THE HANK JONES QUARTET − QUINTET (SAVOY)

HANK JONES (1955/11/1)

THE HANK JONES QUARTET - QUINTET


【パーソネル】

DONALD BYRD (tp) HANK JONES (p) EDDIE JONES (b) KENNY CLARKE (ds)
MATTY DICE (tp) <#2,3>

【収録曲】

ALMOST LIKE BEING IN LOVE / AN EVENING AT PAPA JOE'S
AN' THEN SOME / SUMMER'S GONE / DON'T BLAME ME

【解説】

 電池を見ていて、ふと疑問を感じました。単1、単2、単3、単4の “” って、いったい何なんですかね?…というのがその疑問なんですが、ちなみに僕は子供の頃、乾電池のコレクターをやっていたことがあります。切手集め、ベリカードの収集、スーパーカー消しゴムのコンプリート・コレクション…と、子供に限らず男というのはとかくモノを集めるのが好きなんですが、僕の場合はですね、乾電池だったんですよね。わりとレアな趣味であったな。…思うわけでありますが、あれは何と言う名前でしたか、子供の頃、塾へ行くのに誰もが使っていた四角い箱みたいな段ボールの入れ物にぎっしりと詰まった乾電池を眺めて、一人にんまりと悦に入っていたものでございます。乾電池には単1、単2、単3、単4といった種類があるんですが、僕がコレクトしていたのはすべて単3の乾電池でありました。単1は大き過ぎて邪魔くさいし、単2というのは何ともキャラが中途半端で僕のタイプではないし、単4というのは当時それほどメジャーではなかったので、自然と単3ということになったんですが、アレはいいですよね。あまり太くないから劣等感を感じなくてもいい。…というところがポイントでありまして、ま、単3の乾電池には勝ってるよな。…というので安心して見ることが出来るんですが、まったく同じ大きさの単3乾電池が四角い箱の中に整然と並んでいる様はけっこう壮観でありまして、血液型がA型で性格が几帳面な僕にとって、それは実に心が安らぐ光景なのでありました。

 ただ蒐集の対象として単3乾電池というのは、あまり種類が多くないというのが難点でありまして。当時、世間に出回っている乾電池というのは、そのほとんどがナショナルの赤電池とナショナルの黒電池でしたからね。ナショナルの赤電池とナショナルの黒電池というのは子供の目から見ても、ただの赤い電池と黒い電池やな。…といった感じでまったくソソられるものがありませんで、あまりのバラエティのなさに僕の乾電池収集趣味は約3年間ですっかり飽きてアホらしくなってしまったんですが、それまで集めた乾電池はどうなったのかというとですね、小学5年の時の火事のどさくさで、どうなったのか分からなくなってしまいました。おそらく家と一緒に燃えちゃったんだと思いますが、いや、燃やせるゴミとして出してはいけない乾電池を燃やしたりして、申し訳ないことをしてしまいました。当時、台所に保管されていた石松鍋なんかも容器もろとも燃えちゃったものと思われますが、そんなことでまあ、今日はちょっと電池について考えてみたいと思うんですけどね。ついでに昼食についても考えてみたいと思うんですが、題して、 『 電池とランチの意外な関係 』 。…って、いや、ランチのほうはぜんぜん関係がないので、別にどうだっていいんですけど。

 電池を発明したのはですね、ボルタという人です。ボルタという人がどういう種類の電池を発明したのかというとですね、ボルタ電池というのを発明しております。ボルタが作った電池だから、ボルタ電池。そんな安易なネーミングが許されるというのなら、ヒロシくんが作った挽き肉のことを “ひろしミンチ” と呼ぶぞ!…と思った人がいるかも知れませんが、そう呼びたいのなら、どうぞ勝手に呼んでくださいね。日本という国では他人に迷惑をかけない限り、それくらいの自由は保障されていますからね。ただ、既に “ひろしミンチ” という名前が誰かの手によって商標として登録されている場合はいくらヒロシ君が作った挽き肉だからといって、勝手に名前を名乗ることは出来ないんですが、 “ひろしミンチ” でサイト検索してもヒット数はゼロでしたので、たぶん大丈夫でしょう。登録するのなら今のうちです。少なくとも来年になったら恥ずかしくて誰も使わなくなるに違いない “ホリエモン” なんかより、これから伸びる可能性を秘めていると思います。 で、ボルタでありますが、ボルタの前にですね、ガルバーニという人の存在を忘れてはいけません。いや、僕はすっかり忘れていたんですが、電池の歴史をネットで調べているうちに、そう言えばそういう名前の人もいたっけ?…という程度には思い出しました。で、このガルバーニという人が何を発見したのかと言うとですね、カエルの足の神経に2種類の金属をふれさせると電流が流れ、足の筋肉がピクピク動くのを発見した。…とのことでありまして。 シビレフグならぬ、シビレガエルの実験でありますが、なるほど、世界で最初の電池というのはカエルだったんですね。いや、初めて知りましが、ちなみにこれが1791年のことなんだそうでありまして。

 それから9年後にですね、ボルタが銅と亜鉛と希硫酸を用いたボルタ電池を発明したんですが、いや、電池がカエルのままでなくて、本当によかったと思います。もし電池がカエルのままだったとすれば、かなり不便ですもんね。不便なだけでなく、カエルが大便をしたりすれば懐中電灯の中がウンコまみれになって、掃除が大変だと思います。 その問題が解決されただけでもボルタ君の発明は意義のあるものだったと思いますが、ただ、表面がベタベタしていて、触ると気持ち悪いのぉ。…とギャルに敬遠されるという意味ではカエルもボルタ電池も同じでありまして、この難問をクリアするには1888年まで待たなければならなかったようでありまして。 ドイツ人ガスナーは、液がこぼれない電池を発明しました。水分はあってもこぼれないことから、ガスナーの発明は「乾いた電池」(=乾電池)と呼ばれています。その3年前の1885年、日本人の屋井先蔵という人も独自に乾電池を作っています。…って、ほぉー。世界に先駆けて乾電池を作った日本人がいたんですな。 こういう隠れた偉人を発掘するのがNHKの “プロジェクトX” の役目やろが?…という気がするんですが、時代が古すぎてあまり資料が残っていないのかも知れませんね。 ならば “その時歴史が動いた” で取り上げるという手もあるんですが、ま、歴史を動かすほど大したものではなかったのかも知れませんね、先蔵クンの乾電池。 せんぞう君ではなくて、さきぞう君と読むようですが、勅許を出すのが遅れてしまって、世界で初めて乾電池を発明した人…という称号をガスナー君に奪われてしまったそうですが、この “さきぞうの教訓” を無駄にしたいためにも今すぐ、 “ひろしミンチ” を登録しておいたほうがいいと思うんですが、ま、それはともかく。

 で、単1・単2・単3…という呼び方の問題でありますが、これは “ Unit cell単電池 ” という言葉から来ているんだそうでありまして。つながっていないバラバラの電池だから、単電池。 調べてみたらあまりにもつまらない話でありましたので、書いている本人も呆然としているところなんですが、これだけのネタではとても前半を終われませんよね。仕方がないのでもう少し話を続けますが、電池と言うのはですね、国際規格IECというので世界的にその大きさが統一されております。 もしハワイやグアムにシビレフグを持っていって現地で電池が切れちゃったとしても、ABCストアで乾電池を買ってこれば大丈夫。ただし当然、単3の電池と言っても通用しませんけどね。国際規格では単1の電池が “” 、単2が “” 、単3が “AA” で、単4が “AAA” ということになっていて、どういう基準でこういう記号になったのか今ひとつよくわからんのですが、とにかくまあ大きさだけは同じなので、大丈夫です。 ちなみに日本ではどうして単1が “1” という数字になったのかと言うと、いちばん最初に作った電池の大きさが単1だったので、 “1” なんだそうで。いや、これまた実につまらない話でしたね。 しかたがないので話をまたコドモ時代に戻したいと思うんですが、僕の子供時代の夢はですね、乾電池直列つなぎの世界記録に挑む!…というロマンに満ち溢れたものでありました。マンガン電池1個あたりの電圧は 1.5V。これを2個直列につなげば 3.0V、3個つなげば 4.5V…と、努力次第でいくらでも電圧が高くなるところがコドモ心にも魅力的でありまして、これがもし並列接続だったらいくら数をつなげてみたところで寿命が長くなるだけの話で、電圧はいつまでたっても 1.5Vですからね。 並列はつまらん。これからは直列や!…と、明るい未来に向けてナショナルの赤電池を黙々と直列に接続することにチャレンジした僕でありましたが、いや、12個くらいで家にあった乾電池がなくなってしまって、僕の挑戦はそこで終わってしまったんですけどね。貧乏やからや! 家が貧乏やから、ナショナルの赤電池が12個しか買えないんや!…と、無念の思いで一杯でありましたが、ま、たとえ家に無数に乾電池があったとしても、恐らく15個くらいでアホらしくなってヤメていたとは思うんですけどね。

 とまあそんなことで、乾電池直列つなぎの世界記録を達成することは出来なかったんですが、そもそも世界記録がどれくらいの数なのかというとですね、よくわからんのですけどね。 調べてみたところよくわからなかったので、話を電池のサイズに戻しますが、世の中には単4よりも小さい単5という乾電池があるということを知っていますか?…って、いや、んなもん誰でも知ってますよね。単4電池よりも太くて、長さが半分くらいしかない電池。それが単5型と呼ばれるものであります。最近、あまり見かけませんよね。…と思ったら、一号館の日進店でもたくさん売られていたので、最近、単5の電池を使う機器が増えて来たのかも知れませんが、ところで世の中には単5よりも小さい単6という乾電池があるということを知っていますか? 僕は知りませんでした。それもそのはず、単6型などという電池は日本の規格には無いんですが、外国には“AAA型”(単4型)よりも小さい“AAAA型”というのがあって、便宜上、それを日本では単6型と呼ぶことがあるんだそうで。 単5型が太くて短い不細工な格好をしているのに対して、単6型のほうは長さは単4とほぼ同じで、よりスリムな形状をしているんだそうです。その細さを活かして小型のペンライトだとか、タブレット用のスタイラスなんかに使われているそうですが、そうと知らずにAAAA型電池を使う外国製品を買ってしまうと、替えの電池がどこにも売ってないやんけ!…ということになって、泣きを見ることになってしまいます。ま、最近はネット通販という便利なものがありますので、AAAA型電池もわりと手に入りやすくなったんですが、6本入りのものが1000円近くしたり、別に送料を取られたりして、決してリーズナブルとは言えません。いやあ、よく調べもせずに外国製のしゃらくさいペンライトなんんか買うんぢゃなかったですなぁ。。。

 …とお嘆きの貴兄に、とっておきの裏技をお教えしましょう。 ま、 “AAAA型 電池” とかでサイト検索すれば誰にでも分かることなんですが、一号館の日進店とかでもごく普通に売られている9Vの四角いアルカリ電池がありますよね? あれを分解するとですね、中から単6型の乾電池が6本出てくるんだそうでありまして。 いや、種類によっては出てこないやないけ!…ということもあるようなんですが、あの9Vの四角い電池というのはひとつの四角い固まりのように見えていて、その実、1.5Vの小さな電池が6個直接につないであるだけのものだったんですな。種類によって、森永のハイソフトのような形状の電池をそのまま6個積み重ねたものと、細長い筒型電池を3本×2列に並べて接続したものの2つがあるようなんですが、この細長い筒型電池というのがですね、AAAA型電池とほとんど同じ大きさなんだそうでありまして。 その話を聞いた僕は早速、一号館の日進店でパナソニックの9Vアルカリ角電池を買ってきてバラしてみることにしたんですが、いや、よんひゃくウン十円もして意外と高かったんですが、中から単6型アルカリ乾電池が6本も出てくることを考えれば、多少の手間と、感電の危険と、液漏れのショックによる尿漏れの心配を考慮に入れても、試してみるだけの価値はありますよね。 ちゃんとばらせるだろうか?…というのが心配だったんですが、やってみたら意外と簡単でありました。ラジオペンチ1本あれば大丈夫です。9V電池というのはですね、早い話がコンビーフの缶詰のようなものなんですね。底のほうから側板をラジペンで挟んで取っ掛かりを作って、くるくると撒きつけるようにして切り開いていけばOKです。すると中には、おおっ!確かに細い筒型の乾電池が6本入っておりますな。プラス・マイナス互い違いに並べられていて、底の部分と蓋の部分に薄い板のようなものがハンダ付けされております。なるほど、うまい具合に6本の電池が直列接続されておりますな。このハンダ付けの部分をラジペンで引っ剥がす作業が、何だか感電しちゃいそうでスリリングなんですが、ま、シビレフグの刺激に耐えられるような人であれば、恐らく大丈夫なのではなかろうかと。

角電池分解状況♪

 これが分解後の状況であります。比較の為、普通の単4型電池を横に並べてみたんですが、なるほど、これが単6型電池でありますかぁ。実際に目にしてみると、ぜんぜん大したものぢゃねーな。…といった感じで、ちょっと拍子抜けでありましたが、問題はですね、このまったく何の役にもたたない単6電池をどう処分するかということでありまして。うちにはAAAA型の電池を使う機器などひとつもないのに、ただやってみたかったからバラバラにしただけの話ですからね。 かといってそのままゴミ箱に捨ててしまうというのも脳がない話なので、僕は3分ほど頭を悩ませてしまったんですが、あっ、もしかしたら単4電池の代わりとして使うことが出来るんぢゃないですかね? 幸いにも長さとしては単4と似たようなものなので、紙を巻き付けて単4と同じくらいの太さにしてやれば、問題なく使えるような気がします。 思いついたが吉日。…という言葉もあるのことなので、さっそく紙を巻き付けてみました。白い紙だけでは何だか殺風景で寂しいので、サバを絵を書いてみました。オリジナル単4互換性単6乾電池、 “さばッテリー” の完成でありますな。 “さば+バッテリー” という意味だけでなく、サバの照り焼きやバッテラをも彷彿させる、我ながらナイスなネーミングであるな。…と思う次第でありますが、ま、サバの絵がちっともサバに見えないところがややネックではあるんですけど。

さばッテリー♪

 ということで早速、単4型電池型の鼻毛バリカンに入れてみたんですが、駄目ぢゃん! 単4電池と比べると、長さが微妙に短いぢゃん! いや、微妙に…という表現が似つかわしくないほど、かなり単4に比べると寸足らずなんですよね。でもまあ、電池入れの片側がバネ状になっているものであれば、バネを引っ張って伸ばしてやれば何とかプラス・マイナスの両極に電池が接触しないこともないよね。…といった状態までは持っていくことが出来るんですけどね。一縷の望みを託して、スイッチON! ・・・・・。 いや、どうやらプラス極の出っ張りが普通の単4電池に比べて小さいので、うまく接触しないのが不調の原因のようなんですけどね。 こんな苦労をしてまで、単6電池で鼻毛なんぞ切りたくねえや。…と心の中でつぶやくと、僕は作ったばかりの “さばッテリー” を9V角電池の残骸と供に、そっと桑名市指定の乾電池収集袋の中に捨てたのでありました。おしまい。

 ということで今日はハンク・ジョーンズなんですが、いや、キース・ジャレット、ドン・フリードマンときて、いきなり保守系に戻っちゃいました。 いろいろと試してみたんだけど、やっぱりオーソドックスなのが一番だよねっ♪…という、正常位原理主義的な結論に達したわけでありますが、意外にもハンクって “jazz giant” 初登場なんですよね。 ま、リーダー作にこれと言った有名なものがないから当然かも知れないね。…という気もするんですが、 “グレイト・ジャズ・トリオ” なんてのを取り上げるのはプライドが許さないしー。ま、キースのケルンのレビューを書いたことで、僕の心の中のこだわりは吹っ切れた感があるんですが、そんなことでまあ、 『ザ・ハンク・ジョーンズ・カルテット−クインテット』 でありますが、いやあ、地味ですなぁ。サヴォイ盤というのはですね、なーんか地味なんですよね。ザボン漬けというのも地味なんですが、サヴォイ盤がどうして地味なのかというとですね、まず第1にジャケットがいけませんよね。もっと工夫しろよ!…と言いたいです。ゴメンよぉ。俺、明日からマジメに工事現場で働くよぉ。…って、いや、工夫(こうふ)をしろというのではなくて、工夫(くふう)をしてくれたらそれでいいんですが、それとですね、アルバム・タイトルもよくありませんよね。ハンク・ジョーンズがリーダーの四重奏団と五重奏団だから、 『ザ・ハンク・ジョーンズ・カルテット−クインテット』 って、んなもん、 “ひろしミンチ”の発想とどこが違うねん?…と言いたくなりますよね。 「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」 という本が何故売れているのかと言うと、ひとえにネーミングが優れていたからなんだと思いますが、それにしても、さおだけ屋というのはどうして潰れないんですかね?僕はまだこの本を読んでいないので、そのカラクリについてはよくわからんのですが、僕がもうひとつ疑問に思っているのはですね、小田巻屋は何を売っているのか?…ということなんですけどね。いや、国道41号線を北に向かって走っていると、美濃加茂から川辺町に抜けるあたりに酒屋があって、そこにいつも “小田巻あります” という看板が出ているんですが、その小田巻きというのがどういうものなのか、まったく見当が付かないんですよね。 “昆布巻き” のようなものなのか、 “だし巻き卵” のようなものなのか、あるいは意表を突いて “真知子巻き” のようなものなのかも知れないね。…と、あれこれ推測しているんですが、根が酒屋なだけにどれもあまりピンとくるものがありませんで。とまあそういうことで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 まずはえーと、 「オールモスト・ライク・ビーイング・イン・ラブ」 。 確か 「恋をしているようだ」 といった邦題が付いていたような気がするんですが、こういう軽い言い方をしているところを見ると、さほど濃い恋ではなくて、薄い恋のようでありますな。淡白な恋と言っていいかも知れませんが、何だかこう、尿にタンパクが出ちゃうみたいな。そういった曲をドナルド・バードがワン・ホーンで演奏するわけなんですが、トランペットのワン・ホーンというのはサウンド的にやや微妙なところがありますよね。ややもすればお間抜け調になりかねない危険を秘めているわけでありますが、そこはさすがにドナルド・バード。 ちょっぴりお間抜けだよね。…といったレベルで何とか踏みとどまっているトド松くん (← 「おそ松くん」 の登場キャラ) 。…といった感じで、ま、悪くないんじゃないですかね。ちなみに僕は六つ子の中では十四松がいちばん好きなんですが、ま、どれも基本的には似たようなもので、誰が特別にどうと言うわけでもないんですけどね。 で、演奏のほうはと言うと、イントロ無しでドナルド・バードがいきなりテーマを吹くところから始まっておりまして、ちょっぴり唐突な感じがするんですが、例えて言うと回転寿司でいきなり大トロに手を出しちゃったみたいな。普通、ネギトロ→ビントロ→中トロと来て、最後に大トロやろ?…という気がするんですが、そんなにトロ系ばかり連続して食べたら飽きちゃうような気がするので、イントロ無しでいきなり大トロというのもアリかも知れませんね。で、テーマに続いてそのままバードのソロへと流れていくんですが、ミディアム・ファストの歌心に富んだ吹きっぷりはいかにもバードらしくて、いいですよね。少なくとも僕はバードのことを罵倒する気にはなれません。もし相手が棹の先が馬の頭の形をしているモンゴルの弦楽器であれば、この馬頭琴め!…と罵倒することも出来るんですが、そんなことでまあ、続いてはハンクのピアノ・ソロでありますか。この人のスタイルは、趣味がいいと言えばそれまでなんだけど、ジャズの世界では趣味がいいというだけではなかなか評価されないんだよね。…といったところがありまして、ま、はっきり言ってインパクトがちょっと弱いんですが、でもまあ卵の白身くらいのランパク度はありますので、むしろその長所を誉めてやったほうがいいかも知れません。ああん、短いのぉ。…などと短所を露骨に責められると、かなり傷付くことになってしまいますからね。 で、トランペットとピアノの4バースがあって、それがトランペットとドラムスとの掛け合いになって、テーマに戻って、おしまい。ま、全体的にほのぼのとした中庸的なサウンドに仕上がっていて、いいのではないでしょうか。

 2曲目はサヴォイのプロデューサー、オジー・カデナが作ったスロー・ブルース、 「アン・イヴニング・アット・パパ・ジョーズ」 でありますか。オジー・カデナというと何となく、嘉手納基地所属のお爺さん。…といった気がするんですが、この当時はまだそれほど爺ィではなく、嘉手納にもいなかったものと思われますが、この曲はあれですよね。フィリー・ジョー・ジョーンズではないほうの、頭がハゲたジョー・ジョーンズ、通称パパ・ジョー、またはハゲ・ジョーと呼ばれているドラマーに捧げられたものであります。ドナルド・バードのほかにもう一人、マティ・ダイスという人が入ってクインテット編成となるんですが、2トランペットの五重奏団というのはサウンド的にやや微妙なところがありますよね。ややもすればお間抜け調になりかねない危険を秘めているわけでありますが、おまけにマティ・ダイスという人に関しては、好きな豆の種類は大豆。…ということ以外には何もわかっていないので、ちょっと不安ですよね。大和明クンの書いた日本語ライナーにも、ニュージャージ州ニューアーク出身の新人という以外よく分からない。それというのもこのセッションしか録音がなく、とんと消息を聞かないからである。…とあるので、相当にマイナーなキャラであるようなんですが、でもまあニュージャージ州の出身ということは、新しいジャージを買えるくらいのお金は持っているということなので、それほど心配することもないかも知れません。 で、演奏のほうはアレです。最初に結論を言ってしまうとですね、スローブルースで 15分05秒というのはちょっと長過ぎぃ。…といった感じがして、ややダレるところがあるんですが、ま、いかにも “パパ・ジョーの夜” やな。…といったアフター・アワーズなムードがあって、マニアの人にはいいかも知れませんね。ただ、何だか暑苦しいのでフィリピンのマニラの人には不評であるかも知れず、とにかくまあ、ピチカート・ベースのごく短いイントロに続いて2トランペットのユニゾンでアーシーなテーマが演奏されて、でもってソロ先発はハンクでありますか。曲がクド系なだけに、ハンクの淡泊なスタイルが爽やかに感じられて嬉しい限りなんですが、でもってソロ2番手はダイスくんでありますか。問題はこの人なんすよね。あきら君はかなり辛口の評価を下しておりますが、個人的にはそれほど嫌いなスタイルではなくて、でも好きになれるほどの事でもなくて、ま、枯れ木も山の賑わい…といったくらいの存在価値はあると思うんですけどね。

 で、続いてエディ・ジョーンズのウォーキング・ソロがあって、続くトランペットのソロはバードなんですが、なるほど、確かにあきら君の言う通り、こうして聴き比べてみると確かにこっちの人の演奏のほうが優れているような気もしますな。でも言われてみなければトランペッターが2人参加していることにも気付かないまま終わってしまう可能性もあって、…とか言ってるうちに再びハンクのソロになって、その後でまたトランペットが登場するんですが、こうなってくるともう、ここで吹いているのがバードなんだかダイスなんだか僕にはまったく区別がつかなくて、そうこうするうちにまたベースのピチカート・ソロになって、いや、15分オーバーというのはやはりちょっと長過ぎますよね。 なんだかウザくなってきたので3曲目に進みますが、えーと、 「アンド・ゼン・サム」 という曲ですな。僕の持っているCDは曲名に併記された作曲者のクレジットと、あきら君の解説とがまったく一致しておりませんで、おそらくクレジットのほうが全曲にわたって間違っているんだと思いますが、この曲の作詞・作曲がロジャース=ハートとなっているのも、おそらく出鱈目なのではなかろうかと。なんでもいいけどこの出鱈目という言葉、どうしていきなり “鱈” などという水産物の名前が登場するんでしょうね? 山菜のタラの芽というのは天麩羅にすると美味しいんですが、鱈の目というのは油で揚げてもさほどソソられるものがなくて、で、出鱈目の語源を調べてみたところですね、出鱈目と書くのは当て字なんだそうでありまして、よって魚のタラにはまったく何の関係もなかったんですが、ダイスを振って、その出た目によって物事を決めるような、そんなデタラメな生き方のことを称するんだとか、何とか。 で、そんなダイス君も参加しているこの曲はですね、ミディアム・テンポの明るくて快くて明快なリフ・ブルースといった感じの曲でありまして、ま、シンプルでいいんぢゃないですかね。で、ソロ先発はバードであるものと思われ、ここではブラウニーの思わせるような歌心に富んだフレージングが魅力的でありまして、続くハンクのソロはいつもながらの転がるようなタッチが 魅惑的でありまして、ソロ3番手のマッティ・ダイスはブラウニーというよりもむしろバフンウニを思わせるような味のある演奏を展開していて、いや、今ふと思ったんですが、ちょっぴりサド・ジョーンズを思わせるようなところもありますな。 で、アドリブ・パートの最後の数小節だけケニー・クラークのソロになるという微妙に洒落たアレンジが施されていたりして、でもって、最後にテーマに戻って、おしまい。

 続く 「サマーズ・ゴーン」 はてっきりスタンダードだとばかり思っていたんですが、オジー・カデナのオリジナルだったんですな。  「ヴァーモンドの月」 に似ている…と原文ライナーにも日本語ライナーにも書かれているように、何となく甘口のカレーを彷彿させる可憐なバラードに仕上がっておりまして、特に前半はホーン抜きの純正ピアノ・トリオで演奏されているんですが、テディ・ウィルソンの流れを汲むモダン・スウィングなハンクのスタイルが堪能出来て、もう胆嚢から胆汁が出まくりぃ?…みたいな。 後半になるとドナルド・バードが登場するんですが、ハート・ウォーミングな吹きっぷりに、思わずうっとりしてしまう関取。…といった相撲取り好みの1曲に仕上がっておりますね。 その後、再びハンクが登場して綺麗なタッチのソロを披露して、最後はバードがしっとりとテーマ・メロディを吹いて、でもって、おしまい。 で、アルバムの最後を飾るのはこれまた “しみじみ系” の 「ドント・ブレイム・ミー」 。 バラードの連チャンはちょっとツライか?…という気がしないんですが、曲の雰囲気やアレンジなんかも前曲と瓜二つですしね。ここはまあ、バラード・メドレーのようなものだと割り切ってしまえばそれなりに諦めもつくかと思うんですが、何となくチャーリー・パーカーの 「ドント・ブレイム・ミー」 を彷彿させる演奏となっておりますな。ま、演ってる曲が同じなので当然の話かも知れませんが、それはそうと林由美香、死んぢゃいましたかぁ。。。ニュースで見た時、どこかで聞いたことのあるような名前やな?…と思ったんですが、そういえば昔、そんな名前のギャルが出ている “すけべビデオ” を持っていた事を思い出しました。桃井望の変死に続くショッキングな出来事でありますが、ま、由美香ちゃんの場合事件性はないようで、酒と睡眠薬を飲み過ぎて吐いたゲロが喉に詰まって窒息死したようですが、何もそんな汚らしい最期を遂げなくたって。。。…と思うと、不憫でなりません。 “Dont Blame Me” 、この切ないバラードを由美香ちゃんに捧げて、でもって、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 いや、しみじみとして、よろしいですなぁ、ラストのバラード2曲。それ以外の曲もまずまずです。ただ唯一、パパ・ジョーは余分だじょー。…という気がしないでもないんですが、それもまあ、おなぐさみということで。ただ、リーダーのハンク・ジョーンズはまったくと言っていいほど目立っておりませんので、ドナルド・バードのアルバムだと思っておいたほうが無難かも知れません。


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