ELECTRIFYING SOUNDS (SAVOY)

PAUL JEFFREY (1968/8/8)

ELECTRIFYING SOUNDS


【パーソネル】

PAUL JEFFREY (ts,el-sax,varitone) JIMMY OWENS (tp)
GEORGE CABLES (p) LARRY RIDLEY (b) BILLY HART (ds)

【収録曲】

MADE MINOR BLUE / I GUESS I'LL HANG MY TEARS OUT TO DRY / THE DREAMER
ECCLESIOLOGY /GREEN IVAN / A.V.G.

【解説】

 『ド・ラ・カルト ドラえもん通の本』 という本があります。そこでまあ、今日はドラえもんについて考えて見たいと思うんですが、今でこそ僕はキティちゃん好きのおっさんとして知られておりますが、子供の頃はドラえもん好きのおっさんだったんですよね。いや、子供の頃はまだおっさんではなかったような気もするんですが、とにかくドラえもんが好きだったことだけは確かです。どれくらい好きだったのかと言うと、少なくとも、冬瓜と椎茸を煮たやつよりは好きでしたね。ま、そんなものと比べるほうが間違っているような気もするんですが、漫画の中では 「けっこう仮面」 の次くらいに好きでした。あまりマンガ本を買うと言う趣味のなかった僕が、ドラえもんだけは10冊ほど買ってしまったほどなんですが、その費用をどこからまかなっていたのか、今でもちょっと不思議ではあるんですけどね。というのも僕のうちでは “おこづかい制度” というのが確立していなくて、必要なものがあればそのつど申告して、必要な経費を貰うというシステムになっていたんですが、「まんがの本が欲しい♪」…と申告しても、即座に却下されるのが常だったんですよね。にもかかわらず、僕の机の引き出しの中には間違いなくドラえもんの本が何冊かありまして、かと言って万引きした覚えもないから、おそらく何らかの方法で家のお金をちょろまかしていたんだと思うんですが、ある日、机の引き出しに隠してあったドラえもんを親父に見つけられてしましまして。いやあ、叱られましたな。この本、どうしたんや?…と激しく詰問されて、苦し紛れに、「友達にもらった。」…と嘘をついておいたんですが、いや、子供ながらにも見事な解決策でありましたな。友達からもらっちゃったものは、これはもうどうすることも出来ないわけでありまして、親からとやかく言われる筋合いはないわけでありまして。ただ、猜疑心の強い僕の親父はその回答に完全には納得していないようでありまして、仕方なく僕は後日、本のいちばん最後のところに黒のマジックで 「ふるた」 と、友達の名前を書いておきました。筆跡鑑定をされても大丈夫なように、古田クンになった気持ちで心を込めてサインをしておきましたが、これで恐らく僕の悪事は完全に闇の中へと封じ込められたことでありましょう。

 いや、古田クンに恨みがあったとかそういうことではなくてですね、古田クンちは風呂屋でしたからねぇ。…って、いや、ぜんぜん関係のない話なんですけど。そもそも僕がどうしてドラえもんの元の持ち主として古田クンの名前を借用したのかと言うと、古田クンちでドラえもんの単行本を見せて貰って、とても面白かったから。…というのがその理由だったんですが、いや、子供ながらに実に理路整然としたストーリーではありませんか。で、他に古田クンとの思い出としてはですね、仮面ライダーの変身の秘密を教えてくれなくて、子供ながらに、なんて嫌なヤツや!…と思ってしまったとか、いや、やっぱり心の底のどこかで恨みつらみや、わだかまりがあったということになるんですが、何でも親戚のおじさんか誰かが東海テレビに勤めていて、仮面ライダーの変身の秘密を教えて貰ったとか、何とか。仮面ライダーの変身の秘密というのは、女子生徒が穿いているパンツの色と同じくらい当時の小学生にとっては関心度の高い問題だったんですが、いくら贈賄工作で懐柔しようとしても、ついに最後まで教えてくれなかったんですよね。別にそんなことを知ってみたところで、生きていく上ではまったく何の役にも立たねーや!…と、悔しい思いを押し殺していたものでありますが、いや、仮面ライダー変身の秘密と言ったところで、今から思えば “変身ポーズ”のところでテレビカメラを止めて、必至に着替えてライダー姿に変身してから撮影を再開していただけの話だと思うんですけどね。本当のことを言って子供の夢を壊してはいけない。…という、古田クンなりの配慮だったのかも知れません。いや、そうとも知らず恨んだりして、ゴメンよぉ。。。

 で、その他、古田クンとの思い出はと言うとですね、一緒に古田クンちの近くの八百屋の前を歩いていたら、そこで飼われていた猫がいきなりゲロを吐いて、売り物のピーマンに、びしゃ!…っと掛かってしまったとか。今でもピーマンを見るたびに猫のゲロを思い出しますなぁ。もし、今、ピーマンを食べながらこの原稿を読んでいる人がいたら、その光景を頭に描いてみてくださいね。いやあ、見事にピーマン直撃でしたからね。黄色っぽい水のようなゲロでありました。…って、そんな話はどうでもよくて、本題に入りましょう。本代をちょろまかしてドラえもんの単行本を買った。…というところまで話が進んでいたと思うんですが、あ、そうそう。古くなって、ところどころ破れてしまったから、古田クンは僕にタダでドラえもんの本を譲ってくれたんだよね。…ということにして、わざとページをビリビリと破ったりもしたんですよね。いや、我ながら機転の利く子供だったと思います。何の罪も無いのに破られてしまったドラえもん側としては、災難以外の何物でもなかったと思いますが、あの本は結局、どうなったんでしたっけね?あるいは小5の時、火事で焼けちゃったのかも知れませんが、いや、証拠隠滅のために僕が火をつけたとか、そういうことではなくて。いや、このまま過去の思い出に浸っていると、どんどん過去の悪事がバレてしまいそうなので、えーと、 『ド・ラ・カルト』 ですか。この本のタイトルは実に秀逸ですよね。 “ドラえもん” と “アラカルト” を掛けてあるんだと思いますが、と同時に “ドラえもんに関するカルト” という意味もあるんでしょう。で、 “カルト” と言えば、昔、ありましたよねぇ、 “藻を刈ると” という名前の掛け軸。恵比寿さまと大黒さまが沼地で藻を刈っているという、そういう図柄の掛け軸なんですが、藻を刈ると、儲かる。そういうことが言いたいみたいです。似たようなのに “馬九行く” というのもありましたね。馬が9頭ほど草原を駆けているという、そういう図柄の掛け軸なんですが、馬が9頭行くと、うまくいく。そういう前向きな発想は生きていく上ではとっても大切なことだと思いますね。

 で、話が横道にそれてばかりでちっとも前に進みませんが、僕がこの本を読んで、「ほほぉ。」…と感心したことがいくつかありました。まず最初は、のび太のママの年齢が38歳だった。…ということなんですが、いや、意外と若いんですな。よく言えば落ち着いている、はっきり言えば老けているので、46歳くらいだとばかり思っていましたが、僕と2つ違うだけだったんですな。ところで、のび太のママの名前って、僕はずっと “野比のぶ子” だと思っていたんですが、違ったんですね。 “玉子” というのが正解みたいです。子供の頃に見た漫画には確か “野比のぶ子” という名前が出ていたような気がするんですが、あれはいったい何だったんでしょうね?もしかすると “のぶ子” というのはセクキャバで働いていた頃の源氏名だったりするのかも知れませんね。いや、もしそうだとしても、個人的にはあまり指名をしたくないタイプではあるんですけど。ということで、次です。ドラえもんのスリーサイズについてでありますが、これはわりとよく知られている数字であると思います。バスト 129.3cm、ウエスト 129.3cm、ヒップ 129.3cm というのが正解ですな。プロポーションを文字どおり“均整”という意味に捉えれば、これほどまで均整の取れたプロポーションというのはそうそう考えられないわけでありますが、ちなみに身長も 129.3cm で、体重は129.3kg となっております。いや、具体的ですよね。キティちゃんの体重が “りんご3個分” などというのとは、えらい違いであります。りんごの重さなんてものはそれぞれの固体によって大きく違うわけでありまして、そういうアバウトな表現法は血液型がA型で根が几帳面な僕にとって、とうてい許せないわけでありまして。もっと具体的に、例えば “1個の重さが 337.6グラムのりんご3個分” というふうに言ってもらわないと、困るんですよね。ま、そこまで言うのならちゃんと掛け算の答まで出して、体重は 1012.8グラムっ!…と言ってもらったほうが計算の手間が省けて、ありがたいと思うんですけどね。ちなみにドラえもんの身長の “129.3センチ” というのは、連載開始当時の小学4年生男児の平均身長なんだそうでありまして。のび太は小学4年生という設定なので、のび太を見下ろしもしなければ、見上げることもない。そういう対等な立場のキャラとして設定されたとのことでありました。

 あとはえーと…、ま、大したネタもないんですが、随所に紹介されている漫画のカットがですね、僕が小学生時代に見たことのあるものが多かったので、ヒジョーに懐かしかったですね。例えば76年「小学四年生」6月号に掲載された 『悪魔のパスポート』 。どんなに悪い事をしてもこのパスポートを見せさえすれば何でも許されてしまうという、恐るべき秘密道具であります。これを悪用して…というか、こんな秘密道具、悪用以外に何の使い道もないんぢゃないか?…という気がしないでもないんですが、とにかく、のび太は思いつく限りのありとあらゆる悪行を繰り広げるわけでありまして。すなわち、ゴミ箱を蹴飛ばしたり、ジャイアンを殴ったり、しずかちゃんのスカートをめくったり。最初のうちは日頃の鬱憤を晴らせて大喜びののび太なんですが、家で寝転がって漫画を読んでいるうちに、自分のおこなった悪事の数々が脳裏に浮かんできて、結局、最後は “悪魔のパスポート” を焼き捨ててしまうというお話でありました。うーん、実に教育的ですな。僕は子供の頃にこの作品を読んで、これからはスカートめくりはやめよう!…と、固く心に誓ってしまいましたからね。以来、僕は大人になるまでずっとスカートめくりはしたことがなくて、風でスカートがめくれて偶発的にパンツが見えちゃうことを期待する、そういう健全な大人に成長することが出来ました。あとはえーと…、お、 『さようなら、ドラえもん』 でありますか。ドラえもんには最終回が3回ほどあったそうなんですが、中でもこれは最終回の最高傑作と言われている作品ですよね。これには泣かされました。子供の頃も思わず半泣き状態になってしまったものでありますが、大人になって改めて読み返して見ると、これはもう、号泣状態でありますな。 『おばあちゃんのおもいで』 と同じくらい泣けます。 『赤いくつの女の子』 というのも胸にじんとくるよいお話でありました。 『流行性ネコシャクシビールス』 というのは、ま、泣けはしませんが、今から思えばこれは“猫も杓子も”…という言葉に引っ掛けたネーミングだったんですな。あと、 『ギシンアンキ』 という、飲めば性格が疑い深くなる薬もあったりしましたが、これは “疑心暗鬼” という四字熟語から来ていたわけでありますな。かようにドラえもんというのは、国語の勉強にもなるわけでありまして。…ということを大人になってから知った次第でありますが、そういえば子供時代にはさっぱり意味がわからなかったのに、 『Yロウ作戦』 というのがあったんですけどね。

 それを受け取ると頼みごとを断れなくなる…という、ドラえもんの秘密道具史上、最も効能が曖昧で抽象的だったのがこの “Yロウ” なんですが、見た目的にも何だか地味なYの字の形をした筒っぽのようなもので、子供心にもまったくソソられるものがなかったんですよね。ストーリーとしては草野球チームの “ジャイアンズ” が2軍制度を導入することになり、2軍落ちは確実だと自覚したのび太が監督のジャイアンに “Yロウ” を贈り、1軍残留を謀る…みたいな。 「Yロウ1コ、たしかにうけとりました。」…というジャイアンのサインの入った “良集書” が見つかるに及んで事件が明るみにでるわけなんですが、いや、何だか全体的に暗いムードの漂った作品でありましたな。で、今回、この本を読んで36歳にしてようやく “Yロウ” の正体が判明した次第でありますが、Y型をしたロウソク、すなわち “Yロウ” というのは、 “賄賂” に掛けてあったわけなんですね。そっかぁ! “ういろう” の親戚ぢゃなかったのかぁ!…と、胸のつかえがとれたところで、今日のお話はおしまい。

 ということで、今日はポール・ジェフリーでありますが、それはそうと今回の前半ネタの構想を頭の中でまとめている時、とんでもないニュースが入ってまいりました。何と、テレビアニメの 『ドラえもん』 の声優が変わっちゃうそうではありませんか。ドラえもんの大山のぶ代をはじめ、のび太、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫の声が変わっちゃうというのだから、これは由々しき問題です。 『サザエさん』 のノリスケさんの声が変わった時もショックのあまり3日間ほど寝込んでしまったほどなんですが、今度はそれどころの騒ぎではありませんよね。これはもう、7日間くらいは下痢が止まらないんじゃないか?…と、今から心配でなりませんが、ただでさえ僕は今、下痢気味ですからね。どうもキシリトールが大質的に合わないんぢゃないか?…という気がするんですが、 「キシリトールのど飴」 を大量に摂取すると、必ずと言っていいほど下痢をしちゃうんですよね。確かに注意書きには、「一度に大量に摂取するとお腹がゆるくなることがあります。」…とあるんですが、ゆるくなるどころの騒ぎじゃねーだろ!!…みたいな。先日は5分足らずの間に5回も便所に駆け込む破目になってしまいましたが、いや、何だかひんやりとして美味しいものだから、ついつい大量に食べ過ぎちゃうんですよね。一過性のものですので、心配ありませんじゃねーだろ!!…と言いたくなるほど激烈な症状に見舞われてしまいましたが、ま、翌朝にはケロっと治っていたので、確かにあまり心配はないのかも知れませんけどね。で、今日の場合、先例があるものだから注意して摂取量を大量ではなくて中量程度に抑えておいたんですが、その甲斐あってか、今のところ便所に駆け込んだのは1回だけで収まっております。とまあ、そんなことで今日は 『エレクトリファイング・サウンド・オブ・ザ・ポール・ジェフリー・クインテット』 でありますな。 “電化サウンド” というだけで、僕の体はキシリトールのように拒絶反応を起こしてしまうわけでありますが、それにも増してこのジャケットですからね。どうやらこのポール・ジェフリーという人は電気サックスという楽器を吹いているようなんですが、サックスにわざわざこんな制御盤のようなものをくくりつけて、一体どうしようと言うんでしょうね? ま、ジュフリーというおっさん自体は朴訥とした風貌で、わりと好感の持てるタイプなんですが、その横には人相の悪い…というか、犬相の悪い犬が控えていて、で、バックには吊橋でありますか。一体、何を意図してこのようなジャケット・デザインにしたのか、理解に苦しむところでありますが、ま、“SAVOY”らしいと言えば、確かにそれまでなんですけどね。とまあそんなことで、期待度0%の作品でありますが、とりあえず1曲目から聴いてみたいと思います。

 えーと、まず最初はジェフリーのオリジナルで、 「メイド・マイナー・ブルー」 という曲でありますか。いや、演奏が始まった瞬間、僕のこのアルバムに対するイメージは180度変わってしまいました。いいぢゃん!すごくいいぢゃん!ウォーキング・ベースによるイントロに続いて登場するテーマは、まさしくマイナー・ブルーでありまして、伊達に 「メイド・マイナー・ブルー」 を名乗っているわけじゃねーな。…みたいな。好きなんですよね、マイナー調のブルージーなナンバーって。メイドというのもいいと思います。すけべ動画でも “メイドもの” というのは “女子高生もの” の次くらいにソソられるものがあります。 “ナースもの” というのも悪くないんですが、ギャルがロリ系の場合はメイドのコスチュームのほうがより魅力的であると思います。とまあ、そんなことはどうでもよくて、この曲のテーマはアレですよね。ジャズ・メッセンジャーズ風というか、ヴィー・ジェイ盤のリー・モーガンにこんな感じのがあったよな?…というか、ピアノのコンピングも何だかウイントン・ケリー風で、とにかくまあ、ブルーでマイナーでファンキーで、とっても日本人好みの仕上がりだと思います。AAの反復形式に“おまけのBの部”が付随する構成となっておりまして、でもってソロ先発はポール・ジェフリーでありますな。この人に関してはまったく何の知識も持ち合わせていなかったんですが、チャールス・モフェットの 『ザ・ギフト』 に参加したり、ミンガスの 『クンビア&ジャズ・フュージョン』 にも名を連ねているという、そういう人であるようですね。朴訥とした風貌から、中間派寄りの人?…とか思っていたんですが、メインストリーム、それもシーンの最先端を行っていた人のようでありまして。ま、でなければ “電子サックス” などという怪しげな楽器を使ったりはしませんよね。

 で、その問題のエレキ・サックスなんですが、いや、わりと普通でしたな。エコーが効いているような、エフェクトが掛かっているような独特のトーンで、時折 “ひとりユニゾン状態” になったりするんですが、それほど露骨に“電気”を感じさせることはなくて、フュージョン系なのか?…という不安とは裏腹に、完全なるメインストリーム系のジャズと言い切ってしまってもいいのではないかと。で、彼のスタイルとしては、ジョニー・グリフィン風のブロウにコルトレーンのイディオムをふりかけてみましたぁ。…といった感じでありまして、渦巻くような激しいフレージングは、かなり前衛を感じさせさせます。のんびり犬を散歩なんかさせて、隠居のオッサンなのかと思っていたら、意外とキャラが激しいのでびっくりしてしまいました。で、続いてはジミー・オウエンスのトランペット・ソロでありますな。この人も知名度に関しては今ひとつだと思うんですが、そのプレイは実に卓越しておりました。出だしの部分はナット・アダレイ風のファンキーを感じさせ、で、アドリブが進んでいくにつれて今度はフレディ・ハバード的な新主流派風を垣間見させるようになって、いや、なんとも達者な吹きっぷりでありますな。僕は即座にこの人のファンになってしまって、“2ちゃんねる”に 「ジミー・オウエンスを応援す」 というスレを立ててみようか?…と、ふと思ってしまったほどであります。で、続くジョージ・ケイブルスのピアノ・ソロはケリー的な軽快さがあってこれまた極めて好調で、あ、書くのを忘れておりましたが、各自のソロの合間に“オマケのBの部”が挿入されるというアレンジも効果的であります。で、ソロの最後をラリー・リドレイの無伴奏ピチカートで渋く締めて、テーマに戻って、おしまい。いや、この1曲を聴くだけでも、趣味の悪い“犬とオッサン”のジャケットを手に取るだけの価値はあるのではないか?…と思われる、すばらしい1曲なのでありました。

 えー、1曲目の解説を書き終えた時点で所定の枚数をほぼクリアしてしまいましたので、後は軽く流しておきましょうね。2曲目の 「アイ・ゲス・アイル・ハング・マイ・ティアーズ・アウト・トゥ・ドライ」 はアレです。デクスター・ゴードンが代表作、 『ゴー』 で取り上げていたナンバーであります。デックス・バラードの極めつけとも言える素晴らしい出来栄えでありましたので、ポール・ジェフリーではどうか?…という若干の不安要素もあったんですが、なんのなんの。デクスターに肉薄する…とまでは言えないものの、肉厚くらいはしている健闘ぶりでありまして、電気を捨て、普通のテナー1本で堂々と勝負をしているところがいいですね。ちなみにこの曲では僕が応援していたオウエンスはお休みでありますな。やや単調に流れる嫌いはあるものの、全体的にはしみじみとした名バラードに仕上がっていると思います。ということで、次。3曲目は 「ザ・ドリーマー」 という曲ですね。クレジットでは作曲者は “UNKNOWN” となっておりますが、どこかで聴いたことがあるような気がしないでもありませんね。ワルツ・テンポ(←だと思う)の軽快なナンバーで、出だしの部分はちょっぴり 「マイ・フェイバリット・シングス」 を彷彿させるものがあります。途中でテンポが速くなったり遅くなったりする構成がミンガス・ライク。コルトレーンの影を強く感じさせる演奏は、まさしくシーツ・オブ・サウンドだ。ソロの途中で突然エレクトリファイする場面は、ちょっとビックリ。…と、日本語ライナーに杉田宏樹という人が書いているとおり、概ねそんな感じの演奏でありますな。ま、一言付け足すなら、ソロ先発のオウエンス君のトランペット・ソロが、応援に値する出来であるな。…ということなんですが、ミンガスうんぬんという先入観があるからか、ここでのプレイはちょっぴりテッド・カーソンを思わせるものがありますね。カーソンというのはアレですよね。夜なべして手袋を編んでくれた人ですよね。…って、それはカーソンやなくて、母さんやがな。

 つまらないボケで続きを読む気が失せてきたところで、4曲目です。 「イクリージオロジー」 ジェフリーのオリジナルでありますな。タイトルは “教会学” という意味らしいんですが、そんな学問、あるんすかね?どういうお勉強をするんでしょうか?教会へ行くのは今日かい?…みたいな洒落を学ぶとか。いや、そういうつまらない学問ならやらないほうがマシだと思うんですが、ジャズ・ロック風のリズムに、R&B風の曲調…と、1曲目とはまた違った意味で60年代を象徴する作品に仕上がっております。ジェフリーの見た目からすると、本来はこういうキャラ?…という気もするんですよね。犬連れてるしー。で、演奏のほうはというと、電化エフェクトによる独特のサウンズがちょっぴりジョージ・ブレイスの世界を彷彿させ、ま、1曲くらいはどういうのがあってもいいのではなかろうかと。所詮は60年代モノなんだしー。続くジミー・オウエンスはストレートな吹きっぷりで、演奏にメリとハリと蹴りをもたらしておりますが、全体的には軽めの仕上がりでありまして、ま、そういうことで、次ですね。 「グリーン・アイバン」 もジェフリーの作品でありまして、えーと…、何と表現していいのかよくワカランのですが、牧歌的なブルースというか、アーシーなモード作品というか、とにかくまあ、よくわからんタイプの曲なんですけどね。で、ソロ先発はジェフリーなんですが、しょっぱなからエレクトリファイが炸裂しておりますな。こうなってくるともはやサックスとは異質な響きでありまして、杉田クンもご指摘の通り、この機器がある種のエレクトリック・キーボード・サウンドと同質であることに気付かせてくれる。…ということになるのではなかろうかと。で、続くケイブルスのソロは、すこぶるケイブルっす。…といった感じで、悪くないですね。ま、それほどよくもないんですけど。続くオウエンスのトランペットは概ね良好だと思いますね。ちなみにこの人、後年ジェフリーが共演することになるハンプトン、ミンガス、ベイシーと当時すでに共演していたという関係。…ということらしいんですが、ハンプトンというのはライオネルさんちのハンプトンですかね?いずれにせよ、方向性がバラバラやん。…という気がしないでもない共演者の間柄なんですが、どんなスタイルにも適応できる汎用型のトランペット奏者ということになるのかも知れません。で、地味なベース・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。

 というとこで、ラストです。 「A.V.G.」 は作曲者不明とのことでありますが、ま、作曲というより、ただ適当に吹いてるだけやん。…という気がしないでもないシンプルな作風のナンバーであります。超アップ・テンポでそれなりに派手ではあるんですが、何かこう、心にグッとくるもののない曲ではありますな。が、アドリブの素材としてはこれで必要十分でありまして、ソロ先発のジミー・オウエンス君ってば、かなりアウトなプレイに走っちゃってますね。どことなくウディ・ショウっしょ?…といった感じもあって、あとはえーと、ジョージ・ケイブルスっすか。これまた、かなり意味不明のソロを展開しておりまして、保守的な僕としては今ひとつ感心しないんですが、続くポール・ジェフリーのプレイは傾聴に値する出来だと思いますね。何だか、コルトレーンとブッカー・アービンがないまぜになって、半ばヤケクソといった感じなんですが、ま、1曲くらいはこういうのがあってもいいんじゃないですかね。所詮は60年代なわけだしー。 とまあそういうことで、“カーソンねた”を筆頭に、後半はどうもボケが不調でありましたが、今日のところは、おしまい。

【総合評価】

 何だかこう、ごちゃ混ぜですな。60年代ジャズのビビンバとでも言おうか、いろんな要素が詰め合わされております。2曲目あたりまではオーソドックスだったんですが、ま、長い人生、こういうこともありますわいな。…って、最終的には何だかよくわからない評価なんすけど。


INDEX
BACK NEXT