FOR MUSICIANS ONLY (VERVE)

DIZZY GILLESPIE (1956/10/16)

FOR MUSICIANS ONLY


【パーソネル】

DIZZY GILLESPIE (tp) SONNY STITT (as) STAN GETZ (ts)
HERB ELLIS (g) JOHN LEWIS (p) RAY BROWN (b) STAN LEVEY (ds) 

【収録曲】

BE-BOP / DARK EYES / WEE / LOVER COME BACK TO ME

【解説】

 “餅は餅屋” という諺がありますよね。似たような意味を持つものに “蛇の道は蛇” というのもありますが、どうしてこれ、 “じゃの道はへび” なんですかね? “へびの道はへび” では駄目なのか?…と、いつも不思議でならんのですが、ま、 “じゃの道はじゃ” じゃ、何のことだかよく分からないので、この 読み方はヤメておいたほうがいいと思うんですけどね。 じゃ、どうして “蛇の道” を “じゃの道” と読むのか?そういう読み方は邪道ではないのか?…と思って調べてみたところ、 “蛇の道” のほうの蛇は大きな蛇のことなんだそうです。いわゆる大蛇というヤツですよね。大蛇は “おおへび” と読めなくもないんですが、普通は “だいじゃ” と言うので、蛇の道は “じゃの道” じゃ。…ということになります。 一方、後ろのほうの蛇はですね、小さな蛇、いわゆる小蛇 というヤツなんだそうです。小蛇は “こじゃ” ではなくて、こへびや〜ん♪ (←葛城ユキ「ボヘミアン」の節で。) …ということで、こちらは “へび” 。よって、 “じゃの道はへび” 。 いや、理路整然とした解説でしたね。文句の付けようがありません。

 ちっぽけなヘビでも、仲間である大蛇の通り道は知っている。蛇の道は蛇よのぉ。…というのがこの諺の意味でありますが、いや、意外と深いですよね。それに対して “餅は餅屋” のほうは単純明快です。やっぱり餅は餅屋だよね。そんだけ。国道21号線を走っていると、大垣のあたりに “トンカツ屋さんのハンバーグ” という看板を掲げたお店があるんですが、それ、ちゃうやろ?…という気がするんですよね。ハンバーグはハンバーグ屋やろ? で、トンカツ屋はトンカツだけ作っとればエエやん。…と、僕は思います。 根はトンカツ屋なんだけど、どうしてもハンバーグも作りたい。…と言うのなら、トンカツ屋の看板を下ろして洋食屋とか、トンカツとハンバーグの店とかにすればいいわけだし、 “トンカツ屋さんのハンバーグ” では作るときに思わず油で揚げてしまって、ハンバーグがメンチカツになりやしないか、ちょっと心配だったりします。

 カツはカツ屋。…と、民主党の岡田克也クン (←選挙惨敗で代表辞任) も言っておりましたが、メンチカツというのは美味しいですよね。ミンチカツというのも美味しいです。そもそもメンチカツとミンチカツというのは、どこがどう違うのか?…というと、同じではないかと僕は思うんですが、主に西日本ではミンチカツが使われ、東日本ではメンチカツが使われているという説もあるようです。じゃ、中間の中部地方では “ミ” と “メ” の間を取って、ムンチカツなのか?…というと、そんなことはなくて、どちらかというとメンチ優勢か?…と、これはあくまでも個人的な見解なんですけどね。 で、話を餅と餅屋に戻しますが、餅というのはアレですよね。モチモチしてます。どうして餅がモチモチしているのかというと、 “もち米” を使っているからではないか?…と思うんですが、じゃ、餅米の替わりに “うるち米” を使って餅を作るとウルチウルチした餅になるのかというと、そうではなくて、ただ単にモチモチしない餅になっちゃいます。モチモチしない餅というのは年寄りが喉に詰まらせくいという点では秀逸ですが、餅の持ち味が十分に発揮されているとは言えません。 が、世の中にはモチモチしないことをウリにした餅というのも売りに出されていて、たとえば “たがね餅” なんていうのがそれなんですが、これはもち米にうるち米を混ぜて餅にしたもので、モチモチした餅の中に生煮えのゴハンが混ざっているような独特の食感が楽しいのぉ♪…といった食べ物でございます。

 で、この “たがね餅” 、通称 “たがね” というのはウチの近所ではごく普通に売られていて、世の中には “たがね” と “そうでない餅”の、2つの種類があるんだね。…と、信じて疑わないままこの歳になってしまったんですが、先ほど “たがね餅” でサイト検索してみて、そのあまりのヒット数の少なさに愕然としてしまいました。もしかして “たがね” って、むっちゃローカルなん?…という衝撃の新事実を初めて知らされたんですが、三重県とか愛知県とか、何故だか地理的に離れた茨城県の一部くらいでしか食べられていないようなんですよね、たがね。 名古屋のあたりでは、「やっぱ、餅と言えば “たがね” だがね。」…と珍重されているというのに、いや、名古屋の餅事情についてはまだ詳しく調べてないので、あまり “たがね” は食べてないのかも知れませんが、日本の “たがね文化” に関しては一度詳しく調べてみる必要がありそうですね。ま、そんなものを調べてみたところで、あまり多くの物は得られないような気もするので、今回は詳しく調べずに話を先に進めたいと思いますが、先日、僕の手元にユースホステル協会から情報誌が届いておりました。以前は地味な新聞タイプのものだったのが、どこからか裏金でも入ったのか、最近はちょっと小マシなカラー版のものになったんですが、そこに “お伊勢参り、餅街道をゆく” という記事が載っていて、いや、切り餅の話ではなくて、中にアンコの入った和菓子系の餅の話なんですが、超メジャーな伊勢の “赤福” と並んで、桑名の “安永餅” も取り上げられておりましたのでちょっぴり嬉しくなってしまいました。ま、四日市の “なが餅” まで紹介されていたのは、ちょっと気に食わんのですが、安永餅となが餅、どちらが本家なのか?…というのは桑名市民と四日市市民の間で常にバトルになる重大な問題ですからね。

 なが餅安永餅 。どちらも長い餅です。安永餅はもう1件、 柏屋 というところでも作っているんですが、どちらの安永餅が美味しいか?…という話は今回は抜きにします。あくまでも “なが餅” との対決に論点を絞りましょう。 安永餅というのは安永という由緒正しい地名にちなんだネーミングなんだけど、四日市のほうはただ長いから “なが餅” って。発想があまりにも安直過ぎるやん!…と僕は思うんですが、ただ長いから “なが餅” ではなくて、日永という由緒正しい地名にちなんだネーミングであるという説もあって、そういうことであれば、えーと、そのぉ。。。 でも、安永餅は寛永11年の創業だから、歴史の重みが違うんだよね。…と思ったら、なが餅のほうは天文19年の創業だそうで、いや、そんな年号で言われてもどちらが古いのかよくわからんのですが、えーと、寛永11年が西暦1634年で、天文19年は1550年ですか。安永餅は84年もの大差を付けられての惨敗でありますが、でもまあ世の中、古ければいいというわけでもありませんよね。例えば中古車なんかは基本的に年式の新しいものほど高い値段が付けられるものであるので、84年も新しい安永餅のほうが価値があると言ってもいのではなかろうかと。 そもそも餅菓子なんてものはネーミングがどうとか、歴史がこうとかといった問題ではなく、人気があるかどうかがポイントだと思うんですが、人気調査では このような結果 が出ているようです。このアンケートはまだ生きているようで、今後の経緯によってどう変動するかはまだ不透明な部分があるんですが、2005年9月12日11時39分10秒現在では安永餅(桑名・永餅屋老舗)が11票、なが餅が1票となっていて、これはもう自民党以上の圧勝と言ってもいいでしょう。いや、最初に下のほうから順番に見ていったら “安永餅” というのが “なが餅” と同じ1票となっていて、しかもなが餅のほうが上に書いてあったので、何だか悔しくて自分で安永餅に投票して得票数を倍増させたんですが、そんなズルも必要ないほど “安永餅(桑名・永餅屋老舗)” が上位にランクインしておりました。ま、1位が “八丁味噌せんべい” なんて結果では、今ひとつ信憑性のないアンケートのような気もするんですが、なが餅のほうも “ちんすこう” や “カントリーマーム” と同じ1票を獲得しておりますので、さほど悲観する必要はないと思いますけどね。

 で、続いては安永餅VS赤福。 これはちょっと手ごわいです。知名度、歴史、人気、どれをとっても安永餅に勝ち目はなさそうなんですが、ちなみに赤福の創業は宝永4年(西暦1707年)なんだそうで、意外にも安永餅より73年も歴史の浅いものだったんですな。名産品というのは何よりその歴史が大切でありまして、創業年が古ければ古いほどその価値が高いことは言うまでもありません。でも、中古車なんかは年式が新しければ新しいほど高く売れるしぃ。…などと反論する人もいるかも知れませんが、そんなのは論理のすり替え以外の何物でもありません。だいたい、餅菓子とクルマを一緒にすること自体、ナンセンスですよね。 で、一方、赤福という名前でありますが、その昔、京都からきたお茶の師匠があんころ餅を食べて大いに喜んで、 “赤心慶福(せきしんけいふく)” という言葉を与えたと。赤心 (まごころ) を持てば、他人の幸せを喜ぶことが出来る。…という意味らしいんですが、あんころ餅屋の店主はこれを大いに気に入って、その餅を“赤福” と名付けたと。そういう経緯(いきさつ)であるようですが、いや、何だかちょっとカッコ付けすぎですよね。他人の幸せほど妬ましくてムカつくものは無いというのに、赤心慶福。アホ言うな!…と、僕は思います。でまた、それを餅の名前にするというのも何だか説教じみていて不愉快な話ですよね。 「他人の不幸は蜜の味」 が座右の銘である僕としては、到底受け入れられるものではありません。安永で作った餅だから、安永餅っ! 餅菓子の名前なんてのは、発想が安直過ぎるくらいシンプルなもののほうがいいですよね。赤福、もはや敵ではありません。

 だいたい赤福というヤツはですね、中の餅と外側のアンコとが互いに打ち解けていませんよね。そもそも餅が中でアンコが外側という発想自体が間違っていると思うんですが、おかげで箱の中に詰められている段階ではアンコが連続化して、どこからどこまでがひとつの赤福なんだか分からなくなっております。それをいちいち付属のヘラで切り分けなければならないのが面倒だし、切ったら切ったでアンコと餅とが分離してしまって、せっかく綺麗にアンコの上に付けられた三本の筋 (←五十鈴川の清らかな流れを表現) も、皿の上に盛り付けた頃にはすっかりグチャグチャになってしまいます。どうせグチャグチャになるんなら、最初から筋なんか付けるなって!…と思わずにはいられませんが、血液型がA型で根が潔癖な僕は筋の通らない話は大嫌いですからね。 とまあ、それはそうと “御福餅” 。東海道新幹線の車内販売で売りに来るのはどうして “赤福餅” ではなくて “御福餅” なんや?…と、ずっと不思議に思っていたんですが、御福餅というのは別にJR東海のオリジナル商品というわけではなく、二見町でそういう餅を作っているお店がちゃんとあるんだそうですね。ちっとも知りませんでした。部外者の僕からすると、どう考えても御福餅のほうが赤福餅のパチモンやろ?…という気がするんですが、伊勢市民と二見町民の間では、どちらが本家なのかでバトルが起きているそうです。御福餅のほうは食べたことがないんですが、パッケージも中身も赤福餅にそっくりのようで、アンコの上に筋が付いているところまで同じなんだそうで。ただしこちらは五十鈴川の流れではなく、二見浦に打ち寄せる波を表しているので、赤福餅よりも幾分ワイルドみたいなんですけどね。

 で、JR東海がどうしてマイナーな御福餅のほうを販売しているのか今ひとつよく分からんのですが、あるいは赤福餅は近鉄が力を入れて売りに出しているので、それに対抗したのかも知れません。 が、新幹線の車内で御福餅を買っている人は今まで一度も見たことがないので、その戦略は失敗なんじゃないですかね? 目を覚ませ、JR東海!これからは安永餅の時代や!…と、この場をお借りして安永餅販売促進キャンペーンを大々的に展開したいと思いますが、来年の今頃、あなたはきっと東海道新幹線の車内で、「桑名名物、安永餅はいかがっすかぁ?」…という売り子の声を聞くことになるでしょう。 ただ安永餅にしろ、なが餅にしろ、お土産としてはやや不向きな点もありまして、それは何かというと、長持ちしないところなんですけどね。なが餅だけど、長持ちしません。安永餅など製造日から2日目にはもう硬くなってしまうんですが、ま、そういう場合は軽く焼くなり、油で揚げるなりすればいいんですけどね。ただ、ご近所に配ったりすると、奥様たちの間で、「彼のアレ、すぐに硬くなってしまうんです。」…などと、非常に誤解を招きやすい噂が広がる恐れがあるので注意が必要なんですが、とまあそんなことで、僕の餅に関する持ちネタは、そんだけ。

 さ、今週からトランペット編です。手初めは ディジー・ガレスピー でありますが、この人に関してはですね、あまり書くことがありません。知名度の割に日本では不人気ですからねー。あのヤギ髭がいかん。…というのが不人気の一因なんですが、先日、蓼科にある牧場に行ったらですね、ヒツジと書かれたエリアの中に、どう見てもヤギやろ!…としか思えない動物がウロウロしておりました。でもまあ、ヤギも漢字では山羊と書くくらいだからヒツジの仲間に違いないので、別にいいんですけどね。ちなみにヒツジとヤギの違いはですね、ヒツジの角が右巻きなのに対して、ヤギは左巻き、で、雄にヤギ髭があるのがヤギで、ないのがヒツジなんだそうです。もし、管工事施工管理技士の正誤問題で、 「雄にヤギ髭があるのがヤギで、ヒツジ髭があるのがヒツジである。」 …という文章があったらそれは誤りなので、注意しなければなりません。 で、そんな不人気のガレスピーではありますが、ちゃんとアルバムを残していて、それがCDにもなっていて、僕も何枚か持っていたりするんですが、そんな中から今日は 『フォー・ミュージシャンズ・オンリー』 というのを紹介してみたいと思います。ガレスピーのリーダー作というわけではなく、ジャケットに顔が出ているソニー・スティットスタン・ゲッツを含めた3人が中心となったジャム・セッション物なんですが、それにしてもジャケ絵を書くのが面倒なのを作ってくれたものでありますな。3人も出てくるなって!…と思わずにはいられませんが、ま、それぞれ対等な立場であるというのがタテマエなので、ガレスピーの顔だけ出すというわけにもいかなかったんでしょうけどね。それならそうで3人に覆面をかぶせるとか、一人は目出し帽で、もうひとりはパンストにするとか、何とでも方法はあったと思いますが、それはそうとこのガレスピー、けっこう普通ですよね。アゴ髭は生やしてないし、トレードマークの45度上向きのトランペットも使っていないし、それはそうとスティットの顔はこざっぱりしていてイイですよね。で、ゲッツは頭からポマードの匂いが漂ってきそうなんですが、そんなことでまあ、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 1曲目は 「ビ・バップ」 です。ガレスピーのオリジナルなんですが、これほどまでシンプルに演奏スタイルをそのまま付けた曲名も珍しいですよね。例えて言うなら 「演歌」 という名前の演歌みたいなものなんですが、あのアイ・アイ・アイ・ライク・演歌♪…という歌でさえ、タイトルは 「炎」 でしたからね。もはや、ディジー・ガレスピーは冠二郎を越えたと言っていいかも知れませんが、この曲はアレですよね。作曲者本人のものより、ブルーノート盤 『ソニー・クラーク・トリオ』 の演奏が世間ではよく知られているのではなかろうかと。僕の持ってるBN盤ソニ・クラ・トリオのCDは、いきなり 「ビ・バップ」 が別テイクを含めて2回連続で登場する構成になっていて、お陰で僕のこの曲に対するイメージはかなり悪くなってしまったんですが、ガレスピー版のほうはフロントに大者・中者が3人も顔を揃えてるだけあって、かなり迫力のある演奏に仕上がっております。根がジャム・セッションだけにテーマ部はヘッド・アレンジが施されているだけなんですが、どうしてイチゴはジャムなのに、オレンジはマーマレードになっちゃうんですかね?…と、ふと疑問に思って調べてみたところ、ジャムのうち、果物の皮が入っているものをマーマレードと呼ぶ。…という位置付けなんですな。調べてみたらあまり大した話ではなかったんですが、そういえば以前にも同じことを調べてみて、やっぱりあまり大した話ではなかったな。…という感想に至ったことがあったような気がします。 で、テーマ部が3管のアンサンブルでさらっと演奏された後、スティットのアルト・ソロになるんですが、ちなみにこのアルバムでの彼はアルト1本に専念していて、テナーは吹いておりません。パーカーの存命中は比較されるのが嫌でアルトを封印していたと言われておりますが、えーと、この演奏は1956年10月の演奏でありますか。大丈夫です。パーカーは1年半ほど前に既にお亡くなりになっております。その為か、ここでのスティットは随分とふっ切れた吹きっぷりでありまして、もともとが能天気で頭より先に指のほうが動くタイプなんですが、そのケレン味のないプレイはいっそ清々しいばかり。途中、 「朝日のように爽やかに」 のフレーズの断片のきれっぱしのようなものも出てきて、リラックスしていて、それでいて熱いという、素晴らしいプレイでありますな。

 で、続いてはガレスピーのソロなんですが、ミュート・プレイでありながら、それでいて熱いという、まずまずのプレイでありますな。で、3番目に出てくるゲッツもダンディ坂野くらいの切れ味はあると思います。…って、それでは全然大したことがないような気もするんですが、そもそも僕はこのCDをスティット目当てで買ったので、他の2人に関する解説はどうしても適当になってしまうわけでありまして。 で、ゲッツのソロの後、再びスティットが登場してドラムスとの掛け合いを繰り広げるんですが、最初のソロにも増してスピード感とドライブ感が半端ではなく、もうエクストレイルで高速道路の長い上り坂を走ってる感じぃ?…って、僕の非力エクストレイルはまったくパワーがなくて、ハイウェイをドライブしていても上りで軽トラに抜かれちゃうくらいスピード感がないんですけどね。ターボ付きでも選ばない限り、走り屋には不向きでありますが、ボディ自体も意外とヤワなところがあるので、当り屋にも向きません。長尺物はまずまず積みやすいので、さおだけ屋にはいいかも知れませんが、ま、商売出来るほどたくさん積めるわけではないので、やっぱりそれも駄目なような気はしますけど。 で、続いてガレスピーとドラムスとの掛け合いがあって、あ、今度はオープン・トランペットですかね? やはり前半のソロよりも活気が感じられる気がして、で、続くゲッツとドラムスとの掛け合いもまあまあだと思うんですが、ちなみにタイコを叩いているのはスタン・リーヴィでありますか。やや地味なキャラでありますが、キャラブキの佃煮くらいの派手さは出されていると思います。ということで、テーマに戻って、おしまい。

 で、2曲目はロシア民謡の 「ダーク・アイズ」 でありますか。手品師業界屈指のダークなキャラ、ダーク広和もこの曲が好きだといっていましたが、ロシア民謡というのは心の琴線に触れる金銭感覚があって、いいよね。…と、フンセン首相も褒めておりました。カンボジアでも人気があるんですな。 で、この日本名 「黒い瞳」 という曲をガレスピーはミュート・トランペットとギターのデュオでやっているんですが、しみじみとした哀感が、あ、いかん。思わず涙がこぼれちゃう。…といった感じで、とってもいいと思います。ちなみにギター担当はハーブ・エリスでありますか。僕はジャズ・ギターというのがあまり好きではなく、好んで聴くのはウエスとグラント・グリーンとキダ・タローくらいなんですが…、とか言ってるうちにアルトとテナーとベースが入って来て、そのうちドラムスも入って、すっかりアップ・テンポのナンバーに転じてしまいました。いや、ジャム系のセッションにしてはなかなか凝ったアレンジでありますな。バルブコッタと同じくらい凝った感じがするんですが、あ、バルブコッタというのはエンジンの部品なんですけどね。1個100円くらいのチンケな部品で、あまり凝った感じはしないんですが、それはそうとソロ1番手はゲッツですかい。まあまあ熱くて、そこそこ楽しめる演奏であると思いますが、どうも僕は白人系蔑視の超保守的な傾向があって、何だか素直に称賛することが出来ない硝酸カリウム。…というところがあるので、先に進みます。次、スティットのソロですね。スピード感とドライブ感があって、いいと思います。僕はこの人のことが結構好きなんですが、書くことはほとんどありませんでした。 で、続くガレスピーのソロではバックのリズムも何だかラテン調になったりして、ロシア民謡がこんなことでいいのか?…という気がしないでもないんですが、ま、ロシアにもラテン系が好きなラテンケイスキーという名前の人がいるに違いないので、ま、別にいいとして。とにかくまあ、この人の演奏は派手で華やかで、ちっともダークな感じがしないところが持ち味でもあり、短所でもあり。 で、続いてジョン・ルイスの意外と黒っぽい名古屋市東区黒門町のようなピアノ・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。

 3曲目は 「ウィー」 です。何だかよっぱらったようなタイトルですよね。うぃー、酔っ払っちまったぁ。…と、よく酔っ払いのおじさんが言っておりますが、まだ、「うぃー。」と言ってるうちは放置しておいても大丈夫で、そのうち目がすわって無口になったり、顔面が蒼白になったり、ぶっ倒れてピクピクと痙攣を始めたりするようになると、ちょっとピンチです。下手に関わりあいになると面倒なので、素早くその場から立ち去りましょう。そういえば管工事施工管理技士の受験準備講習会で名古屋に行った時、朝っぱらから栄の雑踏のど真ん中にぶっ倒れている若いニーチャンがいて、関わりあいになるのが面倒なのでそのまま放置してしまったんですが、もしかして、死んでましたかね? ま、おそらく泥酔して道路の真ん中で寝込んじゃったものだと思うんですが、真冬なら間違いなく凍死でありますな。凍死を防ぐには闘志が必要なんですが、酔っ払っちゃうと闘う意欲が薄れちゃいますからね。 とまあそれはともかく、この 「ウィー」 は大変にスピーディなナンバーでありまして、近鉄の難波行きノンストップ特急くらいスピード感があるんですが、えーと、テーマに続いてはスタン・ゲッツのソロでありますか。この人は野球で1アウト・ランナー12塁みたいなチャンスで登場すると、必ずセカンドゴロとかを打ってゲッツーになっちゃう気がするんですが、ここでのプレイはあまりにも当りがボテボテ過ぎて、一塁はセーフになったような感じでしょうか。最低限の仕事はしたな。…といった感じなんですが、続くガレスピーが巧みなバット・コントロールでライト前に落として、1点が入ったから万々歳なんですけどね。 で、次打者のスティットが初球を叩いてレフト・オーバーのホームラン!…というのでは、あまりにも贔屓が甚だしいので、ここはいい当りのレフト・ライナーでチェンジ。…ということにしておいて、さ、次の曲です。このアルバムは1曲あたりの演奏が長いので全部で4曲しか入ってなくて非常にラクなんですが、CDにおまけで入っている 「黒い瞳」 の別テイクは最初から無かったことにして。

 で、4曲目は 「ラバー・カムバック・トゥ・ミー」 ですか。 「恋人よ我に帰れ」 という邦題、もしくは 「ラバ・カン」 の略称で日本のファンに親しまれているスタンダードでありますが、ミュージシャンの間では、もっぱらコード進行がおもろいということで愛奏されているようです。 で、このガレスピー版はミュート・トランペットとピアノの絡みでバラード風に調理された導入部の趣向は2曲目と同様。で、途中からリズムが入って来てアップ・テンポに転じるところも同じなんですが、AABA形式の “B” のところはゲッツのアドリブになっていて、僕の好きなサビのメロディが出てこないのがちょっと残念なところ。で、最後の “A” の部分は再びガレスピーの吹くスローなテーマ・メロディに戻るんですが、その直後にスティットのアルトが炸裂するという、そういう趣旨のアレンジが施されております。いやあ、それにしてもここでのスティットはいいですなぁ。僕はイヌイット (←カナダの先住民族) というのが割と好きなんですが、スティットもやっぱりいいと思いますね。で、続くガレスピーはとってもハイノート・ ヒッターでありまして、その落ち着きの無さが日本では嫌われる一因なんですが、高音部を派手派手に聞かせるより、フリューゲルホーンで渋く中低音を吹いてたほうが喜ばれるお国柄ですからなぁ。この人のスタイルはややお呼びでない気がするんですが、ソロ3番手のゲッツの吹きっぷりは、まあまあといった感じでしょうか。 で、その後、スティットが再び登場して、が、ここでの吹きっぷりはさほどでもないな。…と思っていると、ぐっとテンポを落としたガレスピー主導のテーマ部に戻って、最後は何だかデキシー風の合奏パートがあって、おしまい。

【総合評価】

 ジャム好きにはいいかも?…という気がします。そんだけ。


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