HEAVY SOUNDS (IMPULSE)

ELVIN JONES & RICHARD DAVIS (1968)

HEAVY SOUNDS


【パーソネル】

RICHARD DAVIS (b) ELVIN JONES (ds,g) 
FRANK FOSTER (ts) <#1,2,3,5,6> BILLY GREEN (p) <#1,3,5,6>

【収録曲】

RAUCHY RITA / SHINNY STOCKINGS / M.E.
SUMMERTIME / ELVIN'S GUITAR BLUES / HERE'S THAT RAINY DAY

【解説】

 世の中を生きていく上で、“3つの気”が大切…という話はよく聞きますよね。すなわち、“やる気”“根気”“中気”…って、あ、最後のひとつは違いますね。“やる気”“根気”“勇気”というのが正解ですか。“勇気”の換わりに“元気”というのを入れる場合もあるかと思いますが、僕は今、とっても“気が抜けた”状態にあります。やる気、ぜんぜん無いしー。で、ネタのほうもまったくと言っていいほど何にも浮かんでこないので、とりあえず近況報告をしておこうと思いますが、このところ、作業環境が劣悪です。というのもですね、シゴトに入っている新築の水源地の管理棟で、栗田クンところが1階と階段部分の床塗り作業を始めたんですが、いやあ、シンナー臭いのなんのって。ウンコ臭いのは職業柄、わりと慣れっこになっているんですが、シンナーの臭いは駄目ですなー。幼少の頃から真面目一筋に生きてきた僕はシンナーに慣れ親しむという経験がなかったので、まったく免疫が出来ておりません。藤子不二雄の“”のほうだか“”のほうだか、どちらか忘れましたが、とにかくまあ藤子不二雄のどちらかのほうは、幼少の頃から厳格な禅寺の家庭に育ち、19歳になるまで肉・魚の類はいっさい口にした事がなかったそうでありまして。で、19の時、手塚治にウナギを奢ってもらって一口食べたところ、猛烈な鼻血に襲われたんだそうでありますが、それと同じくシンナーに対する抵抗力が極めて低い僕は、隣の電気室でぼーっとしているだけで、鼻血が出ちゃいそうになりました。それでなくても僕は鼻血の出やすい体質ですからね。ちょっと鼻クソをホジっただけですぐに鼻血が出ちゃうし、シューベルトという名前のチョコレートケーキを食べた時にも、のぼせて鼻血が出ました。ま、さすがにオトナになってからは子供の頃ほど鼻血が出なくはなったんですが、先日、ハサミで鼻毛を切っていたら、誤って肉の部分まで切ってしまって、ちょっぴり鼻血が出ました。やはり鼻毛は鼻毛バリカンで処理しないとデンジャラスであるなぁ。…ということを再認識した次第でありますが、鼻血が出そうなだけならまだしも、歯のほうまでなんだかジンジンと痛くなってくる有様でありまして、シンナー遊びの怖さを身をもって体感した僕でありました。でもって、この現場にはもうひとつの恐怖も待ち受けていたんですが、それは何かというと、“高さの恐怖”。1階と階段部分の床塗り作業をしている関係上、「2階の電気室にはハシゴで昇って〜。」…って、栗田クンはいとも簡単に言ってくれたんですが、こちとら、高所恐怖症だっちゅうの!高いところは嫌いだっちゅうの!高いぼったくりバー。…というのも恐いものでありますが、物理学的に高いところというのも恐怖を覚えるものですよね。とある、あまり信用のおけない信用調査機関の調べによると、日本全国で高所恐怖症の人の数は1億2700万人にも上ると言われておりますが、いや、多分、10人に1人くらいは高いところが恐いんじゃないかな?…という、僕の勝手な想像に基づいた数値でありますので信憑性のほうは皆無なんですが、そもそも高所恐怖症の人はどうして高いところが怖いのでありましょうか?

 高所恐怖症。ちょっぴり言いにくいですね。いや、口に出して言うにはさほどでもないんですが、パソコンでローマ字入力しようとすると、けっこう指先がもつれたりします。きょうしょこうふしょう…とかになってしまいがちです。ま、それはともかくとして、どうして高所恐怖症の人は高いところが恐いのかと言うと、その答えは明白です。高いところから落ちると痛いから。それだけのことですよね。低いところからなら、たとえ落ちたとしてもさほど痛くはないので、さほど恐くはありません。 中くらいの高さのところなら、落ちると中くらいに痛かったりするので、中くらいに恐怖を覚えたりします。ただ、高所恐怖症の人が子供の頃から高いところが嫌いだったのかと言うと決してそんなことはなくて、子供というのは概して高いところが好きだったりしますからね。ムズっている子供でも、「高い、高〜い。」をしてあげると、よろこぶ。…ということからもそれは明らかでありますが、よく幼児がマンションのベランダから転落したりするのも恐怖心がないからでありましょう。4歳児がマンションの10階のベランダの手すりを乗り越え…といったニュースを耳にすると、よくそんな恐ろしいことが出来るな!…と、僕なんかはその4歳児の勇気ある行動に思わず拍手を送りたくなってしまうんですが、ま、4歳児本人にしてみれば、そこが高いところであるということも、落ちたら痛いだろうなー。…ということもまったく認識しておらず、要するに何にも考えずに手すりを乗り越えているだけの話でありまして、勇気とかそういうのとは別の問題であるような気もしますよね。…ということに気付いたので、僕はその4歳児に拍手を送るのはヤメにしておいたんですが、だいたい、子供が落ちているのに拍手などしてたら、あまりにも不謹慎ですしね。そこでまあ、幼児がマンションから転落するのを未然に阻止する対策を検討してみたいと思うわけでありますが、ここはやはり、幼児自身に自覚を持ってもらうのが先決かも知れません。すなわち、高いところから落ちると痛い。…という事実を学習させるわけでありますが、何せ相手は幼児なので、言葉で説明してもなかなか分かってもらえません。言うてわからん時は、カラダで覚えてもらうしかないわけでありまして、これはもう、実際に落としてみるのが手っ取り早いのではなかろうかと。ま、いきなり10階から落としてしまうと、まだ高さに対する免疫が出来ていない関係上、ちょっぴりデンジャラスだったりしますので、まずは「高い、高〜い。」の状態から、「いきなり低い〜!」の状態にまで持っていってみましょう。地ベタに叩きつけるようにすると、より効果的です。それで大丈夫そうなら次は2階の窓から…って、親は“しつけ”のつもりでも、いつの間にやら幼児虐待は次第にエスカレートして、そんな幼児期の悲惨な体験がトラウマとなって、大人になって高所恐怖症になっちゃうんでしょうな。不憫な話です。

 で、僕がいったい、どのような育てられ方をしたのかサダカではないんですが、僕は高所恐怖症です。閉所恐怖症のほうはそれほどでもないので、幼児期に冷蔵庫に監禁されるといった虐待は受けてなかったものと思われますが、少なくとも小学校5年生の頃にはもう既に、高いところが恐い…という下地は出来上がっていたように思います。僕が遊び場にしていたところに三重県桑名庁舎(桑名保健所併設)というのがあるんですが、そこの屋上に昇るためには3段くらいのタラップがあって、僕はどうしてもその関門をクリアすることが出来ませんでした。だって、恐いしー。塩サバ2号はわりと平気で昇ってましたけどね。さすがは、兄貴っ!…と尊敬したような覚えはありません。当時、塩サバ2号はもう既に高校生くらいになっていた筈なので、それくらいは昇れて当然というか、いいトシして庁舎の屋上に昇るなんて、オトナ気ない。…と馬鹿にする気持ちのほうが強かったというか、だいたい高いところが平気なヤツって、概してデリカシーの欠如した野蛮な未開人。…という感じがしませんか?バンジージャンプなんかで勇気をひけらかしたりして、文明人ならもっと、違った形でのアピールの仕方があるやろ?…と思わずにはいられません。例えば・・・、そうですねー、煙草の火を自分の手の甲に押し当ててみるとか。…って、それは“勇気”ではなくて“根性”が試されるものなんですけど。 とまあそんなことで、“やる気”に引き続いて“勇気”にも著しく欠如した状態であることが判明した僕でありますが、たかだか3段のタラップさえクリア出来なかった僕に、ハシゴで2階まで昇れというのはどだい無理な話ですよね。高さでいうと4メートルくらいのものでありましょうか、しかも、やにこい(←方言?)アルミ製のハシゴなので、しなるしなる。おまけに下は整地してない土の状態なので、横にも揺れる揺れる。でもまあ、オトナになった僕にとって約4mというスペックは“落ちると中くらいに痛かったりする”というレベルなので、勇気を振り絞って昇ってみましたがな。その結果、何とかなるなー。…という好感触が得られた次第でありますが、いや、建物の壁に立てかけられたハシゴというのは、条件としてはまだいいほうなんですよね。垂直ではなく、70度くらいの角度があるので何となく斜めに昇っていけばいいし、目の前が“壁”なので、あまり下を見ないで昇っていくことが出来ます。無事に上まで昇り終えて電気室の窓から不法侵入を果たした時は、達成感でいっぱいでありました。「先生、俺、やったよ!」と中学時代の恩師、岩田センセイに報告したい気分でありました。「いなば、やれば出来るぢゃないか!」という岩田センセイの声が今にも聞こえてきそうでありました。岩田センセイもきっと、草葉の陰で喜んでくれていることでありましょう。…って、多分、岩田センセイはまだ生きているとは思いますけど。

はしご設置状況

 とまあ、電気室への出入りはまだ何とかなったんですが、問題は配水地のほうですね。配水地というのは普通、螺旋階段で上に昇るような構造になっているんですが、コンサルの先生の“変わった事したがり癖”が災いして、管理棟の屋上から渡り廊下で連絡するような構造になっちゃいました。ま、螺旋階段というのは恐くはないんですが目が回って気持ちの悪いものですので、渡り廊下方式の採用は、さすがはコンサルの大先生だねっ♪…という感じなんですが(←露骨なゴマスリ戦略)、今回のように管理棟の階段が通れなくなっちゃうと困るんですよね。「配水地にもハシゴで昇って〜。」…って、栗田クンはいとも簡単に言ってくれたんですが、前にも言ったように、こちとら、高所恐怖症だっちゅうの!高いところは嫌いだっちゅうの! しかもこちらのほうは電気室の窓よりはるかに高く、高度は恐らく8mに達しているであろうと推測される上、何というかその、実に“あっぱっぱ”でありまして。このあたりの状況はちょっと言葉では説明出来ないので図解してみると、こういう感じ(→)でありました。うん、やっぱり絵で書いてみると一目瞭然だねっ♪…と思った人がいるとすれば、僕は別にその存在を否定はしません。ただ、書いた本人としては、絵で書いてみるだけ無駄だったな。…という気がしてならんのでありますが、とにかくまあ、ハシゴが“あっぱっぱ”であったと。下を見るな!…と言われても、ハシゴの隙間から下のほうが丸見えだし、しかも、やにこい(←方言?)アルミ製のハシゴ(←しかも8m)なので、しなるしなる。おまけに下は整地してない土の状態なので、横にも揺れる揺れる。…という程度の度合いは管理棟の壁に立てかけたハシゴの比ではありません。“4mバージョン”である程度、高所に対する恐怖心を克服した僕はさっそくチャレンジしてみた次第でありますが、3mほど昇って、断念。でも何だか悔しいので再チャレンジしてみて、でもやっぱり3mほど昇ったところで、断念。だって、恐いしー。半端じゃなく恐いしー。やっぱり僕は勇気のない青年だったんだ。…と落胆する気持ちが3分の1、確かに僕は8mのハシゴが昇れないが、でもそれがどうした!?…と開き直りたい気持ちが3分の1、残りの3分の1は、えーと・・・、特に思いつかないので先に進みますが、上には上がいると言うか、下には下がいると言うか、世の中には僕よりもっと情けないオトコというのがいるものでありまして。それは誰かと言うと、発電機と受電盤との信号の取り合いの調整に来た電気屋の兄ちゃんなんですけどね。コイツがまた、僕に輪をかけた極度の高所恐怖症である上に、おまけに僕よりも太っておりました。あ、太っているのはあまり関係ありませんか。でもイメージ的に、太っている人のほうが高いところを恐がる傾向にあるよね?…という気が何となくしないでもなくて、それはやはり、太っているほうが重力の影響をモロに受けやすくて、落ちた時のダメージが痩せている人よりも大きいからそういう気がするんだと思うんですが、そいつがめちゃめちゃビビりながら、電気室までのわずか4mの距離をへっぴり腰で昇っていく姿を見て、なんて情けないやつヤツめ!…と、僕は大いに優越感に浸ることが出来ました。8mならまだしも、たかが4mのハシゴでビビっているようでは、オトコとしてどうか?…と思ってしまいますよねー。いや、8mのは昇れなくても当然なんすけど。

 で、このデブの…って、そのようなストレートな表現は失礼にあたると思うので、身長に比して、体重の占める割合が平均よりも過剰気味である人…という婉曲な表現に言い換えておこうと思いますが、この体重過剰気味の電気屋の青年の凄いところはですね、昇る時はまだ何とかなったんですが、いざ仕事が終わって帰ろうという段になって、窓から下を見下ろした瞬間に完全にビビってしまって、どうしてもハシゴで降りることが出来なくなってしまったという体たらくでありまして。しっかりしろ、このデブ!…と思わずにはいられませんでしたけどね。あ、わざわざ婉曲な表現に言い換えた意味がまったくないようなストレートな罵倒になってしまいましたが、それにしても、犬に追いかけられて木に昇って逃げたのはいいものの、恐くて降りられなくなってしまった子猫ちゃんじゃあるまいし、いや、そんな可愛らしいキャラではなくて、どちらかと言うとブタを連想させるような青年だったんですが…って、またしても表現が露骨になってしまいましたね。でもまあ、恥骨な表現よりはマシ?…という気がしないでもなくて、いや、それがいったいどのような表現であるのか、書いている本人も今ひとつよくワカランのですけどね。で、その兄ちゃんの仕事は朝の10時頃には完全に終わっていたというのに、昼になればペンキも乾いて、普通に階段で降りていけるようになるかも知れないね。…という、あまり確たる根拠があるわけでもないあやふやな情報だけを心の縁(よすが)にして、体重過剰気味の兄ちゃんは用もないのにしばらく電気室で粘っておりました。が、電気室の中は前述のとおり、鼻血が出そうなほどのシンナー臭に包まれておりまして、出来ることなら一刻も早くそこから逃げ出したいような状況であります。兄ちゃんは、「このままシンナー中毒になる道を選ぶか、勇気を出してハシゴを降りるか・・・。」などと呟きつつ、究極の選択を迫られているようでありましたが、窓から外を見下ろしながら、「はぁ〜。」と力なくため息をついて、最終的には“ラリラリの道”のほうを選んだようです。いやはや何とも我慢強いと言うのか、何と言うのか。。。高いところというのはシンナーよりも恐ろしいものだったんだね。…ということが判明した、とある2月のお昼時でありましたが、このまま夕方までペンキが乾かなければいいのにぃ。…という僕の願いもむなしく、階段歩行OK!…の許しが出てしまって、ああん、つまんないのぉ。。。

 「いやあ、たふかりまひたぁ〜。」…と、その兄ちゃんは幾分ラリった口調で明るく挨拶すると、やがて北のほうへと去っていったのでありました。おしまい。

 ということで、今日はエルヴィン・ジョーンズです。通称、エル・ジョー…って、いや、あまりそういう言い方はしませんけどね。エロいギャルのことは“エロ嬢”と言ったりしますけどね。エロ嬢はエロだじょー。…みたいな。そのまんまですけどね。で、本日紹介するのはアレです。インパルス盤の 『ヘビー・サウンズ』 …って、何かこう、タイトルを見ただけで気分がズーンと重くなってしまいますが、ベーシストのリチャード・デイビスと組んだ作品でありますな。この2人組のコンビは60年代屈指の重量級リズム・セクションの担い手として、一部のマニアの間では高く評価されているんですが、一部のマニアを除けば、何だかアブなそうな奴らや。…というので、敬遠される傾向にあるように思われます。いや、個人的にはけっこう好きなんですが、極めてギャル受けしなさそうなところがちょっぴりネックなんですよね。もし僕がギャルだったとしたら、あまりエルヴィン&リチャ・デビ好きのオトコとは付き合いたくないな。…みたいな。ドライブのBGMが『ヘビー・サウンズ』だったりしたら嫌ですもんね。やっぱり、ジュリーの「酒場でDABADA」よねー。…みたいな。いや、どうしてここでいきなりそんなヘンな歌が出てくるのか、よくワカランのですけどね。酒場を探して見えない時は、近くの墓場を探してみろよ〜♪…って、歌わなくてもいいしー。しかし何ですな。酒場墓場で韻を踏んでいて実に秀逸な歌詞ではありますな。ちなみに僕は今、カラオケのレパートリーにジュリーの「ダーリング」を加えようかと画策しているんですが、「似合わねー!」とか言われて馬鹿にされるのがオチのような気もするので、やっぱりヤメておこうかと。“ダーリングいなば”なんてあだ名を付けられてもつまらないですしね。でもまあ、“酒場でDABADAいなば”よりはまだマシですかい?“DABADA”と“いなば”で韻を踏んでるんだか何だかワケがわかりませんもんね。

 で、このアルバムにはテナー奏者としてフランク・フォスターが名前を連ねているんですが、これがまた何とも言えず微妙な選択ですよね。ジョー・ヘンだとかデイブ・リーブマンとスティーブ・グロスマンの“マンマン・コンビ”だったりしたらピンと来るものがあるんですが、よりにもよってフランク・フォスター。ああん、今ひとつなのぉ。…といった思いはアルバム冒頭の「ローンチィ・リタ」を聴いた瞬間、見事なまでに吹き飛んでしまいます。フォスターのオリジナルなんですが、実に60年代モノらしい新主流派風のサウンドに仕上がっておりまして、フラ・フォス君もやれば出来るんぢゃん。…ということを再認識した次第でありますが、僕は特にイントロのところが好きですね。中トロも好きですが、イントロも好き。でも、スカトロは嫌い。そういうキャラですからね、僕って。ベースのピチカートとピアノのユニゾンでモーダルなイントロが奏でられた後、フランク・フォスターがテーマを吹きます。トーンにやや下品な感じが見受けられますが、十分にエルヴィン&リチャ・デビ的な世界を体現しておりますな。でもって、彼はそのままソロ・パートへと突入していくことになるんですが、今ひとつなのぉ。…とか言って、ゴメンよぉ。…と謝らなければならないほど健闘しております。とにかくまあ、思ったよりもずっとかモダンな感覚のモダン焼き。…といった感じだし、ソロの後半はフリーキーなトーンを交えたりして、いやあ、張り切ってますなぁ。で、ピアノを弾いているのはビリー・グリーンというあまりよく知らん人だったので、これまた期待度のほうは皆無に近いような状態だったんですが、ジャズ・ロック調のなかなかいい感じのコンピングを披露しております。で、フォスターの後にはきちんとソロ・パートまで用意されているんですが、アドリブでもけっこう頑張っておりますね。何というか、おだっている(←方言?)ときのハービー・ハンコック?…といった感じの弾きっぷりですね。で、その後、リチャード・デイビスのソロがフィーチャーされるんですが、これはアレです。凄いのを通り越して、クドいのスレスレ?…といった感じのテクニシャンぶりでありまして、いや、なかなか迫力はありますな。ドスが利いとるどすえ。…と、京都の舞妓さんの間でも一定の評価は得られているようです。ギャル受けしないと思っていたら、意外と日本的なところで支持されていたんですね。で、ソロの最後のところにイントロで使ったリフレインを持ってきて、その後フォスターが再登場して、また一暴れ。で、やや力尽きた感じでテーマ・メロディを吹いて、最後にヤケクソでもうひと踏ん張りして、でもって、おしまい。いやあ、エンディングもバッチリ決まっているし、実によくデケた演奏に仕上がっていますなぁ。…と、個人的には高い評価の得られた1曲でありました。

 ということで、2曲目です。あ、あらかじめ断っておきますが、このアルバムは1曲目の出来だけが傑出しておりまして、あとはまあ、惰性と言うか、余興と言うか、尻すぼみと言うか、じり貧と言うか。…という感が無きにしもあらずですんで、そこんとこヨロシク。でもって2曲目は「シャイニー・ストッキング」であります。いい曲やってんですけどね。言わずと知れたフランク・フォスターの代表曲でありますが、いつも言ってるように個人的には“パンスト・フェチ”という趣向は、やや僕の理解を越えてるところがあるんですよね。パンストって、あんなもん、いいかぁ? やっぱ、生脚っしょ。…と思わずにはいられませんが、だいたいパンツと靴下が一緒になったようなものを穿いて、本人としても気色悪くはないんですかね?…って、僕もこのところ防寒用のタイツが手放せない…というか、脚放せない状態になってしまっているので、あまり人のことをとやかく言えた義理ではないんですけどね。で、「シャイニー・ストッキング」でありますが、よく考えたらこの曲名にはどこにもパンティという言葉が入っておりませんので、シャイニーしているのはパンストではなくて、普通のストッキングであると判断してもいいかも知れません。いや、僕はずっとパンストの歌だとばかり思い込んでいたんですけど。で、普通のストッキングの歌となれば、僕の対処法も違ってくるわけなんですが、いや、長靴下なんぞにさほどソソられるものは感じないんですけどね。ま、ルーズソックスというのはかなり好きだったりしたんですが、やっぱりストッキング抜きのパンティのほうが好きです。…って、そんな個人の趣向の話はどうでもよくて、演奏のほうはというと、これまたちょっぴり今ひとつ〜。というのもですね、この2曲目はビリー・グリーンがお休みしたピアノレス・トリオによる演奏となっておりまして、ピアノレスよりもトップレスのほうが好きな僕にとっては、物足りないことこの上なし。…と言った感じでありまして。じゃ、トップレス喫茶とノーパン喫茶では、どちらのほうがいいのか?…と聞かれると、それはなかなか難しい問題をはらんでいるので即答はしかねますね。3年。あと3年だけ結論を出すのを待たせて欲しいと思います。あ、結論という言葉でふと思いついたんですが、“半ケツ喫茶”というのはなかなか楽しいかも知れませんなー。…って、そんなことはどうでもよくて、いや、僕にとってはけっこう大切な問題なんですが、エルヴィンの演奏について知りたい人にとってはあまりにもどうでもよくて、で、これはアレです。全体の印象としては極めて地味なんですが、ピアノが入ってない分、エルヴィンのセンシティブなブラッシュ・ワークを堪能するにはよいですなー。アドリブ・パートのほうもフォスター、デイビス、再びフォスターの順できちんと確保されているんですが、三位一体となって地味に突き進んで行くインタープレイに着目したい1曲でありました。

 で、3曲目の「M.E.」はアレです。中庸の美学を感じさせる小品…といった感じでありまして、えーと、中庸というとアレですよね。・・・。特に何も思いつかなかったので先に進みたいと思いますが、いや、実は、中庸と言うとアレですよね。丸い重りのようなものに紐がついていて、それを手で上下させて遊ぶ遊具…って、それは中庸じゃなくて、ヨーヨーやがな。…というネタなら思いついたんですが、西城秀樹もびっくり!…と言った感じの不出来さでありますので、公開するのは自粛しておきました。いや、結局は書いちゃったんですけどね。ま、それはそうと、「M.E.」というのはアレです。ピアニストのビリー・グリーンのオリジナルでありまして、タイトルが何を意味しているのか他人には窺い知ることは出来ません。いや、原文ライナーを読めばあるいはその辺りの事情について言及されているのかも知れませんが、そこまで調べてみるだけの意欲はありません。無欲ですからねぇ、僕って。右翼というのもさほど嫌いではないしー。かといって左翼活動を否定する気はさらさらないし、“左翼活動とソースカツ丼”というテーマにも興味を持ってるし、で、原文ライナーまで調べてみる意欲はないんですが、日本語ライナーくらいなら読んでみてもいいかな?…という気もするので、ちょっとチェックしておきましょう。書いているのは甲斐ちえみ…ではなくて、市川正二クンですね。えーと、ピアノとテナー・サックスのユニゾンが印象的なゴツゴツした感じの短い曲。原盤ライナーでフランク・コフスキーは“M.E.”というより“M.E.”(セロニアス・モンク)風だと書いている…と。なるほど。図らずして原盤ライナーの内容まで判明して実に有意義な企画でありましたが、そうそう。確かにピアノとテナー・サックスのユニゾンが印象的なゴツゴツした感じの短い曲なんですよね。さすがはショージ君。だてに精進料理を食べてるわけじゃないね。…と思わずにはいられません。で、“M.E.”というより“M.E.”風…という指摘も、ま、ギャグのセンスはともかくとして、いいセンをついていると思います。確かにちょっぴりモンク風だったりしてますもんね。さすがはコフスキーくん。だてに昆布が好きなわけじゃないね。…“M.E.”というより“M.E.”(セロニアス・モンク)風と思わずにはいられません。いや、彼が海藻好きであるという根拠はどこにもないんですけど。で、演奏のほうはと言うと、ショージ君が書いているとおり、ピアノとテナーのユニゾンでテーマが演奏されるですが、エルヴィンの切れ味バツグンのバッキングにも注目が集まります。どちらかと言うと重厚なポリリズムに特徴がある人なんですが、ここでの叩きっぷりはフィリー・ジョーのように単純明快にスインギーだじょー。で、ソロ先発はビリー・グリーンでありまして、前曲で出番のなかった鬱憤をここで一気に晴らしているかのような溌剌とした弾きっぷりがいいですね。ちなみにピアノのスタイルのほうはちっともモンク風ではなくて、どちらかと言うと痛風。そんな感じがします。いいですなあ、健康的で。(←どこがや?) で、ソロ先発は…もなにもアドリブ・パートはこれで終わりでありまして、フランク・フォスターが出てきたなぁ。…と思ったらテーマ・メロディを吹き始めて、で、そのまま演奏は終わってしまいました。いや、実に何というか、小品でありましたなぁ。ま、出来としては悪くはないと思うんですけどー。

 2曲目、3曲目は、まあまあかな?…という感じだったんですが、僕がこのアルバムを、1曲目以降は惰性と言うか、余興と言うか、尻すぼみと言うか、じり貧と言うか。…と断定してしまったその元凶は4曲目の「サマータイム」にあります。いや、人によっては、この演奏こそが本アルバムの白眉であるとか、SARSの元凶はハクビシンであるとか、いろいろなことを言ってるようですが、それにしても鳥インフルエンザのおかげで、すっかり影が薄くなっちゃいましたなあ、SARSは。狂牛病も今ひとつ流行らなくなっちゃいましたよね。そういえば坂口厚生労働大臣は、「牛やらニワトリやら、モウ、ケッコウという感じだ。」…と発言したようでありますが、さすがは我が三重県選出の議員だけあって、ギャグが冴えてるね♪…と思わずにはいられません。今度の選挙では、入れるのヤメようか?…という気になってしまいますが、いや、今まで一度も坂口クンには投票したことがないので大勢に影響はないんですけどね。とまあそれはさておいて、「サマータイム」のどこに問題があるのかと言うと、ベースとドラムスのデュオである。…というところが、個人的には最大のネックだと思うんですよね。ベーシストとドラマーの双頭コンボだから、そういう展開もアリかな?…と頭では理解出来るんですが、カラダがついていかないと言うか、心情的に許せないと言うか、出来ることならヤメて欲しかったというか。いや、ベースとドラムスのデュオでも、ま、せいぜい40秒くらいなら我慢の出来ない範囲でもないんですが、エルヴィンとデイビスったらすっかり意気投合しちゃって、11分以上も2人でイチャイチャしてるのぉ。…ということになれば、これはもう常軌を逸脱した行為であると言わざるを得ません。すなわち、ショージ君に、「石ぶつけるぅ〜!」と言われても仕方のない状況にあるわけなんですが、市川さんちのショージ君ってば、まったく時間の長さを感じさせない濃密なインタープレイ…などとタワケたことを書いておりまして、それでいいのか、ショージ!?本心からそう言ってるのか、ショージ!?正直に生きろよ、ショージ!…って、ま、人の好みはそれぞれなので、他人がとやかく言う筋合いはないんですけどね。…と、ここまで書いたところで、僕は伊那にやってまいりました。今週は土日とも休めそうなので伊那にお泊まりして、“駒ヶ根高原”と“伊那リ”と白樺湖周辺でスキー三昧だねっ♪…と思っていたら、木曜日の時点で土曜日の勤労予定が入ってしまったので“駒ヶ根高原”と“伊那リ”はきっぱりと諦めました。が、金曜日の時点になって、常日頃はとってもケチで陰険な上司が、「土曜日は休んでもええで。」…てなことを言い出して、いや、嬉しいというよりむしろ、余計なことを言うな!…という気分でしたね。こちらとしては、一緒にスキーに行く約束をしている雪ぎゃる@かよりんに、土曜日はシゴト…というメールを出して慰めてもらったばかりだっだし、今さら、「やっぱり休みになったー。」なんて言えるけ? ま、幸いにも栗田クンが「ハンドホールの高さが合わんで。」と言ってきたので電気屋にその修正をお願いして、あと、盤のちょっとした改造と、壁に穴を開けるという重大な任務も発生したので強引に休日出勤を強行することにして、でもまあ、どれもこれもシケた仕事だから昼頃には終わるよね?…と踏んでいたんですが、なんやかんやで結局は5時頃までかかっちまいましたがな。とまあそんなことで、演奏のほうはと言うと、エルヴィンのやや中華風のタイコによるイントロに続いて、デイビスがアルコで重厚にテーマ・メロディを演奏します。いや、心に染みるというのは、こういうことを言うのか!…と思ってしまうほど、スピリチュアルな感性に満ち溢れておりますな。パブロ・カザルスの奏でるチェロも、かくあらんや?…といった感じでありまして、激情を抑えたエルヴィンの淡々としたサポートぶりも胸を打ちますね。で、アドリブ・パートに入るとデイビスはピチカートに転じて、コントラバスをあたかもギターのように軽々と扱っております。続くエルヴィンのソロ・パートは静寂からやがて情念のほとばしりへと発展していって…とまあ、書こうと思えば何とでも書くことが出来るんですが、本心を言ってしまうと、長すぎて、暇すぎて、どうしようもねーな。…って、そんだけ。

 さ、残すところあと2曲ですか。“jazz giant”も2週間ほど更新が滞って、塩通もいよいよ危ないかぁ。…という気配が濃厚に漂い始めておりますが、あるいは今回が最終回になっちゃうかも知れません。心して読まなければなりませんね。いや、書く方としては適当でいいんですけど。で、5曲目の「エルヴィンズ・ギター・ブルース」というのはアレです。タイトルを見ただけでは全然そうとは分からないんですが、エルヴィンが余技でギターを弾いているという、そういうブルースだったりします。レイジーなテンポで実に淡々としたブルースを奏でておりまして、いや、タイコを叩けるだけじゃなくてギターもそこそこ弾けるなんて、大したものですなー。もっともギターなんてものはキダ・タローでも弾けるわけだから、それほど大したことでもないのかも知れませんけどね。いや、僕はぜんぜん弾けないんですけどね。塩サバ2号は高校生時代にちょっぴりフォークギターをかじっていたみたいですけどね。“YAMAHA”のピックが安かったので喜んで買ったら、よく見たら“HAYAMA”やった。…などとぼやいておりました。で、「エルヴィンのギター・ブルース」は、エルヴィンのギターの独奏で始まり、そこにフォスターのテナーが絡んできて、アーシーなムードはいやが上にも高まってまいります。ちなみにテナーが出てきた時点でエルヴィンはドラムス担当に戻っておりまして、ギターのほうはほんのお慰み程度に終わっているところが可愛いですな。余技はあくまでも余技であって、ま、年に1回、新春・隠し芸大会の時に披露してもらえれば、それでいいわけでありまして。ちなみに僕の隠し芸は、同じクラスの子の筆箱を隠したり、上履きを隠したり…って、いや本当は隠されるほうの立場だったんですけどね。いじめられっ子でしたからね、コドモの頃の僕。今でも栗田クンにはよく苛められているんですが、とまあそんなことで最後の曲です。スタンダードの「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」。今日は朝からみぞれ混じりの冷たい雨が降っておりまして、昼前にはそれもすっかりあがったんですが、時折、思い出したかのようにパラパラと。で、伊那のほうは一日中雪だったようで、今日の夜走った時は中央道の松川−伊那間がチェーン規制となっておりました。僕のクルマはスタッドレスだから大勢に影響はなかったんですが、松川ICのところではカラーコーンで一車線に狭められて、“この先チェーンまたは冬用タイヤ”と書かれた看板が立っているだけで、まったくのノーチェック状態でありまして。いいんですかね?こんなアバウトなことで。ちなみに僕のスタッドレスはトーヨーの“ウインタートランパス”という銘柄なんですが、「安かったー。」と言って喜んでいた塩サバ2号の車のスタッドレスは、同じトーヨーでも“ガリット”という奴でありまして。何かこう、いかにも効き目がありそうなネーミングですよね。お洒落感は皆無なんですけど。で、一方、エルヴィン御一行の奏でる「ある雨の日に」は何ともお洒落な感じに仕上がっておりまして、至極のバラード・プレイと言ってもあながち過言ではないような気がします。フォスターの吹くテナーが実に味わい深いですなー。んなことでまあ、今日はこんだけ。

【総合評価】

 賑々しく派手に始まって、最後は渋くしっとりと締める。いいですね。個人的には結構好きなサウンドです。「サマータイム」だけは余分ですけど。。。


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