THE SEANCE (CONTEMPORARY)

HAMPTON HAWES (1966/4/30,5/1)

THE SEANCE


【パーソネル】

HAMPTON HAWES (p) RED MITCHELL (b) DONALD BAILEY (ds)
【収録曲】

THE SEANCE / OLEO / EASY STREET
SUDDENLY I THOUGHT OF YOU / FOR HEAVEN'S SAKE / MY ROMANCE

【解説】

 “ぼくはこんな本を読んできた” という話をしたいと思うんですが、いや、クソ忙しかった本職の “うんこポンプ技師” の仕事も、ここに来てようやく峠を越えました。いや、最近はあまりマンホールポンプの仕事はしていなくて、水源地や排水機場での業務がほとんどだったんですが、残っているのと言えば某排水機場でのエンジン・トップ・オーバーホール工事の書類作成くらいでありますか。これは工期が2月28日までとなっていて、一ヶ月近くも放置していて、大丈夫なのか?…という気がしないでもないんですが、ナ○ナワ所長代理(仮名)がですね、「正式に決まったわけやないけど、減速機との絡みもあるで、工期延長になる…ような気がする。」 と、何やら曖昧なことを言っておりましたので、その言葉を信じて今まで先延ばしにしてきました。ナガ○ワ所長代理(仮名)は人間としても上司としても尊敬に値する人格者でありますので、その言葉に間違いはないわけでありまして。ま、僕はどうせ工事部門を担当しているだけで、役場との折衝はすべてこの人がやっておりますので、工期が遅れてお客に怒られるのは、ナガナ○君なワケだしぃ。

 ということで、昨日の土曜日はですね、お休みしました。久しぶりの土日休みで、しかもスキーの予定も入れてなかったので、2日間、原稿書き三昧だねっ♪…などと思っていたんですが、いやあ、人生、なかなか思い通りにはいかないものでありますな。ま、今日頑張らなくても、明日があるしぃ。…という心境からつい怠惰な方向に走ってしまって、結局のところ昨日は1日中、本を読んで過ごしておりました。どのような本を読んでいたのかというとですね…、という話をしようと思って、“ぼくはこんな本を読んできた” というタイトルを付けてみたんですが、ちなみにこれは立花隆の著書のパクリなんですけどね。好きなんですよねぇ、タカシくん。ウクレレを持たせればそのまま高木ブーとしても生きていけそうな自虐系のルックスであるにも関わらず、結構アタマがよさそうなことを書いてるそのギャップが、もうたまらんっ♪…と、オトメ心はときめいてしまうんですよね。いや、立花隆好きのギャルというのも、どうか?…という気がしないでもないんですが、ちなみに僕の場合、タカシ君の顔が好きなだけの話なので、その著作にはあまり興味がありません。よって、 『ぼくはこんな本を読んできた』 という本も読んじゃいないんですが、では何を読んでいたのかというとですね、えーと、まずは 『プロジェクトX@海賊襲撃・マラッカ海峡の闘い』 でありますか。これはですね、昨日ではなくて、先週の日曜日に読みました。仕事をするために事務所に行ったら他に誰もいなくて、急速にヤル気をなくしたので、「サボって本を読んでやるぅ!」…と思って読み始めたところ、最初は10分くらいで業務に戻るつもりだったんですが(←ホンマか?)、ついつい引き込まれて最後まで完読してしまいました。で、他に誰もいないのをいいことに、密かに黙って泣いておりました。いや、この “プロジェクトX” のシリーズは面白いのもあれば、そうでもないのもあって、玉石混合の感があるんですが、これはなかなかのヒット作でありましたな。

 先週でしたか、先々週でしたか、先々々週でしたか、いや、それほど前ではなかったと思いますが、マラッカ海峡で日本のタグボート “韋駄天” が海賊に襲われて、船長ほか計3名が拉致されるという事件がありましたよね。21世紀というこの時代に、まだ海賊なんて棲息していたのか!…という新鮮な驚きを僕たちに与えてくれたものでありますが、いやあ、海に烏賊(いか)がいるのは知っていたんだけど、海賊というのもまだ現役だったんだね。…と思った人も少なくないに違いありません。韋駄天イカ天で、何か1本書けないか?…などと、つまらないことを考えたライターもいるかもしれませんが、それはともかく、今回の事件でよく引き合いに出されたのが 1999年に起こった “アロンドラ・レインボー号事件” でありました。この “アランドラ・レインボー” という名前を見て、これで何か1句作れないものか?…などと、つまらないことを考えた俳人もいるかも知れませんが、えーと、例えばそうですねぇ。

 ・アランドロン レインボーマンを やっつける

とか。もはや下段にコメントを付ける気も失せてしまうような駄作の極みでありましたが、それにしても “韋駄天” というのはよく見ると、偉大なんだか、駄作なんだか、天麩羅なんだかよくわからん漢字がならんでおりますな。それはそうと、ある日、何気にNHKラジオを聞いていると、この “アロンドラ・レインボー号事件” に巻き込まれた当時の船長がですね、コメンテーターとして登場していたんですよね。この海賊事件に関しては、そういえばそんなこともあったっけ?…という程度にしか記憶していなかったんですが、いや、なかなかスリルとサスペンスに満ち溢れた貴重な体験だったんですな。船ごと海賊に奪われて、救命ボートに乗せられて海の上に放置されるなんざ、日常生活においてなかなか味わえるものではありません。ちなみにこの時の話は “プロジェクトX” でも紹介されたというので調べてみたところ、なるほど、確かに本のほうもちゃんと出版されております。そういえばそんな話の巻もあったよね。…といった程度には覚えていたんですが、当時、海賊にはまったく何の興味もなかった僕にはまったく何もソソられるものがなくて、そのままずっと放置していたんですが、いや、読んでみたらこれはよかったっす。この船長、実は40年にも及ぶ “海の男” としての生活に別れを告げる最後の航海だったりとか、救命ボートで漂流していた17人を発見した漁船の名前が “幸運・希望3世” だったりとか、あんた、そりゃ、出来すぎやろ?…といいたくなるようなエピソードが多数。もし僕が物書きだったらこんなクサい話、とてもぢゃないけどこっ恥ずかしくって、書けませんね。ああ、事実は小説よりも奇なり。ま、いずれにせよ、この本を読んで大いに感銘を受けて、「俺、大きくなったら海賊になるよ!」…などと思ってしまう少年も少なくないに違いありません。…って、アンタそれ、方向を間違ってるって!

 はい、次。笠原真澄著、 『サエない女は犯罪である』 。いや、これまた大胆なタイトルを付けたものでありますなぁ。ま、確かにサエない女というのは何だか今ひとつパッとしないよね。…という気はするんですが、それを “犯罪” とまで言い切ってしまうのはどうか?…という気がしないでもありません。 『おもろい女は漫才である』 ならまだ分かるんですけどねぇ。 などと思いつつ読んでみたところ、ま、それほど毒のある内容ではありませんでしたけどね。どうしてブスでデブなのに、ピンクハウスの服を着るのか?…とか、ま、そういった話でありまして。しかし何ですな。ブスって、そんなストレートな物言いをしてはいけませんな。もっとこう婉曲で遠回しで、相手を傷付けない表現というのがあるではないですか。例えば、えーと、そうですな。“不細工”とか。…って、いや、何だかちっとも婉曲でも遠回しでもなかったような気もするんですが、それでも “不細工” という言葉からは、確かにブサイクなんだけど、そこのところが可愛いっ♪…という愛が感じられるような気がしますよね。…って、そう思ってしまう僕って、もしかしてマニアですかね? そんなに激しく容姿が整っているわけではなくて、ちょっぴり不細工くらいなほうがタイプだったりしますからね。微妙に可愛い不細工。そういうギャルが、いいな♪…と思います。

 で、次。笠原真澄著、『やっぱりサエない女は犯罪である』 。前作がまあまあ面白かったので続編のほうも読んでみたんですが、こちらはまあ、出来としては65点くらいですかね?…って、いや、何だか松本ちえこ『恋人試験』 みたいな微妙な点数になってしまいましたが、そういえば松本ちえこというのも微妙に不細工可愛いキャラでありましたな。で、 『やっぱり〜』 のほうがどうして65点なのかというと、それはやっぱりネタ的に前作とかぶっているところがあるし、 “カマトト女” のあたり、 一概には賛同しかねることがいくつか書かれておりました。シモネタが出来ない女はサエない。…って、そりゃあんた、ちょっと違うやろ!?…みたいな。 シモネタなんてあんなもの、下品で、品がなくって、上品でなくて、いや、言ってることはどれも同じなんですが、とにかくまあ、あんなものはちっともよくありませんもんね。僕もシモネタは嫌いです。あとはえーと、 “血液型別サエない女” とか、“星座別サエない女” とか、こんなの決め付けもいいところですもんね。…って、お遊びでやってることにいちいちケチをつけるなんて、サエな〜い。…などと言われてしまうかも知れませんが、あと、 “サエない女研究委員会” という一般人からの投書みたいなのがあるんですが、男は出てくるなって!…と思わずにはいられません。前編では基本的にギャルの声だけだったような気がするんですが、ヒロシのコメントなんか、誰も読みたくねーって! …と、何だか文句ばかり言ってしまいましたが、いちばん最後にあった “トモコのごく平凡な日常” というのは出色の出来でありました。なんともサエない女子大生トモコのごく平凡な日常について書かれたものなんですが、トモちゃんってば、もう最高にラブリー♪ 女子高生から一挙に人妻にまで趣向が跳躍してしまう僕でありますが、こういうキャラなら女子大生でも、いいかも?…と思ってしまいました。

 で、最後。森綾著、 『大阪の女はえらい』 。これまたお気軽なギャル系エッセイでありますが、好きなんですよね、大阪の女って。関西弁圏内の東のハズレの住民としては、やはり関西系の言葉のほうが落ち着くちゅうか、気が許せるちゅうか、いや、大阪ギャルと気の許せるような間柄になったことは一度もないんですけどね。いずれにせよ、 “笑いをとる〜おもろい人間の未来は明るい” など、大阪ゆうたらやっぱり “お笑い” と “たこ焼き” やろ?…という発想が単純明快でよいですね。ちなみに大阪の女が “お笑い” にうるさいというのは有名な話でありますが、綾ちゃんいわく、お笑いの中でも一番レベルが低いのはシモネタ、その次はダジャレだ。…ということでありまして。 『塩サバ通信』 に今ひとつ関西系ギャル読者が多くないのは、どうもそこのところに原因があるような気がしますなぁ。。。

 ということで、本日はハンプトン・ホーズでありますが、いやあ、すっかり春ですなぁ。そこで、いかにも春らしい話題をひとつ。僕がしばらく通いつめていた某水源地が小学校のグラウンドの中にあるという話は前にも書いたような気がしますが、先日はその小学校の卒業式でありまして。いつもは半袖の体操服とブルマで走り回っている6年生の女児も、この日ばかりは制服(←んなものあったんや。)のスカートを穿いたりして、ちょっぴりオトナの装いでありますな。で、卒業式の後、在校生が集まって、その日は集団下校ということになったんですが、その席で女教師がこのようなスピーチを披露しておりました。「昨日ですね、学校の近くで、男の人でオ○ンチンを出して喜んでいる、そういうちょっと変な人が出ましたー。」 話している女教師は遠目だったので顔まではよく確認出来ませんでしたが、声の調子からするとかなりのベテランのようでありまして、いや、さすがですなぁ。僕なんか根がシャイなもんで、思わず “オ○ンチン” などと一部を伏字にしてしまいましたが、彼女はまったく臆することなく、堂々とその言葉を口にしてましたからね。とまあ、それはともかく、僕はその話を聞いて、一瞬、やばっ!…と思ってしまいました。いや、別に身に覚えはなかったんですが、数日前に仮設便所を撤去したものだから用を足す場所がなくなってしまって、仕方なく学校のプールの横の敷地の隅っこのほうで立ちションをしてたんですよね。僕にその気はなくても、その姿を目撃した女子児童が思わず興奮…、いや、憤慨して、先生にチクったということも考えられます。ちなみにその立ちション地点は橋の手前で道路が高架になっているところの直下でありまして、よくそこを自転車通学の女子高生が通ったりするんですよね。いや、多分、道路の上からはよほど注意しないと僕の姿は見えないと思うんですが、逆に下からは彼女たちの姿がよく見えて、こりゃ、間違いなくパンツが見えてしまって、ヤバいなぁ。…と思ってしまうこともしばしば。そういうところで立ちションしている姿を女児に目撃されて、「変なおじさんが女子高生のぱんつを見ながら、手でオ○ンチンをいぢってたぁ!」…などと、あらぬ誤解を与えてしまった可能性がまったくないとは言い切れず、それはそうと “変態出没!” という知らせを聞いて、つくづく、春だなぁ。…と思った次第でありまして。 ということで、ハンプトン・ホーズの 『ザ・センス』 、いってみましょうかぁ。

 ハンプトン・ホーズの全盛期は1955年頃である。…という認識は衆人があまねく抱いている印象でありましょう。というか、よほどのウマさん好きでもない限り、 『ザ・トリオ』 の3部作以外は、知らん。…という人が多いのではなかろうかと。そのような趨勢において、1966年録音のこの 『ザ・センス』 などというアルバムは、さほどセンスがいいようにも思えない今ひとつ地味なジャケットと相まって、ほとんど注目される機会もないことでありましょうが、かく言う僕もほとんど期待はしてなかったんですけどね。ちょっと見慣れないのがあるんで、一応は押さえておくぅ?…みたいな。で、買って聴いてみて初めて分かったんですが、これはライブ物だったんですな。いや、ちっとも知りませんでした。ちなみにこの 『THE SEANCE』 というタイトル、最初に見たときは、キス・シーンとか、ベッド・シーンとかの、 「ザ・シーン」なの か?…と思ったんですが、よく見ると綴りが違っていて、じゃ、“センスのいい扇子”という場合の 「ザ・センス」 なのか?…というと、それともまた微妙に違うんですよね。調べてみたら “SEANCE” というのは“降霊術の会”とか “会議・会合・開会” といった意味(フランス語?)でありました。降霊術というのはアレですよね。霊を地上に呼び寄せて、みんなでそのお話を聞くといった恒例の行事ですよね。特に高齢の方がよくハマったりするようでありますが、恐らくホーズは 「ザ・会合」 などという締まらないタイトルではなく、 「ザ・降霊術」 という意味で付けたのではなかろかと。もしかしたら発音のほうも “センス” ではなくて、 “セイアンス” とかなのかも知れませんが、とにかくまあ1曲目はそのタイトル曲でありますな。 「ザ・セイアンス」 。ホーズのオリジナル曲であります。

 MCとかそういうのは一切なく、拍手の音に続いてホーズのピアノが登場します。なにやらいわくありげな無伴奏ソロによるイントロは、いかにも降霊術という感じでありますな。そこにレッド・ミッチェルのピチカートが絡んで雰囲気はより一層妖しさを増して、で、ドナルド・ベイリーが入ってイン・テンポになると、この曲がスピリチュアルなスロー・ブルースだったんだぁ。…ということがようやく判明するという仕組みになっております。ホーズという人は黒人ながらあまりネチっこいところがなくて、西海岸の陽気さを思わせるような乾いたタッチに特徴があるんですが、それでいてブルースの名手であったりするあたり、やはり根は黒人なんだねっ。…と思わせるところがなんとも日本人好みのキャラであるわけでして。で、60年代以降の演奏からはビル・エバンスの影響も感じさせるようになって、より洗練されてきたよなぁ。…といった印象を 『THE GREEN LEAVES OF SUMMER』 というアルバムで僕たちに与えてくれたわけなんですが、そういう60年代のホーズらしさが随所に現れて、よいしょっと。…とまあ、そんな演奏であると思います。昔のあの、パキパキした感じのタッチはちょっと影を潜めてしまったんですが、ウイントン・ケリーあたりに近くなったような感じもしますよね。で、演奏ではレッド・ミッチェルのベースの音がよく目立ちます。アンタ、ちょっと前に出過ぎぃ。…という気もするんですが、そこはそれ、インタープレイという奴でありまして、これがいわゆる三位一体の小泉改革にもつながっていくわけでありますな。 で、出過ぎのミッチェル君は中間部でソロ・パートも与えられて、嬉々としてピチカート・テクを披露するわけでありますが、ま、アルコじゃないだけ、マシ?…とでも思って諦めるより他はなかろうかと。 で、このベース・ソロの後、ホーズの鬱憤が爆発します。いきなり派手に弾きまくり状態で再登場して、そのまま何故だかラテンのリズムに転じたりするんですが、これはおそらく “ノリノリの霊の紀宮(のりのみや)” みたいなのが空から降りてきたということなのではなかろうかと。いや、サーヤ@紀宮さまというのはあまりノリノリではなくて、控えめなギャルなんですけどね。とまあそんなことで、テーマに戻って、おしまい。

 で、演奏のほうはほとんど切れ目のない形で2曲目の 「オレオ」 へと突入します。よくあるんだよね。切れの悪い包丁でタクアンを切ったりすると、ちゃんと切れてなくて、箸でつまむと5切れくらいつながっていたりして。…といった感じの、いかにもライブらしい演出が個人的には好きです。で、このロリンズ曲がまた、ノリノリなんですよね。 “ノリノリの霊” は未だ天上界へは帰還されてないようでありまして、いや、これは全盛期の彼に勝るとも劣らない出色の出来であると思います。テーマ演奏の直後はホーズとレッド・ミッチェルのバトルみたいになっているんですが、これまたいかにもライブらしいイカした演出でありまして、それにつられて “控えめが美徳” を信条としているドナルド・ベイリーだって、思わず新庄みたいなキャラになっちゃってます。いやあ全員、イッちゃってますねぇ。中間部では相変わらずレッド・ミッチェルのソロがフィーチャーされていて、ミッチェルみちみちに満ち足りているし、いや、もしかしたら満ち足りているのは本人だけかも知れませんが、ま、世の中にはありがちな “中だるみ” だと思って諦めてくださいね。で、再びホーズが登場してしばしピアノを披露した後、今度はベイリーの派手派手なドラム・ソロになりますが、いや、とても普段は控えめな人の行動とは思えませんね。おそらく霊が憑依しちゃったんでしょうね。まるで別人みたいですもんね。…と思っていたんですが、よく考えたら僕が頭の中に描いていたベイリーというのはデイブ・ベイリーでありまして、ドナルド・ベイリーというのはまったく別人なのかも知れません。なるほど、どおりでまるで別人みたいな筈ですよね。

 で、3曲目です。歌モノで、 「イージー・ストリート」 という曲です。いかにも歌モノらしい小粋なナンバーでありまして、いかにもホーズらしいブルース感覚もよく現れていて、何かこう、ブルース小唄といった感じの演奏に仕上がっております。超アップ・テンポでノリノリぃ♪…というのも悪くはないんですが、やっぱりホーズはミディアムだよね。…ということを再認識した思いでいっぱいであります。あとはえーと…、特に書くことはありませんね。レッド・ミッチェルは相変わらず前に出過ぎぃ。…とか、出過ぎとピーコとか、そういうことはどうだっていいです。スティックとブラシを絶妙に使い分けるドナルド・ベイリーのドラミングがなかなか悪くないんですが、こりゃ、どう聴いてもデイブ・ベイリーとは別人だよね。…と思わずにはいられません。名前も違うし、同じ人であると考えられる要素はどこにもありませんもんね。ということで、4曲目。 「サドゥンリー・アイ・ソート・オブ・ユー」 ですかい。 「突然、僕は君のことを思った」 …って、こういうしゃらくさいタイトルがついているのはスタンダードと相場が決まっております。…と思っていたら、ホーズのオリジナルなんですね、これ。いつからそんな台詞を口にするようになったんや?ホーズは大阪人の心を捨てたんか?…と思わずにはいられませんが、関西系の人間ってこういうこっ恥ずかしい言葉は口が裂けても言えませんもんね。わたしも絶対、口が裂けてもよう言わんわぁ。…と、僕の知り合いの関西系の口裂け女も言っておりましたが、こうも花粉症ばやりで街ゆく人がマスクばかりしていると、口裂け女としてもなかなか出番がないことでありましょう。とまあそれはそうと、この曲はですね、いい曲です。作ってみたら意外といい曲だったので、ちょっとスカしたタイトルを付けちゃえ。…とホーズが思ってしまったとしても、あながち彼を責めることは出来ません。せっかくのいい曲なのに、 「サドゥンリー・佐渡踊り」 みたいな名前を付けちゃったらもう、台無しですもんね。いい曲といってもしみじみ系のバラードではなく、ちょっぴり新主流派を彷彿させるシンプルな作りでありまして、演奏自体はもうほとんど爆走系なんですけどね。これなら別に佐渡踊りでもよかったかな?…という気がしないでもないんですが、ああん、どうせなら綺麗なバラードのほうがよかったのにぃ。…と思ってしまった人は5曲目の 「フォー・ヘブンズ・セイク」 まで我慢しましょう。いや、これはいいです。ホーズはバラードが弱い。…とか、ああん、わたし、そこは弱いのぉ。…とか、色々なことを言う人がおりますが、そんな彼も60年代になって随分と成熟したのでありましょう。バラードだって、すんごくよくなったんだよ。…という成長の証をこの演奏から実感してくださいね。

 で、6曲目も歌モノで、 「マイ・ロマンス」 ですかい。いくらバラードがうまくなったからって、最後にスローな曲を2つ続けるというのはどうか?…という気がしないでもないんですが、ホーズ君もそのあたりの事情はよくわきまえていて、こちらはミディアム・テンポの演奏となっております。いや、メロディが綺麗な曲は多少テンポが速くなったところで、やっぱり綺麗なものでありますなぁ。思わずバスロマンを入れた浴槽にどっぷりと浸かって、足を45度に上げたくなっちゃいました。んなことでまあ、今日のところはおしまい。

【総合評価】

 ライブだけに、勢いだけで乗り切るっ!…みたいなところが無きにしもあらずなんですが、結構ビル・エバンス入った後半の2曲など、多彩な一面も楽しむことが出来て、思いのほか、よかったです。店長のお薦め…とまではいきませんが、便秘の時、浣腸というのはけっこうお薦めです。


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