HORIZONS (PRESTIGE)

CHARLES McPHERSON (1968/8/27)

HORIZONS


【パーソネル】

CHARLES McPHERSON (as) NASIR HAFIZ (vib) PAT MARTINO (g)
CEDAR WALTON (p) WALTER BOOKER (b) BILLY HIGGINS (ds)

【収録曲】

HORIZONS / LUSH LIFE / AIN'T THAT SOMETHIN'
NIGHT EYES / I SHOULD CARE / SHE LOVES ME

【解説】

 しん1ねんせいのみんな、がっこうがはじまって、そろそろ2しゅうかんになるんだけど、あたらしいせいかつには、もうなれたかな? しょうがくせいになって、たのしいことといえば、 「がっこうきゅうしょく」 と 「まいっちんぐまちこせんせいごっこ」 なんだけど、たんにんのせんせいが、まちこせんせいみたいな若いギャルではなくて、おばさんだったり、おっさんだったりすると、 「まいっちんぐマチコ先生ごっこ」 というのはさほど面白くはなくて、むしろ苦痛だったりすることになりますよね。なら、同じクラスの女子児童をターゲットにするという手もあるんですが、生憎と僕はロリ好きではないので、小学1年生にはさほどソソられるものを感じません。スカートをめくるなら、やっぱり小学5年生の女子児童やろ?…と思わずにはいられませんが、となると、学校生活での楽しみといえば学校給食オンリーということになってしまいます。 いや、僕もピカピカの1年生だった頃には “給食” というのにかなり期待を持っていたんですよね。クラスのみんなで同じものを食べるというのは、たとえそのメニューが “釜飯” で無かったとしても、同じ釜の飯を食った!…という意識が芽生えるに違いなく、児童の社会性を育むという点でも非常に意義があることだと思うんですよね。

 が、僕の “給食” に対する憧れは、現実社会の厳しい壁にブチ当たって、無残にも砕け散ることになってしまいました。というのもですね、僕は給食を食べるのが非常に遅かったんですが、オトナになって、ギャルから 「早いのね。」 …と言われて、大いに傷付くことになる僕は、コドモ時代はクラスの女子児童から 「遅いのね。」 …と言われて、大いに落ち込むことになってしまいました。僕はさほど好き嫌いが多いほうではなく、美味しくないものやマズいもの、あるいは、嫌いなものでなければ何でも食べることの出来る模範的な児童だったんですが、好きとか嫌いとかそういった問題ではなくて、ただ純粋に食べるのが遅いコドモだったんだと思います。 で、給食を食べるのが遅いとどうなるのかというと、給食の時間が終わって掃除の時間になって、みんなが机をつったり、ほうきで床を掃いたり、雑巾で水吹きしたり、雑巾で乾拭きしたりしている中で、一人で黙々と給食を食べなければならなくなって、とっても邪魔です。で、こういう邪魔な児童というは必然的に虐められることになるんですが、具体的にどのように虐められるのかというと、給食のおかずの “五目うま煮” のお皿に、チリトリの砂や埃なんかをパラパラとふりかけられることになります。 “五目うま煮” というのは名前のわりに、さほど美味くもねーよな。…といった感じのする食べ物なんですが、チリトリの中身をトッピングされてはたまりません。僕は砂が入って “六目まず煮” になった “元・五目うま煮” を砂を噛む思いで口にして、埃の味に大いに誇りを傷付けられたものでありますが、それでも僕は決して他人を恨むようなことはありませんでした。それもこれもみんな、僕が給食を食べるのが遅いからアカンのや。…と、激しく自分を責め続けたわけでありますが、いや、これは何とかしなければなりませんな。

 なせばなる、なさねばならぬ、何事も。…と、かつてロボコンは言っておりましたが、僕もまったくその通りだと思います。チリトリの屈辱をバネに、僕はついに “給食を早く片付ける方法” を身につけることに成功したんですが、その極意はずばり、 「給食とは、食わぬことと見つけたり。」 …という事なんですけどね。下手に食おうとするから時間が掛かってしまうのであって、食わずに残してしまえば問題はすべて解決するわけです。ただ問題は、給食を残すと担任の先生に叱られることなんですが、子供の頃からとても聡明で賢かった僕は、すぐにその問題の解決策を見出すことに成功しました。給食を残しても先生に叱られないようにするにはどうしたらいいのかというと、先生に見つからないようにこっそりと給食を残せばいいわけで、いや、言われてみれば簡単なことなんですけどね。 で、僕は早速、その作戦を実行することにしたんですが、ちなみに僕は給食の中では “パン” というのがいちばん苦手だったんですよね。 “シシャモのフリッター” が苦手…というのなら、まだ救いはあります。シシャモのフリッターなんてのは1ヶ月の間に2回も出ればいいところなので、献立を見て、その日に合わせて風邪を引いたり下痢になったり、あるいは親や祖父祖母、兄弟姉妹、親族一同を入院させたり、危篤にしたり、 お亡くなりになって頂いたりすれば、それで済む話です。が、パンとなるとそうもいきません。米飯給食というのは僕が高学年になって、ようやく実験的に行なわれるようになったくらいのもので、それまでは月曜日から金曜日まで、毎日毎日がパンばかりでしたからね。給食にパンが出る度にズル休みをしようとすれば、風邪や下痢以外にも胃拡張やら腸カタルやら、ヘルニアやリウマチや痛風、梅毒、淋病、クラミジア…など、あらゆる病気を動員しなければなりません。親族一同にしても、お母さんの妹の姪っ子の友達の主治医…などという、もはや他人よりも血縁関係が薄そうな人物を入院させなければならなくなってきます。ま、水曜日の給食のパンは、 「“医者の不養生”という言葉もありますしねぇ。」 …というので何とか担任の先生を納得させたとしても、じゃ、木曜日の給食に出てくるパンはどうすればいいのでしょうか?

 そこでですね、僕は木曜日の給食のパンを残すことにしました。金曜日の給食のパンも残すことにしました。ちなみに桑名市立日進小学校の給食のパンは “桑名パン” というところで作られていたんですが、このパン屋の前を通るとですね、パンの焼けるもの凄くいい匂いが漂ってくるんですよね。これだけいい匂いがしているのに、どうして給食に出てくるとあんなにマズイのか?…という問題は、うちの学校の児童の間では “桑名パンの謎” と呼ばれて不思議がられていたんですが、その美味しくないパンを僕は担任の先生に見つからないようにこっそりと残すことにしました。パンを食べずに残して、それを机の引き出しやらランドセルの中やらに押し込んで証拠隠滅を図ったわけなんですが、いや、これは我ながらナイスなアイデアでありましたな。パンを食べずに残すことによって僕が給食を片付ける終わる時間は飛躍的に早まって、もはや掃除をしている児童に迷惑を掛けることもなくなりました。おかげで “五目うま煮” に異物を混入されることも無くなったし、砂を噛むような思いも、オトナになって砂肝を食べるようになるまで味わうことはありませんでした。すべてが万々歳なんですが、ただまったく問題が無いというわけでもなくて、それは机の引き出しやランドセルの中に押し込んで、今では相当な数になってしまったパンの残骸を、どう処分すればいいか?…ということなんですけどね。

 いくら僕が子供の頃からとても聡明で賢かったとはいえ、さすがにこの問題はなかなか解決の糸口を見出すことが出来ず、ただ徒 (いたずら) に時間だけが流れて放置パンの数だけが増えていきました。 どうしよう?どうしよう? おー、ぱっけまらーど、ぱっけまらーど、ぱおぱおぱっぱっぱっ♪…と、僕はかなり深刻に苦悩して、懊悩して、悩殺ポーズに胸を時めかしたりもしたんですが、この事件の結末はですね、意外とあっけないものでありました。机の引き出しやランドセルに詰め込んでおいたパンの数々は、やがて担任の先生やお母さんに発見されて、ひどく叱られる破目になったんですが、古くなったカピカピのパンは先生やお母さんが適切に処分してくれました。いやあ、さっぱりしましたなぁ。 かくして僕は、給食のパンを残す→溜め込む→カピカピにする→叱られる…というライフサイクルを繰り返す “カピカピの1年生” として学校生活を始めることになるんですが、やがては給食のパンをまったく残さずに済むようになるまでまで、立派に成長を遂げることになるんですけどね。どうして給食のパンを残さないで済むようになったのかと言うと、中学生になって給食そのものが無くなったからなんですが、こうしてみんなオトナになっていくんですなぁ。

 とまあそんなことで、僕の “給食の思い出” は以上なんですが、桑名パンの名誉のために言っておくとですね、普通のコッペパンは美味しくもなんともなかったんですが、メニューに “ホイップクリーム” が出る時は別でした。ホイップクリームというのはアレです。土人 (←差別用語?) のマークの付いた透明の小さな袋に入った白いホイップしたクリーム状のものなんですが、こいつをパンに付けて食べると、あのマズい桑名パンが見違えるように美味しくなるという、まさに魔法のクリームなのでありました。もっとも、パンを美味しくしているのはあくまでもホイップクリームを作ったメーカーのほうであって、桑名パンはまったく何の貢献もしてないんですけどね。 駄目ぢゃん、桑名パン!…と思う人がいるといけないので、桑名パンの名誉のためにもうひとつ付け加えておきますが、 “揚げパン” というのは美味しかったですなぁ。これは紛れもなく桑名パンが自分の力で美味しいパンを作ってくれたのだと思いますが、もし桑名パンが給食のパンを月曜日から金曜日まで毎日きちっと揚げてくれさえすれば、僕は決してパンを残すことはなかったと思います。そしてもし、同じクラスのちょっとトロいタカシ君あたりが揚げパンを残して机の引き出しに詰め込んだりしてたら、夜中にこっそり教室に忍び込んで、その揚げパンを強奪していたと思います。今から思えば、僕の小学生時代で楽しかった事と言えば、給食で “揚げパン” が出る日だけだったなぁ。…という気がするんですが、ある日、桑名市の教育委員会がとんでもない暴挙を企ててくれたんですよね。今まで、給食の “揚げパン” の日にはきっちり1個分の揚げパンが出ていたんですが、ある日突然、揚げパンの大きさが半分になっちゃったんですよね。何の前触れもなく、いきなりハーフサイズの揚げパンと、ハーフサイズの普通のコッペパン…という組み合わせになってしまったんですが、このことによって “揚げパンの日” の魅力が半減したのは言うまでもありません。揚げパンが半分になったことによりグレた児童が僕の知っているだけでも3人はいるんですが、アレは桑名市の給食史上に残る最大の汚点だったと思います。日進小学校の給食でタルタルソースが原因とされる集団食中毒が起こったことより、社会に与える影響は深刻だったと思います。今からでも遅くはありません。僕の青春の “揚げパン” の半分、返せ〜!

 さてここに “思い出に残る給食の献立ランキング” というのがあります。今日はこれをネタにしようと思って、余計なことを書き過ぎて、もはやほとんどスペースが残っておりませんが、君はどんな給食の献立が思い出に残っているかな?…ということで、では30位から順に見てみることにしましょう。えーと、30位 “赤飯” 。んなもん、僕の子供時代には給食に出た覚えがありません。次、29位。 “スコッチエッグ” 。何ぢゃそりゃ?…という感じですな。どういうものかまったく見当が付かないので、コメントのしようがありません。以下、さんまの蒲焼牛乳かん筑前煮チキンピラフひし餅ゼリーグリーンピースご飯ひじきと大豆の煮物冷凍パイン春雨サラダ豚汁ヨーグルトあえアーモンド小魚…と、まったく僕の心に響くメニューが出てこないんですが、 “アーモンド小魚” なんて本当に給食に出るんですかね? 僕は “おつまみミックス” の中に入っている小魚ほど余計なモノはないと思っているので、もし 給食にそんなものが出されたらアーモンドだけ食べて、小魚は机の引き出しやランドセルの中に詰め込むことになると思います。ま、小魚は小さいし、元々がカピカピな状態なので、叱られる度合いはさほどでもないと思うんですけどね。 で、16位が “脱脂粉乳” って、いや、これは時代を感じさせますな。で、続いて15位が “はちみつ&マーガリン” って、んなもん、メニューと言えるのか?…という気がしないでもないんですが、ま、僕の心のランキングでは “ホイップクリーム” が3位に入っているので、あまり他人 (ひと) のことは言えないんですけどね。

 14位、 “わかめご飯” 、13位 “プロセスチーズ” 。 特にコメントはありませんが、チーズはやはり雪印の “6Pチーズ” がいいと思います。 12位 “大学いも” 。 あ、これはいいですな。大学いもは美味しいです。ただ、学校の給食に出てくる大学いもというのはいつも量が少なくて、大学生になったら腹いっぱい大学いもを食ってやるぅ!…というのが僕の長年の夢だったんですが、ま、結局のところ一浪してもどこの大学にも入れずに、この夢は未だに叶ってないんですけどね。で、11位には “クリームシチュー” が選ばれているんですが、特にコメントすることもなく、そしていよいよ、 “思い出に残る給食の献立ランキング・ベスト10の発表!” …ということになるんですが、1回で片付けてしまうのは何となく勿体ないので、この続きはまた次回。

 ということで、今日はチャールス・マクファーソンなんですが、僕はマクファーソンがけっこう好きだったりします。少なくとも、マクワウリよりはいいよね?…という気がするんですが、何だか名前からして、あまり美味しそうな気がしませんもんね、マクワウリ。ま、実際に食べたことはないので、マズいと断言することは出来ないんですが、一方、マクファーソンと言えば、遅れてきたバッパーとして知られております。ちなみに “遅れてきたバッパー” でググってみると2件ほどヒットするんですが、いずれもウチのサイトだったりするので、そう呼んでいるのは僕だけなのかも知れませんけど。 で、遅れて来ようが、早くからいようが、バッパーであるからにはバップを演奏することになるんですが、今回紹介する 『ホライズンズ』 というアルバムはちょっと毛色が変わっております。どのように毛色が変わっているのかというと、ヴァイブとギターが入っているんですよね。ヴァイブの “NASIR HAFIZ” という人に関してはよく知らないし、名前を何と読んでいいのかすら分からないのでとりあえず置いといて、ギターがパット・マルティーノというのはいいですよね。ギターを弾かせれば、キダ・タローの次くらいに上手いと言われるほどのテクニシャンでありまして、彼の変態的なスタイルがマクファーソンの正統派アルトにどのような影響を与えるのか非常に興味深いところであります。で、ピアノはシダー・ウォルトンでありますか。シダーと言えばハービー・ハンコックを地味にして、そこから大日如来を差し引いたようなプレイをする人だよね。…といったイメージがあるんですが、このメンバーからすると、かなり新主流派寄りの演奏が繰り広げられているのかも知れないね。…という気がしないでもありません。とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 まず最初はアルバム・タイトル曲の 「ホライズンズ」 です。 “ホライズン” というのは水平とか、水平線とか、カモメの水兵さんといった意味だと思うんですが、ホライズンから派生した言葉に “ホリゾンタル” というのがありますよね。オカマを掘ってみたんだけど、あまりよくなかった。…という場合、 「とんだ、掘り損たるアルね。」 と、中国人のゲイが使ったりするんですが、一般的には “水平的” といった意味になるのではなかろうかと。 ジャズの世界では一般的に、コード進行に基いたアドリブはヴァーティカル (垂直的) に、モード奏法によるソロは掘り損たる…いや、ホリゾンタルになると言われておりますが、つまりアレですな。この 「ホライズンズ」 という曲は、ビ・バップを出発点としたマクファーソンがモード・ジャズという新しい境地に果敢にチャレンジした、エポック・メイキングな作品と言えるのではないでしょうか。

 …と思っていたんですが、いや、聴いてみたらそうでもなかったですな。アルトとギターのユニゾンにヴァイブが絡むテーマ部は、響きとしてはやや斬新なんですが、演っている曲自体は垂直的ヴァーティカルな、バチカン市国的バップ曲のような気がしないでもありません。いや、いいんですけどね、バチカン市国。 僕のコドモの頃の夢は、バチカン中学3年B組の担任を金八先生にお願いして、バチカンで武田鉄矢に 「バカチン!」 …という決め台詞を言って貰うことだったんですが、この夢も大学いも同様、大人になった今でも実現しておりません。子供の頃の夢と言うのは、なかなか実現しないものなんですなぁ。 というか、子供の頃の夢というのはあまりにもアホらしくて、大人になるとどうでもよくなってしまうものですなぁ。…と思わずにはいられませんが、テーマに続くソロ1番手はマクファーソンのでありますな。ここでの彼の吹きっぷりは実に正統的なものでありまして、パーカー直系のバップ奏法と言ってもいいのではなかろうかと。あまりに普通過ぎて、特に書くことがないくらいなんですが、続いてはナシャ・ハーフィズ (?) のヴァイブでありますな。こちらのほうは何とも硬質なトーンが印象的なんですが、何だか硬い鉄のかたまりをマレットで叩いているような音がしております。ま、ヴァイブラフォンというのはそういう楽器なので当然なのかも知れませんが、この楽器でもっと柔らかい音を出す人もいますからね。ただ、音は硬くでもフレーズ的には特に書くこともないくらいオーソドックスであるように思われ、で、続いてはパット・マルティーノのギター・ソロでありますか。僕はジャケットがとっても仏像だった 『イースト!』 というアルバムを聴いて、いっぺんにマルティーノ好きになってしまったんですが、マルチーズというのはあまり好きではないんですけどね。元来、どんな種類であろうとも犬は苦手なクチなんですが、もっと変態的な演奏が期待されたマルティーノのプレイは、意外と淡泊であっさりしたものとなっておりました。サイドマンという立場だから遠慮したのかも知れませんが、その意味では続くシダー・ウォルトンのソロのほうが、この人にしてはかなり冒険しているほうで、もう、栂池の “鐘の鳴る丘ゲレンデ” をボーゲンで滑るくらいの冒険心が感じられます。…って、それはぜんぜん大したことではないんですが、とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。全体的には雑然としていて、やや印象に残りにくい1曲目ではありますな。

 で、2曲目はビリー・ストレイホーンの名曲 「ラッシュ・ライフ」 でありますか。この曲は世間では名曲とされているようですが、個人的にはあまり好きではなくて、何だかこう、説教くさい感じがするところがよくないと思うんですよね。僕はやや肥満気味で極度の汗かきなので、暑い時期は電車の通勤ラッシュというのが辛くてならないんですが、通学ラッシュというのはぜんぜん苦にならないんですけどね。女子高生がたくさん乗っている車輛であれば朝から夕方まで、ずーっと乗っていてもいいな。…という気がするくらいなんですが、ま、朝と夕方以外の昼の時間帯はあまり女子高生の姿を見かけないので、朝から夕方までずーっと乗っていてもあまり意味は無いような気もするんですけど。それに僕はここ15年ほどずーっと自動車通勤で、電車にはほとんど乗る機会がないんですが、クルマはクルマで、ちゃりんこ通学の女子高生の姿を眺めるという楽しみがあるんですけどね。ただ残念なのは春になって、スカートの下にジャージを穿いている女子生徒が絶滅してしまったことなんですが、最近はパンツが見えそうになっている状態よりも、あのガードの堅い貞淑な姿によりソソられるものを感じるようになっていたんですよね。齢を重ねるごとに次第にマニアになっていく、そんな自分がちょっぴり可愛いと思います。 で、演奏のほうはというと、この今ひとつソソられるものがない説教くさい曲をですね、マクファーソン君はギターとのデュオで料理しておりまして、その試みは完全に失敗に終わっていると言ってもいいでしょう。どうしてかというと、僕が無伴奏ソロとか、デュオといった演奏スタイルがあまり好きではないからなんですが、ま、 “蓼食う虫も好き好き好き好き好き好き” という諺もありますからね。あ、 “好き” の数がちょっと多過ぎましたか。途中から 「一休さんの歌」 になってしまいましたが、マクファーソンとマルティーノがたった2人きりで繰り広げる究極のバラード・パフォーマンスに、思わず涙がほろりと零れてしまうのであった。…という感想を持つ人がいるとしても別に不思議ではないんですけどね。個人的には涙がほろり…より、 “ぽろり” のほうが断然好きなんですが、アレはいいですよね。僕は “じゃじゃまる” よりも “ぽろり” のほうが好きです。でも “ぴっころ” のほうがもっと好きです。

 ということで、3曲目です。 「エイント・ザット・サムシン」 という曲ですね。このアルバムの収録曲は特に示されない限りチャールス・マクファーソンが書いたということになっているんですが、この曲はですね、変です。基本的には反復横跳び的リフ・ブルースのようなものだと思うんですが、マルティーノがギターで変なフレーズをしつこくリピートしておりまして、そのおかげで何だか全体的に変なムードが漂っております。ま、アドリブ・パートに入るとその変さ加減も幾分は改善されるので多少のことは大目に見ておきたいと思いますが、ソロ先発のマクファーソンの吹きっぷりは悪くないですからね。そこはかとないグルーヴを感じさせるフレーズと、時おり細かい譜割で感情の高ぶりを表現したりするところがパーカー直系だねぇ。…という気がしないでもなくて、で、続くシダーのソロも概ね良好だと思います。そことなくファンキーで、どことなくヤンキーで、限りなく “びっくりドンキー” だったりするんですが、ま、シダー君も真面目そうには見えますが、見所詮はアメリカ人ですからね。ヤンキーなのは仕方のないところだし、アメリカ人がハンバーグ好きなのもよくある話だと思いますね。 で、続いてはナシャ・ハーフィズ (?) のヴァイブでありますか。この人が登場するのも3回目くらいなんだから、そろそろ名前の正しい読み方が分かってもいいんじゃないか?…と思われる人がいるかも知れませんが、分からんものは何回出てきたところで分からんのでありまして。結局は最後まで (?) 付きで呼ばれることになると思いますが、この人のヴァイブはですね、相変わらず音が硬いです。が、1曲目よりは幾分態度も軟化したかな?…という気がしないでもなくて、なかなか伸びやかな演奏を繰り広げているように思えなくもありません。 ということで、相変わらず変なテーマに戻って、でも何度も繰り返し聴いているうちに、サビのフレーズは結構いいよな?…という気もしてきたんですが、とか言ってるうちにフェード・アウトして、この曲はおしまい。

 で、続く4曲目の 「ナイト・アイズ」 はですね、かなりイケていると思います。歌物を除けばここまで、今ひとつメロディアスな感じの曲がなかったんですが、これはかなり健闘しているのではないかと思います。少なくとも高知の闘犬よりは健闘していると思うんですが、さほど面白くはなかったですからな、闘犬というのは。それに比べてこの 「夜目」 は特にサビの部分の畳み掛けるようなフレーズが秀逸でありまして、テーマ部がアルトとヴァイブのユニゾンになっていて、わけの分からんパット・マルティーノのギターが入っていないところも演奏の雰囲気を爽やかにしていると思います。マクファーソンも気持ちよくアドリブに入っていけるというものですが、ここでのソロは実に伸び伸びとしていて、聴いているほうとしても気持ちがいい限りです。で、続くシダーも存分に持ち味を発揮しておりまして、やはり “餅は餅屋” と言いますからなぁ。いや、ぜんぜん関係ないんですけど。 で、ナシャ・ハーフィズ (?)のソロが出てこないままテーマに戻るんですが、そういうシンプルな構成も実にあっさりとしていて、いいと思います。 で、ここで1曲、歌物を挟んで 「アイ・シュッド・ケア」 が演奏されることになるんですが、バラードか?…と思ったらそうではなくて、ミディアム・テンポで料理されておりました。 が、これがなかなか悪くないんですよね。ピアノのイントロに続いて、マクファーソンがワン・ホーンでテーマを吹くという何ともオーソドックスなアレンジが施されているんですが、さすがに5曲目までくるとプロデューサーのドン・シュリテンとしても、少なくともギターを入れたのは、ちょっぴり失敗だったかな?…という事に薄々と気付き始めたものと思われます。もしかしたらヴァイブも余計だったような気がしないでもなくて、この曲では結局、最後までカルテットで演奏されることになるんですが、その “けれん味” のなさが何とも清々しいばかりでありますなー。

 が、プロデューサーのドン・シュリテンはここでもう一度思い直して、ラストの 「シー・ラブズ・ミー」 は再びフル・メンバーによる演奏となっております。 「彼女は僕を愛している」 という、中学1年生でも正確に和訳出来そうな分かりやすい英語のタイトルを持ったこの曲は、ファンキーでいて、ちょっぴりモーダルなムードもあるという、なかなかの佳曲となっておりまして、いや、後半に入ってかなり盛り返して来ましたな、このアルバムも。 イントロはピアノとベースの呼び掛け&応答、で、テーマ部はアルトとヴァイヴ+ギターの呼び掛け&応答…と、変則的な楽器編成がうまく活かされたアレンジが施されておりまして、ソロの1番手にシダーのピアノを持って来たというのも大正解だと思います。おかげで演奏全体に新主流派的な空気がピンと張り詰めることになるんですが、こういう流れだとソロ2番手のマルティーノのギターもすっと空気に溶け込むことが出来ますよね。で、そのクールな雰囲気を、結局は最後まで正しい名前の読み方が分からなかったナシャ・ハーフィズ (?)は引き継いで、で、最後にマクファーソンのソロを持って来ましたか。全体の流れを受けてこの人のソロもちょっぴりモードっぽくなっているところがお慰みなんですが、ということで、テーマに戻って、おしまい。 ということで、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 終わりよければすべてよし。伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ。あとはえーと…、尾張名古屋の 「千なり (せんなり) 」 は両口屋是清♪…と、 “おわり” の付く格言を知っているだけ並べてみましたが、いや、名古屋にそういう名前の和菓子があるんですけどね。ご当地では高級品として手土産の定番になっているんですが、東京に持っていくとただのドラ焼きとしか思って貰えません。ま、確かにただのドラ焼きみたいなお菓子なんですけどね。 で、 アルバムのほうはというと、レコードでいうA面の印象はあまりよくなかったんですが、次第にパット・マルティーノが冷遇されるようになって来る後半になって、かなり持ち直しました。わざわざギターとヴァイブを加えた効果があまり活かされていないような気もするんですが、ま、何とか最後で盛り返しましたしね。とりあえずマクファーソンの吹きっぷりはいつもながらヌケがよく、ま、いいのではないでしょうか。


INDEX
BACK NEXT