大森屋の蜂蜜はパチもん説” は、やっぱりあまり当てにならないぢゃん!

 では一体、純粋な蜂蜜はどのようにして見分ければいいのかというと、その方法はさほど難しくはありません。表示に “純粋” と書いてあれば、それは純粋であると判断してもいいようなんですが、一応、平成14年10月の 「はちみつ類の表示に関する公正競争規約」 の一部改正により、 “純粋” と表示できるのは精製はちみつを使用せず、かつ、添加物を一切加えない物…という明確な規定が設けられたみたいですからね。純粋でない蜂蜜のうち、 “精製蜂蜜” というのは純粋な蜂蜜から臭いや色を取り除いたものなんだそうで、不純物が入ってないんだから、いいぢゃん。…という気がしないでもないんですが、純粋蜂蜜に含まれる “役に立つかも知れない成分” も取り除かれているので、効き目としては1ランク下ということになろうかと。つまり冬になっても固まらない蜂蜜というのは、混ぜ物はしてないかも知れないけど、純粋とは言えない蜂蜜という可能性があるわけで、 “大森屋の蜂蜜” はちょっとだけ立場が怪しくなってきました。 無論、それが精製蜂蜜ですら無く、 “加糖蜂蜜” だったり “異性加糖” だったりする可能性も捨てきれないんですが、異性加糖というのはトウモロコシや馬鈴薯などのデンプンを分解して作った純粋なるパチもんで、加糖蜂蜜は蜂蜜に異性加糖を加えて増量した、かなり胡散臭い蜂蜜といった感じでしょうか。 ジャガイモから人間が作ろうが、花の蜜から蜜蜂が作ろうが、ブドウ糖はブドウ糖、果糖は果糖という気がするので、純粋なのか不純なのか、冬になると固まるのか固まらないのか…というのは、それ以外の成分に依存するものと考えていいかも知れません。要はそれを不純物と捉えるか、有効成分と考えるかなんですが、大森屋で買ってきた純粋なる “異性加糖” でも、レンゲの花びらだとか、そこらを飛んでいる蜜蜂だかを捕まえて漬け込んでやりさえすれば、けっこういいダシがでるような気がするんですが、果たしてどんなものでしょう?

 ちなみにですね、僕は蜂蜜がさほど好きではありません。特に純粋なものは冬場になると結晶化したりして、パンに塗りにくいぢゃないか!…と思わずにはいられないんですが、そういう意味ではまだ大森屋の蜂蜜のほうが使い勝手はよかったんですけどね。蜂蜜を体に塗りたくって、 「どうだい、ハニー?」 「いや〜ん、まさおってばぁ♪」 というプレイに励む場合にも、あまり純粋なものは相応しくないような気がします。 “不純な異性加糖で不純異性交遊” とか、けっこう楽しいかも知れませんなぁ。 とまあそんなことで、蜂蜜の話はおしまい。

 ということで、今日はチャーリー・マリアーノです。白人軽視主義@人種差別サイトの 『塩通』 では初登場ということになりますか。チャーリー・パーカーとチャーリー・マリアーノ、それに麻原彰晃の娘アーチャリーを加えた3人を “ジャズ・アルトの3巨匠” と呼ぶわけでありますが、いや、アーチャリーがアルトを吹くと言う話は聞いたことがないので、もしかしたら呼ばないかも知れませんけどね。アーチェリーとかは得意そうですけどね、アーチャリー。(←基本。) ま、いずれにせよチャーリー・マリアーノと言えば、日本ではもっぱら “秋吉敏子の元ダンナ” として認識されているわけでありまして、トシコ絡みでないマリアーノの単独アルバムとなると、あまり興味をソソられないというのが現状ではないかと思います。少なくとも僕はそうでした。マリアーノよりも、イタリアーノのほうがイタリア人だよね?…とか思っていました。が、ある日、レコード屋で 『チャーリー・マリアーノ』 という、そのまんまの名前のアルバムを見つけて、アルト編のネタに使えるかな?…と思って購入に踏み切ったんですが、豆乳を購入するほどの思い切りは必要ありませんでした。うちの会社にはヤクルトお姉さんが出張販売に来るんですが、どうも豆乳だけは購入する気になれんのですよね。何だか豆腐をストローで啜っているような気分がして、あまり嬉しくありません。その点、このアルバムはシンプルなワン・ホーン編成なので、僕の苦手なアレンジ過多の演奏にはなっていないだろうし、有名スタンダードがずらっと並んだ選曲も入門編としては適切ではないかと思われます。実際、買って聴いてみたところ、実によい出来でありましたので、本日、皆様にこうしてお披露目している次第でありますが、まずはえーと、 「ジョニー・ワン・ノート」 でありますか。これはですね、ロジャース=ハートのコンビによる作品でありますな。

 ピアノの導かれた前奏から早くもマリアーノのスインギーな魅力が弾ける。チャーリー・パーカー譲りのバピッシュなアルトを響かせながらも、明るくスマートなプレイが認められるのは、マリアーノがアメリカの東西で活動したからだろう。ピアノのウィリアムスも好調だ。…と、杉田宏樹クン (←誰?) が日本語ライナーで述べている意見に、僕も 99.2%くらいは賛成なんですが、では、残り 0.8%の賛成出来ない部分はどこにあるのかと言うと、最初の部分は “ピアノの導かれた” ではなくて、 “ピアノに導かれた” やろ?…というところなんですけどね。ま、恐らく単なる誤字の類いだとは思うんですが、確かにピアノの導かれたイントロに続いてマリアーノが登場し、しばらくアドリブで吹いた後、さりげなくテーマ・メロディへとスライドしていくあたり、何ともスインギーな魅力が弾けておりますな。テンポはミディアム・ファストで、曲自体がスインギーな魅力に溢れたものでありますので、演奏も生き生きとした仕上がりとなっております。で、テーマに続いてアルト・ソロに入るわけでありますが、この人のスタイルというのはアレですね。純粋にパーカー直系…というよりは、パーカーに異性加糖を足して増量した “加糖パーカー” といった感じで、白人的なものをあまり感じさせない、根っからのインプロバイザーと言っていいかも知れません。いやあ、悪くないですな。 で、続いてはジョン・ウイリアムスのピアノ・ソロでありますが、この人はアレですよね。アメリカ全土に700万人くらいはいそうな程、ありがちな名前の持ち主でありますな。日本で言うと、 “佐藤まさお” とか、そんな感じではないかと思うんですが、一時期、僕の心の中での平均的な日本人は “たかし” か “ひろし” だったんですが、最近は “まさお” と “よしお” がブームなんですよね。 で、ジョン・ウイリアムスの軽妙洒脱なピアノ・スタイルが実に耳に心地よくて、こういう人を世間では “名手” と呼ぶんでしょう。ちなみにチョーヤの梅酒(炭酸入り)のことを世間では “ウメッシュ” と呼ぶわけですが、ピアノ・ソロに続いてはアルトとドラムスの4バースで大いに盛り上がって、で、その後しばらくアルトのソロが続いてからテーマ部に戻り、最後はアドリブしつつフェードアウトして、おしまい。…と、実にまあ、純正ハード・バップらしいオーソドックスな仕上がりとなっていて、白人嫌いの僕でも大いに楽しめる1曲なのでありました。

 2曲目、 「ザ・ヴェリー・ソート・オブ・ユー」 。 これはレイ・ノーブルの曲でありますか。イントロ無しでいきなり始まるテーマ部の処理が何とも洒落ておりまして、出だしはアルトの呼び掛けにピアノとベースが応答する形式で、途中からドラムスが入ってオン・ビートとなり、いかにも歌モノらしい リラックス&エンジョイなプレイが展開されております。いいですよね、エンジョイ。僕は “援助交際” というのは実に怪しからんと思うんですが、 “エンジョイ白菜” なら大いに楽しむべきだと思うわけでありまして、白菜に悪いヤツはいないというのは世間では定説となってますからね。で、テーマに続くマリアーノの伸びやかなソロを受け、ジョン・ウイリアムスが何とも小粋な鯉の小池クン。…といった感じのピアノ・ソロを聴かせてくれるわけでありますが、いや、金魚まつりで塩サバ2号ジュニア2号が買ってきた金魚の中に、どう見ても鯉としか思えないのが1匹交じっていて、その固体には “小池クン” という名前が付けられたそうなんですよね。塩サバ2号ジュニア2号にしては、なかなかよく考えたネーミングであると思いますが、ウイリアムスに続いてはマックス・ベネット (←誰?) のベース・ソロが短くフィーチャーされたりして、テーマに戻って、おしまい。 で、3曲目は 「煙が目に染みる」 でありますか。さば君の “好きウタ” (←死語?) のひとつなんですが、ひとつ間違えると、味噌カツとドテ煮と手羽先のセットみたいな、くどい味付けになってしまう危険性もあって、胃もたれが懸念されるところであります。 が、さすがにそこはマリアっち。パーカー派らしい細かい装飾音を時おり交えつつ、美しいメロディを心暖かに歌い上げておりまして、前曲同様、いかにも歌モノらしいリラックス&デラックス東寺なプレイが展開されております。いいですよね、デラックス東寺。京都に行ったら是非ともここで観音様を拝んできたいと思っておりますが、ただ、いつ “まな板ショー” に指名されるか気が気でなくて、ちっともリラックス出来ないところがネックなんですけどね。が、さすがにそこはマリアっち。どんな状況に置かれても緊張する素振りを見せず、淡々とプレイに徹してる姿は好感が持てます。白人だけに白黒ショーに使えるかな?…という気はするんですが、今回のサイドマンの中に黒人はいるんですかね? ま、白黒ショーにあまり人種は関係ないような気がするので、別にどっちでもいいんですが、今回、ジョン・ウィリアムスに単独での出番はなく、もっぱらマリアーノにスポットライトの当てられた演奏となっておりました。3分強のちょっとした小品なんですが、しみじみとしていて、僕は好きです。

 4曲目は 「キング・フォー・ア・デイ」 という曲です。アーティ・ショウ楽団で取り上げられた以外、あまりジャズでは演奏される機会がないようですが、どうしてもつと、ジヤズで取り上げなかつたのだ?…と、長老に叱られそうなほど、優れた楽想であると思います。軽快でブルーなピアノのイントロに続いて、マリアーノがテーマ・メロディを歌い上げ、そのままアドリブ・パートへと流れていく。…という流れがとってもスムーズで、マリアーノのアドリブも快調そのものです。おそらくこのレコーディングの時、彼はとっても体調がよかったんでしょう。回虫に養分を取られてゲッソリしていたりすると、なかなかこうも快調には行きませんもんね。続くウイリアムスのピアノ・ソロも、その後の (as)→(p)→(as)→(p) の4バースも素晴らしい出来栄でありまして、でもって、テーマに戻って、おしまい。いや、本アルバムでも屈指の名演だよね。…と、屈斜路湖 のクッシーが言っておりましたが、僕もまったくその通りだと思います。

 ということで、次。  「ダーン・ザット・ドリーム」 は僕の大好きな曲のひとつでありまして、しみじみと仕立て上げられたこのマリアーノのヴァージョンも、この曲の名演のひとつであると言っていいでしょう。とても素晴らしいとは思うんですが、そろそろ書くことが無くなってきたというのは、屈斜路湖のクッシーが出てきた時点で明白になったものと思われます。それはそうと僕は高校生になるまで、外のお店でチャーハンを食べたことが無かったんですよね。うちでチャーハンやピラフや焼き飯やチキンライスを食べる時にはスプーンが添えられていたので、それで食べればよかったんですが、ある日、友達とラーメン屋に入ってラーメンとチャーハンのセットを注文した僕は、テーブルに届けられたラーメンとチャーハンを目の前にして、途方に暮れてしまいました。チャーハンをどうやって食べたらいいのか、よく分からんのですよね。ラーメンのほうには割り箸とレンゲが付いているから問題はないんですが、チャーハンに付属する筈のスプーンがどこにも見当たりません。レンゲというのはあくまでもラーメンのスープを飲むのに用いるものでありまして、スープの中に半身を浸しているレンゲなんかでチャーハンを食べたら、汁でベタベタになってしまいます。チャーハンと言えどもゴハンの一種なので、ここはやはり箸で食べるのが本筋だろうと判断した僕は、食べにくいやんけ!…とか思いつつ、割り箸で悪戦苦闘していたんですが、すると横にいた友達が、 「箸でチャーハン食べるて、変わっとるなー。」 と、馬鹿にしたような顔で言うんですよね。今さら、レンゲで食べるのが正解だとは知らなかったと告白するのも癪なので、 「日本人は割り箸でやでー。」  などと、わけの分からないことを言って、そのスタイルを最後まで押し通すことにしたんですが、それ以来、僕はちょっぴりレンゲが嫌いになったのでありました。

 ということで、6曲目です。 「フロアマット」 はこのアルバムで唯一のマリアーノのオリジナルでありまして、いや、彼がどうしてまた床の敷物なんかをテーマに曲を作ったのか、僕にはその心理が今ひとつ理解出来ないんですけどね。とまあそれはそうと、プリンターの用紙にマット紙というのがありますよね。僕はずっとアレを、マットだから分厚い紙なんだろうな。…というふうに理解していたんですが、違ったんですね。表面に光沢のあるコート紙に対して、光沢がないのがマット紙なんだそうで、いや、ちっとも知りませんでした。コートと光沢なら何となく韻を踏んでいるから分かりやすいんですが、マット紙と言うとどうしてもベープマットみたいなのが頭に浮かんできますからね。 とまあそれはそうとマリアーノの 「フロアマット」 でありますが、メロディアスで、なかなか優れた佳曲に仕上がっておりますな。英文ライナーには親しみのあるのとそうでないコード進行を使用しているとの解説がある。…と、日本語ライナーに解説がありますが、そうでないコード進行のほうはまったく気が付かないほど全体的に親しみのある作品だと思います。テーマに続いて登場するウイリアムスのソロが絶妙にして、功名が辻。…といった感じでありまして、いや、かなり地味なんですけどね、山内一豊。僕はどちらかと言うと、 『おーい!はに丸』 で “かんだくん” を熱演していた三波豊和のほうが好きなんですが、ウイリアムスに続くマリアーノのソロも非常に出来がよくて、ということで、次です。 7曲目の 「ブルース」 はですね、ブルースです。特に作曲者名がクレジットされていないトラディショナル・ブルースをマリアーノがコンベンショナルに料理しておりまして、テンポがスローなので、白人アルトにしてはかなりアーシーな仕上がりになっております。 ちょっと息苦しいぞ。…とか思っていると、ジョン・ウイリアムスのピアノにタッチしたところで速度が上がって、少しは呼吸も楽になります。再登場のアルトも同じテンポをキープしておりまして、日本語ライナーにもあるように、ちょっぴりファンキーさを感じさせるプレイが耳に心地よく、続くマックス・ベネットのベースは地味に気持ちよく、続くアルトとドラムスの4バースで気分が大いに盛り上がり、再びアルトのソロがあって、テーマに戻って、ちょっぴり唐突な感じで演奏が終わって、おしまい。

 ラストの 「アイ・ハード・ユー・クライド・ラスト・ナイト」 も、なかなか楽しい曲でありますな。 「僕は昨日の夜、あなたが泣き叫んでいるのを聞いた。」 というのがタイトルの意味だと思うんですが、泣いていようが叫んでいようが、僕にはまったく関係ないね。…といった感じの何とも能天気な演奏でありまして、途中、ピアノとベースのウォーキング・ソロを挟んで、前後にマリアーノのソロが聴かれるという構成でありますな。いやあ、マリアーノもなかなか、やりまんの。…というのが今日の結論です。

【総合評価】

 購入時の期待度はコーヒー味の豆乳程度のものだったんですが、なんのなんの。 南野陽子の乳と同じくらいは楽しめる作品となっておりまして、今まで白人だと思って馬鹿にしていて、ゴメンな。…と、とりあえず謝っておきたいと思います。


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