BOSSA NOVA CARNIVAL (NEW JAZZ)

DAVE PIKE (1962/9/6,7)

BOSSA NOVA CARNIVAL


【パーソネル】

DAVE PIKE (vib,marimba) CLARK TERRY (flh) <#2,4,5,7> KENNY BURRELL (g)
JOSE PAULO (cabasa,bandero) CHRIS WHITE (b) RUBY COLLINS (ds)

【収録曲】

SAMBA LERO / SONO / SERENIDADE / CARNIVAL SAMBA
PHILUMBA / MELVALITA / GINHA / SAUSALITO

【解説】

 『ジャズ・レコード黄金時代』スイングジャーナル臨時増刊号) という本を買いました。1990円(税込)もしました。けっこうなお値段ですよね。『けっこう仮面コンプリート・コレクション』〈DVD2枚組〉だったら5985円(税込)の出費もまったく痛くはないんですが、所詮、相手はただの“ジャズ本”ですからね。僕の心のランキングでいくと、“ジャズ本”なんてのは“ザボン漬け”よりもちょっとマシ?…といった程度の位置付けでありまして、さほどソソられるものがないのが現実なんですが、シェトワ白揚クワナで見かけて思わず買ってしまいました。いや、“書評deポン♪”のネタにいいかな?…と思いまして。 が、“jazz giant”の 前半が極度のネタ切れ状態に陥っているため、こうしてこの場で取り上げることにした次第なんですが、しかし、どうして表紙の写真が加藤芳郎?…というのが僕の長年の疑問でありました。いや、長年といってもこの本を買ったのが2週間ほど前だったので、それほど長い期間に渡って“芳郎問題”に心を悩ませていたわけではないんですが、というか、中身を読んですぐ問題は解決しちゃったんですけどね。加藤芳郎ではなくて、植草甚一だったんですな、このおっさん。ま、それはそうでしょう。 『テレホン人生相談黄金時代』 というのならともかく、ジャズ本に芳郎が出てくる必然性はどこにもありませんもんね。ただ、このおっさんが本当に植草甚一であるかどうかはサダカではなくて、この本の最初のほうに 「名物ライター植草甚一ワンダーランド」 なる特集記事があったので、おそらくそうなのではないか?…と推測しただけの話でありまして、本屋で初めて手にした時は、おお、デューク・エリントンやん。…とか思ってましたもんね。 が、家に帰って改めて表紙をじっくりと眺めてみたところ、あれ?日本人やん。…ということが判明して、急遽“加藤芳郎説”が浮上したわけなんですが、そもそも植草甚一というのは一体どういう人だったのか?…というところからして、僕には今ひとつよく分かっていないのが実情でありまして。

ジャズ・レコード黄金時代♪

 “JJ”というのがこの人の通称なんだそうです。植草甚一なのに、どうして“JJ”?…と、ここでまた新たな疑問が沸き起こることになりますが、もしかしたらずっと“うえくさ・じんいち”だと思っていた僕の読み方が間違っているんですかね? 実は“植草”と書いて、“じきくさ”と読む…みたいな。かなり無理のある読み方のような気もするんですが、そうでも考えないと“JJ”というイニシャルの辻褄が合わないですもんね。が、調べてみたところ、読み方としてはごく普通に“うえくさ”で正解のようで、となると最初の“”がどこに由来するのか今ひとつ釈然としないものがあるんですが、ただ単に“JAZZ”から来たものなのか、あるいはJ.J.ジョンソンが好きだったからとか。ちなみに女性誌の「JJ」というのは“女性自身”のイニシャルから来てるんだそうですね。とまあそれはさておき、本題のほうに入ろうと思うんですが、この書物の意図するところは何かと言うとですね、ま、早い話がずーっと昔の 『スイングジャーナル』 に掲載されたディスクレビューの復刻版ということでありまして。活字なんかも昔のものをそのまま活用していて、昭和レトロ的な面白みを狙ったと評価することも出来るし、過去の遺産でもう一度ゼニ儲けをしようという魂胆かい?…などと、穿った見方をすることも可能ではあります。ま、好意的に受け止めれば、今ではすっかり“名盤”としての評価の固まったアルバムが、日本で初めて紹介された頃には一体どのように受け止められていたのか?…ということが分かる貴重な歴史的資料である。…と言えないこともなくて、ま、そんなことより、油井正一センセイ岩浪洋三センセイがまだ若かった頃に書いたレビューが読めるということだけで、充分に楽しめる内容になっているんですけどね。昔はジャズ評論家だったらしい。…と、噂では聞いていた大橋巨泉が、ホントにちゃんとしたレビューを書いてるしー。

おじさん♪

 ちなみにこの本で紹介されているディスクレビュー1958年5月号から70年12月号までのものであります。まさに“ジャズ・レコード黄金時代”と呼ぶに相応しい年代であるわけですが、どうして1958年5月号と、始まりの時期が今ひとつ中途半端なのかと言うと、この号から5段階評価によるレビューが始まったからなんだそうでありまして、5段階評価というのはつまり、SJ誌の読者にはおなじみの“おじさんマーク方式”でありますな。この方式は現在まで脈々と受け継がれているわけでありますが、『ジャズ・レコード黄金時代』 への掲載を70年12月号で打ち切ったのはなかなか賢明な編集方針でありまして、正直、70年も12月頃になると、ジャズも死んぢゃったな。…といった気配が濃厚に感じられるようになってきますからね。 で、ま、それはそうとして、この“おじさんマーク”というのはいったい何をイメージしているんですかね? 僕の感覚としては、映画監督か?…という気がしているわけなんですが、例えば星の数で言うと“”、点数にすると20点に相当する“貧弱のおじさん”は何やらこう、うなだれてますよね。林家こぶ平が言うところの“うなだれおじさん”というのは恐らくこの状態のことを示しているんだと思われますが、実際のレビューでこのおじさんの姿を見かけることはまずありませんな。 20点って、んなもの、そのミュージシャンの人格やキャリアを否定するに等しいものがありますもんね。いくらクソつまらんアルバムでも、最低40点くらいはつけておくのがレビュアーの間では暗黙の了解となっているようで、ということはつまり“平凡”に値する“不機嫌座り込みおじさん”を付けられたような作品は、相当にクソ面白くないものであることを覚悟しておいたほうがよろしいのではないかと。 “良好おじさん”あたりで、イコール“平凡”くらいに割り引いて考えたほうがいいかと思いますが、それにしてもこのおじさんはどうして目にメガホンを当てているんですかね? メガホンというのは口に当てて声を拡声させるための道具なので、このような使い方は明らかに間違っているわけでありますが、ま、メガホンというのは思わず目に当てて覗いてみたくなるものでありますので、その気持ちはワカランでもないんですけどね。で、“優秀おじさん”になると、思わず小躍りして手放しで喜ぶことになるわけなんですが、最後の“最優秀おじさん”の行動パターンが今ひとつよく読めないんですよね。何だかベンチもひっくり返っちゃうほどもの凄いことになっているらしい。…というのは何となく伝わってくるんですが、どうしてこう、右手を斜め下方向にぐーんと伸ばして、上半身をこれほどまで激しく前傾させているのでありましょうか? 最優秀というより、何だか食あたりでも起こして苦しんでいるようにしか見えないのって、もしかして僕だけなんすかね?

わに×2種♪

 で、“オマケ”(←点数でいうと10点)を意味する“ワニ”には2つの種類があるということが判明しました。年代によってデザインが変わったとかそういうことではなくて、例えば同じ1958年5月号のレビューにも2種類のワニが登場してるんですよね。1匹は何やらこう、力強くガッツポーズを決めているような感じでありまして、ここでは仮に“ガッツわに”と命名しておきますが、もう1匹のほうは何やら「ばいばーい!」と手を振ってるようにも見えるし、あるいはディスコでノリノリで踊っているように捉えることも出来ますよね。ここでは仮にこのタイプのものを“フリフリわに”と命名しておきますが、この2匹をどのように使い分けているのか、部外者としては窺い知ることが出来ません。“ガッツ”が5点で、“フリフリ”が10点みたいな明確な規定があるのか、それとも単なるレビュアーの趣味の問題か。個人的には“フリフリ”のほうが可愛くていいな♪…という気がするわけなんですが、えーと、ディスクレビューで最初に俎上に上げられているのはマックス・ローチ『モダン・ジャズ・ワルツ』 でありますか。世間では 『ジャズ・イン 3/4 タイム』 という原タイトルで正しく知られている1枚なんですが、当時は何だかアルバムの名前の付け方が、かなりいい加減なようでありまして。ま、意味的には当たらずと言えども遠からず。…といった感じなので、間違ってないと言えばそれまでなんですが、曲名のほうも出来ることなら日本語の名前を付けておくこと。…みたいな決まりがあったみたいです。例えばこのアルバムの収録曲で言うと、「ロマンスを求めて」 「小さな仲間」 「絶世の美人」 みたいな。原題は 「The Most Beautiful Girl in the World」 だからどこにも間違ったところはないんですが、いくらなんでもちょっとはしょり過ぎではないですかね? せめて、 「世界でいちばん美しい娘」 くらいに訳しておいたほうが無難ではないかという気もするんですが、演奏自体は極めて良好だったようでありまして、野口久光クンによって、見事、“食あたりおじさん”が献上されているのでありました。 で、意外な低評価に甘んじているのは 『ザ・モダーン・アート・オブ・ジヤズ第一弾』 と名付けられている1枚でありまして、“ジヤズ”と表記されているところが何ともレトロなムードを醸し出しておりますが、“”という字も実際には簡単にパソコンでは出てきそうもないような旧字体が使われております。何というか、えーと、車偏に口を書いて耳…みたいな。ちなみにこれはズート・シムス『 THE MODERN ART OF JAZZ VOL.1 』 というアルバムなんですが、またも出ましたシムス君か!!またも出ましたボッブちやんという感じ。…などと久保田二郎クンに書かれていて、評価はなんと“不機嫌座り込みおじさん+ガッツわに”…でありますかぁ。現在ではシムス君とボブ・ブルックマイヤーの洒脱なやり取りが楽しめる1枚としてそれなりに評価されているんですが、二郎クンの口ぶりからすると、どうやらシムス&ボッブ君の作品はこのところ(←1958年当時)濫発気味で、何かこう辟易しちゃったって感じぃ?…みたいな。 『塩サバ通信』 はズート・シムスに冷たいサイトとして世間に知られているんですが、昔のSJ誌でも冷遇されていたんですね。何だかこう、シムス君が不憫になってまいりました。

 ということで、僕がこの本に関して書きたいことは、こんだけ。いや、これだけ分厚ければ“書ポン♪”で3回くらいは使えるぅ?…とか思っていたんですが、ことのほかあまり書くことがありませんでしたな。ま、無理をすればあと1回くらいは引っ張れないこともなんですが、あまり引っ張りすぎて古いパンツのゴムみたいにブチッと切れてもアレですしぃ。で、これを読んでいて思ったのは、ディスクレビューなんてものはまるっきり書き手の好き嫌いに左右されるものであるな。…ということでありまして、例えば69年7月号から始まった 「問題作を試聴する」 というコーナーでは1つの作品を4人のレビュアーが論評することになっているんですが、もう評価が両極端にバラバラ。例えばファラオ・サンダース『因果律』 というアルバムについて、岩浪洋三クンは、69年度にもっとも感動を受けたレコードと絶賛しておりますが、対する油井正一センセイのほうは、「なぜこんなくだらぬアルバムが、今月の問題作なんだ」と編集部にたずねたりしております。いや、油井センセイと言えばこの業界の重鎮で、けっしてチンチン麺なんかを食べたりしない紳士。…というイメージがあったんですが、若い頃はけっこう軽薄な感じのレビューを書いていて、ちょっと意外な感じがしました。この分ではチョメチョメ麺だって食べちゃってるかも知れません。あと、いソノてルヲという人もいけませんね。名前がふざけ過ぎております。一方、大橋巨泉は意外とマトモだったりするんですが、植草甚一のレビューもさすがでありますな。ほとんどアドリブ的なノリで雑談風に話を進めていくあたり、かなり 『塩サバ通信』 の影響を受けていることが窺われます。ただ、当時のハヤリだったフリー系のアルバムと見れば、問答無用で“最優秀”を付けるという姿勢には若干の疑問が無きにしもあらずなんですが、『フォア・フォー・トレーン/アーチィ・シェップ登場』 なんか、そんなに面白いかぁ?

 “過去の偉人”によるディスクレビューに関して、自分なりに評価しながら読んでみると楽しいかも知れませんが、僕が今書いている文章なんて、もし点数を付けるとしたら、“ガッツわに+フリフリわに”って感じぃ?

 ということで、今日はデイブ・パイクですかい。候補として 『ボサ・ノヴァ・カーニバル』『リンボ・カーニバル』 の2枚が挙がり、どちらを選ぶかでちょっと悩みました。普通に考えればボサ・ノヴァで決まりやろ?…という感じなんですが、このパイクのボッサ盤はジョアン・ドナットという人のオリジナル作品ばかりが取り上げられていて、お馴染みの曲がひとつも入ってないんですよね。対するリンボのほうはパーカーの「マイ・リトル・スエード・シューズ」やら、下世話な「マチルダ」やら、ロリンズの 「セント・トーマス」 やらが入っていて、ポピュラリティという点ではこちらが上。 ジャケット的にはリンボのパイクの“にやけ具合”がややネックでありますが、書きやすいという点ではボサ・ノヴァよりもリンボのほうを取り上げたい気分で、が、最終的には演奏の中身を冷静に分析して、 『ボサ・ノヴァ・カーニバル』 のほうに軍配を上げることにしました。一時の感情に左右されない賢明な措置だったと思います。ま、どちらも極めて軽いノリの作品でありまして、真剣に悩むほどのことでもなかったんですけどね。別にどっちでもいいかぁ。…みたいな感じで。アルバムのタイトルもかなりいい加減ですよね。ボサ・ノヴァやから、カーニバルやん。…って、発想があまりにも単純だと思います。これでは“焼肉のカルビ庵”と大して変わりないぢゃん。…と思わずにはいられませんが、とにかくまあ、1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 えーと、まずは 「サンバ・レロ」 という曲ですか。あまり耳慣れないタイトルでありますが、誰が作った曲なんすかね?…と思ったら、ジョアン・ドナットのオリジナルだったんですね。いや、前にも書きましたけど。で、あまり耳慣れないタイトルではありますが、曲のほうはアレです。典型的なボサ・ノヴァです。サンバというよりも、ボッサ。 ヴァイブ+ギター+ピアノ・トリオ+ラテン・パーカッションという編成なんですが、ヴァイブという楽器は意外とラテンのノリにも合うものなんですな。華麗なパイクのマレット捌きを堪能出来るナンバーに仕上がっております。アドリブというより、テーマ・メロディを単純に繰り返しているような感じなんですが、ま、所詮はボサ・ノヴァだしぃ。…などと思っていると、続いて登場するギターはけっこう立派なソロを披露しておりました。誰かと思ったらケニー・バレルでありますか。なるほど、どうりでけっこう立派な筈ですよね。続いてパイクが短いながらもちゃんとしたソロを取るパートがあって、時おり歓喜の呻き声なんかもまじえたりして、なかなかの熱演ぶりでございます。ということで、テーマに戻って、おしまい。ま、無難な立ち上がりではありましたな。所詮はボサ・ノヴァだしぃ。

 続いては 「ソーノ」 という曲です。タイトルが明快ですね。いやその、意味はよくわからんのですが、その気にさせるシンプルでいい曲名だと思います。ギターとヴァイブのユニゾンによるイントロに続いて、テーマ部ではクラーク・テリーがフリューゲルホーンを吹いておりますな。ボッサとフリューゲルの取り合わせはちょっぴり意外な気がしましたが、その“まったり感”が気だるいムードとよくマッチしていて、秀逸です。何かこう、ヤル気がなくなっちゃうくらい寛いだ世界が展開されておりますな。で、テーマに続いてそのままテリーのアドリブに入っていきますが、さすがはベテランらしい円熟味が感じられ、思わず、ベテランらんらん、ベテランらんらん、ベテランらんらんらんら〜ん♪…と、“花の子ルンルン”の節で歌いたくなってしまいます。いや、好きだったんですよね、ルンルン。続編の“魔法少女ララベル”も楽しみにしておりました。ただ最後の 「ことわざ日記」 というのはルンルンの“花言葉”と違って何だか必然性がなくて、コドモ心にも何だか二番煎じやなぁ。…という感じが濃厚に感じられましたが、そうこうしているうちにバレルのソロが始まりましたな。相変わらず達者だと思います。続くパイクのソロも相変わらず拙者だと思います。いや、好きだったんですよね、忍者ハットリ君。キャラとしては“シシ丸”が大のお気に入り。いや、ネコ派の僕としては犬というのはあまり好きではないんですが、“チクワ好き”という共通点に思わずシンパシーを感じてしまいました。美味しいですもんね、チクワ。…とか言ってるうちに演奏のほうはテーマに戻って、おしまい。

 3曲目は 「セレニダージ」 です。ジョアン・ドナットという人はどうも、長い曲名を付けるのが嫌いみたいですね。収録全8曲を通して曲名に使われている単語の総数はわずか10個。平均すると 1.25個というありさまです。いや、書くのがラクだから個人的には大歓迎なんすけどね。出来れば「ンパ」とか「ズト」とか、日本語で2文字以内だったらもっといいな♪…と思っているくらいで。で、 「セレニダージ」 というのはアレですね。ボサ・ノヴァです。どこかで聴いたことのあるような、ないような、とにかく日本人好みのメロディであるには違いなくて、ルディ・コリンズ(ds)のスカスカのリズムもまあ、よしとしておきましょう。所詮はボサ・ノヴァだしぃ。で、演奏のほうはパイクのヴァイブを最大限にフィーチャーした感じでありまして、その期待に応えてパイクくんも唸り声を交えて大いにハッスルしているのが微笑ましい限り。あ、バレルのソロも聴けるんですね。ということで次です。 「カーニバル・サンバ」 。何かこう、そのまんまのタイトルですよね。例えて言うと、「カルビ・焼肉」 みたいな。…って、いつも例えがマンネリなんすけど。で、これはアレです。クラーク・テリー入りです。タイトルはサンバでもさほどサンバサンバはしてなくて、ま、どことなくカーニバルの気配は感じられるんですけどね。何かこう、場末の寂れたカーニバルみたいな雰囲気が漂っていて、いや、パイクのソロとかはけっこう元気で賑やかなんですけどね。その後、テリーが出てベテランらしいソロを聴かせ、バレルが出てきて達者なソロを聴かせ、テーマに戻って、おしまい。いや、そろそろ書くことがなくなってきましたが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 5曲目は 「フィルンバ」 。またしてもテリー入りの何やら哀愁味を帯びたナンバーであります。ドナットという人はなかなか作曲のセンスがあるみたいですね。当初のソソられなさ具合とは裏腹に、どれもこれもいい感じに仕上がっているんですが、しかしなんですな。こうも同じようなリズムの曲ばかり聴かされると、ちょっぴりダレてくるのも確かですよね。チェンジ・オブ・ペースのフリューゲルホーンも3曲目ともなると次第に新鮮味が薄れてくるし、…と思っていたら、さすがにパイク君もアホではありませんでした。ここではヴァイヴの代わりにマリンバを叩いて気分転換を試みております。ま、鉄琴が木琴になっただけやん。…といった感じで、全体的なムードはさほど代わり映えがしないんですが、何もせずに手をこまねいているよりは遥かにマシではなかろうかと。焼肉のカルビが骨付きバラ肉になったくらいの変化はありますからね。骨がある分だけ、食べにくいやん。…といった感じで、さほど嬉しくはないんですけど。ということで、次です。「メルヴァリータ」 です。哀愁味を帯びたボッサ調のナンバーです。ヴァイブとギターの辛みがとってもお洒落です。ソロ・パートではパイクくんが再びマリンバを駆使しております。えーと、マリンバ、マリンバ・・・。特に何も思いつかなかったので次に参りましょう。7曲目です。 「ジーニャ」 です。これはいいですよね。何だかラテン系の爺ちゃんみたいで。4歳くらいの孫娘が「爺にゃ〜。」とか言って、駆け寄ってくるんですよね。とても微笑ましい光景だと思います。出来れば4歳くらいの孫娘には猫耳を付けたいところぢゃ。…って、この爺ちゃん、ちょっぴりコスプレ・マニアが入ってるみたいなんすけど。で、演奏のほうはアレです。アップ・テンポで、とっても元気があっていいと思います。ただ、クラーク・テリーのフリューゲルに関してはちょっぴり食傷気味で、またも出ましたテリイ君か!!…という感じが無きにしもあらず。

 ということで、ラストです。 「ソウサリート」 。ああん、そうされるとあたし弱いのぉ。…って、いったい何をされてるんだか。きっと、あんなことやら、こんなこと。ああん、そんなことまでぇ♪…と、想像がどんどん膨らむ次第でありますが、演奏のほうはアレです。とってもボサ・ノヴァです。テーマ部は若干ヴァイブが抑え気味で、バレルのギターがフィーチャーされ気味かな?…といった感じはあるんですが、おしなべていつものペースに終始しております。おしなべて…というと、何だかちょっぴり鶏鍋の一種みたいなんですが、こうも暑いと鍋料理もあまり食べる気がしませんね。ということで、今日はおしまい。

【総合評価】

 全編、ボサ・ノヴァカーニバルな世界が展開されております。途中までは、悪くないぢゃん!…という感じだったんですが、さすがにこうも均一なムードの演奏ばかりが続くと、ちょっぴりツライものがありますな。それなりに変化を付けようという努力の跡は窺えるんですけどね。前半と後半を2日間に分けて聴いて、ちょうどいいくらいかも?


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