OUTWARD BOUND (NEW JAZZ)

ERIC DOLPHY (1960/4/1)

OUTWARD BOUND


【パーソネル】

FREDDIE HUBBARD (tp) ERIC DOLPHY (as,b-cl,fl) JAKI BYARD (p)
GEORGE TUCKER (b) ROY HAYNES (ds)

【収録曲】

G.W. / GREEN DOLPHIN STREET / LES
245 / GLAD TO BE UNHAPPY / MISS TONI

【解説】

 鯛焼き、タコ焼き、イカ焼き、根性焼き。 “焼き” にもいろいろありますが、君はどの “焼き” が好きかな? 僕はですね、タコ焼きがいちばん好きですね。 以下、鯛、イカと続いて、最後が “根性” ということになりますが、根性なしですからね、僕って。 「ど根性ガエル」 はけっこう好きだったんですけどね。僕は子供の頃、とっても病弱な少年でありまして、体力強化の為に毎日30分の縄跳びを義務づけられていたんですが、コドモ心にも、何でこんなことせなあかんねん?…と、かなり不満に思っておりました。縄跳びなんてのは体操服姿の巨乳ギャルが跳んでいるのを眺めるのが楽しいのであって、自分でやってみてそれほど嬉しいものではないですからね。僕の縄跳びタイムは夕食前の午後5時半から6時半にかけての時間帯にセッティングされていたんですが、跳んでいる間はテレビを見れないというのも嫌でした。当時は5時半から 「ど根性ガエル」 、6時から 「トムとジェリー」 をやっていたんですが、縄跳びのためにどちらかを犠牲にしなければならなくて、僕はいつもトムを選ぶか、ジェリーを選ぶか、ピョン吉を選ぶか、ひろしを選ぶか、梅さんを選ぶかでずいぶんと頭を悩ませたものであります。 が、僕は当時から聡明な子供でした。ずいぶんと頭を悩ませた結果、ついに両方を見ることの出来るとっておきの妙案を思いついたんですが、それはどういうものなのかというと、 「両方とも見たいから、縄跳びするの嫌や!」 と言って、ゴネるというものだったんですけど。世の中には “ゴネ得” という言葉があるということを聡明な子供だった僕は見抜いていたのでありますが、結果的には 「 “トムとジェリー” なんかもう何回もやっとるで、見やんでええの!」 と言われて、それで終わりだったんですけどね。ま、確かに 「トムとジェリー」 のほうは “人造ネコ” というタイトルを見ただけでストーリーがすべて分かってしまうほど、何回も見ているよな。…という気がしたので、僕は 「ど根性ガエル」 のほうを選ぶことにしたんですが、親の言い付けをよく守る、とっても素直な性格の子供だったと自分でも思います。

 ということで、タコ焼きです。僕は5月3日の “金魚まつり” の日にですね、タコ焼きを食べました。金魚まつりというのは桑名で行われる鎮国守国神社の例大祭なんですが、金魚と言えば脱線覚悟で…と言うか、確信犯的に、ナガ○ワ所長代理について語らなければなりません。ナガ○ワ所長代理と言えば 「赤とんぼの歌」 のエキスパートとして知られているんですが、実はそれ以外にも得意なレパートリーがあるんだそうで、それが何かと言うと 「金魚の歌」 なんだそうで。どうやら小さな生きもの系の歌に強いキャラのようなんですが、 「金魚の歌」 というのはアレですかね? 金魚、金魚、酒場の隅でマッカッカ♪…というヤツですかね? 僕は幸いにも所長代理がこの歌を熱唱している場面には居合わせたことがないんですが、その姿が容易に想像出来るだけに、何とも言えない暗澹たる気分になってしまいます。所長代理は部下からの人望も篤く、カラオケとなると真っ先に 「ナ○ナワさん、歌や〜。赤とんぼの唄?それとも金魚にする?」 と声が掛けられ、本人もすぐにその気になるので、近い将来 “金魚地獄” を味わうことになるのは避けられないものと思われます。 で、話をタコ焼きに戻しますが、僕が5月3日に食べたタコ焼きは祭りの屋台ではなく、アピタ桑名店の中の店で買ったものなので、金魚はまったく関係がないんですが、普通のソース味のものと、醤油味の “ネギ焼き” という2つのタイプがありました。個人的には普通のソース味のほうが、いかにも普通の タコ焼きやな。…といった感じがして好きなんですが、そもそもタコ焼きはというのはいつ頃から食べられているものなんでしょうか?

 ということで、今日は “タコ焼きの歴史” というテーマでお届けしようと思うんですが、それだけでは間がもたないようなら “鯛焼きの歴史” と “イカ焼きの歴史” にも言及することにして。 イカ焼きなんてのはただイカを醤油に漬けて焼くだけの話なので、三ヶ日人や牛川人あたりでも容易に思いつくような気がするんですが、タコ焼きとなると少し事情が違ってきます。少なくともタコ焼き用の鉄板を正しく窪ませたり、タコ焼きを引っ繰り返すやつの先端を適切に尖らせるだけの金属加工技術が必要になってくるわけで、こうなってくると三ヶ日人や牛川人あたりでは無理です。少なくとも明石原人クラスの知能が要されるわけでありますが、タコ焼きのルーツのひとつが “明石焼き” であるというのは疑いのない事実だろうと思います。 明石焼きというのはアレですよね。だし汁で溶いた卵の中にタコを入れて窪みのある鉄板で焼いたもので、形状としてはタコ焼きに比べるとやや平坦なものとなっております。で、焼き上がったものにソースや醤油をかけるのではなく、だし汁に浸して食べるというのが大きな特徴なんですが、地元ではタコ焼きではなくて “玉子焼き” と称しているようで、タコにはあまり重点が置かれていない食べ物であるということが分かります。採れ過ぎた タコの処分に困って、半ばヤケクソ気味に、えーい、ぶつ切りにして玉子焼きに入れて食うたれ!…みたいな感覚でタコが投入されたものであるものと思われます。

 で、もう一方のルーツとしては、東京の下町で生まれた “もんじゃ焼き” が考えられます。桑名には “お好み焼き” の店はあっても、もんじゃのほうは1件も無くて、子供時代から謎に満ち溢れた食い物であったわけですが、ま、要するに “固まっていないお好み焼き” だよね。…というのが僕の理解なんですけど。 で、この “もんじゃ焼き” は固まっていないゲロ状の物体であるため、テイクアウト出来ないというのが最大のネックだったんですが、その短所を補うべく、もんじゃ焼きの水分を少なくして持ち帰りを可能とした “どんどん焼き” というのが誕生したんだそうです。これが明治時代の話でありまして、おそらくこの “どんどん焼き” はどんどん売れたのではなかろうかと。少なくともウドに味噌を付けて焼いた “ウドウド焼き” とかよりは売れそうな気がしますもんね。 今で言う “どんどん焼き” というのは割り箸にくるくると巻き付けたお好み焼きのようなものなんだそうで、やはり携帯性に重点が置かれていることは明白なんですが、桑名あたりではまったく目にしたことがありません。そう言えば 「いもや」 に “どんどん焼き”というソース味の揚げあられのような駄菓子が売っていて、 僕の頭の中では “どんど焼き=1月15日に注連飾りや鏡餅を焼く行事” という公式が出来上がっていたので、何でソース味の揚げあられが “どんど焼き” やねん?…というのが不思議でなりませんでした。が、その疑問がたった今、見事に払拭されたわけでありまして、こんな目出度いことはありませんが、大正時代になって関西に進出した “どんどん焼き” は彼の地では “一銭洋食” という名前で呼ばれ、洋食ならやっぱりソース味やろ。…というのでソースを塗って食べられるようになって、更には生地を窪みのある鉄板に流し込んで一口サイズに焼き上げた “ちょぼ焼き” というのが登場して、これで形状的にはかなり現在のタコ焼きに近付いたと言えますが、ただ肝腎かなめのタコはですね、まだこの時点では登場しておりません。

 では当時、 “ちょぼ焼き” の具には何を入れていたのかと言うと、コンニャクとか、ネギとか、すじ肉とか、そんなものだったみたいですけどね。コンニャクの入ったタコ焼き…と言うか、コンニャク焼きにはまったくソソられるものがありませんが、 「コンニャクを今夜食う。」 という地口は好きでも、コンニャクそのものはあまり好きではありませんからね、僕って。 いずれにせよ、コンニャク、ネギ、すじ肉ではちっとも洋食らしくなく、味付けがまた醤油に戻されて、この食べ物には “ラジオ焼き” という意味不明の名前が付けられることになるんですが、これが昭和初期の話であります。 そして昭和10年になって、ついに “ラジオ焼き” がタコと遭遇することになるんですが、そのきっかけはですね、明石から来ていた客が、 「明石ではタコ入れて食べてまんねん。」 という旨を発言をしたことによるものらしいですな。ここに来て遂に、(明石焼き+ラジオ焼き)÷2=タコ焼きという公式が成立することになるんですが、ではいったい、“鯛焼き”のほうはどのような経緯で誕生したのでありましょうか?…という問題に話を進めてみたいと思います。 タコ焼きの場合は鉄板に丸い窪みを付けるだけで大丈夫でしたが、これが鯛焼きとなると話はそう簡単ではありません。鉄板を鯛の形に窪ませなければならないわけなので、これにはかなり高度な金属加工技術が必要となってまいります。こうなるともう明石原人の手には終えなくて、アンドレ・アガシくらいの知能と技能を持っていないと駄目だと思いますが、えーと、鯛焼きはですね、 “今川焼き” と “人形焼き” がルーツではないかと言われているようです。今川焼きというのは江戸時代の末期、神田の今川橋近くの店が売り始めたのでこの名前があるようですが、一方の人形焼きはですね、日本橋の人形町が発祥とされるのでこういう名前が付けられたようです。人形焼きなのに、ちっとも人間の形をしてないじゃないか!…と思ったら、そういうワケだったんですね。で、人形焼きはどういう形をしているのかと言うと、古くは浅草の雷門やら五重の塔、もしくは文楽人形やら七福神…って、ちゃんと人間の形をした人形焼きというのもあるようですが、最近ではハローキティや、とっとこハム太郎みたいなキャラクター系の人形焼きが人気でありますな。先述の通り地名から来ている名前なので、キティちゃんならネコ焼き、ハム太郎ならハム焼きやろ?…というツッコミは正しくないわけですが、 「笑点」 の出演者をモデルにした人形焼きというのもあるんだそうで、山田クンや歌丸師匠を鉄板で焼いてもいいということになれば、鯛など焼かれて当然でありまして、人形焼きから鯛焼きが派生したのは当然の流れと言ってもいいでしょう。

 そして人形焼きは東京から遠く離れた広島の地に於いて、新しい展開を見せることになります。 “もみじ饅頭” というのがソレなんですが、なるほど、 “もみじ焼き” という名前でないので今まで気付きませんでしたが、アレはまさしく人形焼きの紅葉バージョンと言っていい食べ物ですよね。そもそも、どうして広島で紅葉なのかと言うと、明治時代に伊藤博文が宮島を訪れた際、紅葉谷の茶屋でお茶を出した娘の手を見て、 「この可愛い手を焼いて食べたらおいしかろう。」 と言ったのをヒントにして考案された。…というエピソードが流布しているそうですが、この博文クンの発言が “もみじ饅頭” だけでなく、 “根性焼き” のヒントにもなったということなので、さすが初代総理大臣の影響力は大したものでありますなぁ。 とまあそんなことで、僕はアピタで買ったタコ焼きを食べてから “金魚まつり” を見にいったわけでありますが、さすがにタコ焼きやリング焼きの類いにはソソられるものを感じずに、チーズクリーム味の鯛焼きを買って、おうちに帰ったのでありました。

鯛焼き@チーズクリーム味

 ということで、今日はエリック・ドルフィーです。パーカー直系のアルト奏者のうち、マクリーンやソニー・クリスあたりを “鯛焼き(アンコ味)” だとすれば、ドルフィーという人は “鯛焼き(チーズクリーム味)” に相当するわけですが、ま、オーネット・コールマンの “鯛焼き(タコ焼き味)” というところまで無茶はしない人なんですけどね。ちなみに金魚まつりで購入したチーズクリーム味の鯛焼きは、前日に買ったのを冷蔵庫に入れておいて、それをレンジでチンして食べたのが災いして、皮の部分がかなりパサパサになっておりましたが、お味としてはなかなかでありました。甘くなくて、とってもオトナの味だねっ♪…という感じでありましたが、子供の頃は何だかウンコ臭くて好きではなかったチーズも、大人になってすっかり好物になってしまいましたからね。その他、カスタードクリーム味、チョコレート味、キャラメル味なんてのもありましたが、僕はどちらかというと甘いものよりも、うまい棒のほうが好きですからね。チーズ味とか、タコヤキ味とか、テリヤキバーガー味とか、サラミ味とか、うまい棒にあるような味のほうが好きです。うまい棒にはキャラメル味もあるではないか?…とか、そういう細かい話は置いといて、さっそく本題に入りたいと思います。 『アウトワード・バウンド』 というアルバムをですね、今日は紹介したいと思っているんですが、いや僕の場合、ドルフィーはわりとオーソドックスな初期の作品のほうが好きなもんで。世間で “保守的” と称されるだけのことはありますが、このアルバムにはどういうわけだか 『惑星』 という日本語名が付いてたりしますよね。 “Outward Bound” には “外に飛び出す” と言った意味しかないような気がするんですが、ジャケットの印象から、外に飛び出すということは、惑星だよね。…と判断してしまったのでしょうか? かなり飛躍した発想だと思いますが、ま、飛躍した発想というのも、座薬した浣腸よりはマシだと思うんですけどね。せっかく座薬を入れたのに、浣腸をしては台なしのような気がするんですが、そんなことでまあ、では1曲目から聴いてみることにしましょう。

 まず最初は 「G.W.」 という曲ですな。GWと言えば、この原稿がUPされる頃には今年のゴールデン・ウィークも終わっているここと思いますが、みんな、どんな連休を過ごしたかな? 僕はですね、5月3日は桑名の “金魚まつり” 、4日は羽島の “れんげ祭り” に行ったくらいで、二日間、原稿も書かずにダラダラと無為に過ごしておりましたので、これではいかんと気を入れ直し、5日の今日はうちでダラダラしながらこの原稿を書いているわけでありますが、この 「G.W.」 というのはですね、ジェラルド・ウィルソンに捧げられた曲のようでありますな。どうせ捧げるのならこんな曲ではなく、ささげのほうが喜ばれるのではないか?…という気がするんですが、胡麻和えにすると美味しいですからね、ささげ。ささげを醤油で煮たヤツはそれほど好きではないんですが、で、演奏のほうはというと変則的なビ・バップみたいな感じで、なかなか悪くないと思いますね。ちなみに僕はこの曲と 『アウト・ゼア』 のタイトル曲、それに 『ファー・クライ』 のタイトル曲の3つの区別があまりつかなかったりするんですが、いかにもロイ・ヘンらしいタイコのイントロに続いて、トランペットとアルトのユニゾンでテーマが演奏されて、で、ソロ先発はドルフィーでありますか。確かこのアルバムが彼の初リーダー作ではなかったかと思うんですが、既に従来のパーカー・スタイルからアウトワード・バウンドしようとする姿が窺われて、かと言って安易な変態性に走り過ぎることもなく、そのバランス感覚のよさを僕は大いに評価したいと思います。どこに行くのか分からない不安定なフレージングはノルウェーの画家ムンクの作風にも似て、思わず鯨のノルウェー風が食べたくなってしまいます。

 ドルフィーのスタイルがあくまでもコード進行に基づくアドリブの進化系であるのに対し、続くフレディ・ハバードはモード・イディオムを用いているのでありましょうか? 何ともスムーズで垢抜けた雰囲気がドルフィーとは対象的で、思わず明智の大正村に行きたくなってしまいます。犬山の明治村、美濃加茂の昭和村と比べると何ともマイナーな存在なんですが、大正という時代そのものが今ひとつメジャーになりきれないところがありますからね。歴史の勉強をしていても、とにかくまあ、デモクラシーなんだよね。…という印象しか無かったりするんですが、続く変態的なピアノのソロはジャキ・バイアードでありましたか。いや、マル・ウォルドロンにしてはちょっとヘンだよね。…とか思いつつ聴いていたんですよね。バイアードとは 『ファー・クライ』 でも共演しているんですが、ここでの演奏はドルフィーと相性がいいんだか、そうでもないんだか、判断しかねるところがありますな。 で、続いてジョージ・タッカーのベース・ソロがフィーチャーされるんですが、何だか変なメロディを弾いていたりして、正統系ファンキー派のイメージがちょっと変わってしまいました。これもドルフィーイズムのなせる技と言えるかも知れませんが、ドルフィーイズムというのはちょっと言いにくいですよね。略して “ドズム” としたほうがよかったかも知れませんが、それでは略し過ぎて何のことだかよく分からんので、これからは “ドルフィズム” 。この呼び方で行きましょう。 とまあそんなことで、テーマに戻って、1曲目はおしまい。

 続いてはスタンダードの 「グリーン・ドルフィン・ストリート」 でありますか。 “緑イルカ通り” というのがどこにあるのか知りませんが、この軽快にして爽やかな曲調で、ドルフィーは事もあろうにバス・クラリネットなどという陰鬱系の楽器を用いております。イントロ部から繰り返されるバスクラの単一フレーズに乗せて、ハバードがミュートでテーマ・メロディを吹くというテーマ部のアレンジが斬新でありまして、でもって、AA反復形式の2回目の“A”の部分はトランペット無しでバスクラがメロディを吹いて、そのままアドリブ・パートへと突入していきます。しかし何ですな。こうして大々的にバスクラも吹ているアルバムを “アルト編” という括りで取り上げてもいいのか?…と、いつも頭を悩ませることになるんですよね。この人の場合はマルチ・インストゥルメンタル・プレイヤー、略して “マイー” と呼ぶほうが適切な気もするんですが、それでは略し過ぎて何のことだかよく分からんので、これからは英語の頭文字を取って “MIP” 。この呼び方で行きましょう。 で、バスクラという特異な楽器を吹いているので、かなり前衛的な演奏なのではないかと思ってしまうんですが、フレーズを聴いているとむしろアルトよりもオーソドックスだったりして、そのお陰でドルフィーにしてはかなり聴きやすい部類の演奏となっております。続くドルフィーのミュート・ソロもパーフェクトと言ってよい出来でありまして、やはりこの曲はモード奏法と相性がいいんですかね? で、続いてジョージ・タッカーの、1曲目よりは “らしい” 感じのソロがあって、提示部と同じアレンジのテーマの再現があって、最後に2管が絡み合って、バイアードの反復フレーズがあって、おしまい。いや、なかなかいい出来でありました。

 3曲目は 「レス」 というドルフィーのオリジナルなんですが、僕はこの曲と 『ファー・クライ』 に収録されている 「ミス・アン」 との区別があまりつかなかったりします。ライブでは 「ミス・アン」 という名前でまた違った曲が演奏されていたりして、混乱に拍車が掛かってしまうんですが、アップ・テンポの軽快なナンバーとなっております。ドルフィーはアルトを吹いておりまして、2管のユニゾンによるテーマからアルト→トランペット→ピアノとソロが回されて、アルト→トランペット→アルト→トランペットのバースがあって、ドラム・ソロがあって、テーマの再現部があって、エンディング。…という、何ともオーソドックスな構成となっております。構成と言えば小中学生の頃、よく聴いていましたなぁ、 「コーセー歌謡ベストテン」 。何がコーセーなのかと言うと、コーセー化粧品が番組提供しているところがコーセーだったんですが、塩サバ2号は 「ああせえ、こうせえ、コーセー歌謡ベストテン。」 とか何とか、とってもつまらないことを言ってましたけどね。 とまあそんなことで、続いては 「245」 という曲でありますな。ドルフィーのオリジナルのタイトルには言語明瞭にして意味不明のものが少なくないんですが、これは当時、彼が住んでいたブルックリンの住所の番地であるようです。ちなみに僕が住んでいるところの番地は “111” で、何とも分かりやすいんですが、たまに間違えて漢字の “川” の字が書いてある郵便物が届いたりするんですけどね。小学生の頃には “111” の横にわざわざ “スリーワン” という振り仮名を付けて年賀状を送ってくるヤツもいましたが、演奏自体はですね、ミディアム・テンポでグルーヴィな感じに仕上がっております。ブルースであると言っていいと思うんですが、ソロ先発がフレディ・ハバードで、2番手がジャキ・バイアードでありますが。いずれも “ややこってり系” のフレーバーなんですが、続くドルフィーの微妙にアーシーなアルトというのも、この人にしてはちょっと珍しいテイストだと思います。ま、テンポが遅いなりに、いかにもこの人らしい裏返ったようなフレーズも聴かれるんですが、全体的には落ち着いた感じでありますな。ということで、テーマに戻って、おしまい。

 で、続くスタンダードの 「グラッド・トゥ・ビー・アンハッピー」 がですね、これがもう、絶品っ♪…と言った感じでありまして、アルトやバスクラで聴かせる前衛性とは好対照な、フルートによるリリカルな表現はこの人の最大の魅力でありましょう。でまた、この曲はタイトルがいいですよね。 「カタクチイワシでもいいの」 ですか。いや、それはアンハッピーではなくて、アンチョビーですね。 「グラッド・トゥ・ビー・アンハッピー」 は 「不幸でもいいの」 と訳すのが正解かも知れませんが、 “不幸” というのはいいですよね。日本人は “薄幸の美少女” に極めて弱いという特性を持っておりまして、これがもし “薄幸のブサイク” だったりすると、不細工なんだもん。不幸になって当然だよね。…と、わりと冷静に受け止めることが出来るんですけどね。 で、ドルフィーの吹くテーマ・メロディはあまりにも透明過ぎて、強く抱き締めると壊れてしまうような脆さが感じられるんですが、だって “薄幸の美少女” なんだもん。そういう弱々しさが感じられないと駄目ですよね。強く抱き締めると弾き返されそう…というのではイメージ台なしですもんね。 で、しっとりとしたテーマ部に比べ、倍テンポで演奏されるアドリブ・パートは正直、ちょっぴり薄幸ムードが希薄になるんですが、それでも時折ハッとするようなフレーズが聴かれたりして、いや、やっぱりいいですなぁ、ドルフィーのフルート、略して “ドルート” は。 ということでラストです。バスクラとトランペットのユニゾンで演奏される 「ミス・トニー」 は、一転して明るい陽光に包まれたような仕上がりで、どことなく沖縄を空を感じさせる演奏となっております。沖縄の空と言えば、明るい陽光と具志堅用高ですからなぁ。 “薄幸の美少女” に憧れがあるとは言え、やはりギャルというは多少ブサイクでも、健康なのが一番ですからね。今、時代のトレンドは “ちょい悪オヤジ” なんだそうですが、僕の場合はちょっぴり不細工な “ちょいブサぎゃる” というのがけっこう好きで、ミス・トニーというのも恐らく、トニー谷のような明るいキャラのギャルなのでありましょう。…ということを彷彿させる、ドルフィーにしてはやや珍しいタイプの演奏に仕上がっているのでありました。ということで、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 ドルフィーの諸作の中ではもっとも保守的オーソドックスで、聴きやすい1枚なのではなかろうかと。ドルフィー入門にはオススメですな。


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