HERE TO STAY (BLUE NOTE)

FREDDIE HUBBARD (1962/12/27)

HERE TO STAY


【パーソネル】

FREDDIE HUBBARD (tp) WAYNE SHORTER (ts) CEDAR WALTON (p)
REGGIE WORKMAN (b) PHILLY JOE JONES

【収録曲】

PHILLY MIGNON / FATHER AND SON / BODY AND SOUL
NOSTRAND AND FULTON / FULL MOON AND EMPTY ARMS / ASSUNTA

【解説】

 みんな、小学生の頃、休み時間には何をして遊んでいたかな? 屋外スポーツ系の遊びなら、やっぱりドッジボールだよね。…ということになるのが僕たちの世代なんですが、そのドッジボールの世界で僕はですね、 “ファイナリスト” と呼ばれていたんですよね。いつも一番最後まで残っているからこの名前が付けられたんですが、どうして最後まで残ることが出来たのかというと、ただひたすたボールに当たらないように逃げ回っていたからなんですけどね。で、最後の一人になって、敢えなくボコっと当てられてゲームセットということになるんですが、 そういえば野球の試合に出ても三振して最後のバッターになることが多く、スポーツの世界ではいつもフィニッシュを決めていたな。…という 気がしないでもありません。そんなわけでまあ、僕はどちらかというと運動場よりも教室の中で遊ぶほうが好きな、インドアで陰気で淫靡な少年だったわけなんですが、いや、女子生徒のスカートをめくるとか、そういうことはやりたくても出来ないシャイなキャラでありましたので、表立って淫靡というわけではなかったんですけどね。むっつり淫靡。そういった子供だったわけでありますな。

 野球やドッジボールに活躍の場を見いだせない僕が教室の中でどのような遊びに講じていたかというとですね、スーパーカー消しゴムを使ったレースだとか、牛乳の蓋パッチンだとか、五目並べだとか、ま、そういったものが主流だったんですが、そんな僕がちょっぴり気になっていたゲームにですね、 “軍人将棋” というのがあったんですけどね。将棋という名前はついておりますが、本物の将棋に比べると何だかいかにもパチモンくさくて子供じみた感じがして、大人である僕が真面目に取り組むべき対象ではないな。…と、軍人将棋に講じる子供たちを冷ややかな目で見ていたんですが、そんな僕が好きな将棋遊びは “まわり将棋” だったりするんですけどね。 “金振り” をして駒を進めて、角っこに止まったら1ランク出世するという単純明快なルールの遊びなんですが、 “金振り” という言葉の響きが何となく “フリチン” に似ていて、いいよね♪…と思っておりました。 “金振り” というのはアレはアレでなかなかテクニックを要するものなんですが、僕は1〜4までの数字であれば、ほぼ確実に出したい数字を出せる技を 身に付けていたんですよね。例えば、あと3マス進めば角っこだよね。…という場合には手のひらの上に “金” の駒を1枚は表向きに、3枚は裏向きにして並べて、そのまま手のひらを返して将棋盤の上に押し付けるように出してやれば、あら不思議。ちゃんと4枚の “金” のうちの3枚が表になって、きっちり3マス進んで出世することが出来るんですよね。もう、 『私はこれで出世した』 というハウツー本を出版したくなるほど鮮やかな手口でありまして、ま、対戦相手が保育園児くらいで、ちょっぴりトロい子だったりすれば通用するかも知れません。ま、大抵、 「おにいちゃんがズルしたぁ!」 …と、お母さんに言い付けられるのがオチなんですけどね。

 みんな、今年のお正月は何をして遊んでいたかな? 僕はですね、 “軍人将棋” で遊んでおりました。例年、元日には近くにある叔父さんの家に行って下痢になるのが常なんですが、どうして下痢になるのかと言うと、下痢になる前にすき焼きの牛肉をしこたま食べるからなんですけどね。下痢するほどたくさん肉を食うなって!…と思われるかも知れませんが、食べる量を控えめにしてみたところでやっぱり下痢しちゃうほど、どうやら僕の腸というのは牛肉の吸収には適していないようで、どうせ下痢覚悟ならたくさん食べたほうが得策であるわけでして。 で、すき焼きを食べる前にみんなで 「いもや」 に行って、叔父さんにオモチャを買って貰うのが恒例となっているんですが、この店にですね、売っていたんですよね、“軍人将棋”が。いや、思わぬ掘り出し物でありましたな。ここでいう掘り出し物というのは比喩ではなく、文字どおり天井までうずたかく積み上げられたプラモデルやオモチャの山の中から掘り出してきたものなんですが、いや、これはおそらく昭和40年代からずっとこの場所に埋もれていて、今まで一度も日の目を見る事なく売れ残ってきた不良在庫なのでありましょう。ある意味、かなり貴重であると言えるかも知れませんが、大正末期から昭和初期のコンセプトを思わせる意匠の外箱には “最高級” と書かれておりました。その文字に相応しく、この商品には800円という高額な値札シールが貼られていたんですが、ま、どうせお金のほうは叔父さんが出してくれるわけだしー。

 現品のほうは塩サバ2号宅に保管されているので、ここでは同じ商品が販売されている通販サイトを紹介しておきたいと思いますが、えーと、 ここ でありますな。600円で売ってるぢゃん!…というのがちょっとショックだったんですが、子供の頃、馬鹿にして実物に触れる機会がなかった僕はですね、いもや価格800円の最高級軍人将棋にはかなり期待をしていたんですよね。が、叔父さんの家でその中身を確認、あまりのチープさに愕然としてしまったんですが、駒は、世の中にこれほどまで安っぽい質感のプラスチックが存在していたのか?…と感心してしまうような素材で作られたものがパラパラと30個ほど。で、ゲーム盤としてただの紙切れが1枚入っているだけだけなんですよね。外箱は3センチくらいの厚みがあったと思うんですが、下の3分の2のスペースには折り曲げたボール紙が入っているだけで、上げ底もいいところであります。もう、100均ショップで3個束になって売られていても、高いっ!…と思ってしまうような代物でありまして、ま、叔父さんがお金を出してくれたからよかったようなものの、もし自分でお年玉をはたいて買っていたとしたら、まず間違いなくグレて不良に走っていたと思いますね。 いやあ正月早々、福袋で大スカを引いたような気分でありました。 が、僕は大人ですからね。 「叔父さんに騙されて、ヘンなものを買わされたぁ!」…とゴネたりすることもなく、ま、自分の意志でコイツを選んだんだから文句の言いようが場所がないんですが、とりあえずは塩サバ2号の子供を相手に勝負を挑んで見ることにして。

 いや、それにしても見れば見るほど粗悪な出来でありますな。駒はプラスチックのバリがまったく取られていないし、 “大将” とか “タンク” とかの文字もパートのおばさんが投げやりな気持ちでおざなりにハンコを押して作ったとしか思えないほど、見事なまでにズレまくっております。僕は血液型がA型で根が几帳面なので、こういうのってどうしても許すことが出来ないんですよね。ちゃんとノギスで測って上下左右の余白の誤差を 0.1ミリ以内に抑えろって!…と思わずにはいられませんが、これで最高級というのなら、最低級だったら一体どんな具合になるんでしょうな?…とまあ、憤懣やる方ない思いで一杯でありましたが、ま、すき焼きのほうはとっても美味しかったので、叔父さんの不始末は肉に免じて許してやることにして。 そもそも僕は軍人将棋のルールをまったくしらなかったんですが、えーとこれは、3人で遊ぶものだったんですねー。正確に言うと、遊ぶのは2人なんだけど、それ以外に審判役が1人必要になるということなんですが、どうして審判がいるのかと、駒を裏返しにしたままゲームを進めるからなんですけどね。本将棋のように最初に駒を並べる位置が決まっているわけではなく、どの駒をどこに配置するかが戦術上、重要なポイントとなってまいります。で相手の駒が何であるかが分からないまま駒を進めて、 “突入口” と呼ばれる特定の場所から敵陣に攻め込んで1対1のサシ勝負に持ち込むわけでありますが、その際、どちらが買ったかを判定するためにどうしても審判役が必要となってくるわけでありますな。勝敗の判定は基本的には単純で、強いものは弱いものに勝ち、弱いものは強いものには負けて、同じ強さであれば相打ちになる。…というルールなので、小学生低学年レベルのあまり聡明ではないお子様でも十分に審判役は務まるんですが、今のご時世、何の得にもならない軍人将棋の審判役をわざわざ買って出てくれるような奇特な人材はそれほど多くないに違いなく、そこのところがこのゲームが次第に衰退してしまった要因ではないかと思われます。タンクとか飛行機とか地雷なんかが絡んでくると、小学生低学年レベルだと、そこそこ聡明なお子様でないと判断に迷うことがあるし、逆に大人のおっさんだと思っていることを思わず口に出してしまうこともあって、 「えーと、タンクと地雷では…」 などと発言して駒の種類をバラして顰蹙を買ったりして、審判というのもなかなか辛い立場だったりしますからなぁ。

 要するにこのゲームは相手の駒を推測するところに面白さがあるんですね。で、軍人将棋のポイントゲッターはずばり、 “スパイ” にあるわけなんですが、 こいつは例えば駒の種類が全部で15種類があるとすれば、そのうちの14種類に惨敗、もしくは相打ちということになります。逆に “大将” はほぼ無敵と言ってもいい強さを誇るんですが、 “スパイ” にだけは負けちゃうんですよね。つまり、相手のこの駒はもしかしたら “大将” ではないか?…というアタリを付けたら、その首を取るために “スパイ” を送り込むという戦術が取られることになります。そういう役割を担うのはスパイよりもむしろ “刺客” のほうが相応しいのではないか?…という気もするんですが、とにもかくにも、軍人将棋と言えば “スパイ” だよね。…といった印象があるほど強烈な存在感のあるキャラであるには違いありません。で、今回、僕が不満に思ったのは、スパイの駒がカタカナで “スパイ” と書かれただけの物だったことなんですが、軍人将棋のスパイと言えば、やっぱ これ やろ?…と思うんですよね。 プラスチックの質感が安っぽいとか、印刷の文字がずれているとか、そういう点は百歩譲って大目に見ることが出来たとしても、これだけは絶対に妥協出来ません。スパイの駒を “目玉マーク” にすることを製造メーカーに強く求めていきたいと思いますが、ところで一口に軍人将棋と言っても、微妙なところで使う駒の種類が違っていたり、ローカル・ルールがあったりするもののようですね。例えばの話、僕が今回手に入れたのは、どうやら “子供軍人将棋” という駒の数を少なくした簡易バージョンのようなんですよね。自軍の駒が全部で15枚しかなくて、それが殊更、安っぽさを醸し出す要因にもなっていたんですが、正規の軍人将棋というのは31枚の駒を使ってプレイするものであるようです。800円もぼったくられたのに、騙された!…という思いで一杯でありますが、何だか悔しいので、通信販売でちゃんとしたヤツを買ってやるぅ!…と思って注文しておいたものがですね、昨日、手元に届きました。軍人将棋ではなく、 “大型行軍将棋” という名前なんですが、わりと最近になって作られたものらしく、パッケージは小綺麗なものとなっております。駒の素材は “子供軍人将棋” とまったく同じなんですが、工作精度は格段に改善されていてバリや変形もなく、文字だってちゃんと真ん中に位置しております。やれ出来るんぢゃん、パートのおばさん!…といったところなんですが、ただ、 “スパイ” は相変わらずただのカタカナ文字だけとなっておりまして、え?無視か?俺の言ったことは無視か?…と、製造メーカーを問いただしたい気持ちで一杯であります。でもまあ、ゲーム盤もただの紙切れからビニール素材に変更されていて、これなら破れや水濡れに対する耐久力も格段にアップしているに違いなく、これで720円というのはかなりお買い得だと思います。

大型行軍将棋@外箱♪ 大型行軍将棋@中身♪

 ところで、軍人将棋の対戦成績のほうはどうだったのかというとですね、 “子供軍人将棋” で小6の子供を相手に10戦して10敗といったところでしょうか?おそらく“子供軍人将棋” だけに子供に有利とか、何かそういったファクターが関係しているのではないかと思うんですが、それにしても子供相手に連戦連敗というのはちょっと癪ですよね。そこでまあ、いろいろと秘策を練っているところなんですが、とりあえずですね、相手に分からないようにこっそりと駒の裏に印を付けるというのはどうですかね? “スパイ” だったら例の目玉マーク、 “飛行機” だったら非行少年、 “タンク” だったら痰に苦しむおっさんのイラストとかを鉛筆で書いておけば、まるでユリゲラーの透視のように相手の駒の種類を見通すことが出来るに違いなく、戦いを進めていく上でかなり有利になると思うんですよね。対戦相手が保育園児くらいで、ちょっぴりトロい子だったりすれば、最初の3回くらいは通用するのではないか?…という気がするんですが、4回目にバレて、 「おにいちゃんがまたズルしたぁ!」 …と、お母さんに言い付けられるのがオチのような気もするんですけどね。となると、アレですかね。まったくおなじタイプの “子供軍人将棋” をあと14セット買って、相手に気づかれないようにこっそりと自分の駒をすべて “大将” にしちゃうというのがいいかも知れませんね。名付けて 「あんたが大将・クローン大作戦!!」 これぞ、軍人将棋史上、最強の布陣と呼べるのではないのでしょうか。 …と思ったら敵もさるもの、やはり相手も “子供軍人将棋” を14セット買い揃えて自分の駒をすべて “スパイ” にするという 「スパイ大作戦!!」 を打ってきたりして、軍人将棋というのもなかなか奥が深いものでありますなぁ。。。

 ということで今日はフレディ・ハバードなんですが、あ、そうそう。 “大型行軍将棋” の外箱にはですね、プレイ人数2〜3人用と書いてあるんですよね。2人でどうやって遊ぶのか不思議でならなかったんですが、もしかしたら自動判定装置付きだったりするとか?いや昔、そういうタイプの軍人将棋の駒があったらしいんですよね。が、さすがに720円でそこまで求めるのは無理な話でありまして、ではどうするのかというとですね、その仕組みはとっても簡単でありました。プレーヤーが自分たちで駒を表向きにして勝敗を判定して、負けたほうは盤面から取り除き、買ったほうはまた裏を向けて、その駒は見なかったことにしてプレイを続行するという。※このように、2人対戦ではお互いの敵陣を瞬間的に確認することが出来ますので、3人で遊ぶ時とは違った戦略が必要になり、あらためてお楽しみいただけます。…などと書いてあるのが何とも無理やりなような気がするんですが、何はともあれ今日は 『ヒア・トゥ・ステイ』 というアルバムを紹介したいと思うんですけどね。ウェイン・ショーターシダー・ウォルトンレジー・ワークマンフィリー・ジョーという強力な布陣ながら、録音当時は発売されずにオクラ入りになってしまった1枚なんですが、先日、駒ヶ根で買った “オクラスナック” というのはちょっと今ひとつでありました。志賀高原の熊の湯のホテルの売店で “オクラチョコ” というのを見つけ、買おうとおもったら店員が誰もいなかったので泣く泣く断念したんですが、その後、駒ヶ根のほうで “オクラスナック” というのを見つけたんですよね。ただオクラをそのまま素揚げにして、塩をまぶしただけではないか。…としか思えないような外観をしているんですが、実際のところまったくその通りの食べ物でありまして、本体部分の輪切りにすると微妙に星形になるあたりはパリパリと崩れる感じの食感が悪くなかったんですが、根元の茎の付け根の辺りがですね、非常に固いんですよね。歯が欠けるちゅうねん!…と思わずにはいられませんでしたが、本体部分のほうもパリパリしているくせに、後から口の中に微妙なネバネバ感が残ったりして、何とも表現し難い食べ物なのでありました。とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 まず最初はハバードのオリジナルで、 「フィリー・ミグノン」 という曲です。 “ミグノン” というのは何かと思ったらフランス語で “小さくて可愛い” という意味なんだそうで、正しくは “ミニョン” と発音するみたいですね。フィリー・ジョーに捧げたものらしい 「フィリー・ミニョン」 は “小さくて可愛いフィリー” ということになるんですが、そうですかね?とても可愛いと呼べるようなルックスではないような気がするですが、曲のほうもちっとも可愛いらしくはなくて、どちらかと言うとぶっきらぼうな感じがありますな。フィリーの叩くタイコのイントロで幕を開け、トランペットとテナーのユニゾンで短くてシンプルなテーマが演奏され、でもって、AABA形式の “Bの部” はハバードのアドリブで…といった構成になっております。でもって、ソロ先発もハバードなんですが、ここでの彼の歌いっぷりはですね、かなり出来がいいですね。フィリーの切れ味鋭いドラミングに鼓舞されて気持ち良くラッパを吹いている感じです。スタイル的にはモード奏法なんでしょうが、マラソンでいうピッチ走法にも通じる小気味よさがあって、この出会いはフィリーとハバードの双方にとって、かなりウホウホだったと言えるでしょう。で、続くショーターのソロは何ともミステリアスな切り口で迫ってくるんですが、その無理矢理感をソロ3番手のシダーがうまく中和してくれ、でもってセカンド・リフみたいな合奏パートがあって、最後はフィリーのドラム・ソロでありますか。なかなかよく練られた曲構成だと思いますが、とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。哀感が希薄な作風なので日本の叙情派にはややウケが悪いかも知れませんが、元気で、ヤル気で、ヤンキーなところは大いに評価していいと思います。

 とは言っても、哀感がないのはねぇ、あ、いかん。…と主張してやまない日本の叙情派にはですね、2曲目の 「ファーザー・アンド・サン」 を強くお薦めしますね。あのカル・マッセイが、やりまっせー。…という意気込みで作った、父と息子に捧げた作品でありまして、個人的には父と息子の組み合わせよりも、 「乳と息子」 のほうがいいのではないか?…という気がしないでもないんですが、ちなみに 「乳と息子」 というのはですね、松坂季実子が主演したすけべビデオのタイトルなんですが、で、曲のほうはというと、何ともゆったりしたテンポのエキゾチックな作品に仕上がっておりまして、これぞ中近東マイナーブルースの極みでありましょう。ハバードの吹く主旋律にカウンターで被さってくるショーターの副旋律が何とも怪しげでありまして、フィリーの叩き出す無国籍なリズムも実に効果的でありますな。 で、ソロ先発はハバードなんですが、曲の持つ雰囲気を損なわず、バックのリズムも途中からオーソドックスな4ビートに転じるのでさほどクドくもなく、功徳を感じさせる工藤静香…といった感じがして、悪くないですよね。少なくとも、顔から、声から、話し方から、何から何まですべての点においてクドさを感じさせる亀井静香よりはよっぽどマシだと思います。で、原曲のムードを壊さないという点ではショーターのソロも秀でたものがあるんですが、ここでのベスト・ソロは何と言ってもシダー・ウォルトンでありましょう。ソニー・クラークをモーダルにしたような後ろ指さされ組ライクな粘りのあるタッチが、何とも言えずにオクラスナックの食後感を彷彿させ、秀逸です。さっき、オクラスナックは今ひとつと言ってたじゃん。…とか、そういう細かい話は置いといて、地味フェチの僕としては断然、ハービーよりもシダーなんですよね。ま、ハービーの演奏を聴いている時には、やっぱりシダーよりもハービーのほうが華があるよね。…と思ったりもするんですが、そこはまあ、臨機応変ということで。 で、ピアノ・ソロが終わるとややアレンジを変えたテーマ部の再現があって、続いてアレンジが元に戻ったテーマ部の再々現があって、おしまい。いや、実によい出来ではありませんかー。

 3曲目はスタンダードです。バラードです。 「身も心も」 です。ショーターの吹くバラードが病的に好きな僕としては、テナーのイントロが始まった瞬間、背筋がゾクゾクしてしまうんですが、テーマ・メロディはハバードがワン・ホーンで吹いているんですな。ま、彼のリーダー作なんだし、ハバードの吹くバラードも嫌いではないので別にいいんですが、結局のところ、ショーターの出番が最後までなかったのはちょっと残念です。テーマに続いて登場するシダーのソロがとってもリリカルだよね。…といった点を除けば、全体的な展開としてやや平坦に流れる嫌いがないでもないんですが、戦争において兵站というのは非常に大切なものですからね。ま、これはこれでいいのではないでしょうか。…と、適当なコメントで軽く流しておいて、でもって4曲目は 「ノストランド・アンド・フルトン」 でありますか。ハバードのオリジナルなんですが、このアルバムの収録曲は故意なのか、偶然なのか、必然なのか、 「なんとか・アンド・かんとか」 というパターンの曲名が多いんですが、えーと、 “Nostrand” というのはですね、辞書にも載っていなかったので意味は不明です。何だかこう、予言が得意な広場みたいなもの?…という気がしないでもないんですが、ノストラダムスの大予言も大ハズレしたので、まったくもって信用ならないんですけどね、五島勉も。 で、一方の “Fulton” のほうはアレですよね。ズボンもパンツを穿かずに下半身を露出している状態のことですよね。…って、それはフルトンではなくて、フルチンでありますか。フルチンとフリチンとでは、どちらが正しいのか?…という問題はいまだに未解決のままなんですが、ここはジャズに関して語るサイトであります。先を急ぎましょう。

 この曲はですね、何とも調子がよくて、いいよね。…と僕としては思うんですが、モーダルでいて、それでいてハード・バピッシュな雰囲気もあって、でもってワルツ・タイムであるところが何とも言えずに3拍子でありますなぁ。病死したニワトリにはあまり近づかないほうが賢明なんですが、3拍子というのはいいですよね。顔よし、スタイルよし、性格よしの3拍子揃ったギャルというのは、とってもいいと思います。それはちょっと贅沢というもんや。どれか2つに絞りなはれ。…と神サマから注意されるようであれば、僕の場合なら顔と性格の2つに絞りますね。スタイルは、ま、ヒストグラムでボーダーラインからはみ出すような規格外でない限り、ちょっとした欠点なら大目に見てあげてもいいと思っております。で、演奏のほうはというと、これまた調子がよくて威勢のよい、伊勢エビ好きのギャルといった感じで実に出来がいいんですが、ソロ・オーダーはハバード→ショーター→シダーとなっておりますな。トランペットのソロの途中、出るタイミングを間違えたショーターがブッと音を出したりしておりますが、ま、些細なミスを犯してしまった佐々井クン。…というのはどこの会社でもよく耳にする話でありますので、大目に見ておいてあげましょう。その分、アドリブ・パートでは素晴らしいソロを聴かせてくれてますからね。いや、佐々井クンではなくて、ショーターのほうなんですけど。とまあそんなことで、ピアノのソロがあって、再びハバードのソロがあって大いに目立ちまくって、テーマに戻って、おしまい。

 5曲目は歌モノで、 「フル・ムーン・アンド・エンプティ・アームズ」 という曲でありますな。ちょっぴり変則的ではありますが、 「なんとか・アンド・かんとか」 というパターンはここでも有効でありまして、えーと、 「満月と空っぽの腕」 でありますか。ミディアム・ファストで演奏されるこの曲はちょっぴり 『ハブ・トーンズ』 収録の 「ユー・アー・マイ・エブリシング」 を彷彿させるものがあって悪くないんですが、これはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をモチーフにしたものなんすかね?僕はクラシック関係にはめっぽう弱いので、ラフマニノフと言われてもまったくピンと来ないんですが、裸婦とか、お麩なんかはけっこう好きだったりします。乾燥している時はパサパサした感じなのに、汁気を吸うとズルズルになるところがいいですよね、お麩。で、この演奏ではフィリー・ジョーのドラミングに注目!…でありまして、テーマ部での見事なブラッシュ・ワークと、ストップ・タイムの使い方が何とも効果的だと思います。で、ソロ先発のハバードは倍テンポを多様した華麗なフレーズを連発し、続くショーターも乗りのよい演奏を披露し、でもって、シダーの地味きらびやかなプレイも悪くないですね。アドリブ・パートから後テーマへの移行もスムーズで、出だしにくらべて全体の雰囲気が何だかウキウキした感じになっているところも、ズキズキしたり、ムキムキしてたりするよりも断然いいと思います。エンディングもばっちり決まって、解説はなんとも投げやりでありましたが、演奏自体は完璧でありますな。

 ということで、ラストですね。 「アサンタ」 は2曲目と同じく、トランペッターのカル・マッセイのオリジナルでありまして、レジー・ワークマンの怪しげなピチカートにフィリーのタイコが絡み、やがてそこにシダーのピアノが入ってくるという導入部のミステリアスな雰囲気が、とってもリアス式海岸でいいと思います。ハバードの吹く主旋律にショーターが絡むテーマ部も複雑なテクスチュアを呈していて、でもってこれは3拍子でありますな。裏本の善し悪しは裏表紙で分かる。…というのが僕の持論なんですが、着服状態のオモテ表紙では可愛く写っていても、中身を見ると酷いものがあったりしますからね。その点、裏表紙には数枚のカットが載っていることが多いので、より内容を正確に把握することが出来るわけでありますが、そんなことでまあ、この3拍子の曲はですね、テーマに続いての最初のソロはショーターとなっておりますな。これがですね、実にまあ何というか、素晴らしい出来だったりするんですが、深い精神性を感じさせるスピリチュアルな光ケ丘スペルマン病院とでも申しましょうか。この病院名を耳にしたおっさんの多くが、え?光ケ丘スペルマ病院?…と思ってしまったに違いないんですが、何だかこう、性技…ではなくて、正義の味方みたいな感じもありますよね。とまあそれはともかく、やはりこの手の曲をやらせた時のショーターはですね、凄いです。で、続くハバードのソロも傑出しておりまして、ちなみに僕は子供のころ、 “傑出” のことを “けつだし” と読むものだとばかり思っていたんですが、潮干狩りに行くとなかなか傑出したシーンに出くわしたりするんですけどね。で、ソロ3番手のシダーはかなり3拍子を強調した符割りで弾いておりまして、その突っ込みに当意即妙なアドリブで応えるフィリー・ジョーとの絡みがなかなかの聴き物だじょー。(←投げやり。) で、その後、ハバードが再登場してひとくさりラッパを吹いて雰囲気を盛り上げて、でもって、テーマに戻っておしまい。 とまあそんなことで、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 月並みで、人並みで、ウマ並みな言い回しでありますが、どうしてこれがオクラ入りに?…というのが不思議でならないほど、完成度の高い1枚です。当初は分かりやすい作風の 「父と息子」 がベストだよね。…とか思っていたんですが、聞き込むにつれて、B面の3曲の出来がいいな。…と思うようになってきました。それだけ僕もオトナになったということなんでしょうな。


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