A DAY IN THE CITY (RIVERSIDE)

DON FRIEDMAN (1961/6/12)

A DAY IN THE CITY


【パーソネル】

DON FRIEDMAN (p) CHUCK ISRAELS (b) JOE HUNT (ds)
【収録曲】

Six Jazz variations on a theme ;
  DAWN / MIDDAY / RUSH HOUR / SUNSET / EARLY EVENING / NIGHT

【解説】

 暑くなってきましたなぁ。暑くなってくると食べたくなるのがアイスクリーム、シャーベット、かき氷などのいわゆる “氷菓子” であります。逆に暑くなってくるとあまり食べたくなくなるのが “鍋焼きうどん” でありまして、もう見ているだけで暑苦しくなっちゃいますからね、アレは。 だいたい、 “鍋焼きうどん” という名前の意図がよくわかりません。うどんを鍋で焼くわけだから、焼かれたうどんは当然、焼きうどんみたいになるんだろうな。…と思ったら、さにあらず。 うどんはツユの中でグツグツと煮られているだけの話で、あれではどう考えても “鍋煮うどん” か “鍋茹でうどん” としか思えません。 でもまあ、うどんではなくて鍋焼きうどんの鍋の側に立って物事を考えてみると、確かにあれは、焼かれているよね。…としか言いようがない状況におかれているわけでありまして、特にそれは土鍋式の鍋焼きうどんではなくて、 “石松鍋” を作ってみるとよくわかりますよね。 石松鍋というのは大森屋 (←親戚がやってる八百屋) でよく買ってきた即席の鍋焼きうどんのようなものなんですが、へなへなのアルミ製容器の中に茹で麺と、きざみ葱と、桜海老の殻の掻き揚げと、花麩と、袋入りの濃縮うどんつゆが入っていて、うどんつゆを容器にぶちまけて水で薄めて、そのまま火にかければ鍋焼きうどんが出来ちゃうという、ま、そういう食べ物でありますな。ごちゃごちゃ説明するよりも実物を見てもらったほうが早いですよね。 これ です。

 そうそう、これです。 “かし久” というメーカーなんですよね。確かにパッケージにもそう書いてありました。 が、コドモの頃にはこの “かし久” というのが何のことだかよく分からなくて、ずいぶん悩みもしましたし、泣かされもしました。 いや、どうして泣いてしまったのかというと、 “かし久” の “” という字が微妙に片仮名の “” に見えないこともなくて、 “かレ久” ? 何だかよくわかんないけど、カレー味なのか?…と思って期待して食べたところ、ごく普通のしょうゆ味のうどんだったので、ガッカリして、落胆のあまり、ちょっぴり泣いてしまった。…とまあ、そういうわけなんですけどね。 以来、石松鍋は純真な子供の心を惑わせる不良商品として僕の心の中に深く刻み込まれることになったんですが、いや、さすがに一度泣きを見てからは “かし久” も文字を見ても、これはカレー味ぢゃないんだ。普通のうどんなんだ。…と自分に言い聞かせて、過度の期待を持たないようにするくらいの学習能力は持ち合わせた聡明なコドモでありましたので、2度と騙されることはなかったんですけどね。 それにしても、どうしてうどん屋なのに “かし久” などという菓子屋みたいな名前を付けたんですかね?…と思ったら、根はやっぱり菓子屋だったんですね、かし久って。

 かし久」 とは、初代社長の祖父、村松久次郎が、生地藤枝で、開業した菓子製造業の屋号でした。村松久次郎は、菓子製造業を皮切りに、次々と多角的に事業を起こして大成し、終生 「かし久」 の屋号で親しまれました。昭和28年、 「かし久食品株式会社」 創立にあたり、私たちは、末永く親しまれるようにと念じ、屋号であるかし久を継承したものです。そして、平成2年9月、関連会社の 「かし久物産」 と合併し、現在の 「かし久フーズ」 となりました。 私たちは、かし久の 「」 を英文字の 「」 におきかえて、ロゴマークとしました。この 「Q」 には、私たちが信条とする5つのテーマが込められています。

 QUESTION …現状を良しとせず、常に自分たちに問いかけます。
 QUALITY …質の高い商品づくりを通して社会に貢献します。
 QUEST …なにが真実なのか、追求します。
 QUICK …思いやりの心をもって、いきいきと活動します。
 QUICKEN …常に自分自身を刺激し、自己啓発につとめます。


 (かし久フーズHPより無断引用)

 なるほど、 “5つのQ” ですか。もの凄くありがちですね。 と同時に、もの凄く後付けであります。しょせんは久次郎の “久” なのに、それを無理にアルファベットに置き換えようとするものだから、 “E電” みたいに無理が生じちゃうんですよね。小林亜星の教訓がまったく活かされなかったのか?…というのが残念でならないんですが、ただ、僕がコドモの頃から “かしQ” という商標を使っていてくれたら、さすがの僕もこれをカレー味と誤解するようなことはなかったんでしょうけどね。何だか崩したような書体で書かれていたものだから、 “” という長音記号を難しくし過ぎた結果、 “” みたいな字になっちゃったのか?…とか思っていたんですよね。深読みというのは僕のような聡明なコドモが陥りやすい陥穽であるわけでして。

 で、石松鍋でありますが、お手軽で簡易な調理法からして、5つの信条のうちの “QUICK” というのは十分にクリアしていると思います。素早いですからね、アレは。 が、 “QUALITY” となると、果たして石松鍋が質の高い商品づくりを通して社会に貢献しているかどうかは、大いに “QUESTION” (←疑問) ではあるんですけどね。 少なくとも僕はあまり美味しいとは思いません。…って、そういう問題発言をして、かし久の社長から嫌がらせで石松鍋を大量に送り付けられたりしても困るので、関係者に気付かれないよう、今後はこの商品の名前を “石梅鍋” (仮名) にしておこうと思いますが、どうも子供の頃からあまり好きではなかったんですよね。 カレー味でなかったから。…というのがその最大の理由なんですが、桜海老の殻の掻き揚げというのもよくありません。桜海老の掻き揚げならともかく、どう見ても桜海老の殻の掻き揚げやないけ!…としか思えないような掻き揚げですからね。桜海老の殻揚げ…と言っていいかも知れませんが、中途半端に桜海老の殻などいれずに、ただのコロモだけの掻き揚げにしたほうがよっぽどか清々しいと思います。関係者に猛省を促す次第でありますが、石松鍋…ぢゃなくて、石梅鍋(仮名)でネックとなっているのはカレー味でないのと、この掻き揚げだけでありますので、今回調べて初めてその存在が明らかになった “石松鍋肉うどん” というのなら、ぜんぜん大丈夫かも知れません。

 で、僕はずっと、この手の簡易型鍋焼きうどんというのはすべからく “石松鍋” という名前なんだと思っていたんですが、もしかしてこれ、もの凄くローカルな商品なのかも知れないね。…という気もしてきました。 よく考えたら石松鍋というネーミングや、桜海老 (の殻) を掻き揚げにしようなどという発想は、もの凄く静岡限定なのかも知れません。いや、桑名の大森屋でもタマノイのパーポーや、ケンミンの焼きビーフンと並んでごく普通に売られていたので、少なくとも東海エリアではそれなりの販路を確保しているんでしょうけどね。 特に岐阜県の飛騨地方でこの食品がよく食べられている証拠として、萩原町役場のHPの 「ごみ・し尿処理について」 というところには、こんな記載が見られます。

 Q.アルミ箔は燃えるゴミですか?

 A.燃えるゴミ・・・スナック菓子などの包み紙用アルミ箔 / 燃えないゴミ・・ガスコンロガード、石松鍋の容器、アルミ皿、惣菜盛り付け容器

 そっか!石松鍋の容器は燃えないゴミだったのか!…と、目からウロコが落ちる思いでありますが、ま、よく考えてみたら当然なんですけどね。石松鍋の容器がもし燃えるゴミだったりしたら、ガスコンロにかけた途端に炎上して、中のうどんやら、ツユやら、葱やら、花麩やら、桜海老の殻の掻き揚げやらが全部こぼれちゃいますもんね。石松鍋の容器を燃えない素材で作ってくれて、よかった!…と、心の底から思ってしまいますが、ただ炎上することはないにせよ、かなり黒焦げに近い状態にはなるんですけどね、石松鍋の容器。 あまりガスの火力が強すぎると、容器に穴があいちゃうんぢゃないか?…と、心配になっちゃうくらい。 確かに鍋焼きうどんの鍋は、焼かれているよね。…としか言いようがない状況に置かれていることを実感する瞬間であります。 と同時に、必ずといっていいほど黒焦げになっちゃうんですよね、ネギが。 というのも、大森屋で石松鍋を買って家に帰ってくるまでの間、必ず容器が傾いてしまって、アルミ容器の端っこのほうにへばりつくことになるんですよね、ネギが。 それをそのまま火にかけると、必ずといっていいほど焦げるんですよね、ネギが。 うどんはちっとも焼けないけど、アルミ容器とネギは焼けるものなんですよね、鍋焼きうどんって。

 ところでこの石松鍋の容器、萩原町 (←市町村合併で下呂市になって、HPも消滅) 以外の市町村では一般的に “鍋焼き容器” と呼ばれているようですが、どこでもゴミの区分で物議を醸しているようですね。試しに “鍋焼き 容器” でググってみたところ、次のような結果が得られました。

自治体名      品     名 分 類 区 分
市川市 直火用鍋焼き容器(うどん等) 燃やさないごみ
仙台市 鍋焼き容器(うどん、グラタンなど) 家庭ごみ
鳳来町 鍋焼き容器 アルミ
鳳来町 アルミ箔の鍋(うどん等) アルミ缶
相馬市 鍋焼き容器 燃やすごみ
山元町 鍋焼き容器(うどん、グラタン等) 金属製品
花巻市 鍋焼き容器 燃やせるごみ
田辺市 うどん(鍋焼き容器) 資源ごみ
豊中市 鍋焼き容器(うどん、グラタンなど) 不燃ごみ
岡崎市 鍋焼きうどんのアルミ容器 不燃ごみ
秦野市 鍋焼きうどんの容器 可燃ごみ
津市 鍋焼きうどんの容器 金属
鵡川町 アルミハク(鍋焼きうどん容器等) もえるごみ
弘前市 アルミホイルでできている鍋焼きうどんなどの容器 燃やせないごみ
稲城市 冷凍グラタンや鍋焼きうどんのアルミ容器 燃えないごみ
宇部市 鍋焼きうどんやグラタンなどのアルミ箔の容器 燃やせるごみ
高山市 アルミ箔なべ(鍋焼きうどんなど)

 …って、きりがないのでこれくらいでやめておきますが、いや、これほどまで各自治体で判断が分かれているゴミというのも珍しいですよね。燃えるのか、燃えないのか、燃やせるのか、燃やせないのか。基本的には燃えないんだけど、ちょっと頑張れば燃えないこともない。…というところが微妙なんですよね。もう少し分厚ければ金属として再利用が可能だし、もう少し薄ければ焼いてしまうしかないんですが、ちょうど中途半端なんですよね、鍋焼きうどんとグラタンの容器というのは。 ちなみに高山市では “アルミ箔なべ(鍋焼きうどんなど)” を缶に分類しておりますが、備考欄には “焦げ付いたものは可燃ごみ” …などと書かれておりました。焦げ付いたものはリサイクルが出来ないということなんでしょうが、本体はまだ大丈夫なんだけど、付着したネギが焦げちゃた鍋焼き容器はどうするんだ?…といった場合など、住民の悩みが尽きることはありません。住民泣かせという点では鳳来町も負けておりませんで、 “鍋焼き容器” と “アルミ箔の鍋(うどん等)” というのはいったい、どこでどのように区別するんでしょうね?

  “アイスノン” なんてのも市町村によって処分方法が大きく二分されております。燃える・燃やす派と、燃えない・燃やさない・燃さない・埋め立てる派との勢力が拮抗していて、どちらが優勢とも言えない状況なんですが、ところで “貝殻” というのは燃やすゴミ、燃やさないゴミのうち、どちらに分類されるとと思いますか? 貝殻というのはどう考えても燃えるような気がしませんよね。貝殻がもし燃えるゴミだったりしたら、焼きハマグリを炭火にかけた途端に炎上して、中の汁が全部こぼれることになっちゃいますもんね。貝殻を燃えない素材で作ってくれて、よかった!…と、心の底から思ってしまいますが、でも貝殻というのは家庭用ガスコンロ程度の火力では無理でも、ゴミ焼却場で思い切り燃やしてやれば灰のようになっちゃうような気がしないでもありません。実際、貝殻を燃やすゴミ扱いしている自治体は、燃やさない派よりも多数を占めているわけなんですが、…と、ここまで書いてふと思いついたんですが、焼きハマグリと鍋焼きうどんというのは、よく似ていますよね。焼きハマグリというのもそのネーミングからすると、焼き鳥のトリの部分をハマグリに替えたものだな。…といった食べ物を連想してしまうんですが、その実、出来上がったものは “蒸しハマグリ” みたいなものですからね。以前、桑名にある “歌行燈” というウドン屋で焼きハマグリを注文した客は、「なんや。アサリの酒蒸しみたいなものやん。」…などと文句を言っておりましたが、確かに焼きハマグリで焼かれているのはあくまでも貝殻だけであって、中身のほうはちっとも焼かれてはいませんよね。…といった意味で、焼きハマグリと鍋焼きうどんは酷似していると言うことが出来ようかと思います。

 鍋焼きうどんが誕生したのは明治時代になってからなんだそうですが、そのヒントになったのは恐らく、焼きハマグリなんぢゃないですかね? 焼きハマグリのハマグリの部分がウドンになって、貝殻の部分が土鍋になったのが鍋焼きうどんである。…というのが今回、僕が声を大にして主張したいことなんですが、ところで、鍋焼きうどんに欠かすことが出来ないものと言えば、土鍋ですよね。世の中にアルマイト鍋の鍋焼きうどんというのは、あるまい。…と思ってしまうほど鍋焼きと土鍋の結び付きは深いわけでありますが、その土鍋の全国シェアのほとんどが、四日市の万古焼きであるということをご存知ですか? ハマグリ万古 。 この絶妙な組み合わせに、僕の “鍋焼きうどん焼きハマグリ起源説” が間違いないということを確信した次第でありますが、そんなことで鍋焼きうどんのお話は、おしまい。

 ということで、今日は ドン・フリードマン です。通称、ドン・フリ。  「全国どこでもどんどんフリチンになろう協議会」 の略称も “どんフリ” なんですが、ちなみに日本にはもうひとつ似たような運動を展開している団体があって、 「全国どこでもどんどんフルチンになろう協議会」 というのがそれなんですが、どちらに入るべきなのか、悩んでいるところなんだよね。…という人も少なくないに違いありません。 いや、僕はどちらも嫌ですけどね。シャイな僕としてはやっぱり、外に出るときにはパンツを穿くべきだよね。…と思うわけでありまして、ま、外に出ないとき、例えばノーパンしゃぶしゃぶの店なんかでは別にパンツを穿かなくてもいいとは思うんですけどね。もっとも客である僕がノーパンだったところで、誰も注目してくれないとは思いますけど。 とまあそんなことでドン・フリードマンなんですが、あ、マンで思い出したんですが四日市の万古焼きというのはあくまでも “ばんこ焼き” でありますので、お間違いなく。 四日市は関西系だからいいようなものの、こんなものが東京の街中で売られていたらあらぬ誤解を与えかねませんよね。万古焼きぃ?局部に煙草の火を押し当てる新種の根性焼きなのか?…みたいな。

 とまあそんなことはどうでもよくてドン・フリードマンでありますが、この人の場合、何と言っても 『サークル・ワルツ』 ですよね。局部を露出したフリチン・ギャル…というか、フリードマン・ギャルの描かれた妖しげなジャケットが印象的でありまして、いや、陰毛図らしきものが見えているだけで、さほどコーフン的ではないんですけどね。むしろ芸術性を感じてしまうほどなんですが、この洗練されたジャケットがネオ・エバンス派的なフリードマンのスタイルとよくマッチしていて、秀逸な作品に仕上がっております。ま、この1枚以外にはほとんど聴かれていない典型的な一発屋なんですが、個人的にはけっこう好きなキャラなので、 “jazz giant” では 『サークル・ワルツ』 を含めて過去3回ほど登場しております。 が、4回目ともなるとさすがにネタが尽きてまいりました。僕の手持ちでは 『ア・デイ・イン・ザ・シティ』 というのしか残っていないんですが、どうもこれ、今ひとつ好きではないんですよね。 ちなみにドン・フリに関しては “マイ・コンピ” のほうでも取り上げておりますので、試しに ここ を読み直してみたところ、名古屋の天白区に住んでる14歳の原液女子中学生・岸面子(きし・めんこ)ちゃんが何やらつまらないことを書いておりますな。改行が少なくて読みにくいちゅうねん!…というのが第一印象なんですが、この頃は塩サバ2号がページ・デザインを担当していたので、僕の責任ではありません。内容がつまらないのも面子ちゃんのせいなので、僕の知ったことではありません。 で、今ひとつ気乗りのしない1枚ではあるんですが、他に手持ちも無いので、ま、適当に聴き流して今日のところは済ませておきましょう。

 この 『ア・デイ・イン・ア・シティ』 は名古屋みてゃーな大都会 (でゃーときゃー) の一日をテーマにした組曲になっとるぎゃー。…という面子ちゃんの名古屋弁はただウザいだけの話で何のメリットもないので、標準語に直した上で引用させて貰うことにしますが、 「夜明け」「真っ昼間」「ラッシュ・アワー」「日没」「夕方の早い時間」「夜」 といった曲が入っております。以下、夜明け派とか、朝イチとか、あ〜ん、朝からこんなことしてたら授業に遅れちゃう〜♪…といった部分はどうでもいいので無視するとして、で、 「ドーン」 という曲は無伴奏ソロで始まって、なんかクラシックみたいだぎゃ?…などということが書かれておりますが、この冒頭の部分がですね、どうも今ひとつ面白くないんですよね。ピアノの無伴奏ソロなのか、あるいは人にそうとは気付かれない程度にひそかにベースも入っているのか、とにかくまあ、地味で陰気でアブストラクトな感じの導入部でありまして、僕の心の中に “ケルンの悲劇” の予感が芽生えかけたんですが、でも大丈夫でした。途中からリズムが入ってごく普通のトリオ演奏になりましたので、まずは一安心ですね。何だかいきなり日の光がさしてきたかのように演奏が微妙に明るくなるんですが、そこのところが “日の出” ということなんでしょう。いや、さすがですね。少なくとも、日の出・本みりんよりも日の出の感じがよく出ているといると思いますが、いや、照り焼きに照りが出るという点では断然、日の出・本みりんのほうが上なんですけどね。

 で、この人のスタイルというのはアレですよね。根はエバンス系の耽美派なんだけど、弾いてるうちに次第にコーフンしてきて、義憤と公憤のあまり肉骨粉を牛に与えちゃうような危うさが魅力的でありまして、あまり真っ当な社会生活を送れそうな感じがしないんですが、デカダンスこそがジャズの本質ですからね。で、この曲の場合、 2分40秒を過ぎたあたりからの畳み掛けるようなフレージングに彼の真骨頂があると言っていいんですが、いやこれでもう、お日様は完全に空に昇っちゃいましたね。…と思っていると、チャック・イスラエルのソロになって太陽が沈みかけるんですが、ピアノとドラムスの4バースになってまた少し盛り返しかけて、最後は元の無伴奏ソロ風のテーマに戻って、何だか日の出と同時に皆既日食になってしまったような感じになって、1曲目はおしまい。 で、続いては 「ミッドデイ」 でありますか。 「まっ昼間」 でありますな。曲名のわりには何だかあまり日の強さが感じられないカイワレダイコン的な作品でありまして、もっぱらベースとピアノのデュオのような感じで演奏が進められていきます。…というか、テーマの後はほとんどチャック・イスラエル君の独断場でありますな。僕はどちらかというとチャックよりもファスナーのほうが好きなのであまり楽しめない部分ではあるんですが、ところでチャックとファスナーとではどこがどう違うのか、知ってますか? あと、似たようなものにジッパーというのもありますが、ジーパンに付いているのがジッパーで、全開なのがチャックで、YKKが作っているのがファスナーだよね。…というのが僕の見解だったんですがが、調べてみたらぜんぜん違っておりました。ファスナーというのが英国式名称で、ジッパーが米国式なんだそうです。ジッパーという名前はチャックを、じーっ、ぱっ♪…と開け閉めする音から来ているそうですが、で、チャックというのはですね、日本特有の呼び方なんだそうです。その語源は “巾着” から来ているんだそうで、巾着みたいに閉まるから、チャック。…って、何とも安易な発想ではありますが、チャックで “金” ではなくて “チン” のほうを挟んでしまう、いわゆるチンチャック状態というのは大変に痛いものでございます。 で、演奏のほうは後半、フリードマンのソロが聴かれるようになってからは、まずまずそこそこの盛り上がりを見せるようになって、ま、いいんではないですかね。

 3曲目は 「ラッシュアワー」 です。朝のラッシュではなく、 「正午」 という曲の後に出て来るので恐らく夕方のラッシュなんだと思いますが、ここでいうラッシュアワーというのは日本で言う “通勤通学の電車が混んで痴漢被害が頻発する時間帯” といった意味ではなくて、ただ単に “慌ただしい時間” くらいの意味だと思うんですけどね。ちなみに僕は、まだ痴漢というのを経験したことがありません。触ったこともなければ、触られたこともありません。いや、触ってみたい!…という願望に駆られた事は何度もあるんですが、ドアのところに立って本を読んでいたら、ちょうど隣に立っているギャルの胸元に自分の肘が接近する形になって、揺れたドサクサに紛れてちょっぴり肘をぶつけてみたことはあるんですけどね。あくまでも電車が揺れたという不可抗力によるものであって、僕にまったく責任はないんですが、この曲はいかにもラッシュアワーらしい、慌ただしい感じの演奏でありますな。ときどきこういうギャル好みでないプレイが登場するところがエバンスと違って今ひとつ日本でブレイクしない一因なんですが、テーマの後はチャック・イスラエルのソロ…って、いや、相変わらずのパターンでありますな。 で、その後、いきなり暴発したかのようなフリードマンのソロが登場するんですが、かと思えば次のパートでは “しんみりモード” になったりして、その緩急の付け方が実に躁鬱気質的で、楽しいですよね。 ということで4曲目です。 「サンセット」 。 日が沈んでしまいましたかぁ。 1曲目の 「ドーン」 とよく似た感じの曲でありまして、変わり映えがしないぢゃないか!…と非難する人もいるかも知れませんが、このアルバムは全6曲がひとつの組曲となっているわけなので、トータルなコンセプションとして似たような曲が登場するのは当然のことだと思いますね。いや、僕としては、変わり映えがしないぢゃないか!…としか思えなくて、ただウザいだけなんですけどね。 ウザいと言えばこの5月に本社からショージさんという人が次長として転勤してきて以来、某・長綱所長代理 (仮名) が以前にも増してウザいキャラになったような気がするんですが、果たしてどうしたものでしょうか? みんなで無視する。…というのが最良の選択だと思うんですが、同じ事務所で働いている以上、そういうわけにもいかずに僕のストレスは溜まる一方であります。これはもう、田丸屋のわざび漬けでも食べるしかないですかね? いや、僕はあまりわさび漬けが好きではないので、田丸屋で溜まるストレスの問題が解決するとも思えんのですけどね。

 5曲目は 「アーリー・イブニング」 です。どうして日没の後に “早い夕方” が出て来るのか理解に苦しむところがあるんですが、2曲目の途中くらいまで、じっくりと聴いてみたら、案外悪くないかも?…という気がしていたこのアルバムも、ここに来て完全に “うんざりモード” に突入しました。小難しい演奏が多過ぎぃ。。。 ピアノとベースのデュオは、もうええって!…と思わずにはいられません。 ということで、最後です。  「ナイト」 。 暗い、暗い目をしてグレていた、弟よ、弟よ〜♪…って、いや、 「ナイト」 という曲名から思わず内藤やす子を思い出してしまったんですが、いい歌ですよね、 「弟よ」 。 ちなみに僕は、かぐや姫の 「妹」 というのも好きなんですが、ふすま一枚〜♪…というところなんか、思わずウルウルと涙ぐんじゃいますよね。それに比べて、なんじゃこの 「ナイト」 という、つまらん曲は!? …ということで、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 2曲目の途中くらいまで、じっくりと聴いてみたら、案外悪くないかも?…という気がしていたこのアルバムも、後半に入って完全に “うんざりモード” でありましたな。 “jazz giant”、2週続けてややハズし気味であります。。。


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