NOW’S THE TIME (VERVE)

CHARLIE PARKER (1952/12/30,1953/8/4)

NOW'S THE TIME


【パーソネル】

CHARLIE PARKER (as) HANK JONES (p) <#1-6> AL HAIG (p) <#7-13>
TEDDY KOTICK (b) <#1-6> PERCY HEATH (b) <#7-13> MAX ROACH (ds)

【収録曲】

THE SONG IS YOU / LAIRD BAIRD / KIM (alt take) / KIM
COSMIC RAYS / COSMIC RAYS (alt take)
CHI-CHI (alt take-1) / CHI-CHI (alt take-2) / CHI-CHI (alt take-3) / CHI-CHI
I REMEMBER YOU / NOW'S THE TIME / CONFIRMATION

【解説】

 僕は子供の頃から “カメラ” が割りと好きでした。 “ガメラ” はそれほど好きではありませんでした。そんな僕が初めて手にしたカメラは、確か、塩サバ2号が親の金をくすめて買ったポケットカメラではなかったか?…と記憶しているんですが、よく親の金をくすめていましたからね、塩サバ2号は。…という、実の兄の過去の悪行をバラすのが今日の主題ではないので、その話はこれくらいにしておきますが、昔、あったんですよね、ポケットカメラというのが。ポケットカメラというのはですね、無理矢理ポケットに入れようと思えば入らないこともないだけど、ポケットの縫い口のところがビリっと破れて、お母さんに叱られることになるのは必至。…というくらいの大きさのカメラでありまして、フイルムがカートリッジ式になっていて小学生でも装填が可能だったのと、構造が簡単で、ちょっと親の金をくすめれば中高校生でも購入出来るくらいの金額だったことから、当時はかなり普及しておりました。ちなみに塩サバ2号が持っていたのはですね、外付けのフラッシュを使うタイプだったんですけどね。ストロボではなくて、フラッシュ。 今の感覚で言うと、ストロボもフラッシュも一緒やん。…と思われるかも知れませんが、当時、この2つは明確に区別されておりました。ストロボというのは今で言うストロボやフラッシュのことで、電池さえ交換すれば半永久的に何度でも使えるタイプの奴であります。一方、フラッシュのほうはですね、その場限りで、刹那的な奴でありました。その昔、年賀状印刷と言えば 「プリントごっこ」 が定番だったんですが、あれを製版する時に使うフラッシュ。あれと同じようなものだと思ってください。つまりまあ、一回光っちゃうとそれでおしまいという、ほとんど自爆テロ犯のような代物だったんですが、この球がまたけっこう高かったみたいなんですよね。つまり、夜中に写真を撮ろうとする度に、親から小金をくすめなければならなくなるわけですが、そんな苦労をしてまで撮った写真であるにも関わらず、その出来栄えのほどは、ま、何か写っているのが確認出来なくも無いな。…といったレベルのものでありまして。

 それから約30年。僕は自分の財力で “IXY DIGITAL L” というデジカメを購入出来るようになるまで、立派なオトナに成長を遂げたわけでありますが、そのお気に入りのカメラがですね、野尻湖でウインドサーフィン中に行方不明になっちゃったんですよね。詳しい経緯は前にも書いたような気がするので割愛しますが、仕方なく、もう1台のデジカメ付き双眼鏡 “DIGIBINO DB200” というので何気なくお花の写真を撮ってみたところ、これがなかなかいい仕上がりになったんですよね。お花にはビシっとピントが合って背景は適度にボケているという、いかにもソレらしい作品に仕上がったんですが、後から色々と調べてみたところ、このような表現はコンパクトデジカメではなかなか難しいんだそうです。専門的な用語で言うと “被写界深度” の問題らしいんですが、被写界深度というのはカメラで被写体にピントを合わせたときに、被写体前後の範囲の中でピントが合っている幅のこと。被写体にピントを合わせると、その前後にもある程度ピントの合った範囲が存在する。この範囲のことを被写界深度と言い、この範囲が広い(より奥から手前までピントが合っている)状態を「被写界深度が深い」、狭い(被写体以外はほとんどぼやけている)状態を「被写界深度が浅い」という。 (← IT用語辞典 e-Words より無断で勝手に引用。ゴメンな。) …ということでありますな。背景がボケた写真を撮るには被写界深度を浅くしてやればいいわけですが、では被写界深度というのはどういう要素によって変化をするのかというと、まず最初に焦点距離で言うと、広角側では深くなって、望遠側では浅くなる…と。つまり、いついかなる場合でも、どんなシチュエーションにおいても、問答無用で7倍望遠っ!…という写真しか撮れない “DIGIBINO DB200” というデジカメ付き双眼鏡は、問答無用で被写界深度が浅くなるという特性を持っているわけでありますな。

 で、一方、行方不明になった “IXY DIGITAL L” の後釜として購入した “IXY DIGITAL L2” というデジカメはですね、35mmフィルム換算の焦点距離が39mmという単焦点レンズとなっておりまして、これはですね、かなり広角側に固定ということになります。被写界深度的には、かなり深い性格であると言えましょう。風景写真なら奥のほうまでピントの合ったシャープな作風になるんでしょうが、背景をボカした表現は苦手ということになります。デジカメの場合、被写界深度はCCDの大きさ (←画素数ではない。) によっても変わってくるらしく、CCDサイズが小さいコンパクト型のデジカメの場合、やはり被写界深度の浅い写真はあまり得意ではないようです。去年の夏、僕は突如として山野草写真に目覚めてしまったんですが、お花の写真を撮るには “DIGIBINO DB200” のほうがいいみたいですね。 …と思っていたらですね、壊れちゃったんですよねコイツが。双眼鏡としては使用可能だし、デジカメとしても普通に撮影は可能なんですが、液晶ディスプレイが壊れちゃいました。山野草撮影には欠かせない機材なのでもう1台買おうと思ったら、既に製造中止になっていて手に入らなくなっておりました。どういうわけだか1世代前の “DB100” という機種の新品が格安で売りに出されていたので購入したんですが、コイツは画素数が80万画素しかなくて、しかも記憶媒体が内蔵メモリ (16MB) しかないという、ほとんどおもちゃデジカメ並のスペックしかなくて、いや、これでは僕の芸術家スピリッツを発現するには、いかにも心細いものがありますなぁ。。。

 さて、ここで写真の基礎についてちょっと考えて見たいと思うんですが、写真で一番大切なのはですね、 “ピント” と “露出” であります。やっぱりアレだよね。写真を撮る時はフリチンの上にトレンチコートだけを羽織って、女の子の前でガバっと前を開くのが楽しいんだよね。…って、 “露出” というのはそういうことではなくて、フイルムやCCDなどに当てる光の強さのことなんですが、適正な露出で撮った写真というのは適正な仕上がりになります。露出不足の写真は全体的に暗い感じになります。逆に露出オーバーだと白飛びしたりします。この露出というのは “絞り” と “シャッタースピード” という2つのファクターによって決定するんですが、例えて言うなら “絞り” というのはトレンチコートの前の開け具合、 “シャッタースピード” のほうは開けている時間の長短といったところでしょうか。コートの前を5センチくらい開放しただけでは、露出された “そのもの” を確認するのに5秒間ほどじっくりと観察する必要がありますが、コートの前をガバっと50センチほど開けてやれば、0.5秒くらいの短い時間でソレと認識することが出来ます。女の子が、きゃ〜!…と悲鳴を挙げれば、それは適正な露出だったということになりますが、すなわち、絞りを小さく絞った場合はシャッタースピードを遅く、絞りを大きく開放した場合にはシャッタースピードを速くしてやればいいわけです。カメラには自動露出という機能があって、常に適正な露出になるように調整してくれるんですが、絞りやシャッタースピードをマニュアルで調整出来る機能があれば、同じ適正露出での色々な絞りとシャッタースピードの組み合わせで撮影することが出来るわけです。

 露出が同じなら別に、絞りやシャッタースピードなんか別にどうだっていいぢゃん。…という気がしないでもないんですが、前に出てきた被写体深度というのはですね、この絞りの値によっても変化させることが出来るんだそうですね。絞りを開くと被写界深度は浅くなり、絞ると逆に深度が深くなるんだそうですが、つまりマニュアルで絞りの値を設定する機能があれば、シチュエーションに応じて自分の思い通りの写真を撮れるということになるわけです。とまあそんなことで、思わず通販で衝動買いしてしまったんですけどね、パナソニックの LUMIX DMC-FZ30 。光学12倍ズームに手ブレ補正機能、そして何より、一眼レフ並のマニュアル操作が可能というところに大いにソソられるものを感じてしまいました。さすがに図体はかなりデカくて重くてポケットにも入らなくて、持ち運びには極めて不便なんですが、何だかこう、いかにもプロになったような気分が味わえるところが何とも言えずによろしいですなぁ。いや、プロはちゃんとした一眼レフを使うんでしょうが、税抜なら6万円を切るお値段のわりには結構ソレっぽい質感が感じられて、悪くないですね。では早速、山野草の撮影に…と行きたいところなんですが、山は今、冬の最中 (さなか) であります。和菓子屋に行けば最中 (もなか) なら一年中見ることが出来るんですが、冬の最中に山に行っても雪がたくさんあるだけで、お花はまったく咲いていないに違いありません。仕方がないのでとりあえず、仕事の合間をぬって墨俣の一夜城というところに行ってみることにしました。とりあえず “ふるさと創生1億円” で金のシャチホコを作って屋根の上に乗せたパチモンの極みの天守閣を撮影してみたんですが、これはまったくもって露出不足になってしまって、あーん、今ひとつ。。。 これなら “IXY DIGITAL L” で撮った こちら のほうがよっぽどマシでありまして、こういうのを世間では “宝の持ち腐れ” と言うんでしょうなぁ。。。

 打ちひしがれて、その場から立ち去ろうとしたその時、僕の目の前に数羽のニワトリが現れました。赤いニワトリであります。いいですよね、赤いニワトリは。赤いニワトリのどこがいいのかというと、唐揚げにした時、特に香辛料で味付けをしなくても “からあげ君レッド” になっちゃいそうなところがいいと思うんですが、僕は普通の “からあげ君” よりもレッドのほうが好きですからね。で、その数羽の “生トリ君レッド” が犀川の水辺のほうに歩いていったので、とりあえず追いかけていって激写してみたんですが、その時の作品がこれでございます。

生トリ君レッド♪

 このデジカメの画素数は800万というスペックなんですが、256MBのSDカードしか持っていないので、1600×1200=200万画素クラスの設定にして撮影しました。これだとファインモードで240枚くらいは撮れるので、実用上問題はないと思います。ホームページに掲載する場合は 640×480=30万画素クラスまで縮小することになるので、800万画素機なんてオーバースペックもいいところなんですけどね。割とピントも綺麗に合っていると思うんですが、では続いて絞りの値を変えて被写界深度にどのような変化が現れるのかを実験してみることにしましょう。…と思っているうちにニワトリ君たちがどこかへ逃げてしまいましたので、被写体を変えることにしましょう。今度のテーマはですね、 “そのへんに生えている草” ということにしたんですが、春になったらたくさん山野草の写真を撮らなければならないので、その試金石というわけですな。寒かったのでクルマの中から窓ガラス越しに撮影したものなんですが、撮影モードを “絞り優先” にして撮影してみました。 “絞り優先” というのはマニュアルで絞りの値を設定すると、シャッタースピードのほうはカメラで自動的に適正露出になるように決めてくれるモードなんですが、これによってボケ味をコントロールすることが出来るわけでありますな。絞りの値は “F” という数値で表されるんですが、絞りをいちばん開けた時の “F” の値を開放絞り値と言って、これはレンズの性能によって決定されることになります。この数値が小さいほど明るいレンズということになるんですが、このカメラの場合、開放絞り値は F2.8(ワイド端)〜F3.7(テレ端) でありますか。広角側で絞りを全開にすると F2.8ということになるんですが、これを F5.6 まで絞って撮影してみることにしましょう。この場合、シャッタースピードは 1/250秒となっておりました。

そのへんに生えている草@F5.6ばーじょん♪

 うーん、実につまらない被写体でありますなぁ。…という問題はとりあえず置いといて、背景の家にまでかなりピントが合っていて、被写界深度としてはかなり深めであると言えましょう。コンパクトデジカメのオートで撮影すると、大体こんな感じの仕上がりになりますよね。俺はこんな写真を撮るために “LUMIX DMC-FZ30” を買ったんじゃねえ!…ということで、では続いて絞りの値を F3.6 に変更してみましょう。直感的には少し分かりにくいんですが、絞りを開放する→明るくなる→ F値が小さくなる→被写界深度が浅くなる→背景がボケる…という図式になりますので、背景をボカしたい場合には F値を小さくすればいいわけです。ちなみに F3.6 まで絞りを開けた場合のシャッタースピードは 1/640秒となり、明るくなった分だけシャッターの開いている時間が短くなっております。

そのへんに生えている草@F3.6ばーじょん♪

 おー、背景がボケましたなー。バックがボケることにより被写体の "そのへんに生えている草" がくっきりと浮かび上がり、この植物が実につまらない雑草であることがよくわかりますね。 ちなみにコンパクトデジカメにも “シーンモード” という機能が搭載されていることが多いんですが、あれは撮影するシチュエーションに合わせて、ホワイトバランスや絞り値やシャッタースピードを変更してくれるものだったんですな。ちっとも知りませんでした。ちっとも知らなかったし、知っていてもいちいち設定するのが面倒なので、こんな機能は1度も使ったことがなかったんですが、例えば “風景モード” なら被写界深度の深い写真が、 “ポートレートモード” ならバックをボカして人物を浮かび上がらせる写真が撮れるに違いなくて、これを活用すれば少しは、誰が撮っても同じや。…といった画一的な絵作りから脱却出来るかも知れません。 マニュアル操作が出来る“LUMIX DMC-FZ30” にもこのシーンモードという機能は搭載されているんですが、えーと、どれどれ。 ポートレート、夜景ポートレート、スポーツ、風景、夜景、花火、パーティ、雪、流し撮り、美肌モード、赤ちゃんモード、料理モード、星空モード、キャンドルモード…の、計14種類でありますか。個人的には今のところ、赤ちゃんを撮る機会はないような気がするので、このモードは必要ないかなという気がしないでもないんですが、ま、何かの折に “赤ちゃんプレイ” に興じることがあるかも知れませんしね。 で、この中では “流し撮り” というのにかなりソソられるものがあるんですが、流し撮りというのはカメラ小僧だった頃からずっと憧れていたテクニックですからね。そこでまあ、早速試してみることにしたんですが、シャッタースピードを遅めにして背景の流れを強調するというのがこのモードの特徴なんですな。で、このカメラの場合、手ブレ補正機能を応用して天地方向のブレを抑えて、左右方向はフリーにするという機能も付け加えられているんですが、その結果、出来た写真が これ でございます。 おおこれは、見事なまでの流し撮り…って、その “流し” とちゃうがな!

 …と、軽くボケておいて、写真のボケのお話は、おしまい。

 さ、今週からは “アルトサックス編” となります。アルトと言えばまずはこの人、チャーリー・パーカーでありますな。敢えてパーカーを取り上げない…というのがコンセプトだったこのコーナーも、ネタ不足に伴い趣旨変更を余儀なくされたわけでありますが、今回紹介するのはですね、 『ナウズ・ザ・タイム』 というアルバムなんですけどね。ジャズ初級者のパーカー入門には、これが一番♪…というのが僕の持論なんですが、いや、初めてバイトをして貰ったお金で 『チャーリー・パーカー・オン・サヴォイ(完全版)』 という3枚組のCDを買って、おもいくそ後悔しましたからね。俺の勤労報酬を返せ!…という気分で一杯でありましたが、失敗の要因は録音年の古さからくる音質の悪さと、失敗テイクを含む同一曲のしつこいまでの羅列にあったわけなんですけどね。いくら完全版だからって、こんな不完全なテイクまで完全に収録することもなかろうに。…と思わずにはいられませんでしたが、その点、この 『ナウズ・ザ・タイム』 は大丈夫です。パーカーにしては割りと新しい吹き込みなので音のほうもそれほど酷くは無いし、別テイクも採用されたものを含めて最多4回までなので、ま、ぎりぎり我慢できない事もない許容限度といったところでしょう。既にサカリを過ぎた演奏なので、全盛期のような近寄り難い厳しさもないし、パーカーの影響を受けたアルト奏者のプレイみたいに気軽な気持ちで楽しむことが出来て、そんなことでまあ、ジャズ初級者のパーカー入門には、これが一番だよね。…という結論に至ったんですけどね。ということで、では1曲目から聴いてみることにしましょう。

 このアルバムは2つのセッションから成っているんですが、まず前半はハンク・ジョーンズテディ・コティックマックス・ローチという面子でありますな。シンプルなワン・ホーン編成であるところもこのアルバムを聴きやすくしている要因なんですが、まずは歌モノの 「ザ・ソング・イズ・ユー」 でありますか。 「歌こそは君」 という、何だか分かったような分からんようなタイトルなんですが、桂歌丸に向かって、 「歌丸は君」 というのならよく分かるんですけどね。ま、歌丸師匠とすれば、わざわざ人から言われなくても、そんなことは自分で分かっていると思うんですけどね。とまあそれはともかく、イントロ無しでパーカーがいきなりテーマを吹き始めるところが迫力満点でありまして、図太いアルトのトーンを耳にすると、改めてパーカーというのはやはり只者ではないな。…という気がしないでもありません。音がデカいとか、顔がデカいとか、露出された局部がデカいとか、オトコの価値はそういうもので決まるものではない!…と、僕は声をデカくして言いたいんですが、やはり楽器の音というのはデカいに越したことはないと思います。で、テーマ部に続いて、そのままアルトのソロへと突入していくわけでありますが、このテーマからアドリブへの流れが実にナチュラルでありまして、姉歯元建築士の髪形と同じくらい、まったく不自然さを感じさせません。頭で考える以前に勝手に指が動いて、それがフレーズになっちゃうんでしょう。天才なんでしょうな、やはり。 で、ハンク・ジョーンズの短いソロがあって、テーマに戻って、おしまい。エンディングと呼ばれるパートはまったく無くて、やや唐突にブツっと切れて終わるところがいかにもビ・バップらしくて、潔くて、いいと思います。

 はい、次。パーカーのオリジナルで 「レアード・ベアード」 という曲なんですが、いや、これはいいですよね。レアードとベアードで韻を踏んでいるところがたまらなくいいと思います。ちなみにベアードというのはパーカーが同棲していたチャン・リチャードソンという愛人に生ませたお子様の名前らしいんですが、で、 “Laird” というのは “<<スコット>>(大)地主” の意味でありますか。いや、電子辞書にはそう書いてあったんですが、どういうことなんだか今ひとつよくわかりませんね。で、演奏のほうはアレです。ハンクの弾くピアノのイントロに続いてパーカーがテーマを吹くわけですが、これはですね、ブルースですよね。12小節のテーマがあって、次の12小節で何気にフェイクして、で、何だかうやむやなうちにアドリブ・パートに突入するんですが、ここでの吹きっぷりは基本的に落ち着きを感じさせるものでありますな。時折、気分が高まって思わず倍テンポになったりする瞬間もあるんですが、すぐに平常心に戻っていて、そんなところがいかにも <<スコット>>(大)地主であるな。…という気がしますよね。で、アルト・ソロに続いて、短いながらもピアノ→ベース→ドラムスの順で参加者各位のソロがフィーチャーされて、これはもう、ビ・バップの荒々しさよりもむしろ、荒瀬の温泉めぐりを感じさせる仕上がりであると言えましょう。たかだか元相撲取りの分際で、どうして混浴露天風呂に入っているんだ?…と、コドモ心にも不満を覚えたものでありますが、あの番組のおかげて僕は、大きくなったら荒瀬になりたい!…とかなり本気で思ってましたからね。ま、実際のところ、大きくなっても荒瀬にはなれずに、やらせで適当なネタをでっちあげるような大人になってしまったんですが、そんなことでまあ、次にまいりましょう。

 3〜4曲目には 「キム」 の別テイクと本テイクが入っているんですが、この “キム” というのはチャン・リチャードソンの連れ子の名前なんだそうですね。一説によると、このキムは大きくなって金正男 (キム・ジョンナム) になったと言われておりますが、ま、おそらくガセだと思いますけどね。チャンの連れ子のキムというのは白人娘だったらしいので、彼女が正男である可能性は極めて低いと言わざるを得ないんですが、ま、それはそうとこの曲はですね、 「アイ・ガット・リズム」 のコード進行に基づいて作られているんだそうです。そう言われてみれば確かにそんな気がしないでもないんですが、言われなければそんなことはまったく分からなくて、で、この曲はアレですな。これといったテーマ・メロディは出て来なくて、アドリブ一本勝負で作られたものであるようです。キムちゃんとしても、私の名前を付けてくれたのは嬉しいんだけどぉ、どうせならもっとラブリーでキュートな曲のほうがよかったナ。…と思ったに違いなくて、ま、短いタイコのイントロに続いて飛び出してくるパーカーのソロは素晴らしいの一言に尽きるんですけどね。イケイケどんどんタイプのギャルなのかも知れませんな、キムちゃん。何でもいいけどキムちゃんというのは、ちょっぴりキムチチャーハンに似ているよね?…という気がするんですが、途中、地味ながらもなかなか健闘しているハンクのピアノと、メロディアスなローチのドラムス・ソロを挟んで、テーマに戻って、おしまい。あ、テーマの再現部では最初に提示されたのと同じフレーズが登場しておりますので、まったくのアドリブ・オンリーというわけでもないみたいですね。 で、CDでは続いてもう一度 「キム」 を聞かされる羽目になるんですが、3曲目がテイク2で、4曲目がテイク4、でもって、本テイクに採用されたのはテイク4のほうであるようです。このように時系列的に別テイクを収録するというのはマニア的な見地からは理にかなっているのかも知れませんが、僕の場合、大抵は最初のテイクだけ聴いて2回目以降は飛ばすことになっちゃうので、別テイクのほうが馴染みになってしまったりして、あまり健全な状況ではないような気がします。で、今日はせっかくだからテイク4のほうも軽く聴いておきたいと思うんですが、テーマの部分が前とは微妙に違っていたりして、やはりこれは基本的にアドリブ一発の作品なんでしょう。で、ソロの出来栄えは何となく後からのほうがいいような気がしないでもなくて、ま、それは恐らく本テイクという先入観による影響が大きいような気もするんですけどね。

 で、5〜6曲目には 「コズミック・レイズ」 が、今度は本テイク→別テイクの順で登場します。テイク5くらいまで録ったんだけど、結局はテイク2がいちばん出来がよかったよね。…という結果に終わったんでしょう。そういうこともよくあります。曲としてはミディアム・スローのブルージーなブルース。…といった感じでありまして、パーカーにしては珍しく、どちらのテイクでも似たようなアドリブ・ソロを展開しているんですが、テイク5のほうはテンポも気持ちゆっくりめになっていて、明らかにテンションが低下していることが窺われます。何回も演奏しているうちに、集中力がプッツンしちゃったんでしょうな。2回目のテイクでいいぢゃん。…とか思っていたんでしょう。どちらのテイクでもパーカーの後にピアノとベースとドラムスのソロが登場するんですが、テイク5のマックス・ローチなど、リーダーのヤル気のなさが伝染したのか、何とも投げやりなタイコの叩きっぷりとなっておりまして、ま、そういう人間臭いドラマを嗅ぎ取ることが出来るのが別テイクの面白いところなんですけどね。

 で、ここから先はメンバーが代わって、ピアノがアル・ヘイグ、ベースがパーシー・ヒースとなります。が、え? 途中でメンバー代わったの?…ということに気がつかないくらい全体の雰囲気は何も変わっておりませんので、あまり気にしなくてもいいんですが、でもって、ここから先がこのアルバムの最大の山場でありますな。 「チ・チ」 4連発!…ですからね。これから同じ曲を4回も続けて聞かされるのかと思うとちょっぴり気が重いので、ここはひとつ、少し考え方を変えてみましょう。7曲目が 「父」 で、8曲目は 「乳」 、9曲目が 『小さな恋の物語』 に登場するサリーの相方で、10曲目はゴンチチの2人のうちのゴンザレス三上でないほうだよね。…と考えれば、少しは気が軽くなるのではなかろうかと。ま、考え方を変えてみたところで、同じ曲を4回続けて聞かされるという事実には何ら変わりはないので、余計なことを考えるだけ無駄なような気もしますけど。ちなみに 「チ・チ」 というのはシンフォニー・シッドというディスクジョッキーがよく同伴していたガールフレンドにパーカーが付けたあだ名なんだそうですが、やはり乳のでかいギャルだったんですかね? 僕個人としては、女は乳ぢゃないよね。太股だよね。…と思っているので、別に巨乳でも貧乳でもどちらでもかまわんのですが、ちなみにスケートの大菅小百合は太股が太過ぎて脚からだと入らないので、スカートを頭から穿くそうですな。そんな彼女にパーカーならきっと “モ・モ” というあだ名を付けるに違いありませんが、いや、僕はごく普通に “さゆりん” でいいと思うんですけどね。 とまあそれはそうと、この 「チ・チ」 は油井正一クンが書いた日本語ライナーによると、パーカーがマックス・ローチの家の食卓の上で即座に書いたテーマなんだそうですが、いやさすがに油井正一センセイは横井正一とは違って、ジャズに関しては詳しいですな。ま、横井正一クンの場合は長年グアム島のジャングルで暮らしていて音楽を聴く機会が無かったに違いないので、ジャズに疎いのはやむを得ないところでありますが、食卓の上でテキトーに作ったにしては一応、ちゃんとした曲に仕上がっております。いや、即座に書いたというだけで、どこにも適当に作ったとは書いてないんですが、このすばらしい四つのテイクが現存していたことは、まったくすばらしいことだ。…と油井センセイも書いている通り、まったくすばらしいことだと僕も思います。ちなみにテイク1→3→4ときて、テイク6が採用ということになったようですが、最初のテイク1はテーマの提示→パーカーのソロ→アル・ヘイグのソロ→ローチのソロ→パーシー・ヒースのソロ…まで極めて順調に進みながら、テーマの再現部の手だしでちょっぴりアルトの音が上ずってしまったところが失敗だと思います。テイク3ではまたしても同じところで音が上ずって、どうやらパーカーにとってはここのところが鬼門であるようですな。テイク4ではさすがにこの部分はクリアしておりますが、その先のところでちょっとしたミス・トーンがあったりして、やはりパーカーと言えども人間の子なんだね。…ということが分かって、いや、なかなか面白いものですな。で、最後のテイク6ではちょっぴりテンポが遅くなっていて、慎重に演奏を進めている様子を窺うことが出来ます。そろそろこの辺で決めておかないと面倒やな。…という心の動きを反映したものだと思います。そのせいか、個人的にはちょっぴりスリルに欠ける演奏になっているような気がしないでもないんですが、それでもやっぱり最後の最後でちょっぴりトチって、もういいっ!…というので、この曲はおしまい。

 ここまで来ればもう別テイクは出てこないし、お馴染みの曲ばかりが揃っておりますので、すっかり安心モードでありますな。えーと、まずは歌モノの 「アイ・リメンバー・ユー」 。朗々と歌い上げるパーカーが実に素晴らしいです。時折、倍テンポになってめくるめくようなフレーズをブチかましてくれるところもいいです。ブルージーなアル・ヘイグのソロからパーシー・ヒースのウォーキング・ソロへと流れて行くところもいいし、ハキハキとしたローチのドラム・ソロはとっても覇気があっていいです。ということで、テーマに戻って、おしまい。 次、 「ナウズ・ザ・タイム」 。数あるパーカーのオリジナル曲のなかでもかなり有名な部類ですよね。かなり有名な部類なんですが、曲自体はシンプル極まりないリフ・ブルースであります。が、単純なフレーズを繰り返すことにより気分を高揚させるという手法は “びわ湖紅葉パラダイス” にも匹敵するハダカ天国なわけでありまして、またテーマが単純であるが故に、アドリブの出発点としてはいいのかも知れません。ここでのパーカーはどこかで聞いたことがあるようなお馴染みのバップ・フレーズを連発しておりまして、そういうところがですね、とってもいいと思います。 ということで、ラストですな。 「コンファメーション」 。数あるパーカーのオリジナル曲のなかでもかなり有名な部類ですよね。かなり有名な部類なんですが、有名なだけあって、かなりよい仕上がりの作品となっております。といっても、ハードバップの名曲のように日本人好みの哀感とか、そういったものにはまったく無縁なんですが、ヴァーティカルな音の動きがいかにもビバップ的で、そういうところがとてもいいと思います。どちらかというとミュージシャンに好まれるタイプの曲でありまして、これをアルトで自由自在に吹けるようになると、かなり快感だったりするんですよね。いや、僕は吹けませんけどね。というか、アルト・サックスを手にしたことすら無いんですが、そういう場合はですね、カスタネットでこの曲を叩けるようになると、かなりの快感…でも何でもありませんな。その点、パーカーはちゃんとプロ並みにアルトを吹くことが出来るので大丈夫なんですが、ここでも実に気持ちよさそうに楽器を鳴らしておりまして、聴いているほうも何だか気分がウキウキしちゃいます。いやあ、いいですなぁ、ジャズは。 ということで、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 ジャズ初級者のパーカー入門には、これが一番♪…という気がします。そんだけ。


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