BOBBY JASPAR WITH G.WALLINGTON , I.SULIEMAN (RIVERSIDE)

BOBBY JASPAR (1957/5/23,28)

BOBBY JASPAR


【パーソネル】

BOBBY JASPAR (ts,fl) IDREES SULIEMAN (tp) <#1,4,5> GEORGE WALLINGTON (p)
WILBUR LITTLE (b) ELVIN JONES (ds)

【収録曲】

SEVEN UP / MY OLD FLAME / ALL OF YOU
DOUBLEMINT / BEFORE DAWN / SWEET BLANCHE
THE FUZZ
【解説】

 今日は“”について考えてみたいと思います。ウンコではありません。ここはそのような子供じみたネタを提供する場ではなく、硬派なジャズ・サイトですからね。じゃ、何か?“”と“ジャズ”というのは、何か関係があるのか?…と言われると、少しは関係があるような気もするし、まったく関係ないような気もするし、とりあえずは「うーん。」と唸って考え込むよりほかないわけでありますが、そもそも“ウンコ”というのはどうしてこういう名前になったんすかね?…という問題からまず片付けておこうと思うんですが、前半の“ウンの部”は何となくわかるような気もします。出すときに「うーん。」と唸るから。…というのはその答えではないかと思われるわけですが、駅の便所とか高速道路のパーキング・エリアの便所とかに入ると、隣の個室からそのような呻き声が聞こえてくることはよくありますからね。隣でしゃがんでいる僕としては気が散って仕方なく、「ウンコくらい、静かにせえ!」と文句のひとつも言いたくなってしまうわけですが、ま、彼らには彼らなりの“切羽詰った事情”というのがあるのでしょう。声を出さないと、出ない。…とか。話は変わりますが、高速道路のパーキング・エリアの便所とかでよく見かける和式便器の金隠しの前にあるパイプ状の“握り棒”。正式には何というのかよく知りませんが、アレはいいですよね。言葉で説明してもわかりにくいと思うので絵で書いてみますが、アレはいいです。力の入り具合が違います。“おまる”にもアヒルの首のところに“握り棒”があったりするわけですが、やはり同じ効果を狙ったものなのでありましょう。僕はあの“”に人類の英知を見た思いがするわけでありますが、では“ウンコ”の“”というのは、いったいどこから出てきたのでありましょうか?んなもん、肛門に決まってるじゃん。…って、いや僕は“ウンコ”そのものがどこから出てきたのか?…ということを問題にしているわけではなく、“ウンコ”の語源について考えているわけなので、余計なことを言わないでくださいね。

 出てきたものがまるで“我が子”のように可愛いので、擬音語の“ウン”に“”を付けてみた。…というのがこの業界における定説なんですが、そっかぁ?ウンコって、可愛いかぁ?少なくとも僕はそうは思わないし、だいたいその説では“ウンコ”のもうひとつの表現である“ウンチ”という言い方について適切な説明を加えることが出来ません。そ、それはきっと、ウンコが混じっていたから。…って、そういう人は直ちに病院にいったほうがいいと思いますね。その場合、内科がいいのか外科がいいのか、あるいは肛門科が適当なのか?…という問題はその時の症状によると思うんですが、ウンコの語源については今ひとつよくわからないというのが実情でありまして。ま、ここはそのような子供じみたネタを検証する場ではないので別にどうでもいいんですが、ということで“運・不運”の問題です。運がいいとか悪いとか、人は時々口にするけど、そうゆう事って確かにあると、あなたを見てて、そう思う〜♪…と、かつて“さだまさし”は「無縁坂」の中で歌っておりましたが、僕はどちらかというと「精霊流し」のほうが好きでしたね。私の小さな弟が、何にも知らずにはしゃぎまわって〜♪…というフレーズではいつも泣いてしまいましたが、カラオケで歌うと間違いなく盛り下がると思うので、ヤメておいたほうが検便では…いや、賢明ではないかと。で、僕が今回、どうして“”について考えてみようと思い立ったのかというと、今月号の『ムー』の記事にそういう特集があったからなんですが、編集部としても「わざわざ総力をあげて取り組むほどのネタでもねーな。」と判断したのか、“総力特集”ではなくて、わりとどうでもよさそうな扱いでありました。「天狗と神隠し」という記事と同じレベルでありまして、ま、確かに「天狗と金隠し」ならまだしも“神隠し”では盛り上がりようがありませんもんね。ただひとつちょっと興味をソソられる記述もあって、“神隠し”の実例として、明治何年だかに三重県桑名市で男がさらわれ、天狗から“大天狗”とかいう称号を贈られた…などという話が書かれておりました。いや、贈られた称号というのはもう少しひねりを効かせたものだったかも知れませんが、改めて調べてみるのも面倒だしアホらしい話なので、ここでは仮に“大天狗(仮名)”としておきましょう。それにしても、たかだか100年ほど前にうちの近所でそのような事件があったというのは、初めて耳にする初耳でありますなぁ。ま、『ムー』に書いてあることはその8割5分までが信用おけない。…という、とあるあまり信用のおけない信用調査機関の調査結果もあることなので、にわかに信じることは出来ないわけでありますが、試しに“天狗 桑名”でサイト検索をかけてみたところ、ぜんぜん関係なさそうなサイトが638件もヒットしたところを見ると、まんざら何の根拠のないデマとして切り捨てることは出来ないのではないかという気がしないでもありません。天狗ハム・ローストビーフセット, C-2218. 5,000円.、<三重>桑名柿安産黒毛和牛すき焼き, C-1502. 30,000円…とか。 なんでもいいけど、3万円というのは高いですなぁ、柿安産黒毛和牛すき焼き。うちではもっぱらすき焼きの場合は柿安産牛並肉(100グラム380えん)というのが使われるわけですが、いや、焼肉のときはけっこう贅沢をするんですけどね。100グラム900えんくらいの特上カルビとか。さすがにコンビニで買ってくる“丸大の味付け焼肉”よりは美味しいです。

 うまい肉を食いたい。…というのは人間が根源的に持ち合わせている欲望のひとつでありますが、うまい肉を食えるか否かというのは、ひとえに“”にかかっているんだそうです。いや、この記事を書いた人がそう言ってるだけのことで、話半分…というか、話1割5分くらいに聞いておいたほうがいいかも知れませんが、もしこの説が本当だとすれば、運がよければうまい肉が食える…ということになりますね。で、著者の綿密なフィールドワークによると、世の中に“運の強い人”が占める割合というのは1割強なんだそうでありまして、では、どうすればその“1割強”のグループに入ることが出来るのか?…というのがこの企画の眼目のようであります。ふと思い出したんですが、この記事は“実用スペシャル”という企画でありまして、能力向上とか念願成就とか悪霊退散などに関する実践的なノウハウが書かれているんですよね。で、“〜スペシャル”で思い出したんですが、前回このコーナーに書いた某・フーゾク店の“浴衣スペシャル”という企画なんですが、あれは“浴衣フェア”というのが正解でありました。この“フェア”という言葉がどうしても思い出せず、何か違うな。…という気はしてたんですが、“浴衣スペシャル”で押し通してしまいました。ま、うちのサイトの信頼度も『ムー』と似たようなものなので別にどうでもいいんですが、今回の“開運の論理”というのは実に明快でありましたな。すなわち、物事を成就させるためには、同じことに10回チャレンジしろと。運の強い人の割合というのは1割強なので、10回挑戦すれば必ず1回は成功すると。何という説得力!確率論的にみてもまったく破綻したところがないし、今まで、これほどまでに科学的な開運術というのがあったでしょうか?…という気がしないでもないんですが、よく考えたら完全なる論理のすり替えですよね。同じことをやっても1回で成功する人がいると思えば、何百回やっても駄目な人もいて、そういうのを“運がいい”とか“悪い”とか言うんじゃないか?…という気がしますよね。それを“1割強”という数字だけで押し切ろうとするのはまさしく詭弁というものでありまして、でも“宝くじ”を連番で10枚買えば、必ず1枚は当たるぢゃん。…って、それも話が別ですよね。ま、“10回の挑戦”というのはチャレンジすることを大切さを訴えたかったわけで、何事も努力をすれば報われるということぢゃん。…と、著者を擁護する向きもあるかも知れませんが、いくら努力をしても報われないのが“運が悪い”ということであるわけでして。が、著者もまんざら馬鹿ではありません。努力しても何ともならなかった場合に備えて、ちゃんと次の手が打ってあります。“ジンクス”を大切にする…というのがソレなんですが、“チンカス”ではありません。そんなものを大切にしてみたところで、何も得られるものはありません。で、“ジンクス”を大切にするとどうして“”が開けるのかというと、面倒なので詳しい説明は省きますが、ま、“信じるものは救われる”という安易な楽天主義とでも言うか、自分の信じる道を歩けば、ま、そのうちなんとかなるだろう…と。で、“ジンクス”そのものは自分で納得の出来るものであれば、別になんでもいいそうです。例えば、「“チンカス”を大切にためておけば、いざ火事になってもすぐに鎮火す。」みたいなものでも、本人がそれを信じている限りは、他人がとやかく言う筋合いはないわけでありまして。ま、火事なんてものはそうそう起こるものではないので、それに備えて“チンカス”をためるというのもどうか?…という気がしないでもないんですけどね。

 で、“”を得るためには、“人から嫌われるタイプになろう。”…という、暴挙とも思える提言もございました。その根拠はと言うと、周囲を見回してみても“運の強い人”というのは、何であんな嫌なヤツが?…と思ってしまうようなタイプが多い。…という、ただそれだけのことらしいんですけどね。“運の強い人”というのは人から嫌われる。だから人から嫌われるようになれば、運が強くなる。だからみんな、人から嫌われるようになろう!…って、何だか素晴らしく飛躍した論理でありますな。独創的ですらあると思います。少なくとも「努力すれば“”は自ずからついてくる。」みたいな楽観論より、遥かに説得力があるような気がします。さすが“開運界”の大御所ともなると、あの手この手を繰り出してくるものでありますなぁ。もう、“歩く千手観音”と呼びたいくらいでありますが、ま、千手観音といってもまだ3本目の手を出したくらいなんですけどね。で、4本目の手は今までの方策に更に輪をかけて画期的なものでありました。“乾きかけの下着を身につけよう。”というのがソレなんですが、何でも生乾きの下着というのはこれから乾くというパワーを秘めているので、人に幸運をもたらす…と。こうなってくるともはや僕の理解を完全に超越しておりまして、シロート考えでは“ウンコのついたパンツ”のほうが、よっぽど“ウン”がついているような気がするんですけどねぇ。第一、生乾きのパンツなんか穿いたら、インキンがおもいきり繁茂するんじゃないっすかね?

 さあ、これでもう“幸運”はキミのものですね。たとえ人から嫌われようと、インキンがおもいきり痒かろうと、“チンカス”が大量にたまってようと、“”だけはキミの味方です。でもそんな人生、うれしいかぁ?

 ということで今日はボビー・ジャスパーです。渋いところ来ましたねー。個人的には『ケリー・ブルー』でお間抜けなフルートを吹いてる人で、好きな洋菓子はベルギーワッフル。…という印象しかないんですが、いや、ベルギー出身らしいので多分そうなんぢゃないかな?…と僕が勝手に思っているだけなんですが、しかし何ですな。ベルギーワッフルというのも最近、とんと見かけなくなりましたな。かつてはスーパー一号館にまで出没していたほどなんですが、ま、一号館に出回っておじさんが食べるようになったら、ブームが終わったも同然なんですけどね。で、この頃はナタデココとかティラミスとかパンナコッタなどという新しいデザート&丘死刑…って、ああん、そんな物騒なのぢゃなくって、デザート&お菓子系が流行の兆しを見せているそうでありますが、しかしどうしてよりにもよって、おじさんが最も不得手としている、ややこしいカタカナの名前を付けたりするんですかね?ナタデココはまだ、「鉈(なた)でココナッツをカチ割る」という連想が働くからいいとしても、ティラミスはどうしても“チラミス”と発音してしまって女子高生の顰蹙を買うし、パンナコッタに至っては思わず、「パンナコッタって、何のこった?」というつまらないギャグを口にして、OLさんから完膚なまでに無視されるハメになってしまいます。その点、ベルギーワッフルというのは分かりやすくてよかったよなぁ。…と、おじさんは昔を懐かしむ次第でありますが、とまあそんなこって、ボビー・ジャスパーです。ちなみにおじさんはこの人には親近感を持っておりまして、それは何故かというと“ジャスパー”という名前が何となく“アジャパー”に似ているからなんですが、リバーサイドにリーダー・アルバムなんか作っていたんですな。ちっとも知りませんでした。が、存在自体が地味なのでオリン・キープニュースとしてもあまりヤル気をソソられなかったのか、アルバム名なんか適当の極みですよね。『ボビー・ジャスパー、ジョージ・ウォーリントン、アイドリース・シュリーマン、ウィルバー・リトル、エルヴィン・ジョーンズ』って、参加ミュージシャンの名前をただ並べただけやん!…と思わずにはいられません。で、あまりにもクソ長いもんだからCDの背中のところに書ききれず、後半2人の存在はぞんざいに扱われて『ボビー・ジャスパー・ウィズ・ジョージ・ウォーリントン、アイドリース・シュリーマン』という名前になっております。でもって、ただ単にテナーとフルートを並べただけのジャケットも工夫がないことおびただしく、オメーはサヴォイ盤かい!…と言いたくなっちゃいますよね。リバーサイド史上、もっともソソられるものがない1枚。…と言っていいと思いますが、とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 まずはジャスパーのオリジナルで、「セブン・アップ」という曲です。で、演奏が始まった瞬間、僕がこのアルバムに対して持っていたイメージは360度変わってしまいました。つまりまあ、1周回って元の状態に戻ったわけなんですが、見た目同様、演奏のほうも何だか地味なんですよねぇ。。。で、「セブン・アップ」と言えば、かつてそのような名前の炭酸飲料水がありまして、いや、今でもあるのかも知れませんが、他のジュースより7cc だけ量が多いのがその名前の由来なんだそうですね。いや、ただ塩サバ2号が子供の頃にそう言ってただけの話なので信憑性は皆無に等しいんですが、オトナになって冷静に考えてみれば、わずか7cc 増やしてみたところで、それがどないしたんや?…という気もしますよね。ビンの底のほうにまだチビっと残ってるんだけど、そんなもの別にどうだっていいやぁ。…と思ってしまう残滓物よりさらに微量ですもんね、7cc。ま、某・白濁粘性系液体の1回あたりの放出量は3〜4cc ということなので、それの2回分に相当する7cc というのは決して少なくない影響力を持ち合わせていると言うことも出来るわけですが、そんなことはどうでもよくて、「セブン・アップ」という曲ですね。これはアレです。跳躍系ヴァーティカルなバップ風のナンバーでありまして、日本人のギャルには今ひとつウケのよくないタイプの曲でありますな。ジャスパーの無伴奏テナーで幕を開け、そこにシュリーマンのトランペットが絡んでくる導入部はそこそこにジャジーだし、ユニゾンによるテーマに続くシュリーマンのソロも歌心抜群だし、2番手のジャスパーも“ベルギー系へろへろ風”という僕の先入観を吹き飛ばすワイルドさで迫ってくるわけなんですが、もうひとつこう、何か胸にググっとくるGUGUガンモ。…といったものが欠如しているような気がしないでもありません。ようするに何か地味なんですよね。ジャスパーのプレイ自体はロリンズ系で、J.R.モンテローズあたりの影響も感じさせるたいへん好ましいスタイルなんですが、なにやらモンク系の気配さえ感じられるジョージ・ウォーリントンのピアノ・ソロ共々、「まあまあかな?」という印象を僕に与えるにとどまりました。ウィルバー・リトルのピチカート・ソロなんかもあって、正統的なハードバップ・サウンドに仕上がっているんですけどね。ということで以上、惜しいセンまでいってる千昌夫。…といった1曲でありました。

 で、2曲目です。スタンダードです。バラードです。シュリーマン抜きです。フルートです。「マイ・オールド・フレイム」です。いや、こりゃいいですな。何となくトランペットのワン・ホーンに合う曲。…というイメージがあるんですが、フルートのワン・ホーンというのもなかなか味わい深いものがありますな。ベルギー人はやっぱ、フルートやろ?…みたいな。日本人なら尺八ですけどね。最近はちょっとしたプチ和楽器ブームらしくて、原液女子中学生が尺八にチャレンジしているそうですが、テクを磨くために若いうちから練習に励むというのはとてもいいことだと思います。で、ベルギー人はフルートです。ちなみに吉原ソ○プ街で通常サービスとして“尺八”が普及したのは1962年頃なんだそうでありまして、当時は“フルート”と呼んでいたんだそうです。横に咥えたりしたんですかね?それはともかく、うちの事務所の所長は会社から金津園の店に電話して、「おたくの女の子はゴム無しオッケーですかぁ?」と質問したりしておりまして、とてもけしからんことだと思います。で、「マイ・オールド・フレイム」でありますが、“フレーム”というと“骨組み”とか“骨格”という意識があって、僕の古い骨組みぃ?…とか思っていたんですが、それは“frame”のほうでありまして、“flame”は“”とか“燃え立つ”という意味だったんですね。で、“old flame”というのは“昔の恋人”と訳すんだそうで、なるほど、これは古い家屋解体の歌ではなかったんですね。歌詞のないインスト曲でも、歌の中身が分かればより深い理解が得られるわけでありまして、なるほど、これは確かに昔の恋人を偲ぶにふさわしい楽曲でありますな。京都にいるときゃ“しのぶ”と呼ばれたんじゃないですかね?この元恋人。で、ジャスパーは別れてしまったしのぶちゃんを偲びつつテーマ・メロディを歌い上げて、その思いの丈を綴っていきます。あの頃、よく2人で“しのぶ寿司”に行ったよね。…とか、そういったことを思い出しているのでしょう。透明感のあるフルートの音色が、まるでコハダの握りのような切なさを醸し出しております。で、続いてはジョージ・ウォーリントンのピアノ・ソロですか。ジャスパーは舞台の袖でジョージのプレイに耳を傾けつつ、しのぶちゃんとの情事に思いを馳せているに違いありません。“しのぶ寿司”に続いて、今度は“金沢でかねた寿司”と、寿司屋のハシゴをした後の情事。しのぶちゃんに「ああん、“ちびネタ”なのぉ。。。」と言われて大いに傷ついて、気まずくなって2人は別れてしまったわけなんですが、…とか言ってるうちにジャスパーのソロが始まりましたな。彼にしても、まさか自らの“ちびネタぶり”をこんなところで暴露されるとは思ってもみなかったに違いなく、ちょっと申し訳ない気もしますが、とてもリリカルなソロで傾聴に値する出来だと思います。…と褒めておけば、きっと許してくれるでありましょう。で、エルヴィンのセンシティブなブラッシュワークを堪能出来るソロがあって、テーマに戻って、おしまい。実にしみじみとした珠玉のバラードなのでありました。

 で、3曲目です。スタンダードです。ミディアム・テンポです。シュリーマン抜きです。テナーです。「オール・オブ・ユー」です。いや、こりゃいいですな。洒脱な歌モノ…といった感じでありまして、ジャスパーのソロは教科書的にわかりやすいフレーズが次々に紡ぎ出されて快調そのものだし、エルヴィンの叩き出すリズムも軽快だし、ウォーリントンのピアノ・ソロも趣味がいいし、最後の4バースの部分もよく練られているし、アドリブ・パートからテーマに戻る流れもごく自然だし、まさに絵に書いたようなテナーのワン・ホーンによるハード・バップ。…といった感じに仕上がっております。そんだけ。で、4曲目です。シュリーマンのオリジナルです。アップ・テンポです。シュリーマン入りです。テナーです。「ダブルミント」ですかぁ。5年ほど前に「ミントの香り」という名前の女子高生モノの裏本が出ているんですが、モデルの女の子が何だかイナカっぽい感じで、それがかえって新鮮でよかったよなぁ。…ということをこの曲名を見た瞬間に思い出しました。で、この「ダブルミント」という曲も何だかちょっぴりイナカっぽいところがいかにもシュリーマンらしくて、いいですよね。エルヴィンの賑々しい“ラテンのノリ”で幕を開けるわりには、テーマ自体はごく普通の4ビートなんですが、まずは日本人好みのファンキーな佳曲。…といってもいいのではないでしょうか。で、「ミントの香り」の連想から勝手にイナカっぽいと決めてかかっていたんですが、実際に聴いてみると別にそんなことはありませんでした。思い込みと先走りを深く恥じ入る次第でありますが、ま、「ミントの香り」自体も女子高生モノと言い切るにはちょっと辛いカットもあるので、正確にはセーラー服ものと言ったほうがいいかも知れません。で、ソロ先発はボビ・ジャスです。が、このボビ・ジャスという略称は今ひとつピンとくるものがありませんので、ボビ・スパのほうがいいかも知れませんね。それはそうと、マンゴーというのはどうも今ひとつ後味がよくありませんな。いや、あまりにもクソ暑いもんだから、先ほどシャトレーゼの“フルーツシェイクアイス〜トロピカル”というのを食べたんですが、どうも口の中にマンゴーのヘンな味が残ってよくありません。僕は基本的にあまり好きではないですからね、マンゴー。だいたい、このような危険スレスレな名前の果物を野放しにしておいてもいいのか?…ということからして僕は心配でならないんですが、もしこの果物の名前を印刷する際、インクがかすれて濁点と長音が消えちゃったりしたら、どうするんでしょうね?“美味しい、熟れ熟れのマン ”…とか言ってるうちにボビ・ジャス改めボビ・スパのソロが終わってシュリーマンが出て来ましたが、その後、G.ウォーリントンのソロがあって、4バースがあって、テーマに戻って、おしまい。

 ということで5曲目です。「ビフォー・ダウン」はウォーリントンのオリジナルです。あ、これ、ウォーリントンのオリジナルだったんですな。綺麗なメロディーのバラードなので、てっきり“ちゃっきり娘”の曲だとばかり思っておりました。…って、思ってもないのに嘘ばかり書くからこのサイトの信頼性がどんどん低くなってしまうんですが、綺麗なメロディーのバラードなので、てっきりスタンダードの歌モノだとばかり思っておりました。で、「ビフォー・ダウン=倒れる直前」って、どうしてこんな綺麗な曲に“貧血女子高生@朝礼でピンチ!”…みたいなタイトルを付けたのかと思ったら、“down”じゃなくて“dawn”なので、「ビフォー・ドーン=夜明け前」という意味なんですね。ならば納得がいきます。いかにも“夜明け前”といった感じの綺麗な曲ですもんね。ちなみに僕は“貧血女子高生”というのはあまり好きではありませんで、いや、病弱なのは本人の責任ではないので可哀想とは思うんですが、やはりギャルというのは元気なほうがいいですなぁ。その点、“半ケツ女子高生”というのはいいですね。全ケツよりも、チラっと見えるくらいのほうが余計にソソられるものを感じてしまいますが、で、ウォーリントンの「夜明け前」はボビ・スパのワン・ホーン(ts)によって、しみじみとテーマが演奏されております。男の優しさ、そして男の哀しさみたいなものを感じさせるとても男らしい吹きっぷりでありまして、オートコーナー三重もびっくり!…といった感じなんですが、いや、桑名にあるカー用品のお店なんですけどね、オートコーナー三重。何やらヤンキーの溜まり場と化していて、今ひとつ近寄り難い雰囲気が漂っているんですが、テーマに続いてはアイドリース・シュリーマンのトランペット・ソロとなります。もしこの人がヤンキーと化した場合、その漢字表記は“哀奴罹異簾首罹異瞞”がいいかな?…という気がするんですが、ここではクリフォード・ブラウンのバラード・プレイを彷彿させる演奏を展開しております。非常に温かみのある吹きっぷりでありまして、この分では当分、グレるような心配はないでしょう。ま、多少、心肺機能の低下が心配だったりするんですが、淫売に走ったりする心配もなかろうかと。で、続くウォーリントンのソロもよいですね。で、続くジャスパーのソロもいいですね。で、テーマに戻って、おしまい。ということで6曲目です。「スウィート・ブランチ」です。「スウィート・ブラチン」ではありません。あんなもの、スウィートでもなんでもないですからね。むしろ、ちょっぴりしょっぱい味がするんぢゃないか?…という気がするんですが、いや、嘗めてみたことはないのでよくは知りませんけど。で、コレはアレです。ウォーリントンのオリジナルです。あ、これ、ウォーリントンのオリジナルだったんですな。てっきりパーカーかダメロンあたりの作ったバップ曲だとばかり思っておりましたが、ま、ウォーリントンも元を正せば正統派のビ・バッパーですもんね。で、これはフルートのワン・ホーンによる演奏でありまして、ま、それなりの出来には仕上がっておりますな。ということで、ラストです。「ザ・ファズ」はジャスパーのオリジナルなんですが、CDオマケ曲なので無かったことにしておいても、さほど文句は出ないだろう。…という気がします。このCDにそんな曲は入っておりませんでした。よしんば入っていたとしても、ジャスパーのワン・ホーンによるリフ・ブルースで、テーマ部はテナーとピチカート・ベースとのユニゾンで演奏されているような気がします。演奏としては、ま、そこそこといったところじゃないっすかね?…ということで、おしまい。

【総合評価】

 いやあ、1曲目の印象が今ひとつ希薄だったので、この先どうなってしまうのか?…と心配していたんですが、2曲目以降は持ち直しましたな。CDオマケ曲を除いた全6曲で考えるとシュリーマンの入った2管クインテットによる演奏が3曲、で、ジャスパーの持ち楽器もテナーが4曲、フルートが2曲。…と、構成に変化があるので最後まで飽きずに楽しめます。とまあ、そんなところです。


INDEX
BACK NEXT