ART PEPPER+ELEVEN (CONTEMPORARY)

ART PEPPER (1959/3/14,3/28,5/12)

ART PEPPER+ELEVEN


【パーソネル】

ART PEPPER (as,ts,cl) MARTY PAICH (arr,cond) PETE CANDORI (tp)
JACK SHELDON (tp) DICK NASH (tb) BOB ENEVOLSEN (ts,v-tb)
VINCE DE ROSA (frh) HERB GELLER (as) BILL PERKINS (ts)
ME FLORY (bs) RUSS FREEMAN (p) JOE MONDRAGON (b) MEL LEWIS (ds) etc…

【収録曲】

MOVE / GROOVIN' HIGH / OPUS E FUNK / 'ROUND MIDNIGHT
FOUR BROTHERS / SHAWNUFF / BERNIE'S TUNE / WALKIN' SHOES
ANTHROPOLOGY / AIREGIN / WALKIN' / DONNA LEE

【解説】

 赤とんぼ、赤とんぼの羽根を取ったら、アブラムシ アブラムシ、アブラムシの足を取ったら、柿の種♪…というのは、ナガ○ワ所長代理の愛唱歌でありますが、うちの会社の宴会のカラオケは、これが出ないと始まらないと言われております。いや、他の人はともかく、僕は心の底からそのように思っているんですが、というのも僕は好きなものは最後まで取っておくタイプですからね。言い換えれば、嫌いなものは真っ先に片付けちゃうタイプなんですが、例えば幕の内弁当だと、椎茸の煮物なんてのは真っ先に食べてしまいます。宴会のカラオケにおけるナ○ナワ所長代理の 「赤とんぼの唄」 というのは、僕にとっては椎茸のようなものでありまして、出来ることなら真っ先に片付けておきたいところなんですよね。 ま、世の中にはいろいろな考え方の人がいるので、 “赤とんぼ” は最後まで取っておきたいという意見を否定するものではありません。あんなもん、とても素面 (しらふ) では聞けねーって。飲まずにやってられるか!…という気持ちはよく分かります。が、素面の状態でアレに耐えてこそ、人間として大きくなれるわけでありまして、人格形成の上では時として “精神的苦痛” というのも大切だったりするんですよね。

 ということで今日のテーマなんですが、赤とんぼでもアブラムシでもなくて、そこから足を取っ払った “柿の種” について考えてみたいと思います。 “柿の種” というのはアレです。お米で出来ていて、小さくて、赤っぽい色をしていて、口に含むとピリっと辛い、あのビールのおつまみに最適な “柿の種” のことなんですが、あのお菓子のことをどうして “柿の種” と呼ぶんでしょうね?…と、僕はずーっと子供の頃から不思議に思っていたんですよね。んなもの簡単じゃん。形が “柿の種” に似ているからじゃん。…と、世の中を物すごく簡単に考えて生きている人は思うかも知れませんが、世の中というのはその人達が思っているほど、単純なものではありません。果物の柿を食べたことがある人ならすぐに分かることですが、果物の柿の種というのはちっとも “柿の種” みたいな形をしておりません。どちらかというとアブラムシのような形をしてますよね。アブラムシには、アブラ葉によく付く小さなサイズのアブラムシと、ゴキブリの別名としての大きなサイズのアブラムシとがあるんですが、果物の柿の種はですね、大きなサイズのほうのアブラムシの小さな奴によく似ていますよね。ゴキブリは大きくなると体が細長くなるんですが、子供のうちは丸っこい形状をしていて、ちょうどその子供ゴキブリのような形だと思っておけばいいでしょう。一方、おつまみのほうの “柿の種” は三日月が丸みを帯びたような形状をしておりまして、この2つがよく似ているとは、僕にはとても思えないのでありまして。

 そもそも、おつまみのほうの “柿の種” はいつ誕生したのかと言うと、1923年なんだそうですね。ということは、今年 (2006年) で丁度 83歳ということになります。いや、丁度と呼ぶにはあまりにも半端な年齢でありますが、いつポックリ逝っても不思議ではない、そういうお年頃だったんですな。 で、彼がどこで生まれたのかと言うと、新潟県は長岡市、浪花屋製菓というところが生家なんだそうです。新潟のお店なら越後屋やろ?…という気がするんですが、何故だか浪花屋。ナニワと言えばソフト昆布飴やろ?…という気がするんですが、何故だか柿の種。 浪花屋製菓の創業者、今井與三郎によって、偶然うっかり踏み潰してしまったせんべいの金型を、元に直せずそのまま使用したところ、歪んだ小判型のあられになってしまったことが始まりとされている。…というのがその起源とされておりますが、この話はどうも何だか眉唾物ですな。金型なんてのは、ちょっと踏んだくらいでそう簡単に変形するとは思えないし、仮にちょっと踏んだくらいで簡単に変形するような金型なら、すぐ元に直せるような気がするんですよね。 一方、亀田製菓のHPには、ある時、棒状にした丸い餅の生地を踏んづけてしまい、これを輪切りにして焼いたところ、果物の柿の種に似た形のあられが出来たため “柿の種” と命名されたといわれております。…という説も紹介されておりまして、こちらのほうが可能性としては高いような気がします。いや、踏んづけた生地をそのまま輪切りにして焼いたというのは、衛生的に見てどうか?…という気がしないでもないんですが、とにかくまあ、何かを踏んづけた結果、歪んだ形の食い物が出来てしまったという事のようですね。…と思ったら、そうではなく、小判型のあられを作ろうとして、間違って生地を切り刻んでしまったのが起源という話もあって、もう何が何だかよく分かりません。とにかく今井與三郎というのは、何かを踏んづけたり、生地を切り刻んだりするようなとても粗忽な人だったんだな。…という事だけは確かなんですが、その失敗を逆手に取って新商品を開発するところなど、なかなかの商才の持ち主であるとは言えますけどね。僕もけっこう粗忽なほうなんですが、せいぜい机の角で恥骨を強打して苦しむくらいで、まったく生産的でありませんからね。

 とにかくまあ、踏むなり刻むなりして偶然に生まれた米菓を見て、取引先の主人が 「柿の種の形に似ている。」 …と言ったのがそのまま商品名になったそうですが、いや、諸悪の根源はこの取引先の主人でありましたか。このジジィが 「柿の種の形に似ている。」 と言い出した時、今井與三郎クンとしては 「ぜんぜん似てねーじゃん!」 と諌めてやるべきでしたが、相手が取引先だけにあまり強い態度を取れなかったのかも知れません。泣く子とジジィには勝てないや。…と、諦めモードだったに違いなく、いや、商売人というのもなかなかツライものでありますなぁ。 …と、與三郎クンの心中を察しつつ話を先に進めたいと思いますが、 “柿の種” の最良のパートナーと言えばこれはもう、 “ピーナッツ” をおいて他ありません。柿の種とピーナッツの組み合わせは “柿ピー” と呼ばれ、ついつい食べ過ぎて下痢ピーになっちゃうほど絶妙のハーモニーを醸し出しております。柿の種とアーモンドで “柿アー” 、柿の種とマカダミアナッツで “柿マカ” 、柿の種とカシューナッツで “柿カシュ” 、柿の種とピスタチオで “柿ピス” 、柿の種とジャイアントコーンで “柿ジャイ” 、柿の種と天津甘栗で “柿天” 、柿の種とフライビーンズで “柿フライ” …って、どれもこれもまったくピンと来ないほど、柿の種に合うものと言えばピーナッツ以外には考えられません。ちなみに、柿の種がピーナッツと出合ったのはいつのことなのかと言うと、1955年なんだそうですね。柿の種 32歳。 酸いも甘いも噛み分けた…と言いたいところなんですが、その頃の僕はただ醤油辛いだけぢゃった。…と、柿の種は当時を振り返ってそのように述懐しております。そんな、酸っぱくもなければ甘くもなかった柿の種は、ピーナッツと出会って人生が変わったんだそうです。どのように変わったのかというと、ただ醤油辛いだけだったのが、プラスしてトウガラシ辛いキャラになったんだそうで。 「運命の出会いぢゃった。」 …と 51年前の出来事を語る彼の目は青年のように輝いているのでありました。

 が、実の話、ピーナッツの側からすると、柿の種への接近は打算に満ちたものであったと言われております。 「これ、カッキーにはナイショなんだけど。」…と、ピーナッツのナツ子は前置きをして僕に打ち明けてくれたんですが、どうやら柿の種は家では “カッキー” と呼ばれているらしいんですよね。そのトシでその呼び方は、恥ずかしいやろ?…と思わずにはいられませんが、ま、本人達の問題ですからね。他人がとやかく言う筋合いはありません。 で、ナツ子の話を要約するとですね、彼女がカッキーに接近した当時、ピーナッツの需要が伸び悩んでいたという背景があり、売り上げの好調だった柿の種に混ぜてみたところ、成功したというわけである。…ということらしいんですが、ちなみに2人が始めて出会ったのは帝国ホテルのバーだったそうです。 以来、スイートな味わいを持つピーナッツとの相性がよくなるように、柿の種は自身の体にトウガラシの粉をまぶすという努力までしたわけですが、そこまでして入れあげたピーナッツが、実は単なる売り上げ増加の目的で自分で近付いたということを知れば、カッキーはショック死してしまうかも知れません。

 が、結局のところ、この話は柿の種にバレてしまいました。どうしてバレたのかと言うと、僕がこうしてホームページに書いたからなんですが、いや、まさか柿の種が 『塩サバ通信』 を読んでいるとは思いもよりませんでした。同じ酒のつまみ系として 「塩サバ」 でサイト検索して、ウチに辿り着いたらしいんですが、いやあ、めったな事は書けませんなぁ。 で、柿の種はその事実を知ってすっかり落ち込んでいるのかと思ったら、さにあらず。何と、若いギャルに手を出してその憂さを晴らしていたというのだから、いやはや何と言ったらいいのか。その相手というのは “チョ子” という名前なんだそうですが、僕は妙高高原にある土産物屋で、すっかりチョコレートにくるまれて “柿チョコ” になってしまった柿の種の姿を目撃したことがあります。まさかあの素朴な柿の種がそんな姿になっているとは思いもよらず、僕は強い衝撃を受けてしまいましたが、試しに買って食べてみたところ、思ったほどマズくはなかったんですけどね。柿の種とチョコとが、どう考えてもマッチしているとは思えないんですが、にも関わらず、どういうわけだかついつい手が伸びてしまうという不思議な食べ物でありました。 これに味をしめた柿の種は、今度はチョ子の妹の “ホワイトチョ子” にも手を出しているんですが、こちらのほうは “ホワイト柿チョコ” という名前で売りに出されております。白と黒、両方のチョコに手を出した理由を問われ、彼は 「一度、 “白黒ショー” というのを体験してみたかった。」 …と、今ひとつ的の外れた事を言っておりましたが、年寄りが若いオンナに入れ揚げると、大抵、ロクな事にはなりません。やはり体力的に無理が生じてしまうんでしょう。僕はやがて、すっかり身を持ち崩してしまった柿の種の姿を目にすることになります。これ(↓)です。

「柿の種クランチ」外箱♪ 「柿の種クランチ」個別包装&中身♪

  “柿の種クランチ” って、いや、とうとうこんな姿になってしまいましたか。 “柿チョコ” の頃はまだ柿の種としての原型を留めていたんですが、もはやここには彼の元の姿はありません。すっかり身を持ち崩してクランチになって、チョコの中身に埋没しております。僕はこれを妙高高原の土産物屋で発見して、「けっこうイケるかも?」…と思って買って食べてみたんですが、いや、これは駄目でした。 “柿チョコ” 以上に柿の種とチョコとがマッチしていなくて、やはりこの2人の間のジェネレーション・ギャップは、いかんともしがたい。…ということが露呈してしまった格好であります。血迷って35個入りの大箱を買ってしまった僕は、その処分に大いに困ってしまったんですが、ここはひとつ、柿の種に昔の自分を取り戻して貰うと同時に、本妻のピーナッツも呼び寄せて、愛人のチョコとの間でしっかりと話し合いをさせるべきだと思うんですよね。そして柿の種とピーナッツとチョコの3人で、何とか解決の糸口を見つけて欲しいと思うわけでありますが、そんなことでまあ、会社の帰りに近くのスーパーによって、 “柿ピー” のパックを購入して来ました。そしてその “柿ピー” を “柿の種クランチ” と一緒に食べてみたんですが、いや、これはなかなかでしたね。 “柿の種クランチ” は柿の種がクランチになってしまっている事で、その辛さや歯応えといった存在感がかなり希薄になっていたんですが、そこに “柿ピー” の中の柿の種が加わったことにより、かつての自分を取り戻しておりました。柿の種の辛さとチョコの甘さ、そこにピーナッツの香ばしさが加わることにより、3者が絶妙のハーモニーを醸し出している…ような気がしないでもありません。当の “柿の種” 本人も、「若い頃は“柿ピー”専門ぢゃったが、このトシになって “3P” というのを体験出来た。」 …と、至極ご満悦だったということを報告しておいて、今日のお話はおしまい。

 ということで今日は アート・ペッパー なんですが、いやあ、春ですなぁ。春という字は三人の日と書きます〜、あなたと私と、そして誰の日♪…と、かつて石野真子 は “3P推進の歌” を歌っておりましたが、今回はですね、 『アート・ペッパー・プラス・イレブン』 というアルバムを紹介したいと思います。いやあ、アート・ペッパーに足すことの11人でありますか。石野真子の4倍に相当する “12P” の状態でありますが、雪印の6Pチーズと比べても2倍ですからね。大したものだと思います。ただ、ジャズの演奏というのは人数が多ければエエちゅうもんでは無い。…というのも確かでありまして、大編成のビッグコンボというのは、単なるアレンジャーの自己満足ということにもなりかねません。ちなみにこの作品ではマーティ・ペイチが指揮と編曲を担当しているんですが、僕はどちらかというとペイチよりも鈴木大地のほうが好きですからね。西海岸ジャズ好きの人ならともかく、バサロキック好きの人にはどうか?…という気がしないでもないんですが、選曲的にはなかなか興味深いものがあるんですけどね。実はこれ、 『アート・ペッパー・プラス・イレブン』 ではなく、 『モダン・ジャズ・クラシックス』 というのが正式名称だったりするんですが、その名のとおり、ディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーなどの “古典的” なジャズ・オリジナルばかりが取り上げられておりまして、それらの名曲がいったいどんなアレンジで演奏されているのか、それなりに興味をソソられる1枚であるという事は言えるのではなかろうかと。 とまあそんなことで、では1曲目から聞いてみることに致しましょう。

 まず1曲目はデンジル・ベストの 「ムーヴ」 でありますか。僕はどちらかというとデンジルよりも豚汁のほうが好きで、トンカツ屋でトンカツ定食を注文する場合は必ず、100円の追加料金を払って普通のみそ汁を豚汁に変えて貰うんですが、それだけですっかりセレブの気分が味わえますからね。 とまあ、そんな僕ではありますが、この 「ムーヴ」 という曲は大好きでありまして、デンジル・ベストのオリジナル曲の中ではベストの出来ではないかと思います。ちなみにこのデンジル君というのはバップ期に活躍したドラマーなんだそうですが、いかにもバップらしい調子のいいテーマを持った曲ですよね。僕の中ではルー・ドナルドソンが 『ブルース・ウォーク』 で吹いていたヴァージョンの印象が強く、アルトとの相性もいいような気がするんですが、軽自動車の世界ではダイハツのムーヴはスズキのアルトのライバルなんですけどね。いや、どちらかと言えばワゴンRのほうがコンセプトが近いのかも知れませんが、この軽快なナンバーをペイチ君は何とも重厚な作品に仕立て上げておりますな。さすがにペッパー足すことの11人ともなると、アンサンブルも懲りに凝っているんですが、個人的には11人のうち、6人くらいはいないほうがよかったのではないか?…という気がしないでもないんですけどね。 その分、くどいテーマ部の演奏が終わって、ペッパーのソロへと転じる部分が豚汁的に味わい深かったりするんですが、あ、ここでの豚汁は “ぶた汁” ではなくて、 “とん汁” と発音してくださいね。そのほうが語呂がよくて脚韻が活きてくるんですが、アルト・ソロの途中に被さってくる管楽器のハモりはやや耳障りなので、無くてもよかったような気がします。続いてトランペットのソロになるんですが、これは2人いるトランペット奏者のうち、ピート・カンドリのほうではないかと思われます。僕はけっこう好きだったりするんですよね、女子プロレスラーの神取忍。ちなみにこの人はコンテ・カンドリのお兄さんなんだそうですが、いや、神取忍ではなくてピート・カンドリのほうですけど。で、ここでのソロが本当にカンドリなのかというと、そのほうが自信のほどは13%くらいだったりするんですが、そもそもこの曲ではカンドリに代わってアル・ポーチコという人が参加していると受け取れる英語の記載もあったりして、で、トロンボーンのソロがあって、テーマに戻って、おしまい。

 で、続いてはガレスピーの 「グルーヴィン・ハイ」 でありますか。これまた極めて調子のよいバップ・ナンバーですよね。 …と、ここまで書いたところで、このCDには原文ライナーが付いていたんだね。…ということに気が付いたんですが、改めてそれを読んでみると、1曲目でペッパーはアルトではなくてテナーを吹いていたんですな。言われてみれば確かにそんな気がしますよね。で、続くトランペット・ソロはジャック・シェルドンだということも明らかになったんですが、あまり細かいことは気にしないことにして、えーと、2曲目でありますな。テーマ部のアレンジは前曲にも増して凝ったものとなっているんですが、えーと、最初のソロはミュート・トランペットでありますな。これが一体、誰の演奏なのか?…という問題に触れるような冒険は今回は無しにしておこうと思うんですが、深く考える暇もないほどすぐに終わっちゃいますしね。で、続いてペッパーが今度は間違いなくアルトでソロを取って、やはり本職だけにこっちの楽器のほうが僕は出来がいいような気がするんですが、ということで、テーマに戻って、おしまい。どの曲もだいたい3分前後にまとめられているので、全体的にコンパクトな仕上がりとなっております。 で、3曲目はホレス・シルバーの 「オパス・デ・ファンク」 なんですが、この曲をこの編成でやるというのはちょっと無理がありますな。全体を通じてペッパーのアルトと管楽器のハモりとの絡みで構成されておりまして、かなり亀甲的に編曲の 縛りがある仕上がりであると言えましょう。よくも悪くも典型的なウエスト・コースト・サウンドでありますな。

 ということで、4曲目はセロニアス・モンクの 「セロニアス・モンク」 でありますか。テーマ・メロディをフレンチホルンが無伴奏で吹いて始まる導入部のアレンジがなんとも言えずに道明寺でありまして、いや、そういう名前の和菓子があるんですけどね。関西で言うところの桜餅は基本的に道明寺なんだと思うんですが、僕は関東風の桜餅よりも断然、道明寺タイプのほうが好きですね。で、桜の葉っぱは無論、 “食べる派” なんですが、葉っぱを食べずして、いったい何のための桜餅や?…と思わずにはいられません。桜の葉っぱの塩味とアンコの甘さとのコントラストが実に絶妙でありまして、ちょっぴり筋っぽい葉っぱの食感もなかなかだと思います。食物繊維を摂取出来てお通じのほうもよくなりそうだし、いや、下痢することは年がら年中でも、便秘に苦しんだことはただの一度もないので、そっちのほうの効果を期待しているわけではないんですけど。 で、演奏のほうはというと、管楽器のハモり具合が全体的に暗くて地味なので、その対比でペッパーのアルトが前面に押し出されて、絶妙のバラードに仕上がっているのではなかろうかと。都会のアンニュイという言葉がぴったりくる、そんな1曲だと思います。

 ということで、次。 ジミー・ジュフリーの 「フォー・ブラザーズ」 でありますか。ウディ・ハーマンの楽団に何だかそのような名前のサックス奏者4人組がいて、フォー・ブラザーズ、フォー!…とか言って盛り上がっていたそうですが、いや、今さらレイザーラモンHGネタというのもどうかという気がするんですけどね。で、この曲はもともと4人のサックス奏者をフィーチャーするために書かれたものだと思うので、この手の大編成モノには最適でありまして、何ともスリリングで、イカリングで、イカのすり身団子なプレイが展開されております。いや、いつもスリリングと言えばイカリングが出てくるので、今回はすり身団子も付け加えてみたんですが、付け加えてみるだけ無駄でしたね。今後、このネタは永久に封印しておきたいと思いますが、冴えない僕とは対照的に、ペイチ君のアレンジは完璧ですね。どのへんが完璧なのか?…と聞かれても困るので、この問題にはあまり深入りせずに先に進みますが、えーと、次は6曲目ですか。 「ショウナフ」 はガレスピーとパーカーの共作なんだそうで、どこかで聞いたことのあるような、そうでもないようなメロディを持った曲でありますな。とにかく、忙しくてせわしないセワシ君。…といった感じなんですが、ま、バップ曲というのは大抵そういうものなんですけどね。あとは、えーと…、特に書くこともないので原文ライナーを丸写しすることにしますが、 「ショウナフ」 はディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーが 1945年にレコーディングした。ここの ( スコアリング、及び、プレイにおける双方共 ) 処置は、ぱりぱりして鋭い…と。後半の訳語は翻訳ソフトに頼ってしまったんですが、あまり大したことは書いてねーな、ナット・ヘンホフ。…と思わずにはいられません。 僕としてはスコアリングとプレイにおける双方がパリパリしているということよりも、ペッパーのソロが切れ味鋭く、歯切れもよくて、続く、誰とも分からぬトランペットのソロも、シケていなくて歯応えがいいよね。…ということに着目したいと思うですが、いや、それを一言で表現すると、ぱりぱりして鋭いという事になるのかも知れませんけどね。ちなみに僕は “ぱりぱり”というと、ポテトチップスをすぐに頭に思い浮かべるんですが、ポテチとペッパーの相性がいいというのは、プリングルズの “ブラックペッパー味” を食べて見れば一目瞭然…というか、一口瞭然です。期間限定にしておくのがもったいないほど、美味しいですよね。それに対して、ニッポン限定の “うすしお味” は今ひとつですな。いくら何でも味が薄過ぎでありまして、あんなもの、ニッポン限定にすな!…と思わずにはいられません。嫌がらせの意味で、是非とも世界各国で売りに出して欲しいところですが、純粋にアドリブのスリルを味わうなら、今のところこの 「ショウナフ」 がベストの出来であると言えるのではないでしょうか。

 ここでようやく全12曲の折り返し点を過ぎたところですが、僕は典型的な後半勝負の差し切り型ですからね。ここでぐっとスピードを上げて一気にゴールになだれ込もうと思いますが、えーと、7曲目は 「バーニーズ・チューン」 ですか。作曲したのはバニーガール…ではなくて、バーニー・ミラーなんですが、いいですよね、バニーちゃん。ウサギさんのお耳が可愛いな♪…と思わずにはいられませんが、黒い網タイツは余計なんですけどね。そもそも僕は狂信的なタイツ・パンスト撲滅派でありまして、ま、そのくせ、冬場の仕事にはステテコを愛用したりしているんですけどね。人には禁止しておいて、自分だけ穿くというのはどうか?…という気がしないでもないんですが、やっぱり泣く子と寒さには勝てないしぃ。 で、このバーニー・ミラーの作った 「バーニーの旋律」 という曲でありますが、きっとどこかで一度は聞いたことがあるに違いない、とっても有名な旋律となっております。バーニー・ミラーの曲の中では 「ミラーマンのうた」 に並ぶ傑作と言ってもいいのではないでしょうか。 で、この手の曲にはウエスト・コーストな編曲が実にお似合いなんですよね。ペッパーのアルト・ソロと管楽器ハモりとの絡み具合も、あまりクドくはならない程度に適切で、ま、たまにはこういうサウンドもいいのではなかろうかと。

 はい、次。 「ウォーキン・シューズ」 はジェリー・マリガンの曲でありますか。いかにもウォーキン・シューズらしく、ウォーキング・ベースで始まる導入部が御一興でありまして、いかにもマリガンの曲らしく、バリトンサックス中心に演奏されるテーマ部は、これまた前曲同様、典型的な西海岸サウンドとなっております。たまにはこういうサウンドもいいかも知れないけど、2曲続けてとなると、ちょっとなぁ。…と、基本的にウエストコースト系がさほど好きではない僕としては思ってしまうんですが、続いてはディジー・ガレスピー他の 「アンソロポロジー」 でありますか。ビ・バップにはどういうわけだか 「○○○○○ジー」 といった名前の曲が多いんですが、この 「アンソロポロジー」 は何となく 「あ〜ん、早漏ボロ爺ィ」 を連想させて、よくありません。所詮は爺ィなんだから、ちょっとボロいくらいの事は我慢しなければならないと思うんですよね。ちなみに “anthropology” というのは “ (文化) 人類学” という意味なんだそうですが、人類は麺類とか、そういうことを学習する学問なんでしょう。 で、ここでの最大の聴きものは、ペッパーがクラリネットを吹いていることなんですが、バップ曲とクラの相性は今ひとつよろしくなく、その試みは失敗だったと言えるのではなかろうかと。 で、次。ソニー・ロリンズの 「エアジン」 。いや、これはいいですな。とっても調子のいい曲自体も個人的にかなり好きな部類だし、本業のアルトに徹しているペッパーも生き生きしております。誰の物ともわからぬトランペット・ソロも好調だし、ツボを押さえたマーティ・ペイチの整体師的なアレンジも悪くないです。

 11曲目、リチャード・カーペンターの 「ウォーキン」 。いや、これはいけません。いくらウォーキンとはいえ、これではあまりにもテンポが遅すぎて、かつての社会党の得意技にして、コドモ心にもまったく無意味にしか思えなかった “牛歩戦術” を彷彿させるものがあって、よくありません。ペッパーがテナーを吹いているのもよくなくて、やっぱりペッパーという人はアルトを吹いている時と、カラオケで 「ペッパー警部」 を歌っている時がいちばん生き生きしてますからね。ラス・フリーマンの、人を小馬鹿にしたようなピアノのコンピングもあまりよくありません。 ということで、いよいよゴールが迫ってきました。 アルバムの最後を飾るのはチャーリー・パーカーの 「ドナ・リー」 でありますか。「おんどりゃ、このボケ、しばき倒したろか!」…と、怒鳴り散らすなんとか…といった感じのジャズ曲名俳句があったような気もするんですが、アルバムの最後を飾るにしては、何だかあまりぱっとしない曲でありますな。個人的にはあまり好きではなかったりします。そんなことでまあ、折り返し点を過ぎてからは完全に “飽きて来ちゃったモード” になってしまいましたが、今日のところはこれで、おしまい。

【総合評価】

 やはり、アレンジ過多の演奏は肩が凝って、個人的にはあまり好きになれませんな。足すことの11人というのは、やっぱり少し多過ぎるような気がします。 “6P” くらいにしておいたほうがよかったかも知れません。


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