PASSING SHIPS (BLUE NOTE)

ANDREW HILL (1969/11/7,14)

PASSING SHIPS


【パーソネル】

WOODY SHAW (tp) DIZZY REECE (tp) JULIAN PRIESTER (tb)
JOE FARRELL (ss,ts,a-fl,b-cl,english horn) ANDREW HILL (p)
RON CARTER (b) LENNY WHITE (ds)
BOB NORTHERN (french horn) HOWARD JOHNSON (tuba,b-cl)

【収録曲】

SIDEWAYS / PASSING SHIPS / PLANTATION BAG
NOON TIDE / THE BROWN QUEEN / CASCADE / YESTERDAY'S TOMORROW

【解説】

 9月ですなぁ。9月と言えば “敬老の日” です。敬老の日といえば9月15日だよね。…と思っていたんですが、いつの間にやら9月の第3月曜日ということになったんですね。ちっとも知りませんでした。ちっとも知らなかったので、去年の9月15日は思わず会社を休んじゃうところでしたが、制度自体は2003年から変更になっていたんですね。が、その年はたまたま9月の第3月曜日が15日だったので誰もそうとは気付かなかったんですが、今年はたまたま秋分の日が金曜日になったので、2週連続の三連休♪…という、かなり美味しい状況となっております。 が、ハッピーマンデー制度というのも良し悪しだよね。…という気がしないでもなくて、3連休があまり多いと有難味がなくなっちゃうし、飛び石連休だったり、水曜日が祝日で “休休出出休出出休休” だったりするのも何だかお得感があって、けっこう好きだったんですけどねー。ま、祝日が土曜日と重なる最悪の事態が少なくなるのは嬉しいんですが、そういう場合は月曜日も休みにする。…みたいな取り決めにして、やっぱり敬老の日は9月15日ということにしたほうが心が落ち着くような気もするんですが、果たしてどんなもんですかね?

 そもそも敬老の日というのはそんな簡単に日付を変更してもいいような、あやふやな日だったのか?…というと、元々かなりいい加減なものだったみたいですけどね。事の発端は兵庫県の片田舎の一人の村長の単なる思い付きだったようで、 「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」 と、1947年から、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を 「としよりの日」 と定め、敬老会を開いた。 (←某サイトから無断で勝手に引用) …というところに起源があるようです。 “としよりの日” 。いい名前ですね。老人を年寄り扱いするとは何事ぢゃ!…と文句を言う年寄りもいるかも知れませんが、もともと “年寄り” というのは深い尊敬の念のこもった由緒正しい尊称ですからね。いや、よく分からんのですが何となくそんな気がします。相撲の世界で “年寄株” と言えば若貴兄弟の確執の一因になるくらい大切なものみたいだし、江戸幕府でも “若年寄” というのは非常に重要な役職で、そんじょそこらの若僧ではとても勤まりません。そんなことでまあ、年寄り呼ばわりされた老人はそのことを大いに誇っていいと思うんですが、頑固な年寄りはそれでは納得せず、1951年頃から全国的に広がりをみせるようになった “としよりの日” は、1964年になって “老人の日” という名前に改称されております。 ところが今度は、年寄りの老人扱いするとは何事ぢゃ!…と文句を言い出す年寄りが出てきて、1966年には “敬老の日” という名前になって、これではさすがに文句の付けようがないので、名称問題はこれで解決したことになります。

 で、2003年から敬老の日が9月の第3月曜日ということになって、じゃ、9月15日は偶然に敬老の日と重ならない限りは別になんでもないフツーの日ということになって、老人を敬う必要もなければ、場合によっては老人を虐待したりしてもいいのか?…というと、そういうわけにもいきません。2001年の老人福祉法の改正により、9月15日が “老人の日” と定められたんだそうで、つまり約2年ほどの間、9月15日は “敬老の日” でもあり、 “老人の日” でもあったわけなんですね。なんだかややこしい話です。このあたりの経緯は書いてあるサイトによって微妙にニュアンスが違うし、制定年も1年くらいの誤差があったりするんですが、ま、老人や年寄りのする話というのは平気で誤差が±20年くらいはあったりするので、細かいことはあまり気にしないことにして。 で、元祖 “としよりの日” がどうして9月15日に決まったのかというと、9月は農閑期で気候もいいし、15日というのは何となく区切りがいいしぃ。…という、ただそれだけの理由だったので、別にハッピーマンデーで前後に1週間ほどずれてみたところで、別にどうってことありませんよね。今年のように敬老の日が9月19日になったところで、やっぱり農閑期だし、気候もいいままだと思います。 ただ “何となく区切りがいい問題” に関しては、19日などという半端な日を敬老の日にするとは、けしからんっ!…と、血液型がA型で根が神経質な老人に文句を言われる恐れがありますが、ま、そんなワガママな年寄りの戯言は無視するとして。 で、年寄りと言えばアレですよね。冷や水です。 “年寄りと冷や水” というのは “カニと氷水” “ウナギと梅干” と並んで昔から食べ合わせとして有名ですよね。 が、この食べ合わせと言うのが実はただの迷信に過ぎないことを僕は子供の頃から知っておりまして、どうしてそんなことを知っていたのかというと、 『毎日こども生活事典』 にそう書いてあったからなんですけどね。

 小学生の頃、 『けっこう仮面』 と並ぶ僕の愛読書だったこの分厚い本には、子供のお小遣いの平均値からユースホステルの利用方法、あるいは好きな女の子ができた時の対処法から、てんかんの発作を起こした場合の処置に至るまで、こどもの毎日の生活に関わるあらゆるジャンルについて適切なアドバイスを与えてくれたものでありますが、その中に “食べ合わせ” に関する記載もあったんですよね。確か、 “食べ合わせは迷信か?” という見出しが付けられていたのではなかったかと記憶しておりますが、毎日こども生活事典先生いわく、 “ウナギと梅干” はまったく根拠なし。カニは消化が悪いので一緒に氷水を飲めば下痢をするのは当然。…とか、そういう話ではなかったかと思います。 当時の僕はカニもウナギも梅干も全然好きではなかったので、ま、迷信だろうとそうでなかろうと、どうせ食べないからどうでもいいやぁ。…と思いつつその記事を読んでおりました。氷水というのはよく飲んでいたんですが、別にカニと一緒に摂取しなくても、氷水単品で十分に腹が冷えて下痢になりましたので、ま、そういうものなんだろうな。…と思っておりました。 で、毎日こども生活事典先生…というのは長くて言いにくくて面倒なので、以下、毎こど生事先生と略すことにしますが、その毎こど生事先生に 「まったく根拠なし。」 と切り捨てられてしまった“ウナギと梅干”という食べ合わせは、まったく根拠がないにも関わらず、どうしてこれほどまで広く人々の間で知られることになったんでしょうか? その謎に迫るべく調査を進めてみたところ、ある一人の人物が浮かび上がってきたのでありました。

 貝原益軒という名前はどこかで一度は目にしたことがあると思います。その名前を知らなくても 『養生訓』 という書物のことはどこか記憶の片隅にあると思うし、ま、もっと分かりやすく言えば、 “接して漏らさず” の人…なんですけどね。 “接して漏らさず” というのはどういうことなのかと言うと、もしこれを読んでいる読者の中に健全な青少年がいたりすると困るので、少し婉曲な表現に留めておきたいと思いますが、つまりまあ、エッチしても中出しはするなということですよね。…って、いや、ちっとも婉曲な表現ではなかったような気もするんですが、しかしアレですね。よく考えてみると、カイバラ先生が言っているのは、必ずしもそういうことではないですよね。中出しだけでなく、外に出すのも、ゴムの中に出すのも駄目で、でもまあ、ちょっとくらいならいいよね?…と思ったらそれも駄目で、とにかくまあ、漏らすな!…というのだから、何とも殺生な話ですよね。でもまあ、この話は今回の食べ合わせとはあまり関係がないし、健全な青少年が余計な妄想に走ったりしても困るので話を元に戻しますが、 “ウナギと梅干” 。 この食べ合わせはですね、貝原益軒の 『養生訓』 に登場するんだそうですね。いわく、 「ウナギと梅干で死に至る。」 …と。 何だか単なる思い付きだけで、いろいろと余計なことを言ってくれるよな、益軒クンも。…と思わずにはいられませんが、ただ一説によると 『養生訓』 にはどこにもそんなことは書いてなくて、益軒クンが 「ウナギと銀杏を一緒に食ってはいかん。」 と言ったのが、後年誤って伝えられたという説もあるようです。ウナギと銀杏。この2つの取り合わせが何となくヤバそうなのは納得がいきますよね。 そんなアッチ方面に効果がありそうなものばかりを口にすればソッチのほうが大変なことになって、ちょっと接しただけですぐに漏れてしまうぢゃないか!…ということになって、益軒センセイはそこのところを心配されたのでありましょう。ま、それがどうして途中から梅干になったのかはよく分からんのですが、ちなみに “カニと氷水” のほうも出所は養生訓なんだそうで。

 他にはですね、 “スイカと天ぷら” とか “キノコとほうれんそう” なんてのもあるそうです。スイカと天ぷらのほうはカニと氷水と同様、 “消化が悪い+腹が冷える=下痢” の法則で片付けられると思いますが、キノコとほうれんそうって、アンタ…。これが駄目ならキノコとほうれんそうのパスタとか、キノコとほうれんそうのカレーとか、キノコとほうれんそうのソテーとかの立場はどうなる?…といった感じですよね。その他、益軒クンが駄目だと言っている食べ合わせには “鯉と味噌” というのがありますが、これが駄目なら鯉こくの立場はどうなる? “牛乳と酢のもの” なんてのもありますが、これが駄目なら、牛乳に酢を入れて飲むとヨーグルト風味♪…という話を真に受けて試してしまった僕の立場はどうなる? ちなみに “牛乳+酢” の結果はというと、これのどこがヨーグルトやねん?ただの酢を入れた牛乳やんけ!…と言いたくなるような味ではありましたが、胃腸の弱い僕にしては珍しく下痢になるようなことはなかったということをご報告しておきます。

 で、養生訓には食べ合わせ以外にも様々な食に関する教訓が書かれております。夏月、暑中にふたをして、久しくありて、熱気に蒸欝し、気味悪しくなりたる物、食ふべからず。 いや、ごもっともです。夏のクソ暑い時に蓋をしたまま久しく放置して熱気で蒸欝しちゃったようなものは多分、腐ってますからね。そんな気味の悪い食べ物は、言われなくても食いたくありませんな。 梨は大寒なり。蒸煮て食すれば、性やはらぐ。 梨が体を冷やすという話は聞いたことがありますが、かといって、梨を蒸煮で食うというのもあまり気が進みませんけどね。 豆腐には毒あり。気をふさぐ。されども新しきをにて、にえばなを失はざる時、早く取あげ、生だいこんのおろしたるを加へ食すれば害なし。 豆腐は煮え端を食え。…という話も耳にしたことがありますが、これも出所は養生訓でありましたか。しかし、豆腐に毒があるとは知りませんでしたな。ま、大根おろしと一緒に食べれば大丈夫みたいなんですけど。 中華、朝鮮の人は、脾胃つよし。飯多く食し、六蓄の肉を多く食つても害なし。日本の人は是にことなり、多く穀肉を食すれば、やぶられやすし。 確かにそうですなぁ。僕は日本の人なので六蓄の肉をちょっと食べ過ぎると、すぐに下痢しちゃうんですよね。どうしてすぐに下痢になるのか?…と思ったら、日本の人だからやぶられていたんですね。よく分かりました。 冷水などは願に任せがたし。しかれども病人のきはめてねがふ物を、のんどにのみ入ずして、口舌に味ははしめて其願を達するも、志を養ふ養生の一術也。およそ飲食を味はひてしるは舌なり。 なるほど、冷水は口の中に入れても、飲み込むなという事ですな。味を感じるのは舌であるので、わざわざ飲み込む必要はないという考えのようです。 “接して漏らさず” に通じるものがある、独特の益軒哲学を見る思いであります。

 すべての人、 (略) ねばき物、ふるくして気味の変じたる物、臭悪き物、色悪き物、味変じたる物 (略) 食ふべからず。諸鳥みづから死して足伸ざる物、諸獣毒箭にあたりたる物、諸鳥毒をくらつて死したる物 (略) 並塩につけたる肉、夏をへて臭味あしき、皆食ふべからず。 いや、世の中に食べてはいけないものというのはたくさんあるものなんですな。ま、この中に積極的に食べてみたいようなものはただのひとつもないので、別にいいんですけどね。鳥みづから死して足伸ざる物も駄目みたいなので、鳥インフルエンザに罹って死んじゃった鳥は焼き鳥なんかにせず、焼却処分するのが正解かも知れませんね。 で、問題のアッチ方面に関しては益軒センセイは厳しく禁欲を説いておりまして、年若き時より、男女の慾ふかくして、精気を多くへらしたる人は、生れ付さかんなれ共、下部の元気すくなくなり、五臓の根本よはくして、必短命なり。 ガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル

 房室の戒多し。殊に天変の時をおそれいましむべし。日蝕、月蝕、雷電、大風、大雨、大暑、大寒、地震、此時房事をいましむべし。 日蝕の時とかは昼間っから暗くていいかも?…という気がしないでもないんですが、やはり地震の時には房事をいましむべきかも知れません。 春月、雷初て声を発する時、夫婦の事をいむ。又、土地につきては、凡神明の前をおそるべし。日・月・星の下、神祠の前、わが父祖の神主の前、聖賢の像の前、是皆おそるべし。 ま、確かにそういうところで夫婦の事に勤しんだりすると、罰が当たるような気がしますよね。でも、日・月・星の下が駄目で、日蝕も月蝕も駄目だとなれば、一体いつやればええねん!?…と思わずにはいられませんが、あ、これは時間のことではなくて、場所の話なんですな。ま、要するに外でやるな!…と言うことなんですね。はい、よくわかりました。

 年四十に至らば、房中の術を行ふべしとて、その説、すこぶるつまびらかなり。その大意は、四十以後、血気やうやく衰ふる故、精気をもらさずして、只しばしば交接すべし。かくのごとくすれば、元気へらず、血気めぐりて、補益となるといへる意なり。 (略) 四十以上の人、血気いまだ大に衰へずして、槁木死灰の如くならず、情慾、忍びがたし。然るに、精気をしばしばもらせば、大に元気をついやす故、老年の人に宜しからず。 なるほど、 “接して漏らさず” というのはあくまでも年四十に至ってからの話だったんですな。四十を過ぎているのに始終漏らしてばかりいると、そのうち空っぽになってしまうと益軒センセイは警告しているわけです。そういうことは “老年の人” には宜しくないと。40歳を老人呼ばわりするとは、何事や!…と文句を言う人もいるかも知れませんが、人生50年と言われた時代の40歳ですからね。ま、十分に年寄りであると言っても問題ないかと思われますが、ちなみに益軒クンは養生訓の “老を養ふ” というところで、こんなことも言っております。 老の人は、脾胃よはし。夏月は、尤慎んで保養すべし。暑熱によつて、生冷の物をくらへば泄瀉(せつしゃ)しやすし。瘧痢(ぎゃくり)もおそるべし。一たび病すれば、大いにやぶれて元気へる。残暑の時、殊におそるべし。 敬老の日。秋とは言え、まだまだ残暑が厳しい頃です。年寄りや老人にはせめてこの日くらい、ウナギとか、カニとか、天ぷらとか、梅干しとか、銀杏とか、氷水とか、スイカとか、キノコとか、ほうれんそうとか、牛乳に酢を垂らしてヨーグルト風味にしたやつだとか、とにかく栄養があって暑気払いによさそうなものをたくさん飲み食いしてもらって、いつまでも元気で長生きして貰おうではありませんかー。

 ということで、今日の話はおしまい。

 ということで、今日はアンドリュー・ヒルです。 ヒルと言えば、ヒルジンですよね。…って、アンドリュー・ヒルが出てくる度にこの話をしているような気がするんですが、蛭が分泌する化学物質だからヒルジンというのは、どう考えても発想が安直すぎますよね。そんな安易なネーミングが許されてもいいと言うのなら、ヤシキタカという名前の鷹が分泌する化学物質は “やしきたかじん” という名前にするぞ!…とか思ってしまうんですが、そんなことでまあ、今日は 『パッシング・シップス』 というアルバムを紹介したいと思います。ずーっと未発表のまま埋もれていた、いわゆる “オクラ入り” の1枚なんですが、そういえば最近、Mr.オクレ入りのよしもと新喜劇というのもたまに見られるようになってきましたね。この頃、脚本のマンネリ化が顕著になってきた吉本新喜劇でありますが、数ヶ月前にやっていた “サバ男” というのはオクレ入りではなかったものの、ちょっと斬新なネタだったと思います。 とまあそれはそうとヒル君の 『パッシング・シップス』 でありますが、オクラ入りしてたのが信じられないような豪華メンバーですよね。ウディ・ショウジュリアン・プリースタージョー・ファレルと、何だか微妙に超ビックではない渋系中堅先鋭の3人をフロントに据え、枯れ木も山の賑わいの “枯れ木部隊” としてディジー・リーズボブ・ノーザーンハワード・ジョンソンなんて人たちまで顔を揃えております。リーダーのヒル君以下、リズム・セクションの3人を含めると、総勢9名。これだけ人数がいれば野球のチームを作れますよね。それどころか、野球拳だって出来ちゃいます。いや、野球拳は2人もいれば出来るんですが、ま、このメンバーではあまり一緒にやりたいとは思わんのですけどね。とまあそんなことで、では1曲目から聴いてまいりましょう。

 1曲目の 「サイドウェイズ」 はですね、何だか騒々しいナンバーです。ま、そりゃ、9人も寄ってたかって音を出せば、それなりに騒がしくなるのもやむを得ないんですが、テーマ自体はAA形式のシンプルなものであります。アレンジとかはあまり深く考えてなくて、ただ闇雲に吹いてるだけやな。…といった気がしないでもないんですが、この無秩序さも恐らく、すべてヒル君の計算内でありましょう。混沌としたカオスの世界は大分特産の柑橘類を彷彿させますが、いや、それはカオスではなくてカボスなんですけどね。カボスとスダチではどちらが好きかと言うと、僕はどちらかというとオカピ (←哺乳類キリン科) のほうが好きなんですが、で、テーマに続いてはジョー・ファレルのテナー・ソロでありますか。いいですよね、ジョー・ファレ。コルトレーンの流れを汲むハードなブローが、とってもハード・ブローだねっ♪…という感じがして、僕は好きです。で、かなりバラバラな感じのアンサンブル・パートを挟んでヒルのピアノ・ソロになるんですが、途中、茶々を入れるフロント陣がやかまし過ぎて、あまりヒルのプレイに集中することが出来ません。ほとんど嫌がらせに近いアレンジなんですが、ま、ヒル本人が考えたことだと思うので、自業自得なんですけどね。で、ソロ3番手はウディ・ショウっすね。いかにもショウらしい醤油味の吹きっぷりが和風好きの僕のハートを捕らえ…とか言ってるうちにテーマ部に戻って演奏が終わってしまって、演奏時間が4分06秒と短いところがちょっと物足りない気がします。

 で、2曲目はアルバム・タイトル曲の 「パッシング・シップス」 ですか。結論を言ってしまうと、この曲が本作のハイライトということになろうかと思うんですが、いや、いいですね、これ。…と、イーデス・ハンソンも大いに褒めておりました。特にテーマで聴かれるフルートの音色が、何とも言えずクールで絶妙ですな。…などと思っていたんですが、ふと原文ライナーに目を通してみて、自分の間違いに気が付きました。このトーン、イングリッシュ・ホルンだったんですかー。言われてみれば、確かにフルートとは全然違いますよね。いや、フレンチ・ホルンの音色とか、破廉恥学園のキャストとかは知っていたんですが、イングリッシュ・ホルンという楽器に関してはまったく念頭にありませんでした。何だかこう、オーボエを彷彿させるものがありますよね。 で、ジョー・ファレの吹くテーマ・メロディを低音管楽器がフォローするアレンジもなかなか渋く決まっていて、全体的に格調の高い白鳥の直腸。…といった感じの仕上がりとなっております。ゆったりしたテンポのモーダルなテーマは、いかにも新主流派風でありまして、レニー・ホワイトの叩き出すやや単調なリズムも、ま、これはこれでこういうものなんでしょうね。 で、テーマが終わると、まずはジュリアン・プリースターのトロンボーン・ソロでありますか。ずっとイングリッシュ・ホルンの高い音で来て、一転、低音のボントロが出てくるところが何ともスリリングで、素敵っ♪ ジュリ・プリ君も細かい譜割りで、地味ながらも派手さのないフレーズを展開していて、何ともいい雰囲気です。続くウディ・ショーの “泣きのペット”が深く僕の魂を揺さぶり、ソロ3番手のジョー・ファレルはテーマ部のイングリホルンからテナーに持ち替えて、何ともスピリチュアルなブローで僕のタマキンを激しく揺さぶります。…って、ちょっぴり表現がお下品でしたね。僕のふぐりを激しく揺さぶると言い換えておきますが、いや、ふぐりの言うのは何ともキュートな言葉ですよね。先日ダウンロードした “すけべ動画” は、のっけからギャルがすけべ言葉を連発するという内容だったんですが、大きな声で 「き○たま、き○たま、き○たま、き○たま。」…と連呼されて、ちょっぴり気持ちが萎えてしまいました。やっぱりギャルが口にするなら、 “ふぐり” とか “ふぐりん” とか、そういった可愛い表現のほうがいいですよね。

 …という話はどうでもよくて、続くヒルのピアノ・ソロは、バックのリズムをまったく無視するかのような独特のノリがいかにもこの人らしくて、いいですよね。ソロの冒頭、バックに低音楽器のアンサンブルが被さって来たりするところも地味渋くて、いい味を出していると思います。ということで、テーマに戻って、最後は低音楽器のアンサンブルをバックにしたヒルのピアノがフェードアウトしていって、おしまい。いや、いい演奏でした。 で、3曲目は 「プランテーション・バッグ」 という曲です。プランテーションというのはアレだよね。アメリカで小麦とかを栽培する農業だよね。…というようなことを中学の地理の時間で習ったような気がするんですが、あまり詳しいことは覚えていません。地理で習ったことと言えば、南米のチリというのは細長い国だよね。…ということくらいしか記憶にありませんからね。あとはまあ、チリも積もれば山となるとか、そういう諺もありましたが、海老チリというのはけっこう美味しいですよね。個人的にはフグを使った “てっちり” よりも好きだったりします。 で、この曲はジャズ・ロック調のリズムを持った、ヒルにしては幾分はっちゃけた感じの曲なんですが、何だかよくわからないメロディなので、あまりテーマ部には深入りしないことにして。 で、ソロ先発はジョー・ファレルだじょー。リズムが8ビート風だからなのかも知れませんが、何となくジャズ・ロックを吹くウェイン・ショーターを彷彿させるところがあって、なかなかカッコいいです。ソロに時たま絡む管楽器軍団のアンサンブルも気分の盛り上げに大いに寄与していて、何だかすごく自然な感じでウディ・ショウのソロへとつながっていくところも絶妙ですね。トランペット・ソロのバックで奏でられるアンサンブルも、とっても平田耕一ですなぁ。…って、いや、これを書いている最中に、自民党の平田耕一クンの選挙カーが “最後のお願い” にやって来て、非常にやかましいんですが、どうせ民主党の岡田かつや君に負けるに決まっているのに、ご苦労様なことですよね。ま、どうせ比例区で復活するに違いないので、別にどうでもいいんですけどね。ちなみに僕の会社がある岐阜1区は野田聖子と佐藤ゆかりのギャル系バトルで大いに盛り上がっております。ちなみに僕個人としては、松田聖子があまり好きではなかったので “ゆかりタン派” …なのかと言うと、坂角の “ゆかり” という海老せんべいもあまり好きではないので、別にどっちでもいいかなと。どうせ、岐阜には選挙権ありませんしね。ま、ゆかりタンは小選挙区で落ちても比例で復活確実なので、聖子タンに頑張ってほしいような気がしないでもありません。 で、ヒル君のソロがあって、テーマに戻って、おしまい。

 で、4曲目の 「ヌーン・タイド」 はアレです。ボビー・ハッチャーソンの初リーダー作 『ダイアローグ』 の冒頭を飾った 「カッタ」 という曲に非常によく似たナンバーです。…と思っていたら、原文ライナーにもまったく同じようなことが書いてあったので、何だか嬉しくなっちゃいました。僕の耳って、凄く確かだよね。…と思わずにはいられませんが、ま、聴けば誰でもすぐに分かることなんですけどね。 で、この演奏ではテーマ部のアルト・フルートがなかなかいい味を出していて、なかなかいいのではないかと思います。いや、ジョー・ファレル、なかなかのマルチ・インストゥルメンタル・プレイヤーぶりでありますな。もっとも、アドリブ・パートではテナーサックス一本槍なんですけどね。 で、この曲ではファレルの前にジュリ・プリが出て来てボントロ・ソロを聴かせるんですが、ソロの後半に被さってくる管楽器アンサンブルのフレーズが全体の雰囲気とまったくマッチしてなくて、違和感アリアリですね。でもまあ何とかそのまま強引に押し切っていて、この辺りはかなりの力業です。 で、ソロ2番手のファレルは相変わらずのパワー全開で派手派手に飛ばしまくっております。これだけ力を入れて吹きまくったにも関わらず、アルバムがオクラ入りとは肩透かしもいいところでしょうが、ま、努力がちっとも報われないのが人生ですからね。(←達観。) で、その後、ウディ・ショウ、アンドリュー・ヒルとソロが続いて、バックのアンサンブルもこの頃になるとちょっとは落ち着いた大人の風合いが感じられるようになって来ております。 ただ、相変わらず唯我独尊なヒルのタイム感覚には何ともいえないバックとのズレが生じておりますが、ま、これはもう、こういうものだと思って諦めるしかありませんよね。 で、その後でミュート・トランペットが登場してくるんですが、これはウディ・ショウなんすかね? この作品にはもうひとり、ディジー・リースも参加しているんですが、気になって最初から聞き直してみたところ、途中のオープン・トランペットも最後のミュートも、どちらもウディ・ショウのような気がして、結局のところどうなのかはよく分かりませんでした。原文ライナーも見ると、ファレルの後がディジ・リーで、ラストがウディ・ショか?…という気がしないでもないんですが、やっぱりよく分かりません。よく分からないので次の曲にいきましょう。

 5曲目、 「ザ・ブラウン・クイーン」 。ゆったりとメロディがたゆたうようなナンバーです。管楽器がハモるテーマ部に続いてはヒルりんのソロでありますか。ヒルという名前は今ひとつ印象がよくないので、語尾に “りん” を付けてみたんですが、ゆうこりんほど、可愛いイメージにはなりませんでしたね。むしろ、蛭タンのほうがよかったかな?…という気がしますが、ここでの蛭タンは蛭りんにしては流麗なほうの蛭ぴょんではなかろうかと。いや、やっぱり蛭タンがいちばんピンと来ますよね。この人のスタイルは同世代のハービー・ハンコックと比べると、どうも今ひとつ地味で、キレがなくて、綺麗でもなくて、切れ痔でもなくて、一般ウケしないよね。…てなことを言われるんでしょうが、果たしてそうでしょうか? 僕が思うにはですね、やっぱりそうだと思いますね。何だか華がないし、華麗でもないし、加齢臭がするし、いや、それほど老人だったり年寄りだったりすることはないと思うんですが、僕はそんな日陰のヒルくんのことがですね、ま、そこそこは好きです。やっぱ、ハービーのほうがいいよな。…という気はするんですが、疎んじて嫌われて血を吸われたりしても嫌なので、ヒルくんともそこそこお付き合いを続けていこうと思っております。 で、演奏のほうはというと、ピアノに続くソロ2番手が…、えーと、いつまで待っても登場しませんな。どうやらこの曲ではアドリブはヒル・オンリー、管楽器のみんなは時たま出てくるアンサンブル・パートで陰ながら応援という方策のようで…とか言ってるうちにウディ・ショウが出て来てソロを吹き始めました。どうやらこの曲ではアドリブはヒル・オンリー、管楽器のみんなは時たま出てくるアンサンブル・パートで陰ながら応援という方策ではなかったようなんですが、その後、ファレルも出て来てテナー・ソロをぶっ放してくれますしね。 ということで、テーマに戻って、おしまい。

 6曲目は 「カスケイド」 という曲です。タイトルは “滝” という意味ですかね? 石松鍋を作って入る会社ではないですよね? あれは “かし久” だから、ぜんぜん違いますもんね。 で、これ、ヒルとしてはよくあるタイプの曲というか、とにかく曲解説も、重厚アンサンブルの似たような感じの曲ばかを聴くのも、そろそろ疲れがたまって来たんですが、ファレル君がとっても頑張っているよね。…という、そういう1曲だと思います。 で、あと1曲あるんですかぁ。。。ジャズのアルバムというのは全6曲というのが一番収まりがいいような気がするのに、何も頑張って7曲もオリジナルを作らなくていいのにぃ。…という気がしないでもありません。アンドリュー・ヒルという人はまったく売れてないにも関わらず、けっこう多作家でありまして、オクラ入りのものを含めてリーダー作の数は決して少なくありません。で、そのすべてを自己のオリジナル曲で固めているのだから、その創造力には素直に脱帽するしかありませんよね。ま、ありがた迷惑という感じがないでもないんですが、7曲目は 「イエスタデイズ・トゥモロウ」 でありますか。昨日の明日…ということは、今日ですよね。だったら普通に 「トゥデイ」 でいいぢゃん。…という気もするんですが、とにかくまあ、ゆったりしたテンポのたゆたうようなメロディの曲です。演奏のほうはヒルのピアノが中心で、管楽器軍団はもっぱら盛り上げ役…ということで、今度こそは合っているようです。さしものファレルやウディ・ショウのソロもそろそろ飽きてきたので、これはこれで賢明な選択ではなかろうかと。ま、ヒルのソロもそれほど面白いわけではないんですけどね。 ということで、おしまい。

【総合評価】

 4曲目くらいまではとにかくパワーに圧倒されて、それなりに感銘を受けたり、感動したり、缶詰が食べたくなったりするんですが、5曲目あたりから次第に重荷を感じるところが無きにしもあらず。とにかくまあ、妥協を許さない原理主義ジャズですからね。でもまあ、大編成が幸いしてか、ヒルのアルバムの中ではまだ聴き易い部類ではなかろうかと。しんどかったらとりあえず、2曲目のタイトル曲だけでも聴いてやって下さい。 ファレルやウディ・ショウ好きの人ならそれなりに楽しめる1枚だとは思いますけどね。


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