MOTHER SHIP (BLUE NOTE)

LARRY YOUNG (1969/2/7)

MOTHER SHIP


【パーソネル】

LEE MORGAN (tp) HERBERT MORGAN (ts) LARRY YOUNG (org) EDDIE GLADDEN (ds)
【収録曲】

MOTHER SHIP / STREET SCENE / VISIONS
TRIP MERCHANT / LOVE DROPS

【解説】

 僕は湖沼が好きです。胡椒というのも悪くありませんよね。故障というのはあまりよくありません。水道施設が故障するとすぐに電話が掛かってくるし、車が故障すると止まってしまいますもんね。故障車というのはたいてい止まっているものでありまして、道路交通情報を聞いていても、「故障車が止まっている影響で○キロの渋滞」といったフレーズをよく耳にします。故障車が走っているという話はあまり聞きません。ま、中にはブレーキが故障しちゃって走り続けることを余儀なくされるという事態もあるんでしょうが(←特にM菱車)、ま、そういう車もいずれはどこかにぶつかって動けなくなって、故障車が止まっているという状態になるわけですからね。誇称というのもよくないし、小姓というのは何だか悲哀が感じられるので、“こしょう”の中で好きなものを2つ選べといわれたら、僕はまよわず胡椒湖沼を選びます。じゃ、胡椒鵜匠ではどちらが好きかといわれると、これはなかなか難しい質問なんですが、無料鵜匠体験無料胡椒食べ放題だったら、やっぱり鵜匠のほうが楽しいですかね?いくら好きでも胡椒なんてものは、そんなにたくさん食べられるものではないしー。とまあそんなことで、今日は湖沼について考えてみたいと思うんですけどね。

 一口に“湖沼”と呼称しているわけですが、“”と“”というのはどのように区別しているんでしょうか。もうひとつ似たようなのに“”というのもあるんですが、コイツの立場はどうなるんでしょう?僕の考えでいうと、フィーリング的にイケてるのが“湖”で、イケてないのが“池”、でもって、その中間に位置するのが“沼”といった感じがするわけなんですが、その中間といっても“まあまあイケてる”とか、“ イケてないこともない”とか、“イケてると言い切るにはやや語弊がある”といったいろいろなレベルがあるので、分類学的にはちょっと難しい問題をはらんでいるんですけどね。それに池がイケてないと言っても、現実にはイケてる池もあれば、イケてない池もあるわけでして、たとえば香川のため池なんてものは小姓にとっては大切なものなんでしょうが、景観的にはさほどイケてるようには思えないし、ま、見る人にとっては日本の原風景といった感じがして、心が安らぐという意見もあるかも知れませんが、個人的には例えば志賀高原の木戸池あたりのほうがイケてる池という感じがしますね。かようにイケてる、イケてないというのは個人の感覚によるものですので、それをそのまま分類学に応用するというのはちょっと無理があるような気がします。そこでまあ、ちょっと違った視点から考えてみたいと思うんですが、例えばアメンボがいるのが“池”で、マリモがいるのが“湖”、死体が沈んでいるのが“沼”という捉え方はどうですかね?でもまあ、世の中にはマリモのいない湖もたくさんあるわけだし、死体が沈んでなくて浮かんでいる沼だってたくさんあるはずです。この方法もやや無理があるような気がするので、ここはひとつ公式な見解を調べてみたほうが無難なのではなかろうかと。

 で、ちょっと調べてみたところ、湖と沼というのは“湖沼”とひとくくりで呼称されることからも分かるようにひとつのグループとして捉えることが出来て、池だけが“はば”にされるというか、“えんがちょ”というか、ちょっと仲間はずれといった位置づけにあるようです。極めて大雑把に言うと、自然発生的なものが“湖沼”で、人工製作的なものが“池”という分類があるようですが、なるほど、ため池なんてものは確かに人工的に作られたものですよね。が、志賀高原の木戸池なんてのはどう見ても自然の生成物だし、ダムで川を堰き止めて出来た巨大な水溜りは“貯水池”と称することもありますが、“ダム湖”と呼ばれることもあります。どうもこの分類も今ひとつすっきりとしない便後残余感のようなものを感じてしまいます。むしろ、大きいのが“湖沼”で、小さいのが“池”という具合に分けたほうが分かりやすいような気がします。池は小さい。ま、そういうことにしておこうではありませんか。で、続いては“湖”と“沼”の分類でありますが、これにはけっこう明確な規定があるようです。中央部分の水深が2m以上あれば“湖”、2m未満ならば“沼”。なるほど、明快ですね。とりあえずあまり根拠はなくても、このようにはっきりとしたボーダーラインを決めてもらえると話が分かりやすくなるんですが、この2mという数字にはまったく何の根拠もないわけではなくて、水生植物が生育できるかどうかの瀬戸際がこの深さなんだそうです。ま、所詮、相手は水生植物なんだから、人間が自分達の都合で勝手に決めたメートル法という単位の“2”などという限(きり)のいい数字で生えたり生えなかったりするようなことはないと思うんですが、ま、おおよそその辺りが分岐点ということなんでしょう。で、この分類基準というのはなかなか納得のいくものでありまして、なるほど、確かに“沼”というのは“湖”と違って、全体が植物で覆われているような印象がありますよね。だからこそ、死体を捨てるには“湖”よりも“沼”のほうが見つかりにくいということになるわけですね。もっとも、水深が浅すぎて、すぐに浮かんできちゃうという懸念もあるんですけど。

 とまあ、これで“湖沼問題”はすっきり解決した次第でありますが、ちなみに日本にはいったいどれくらいの湖沼があるんでしょうか? んーと、ま、300個くらいかな?…というのが僕の予想だったんですが、正解はと言うと、よくわかりません。いや、ちょっと調べればわかるような気もするんですが、今の僕にはそこまでの熱意はありません。が、面積の割合についてなら既に調べはついておりまして、日本の自然湖沼の総面積は国土の約1%を占めているんだそうです。いや、意外と多いものなんですな。1%といえば、100歩ほど歩けば必ず1回は沼や湖にはまるという計算になるんですが、いや、この計算は何だか基本的なところで間違っているような気もするんですが、確率で言えばそういうことになるんですよね。ちなみに日本でいちばん大きい湖は誰でも知ってるように琵琶湖なんですが、琵琶湖の面積は滋賀県の総面積の6分の1を占めているようです。地図で見る限り、3分の1くらいは琵琶湖のような気がするので、今ひとつこの“6分の1”という数字は信じ難いものがあるんですが、どの資料を見てもそう書いてあるので、多分それで正解なんでしょう。納得はいかないんですが、受け入れるより他ありません。つまり、滋賀県では6歩ほど歩けば必ず1回は琵琶湖に落ちるということになりますね。この計算は何だか基本的なところで間違っているような気もするんですが、確率で言えばそういうことになるはずです。

 で、後はこの話にどうやってオチを付けるか?…というのが問題なんですが、ま、その点に関しては最初から諦めモードなんですけどね。きっと何のオチもないまま、曖昧なうちに終わっちゃうんだろうな。…ということが予感されるわけでありますが、湖というのはその生成過程により、いくつかの種類に分類することが出来ます。例えば、えーと、カルデラ湖火口湖せき止め湖なんてのがそうですよね。カルデラ湖というのはカルデラに水が溜まったものでありまして、特徴としては水深が深く、透明度が高いという点が挙げられます。どうしてそういうことになるのかと言うとですね、カルデラ湖というのはそういうものだからです。火山体の陥没や崩壊によってガバっと深く窪地状になったところにドカっと綺麗な水が溜まると、そういうことになっちゃうわけです。どうして綺麗な水が溜まるのかとか、そういった難しい問題はあまり深く考えてはいけません。ま、溜まちゃったものはしょうがないしぃ。…くらいの軽い気持ちで受け流しておきましょう。で、火口湖というのは火口に水が溜まったものです。カルデラみたいにガバっと陥没しちゃったわけではないから面積としては小規模で、また火山ガスの影響で強い酸性を示すものもあります。白根山の湯釜なんかがその典型で、ただの水溜りぢゃん。…と言いたくなるほど面積的には小さなものなんですが、酸性度は半端ではありません。pHは1くらいというのだから、サンポールよりも遥かに酸性であると言えましょう。便器磨きには最適な湖と言えるかも知れませんね。…って、手が荒れるっちゅーに。で、せき止め湖というのはアレです。火山の噴火によって流れ出した溶岩流で川がせき止められて出来た湖です。根が川だから、さほど深くはないだろうなという気がします。いや、よくはわからんのですけど。あとはまあ、地殻の断層運動や褶曲運動によって生じた湖のことを構造湖と言って、琵琶湖や諏訪湖なんかがその代表らしいです。ちなみに諏訪湖というのは面積としてはデカいんですが、深さとしては浅いんだそうですね。浅いから冬になるとすぐに凍って、“御神渡り”などという現象が見られるわけです。一番深いところでも7mということなので、もうちょっと干上がっちゃえば“沼”に陥落する恐れもありますね。ちなみに日本で一番深い湖は田沢湖だそうでありまして、最大水深は423mほどあります。以下、支笏湖(360m)、十和田湖(327m)と続きますが、これらはすべてカルデラ湖でありますな。ちなみに僕が夏休みに遊びにいった野尻湖の水深は38mだそうでありまして、ま、あまり大したことはありません。分類上は“せき止め湖”ということなので、ま、こんなものなんすかね?ちなみに“せき止め湖”というのは“コンタックせき止め”とは違うので、飲んだからといって風邪に効能があるわけではありません。野尻湖でウインドサーフィンをしていて水中に転落して多量の水を飲んじゃった僕は、風邪が治るところかちょっぴり下痢になっちゃったのでありました。

 んなことで、湖沼の話は、おしまい。

 とまあそんなことで、今日はラリー・ヤングです。通称“ラリヤン”。ちょっぴりカラヤンに似てるやん。…と関西の人が言っておりましたが、ソ連の政治家でフルシチョフを助けてスターリン批判を推進した副首相はミコヤン。…って、そんなの、よっぽどのマニアでなければ知らないと思いますけど。で、クソ暑かった夏も終わりを告げようとしておりますが、暑っ苦しいオルガンジャズも今日が最終日です。オリンピックのほうも後半は盛り上がり具合が今ひとつでありますが、野口みずきが水着姿を披露して以来、いや、違いますね。野口みずきが金メダルを獲得して以来、後は何だか尻すぼみになっちゃいました。間違いなく銀メダルやろな。金でも銅でもなくて、銀やろな。…と、日本国民の99%が確信していたシンクロナイズドスイミングは案の定、デュエットもチームも銀メダルだったし、それにしても日本人形の可愛らしさをモチーフにしたらしい演技というのは、何だか不気味でありましたな。阿波踊りバージョンも日本人にはウケが悪かったようだし、ガイジン受けを狙った“サムライ・イン・アテネ”も下心が見え透いていて、あまりよくありません。いい加減、エキゾティシズムとか日本情緒とかから路線変更したほうがいいんじゃないか?…と思うわけでありますが、4年後の北京オリンピックに向けて、僕にはとっておきの秘策があるんですけどね。名付けて、“海女・イン・北京”。どういう演技なのかと言うと、プールの底に10分くらい、ずーっと潜っているという。跳んだり跳ねたり逆立ちしたり…というシンクロの概念を根本から覆す画期的な演技として、金メダルは確実!…という気がするんですが、どんなものですかね?ま、金メダルは無理だとしても、練習次第ではアワビとかが獲れるようになると思うしー。とまあそんなことで、今日は 『マザー・シップ』 アルバムを紹介したいと思う次第でありまして。

 えー、最初にお断りしておきますが、今日のアルバムは今ひとつです。例えば僕はラリー・ヤングの 『ユニティ』 というアルバムが大好きなんですが、それ以降、やや先鋭化し過ぎちゃったラリ・ヤンにはちょっぴりついていけない物を感じてしまいまして、保守的と言われようが喪主的と言われようが、僕はやっぱり新主流派くらいまでしか理解出来ないし、喪主というのはやっぱり長男が勤めるべきだと思うんですよね。で、この 『マザー・シップ』 というのはですね、録音直後には発売されずにオクラ入りになっていた1枚であろうと思われます。で、後年、適当な写真を引っ張り出してきて、未発表作として世に出すことになったのだと思われますが、このジャケットはあまりよくありませんな。咆哮しながらノリノリでオルガンを弾いている様は、どう見てもコテコテのソウル・ジャズ風でありまして、難解な超主流派的なサウンドとイメージが一致しないこと、この上なし。が、このアルバム、パーソネルにはかなり興味深いものがあるんですけどね。オルガン・ジャズとは今ひとつ不釣合いなリー・モーガンの参加がまず目を惹くんですが、もう一人、ハバート・モーガンなるテナー奏者が入っております。僕の持ってる輸入盤CDにはリーとハバートの両モーガンの写真が載っているんですが、かなり顔が似ているような気もするので、あるいは兄弟なんですかね?兄弟でなければ、姉妹だとか。いやあ、それにしてもレスリングの伊調姉妹というのは男前ですなぁ。…と思わずにはいられないんですが、残念ながら千春ちゃんのほうは決勝で負けちゃいましたけどね。で、気になるリーとハバートの血縁関係なんですが、調べてみたところ、よくわからなかったので先に進みましょう。えーと、1曲目はアルバム・タイトル曲の 「マザー・シップ」 ですね。このアルバムは全曲がラリヤンのオリジナルで占められておりまして、ミコヤンの作品はひとつもありません。ま、所詮はソ連の政治家だから、あまり作曲の才能はなかったんでしょうな。で、この曲はアレです。何とも表現のしようがないんですが、ま、敢えて言うなら新主流派風ということになるんですかね?ポリリズム的なエディ・グラッデンのタイコに乗せて、トランペットとテナーとオルガンがユニゾンでブツ切れなメロディを演奏しております。で、テーマ部は実にあっさりと終わって、その後、ハバート・モーガンのテナー・ソロになるんですが、これはアレですな。極めてウェイン・ショーター的ですね。 『ジ・オール・シーイング・アイ』 あたりで激しくブロウする、やや意味不明なショーター。そのスタイルにかなり近いものがあるようにお見受けしました。ソロの後半になるとラリー・ヤングのオルガンが聞こえてくるようになるんですが、それ以外はまったくオルガン・ジャズを感じさせない演奏となっております。で、続くリー・モーガンのトランペット・ソロも激しくモード的なものとなっております。いやあ、痺れますなぁ。何だか死ぬ間際のオーラのようなものが漂っていますね。ま、超年上の愛人にピストルで撃たれるまで、まだ3年ほどの猶予があるので、オーラーが漂うほど死ぬ間際というわけでもないんですけどね。で、ソロ3番手はラリー・ヤングなんですが、このオルガン・ソロにもかなり壮絶なムードが漂っております。ま、壮絶と言うより、むしろ無茶苦茶やん。…といった感じなんですが、オルガンのコルトレーンだか何だか知らないけど、もう少し落ち着いて弾けないのぉ?…と、音楽の女性教師に注意して貰いたいと思います。通知票は “” でしょうな、こりゃ。反権力を標榜するヒゲをはやした若い…と言っても36歳くらいの男性教師なら、面白がって “” を付けるかも知れませんけどね。で、エディ・グラッデンのドラム・ソロがあって、オルガンとタイコの絡みがあって、テーマに戻って、おしまい。ま、60年代的と言えば、まさに時代を感じさせる演奏ではあるんですけどー。

 えー、2曲目は 「ストリート・シーン」 です。ストリートがシーンと静まり返っているような、そんな情景を頭に描いていたんですが、ま、1曲目に比べれば静かで落ち着いた作品ではありますな。幾分ジャズ・ロック的なビートに乗って、出だしの部分はオルガンとドラムスだけで演奏されております。どこまでがテーマで、どこからがアドリブなのか今ひとつ判然としないんですが、ファンクなムードもあって、ま、悪くないんぢゃないですかね?少なくとも音楽の女性教師に注意されて、今度ばかりは落ち着いて弾いているな。…という反省の色は窺うことが出来ます。で、やがてモーガンが登場して、あ、ここでいうモーガンというのはリーのほうのモーガンなんですが、そのモーガンが登場してトランペットを吹き始めます。これまた、1曲目に比べるとかなり抑え気味の表現に終始しておりまして、さっきはむきになって吹いちゃったんだけど、よく考えたら俺、ピストルで撃たれるまで、まだ3年もあるわけだしぃ。…と言うことに気付いたのでありましょう。そうです。まだ慌てることはありません。もし僕があと3日で死ぬと宣告されたら、街を歩いている女子高生のスカートを片っ端からめくっちゃうことと思いますが、あと3年もあるとなれば、そういうみっともない真似はしないでしょうからね。せいぜい、階段の下のほうから覗いてみるくらいで。で、続きましてはハバートのほうのモーガンでありますか。ここでのプレイはさほどショーター的ではなくて、ややオリジナルな資質というのも垣間見ることの出来るカイマンワニ。…といった感じで、ま、いずれにせよモーダルなスタイルの持ち主であるには違いないんですけどね。マターリとした感じは悪くないと思います。で、続いてはラリヤンのソロですか。テーマのメロディの引用から入って、なかなかメロディアスなフレーズを展開しているな。…と思ったのもつかの間、ちょっと目を離すとすぐに暴走しちゃいそうになるんですが、全体的には理性による抑制が働いている弾きっぷりであると言えるでしょう。で、何となくテーマに戻って、何となくおしまい。

 3曲目はヴィジョンズという曲です。これは間違いなくテーマだな。…と思える、きっちりとしたメロディのある作品でありまして、ま、言葉で表現するのは難しいんですが、敢えて言うならジャズ・ロックとモードの融合に渦巻状のフレーズを散りばめたというか。ジェームス・スポールディングあたりの作風に共通しているかも知れませんね。幾分、ボサノヴァ風の気だるさも加味されてような気もするんですが、ま、ほんの幾分ではあるんですけどね。で、ハバート・モーガンがソロの先発です。髪の毛の短い人は短髪です。海で釣れるおさかなはカンパチです。いや、海ではカンパチ以外のおさかなも釣れるんでしょうが、…と、どうでもいいことを言ってるうちにハバートのソロは終わって、続いてリー・モーガンのソロになりました。スタイルでいうとモーダルということになるんでしょうが、いきいきとしている感じはあって、60年代後期の彼としては上出来な部類ではなかろうかと。やや小難しくて、つまらん。…という意見もあろうかとは思いますけど。で、続くラリー・ヤングのソロはアレですな。ラリラリにして、ヤング。…といった感じでありまして、あんなアホっぽいオルガンという楽器で、こんな小難しい演奏が出来るんだぁ。…という意味では、それなりにエポック・メイキングだとは思うんですけどね。ということで、テーマに戻って、おしまい。4曲目の 「トリップ・マーチャント」 は心してかからねばなりません。12分51秒もあるので、覚悟を決めておかないと、とても最後までは体力が持ちません。ただでさえ前半3曲でかなりグッタリしているというのに、えーと、これはアレですな。かなりとりとめのない演奏ですな。今ひとつ入り込めない感じがあるので、よくないことであるとは自覚しつつも、思わずCDプレイヤーの“”ボタンを押してしまいました。さ、残すところあと1曲ですね。 「ラブ・ドロップス」 ですか。「愛のしずく」ですかね?個人的には “しずく” よりも “もずく” のほうが好きなんですが、それにしても “もずく” というのは、どうしてあんなに甘酸っぱいんですかね?それはね、酢の物にして食べるからなんだよ。ああん、そっかぁ。…と、自分で疑問を呈して、自分で答え、そして自分で納得してしまいましたが、なるほど、 “もずく” というのは酢の物にして食べるから甘酸っぱかったんですね。我ながらいいところに気が付きました。で、「愛のしずく」 でありますが、これはアレですね。軽いボッサ調のナンバーです。ラブリーでキュートで、それでいてやっぱりラリー・ヤングだから若干は胡散臭かったりもするんですが、全体的にはラリヤンらしからぬヒマラヤンな作品であると言えるでしょう。いやあ、1曲飛ばして心の底から正解でありましたな。これならまだ何とか耐えられますもんね。で、それはそうと、マンゴーとマンゴスチンというのはまったく別の果物だったんですな。いや、今、僕が食べているフルーツのど飴が“ライチ&マンゴスチン”という味なんですが、何だかちっともマンゴーの味がしないなと思っていたら、どうやらマンゴーとマンゴスチンというのは別物であるようでして。いやあ、僕はてっきりマンゴスチンというのはマンゴーがスチンしたものだとばかり思っていたんですよね。ということで、またひとつ賢くなったところで、おしまい。

【総合評価】

 並々ならぬ覚悟がいる1枚。…と言ってもいいでしょう。コテコテのオルガン・ジャズって、何だかあまりお洒落じゃないから好きじゃなかったんだけど、でもこんなの聴くくらいなら、まだコテコテのほうがマシ?…みたいな。とにかく、聴いてて疲れます。いや、個人的には嫌いではないんですが、2曲目まで聴いたら、あとはまあ、3ヵ月後でいいかぁ。…みたいな。いや、ラストの 「愛のしずく」 は、まだマシなんですけどね。


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