1ST BASSMAN (VEE-JAY)

PAUL CHAMBERS (1960/5/12)

1ST BASSMAN


【パーソネル】

TOMMY TURRENTINE (tp) CURTIS FULLER (tb) YUSEF LATEEF (ts,fl)
WYNTON KELLY (p) PAUL CHAMBERS (b) LEX HUMPHREY (ds)

【収録曲】

MELODY / BASS REGION / RETROGRESS / MOPP SHOE BLUES / BLESSED
【解説】

 “四字熟語”というのがありますよね。それはどういうものなのかと言うと、四字の熟語。ま、簡単に言ってしまえばそういうことになるんですが、もう少し詳しく説明すると、漢字四文字で構成された熟語。…ということになろうかと思います。だから例えば“ラリハイ”なんてのは、たとえ四文字で構成されているとは言え、全部がカタカナだから四字熟語とは言いませんよね。じゃ、何か?“ラリハイ”を漢字で“裸痢覇威”と書けばいいのか?…というと、それとこれとは話が別でありまして、やはりその言葉の背後に、何らかの中華人民共和国的な謂れがないと駄目なような気がするわけでありまして、その意味では“故事成語”の一種であると言えるかも知れません。やっぱり、故事がないと駄目なんだよねー。…というのが前提条件でありまして、例えばここに登場してきた“故事成語”とか“前提条件”といった言葉は、確かに漢字四文字で構成されてはおりますが、基本的には漢字二文字の熟語+二文字の熟語といった構成で、背後関係に物語性が感じられないので、あまり四字熟語とは言いません。“複雑骨折”とか“塩サバ定食”なんてのもそうですね。後者に至っては片仮名が交じっているし、五文字だしで、論外なんですけどね。“四字熟語”と、そうでない“ただの四文字の熟語”とを見分けるポイントは、真ん中に“”という言葉を入れてみて、意味が通じるかどうかにあるんですが、例えば“複雑な骨折”とか、“塩サバな定食”みたいに、何となく意味が通じちゃうものは概ね、“ただの四文字の熟語”のほうに分類してもいいんぢゃないかという気がします。いや、あまり根拠はないんですけどね。

 で、ここで僕の“四字熟語”に対するスタンスを明らかにしておくとですね、けっこう好きですね。具体的にはどれくらい好きなのかと言うと、そうですなぁ。味付け海苔の次くらいに好きっ♪…といったところでしょうか。僕は基本的に和食系の朝食では納豆が駄目なクチでありまして、以前、東京の穴守稲荷で、おかみさんが気さくである。…と世間で評判の旅館に泊まったとき、朝メシの際にその旨を申告したところ、「納豆はなっとうもならんか。がはははは。」…と笑われてしまいました。この返答を、おかみが気さくであると判断するか、しょうもねーオバハンや!…と切り捨てるかは評価の別れるところかと思いますが、とにかくまあ、僕は納豆が嫌いであると。生卵というのもどうも苦手ですね。子供の頃はけっこう“卵かけごはん”が好きだったような記憶があるんですが、ある突然、嫌いになっちゃったような気がします。あるいは、たまたま食べた生卵が腐っていて、ひどい下痢に見舞われたといった幼児体験があったのかも知れませんが、オロナミンCに生卵を入れると、オロナミンセーキ♪…って、そんな気持ち悪いもん、飲めるか!…と思ってしまうほど生卵が苦手な僕は、おばさんがわりと融通の利くタイプであるな。…と判断した場合、「焼いて♪」とお願いして、目玉焼きを作って貰うことにしております。連泊の場合、初日にそうお願いしておくと、次の日からは僕の顔を見ただけで自主的に卵を焼いてくれるようになります。昨日は目玉焼きだったから、今日はスクランブルエッグね。…と、メニューに変化を付けてくれたりもします。3日目あたりになると、「今日は生タマゴをやめて、生ナマコにしてみたのぉ。」ということになって、わーい、朝から珍味だぁ♪…って、いや、朝からそんなもん、食いたかねーや!…という気がしないでもないんですけどね。

 ということで、味付け海苔。これは無難ですな。それほど好きというわけでもないんですが、さほど嫌いというわけでもないので、旅館の朝食に出されたりしたら、食べますね。そんな味付け海苔の次くらいに僕は“四字熟語”というのが好きだったりするんですが、どこがそんなに好きなのかと言うと、やはり言葉の裏に秘められた物語性。そこのところにソソられるものを感じてしまいます。生卵より、いいぢゃん。…と思ってしまいます。例えば有名な故事成語に“矛盾”というのがあるんですが、この言葉の由来になったお話など、実に面白いですよね。いや、四字熟語の話をしているのに、いきなり“矛盾”などという二文字しかない熟語を取り上げるのはいささか矛盾しているような気もするんですが、むかしむかし、あるところに兵器商人のおじさんがおりました。あるところ…というのはおそらく、今で言う中華人民共和国のあたりではないかと思うんですが、で、むかし…というのはおそらく、今から4000年くらい前のことでありましょう。で、この兵器商人のおじさんが何を売っていたのかと言うとですね、(ほこ)と、(たて)を売っておりました。場合によってはホタテなんかも売っていたのかも知れませんが、彼が売っていた(ほこ)というのが、そんじょそこらで売ってるような安物のチンケな(ほこ)ではなくて、どんな(たて)でもたちどころに突き破ってしまう史上最強の(ほこ)だというのだから、いや、これは大したものですな。もしかしたら、昔いた相撲取りの逆鉾(さかほこ)なんかよりも強いかも知れません。いや、対して強くはなかったですからね、逆鉾(さかほこ)。なかなか味のある、ひょうきんな顔をしてましたけどね。どこの学校や会社にも、必ずひとりは逆鉾(さかほこ)みたいな顔をしたヤツがいて、“さかほこ”というあだ名で呼ばれていたものでありますが、そんなことはどうでもよくて。で、一方、このオッサンが販売していた(たて)のほうもタダ物ではありません。タダではなく、おそらく当時のお金で26000ウォンくらいの値段が付いていたのではないかと思われるわけでありますが、中国なのに、何故ウォン?…という疑問はとりあえず置いといて、どのようにこの(たて)がタダ物ではなかったのかと言うと、そんじょそこらで売ってるような安物のチンケな(たて)ではなくて、どんな(たて)の攻撃でも完全に封じることの出来る史上最強の(たて)だというのだから、いや、これは大したものですな。…と、ここにある一人の男がやって来て、こう言うわけです。「じゃ、そのお前さんの持ってる(ほこ)で、お前さんの持ってる(たて)を突いたら、どうなるんぢゃい?」 ギャフン。…と参ってしまった武器商人でありますが、このことから、物事のつじつまが合わないことを“矛盾”と呼ぶようになったそうでありまして。いや、実によく出来たお話ですなー。

 さて、この事から僕達は教訓として何を学ぶことが出来るでしょうか。逆鉾は弱い。いや、そんなことを学んだところで、なんら得られるものはありません。“矛盾”という言葉が僕達に教えてくれることはですね、・・・、特にありませんね。ま、強いて言えば、「ええ加減なことを言うな。」…という、軽い戒めの言葉と捉えることが出来るかも知れませんが、この武器商人は“史上最高の…”などと余計なことを言ったばかりに揚げ足を取られちゃったわけですからね。話としては面白いけど、さほど得られる教訓はない。ま、“矛盾”という成語はそのような位置付けであると言ってよいと思いますが、似たようなものに“蛇足”というのもありますね。四字熟語の話をしているのに、またしても二文字しかないような熟語を持ってくるところが確信犯的でありますが、こちらのほうはこのようなお話でありますな。むかしむかし、あるところに2人の男がいたわけです。でもって、「蛇の絵を描く競争をしよう!」ということになったわけでありますが、しかしまたどうして、よりによって、そのようなつまらない企画が考え出されたのでありましょうな? 暇だったから。…というのが普通、ごく一般的に考えられる理由でありますが、それにしても普通、いくら暇だからと言って、“蛇の絵を描く競争”なんてショぼい発想は浮かんで来ませんよね。もし浮かんだとしても、口に出したりはしません。「暇だから、蛇の絵を描く競争をしよう!」…と提案したところで、「はぁ?」と聞き返されて、馬鹿にされるだけなのがオチですもんね。ところが意に反して、「いいねぇ、やろう!」…という返事が返ってきたもんだから、言い出したほうとしても今さら嫌だとは言えず、引っ込みが付かなくなって、仕方なく蛇の絵を描く競争をするハメになっちゃったと。で、結果のほうはというと、「いいねぇ、やろう!」…と話に乗ってきたほうの男の完勝でありました。話に乗って来たということは、それだけ蛇の絵に自信を持っていたということなのかも知れませんが、とにかくまあこの男はいとも簡単に蛇を絵をひょいひょいと描きあげてしまって、もう一人の男にこう言うわけであります。「遅いねぇ、君ぃ。僕なんかとっくに終わっちゃって、ほら、蛇にチョチョイと足なんかも描き足しちゃったりして。」…って、いや、余裕ですなぁ。自分から提案しておいて、完敗に終わっちゃったヒロシ君としては当然面白くないわけでありまして、いや、いつからそんな名前に決まったのかはサダカではないんですが、とにかくまあ、負け惜しみで昭一クンにこんなことを言うわけなんですよね。「蛇に足なんかないやい!余計なものを描いたから、昭クンの負けぇ!」…て、果たして僕達はこのお話から何を教訓として学び取ればいいのでありましょうか?・・・。何もありませんね。ま、強いて言えば、“ヒロシ君はオトナ気ない。”…ということくらいでしょうか。ま、負けず嫌いのヒロシ君の立場からすると、「調子に乗るな。」ということになって、世間ではどういうわけだかヒロシ君の味方をして、“蛇足”という言葉は“余計なこと”といった意味で使われるようになっちゃったんですけどね。「試合に勝って、勝負に負けるとはこのことか。」…と、昭ちゃんは力無くつぶやいたそうでありますが、ま、調子に乗るのも、そこそこに。…ということでありまして。

 それにしてもヒロシ君はちょっと負け惜しみが強過ぎますよね。似たようなエピソードを示す言葉としては、“石に嗽ぎ、流れに枕す”なんてのもありますな。またかというか、やはりというか、四字熟語とは掛け離れた展開になってまいりましたが、この言葉は有名ですよね。どのように有名なのかと言うと、夏目漱石というペンネームの由来になったことで、世間にはよく知られております。あの漱石が自分のペンネームの由来にしたくらいだから、さぞやありがたい教訓に満ちた言葉なんだろう。…と思っていたら、さにあらず。負け惜しみの強いことのたとえ。…って、意味としてはそんだけ。どうして“石に嗽ぎ、流れに枕す”が、負け惜しみの強いことのたとえなのかと言うとですね、昔、中国の有名な諺だか詩だかに、“流れに嗽ぎ、石に枕す”というのがあったんだそうです。あ、“嗽ぐ”というのは大変に難しい漢字なんですが、“くちすすぐ”と読みます。大変に難しい漢字なので、さぞや蘊蓄に満ちた深い意味があるんだろう。…と思っていたら、さにあらず。口をすすぐこと。…って、意味としてはそんだけ。そのまんまやん!…みたいな。つまりまあ、“流れに嗽ぎ、石に枕す”というのは、川の流れで口をぐちゅぐちゅして、石を枕にして寝転がった。…と、ただそれだけのことを言っているわけなんですが、ある日、ある人が間違えて、この諺だか詩だかを、“石に嗽ぎ、流れに枕す”と言ってしまったと。これは当然、「あはははは。反対ぢゃーん!」と、大いに馬鹿にされるハメになってしまったわけですが、言い間違えた人は、「いや、石に嗽ぎ…というのは歯を磨くことで、流れに枕す…は、耳を洗うことだから、理論的には正しいっ!」と頑迷に言い張って、決して自分の非を認めようとはしなかったと。すなわち、負け惜しみの強いことの例え。…って、ホントにもう、どいつもこいつも、ああ言えば、こう言う。もっと素直に、自分の間違いや負けを認めろって!…と思わずにはいられません。

 ということで、続いては“朝三暮四”という言葉を取り上げてみたいと思います。おお、やっと四字熟語が登場しましたな。“仏の顔も三度まで”という諺もあることなので、4度目はフツーにしてみました。ちなみにこの“仏の顔も三度…”というの、三度目まではぎりぎりセーフなのか、三度目にはボコボコに殴られてサンドバッグ状態にされても文句は言えないのか、解釈の別れるところではありますが、とにかくまあ、“朝三暮四”。いかりやの長さんが没してしまったので、“朝三暮四”。ちなみに僕たちの世代はドリフターズに関しては微妙なスタンスを取っておりまして、好きだったかと言われると、そうだったとも言えるし、そうではなかったとも言えるし。丁度、絶頂期…から下り坂に向かい始めた頃。…というのが僕達の小学校高学年の頃でしたからね。ドリフなんかで喜んでいるのは、コドモや。…という態度を取るのがステータス。…みたいな。で、ドリフを卒業してどこに走ったのかと言うと、欽ちゃんだったんですけどね。が、その選択は明らかに間違っていたな。…ということを長野オリンピックの閉会式で嫌というほど思い知らされてしまいましたが、いやあ、あれは人選ミスでしたな。開会式の伊藤みどりと同じくらい。…という話はさておいて、“朝三暮四”。これはアレです。政策がその場しのぎで、場当たり的であることを表しております。そのココロはというと、昔、中国のナントカという人がですね、サルに対して、「朝に3つ、暮れには4つの木の実を与える。」というマニフェストを発表したところ、サル達の間からブーブーと文句が出たと。サルなのにブーブー…というのも、ちょっと矛盾してますかね? じゃ、サル達の間からキーキーと非難の声が挙がった。…と訂正しておきますが、とにかくまあ、サル達から文句を言われて、政策の変更を余儀無くされるわけであります。で、新しく出来た政権公約というのがですね、「じゃ、朝に4つ、暮れには3つということにするぅ。」…という物だったのだから、なんともはや、その場しのぎで、場当たり的な話でありますなぁ。そんな子供騙しな手法で、誰が納得するねん!?…と思わずにはいられませんが、サル達は、「じゃ、いいやぁ。」と納得して、騒ぎのほうも治まったというのだから、サルもサルでありますなぁ。とりあえず朝の分が1個増えたから、何となく儲かった気分?…とか思っちゃったんですかね?小泉内閣の構造改革も、決して“朝三暮四”のようなもので終わってはならないが、一方、国民の側も、それに安易に騙されるような“サル知恵”であってならない事は言うまでもない。…って、おおっ、まるで、朝日新聞の“天声人語”のような見事なまとめでありましたな。

 では最後に、“臥薪嘗胆”という四字熟語について考えてみましょう。いや、好きなんですよねぇ、この言葉。特に前半の“臥薪”というのがいいです。どこがどのようにいいのか?…と聞かれると、ちょっと答えに窮するところもあるんですが、何というかその、ガシーン!…とした感じが何とも言えずいいですよね。それに比べて後半の“ショータン”のほうは、何となく短小的な響きがあってあまりよくありませんが、それはともかく、“臥薪嘗胆”というのはアレです。目的を達成するために、艱難辛苦をすることのたとえ…ですよね。解説の中に“艱難辛苦”などという別の四字熟語が出てきたので、まずこちらから片付けなければなりませんが、“艱難”というのはアレです。あまり聞き馴れない言葉ではありますが、困難に悩むこと。そんな意味合いであるようです。で、“辛苦”のほうは簡単ですね。カツカレー(激辛)に正露丸を混ぜて食べると、辛くって苦いよね。…みたいな。そんなもの混ぜて食うな!…という気がしないでもないんですが、だって僕、今日はちょっぴり下痢気味だしぃ。…って、だったらカツはやめとけよ!…という気もするんですけどね。下痢気味であるにもかかわらず、カツカレーを食わなければならない。それくらいツラいことなんだ。…ということなのかも知れませんね。以上で、“艱難辛苦”は解決。続いて本題の“臥薪嘗胆”でありますが、今回調べてみてちょっと意外だったのは、“臥薪” する人と、“嘗胆”する人とは、別だったんだぁ。…ということなんですが、僕は今までずっと、一人の人が臥薪して嘗胆するものだとばかり思っておりました。ガシンしたり、ショータンしたりして、大変だなぁ。…と思っておりました。が、違っていたんですな。えーと、まず最初に“臥薪”のほうでありますが、これはアレです。夫差(ふさ)という名前の人であります。このフサぴょんがですね、父の敵である勾践(こうせん)という人をやっつける機会をねらって、“臥薪”をして我が身を苛めていた…と。“臥薪”というのはどうやら、薪(たきぎ)の上に寝っ転がることのようなんですが、どうしてそのようなマゾ的な行動に走ったのかと言うと、自分の身を苦しめることによって、復讐心を絶やさないようにしたと、ま、どうやらそういう意味合いであったようなんですけどね。で、その艱難辛苦が功を奏して、フサぴょんは見事、3年後には宿敵であるコーちゃんを屈服させることが出来たと。苦労が見事に身を結んだわけでありまして、いやあ、よかったではありませんかぁ。

 で、一方、“嘗胆”したのは誰なのかというと、屈服させられたほうのコーちゃんだったというのだから、ちょっと意外な感じがしますよね。すなわち、コーちゃんは屈服させられた屈辱を忘れないために、“嘗胆”することによって我が身を律した…と。で、その“嘗胆”というのがどういうものなのかというと、胆(きも)を嘗めること。…って、いやこれは正直なところ、今ひとつインパクト弱〜い。…という気がしてなりませんね。ま、僕はレバーが苦手なのであまり大きなことは言えないんですが、世の中にはキモ好きの人というのはたくさんいるわけでありまして、その人たちにしてみれば“嘗胆”というのはヨロコビでこそあれ、辛苦でもなんでもないわけでありまして。ま、確かにキモというのはちょっぴり苦かったりもするんですが、キモ好きの人というのは、そこのところが、たまらん♪…と思っているわけですからね。世界3大珍味のひとつであるフォアグラなんてのは肝そのものであるし、うな丼だって上を頼むと“肝吸い”が付いてきたりします。並では付きません。つまりまあ、“嘗胆”なんてのは、ただの贅沢やん!…としか思えないわけでありまして、そんなことでいいのか、勾践?…と叱咤してやりたい気分で一杯です。ところがこの美食家のコーちゃんが、10年後にはフサぴょんを打ち負かしちゃったというのだから、なんともはや、実にふざけた話ですよね。薪の上に寝転がって苦難に耐え忍んできた男が、うな丼の上を食ってるような奴に負けちゃうとは、世の中、何か間違っております。でも世の中、そういうものなのかも知れませんな。“臥薪嘗胆”を座右の銘にしようと思っていた僕は、この事実を知って、何だかアホらしくなってしまいました。これからは“酒池肉林”で行こう!…と、心に決めた次第であります。おしまい。

 ということで、人材不足のドラマー編にはきっぱりと見切りをつけて、今日からは楽しいベーシスト編でございます。いや、こちらのほうも手持ちのネタは極めて些少なので、すぐに終わっちゃうと思いますけどね。で、ベーシスト編の第1回は“ファーストベースマン”の呼び声も高い、ポール・チェンバースでございます。チェンバースの 『ファースト・ベースマン』 というアルバムを紹介したいと思います。チェンバースを“ファースト・ベースマン”と呼ぶことに関しては何かと異論があろうかとは思いますが、ま、本人が自分でそう言っている以上、他人がとやかく言う筋合いはありません。せいぜい、陰でこそこそ、「調子に乗るんじゃねーよ!」…と悪口を言うくらいにとどめておきたいと思います。ま、チェンバースがベースの第一人者であること事態は間違いないんですが、何かと毀誉褒貶の付きまとうキャラではありますよね。特にこの人のアルコ・プレイに関しては、賛否両論と言った感じなんですが、そういえば今日紹介した“臥薪嘗胆”という四字熟語に関しては、『まんがで読む・ことわざ辞典』 みたいな本で読んだことがあるような気がします。“臥薪”のほうは薪の上にあぐらをかいた人が、炎に包まれて、「くそー!」と復讐心に燃えている。…みたいな絵面だったように思います。で、問題の“嘗胆”のほうは肝を嘗めて、「苦っ!」と顔をしかめているような。さほど美味しそうには嘗めておりませんでしたので、僕と同じく肝の苦さが苦手な人だったのかも知れません。でなきゃ、ちっとも教育的な訓話にはなりませんもんね。で、“酒池肉林”のほうはというと、教育的な見地からなのか、この本には取り上げられておりませんでした。ああん、ちょっぴり残念。ちなみに“酒池”というのは池を酒で満たすような状態、“肉林”のほうは肉を木の枝にぶらさげて、林みたいにした状態のことを言うんだそうでありまして、ま、それくらい贅沢な宴を繰り広げること。…といった意味であるようですが、冷静に考えてみたら、さほど羨ましい状況でもありませんよね。肉を木の枝にぶらさげてみたところで、いったい何が嬉しい?…といった気がするし、せっかくのお酒を池にぶちまけたりしたら、酒が鯉臭くなるだけやん。…みたいな。ただ、この酒池肉林の宴を繰り広げた人は、男女を裸にして、追いかけっこをさせた…という話も伝えられておりますので、こちらのほうは素直に、楽しそうだね♪…という気がするんですけどね。

 とまあそういうことで、『ファースト・ベースマン』 でありますが、僕はこのアルバムにはあまりよい印象を持っておりません。というのもですね、ユセフ・ラティーフの書いた曲が今ひとつ魅力的でない。…といった評価をスイング・ジャーナルのCDレビューで目にしたからなんですが、アレを見て、「じゃ、買うのヤメよ。」と思ってしまった人が世の中にはゴマンといたんじゃないでしょうかね?ま、5万はいないとしても、少なくとも全国で50人くらいは。こうなってくると、一種の営業妨害にもなりかねないわけでありまして、ま、「頭にチョーチンの付いた深海魚は、チョーチンアンコウである。」みたいなチョーチン記事を書くのもどうか?…という気もするんですが、モノを書く身としては、それなりの覚悟と決意を持って取り組まなければなりませんな。で、SJ誌で、「つまらない。」…と断言されて、“うなだれおじさん+ワニ”くらいの評価しか得られなかった本作でありますが、にも拘らず、僕は買ってみました。ほら、人間には“恐い物見たさ”という心理と同様、“臭いもの嗅ぎたさ”とか、“つまらないもの聴きたさ”といった心の働きがあるわけでして。で、買ってみて、実際に聴いてみたらホントにつまらなかったので、思わず、「つまらないじゃないか!」…と文句を言いたくなってしまいましたが、チェンバースのCDで、手持ちの残っているものと言ったらもうこれくらいしかないので、やむを得ず取り上げてみたいと思う次第であります。今回はジャケ絵のほうを先行して書いてしまったので、今さら取りやめるわけにもいかないしぃ。ちなみにこれ、メンバー的には悪くないんですよね。テナーがユセフ・ラティーフというのはもうちょっと。…と言うか、もう少し考慮して欲しかった。…と言うか、出来ればヤメて欲しかった。…といった気がしないでもないんですが、カーティス・フラーが入って3管編成になっているところは個人的にはポイントが高いし、トランペットにトミー・タレンタインを持ってくるところなど、実に渋い人選ですよね。個人的にはけっこう好きですからね、トミ・タレ。少なくとも、“うんこ垂れ”よりは好きです。で、ピアノにケリーを持ってきたのも嬉しい限りだし、ドラムスのレックス・ハンフリーズも手堅いところであります。こうなってくると、最初に聴いた時の印象とは裏腹に、けっこう期待出来るぅ?…という気がしないでもないんですが、とりあえずまあ、1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 アルバム冒頭の 「メロディ」 という曲が始まった瞬間、ラティーフの曲、悪くないぢゃん!…と思ってしまった僕でありますが、ファンキーなムードのあるなかなかの佳曲ではありませんか。イントロなしで、いきなり3管のユニゾンでテーマが演奏され、その後すぐにフロント陣が引っ込んで、ベースのピチカートでメロディが提示されるところなど、実に憎い演出ではありませんか。さすが、ベーシストのリーダー作だねっ。…といった感じでありまして、その後も管楽器とベースが交替で前に出てくるような感じでテーマが演奏されております。ただの目のクリクリした可愛い系の黒人やん。…と思って舐めてかかっていたら、意外と編曲の才能もある人だったんですな、チェンバちゃん。いや、アレンジの担当はあるいはラティ君だったりするのかも知れませんけど。ラティ君の場合、見た目はぜんぜん可愛くないんですが、アレンジとか、オレンジとか、破廉恥とかにはうるさそうな感じがありますもんね。やっぱり『ハレンチ学園』は実写版やろ?…みたいな。ま、それはそうと、ソロ先発はトミ・タレ君でありまして、これがまた実に味わい深くてよろしいですな。スタイルで言うと、ブルー・ミッチェルに近いものがありますね。テクニックよりもオーガニックで勝負。世の中、やっぱり有機栽培やろ?…みたいなこだわりが感じられます。ただ、惜しむらくはソロがあまりにも短すぎることでありまして、もっと、ずっと聴いていたいな♪…という僕の希望とは裏腹に、すぐユセフ・ラティーフのソロへとスイッチしちゃいます。ちなみに僕はこの“jazz giant”のコーナーでラティーフのリーダー作をけっこう取り上げていることからもわかるように、彼のこと、そんなに嫌いではありません。少なくともラティーフのことは、ブリーフよりは好きです。トランクス派ですからね、僕って。が、サイドマンとなるとまた話は別でありまして、何かこう、あまりにも個性が強すぎて、脇に回ると浮き上がっちゃうというか。で、ここでもやはりラティ君はあまり素直ではないフレージングで全体的なムードをブチ壊してくれておりまして、ま、幸いにもソロが短くてすぐに終わっちゃうから、まだ救いはあるんですけどね。でもって、3番手はフラーであります。この人はアレですよね。クリシェすれすれ…といった感じのアドリブを聴かせる人であったりするわけなんですが、ここれもやはり、どこかで聴いたことのあるようなフレーズが飛び出して、ま、ある意味では安心感のあるプレイヤーではあるわけなんですけどね。マンネリの安寧感…とでも言おうか、とにかくまあ、あまり冒険しない人ではありますな。ということで、さていよいよ、ここでリーダーのお出ましでございます。果たして、いつ出るのか?…と期待と不安を募らせて耳を傾けていたんですが、ついに最後までアルコ・ソロが聞かれることはありませんでした。ああん、残念。…というのが、ここでのチェンバースのソロの実態なんですが、いや、別に彼の弓弾きを聴きたいわけではないんですけどね。ただ何というか、ジャンプの原田クンって2本目に必ずと言っていいほど失速するだよね。…と思っていたのに、何かの間違いで大ジャンプを飛んでしまったのを目の当たりにした時のような、嬉しいような、ちょっぴり残念なような、なんとも複雑な心境に陥ってしまいます。とまあそんなわけで、チェンバースの無難なベース・ソロの後、セカンド・テーマみたいなちょっとしたアンサンブル・パートがあって、ドラムスのソロがあって、またまたアンサンブルのパートがあって、最後は短くテーマを提示して、おしまい。曲自体は良好、構成的には大いに工夫が感じられ、ベース弾きがリーダーになった場合の露出度という点では微妙なセンでありますが、全体的にはソロが短すぎて、ちょっぴり物足りない。…というのが1曲目の感想でありました。

 はい、続いては2曲目です。「ベース・リジョン」 というタイトルの曲です。“リジョン”というのはどういう意味なんですかね?哺乳瓶のメーカー?…って、それは“ピジョン”ですね。で、この問題に関する回答はですね、瀧口大由記クンの書いた日本語ライナーにありました。もしかしたら、最後に“瀧口大由記”と書いてあるのは、瀧口大由クンが記したものなんだよ。…という意味で、名前自体は瀧口大由までなのかも知れませんが、とにかく、ちょっぴり斜に構えたような態度はシリアスで、アリアスで、あ、今日(4月3日)も阪神、勝ちましたな。巨人相手に開幕2連勝で、とっても幸先がいいですね。で、瀧口クンの書いたライナーノートはちょっぴり僕の趣向には合わないところもあるんですが、とにかくまあ、曲のタイトルは「ベースの宇宙」という意味であるようです。ケリーはいつものフレーズでペースを取り戻そうとするが、チェンバースの繰り返すお経のようなビートが行き場を失ったかのようになにか空しく響く「ベースの宇宙」…とありますが、コルトレーンの 『至上の愛』 といい、最近は“お経”というのがキーワードなんですかね?ま、それはともかくとして、演奏のほうは1曲目以上にチェンバースのピチカートをフィーチャーした形でテーマ・メロディが演奏されます。メロディと言えるほど大した曲ではなくて、この辺りがどうも今ひとつ魅力的でない。…と言われちゃう所以なのでありましょう。チェンバースの繰り出すビートに、フロント陣が茶々を入れる…といった感じのアレンジでありまして、なまじレックス・ハンフリーズのドラミングの切れ味が鋭いばかりに、何だかタイコが浮いちゃってるような感じがあります。で、ソロ先発はラティーフなんですが、これは今ひとつ魅力的でない。…といったレベルを遥かに超越した今ひとつさでありますなぁ。。。幾分フリーキーで、何分(なにぶん)にもアラビアン、でもって、 兄貴分的にワガママ。そんな感じの吹きっぷりでございます。それに呼応してか、ソロ2番手のトミ・フラも何だか変なフレーズを吹いておりまして、続くフラーのソロも何だか今ひとつ。で、続いて1曲目ではほとんど出番のなかったケリーのソロを聴くことも出来るんですが、何だかいつものペースを取り戻せないようでいるようです。楽曲の悪さが演奏自体にも悪影響を及ぼしてしまった、そういう1曲であると言えるでしょう。ま、各自のソロ・スペースは十分過ぎるくらい確保されているんですが、アドリブ・パートが長ければいいというもんでもねーな。 …ということを改めて感じさせられました。あ、先走って結論を出してしまいましたが、演奏のほうはまだ続いておりまして、ピアノ・ソロの後にはレックス・ハンフリーズのドラムス・ソロがフィーチャーされていて、いや、この人だけは元気溌剌でありますなぁ。ちょっぴり周囲から浮いてはいるんですけど。

 ということで、3曲目です。 「リトログレス」 というのは、「退化」という意味であるようです。これまた何ともアブストラクトで、とてつもなく魅力的ではないナンバーでありますな。ホーン・アンサンブルの後、すぐにベースのピチカートが出てくるあたり、1曲目とよく似たアレンジが施されておりますが、何かこう、もういいって!…と言いたくなるような感じがありますな。ベーシスト、ちょぴり前に出過ぎぃ。ま、唯一の救いはソロ先発のケリーのプレイが、まあまあそれらしいということでありまして、ま、あくまでも“まあまあ”のレベルなんですけどね。で、その後、ベースをベースにした4バースみたいなパートがあって、ここでもベースが前に出過ぎぃ。アルコ無しでも、チェンバースのベースは十分にクドい。…ということが判明した次第でありますが、いや、この人にはあまりリーダー作を作らせないほうがよかったかも知れませんね。自分が主役になると、悪い意味で目立ちたがる傾向にあるようです。でもって、4曲目の 「モップ・シュー・ブルース」 は、アタマっからベースのピチカートかい!…と言いたくなるような曲であります。テーマ部の後半にはホーンのアンサンブルが絡んできて、でもってソロ先発はチェンバース。ま、それだけ前に出て弾きたいのなら、僕はもう止めはしませんけどね。で、その次に出てくるのがラティーフとなれば、これはもう、既にこの曲の失敗は約束されたようなものなんですが、ところが意に反して、ここでのラティーフのソロはまあまあ悪くない出来であったりしております。ま、あくまでも“まあまあ”のレベルでありますが、それでもこう、何と言うかワイルドな感じもあって、この人にしてみればまずまずの出来なのではなかろうかと。そのお陰でタレンタイン(兄)もいつものペース戻っているし、フラーは無難だし、ケリーも次第に持ち味のスインギーさを取り戻しつつあるようです。やはりこう、ブルースをやることの安心感というか、でも瀧口クンは、ブルースらしいメロディが今一つこの編成では生かされ切っていない気がしてしまう。…などと書いてますけどね。でもまあ、個人的には1曲目以来、ひさびさにまともな演奏が聴けたな。…という感慨に耽っているところでありますが、とにかくまあ、残すところあと1曲です。もうちょっとの辛抱ですね。

 あ、そうそう。キティちゃんの“ハルウララばーじょん”が出るんだそうですね。個人的には、ハルウララが99連敗して、メディアの話題に上り始めた頃は好感をわりと持って見ていたんですが、最近の異常なブームにはやや食傷気味。…といった感が無きにしもあらず。が、このウマがキティちゃんのワッペンを付けたメンコを愛用しているのを知って、また考えが変わりました。キティちゃん好きのウマとは、何だかウマが合いそうですもんね。ただ、何故だか一緒に“象”もあしらってあるあたり、今ひとつ了見がよくワカランのですけどね。…とまあ、そんなことはどうでもよくて、アルバムの最後を飾るのは 「ブレスド」 という曲です。ここにきてようやく…と言うか、やっぱりと言うか、何と言うか、このアルバムで初めてチェンバースのアルコを聴くことが出来るんですが、弓でじっくりとバラード風のメロディを弾いておりまして、ことのほかお洒落っぽい仕上がり具合なのが、ちょっぴり意外。チェンバースのアルコ・ソロは、ぎゃぎゃぎゃぎょ、ぐがが、ぐぇ〜♪…と、大変に耳障りな点が不興を買っているんですが、こうして弓でテーマを弾いた場合には音程の悪さが槍玉に挙げられたりします。が、ジャズの世界に於いて、音程が安定しているというのはそれほど重要なポイントではなくて、ま、音程なんてものは学校の校庭にある“うんてい”くらいの価値しかないものであって、 ま、あればあるに超したことはない。…といった程度のものでありまして。で、この演奏は悪くないですね。ラティーフがテナーではなくてフルートを吹いてるせいもあって、全体的に新主流派的なムードも感じられ、何よりも哀愁に満ちているところがポイント高いのではなかろうかと。「ジャズは哀愁だ。」と喝破したヤックンの説は、ま、河童の言うことよりは正しいですもんね。いや、河童の言うことにじっくりと耳を傾けてみたことはないんですが、ま、所詮は河童の言うことですので、大したことはなかろうという気がするんですよね。(←河童差別的問題発言。) で、演奏のほうはというと、ベースの弓弾きが提示するメロディにアンサンブルが絡むテーマ部を経て、ラティーフのフルート、トミ・タレのミュート、フラーのボントロ、ケリーのピアノ…と、実に哀愁に満ちた各自のソロを堪能することが出来ます。2曲目、3曲目といったあたりは意味不明でチャンバースの演奏も心底ウザかったんだけど、それもみんな過ぎたことや。許したろ。…といった優しい気持ちになれます。 ただ、その後のチェンバースのアルコ・ソロは、ぎゃぎゃぎゃぎょ、ぐがが、ぐぇ〜♪…と、ちょっぴり耳障りなんですが、ま、短いものだから大目に見てやってくださいね。いずれにせよ、33歳という若さで死んじゃた、この“クリクリお目目”のベーシストは、好き・嫌いの感情は別にして、何だか憎めないところがあるわけでありまして。とまあそんなことで、今日はおしまい。

【総合評価】

 クドいけど、何故だか憎めない。そんな1枚ではありますな。でもやっぱり、クドいです。アルコが少なくても、クドい。。。


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