THE SOUL MAN! (PRESTIGE)

BOBBY TIMMONS (1966/1/20)

THE SOUL MAN!


【パーソネル】

WAYNE SHORTER (ts) BOBBY TIMMONS (p) RON CARTER (b) JIMMY COBB (ds)
【収録曲】

CUT ME LOOSE CHARLIE / TOM THUMB / EIN BAHN STRASSE(ONE WAY STREET)
DAMNED IF I KNOW / TENAJ / LITTLE WALTZ

【解説】

 日本にはたくさんの “” がいます。俗に “八百万(やおよろず)の神” と言われるところを見ると、その数、およそ800万。けっこうな数ですよね。日本の人口が1億2000万人であるとすると、人間150人につき、1人の神サマが付くという計算になりますね。忘年会の宴会なんかだと、お客さま10人につき、コンパニオンが1名付きます。…くらいの割合でないとおじさんが拗ねるので、それに比べれば神サマの含有率はかなり低いと言えるかも知れませんが、神サマがコンパニオンと同じくらいもいたりすると有難味というのが薄れてしまうので、150人につき1人というのは、ま、無難な線ではないですかね? 例えばキリスト教なんかだと、信徒の数が10億人もいるにも関らず、神サマは1人しかいないわけだから、割合にすると1人当たりの神サマ率は 0.0000001%ということになってしまいます。もはや “ppm” といった大気汚染を示す単位を用いたほうがいいのではないか?…と思ってしまうほど神サマとの関りは薄くなって、こりゃ、とても願い事など聞いてくれそうもありませんよね。その点、日本の神サマなら大丈夫です。何せ、150人だけを相手にしていればいいだけですもんね。これなら30人学級とまではいかないまでも、かなり密度の濃い進路指導が可能になる筈でして、たとえ神サマが1日に1人だけの願いしか叶えてくれない、あまりヤル気のないキャラだったとしても、1年間に最低でも2回は自分の順番が回ってくることになります。バレンタインデーには義理でも人情でもなんでもいいから、チョコレートが欲しいな。…とか、1年に1回くらいは女子高生のパンチラに出くわしたいな。…とか、その程度の希望なら叶えてくれるに違いありません。いや、多分。

 かように日本にはたくさんの “” がいるわけですが、それと同時にたくさんの “” にも囲まれております。 “神” と “紙” の発音が同じなのは、たまたまでも偶然でも何でもなくて、故意と必然の賜物であるわけなんですが、神サマというのは紙切れに宿るものとされております。例えば神主が手に持ってヒラヒラさせている、棒の先に取り付けたヒダヒダの紙でありますが、あそこに神サマが宿るのだと言われております。紙がヒダヒダになっているのは、神サマがよく絡むようにとの配慮でありまして、ま、要はラーメンの麺がスープによく絡むように縮れているのと同じ理屈でありますな。注連縄に取り付けられているヒダヒダの紙切れも同様。確かそのようなことがどこかに書いてあったよね?…と思って調べてみたら、 “塩サバ通信” の古いページがヒットしただけだったので信憑性のほうはゼロなんですが、それはそうと、紙に関して僕は、子供の頃からずっと疑問に思っていたことがありました。それは何かというと、大学生は本当に大学ノートを使っているのか?…ということなんですが、少なくとも小学生は誰も大学ノートなど使っていませんでしたからね。もっぱらジャポニカ学習帳などを愛用しておりました。大学ノートだから小学生が使うものではない。…と思って遠慮していたのかというと、決してそういうことではなくて、小学生でも平気で大学イモは食べたりしてたので、原因はもっと他のところにあるのではないかと思われますが、でもまあ、大学生は本当に大学ノートを使っているのか?…という疑問は、自分が実際に大学に通うようになれば、自然とわかるようになるよね。…と思って、あまり気にもしていませんでした。が、結局、僕はどこの大学にも入ることが出来ず、よく考えたらこの問題は未だに未解決のままでないか!…ということに今しがた気が付いたので、これがいい機会なのでちょっと調べてみることにしたいと思います。そもそも大学ノートって、何なんっすかね?

 大学ノートの原型と言われるものが登場したのは1884年なんだそうです。ということはこれを書いている2005年現在、大学ノートはちょうど121歳ということになりますね。どこが “ちょうど” やねん!?…と言いたくなるほど半端な数字でありましたが、帝国大学(現在の東京大学)の前にあった 「まつや」 という店で製造・販売されたのが最初だったとか。なるほど、これで “大学” の由来は分かったも同然ですよね。調べてみたら、大して面白い話でもなかったな。…といった結果に終わってしまいましたが、ま、世の中と言うのは往々にしてそういうものでありまして。人生、それほど楽しいことばかりで満ち溢れているわけではありません。が、ここまで書いてふと疑問に思ったんですが、大学ノートの定義というのはそれだけなんですかね? 僕の頭の中では何となく、大学ノート=A4判の大き目のノート。…といった印象があったんですが、その辺りの事情はどうなっているんでしょう? …と思って調べてみたところ、それはまったく僕の勘違いであることが判明しました。一般的な大学ノートの大きさはB5判である。…という記載がそこかしこに見られたんですよね。ま、確かにあまり一般的ではないA4判の大学ノートというのもあるにはあるんですが、問題はノートの大きさではなくて、学生が使いそうなノートであれば、すべからく大学ノートであるっ!…というのが事の真相のようです。いやあ、大学ノートなんだからきっと、大きなノートなんだよね。…と思い込んで、何の疑問もないまま大きくなってこの歳にまでなってしまった自分が、ちょっぴり可愛い♪…と思わずにはいられません。

 そもそも世の中にA判B判などという、2つの規格があるからアカンのや!…と、思わぬところで己の無知を晒してしまった僕は思うわけであります。だいたい “” があって “” までいったのなら、当然、“” まで進むべきやろ!?…という気がするんですが、中途半端に “” で止まっているところも何だか癪ですよね。ま、それは何か深い考えがあってのことだろうから別にそれはそれでいいんですが、どうして世の中にはA判とB判の2種類があるんでしょう? で、学生時代はノートは “B5” 、夏休みの自由研究を発表するのは “B紙” (←B0サイズの紙)と、もっぱらB系列に依存した生活を送っているのに、社会人になった途端に書類のサイズが “A4” になっちゃうんでしょうか? そんなことだから、「B5でコピーして。」…と頼まれた新人のOLが地下5階まで降りていっちゃうんだって!…と思わずにはいられませんが、いや、そんなOLは絶対にいないと思いますけどね。普通、会社のビルは地下5階まではありません。もしあったとしても普通、地下4階くらいまで降りた時点で間違いに気付きます。それでも気付かないようなOLがいたとしたら、これはもう、そういうのを採用しちゃった人事のほうに問題があります。ということでA判とB判でありますが、この2つの系列がある理由はですね、調べてみたら極めて簡単な話でありました。えーと、A判というのはですね、ドイツから来た規格なんだそうでありまして、それに対するB判は日本独自の規格である…と。こちらのほうは美濃紙が元になっているんだそうです。ちなみに紙の大きさとしてはですね、

 A0判 : 幅 841o、長さ 1189o  B0判 : 幅 1030o、長さ 1456o

 となっているそうです。何て半端な数字や!…と思わずにはいられませんね。 “1456” などという脈絡のない数字では、「いよー、五郎!」…みたいな語呂合わせにでもしない限り、到底覚えられるものではありません。 幅 1000o、長さ 1500o みたいな、わかりやすい数字にして欲しかったところでありますが、ま、A判のほうは所詮はドイツ人が考えたものなので、やむを得ない一面はあるんですけどね。 が、B判のほうは根が美濃紙なんだから工夫しだいでは何とでもなった筈です。でもまあ、根が美濃紙なんだから、寸とか尺の単位では限(きり)のいい数字だったんだけど、メートル法に直した途端に半端になっちゃったということは考えられますよね。…といった話なのかと思っていたら、違ってました。A判もB判も一見すると半端極まりない数字のように見えて、実はメートル法的にも実に納得のいくような合理的な決め方がされておりまして、まず最初に縦と横の長さでありますが、これは “1:√2” になっているんだそうです。 “” という記号が機種依存文字でなければちゃんと表示されている筈ですが、念のために書いておくと、ルート2。数字でいうと、1.4142135…。この縦横比はA判でもB判でも同じです。計算してみると、なるほど、確かにその数字になっていますよね。ドイツ人はまだしも、果たして美濃紙職人ごときにルートなどという高度な概念があったのか?…などと、思わず職業差別的な問題発言をしてしまいましたが、それはそうと、紙の大きさというのはですね、実は縦と横の長さが重要なのではなくて、面積のほうが問題になってくるわけでありまして。そこでA0判とB0判の紙の面積を計算してみるとですね、

 A0判0.841m×1.189m≒1.0u  B0判1.030m×1.456m≒1.5u

 この数字を見て、血液型がA型で根が細かくて神経質な僕も、思わず心の底から納得がいったのでありました。

 ということで、今日はボビー・ティモンズでありますが、ちなみに江戸時代には公文書として用いられていた美濃紙というのはですね、273×394mm の大きさなんだそうです。で、縦横比が “1:√2” の紙というのは半分に折っても同じ比率になるので重宝なわけなんですが、美濃紙を半分に折ったのが、いわゆる “半紙” というヤツでありますな。なるほど、どうして半紙なのかと思ったら、半分だから半紙だったんですね。便所紙というのは便所で使う紙だから便所紙なんだろうな。…というのは何となく分かっていたんですけどね。で、もうひとつよく分からんかったのが “ボール紙” というヤツでありまして、あれは丸めてボールにして遊ぶにはちょっと厚すぎるような気がするんですが、ああん、そういう意味ぢゃなくてぇ。板のような紙。すなわち “ボード紙” が転じて “ボール紙” になったんだとか。ボード紙のままでいいぢゃん。…という気もするんですが、ま、ボール紙になっちゃったものは今さらどうしようもないわけでして。ちなみに “ダンボール” というのはボール紙を段々に張り合わせたから “段ボール” 。これで作った家は暖かくて暖房いらずだから、暖房る。…というわけではありません。だったら “暖房いらん” といった名前になる筈ですもんね。とまあそんなことで、今日は 『ザ・ソウル・マン』 というアルバムを紹介したいと思うんですが、いや、いいですな。 「ザ・魂男」 ですか。 “かたまりオトコ” ではなくて、 “たましいオトコ” 。何でもいいけど “” と “” という字はよく似てますよね。 “団塊(だんかい)の世代” のことをずっと “だんこんの世代” だと思っていて、オトナになってから間違いに気付いて、とっても恥ずかしかったのぉ。…といった経験をしたことのあるギャルは少なくないと思いますが、それはともかくとして。このアルバムにはですね、ウエイン・ショーターロン・カーターが参加しております。ま、ロン・カーターなど、いても、いなくても別にどうだっていいんですが(←差別発言)、ショーター君の参加は嬉しい限りでありまして、いつもの “イケイケどんどん” の真っ黒ファンキー路線とは一味違った世界が展開されているのではないでしょうかね? いや、ジャケットを飾る白いランニング姿のティモンズを見ている限り、とても知的でクールな新主流派風のジャズが展開されているとは、とても思えないんですけどね。とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 えーと、まず最初はティモンズのオリジナルで、 「カット・ミー・ルース・チャーリー」 という曲でありますか。「チャーリー、私をゆるゆると切って♪」…といった意味ですかね?どういう意味なのかはよくワカランのですが、あるいは被虐趣味の歌でありましょうか?…と思って翻訳サイトにかけてみると、「チャーリー、私の勝手なふるまいをしてください。」という訳語が出てまいりました。勝手なふるまいというのはアレですよね。酒屋の店主に無断で、勝手に “ふるまい酒” をふるまったりとか、そういう行為ではないかと思うんですが、そういう勝手な行動を許してもいいのか、チャーリー?…と思わずにはいられません。 ま、ティモンズの勝手なふるまいで実害を被るのは酒屋の店主であって、僕には直接関係はないので、ま、別にどうでもいいんですけどね。 で、演奏のほうはというとですね、ロン・カーターのベースのイントロで幕を開けます。何だか地味ですな。いや、別にいいんですけど。で、続いてショーターがテーマを吹くわけですが、メロディ自体は極めてシンプルなものでありますな。よくはワカランのですが、基本的にはソファミドレ〜、ソファミドレ〜、ラソファレミ〜、ソファミドレ〜♪…とだけ吹いていれば何とかなりそう?…といった感じでありまして、でもまあ、モード曲なんてのは基本的にはそんなものなんですけどね。いや、これがモードなのかどうかはよくワカランのですけど。で、メロディを2回反復するにあたって、ショーターは1回目を歯切れよく、2回目は語尾を延ばしてブルージーに吹いておりまして、そこのところで変化を付けたりしているわけでありますが、アドリブ・パートに入ってからは、これはもう完全にモード奏法であると言ってもいいのではなかろうかと。 『ジュジュ』 あたりを彷彿させる、僕が好きな時代のスタイルでありまして、いや、やっぱりショーター君はいいですなぁ。…と、まったくショタコン趣味のない僕でも思ってしまいますね。で、続くティモンズのソロは白いランニング姿であるにもかかわらず、意外と知的でクールな雰囲気が漂っておりまして、あまりあざとくファンキーでないところに好印象が持てます。せいぜい頑張って、黒っぽくしてみましたぁ。…といった時のシダー・ウォルトンに近いものがあるような気がします。とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。

 2曲目はショーターのオリジナルで、 「トム・サム」 という曲です。いや、いいですなぁ、韻を踏んでいて。2文字・2文字で韻を踏んでいても、やや単調に過ぎるような気がしないでもないんですが、とにかく韻を踏んでいるのはいいです。少なくともウンコを踏んでいるのよりはいいです。ウンコを踏んだりすると靴がウンコ臭くなって、友達から “えんがちょ” されたりしますからね。あれはよくありません。…って、そんな小学生じみた話はどうでもよくて、そういえば最近、缶蹴りをして遊んでいる小学生の姿を見かけなくなりましたなぁ。いや、似たような遊びはしているのは見かけるんですが、蹴っているのが空き缶ではなくて、ペットボトルを半分に切ったものだったりするんですよね。あれはもう、缶蹴りとは呼べません。 “ペットボトル蹴り” という、新しい遊びであるものと思われます。あんなものを蹴ってみたところで、パコッ!…という何だかサエない音しかしなくて、缶を蹴るあの、カーン!…という爽快感は到底味わえないと思うんですが、どんなものなんですかね? ま、いずれにせよ僕は小学生の男児にはまったく興味がないので、別にどうでもいいんですけど。で、一方、僕が大いに興味を抱いている小学生の女児はどのような遊びをしているのかというと、よく “色鬼(いろおに)” をしているのを見かけますな。 “色鬼” というのは何かというと、面倒なので説明するのはヤメにしておきますが、この 「トム・サム」 というのはショーターのリーダー作、 『SCHIZOPHRENIA』 (←読めん。) の冒頭の飾ったジャズ・ロック調のナンバーですよね。あちらが3管編成だったのに対してこちらはワンホーンで、テーマ部の迫力という点では何とも心もとないところがあるんですが、試しに聞き比べてみたところ、テンポ設定はティモンズ版のほうがかなり速めになっておりました。ショーター版って、こんなにゆっくりとしたテンポだったっけ?…と意外に思ってしまいましたが、 「トム・サム」 だけに殿様キングス的な味わいもあって(←編集部注:ねーよ。) なかなか悪くない曲ですよね。ジャズ・ロックって、今の耳で聴くと妙にダサダサだったりするんですが、ショーターは例外でありまして、8ビートでもきっちりハードに決めてくれるところが、素敵っ♪…と思わずにはいられません。 で、続くティモンズのソロでありますが、1曲目同様、ややシダー・ウォルトンな弾きっぷりでありますな。らしくない…といった評価を下すことも出来ようかと思いますが、これは事実上、ショーターのリーダー作であるな。…と割り切って考えてしまえば、ま、こんなものではないですかね? ということで、テーマに戻って、おしまい。

 3曲目はロン・カーターの 「エイン・バーン・ストラッセ」 という曲でありますな。括弧して (ONE WAY STREET) と書いてあるので、恐らくそういう意味なのではないかと思われますが、これはドイツ語なんですかね? “EIN” というのは “会陰” のことではなくて、 “ひとつ” という意味なんですね。とすると、 “アイン” と発音するのが正解かも知れません。そういえばアインシュタインという名前は、日本語にすると “一石” だという話を聞いたことがありますな。 アイン・シュタイン = ワン・ストーン 。 うーん、なるほど。 で、 “BAHN” が “” だよね。…というのはみんなもよく知ってる通りでありまして、アウトバーンとかアイスバーンとか、そういう言葉は日本でもよく使われております。アイスというのは英語ではないのか?…という気がしないでもないんですが、ドイツ語で “” のことは “Eis(アイス)” というので、これで正解。  で、 “アイン・バーン・ストラッセ” というのはアレですね。 “一方通行の通り” という意味ですよね。もし今後、ギャルと一緒にドイツを訪問するような機会があれば、是非とも一方通行の通りに行ってみて、「これはいわゆる “アイン・バーン・ストラッセ” というヤツだよね。」…という知識を披露して、「まあ、さばさんって、物識りなのぉ♪」…という尊敬を勝ち得てみたいと思います。 で、これ、曲の出来としては、何だか今ひとつなような気がするんですけどね。ウィットの効いたメロディ・ラインが、いかにもドイツ的である。…といった気がしないでもないんですが、ドイツ人というのはあまりウィットを感じさせる人種ではないような気もするし、とにかくまあ、テーマに続いて、どこに行くのかよくわからんようなショーターの徘徊的なソロがあって、こりゃ間違いなく、酔っ払って一方通行の道を逆走しちゃっているな。…といった感じですよね。続くティモンズのほうがまだ足取りは確かなんですが、何だか捉えどころがないという点では、ま、似たりよったりでありますな。で、作曲者ロンくんの地味なピチカート・ソロがあって気分が盛り下がったところで、テーマに戻って、おしまい。 ま、よくあるアルバム中盤の “中だるみ” といったところでありましょうか。次の曲に期待!…でありますな。

 4曲目はティモンズの 「ダムド・イフ・アイ・ノウ」 という曲です。「私が知っているなら、けなされます。」…と、何だかよくわからない訳語が出てまいりましたが、そうですかぁ。貶されますかぁ。知っているのに貶される…というのは何だか腑に落ちないところもあるんですが、あまり知ったかぶりをすると、かえって顰蹙を買う…といった教訓なのかも知れませんね。今後、ギャルと一緒にドイツを訪問するような機会があったとしても、一方通行の話をするのはやめよう。…と思い直してしまった次第でありますが、曲自体、何だか調子のいい感じで、悪くないとは思うんですけどね。が、その調子のよさが災いしたのか、ショーターのアドリブも、それに続くティモンズのソロも何だか全体的に上滑りしていて、表面的なフレーズの垂れ流しに終始しちゃってるよね。…と、思わず貶すようなことを書いてしまいましたが、いや、 “毛無し” というのは個人的には嫌いではないんですけどね。 ということで5曲目です。ここからロン・カーターの作品が2曲続いて、このアルバムの影の立役者はロンくんだったんだね。…ということが明らかになった次第でありますが、まずは 「テナージ」 でありますか。イボー痔、キレー痔、テナー痔。関係ないですね。そもそも “テナージ” というのが何なのか、さっぱり意味がわからなかったんですが、人様のサイトを調べてみたら、それらしき回答を得ることが出来ました。 “TENAJ” というのは “JANET(ジャネット)” の逆綴りではないか。…って、なるほど、確かに納得のいく話ですよね。で、これはアレです。バラードです。せっかくショーターなんだから、1曲くらいはバラードを聴きたいよね。…と思っていたら、ここに持ってきましたか。ワルツ・タイムの何ともミステリアス・キュートなメロディでありまして、ロン、やるぢゃん!…と、思わず彼の才能を再評価してしまった次第でありますが、これはもう、ショーターにぴったりの曲ですよね。心ゆくまで退廃の世界に身を委ねたくなるユダヤ人ギャル、ユダちゃん(17歳)…といった感じでありまして、いや、ジャネットはどうした?…という気がしないでもないんですが、とにかくまあ、バラードで始まって、そのうち次第に熱くなってテンポも速くなってきて、…と思ったらスッとリズムが消えて無伴奏になったりして、いや、なかなかロマンチックな展開でありますな。ティモンズのソロも白いランニング姿からは想像も出来ないリリカルなものでありまして、思わず何度も聴き直したくなる、そんな珠玉の1曲であるな。…と思います。

 わはははは。巨人の開幕戦、新守護神のミセリ君がいきなり、炎上っ!…でありますか。これでは河原と何ら変わらんじゃないか!…と思わずにはいられませんが、あ、河原クン、いつの間にやら西武にトレードされていたんですね。ジャイアンツを離れさえすれば嫌いなキャラではないので、新天地で頑張って欲しいと思います。それはそうとベイスターズの三浦クンは、相変わらず報われない人生を送っておりますなぁ。 …と、野球ネタでさりげなくおじさんの心を掴んでおいて、いや、おじさんの心など掴んでみたところで、何ら報われるものはないわけでありますが、アルバムの最後を飾るのは 「リトル・ワルツ」 でありますか。名前の通りワルツ・タイムの曲で、またしてもバラードでありますな。いや、確かにショーターのバラードを聴きたいと切望していたんですが、ここに来て、何も2曲続けることもなかろうに。…と思わずにはいられません。二幸エ○ジニアリングの菊ちゃん(←編集部注:おっさん)も、何も9万円の見積書を出さなくてもよかろうに。…と思うんですよね。某排水機場の電気設備の点検をお願いして、例年どおり5万円の報酬ということで話がまとまったんですが、「見積はそのままの金額でいいですか?」…と聞かれたので、「ま、そのままでも、ちょっと(金額)を上げてもらってもエエんやけど。」…と答えておいたんですよね。この業界では見積金額を少し高めに出してもらっておいて、値切る。…というのが通例になっておりまして、いや、最初から値段が決まっているなら、意味ないぢゃん。…という気もするんですが、見積どおりの金額で注文書を切ると、ナ○ナワ所長代理が、「まけさせろ!」…といって、うるさいんですよね。ケチですからねぇ、ナガ○ワ所長代理。そんなんやから、影で “○○ナワ” (←個人情報保護の観点から、一部伏字) と呼ばれるんや!…と思わずにはいられませんが、それはそうと菊ちゃん(←編集部注:おっさん)も、5万円で話をつけたのに、何も見積金額を9万円まで吊り上げなくてもいいと思うんですけどねぇ。 何だかこれでは世間の皆様から、“見積金額を 45%もまけさせた、ケチなイナバ主任”と誤解される恐れがあって、はなはだ不本意であります。 とまあ、それはそうと 「リトル・ワルツ」 でありますが、単純にこの演奏だけを聴けば悪くない出来であるとは思うんですけどね。が、アルバムの最後に似たようなのを2曲続けて聴かされると、やっぱりちょっと飽きてしまいますな。バランス的にA面の最後あたりに持ってくるべきではなかったか?…と思わずにはいられませんが、でもまあ、こういう順番になっちゃったものは今更、どうしようもないしぃ。 ということで、今日はおしまい。

【総合評価】

 一体、何のための白いランニングシャツやったんや!?…と思ってしまうほどソウル色の薄い仕上がりでありますな。ティモンズらしさも極めて希薄でありますが、ショーターのリーダー作だと思えば、それなりに楽しめる1枚ではあります。せめてグレーのジャージ姿くらいにしておけばよかったのにぃ。。。


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