THE KOLN CONCERT (ECM)

KEITH JARRETT (1975/1/24)

THE KOLN CONCERT


【パーソネル】

KEITH JARRETT (p)
【収録曲】

KOLN,JANUARY 24,1975 PART 1 / PART 2a / PART 2b / PART 2c
【解説】

 今日は不快害虫について考えてみたいと思います。題して “奥の深い不快害虫のお話” 。 世の中に昆虫好きの少年というのは少なくなく、 “昆虫採集” というのは夏休みの課題の定番であるわけなんですが、僕はですね、昆虫というのがあまり好きではありません。昆虫とランチュウと荒井注。どれかひとつにチュウをしろ。…という罰ゲームが課されたら、思わず荒井注を選んでしまうかも知れないくらい僕は昆虫というのが苦手でありまして、かといってランチュウというのも何だか金魚臭そうで嫌ですしね。 ま、一口に昆虫と言っても色々な種類があるわけで、綺麗なチョウチョとかだったらチュウしてもいいかな?…という気がしないでもないんですが、何だか唇が鱗粉 (りんぷん) まるけになっちゃいそうなので、出来れば遠慮させて頂きたいところではあるんですけどね。ところであのチョウチョの鱗粉というのは、いったい何のためにあるんでしょうか?

 ストリップで “鱗粉ショー” をやっていたから。…という説が今のところは最も有力なんですが、いや、何だかとってもつまらなさそうなショーではあるんですけどね。もっとも “金粉ショー” というのも僕から言わせれば、あんなのはちっとも面白くもないし、コーフン的でもないと思うんですが、どうせやるなら “脱糞ショー” …って、いやそんなのよほどのスカトロ・マニアでもない限り、まったく見たくないに違いないんですけどね。 とまあそれはそうと “鱗翅” の話でありますが、どうして蝶の翅 (はね) についている粉なのに “ウロコの粉” などという名前が付いているんでしょうね?…と思って調べてみたところ、蝶の翅の粉というのはウロコみたいになっているから “鱗粉”なんだそうでありまして。 いや、ただのウドン粉のようなものが適当にまぶしてあるだけなのかと思ったら、板状のウロコのようなものが整然と並んでいるものだったんですね、鱗粉って。 “ガ” や “チョウ” の類はウロコのような翅を持っていることから “鱗翅目” に分類されるそうですが、言われてみれば、なるほど!…と、目からウロコが落ちたような気がしますね。

 ガやチョウが出たついでに、ではガチョウはどうなのか?…というと、こちらは “鳥類カモ目カモ科” というのに属していて、ガやチョウとは別の生き物であるようです。いや、片やトリ、片やムシでありますので、おそらく違った種類の生き物なんだよね?…という気はしていたんですが、ガチョウがカモ目カモ科だったとはちっとも知りませんでしたな。僕はてっきり、ガチョウというのは鳥目 (←ビタミンA不足) だとばかり思っておりましたが、カモ目だったんですねー。 で、ガチョウがカモ目だとすれば、カモメの立場はどうなる?…という気がするんですが、こちらのほうは “チドリ目カモメ科” なんだそうでありまして。 いや、 “ちどり足” という言葉はよく耳にするんですが、 “チドリ目” なんてのもあったんですな。鳥の世界というのもなかなか勉強になります。 で、ガチョウが出たからには、ダチョウを放っておくわけにはいきません。僕は子供の頃からダチョウに関する大きな疑問を持っておりまして、それは何なのかというと、ダチョウは脱腸になるのか?…という問題なんですけどね。ダチョウにも腸がある以上、多少脱腸気味になることはあると思うんですが、少なくとも “脱腸のダチョウ” というのは “ガチョーンをするガチョウ” ほどにはレアでないような気がします。 ま、大人になった今となっては、そんなことはどうでもよくなってしまったので、、別にどうだっていいんですけどねー。

 ガチョウとダチョウはこれくらいにしておいて、話をガとチョウに戻しましょう。 ガとチョウはどこがどう違うのか?…という問題に関しては以前このコーナーで検証したことがあるので、ま、 ここ を見て貰うとして、いや、読み返してみたらほとんどためになるような話しは書いてありませんでしたが、ま、要するに全世界で17万種類ほどいる鱗翅類のうち、1万種類ほどのものを “蝶” と称して、蝶ではないものを “蛾” と言ってるようなんですが、無理に蝶と蛾に分けようとしたらどっちつかずのヤツがたくさん出て来てワケが分からなくなってしまったので、その話は最初から無かったことにしておこう。…という結論に落ち着いたようですね。英語では蛾のことを “モス” 、蝶のことを“バタフライ” と言いますが、フランス語ではどちらも “パピヨン” となっていて区分がありません。昼間に活動している鱗翅類を “昼パピ” 、夜遊び好きの鱗翅類を “夜パピ” とする区別はあるようなんですが、日本では一般的に夜に活動する鱗翅類のほうを “蛾” と読んでいるにも関らず、 “夜の蝶” などという言葉があるのは、あるいはフランス語に由来するものなのかも知れません。ちなみにパピヨンの語源は “パピリオ” なんだそうで、これはテントとか旗といった意味があるんだそうです。旗がハタハタとはためくように飛ぶから、パピリオ→パピヨン。たぶん、そういうことなんでしょうね。 一方、英語の “バタフライ” の語源はというと “バター”+“フライ” なんだそうでありまして、いや、何だかコレステロール高そう。…といった気がしますね。もっともフライといっても洋風天麩羅ではなく、蝿と同じく“羽ばたく虫”のほうのフライなんですが、それがどうして “バター” なのかというのはよく分かってなくて、イギリスの蝶にはバター色のものが多かったからだとか、蝶のウンコがバター状だからとか、昔の英国ギャルは犬の替わりに “バター蝶” で無聊を慰めていたとか、いずれにせよ、あまり綺麗なイメージの語源ではありませんな。蝶というのは甘い蜜ならともかく、あまり悦んでバターを舐めるとも思えないしー。

 ということで、鱗粉です。蝶も蛾もモスもバタフライもパピヨンも同じ鱗翅類である以上、翅に鱗粉は付いておりますが、一般的に蝶よりも蛾のほうが鱗粉をたくさん撒き散らすことで知られています。粉っぽいやんけ!胴も太いやんけ!触覚がゲジゲジやんけ!夜になると翅を広げて窓ガラスにベタ〜っと張り付いたりして、気色悪いやんけ!…という点で、あまりいい印象はありません。どらかというと不快な害虫の部類にみられています。蛾にしてみれば、生きるための手段として身に付いたものなので、それを悪いことだと思ってやっているわけではないのです。自分に身に付いた当たり前の生き方が、実は他人に迷惑をかけたり、いやな思いをさせている。つまり、知らず知らずのうちに、自分の意識しないところで、悪を犯して生きている訳です。知らず知らずに悪を犯しているのが自分の生きている姿だと気付かないのが、蛾を通して、私自身の姿を見せられているように思えます。…と、ここまでは “カッコウ坊主” の説教を流用させて頂きましたが、蛾が鱗粉を撒き散らすという行為もカッコウの託卵と同じく、生物学的に見てやむを得ないところがあるんだそうです。そもそも鱗粉というのは体毛が進化したものなんだそうですが、昼間に活動する蝶と違って夜行性の蛾は低い温度でも適応出来るよう、毛深い体、すなわち鱗粉の多い体質になっているんだそうです。そのくせ、ひとつひとつの鱗粉は形も不ぞろいで整列度も低く、簡単に抜け落ちてしまうという。胸毛、脛毛、腋毛、鼻毛はボーボーなのに、頭の毛だけはすぐ抜ける。そんな男性ホルモン過多の体質に生まれてしまった鱗翅類が蛾になったということでしょうか。いや、数の上では蛾のほうが蝶よりも圧倒的に多いわけなので、あくまでも蛾のほうが基本形で、進化してスマートになった特権階級が蝶になったのかも知れません。体毛のほうはレーザーやガムテープを用いて綺麗に脱毛して、頭髪のほうはリアップ+毛根刺激マッサージで抜け毛防止。その結果、見た目はすっかり垢抜けたんですが、その分だけ寒さには弱くなって、昼間にしか活動出来なくなってしまったという。

 そう考えると蝶というのはアレですね。小綺麗で、小ざっぱりしていて、小洒落ているんだけど、今ひとつ軟弱で頼りない最近の若いヤングな男。…といった感じがしますね。僕はどうもその手の男というのが好きではありませんで、何だか蝶にも嫌悪感を覚えるようになってしまいそうなんですが、そこへいくと蛾というヤツは昔ながらの日本男児!…という気がして、好感が持てますよね。確かに胴回りは中年太りだし、胸毛、脛毛、腋毛、鼻毛はボーボーだし、歩く度に抜け毛とフケを巻き散らすし、夜になると窓ガラスにベタ〜っと張り付いて隣家の若妻の着替えを覗いたりするが、それがどうした!?…みたいな。これらはすべて男らしさの象徴でありまして、外見ばかりに気をつかってチャラチャラとお洒落しているバタフライ野郎など、まっぴらだと思います。これからは逞しいモス男として正々堂々と生きていこうではありませんかー。蛾みたいで、どこが悪いっ!…などと開き直って自分の欠点を直そうとしないような人はですね、まず間違いなく若いギャルからは相手にされません。これからは男だって外見の時代であるわけで、エステや男性化粧品やレーザー脱毛など当たり前。醜い芋虫・毛虫から早く脱却して “華麗な蝶(チョウ)” として世界に羽ばたこうではありませんかー。 …といっても普通のおじさんはいくら頑張ってみたところで “華麗な蝶” にはなれず、ま、せいぜい “加齢臭の鰈(カレイ)” になるのが関の山なんですけどねー。 ということで今日の話はおしまい。

 ということで、今日はキース・ジャレット 『ケルン・コンサート』 です。このアルバムを選んだきっかけは無論、 ここのところ にあるわけなんですが、何と言っても宗薫先生のお墨付きですからね。ちなみに “キースのケルン” が登場するらしい 『好色の罠』 という小説が電子書籍になっておりましたので早速ダウンロードしてみたんですが、この “ebookjapan” というサイトはなかなかいいですよね。専用のソフトをインストールしなければならないのがちょっと面倒なんですが、普通の小説だけでなく、図鑑や絵本や漫画や写真集まで見れるところが凄いです。思わず 『まいっちんぐマチコ先生』 を買ってしまいましたもんね。で、スローブックのジャンル別インデックスのところに “” というのがあって、蛾の本だけで1ジャンルを形成するほど種類があるのか?…と思ってしまったんですが、よく見たら “キャラクター・イラスト・マンガ” というのが1行で書ききれず、最後の1文字だけ次の行にはみ出していただけの話でありましたが、おおっ、 『けっこう仮面』 まであるではありませんかー。懐かしさのあまり、思わず全5巻まとめ買いしそうになっちゃいましたが、すんでのところで思いとどまって、第1巻だけにしておきました。ファイルの拡張子が “.ebi” であるところがエビ好きにはたまらないですよね。ま、僕はそれほどエビ好きではないので、別にどうでもいいんですけどね。 とまあそんなことで、僕はさっそく宗薫先生の小説を読んでみたわけでありますが、僕にとってはまったく興味のないスケベなシーンばかり出てきて、なかなか肝心のキースが出てこないんですよね。で、さんざんじらされて、ようやく登場したのが288ページ目だったんですが、銀座のクラブに勤めるリエという女の好きなピアニストはですね、キースと山下洋輔なんだそうで。一方、この小説の主人公である宮松クンが持っているアルバムはキースとヨースケの他、菅野邦彦、ダラー・ブランド、チック・コリア、バッド・パウエル (←原文ママ) 、ファッツ・ウォーラーって、いや一体どういった趣向の持ち主なのか、さっぱり分かりませんなぁ。オレは手が早い。しかし、口は固い。あそこも硬い。…って、言ってることも極限までつまらないし、いや、しょうもない小説のおかげで貴重な土曜日の午後の時間を無駄に浪費してしまいました。やっぱり僕は宗薫ではなくて、宇能センセイ好きであることを再確認しましたが、そんなことでまあ、ではキースのケルンを聴いてみることにしましょうか。

 ・・・。結論から先に言ってしまうと、今日の“jazz giant”は過去数年間で、最も後半部分がすぐに終わってしまう可能性があるな。…という気がしてなりません。いや、しかし、やはり宗薫先生はさすがによく勉強されてます。おそらくは「ケルン」 が当時最も最適な選択ではなかったかと思います。もっともキースのうなり声にどう反応するかが運命の分かれ道のような気がするのですが。…という、かれい技士の書き込みを見て、 発作的に “Amazon” のショッピングカートに入れてしまったんですが、後から全編がピアノの無伴奏ソロであることに気付いて、ちょっと嫌な気がしてたんですけどね。いや、僕ってソロ・ピアノが蛾の鱗粉と同じくらい苦手なんですよね。でもまあ、リエぴょんも好きみたいだし、きっとギャル受けのするキュートでラブリーな音楽なんだよね?…と思い直してプレイヤーのスイッチを入れてみたところ、うーん…、なんとも微妙なところでありますなぁ。。。 日本語ライナーには、彼がケルンで生み出した最初のフレイズは、筆舌に尽くしがたいほど美しいものだった。…などと書いてあるし、演奏が始まった瞬間、部屋の空気が変わる。…といった話をよく耳にするとおり、出だしの部分はかなりイケてると思います。確かに筆舌に尽くしがたいほど美しいし、部屋の空気だって変わります。どのように変わるのかというと、何だか焼ハマグリ臭かった僕の部屋の空気が、一瞬にしてケルンになってしまいました。 が、非難の声が上がるのを覚悟で個人的な見解を述べさせてもらうとですね、スタートから3分で飽きちゃいました。だいたいこれは、ジャズなんでしょうかね?僕にはどうにもジョージ・ウインストンのニューエイジみたいに聴こえてしまったんですが、ま、その分、あまりジャズ好きではないギャルには受け入れられやすいのかも知れませんけど。

 とにもかくにも 「ケルン・1975年1月24日・パート1」 です。LPでは2枚に収められていた全4曲すべてに地名と年月日だけの無機質なタイトルが付けられていることからもわかるように、演奏はすべてフリー・インプロヴィゼイションとなっておりまして、テーマ・メロディとかそういうのは一切登場しません。ある意味、究極のソロ・パフォーマンスであるな。…ということは理解出来るんですが、それにしても “パート1” の26分01秒という長さはちょっと。…という気がしますね。2分61秒くらいなら我慢出来るかな?…という気がしないでもないんですが、その10倍ですからね。だいたいキースが着ているシャツの胸ポケットのところのラーメン丼みたいな模様からしてよくないですよね。…と、ぜんぜん関係のない事ですら気になってしまうんですが、えーと、とりあえず出だしの部分は良好であると。確かにこのフレーズがまったくのアドリブで生まれたというのは奇跡と言っていいかも知れませんね。奇跡というのは少し大袈裟としても、イセキの農機具みたい。…ということは言えようかと思います。で、2分35秒くらいから演奏は次第に熱さを増していきまして、ま、熱いと言っても所詮はピアノの無伴奏ソロなので草津温泉の合わせ湯の2番目にぬるいやつくらいの熱さであるわけなんですが、…とか言ってるうちにまた38℃くらいまで温度が下がって、やがて問題のキース君のうなり声が聞こえてきたりします。ピアノのフレーズと微妙にユニゾンになってる分にはまだいいんですが、そのうち弾いてる音とはまったく関係なく、ただ気分だけで変な声を出されたりすると、観客としてはかなり迷惑な話だと思います。

 実はこの原稿を書いている現在、このアルバムに耳を傾けるのは4回目くらいなんですが、さすがにちょっと慣れてきたのか、12分46秒くらいまでは割といい感じで聴けるようになってきました。おっ、13分23秒のあたり、かなりいいフレーズが出てきたりもしますよね。…といった感じで結局のところ、勢いで “パート1” の26分01秒は完聴してしまいましたが、正直なところ、20分を過ぎるとさすがにちょっと疲れてきますなぁ。僕の体力・気力の持続時間は、ま、せいぜい20分弱といった感じなんですが、日本人の実力としてはまあ平均レベルといったところですかね?…って、いや、見栄を張ってかなりサバを読んだ数字ではあるんですけど。 で、もっと問題なのは 「パート2a」 「パート2b」 「パート2c」 なんですが、 「パート2」「パート3」「パート4」 という名前でないということは、あるいは3分割されているのはあくまでもアナログレコードの収録時間の関係で、実際には1つの曲として演奏されたのかも知れませんね。となると、14分54秒+18分13秒+6分56秒=40分03秒ということになりますか。さすがにこれだけの持続は無理ですよね。しかも一発終わった直後だしぃ。。。

 …と思っていたら、やっぱり無理でした。 “パート2” の出だしは “パート1” に比べるとかなり快活な感じなんですが、尿酸値が高くていつ痛風の発作が起きても不思議ではない僕の場合、トンカツとか串カツとか快活といったカツの類はなるだけ控えめにしなければなりませんからね。 “パート1” も20分を過ぎてやや快活になり出したことからちょっぴり胃もたれ気味になってしまったんですが、 “パート2” はもう最初からおなか一杯でありますなぁ。 ま、途中からは静謐ムードになったりもするんですが、ということで以上、ご馳走様でした。。。

【総合評価】

 個人的にはかなり精神的苦行に近いものがありました。キースはもういいっす。…って感じぃ? いや、銀座のクラブ勤めのリエぴょんとはあまり仲良くなれそうもありませんなぁ。。。


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