約15時間というのが今回の所要時間だったんですが、いやあ、大雪でしたなぁ。地上に降るのが雨になるか雪になるかは上空5000mの大気の温度によって決まるんだそうですが、−36℃というのがひとつの目安なんだそうですね。つまりまあ、−36℃で雪になるかも知れないね。…ということなんですが、この数字はですね、 “北島三郎(36)、風雪流れ旅” と覚えておくといいと思います。先日、名古屋で58年ぶりの大雪が降った時の寒気(かんき)は−42℃だったそうで、これだけ寒いとかなりの寒気(さむけ)がしちゃうわけですが、うちらの地方では激しい寒気のことを “ぞぞ気” と言ったりします。ゾゾっとするような寒気…ということで、なかなかよく感じが出ていると思いますが、その日は名古屋と岐阜に降った大雪のおかげで、通常なら会社から家まで1時間ちょっとで帰れるところが3時間ほど掛かってしまって、かなりうんざりしちゃいました。 で、昨日 (2005年12月22日) はですね、上空に−40℃ほどの寒気が流れ込むということで、またしても大雪の予想が出されていたんですが、ま、−42℃という “死に寒気” に比べれば全然たいしたことはなくて、ま、そこそこだよね。…と思って、嘗めてかかっていたんですよね。ところが朝、大垣市内の現場にたどり着くのに4時間もかかってしまい、こりゃ、帰りが大変だと思って午後から半休を取って、1時半からの工程会議が終わり次第、ただちに帰ることにしたんですが、いや、途中の輪之内町あたりまでは極めて順調だったんですよね。最近、寒さのせいか小便が非常に近くなって、クルマを運転していてもすぐに便所に立ち寄りたくなっちゃうんですが、そんな僕が “お気に入り便所” に登録している輪之内町のテニスコート横の便所に立ち寄ったのが2時45分頃でありまして、この分なら多少渋滞していたとしても、5時前には余裕で家に到着出来るに違いありません。
家に帰るには長良川の堤防道路を走るのがいちばん早いんですが、この道は路面凍結時は極めてデンジャラスでありまして、朝も早速、スリップして半分下に落ちかけたトラックが約1台ほどおりました。ここは多少の混雑は承知の上で、国道258号線を走ったほうが無難だよね。…というのが聡明な僕の判断だったんですが、海津市の旧南濃町 を半分ほど過ぎたところでクルマの流れが、びたーっと止まってしまったんですよね。が、この時点ではまだ、僕は事態を楽観しておりました。米・麦・大豆・小豆などの粉を主材料とし、砂糖・水飴で練って、型に押し込んで乾かしたもの?…って、それは楽観やなくて、落雁やがな。…と、非常につまらないことを考えるだけの心の余裕があったんですが、何と言ってもまだ日没までには時間があるというのが安心ですよね。僕には鳥目の気があるので暗くなってくると途端に不安になってしまうんですが、いや、半休を取って早めに帰ることにして正解でありましたなぁ。 が、そうこうしているうちに周囲は次第に暗くなってきて気分も段々と落ち込んできて、それにもうひとつ少し気になることがあって、それは何かと言うと、ガソリンの残りが少ないやんけ!…ということなんですが、ガソリンの残量を気にしながら走ることほど精神衛生上よくないものはないですからね。いや、燃料計の目盛りで1/4弱はあったので、普通に走って帰る分にはまったく問題はないんですが、こうして1mも前に進まずにアイドリングしているだけでもガソリンというのはかなり消費するものらしいですからね。もし、ここでガス欠で立ち往生ということにでもなれば通行の障害になって大顰蹙を買うに違いなく、いや、こんなことなら1時間のアイドリングでどれくらいの燃料を消費するのか、きちんと調べておくべきでありましたなぁ。。。
ということで、ちょっと調べて見ました。いや、今ごろ調べても既に手遅れのような気もするんですが、またいつか同じような事態に陥るかも知れませんしね。で、結論から言ってしまうとですね、ガソリンエンジンの乗用車の場合、1時間のアイドリングで約0.8〜1.5リットルの燃料を消費するんだそうです。僕の社有車カローラフィルダーは燃費がいいほうだと思いますが、それでも1時間に牛乳ビン4本分ですか。残り約8リットルでぱかーっと点灯するらしい燃料残量警報灯はまだ大丈夫だったので、恐らく12リットルくらいは残っていたんでしょうが、とするとタイムリミットは約15時間といったところですか。今から思えばそれほど心配するような数字ではないんですが、何せ当時はこのデータを知りませんでしたからね。そうこうしているうちに見る見る燃料系のゲージが下がっていくような気がするし、ま、あれは見る角度によってかなりの違いが生じるものなので、下のほうから覗いている分にはまだ大丈夫そうなんですけどね。上のほうから覗いたりするのは心臓によくないので、ヤメておいたほうがいいと思います。 で、実を言うとこの時点で、僕はあまりガス欠に関しては心配しておりませんで、まだ 燃料残量警報灯は点灯していないし、それに動かなくなったところがちょうどガソリンスタンドの目の前でしたからね。ただ、反対車線側なので給油に入ったら2度と元の車線には戻って来れなくなるに違いなくて、ちなみに反対車線はスイスイと流れていたのでそちらを走ることは可能なんですが、そうするとどんどんと家から離れていってしまうことになるので、出来ればそういう事態は避けたいところでありまして。
そうこうしているうちに7時になってしまったんですが、頼みの綱のガソリンスタンドは早くも閉店となって、店のおじさんは後片付けをするとさっさと軽トラに乗り込んで、反対車線を北に向かって走り去ってしまったのでありました。駄目ぢゃん! 燃料系のゲージは下から覗き込んでもかなり “E” のほうまで下がって来ておりまして、こうなった以上は出来る限り燃料の節約に励まなければなりませんね。ラジオとかカーナビなどの電気製品はすべて電源を消して、ライトは車幅灯だけにして、エアコンもオフにしました。寒いけど、そんなことを言ってる場合ではないっ!…という緊急事態ですからね。幸い、社有車には防寒服が積んでありましたので、それで寒さをしのぐことにしたんですが、このような雪中での渋滞に巻き込まれた場合には一酸化炭素中毒にも気をつけなければなりません。マフラーが雪で埋まると行き場を無くした排気ガスが車内に逆流して、意図せずして排ガス自殺を果たす恐れがあるんですよね。そういえば何だかちょっぴり息苦しくなって来たような気がしたので、慌てて窓を開けたんですが、すると当然ながら車内の温度が下がって寒さを我慢出来なくなったのでエアコンのスイッチを入れて、するとガソリンがどんどんと少なくなっていくようで気が気でなくて、あまり心臓によくありません。 そういえば中越地震の時にはクルマで避難生活をしていた人がエコノミークラス症候群で死んじゃったという話もあって、となると、時々クルマの外に出て軽いストレッチ運動などもしなければなりません。で、外に出ると当然ながらカラダが冷えるので、車内に戻ってエアコンのスイッチを入れることになるんですが、するとガソリンがどんどんと少なくなっていくようで気が気でなくて、またしても心臓によくありません。ガス欠と一酸化炭素中毒とエコノミークラス症候群の3すくみ状態に脅え続ける約3時間でありましたが、9時頃になってようやく前のクルマが少しずつ進み出したのでありました。この先にはまだおじさんが軽トラで北に向かって走り去っていないガソリンスタンドだってあるかも知れないし、やれやれ、これでようやく一安心でありますなぁ。。。
が、今までずっと息を潜めていたのが、急に前に進んで刺激を与えたのがいけなかったんでしょうか。クルマを動かした瞬間に燃料残量警報灯が点灯しちゃったんですよね。駄目ぢゃん! で、ちょっと走れるようになったと思ったのもつかの間、すぐにまたぜんぜん前に進まなくなって、こうなったらもう、停止中はエンジンを停止して完全に息を潜めているしかありません。そうすればガソリンは1滴たりとも減らないし、一酸化炭素中毒の心配もありません。それまでブリザードのように吹き荒れていた雪がすっかりやんでしまったのがラッキーでありましたな。もし雪が降っていたらワイパー無しでは前方の視界を確保することが出来ず、どうしてもエンジンを掛けておかなければなりませんからね。ワイパーが動く度に余計なガソリンを消費しちゃうようで気が気でなくて、寿命が縮む思いだったに違いありません。 で、それからしばらく、数100m動いては、数10分の停止というパターンが続いたんですが、そうこうしているうちにガス欠意外の新たな問題が発生しました。尿意を催してきちゃったんですよね。便所が近くなって来ている昨今、よくぞこの寒さの中、今まで我慢したな。…という感じなんですが、ついに限界に達してしまいました。朝の渋滞時には路上で堂々と立ちションをしているおっさんがいましたが、僕にはそんな勇気はありません。とりあえずクルマの中にある容器に放出するしか手立てがないんですが、あ、ちょうどお茶の入っていた魔法瓶がありますなー。1.2リットルだから量的にもまったく問題がないし、中を洗いやすい広口タイプなので、注ぎ込みやすいに違いありません。が、今後の使用を考えるとなかなかそこまでは思い切れなくて、他に何かいいものはないかと思って探してみると、ナビスコ・チップスターの紙製筒状容器が目に入りました。形状的にはちょうど検尿用の紙コップを大きくしたような感じで、いいかも知れません。ただ、液体を注ぐ為に作られたものではないので底の方が漏れちゃう恐れもあるし、密閉出来ないので後の始末にも困りますよね。床に立てて置いたのがクルマを進めた瞬間にコケて、中身がこぼれちゃう恐れは多分にあります。
で、結局、無難なところで500ミリのペットボトルを使うことにしたんですが、ペットボトルというのはアレですな。尿瓶の変わりとして使うには、ちょっぴり口が小さ過ぎるのが難点でありますな。僕の “そのもの” は決して人に誇れるようなものではなくて、むしろ貧弱な部類なんですが、それでもさすがにペットボトルの口に挿入出来るようなものではありません。パンツの他に防寒用のステテコを履いていたせいもあって、クルマのシートに座った状態でのペットボトルへの注入作業は困難を極めました。下にはこぼれるし、手にはかかるし、パンツとステテコとズボンはびしょびしょになるしで、もう散々でありましたが、放出した瞬間、何だか越えてはいけない一線を越えてしまったような禁断の快感を覚えてしまったということを、ここに告白しておきます。いやあ、すーっとしました。 で、緊張が解きほぐされたのとほぼ時を同じくして、今まで止まっていたのは何やったんや?…と言いたくなるほどクルマは急に調子よく流れるようになって、どうやら海津市と桑名市の境界の短い橋のところで大型トラックが何台か立ち往生していたのが原因のようで、いや、一時はクルマの中で夜を明かすことを覚悟していたんですが、この調子なら何とか今日中には家にたどり着けそうですなぁ。 …と思ったら、またその先のところでピタっと前に進めなくなって、結果的にはこの場所でのロスがいちばん長かったんですけどね。 後から思えばトラックが1台、車線をふさぐように止まっていただけの話なんですけどね。凍結路で滑って立ち往生して捨て鉢な気分になっていたのか、あるいは途中で寝ちゃったのか、ハザードも付けずに止まっているので、その前の道路はとっくの昔にガラガラになっていたにも関わらず、後続車は誰も気づかずにその後ろでじっと何時間も待機していたという。親切な対向車の運転手が教えてくれたからよかったものの、そうでなければいつまでたっても家に帰れないところでありました。いやあ、渋滞の原因なんてのは実につまらないものだったりするんですなぁ。。。
そんなこんなで、ようやく家にたどり着いたのは朝の6時前で、約15時間というのが今回の所要時間でありました。いやあ、疲れました。。。 あ、2回目の大停滞の際に再び尿意を催したので前回の内容物をこっそりと道路に流して、再びペットボトルに放出しました。2回目ともなると抵抗感はまったくないし、それなりに熟練するものでありまして、ほとんどこぼすことなく注入することに成功しました。いやあ人間、やれば出来るものなんですなー。 放出している最中、容量オーバーで溢れちゃうんぢゃないか?…という不安に必ず襲われるんですが、量は二回とも 200cc強…といったところでしょうか?とりあえずオーバーフローの心配はんさそうです。で、ガソリンのほうはですね、倹約作戦が功を奏して何とか家まで持ち堪えました。こういう時、ガソリンの替わりに尿で走るクルマを開発すればガス欠の心配もないし、尿の始末も出来るしで、一石二鳥なんですけどね。やばいと思ったら給油口を開けて、そのまま中にしちゃえばいいわけですもんね。 とまあそんなことを、ペットボトルの温もりを手で感じつつ、ふと思ったら師走の一日なのでありました。おしまい。
ということで、今日はチェット・ベイカーです。今回は 『チェット・ベイカー・アンド・クルー』 というアルバムを紹介したいと思うんですが、これはアレですよね。“チェット・ベイカー及び乗組員” ですよね。で、ジャケットを見ると確かにチェット・ベイカーと乗組員がヨットに乗り組んでいるわけでありますが、乗組員の顔触れはというと、えーと、フィル・アーソー、ボビー・ティモンズ、ジミー・ボンド、ペーター・リットマンといったところですかね? ヨットなのに先生役の戸塚宏クンがいないのはちょっと心もとないんですが、ヨットのセイルに、あらよっと!…という感じで掴まってトランペットを吹いているチェット君が何とも言えずイカしてますよね。実にパシフィック・ジャズ盤らしい秀逸なデザインだと思いますが、ただジャケ絵のほうはですね、極めて不出来なものとなってしまいました。いや、今回はなかなか手ごわそうだと思って先行して絵を書いてみたんですが、乗組員一同、どうしようもないくらいに激しく似ておりません。ま、この顔のサイズで似せて書くというのは至難の業なので、反省もお詫びもしませんが、ただひとつ、左端の黒人 (←ジミー・ボンド?) の “金正男” 的な怪しさを表現出来なかったところはちょっぴり残念でありますなぁ。個人的にはけっこう好きなんですよね、正男クン。ちっとも正しそうな男ではないのに正男…というところが、実にウィットに富んでいて秀逸だと思います。とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。
まず最初は 「トゥ・ミッキーズ・メモリー」 という曲なんですが、 「ミッキーの記憶」 でありますかー。個人的にミッキーマウスというのはまったく好きなキャラではないので、ミッキーの記憶というのはまったく無かったりするんですが、それに比べてミキティというのは悪くないですよね。安藤美姫というのは、名古屋出身のフィギュアスケートの選手って、なーんかブサイクだよね。…という世間の常識を覆した画期的なキャラであるわけですが、ま、名古屋出身のフィギュアスケートの選手が不細工であるというイメージは、ひとえに伊藤みどり一人の責任だったような気もするんですけどね。長野オリンピックの開会式で彼女が小林幸子的な衣装を身に纏って登場した時は、心の底からトリ肌が立ちましたが、トリ肌と言えば来年はトリノ・オリンピックですなぁ。伊藤みどりが開会式に出てくるようなことはないと思うんですが、テレビの解説者として世間に顔をさらす公算は強くて、今からちょっぴり気分が憂鬱だったります。 とまあそれはそうと 「ミッキーの記憶」 というのは実によい出来でありますな。このアルバムではこの曲だけビル・ロウブロウ(?)とか言う人がゲスト参加していて、クロマティック・ティンパニなどというクロマティが鉄板になったような楽器を演奏しているんですが、これはアレですな。音を聞いている限りではコンガのようなものではないかと思われるんですけどね。イントロから激しいラテンのリズムが炸裂して、テナーとトランペットのユニゾンでハード・バピッシュなテーマが演奏されるという、そういうアレであります。いやあ、パシ・ジャズ盤にしては随分と東海岸的なサウンドでありますな。ソロ先発のフィル・アーソーは典型的な西海岸の白人テナーマンやな。…といった感じの吹きっぷりなんですが、続くチェットはですね、能天気なマイルスとでも言うべきスタイルの持ち主なんですよね。で、ここではクリフォード・ブラウンの影響も感じさせる歌心に溢れたソロを展開しておりまして、でもって続くボビー・ティモンズのピアノが絶品でありますな。かなりファンキー色を抑えたクールなタッチなんですが、そこはかとなく漂う黒っぽいフィーリングが、たまらなくカーリングって感じぃ? 昔、 『びっくり日本新記録』 でもやってましたけどね、カーリング。ただ遠くまで石を投げた人が勝ちという、もの凄く簡略化されたルールになっていましたけど。三浦康一クンは石を投げるのではなくて、自らが石になって氷の上を滑って行くという画期的なアイデアで競技に望んだんですが、記録のほうは今ひとつでありました。「石ころになりきれませんでした。」…という彼の敗戦の弁は今でも語り草となっておりますが、んなもん、ただのルール違反で失格やん!…と、クールな性格の子供だった僕は思っていましたけどね。で、続いてクロマティック・ティンパニのチャカポコ・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。いや、1曲目から実に出来のよい演奏で、このアルバムは大当たりでありましたなぁ。
…と思っていたら2曲目になってちょっぴり印象が変わってしまいました。 「スライトリー・アバーブ・モデラート」 って、何だかタイトルもややこしいですが、えーと、 「僅かに穏健派より上で」 といった意味でしょうかね? ま、確かに僅かに穏健派より上やな。…といった感じの曲なんですが、冒頭、無伴奏で2本の管楽器が絡むアレンジなど、いかにもウエストコースト的な香りがします。こういうのって、ちょっぴり苦手なんだよね。…と、うちの会社の事務所の中ではまだ若手に分類される僕は思ってしまうんですが、ま、そのうちにリズムが入ってきて少しはマシになるんですけど。で、ソロ先発はフィル・アーソーですな。何とも穏健でソフトな吹きっぷりなんですが、えーと、書きたいことはそんだけ。以下、チェット、ティモンズと続いて、ジミー・ボンドの地味なピチカート・ソロがあって、テナーとドラムス、トランペットとドラムスとの絡みがあって、テーマに戻って、おしまい。何だかどうも今ひとつ盛り上がらない曲解説になってしまいましたが、えーと、次は3曲目でありますな。フィル・アーソーのオリジナルで、 「ハレマ」 という曲です。タイトルは恐らく 「晴れ間」 のことだと思うんですが、個人的にはどちらかというと、晴れ間よりもネギマのほうが好きなんですけどね。ちなみにネギマというとネギとネギとの間に鶏肉とか豚肉を挟んで串刺しにして焼いた食べ物を連想する人が多いと思いますが、本来はネギとマグロなんだそうですね。すなわち、ネギの間だから “ネギ間” なのではなくて、ネギマグロを略して “ネギマ” になったと。なるほど、ネギマというのはどう考えても鶏肉や豚肉のほうがメインなのに、どうして脇役のネギの名前が前面に出て来てくるのだ?…と、ずっと疑問に思っていたんですが、そういうことだったんですな。だからネギとネギとの間に鶏肉とか豚肉を挟んで串刺しにして焼いた食べ物のことは、正しくはネギトとかネギブと言わなければならんのですが、そんな名前ではちっとも美味しそうな感じがしないので、今まで通りのネギマでいいとは思うんですけどね。 で、一方 「ハレマ」 のほうはと言うと、これがなかなかよく出来た曲でありまして、ゆったりしたテンポと西海岸的なアレンジはやや地味なんですが、メロディ自体は歌物ライクに小綺麗だったりします。テーマに続いてアーソーがとってもウォームなソロを披露するんですが、それに続くティモンズのソロもビューティフルでありますなぁ。とってもビューティがフルで、美しいと思います。で、続いてはチェットのソロか?…と思っているとすぐにテーマに戻って演奏は終わってしまうんですが、ま、たまにはそういうことがあってもいいかも知れません。いずれにせよ、雪空の中の晴間のような、心温まる “おまる” のような1曲なのでありました。あ、そう言えばまたいつ大渋滞に巻き込まれるか分からないので、クルマの中にひとつポータブルの “おまる” を乗せておいたほうがいいかも知れませんなー。
で、続いてはジェリー・マリガンのオリジナルで、 「レヴェレーション」 という曲でありますか。暴露、すっぱぬき、新発見、初体験、啓示、黙示、お告げ…と、様々な意味があるようですが、西海岸的バップとでも言いたくなるようなシンプルな作品でありまして、フィル・アーソーの教科書的とも言える分かりやすいフレージングに、思わず笑みがこぼれる渡部絵美って感じぃ?野村沙知代にブタ呼ばわりされておりましたが、太ってもアンタよりはマシやろ?…と、誰もが思ってましたけどね。しかし、フィギュアスケートの選手というのは現役を引退すると太りやすくなっちゃうんですかね?伊藤みどりもかなりヤバい領域に足を踏み入れようとしているみたいですが、個人的には村主章枝がけっこう好きだったりするんですけどね。どう考えても “むらぬし・あきえ” としか読めないんですが、 “すぐり” という名字がちょっぴり “ふぐり” に似ているところがとってもいいと思います。ふぐり踏みえ…って、何だかとっても痛そうですけどね。 で、アーソー君に続いてチェットとティモンズとジミーdボンドのソロがあって、ts→ds→tp→dsと来て、テーマに戻って、おしまい。 次。アル・コーンの 「サムシング・フォー・リザ」 ですか。ハード・バピッシュな佳曲だよね。…といった感じの作品でありまして、麻生君、チェット君のソロの後はts→ds→tp→dsの8バースでありますか。ややワンパターン化してきたような気がしないでもないんですが、ま、かなり盛り上がっているようなので別にいいんですけどね。ということで、テーマに戻って、おしまい。
6曲目はフィル・アーソーのオリジナルで、 「ルシアス・ルー」 という曲ですな。何だかこう、グルーヴィな感じのするアンチョビー。 …といった作品でありまして、ゆったりとしたテンポが何とも言えずにまったりしていて、商売あがったりでありますな。ソフトなアーソー、歌心のチェット、クール・ファンキーなティモンズ、地味なジミー・ボンドと、各自の持ち味が十二分に発揮されたソロ回しがあって、で、最後はペーター・リットマンのドラムス・ソロでありますか。全般的に何だかちょっぴり盛り上がらない嫌いはあるんですが、ま、これはこれでいいんぢゃないですかね。 ということで、次です。 「ウォーリン・ザ・ライフ・アウト・オブ・ミー」 は歌モノのバラードなんでしょうか。しみじみとした短いちょっとした小さな小品であります。そんだけ。 で、最後はですね、 「ミディアム・ロック」 という名前の曲なんですが、ちっともロック調ではない何だか今ひとつ盛り上がらない地味なタイプの演奏となっております。特別に書くような特筆すべき点は、特にありません。とまあそんなことで、2005年の “jazz giant” はこれにておしまい。
【総合評価】
いやあ、1曲目は素晴らしかったですなぁ。が、結局のところ、これ1曲だけでしたなぁ。…という気がしないでもないんですが、ま、5曲目の 「サムシング・フォー・リザ」 あたりはまずまず悪くなかったんですけどね。ま、全体としては、そこそこではないですかね?